第九十七話 「異世界の獣人たち」
--- シャウナ視点
玲樹の姿を認めると、シャウナは走りだした。
シャウナを縛る縄を持っていた二足歩行のアライグマたちは堪らない。
六匹の巻き込まれたアライグマたちが引きずられてズルズルと地面を滑っていく。
ちょっと可哀想だが気にはしていられない。
シャウナは縛られた格好のまま玲樹の傍らに座る。
玲樹の胸元に耳を押し付ける。
心臓は動いている。
胸が上下しているという事は呼吸も正常だ。
玲樹は生きている。
ほっと胸を撫で下ろした。
上着と指輪を奪われているが外傷は見当たらない。
この二足歩行のアライグマたちは野蛮な種族ではなさそうだった。
「……良かった、ラテラノが救ってくれたんですね」
「私一人の力ではない。マリルーと言う人物に助けられた」
「マリルー!? 機神姫が現れたのですか? いったいどうして……」
ラテラノの口から飛び出してきた思わぬ人物の名に驚いた。
マリルーは機械人キベルネテスの配下だ。
魔王国でセリアを瀕死に追い込んだのち、玲樹に倒された。
それがどうして玲樹を助けるのか。
「ナガレに死なれると困るらしい。詳細はわからない」
「……セリアが心配ですね」
シャウナと玲樹とレギンレイヴがここにいるという事は、リヴァイアサンとシームルグ相手に戦っているのはセリア一人になってしまう。
マリルーはリヴァイアサンを撃退したあとにどのように行動するだろうか。
セリア一人では殺されてしまうかもしれない。
「セリアは平気。マリルーは襲わない」
「どうしてわかるんですか?」
「……勘」
ラテラノが勘と言ってまでマリルーを信頼する理由はわからない。
だが、シャウナがいま出来ることは何もない。
セリアの無事を祈ることしかできなかった。
「それよりもナガレの心配をすべき」
シャウナは頭を振って思考を切り替える。
「……わかりました。レイキは気絶しているだけですか?」
「わからない。呼びかけても反応しない」
目覚めない状態異常はなんだろうと考えてみる。
睡眠、重度の麻痺、中毒状態、気絶、こんなところだろうか。
再生魔術を掛ける魔力は残っていないが、解毒魔術を掛ける余力はある。
ただの状態異常ならば回復するはずだ。
解毒魔術を発動させる。
玲樹の体に淡い蒼光が吸い込まれる。
が、目覚める様子はない。
「効果がありませんね、いったいどんな状態異常が……、って、ぅわわ……!?」
いきなり視界が塞がれた。
シャウナの頭に柔らかいものが圧し掛かってきた。
二足歩行のアライグマたちである。
完全に無視されっぱなしであったアライグマたちがわらわらと集まってくる。
シャウナを捕まえようと四方八方から抑え込みにやってくるが、ふわふわの毛皮がくすぐったいだけで何の抵抗も受けない。
「もこもこが襲いかかってくる」
ラテラノはアライグマの猛攻にどこか幸せそうな顔をしている。
「楽しんでないで何とかしてください!」
痛くはないが邪魔でしょうがない。
アライグマたちの鳴き声も喧しい。
「ラテラノは異世界の言葉はわからないんですか?」
「私はエイルにもらった翻訳機で皆と会話している。もこもことは話せない」
「弱りましたね。少々強引にでもこの場から脱したほうが良いのでしょうか……」
玲樹が見つかった以上、ここに留まっていても意味はない。
二足歩行のアライグマたちを痛めつけるのは忍びないが、玲樹を連れてこの場から逃げ出してしまおうかと考え始めた。
そのとき。
祠の引き戸がバタンと開かれた。
「やっかましいぞ、己ら! ろくに昼寝もできんじゃないかい!」
二足歩行のアライグマたちが跳び上がる。
シャウナとラテラノから離れるとその場に平伏した。
場が一挙に静まり返る。
「む、何者じゃいお前さん等は? あっしの祠の前で何をしとる」
祠から現れた女は訝し気にこちらを睨みつける。
見たことのない獣人族だ。
頭に上から生えているのは狐耳。
腰からは筆のような太い尻尾が九本も生えている。
何より驚いたのは言葉が通じる。
銀の飾りで彩られた紅白の服をシャラシャラと鳴らしながらこちらへ歩いてきた。
すると。
二足歩行のアライグマが一匹、狐耳の女に何事かを耳打ちする。
狐耳の女はアライグマの言葉がわかるのか。
ふんふんと頷く。
「……この者らはお前さんたちが大津波を引き起こした怪物だと思って居るようじゃが、相違ないのかの?」
リヴァイアサンとの戦闘のせいだ。
リヴァイアサンが暴れたことで海が荒れて大津波が発生したらしい。
玲樹たちとの戦いを見せつけられているとうっかり忘れそうになるが、神獣クラスの敵と戦うと周囲に甚大な被害が出る。
「……事情はいささか複雑でして、説明させてもらえませんか?」
「眠い故に簡潔にな」
狐耳の女はあくびを漏らす。
シャウナは細かな経緯を一切省き、リヴァイアサンと玲樹の戦闘について語った。
「ふむぅ、異世界とはおっかないものよな。鬼族のように戦いの準備なんぞせんで良かった」
「すでに異世界から攻められているのですか?」
「まあ、お前さんたちには関係のない話。大陸を覆っている結界を一時的に外してやるから、とっとと出ていけ。もう来るんじゃないぞよ」
狐耳の女が手を振ると、縛られていた縄がするりとほどける。
アライグマたちが何事か抗議をしていたが、狐耳の女は取り合わない。
それどころか足にすがり付いていた一匹を蹴り飛ばしてしまった。
アライグマがゴム毬のように放物線を描いて飛んでいく。
荒ぶるコミュニケーションだが、彼らなりの親愛の表しかたなのかもしれない。
気にしないでおこう。
「感謝します。ラテラノ、行きましょう」
「待って。ナガレの様子がおかしい」
玲樹の表情を見てひやりとした。
歯を食い縛り、激痛を堪えるかのように眉を歪ませていた。
「ぐが……ッ、ぅぅぅ……」
突然、玲樹がうめき声を上げる。
なんだろう、この症状は。
睡眠の状態異常はこんな苦しみ方はしない。
中毒状態であるならば顔色が悪いはずだ。
そこへ、狐耳の女がやってくる。
玲樹の顔を覗きこむとポツリと言った。
「毒の夢か、面白い妖術だの」
「毒の夢? 何か知っているのですか!? 彼を治療したいんです!」
狐耳の女は大きなあくびをしながら、ポリポリと尻尾をかく。
「……そうさな、どうしたものか」
「できることならば、何でもしますので……助けてください」
魂を寄越せ、と言われるくらいならば差し出せる覚悟がある。
玲樹を助けられた命を返すときがきたのだ。
じぃーっと狐耳の女の反応を待つ。
「……また明日来い。今日は眠いし、お前さんも疲れておるように見える。その男も一日二日じゃ死にはせん」
「そんな、せめてどんな状態かだけでも!」
狐耳の女はつれない。
明日じゃ明日、と言い放つと祠へと戻っていってしまった。
それを合図にアライグマたちもゾロゾロと森の中へと消えていく。
残されたのは、シャウナとラテラノとレギンレイヴ、そして玲樹だ。
「シャウナ、休んで。疲れている」
不満であったが仕方がない。
シャウナは玲樹をレギンレイヴのベッドルームに運び込む。
そして、明日に備えて休むことにした。
体は正直なものだ。
玲樹の隣に横になると、すぐに眠りに落ちていった。