九日目 昼 安定したネジの動きは安寧のいっときをもたらすでしょう
特にやることもない、それだけに暇をつぶすにはもってこいの行事から目を離せずにいる。もちろん試合のことだ。さらに今は昼時、フェオの作ってくれた愛妻弁当に舌鼓を打ちながら次の試合を待っている。
「水龍の方角、千里走りシルヴィア・グロウズ!」
審判が叫ぶと見慣れた顔、憲兵の時の教官を勤めてくれたシルヴィアが入場する。以前からその重装を常に身につけていたが、試合中も同様のようだ。
「雪狼の方角、首断ちガルム・ヴェルフェゴール!」
そういえばガルムが武器を携帯しているさまを見たことがなかった。シルヴィアとは対極的な軽装に比べ武器は鈍重無比。巨大な斧槍だった。あまりに巨大なその舳先の斧は重さ20キロはあろうかという鋼の塊に残りの三方に伸びた巨大なトゲ、更には先端に備えられた槍頭に果ては石突に至るまで全てが巨大。総重量を考えると普通の男ではまず振るうことができない鈍重な武器である。モヒカンの大男がそれを振るう様はまさに怪物。巨人か、もしくはトロールか何かのように見える。これで性格がまともなのがいっそうタチが悪い。
「始めい!」
審判が叫ぶと両者が猛烈に突進を始めた。シルヴィアの歩はその重装からは想像できないほどに軽く、ぎゃくにガルムは一歩ごとに地面を揺らし踏み鳴らしながら進んでいく。それにも関わらず双方の速さはあまり変わらない。ガルムは以外にも疾いのだ。
そして両者が交わる一瞬にガルムがその巨大な斧槍をシルヴィアに向かってなぎ払うように振るい、シルヴィアはそれを急激な方向転換で躱した。すでにシルヴィアは完全にガルムの間合いの外にいる。
その斧槍の振り終わりを見てその隙に突進と突きの両方を繰り出した。ガルムは今一度間合いに捉えたシルヴィアを逃すまいともう一度今度は縦に斧槍を振るう。それは間違いだった、シルヴィアの突きはブラフ。元々当てるつもりなど毛頭ない殺傷力を持たない虚実の突き。本命は回避で、その突きを支点とした回転による横移動。そしてそのまま速度を殺さず後ろに回り込む高度な嘘である。回り込んだ瞬間にシルヴィアの剣はガルムのうなじにその峰を当てたように思えた。しかし、それもまた違った。シルヴィアが技で攻めるとしたらガルムは力だ。振り下ろしの攻撃は地面を砕きいくつもの礫を飛ばす。そのうちの一つがシルヴィアに命中していたのだ。そのせいで剣の軌道は狂い、ガルムの首の手前数ミリのところをかすめていく。
咄嗟にシルヴィアは大きく飛びのきガルムから距離を取る。
「流石にこの程度じゃ取らせてくれないな……強くなったなガルム、嬉しいぞ。」
などとシルヴィアは悠長に申しており。そのさなか俺の頭上にはガルムが飛ばした地面の破片があるわけで。
「いってー!」
そう、もちろん脳天に直撃した。それはもう見事に。
「大丈夫ですかご主人様!!??」
フェオが案じてくれるが多少痛いだけで特に脳震盪も起こしていない。この試合に関しては客席を儲けるのも考えものかも知れない。
「すみません!大丈夫ですか?アルゼノさん!?」
聞くも爽やかな声が響き渡る。信じられるだろうか、この蛮族っぽい男の声なんだぜこれ。
「おぉ~よく飛んだな。アルゼノ、これ被っとけ。」
そう言ってシルヴィアが自分のかぶっていた兜をこちらに投げてよこす。大丈夫なのだろうか。まぁ、もし万が一この兜をかぶっていたとしてあの斧槍の一撃を喰らえば首の骨が折れて死ぬ。それほどまでに暴力的な武器なのだ。ってちょっと待て。この試合シルヴィアが負けると死人が出る。
「大丈夫だから試合に集中してください!あと兜はかぶっておいてください。」
そう言って投げて返そうとするがシルヴィアがそれを止めた。
「それがあると多分ガルムに殺されてしまいかねないから持っておいてくれ。」
つまり、これからが本気なのだろう。兜を捨てる利点は二つある。一つは視界の確保。もう一つは重量の現象による機動力の確保だ。どちらかだけなら大したものではない、だがどちらも備わるとなかなかに脅威になり得るのだ。
「本気ですね?シルヴィア先輩。じゃあ僕も負けないように頑張らないと。」
信じられるだろうか、こんな爽やかな台詞を吐く奴がモヒカンで巨大な斧槍振り回してるんだぜ。
「来いガルム。お前がどれほど成長したのか見てやろう。」
再び試合が開始する。巨大な鉄と木の塊と、地を駆ける稲妻のような小柄な体躯の女性の戦いだ。誰がどう見てもガルムの方が優れた戦士に見えるだろう。それは、あながちはずれではない。包囲された時により強いのはガルムだろう、何十人という敵を一気になぎ払ってしまえるのだ。しかし同時に正しくもない。なぜならそのガルムは今シルヴィアに圧倒されその攻撃を確実に躱され着実に消耗していっているのだから。包囲されていない限りシルヴィアは万夫不当である。誰よりも足が速くそしてずっと長く走れるのだ。故にシルヴィアは空振りも、回避のために走ることも恐怖ではない。それをシルヴィアの呼吸のリズムが、肌が証明している。汗もかいていないのだ、息も乱れていないのだ。対するガルムは攻撃を幾度も躱され斧槍の速度が落ち、汗をたらし、息を切らしている。無理もない、もう百もの斬撃を躱され攻撃をされないために千もの打撃を地面に与えている。にも関わらず一度もかすってすらいない。
「どうした?当たらんではないか!?」
シルヴィアは余裕の表情で笑いながら躱している。その無尽蔵の体力と確保された視界を駆使して右へ左へとまるで翻弄するかのように躱している。
対してガルムは苦しそうであり、言葉を返す体力さえ攻撃に回したいようで一切口を開かない。
何度目の斬撃だっただろうか、ガルムの足がついにもつれた。そしてそれをシルヴィアが見逃さなかった。
もつれた軸足に蹴りを入れるとガルムの巨体が地面に倒れた。そして、その首元にシルヴィアが剣を向ける。
「勝者ぁ……シルヴィア・グロウズ……。」
にしてもこの試合の審判は大変である頭に何度も礫を食らっていた。そのせいかかなりフラフラしている。今、彼がそばにいるならお疲れ様と声をかけてやりたいところだ。
「強くなったが、まだまだだガルム。犯罪者に負けることのないよう、そして逃がすことのないようこれからももっと訓練するんだぞ。」
そう言いながらシルヴィアがガルムに手を差し伸べる。そうしている時のシルヴィアはただのいい教官である。
「ありがとうございました……。勉強になりました……。」
手を取るガルムは、見た目以外はシルヴィアの良い弟子にも見える。見た目以外は。それにしても千里走りは伊達ではない、とんでもない体力だ。どれだけ走れば息が切れるのか非常に気になる。
昨日早かった反動か今日は少し遅くなってしまいました。申し訳ないです。
できるだけ毎日更新していくのでよろしくお願いします。




