第九十五話 「痛み分け」
本章は複数の視点で書かれています。
--- セリア視点
リヴァイアサンの連れていた数十万の魔物はすべて息絶えた。
海は夥しい数の死体が浮かび、赤黒い血に波が赤く染まっている。
セリアは肩で息をしながら、やや離れた位置を滞空するマリルーを見やる。
マリルーは大剣にベットリと塗られた血を一振りで払い落とす。
疲れた様子も見せずリヴァイアサンを鋭く見つめている。
マリルーが機械人に改造されていることは知っている。
しかし、あらゆる疲労から解放されて疲れを知らず戦い続けることができるのは、この時ばかりは少し羨ましく思った。
リヴァイアサンは攻撃を仕掛けてこない。
こちらの出方を伺うように体をしならせている。
マリルーも大剣を下げたまま動こうとはしない。
短い沈黙の後、リヴァイアサンが口を開いた。
「……これ以上の戦いは不毛であると思うが、続けるかね?」
「貴殿が引くと言うのであれば我は戦う理由はない」
その提案は賛成だ。
セリアにはリヴァイアサンとシームルグを同時に相手に出来る力はない。
ラテラノを無事に取り戻した今、リヴァイアサンと戦い続ける必要はない。
アトランティス・ステルラを奪われたことは問題になるがいずれまた奪い返せばいい話だ。
それよりもラテラノと玲樹の行方が気になる。
戦闘の最中、遠くに見えていた大陸のほうへ飛んでいったのを見た。
シャウナとレギンレイヴはどこへ行ったのかがわからない。
生きていてくれるといいのだが……、とにかく皆を捜索しなくてはいけない。
だが、聞いておかなければならないことがある。
「……では」
「お待ちなさい。玲樹は負傷していたように見えました。何をしたのですか!」
玲樹は意識を失って落ちていた。
リヴァイアサンかシームルグに何らかの攻撃を受けたのだ。
恐らく、状態異常系の攻撃のはずだ。
玲樹の作り出す障壁は通常の魔術や攻撃をすべて防ぐ。
「状態異常の魔法を掛けただけだ」
「……それは、治療できるのでしょうね……?」
「シームルグの悪夢の旋律に掛かったものは永久に睡眠状態になる。そして、眠っている間は悪夢により魔力や魂にダメージが生じる。……大魔王はいずれ死ぬということだな」
そんな話を聞かされてしまってはリヴァイアサンを逃がすわけにはいかない。
マリルーは槍を構えた。
是が非でもリヴァイアサンから状態異常の解除方法を聞き出さなければならない。
「では、解除方法を教えて頂きますわ」
「そんなものはない。シームルグを殺せば解けるかもしれないが、それはお前たちには無理であろうな」
マリルーが反応する。
大魔王を助けるために参戦したと言うのに死ぬとなれば聞き捨てならないと言ったところだ。
「リヴァイアサン……、ここで死力を尽くして戦っても良いのだぞ。解除方法を言え」
無造作に持っていた大剣を構えると臨戦態勢に切り替わる。
「言ったはずだ。そんなものはない。我が知になく、シームルグも知らぬ、……悪夢の旋律の影響を受けた者はすべて死んでいる。解除方法も試しては見たが効果はない」
すべてを話したと言わんばかりに。
リヴァイアサンは無防備に踵を返す。
「解除ができるまで行かせるわけにはいきませんわ!」
「それも無理な話だと言った。マリルーとセリア、お前たちが力を尽くしても我等を倒すことはできん。いままでの戦闘を見ていれば良くわかる。体力の差で力尽きるのはお前たちのほうだ」
ギリリと奥歯を噛みしめる。
まさしくその通り。
セリアに体力は残っていない。
「ここで終わりとしようではないか。我等はフェニックスとイルミンスールに合流し、アトランティス・ステルラで力を取り戻す。お前たちは大魔王を治癒する方法を探しにいけ。もしかすれば何か手があるかもしれんだろう」
「そんな勝手な理屈を!」
「痛み分けだよ。我が理想は大魔王の完全なる死だ。こちらは、魔法を使った奥の手まで見せておいて仕留めきれなかったのだ。次はない。そちらは、昏睡状態になったものの大魔王を守った。魔力を大量に持つ大魔王であれば死ぬまでの時間も長かろう。治療方法を探す時間もあるはずだ」
「……くッ……、レイキ……」
リヴァイアサンが海をかき分けて泳ぎ去っていく。
その後ろ姿を睨み付けるしかない。
セリアは指先が白くなるほどに槍を強く握りしめる。
シームルグを仕留めれば玲樹の状態異常は解除できるかもしれない。
けど、それを実践するだけの力をセリアは持っていない。
無力感に心が張り裂けそうであった。
--- リヴァイアサン視点
セリアとマリルーが水平線の彼方に消える頃、ようやくリヴァイアサンは泳ぐ速度を緩めた。
崩れ落ちるように大海に身を沈めた。
「演技も大変ですね、リヴ」
シームルグが話しかけてきた。
そういえば咥内に隠していたのを忘れていた。
いつまでも窮屈な場所に居てもらうのも悪い。
リヴァイアサンは口を開ける。
すると、シームルグが勢いよく空へと飛び立った。
「……極限の戦いであった。我が身が万全の状態でなかったなら、大魔王の他に敵が居たら、敗北していた。マリルーと名乗った者の参戦も予想外だ……」
リヴァイアサンの魔力は枯渇寸前であった。
大魔王の攻撃を自前の鱗で耐えていたのは良かったが、破壊のスピードが速すぎて治癒だけで魔力を使い果たしそうになっていたのだ。
鱗がなければ柔らかい皮膚を直接攻撃される。
事実、皮膚を貫通する攻撃はいくつもあった。
大魔王が状態異常にならなければいずれリヴァイアサンの魔力は枯渇して死んでいた。
ちなみに、リヴァイアサンは古獣を倒して喰らったことで霊術を習得している。
気力変換霊術を使用しながら闘気を魔力に変換していたにもかかわらず、魔力が枯渇しそうになっていた。
マリルーとセリアが無理を押して戦いを挑んで来たら危なかったかもしれない。
疲労を隠して強気に出た結果が上手く功を奏した。
知らずに体が震える。
我が身を襲うのは恐怖である。
小刻みな震えに海はざわつき、小さなさざ波を起きる。
それに気が付いたシームルグがリヴァイアサンの鼻先に降り立つ。
柔らかな羽を押し付けるように身を摺り寄せた。
「臆病な性格は相変わらずですね。こんなに強大な力があるのに、……死ぬのがそんなに恐ろしいですか」
「死が恐ろしくない生物などいないさ。少し休ませてくれ。あとを頼む」
瞼を閉じた。
数日の休息があれば、魔力が回復するはずだ。
リヴァイアサンはゆっくりとまどろみの中に落ちていった。