5.知らせ
お城に仕える使用人達やカタの住民達は皆しっかりしている。
私が何をするでなくとも、カタの街は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
ライル様がチオへと向かわれて10日と少し。
はっきりとした情報は未だに入ってこない。
何か分かれば知らせるとライル様は言っていたけれど、ここまで待っても知らせが来ない。
言ったことを反故にするような方じゃないと知っているからこそ、不安な気持ちは募る。
風の噂でなにやら南部で派手な戦闘があったようだと聞いたなら尚更。
信じて待つことしか出来ないのは歯がゆくて、苦しい。
それでも私が何とか平静を装えていたのは、住民達が落ち着いていたからだろう。
皆、毎日変わらず穏やかに日々を過ごしている。
……やっぱり私にできることなんてあんまりなかったな。
皆の強さを実感してそんなことを思う私。
ギュッと胸元の首飾りを握りしめて空を見つめた。
どうか今日も無事でありますように。
届くわけがないと思いながらも、そう祈りを捧げることがもう癖となっていた。
「おや、姫さん来てたのかい!ちょうど良かった」
「こんにちは。何かあったんですか?」
「焼き芋!焼きたてだよ、ひとつどうだい」
「わあ、良いにおい!買います買いますっ」
「ちょっと待った!姫様、ずっと思ってたんだがその綺麗な首飾りに合う髪飾り、うちにあるよ。買ってかないかい?」
「え、本当?」
「リルハ様、いらっしゃってたんですね。この前仰っていたチコの花で染めたハンカチ、入荷しましたよ」
「え、ええ!?」
城下に来れば、皆笑顔で迎えてくれる住民達。
心なしかいつもより声をかけられている気がした。
きっと前に来た時に余裕のない姿を見せてしまったから励ましてくれているんだろう。
やっぱり支えられっぱなしだなあと情けなくなりながらも、気持ちが嬉しくて微妙な笑顔になってしまう。
……ちゃんとこの温かな人達を守れるような自分になろう。
甘やかされるばかりじゃなく、信頼してもらえるくらいに自分を磨きたい。
何が出来るのかは未だに分からないけれど、ちゃんと考えていこう。
そう心に決めたその時。
「奥方様っ!!」
城下の広場にそんな大きな声が響いた。
近くにいた人達と共に驚いて私は声の方へと体を向ける。
そうすると目に映ったのは、陸軍の施設内で武装待機していた1人で。
住民達が道を開けてくれたおかげですぐに私の元へと辿りついたその人は、すぐに膝をつくと何やら手に持っていた少し泥のかかった封筒を差し出してきた。
「将軍様より奥方様へと、チオから馬が」
その言葉にハッと封筒を見つめる私。
私から少し距離を取りつつ、けれえど様子を窺っていた住民達がザワザワと騒ぎ始める。
手が震えない様気を付けてそれを受け取ると、私は届けてくれた彼の顔をそっと覗いた。
この場にいる誰よりもチオの状況を知っているだろう彼は視線をやや下に落としたままこちらを見ない。
表情だってどことなく暗くて、手放しで喜べるような内容ではないのだと察する。
私は一拍置いて心の準備を整えた後、そっと封筒を開けた。
中に入っている紙は2枚。
書かれている文字は間違いなくライル様のものだった。
カッチリとした綺麗な字を私は何度も見ているから分かる。
淡々と、けれど丁寧に書かれた文字を私は目で追う。
その内容に途中私は言葉を失った。
信じ難い一文を目にして、頭が真っ白になる。
「ひ、姫さん?」
私の沈黙に耐えきれなくなったのだろう、いつの間にか集まってきた人達の中から誰かがそう躊躇いがちに呼ぶ。
その声でやっと我に返った私は足を踏ん張って住民達を見つめた。
そっと手紙封筒に戻して、もう一度深呼吸。
そうして大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「チオに来たリシュルドの兵は、撤退したって。もう大丈夫、もう……大丈夫だよ皆」
その言葉を発した途端、ワアッと声が上がる。
普段通りの生活に戻ってもやっぱり皆かなり不安だったんだろう。
「うちの息子は大丈夫か!?」
「詳しいことは、何も。ただカタから行った陸軍で犠牲になった人はいないみたい。重症者はそこそこいるみたいだから、その人達は怪我の状況見て帰ることになるって」
「犠牲者なし……!ああ、良かった!」
「これで一応安心だな!あいつらが帰ってくるなら迎える準備しなきゃな」
「良かった、本当に、良かった……!」
安堵に包まれた城下は次第に人々の笑顔で溢れていく。
どんどん歓声が重なっていく。
「奥方、様」
歓声に湧く街の中、この知らせを届けてくれた彼は沈痛な顔で私を見上げていた。
私はその気持ちに感謝しながら首を横に振って、息を吸い込む。
「私もライル様のお迎え準備してきますね」
「おう、良い知らせをありがとな、姫さん!」
私の言葉に笑顔を向ける住民達。
本来の笑顔が戻ってきて良かったと本当に思う。
私は振られた手を振り返して足早にお城へと足を向けた。
その後ろをやっぱり沈痛な顔をしたまま、陸軍の彼もついてきてくれる。
「奥方様、その」
この場で唯一正確な情報を持っているその人は、私よりも泣きそうな顔をしていた。
何を言えば良いのかも分からないだろうに、必死に言葉を探してはどもる彼。
よく見れば彼は、私と同じくらいの歳かそれよりも若い。
……しっかりしなきゃ。
そう思わせてくれた彼に密かに感謝した。
「……ありがとう、私は大丈夫。この手紙を届けてくれた人にもよろしくお伝えください」
それでもやはり余裕がない私はそう答えるのが精一杯で。
声を出した瞬間に目が熱くなって視界がぼやけた。
……駄目だ、まだ。
もう少し我慢しなければ。
カタの人達を守ると決意したばかりなのに、すぐ縋るわけにはいかない。
そう思って、後はひたすら足を動かした。
お城にもすでに知らせは届いていたようで、私の姿を認めるとその場は静まりかえる。
城下とは違う反応に、ここでは全ての情報が知らされたのだろうと悟った。
気遣わしげに見つめる皆の視線が今は辛い。
自分のことでいっぱいいっぱいで声をかける余裕すら見つからない。
そんな中で誰かが私の元に近づいてきた。
視線を向ければそこにいたのは、いつもと変わらない表情のソウヤ兄様だ。
「旦那様がお戻りになられるまではまだかかるようです。ですからそれまでは」
その場に膝をついて淡々とそう言うソウヤ兄様。
言いたいことは他にもあるだろうに、全て飲み込んでくれたのだと分かる。
「……ありがとう、ございます。明日には戻りますから、今日はごめんなさい」
本当はもっとしっかりしなければいけないのに。
ライル様のように、表情のひとつも変えず。
それなのに、唇をきつく噛んでいなければ今にも全ての感情を吐き出してしまいそうだ。
道を開けてくれたソウヤ兄様に心から感謝して、私は自室へと戻った。
「リルハ様」
部屋の中に入れば、そこで待機していてくれたらしいサラの姿が目に入る。
いつも柔らかく微笑んでくれるサラの表情は見るからに硬い。
それでも何を言うでもなく私をジッと見つめるサラ。
いつも私の傍で私の心に寄り添ってくれるサラのそんな姿を見た瞬間、必死にこらえていたものが一気に流れ出てくるのが分かった。
「も、良いかな、泣いても」
「……はい、リルハ様。ご存分に」
ガクンと膝から崩れ、床を引っ掻く様にして手を握り締める私。
その手にサラの手がそっと被さる。
ボタボタと音が立ちそうな勢いで涙がその手に降っていく。
「うあ、うわああああああ!」
次に溢れてきたものは、喉が裂けるほど強い言葉達だった。
それらは言葉にもなってくれず、叫び声のような嗚咽となって表れる。
感情の行き場が分からず握り締めた手は血管が切れそうなほどに赤い。
涙は止まらず、視界も濁る。
ついには上体を支えることすら難しくなって、私はその場で蹲って泣き続けた。
胸元に入っているライル様からの手紙。
そこに書かれていたのは、ライル様らしさも感じないほどの淡々とした言葉達。
チオまで侵攻してきたリシュルドを間一髪で撤退させることに成功したこと。
カタの陸軍に多少の被害はあったものの犠牲者は出ていないということ。
そしてそれはシモニアが公国領土内でリオドニアへの侵攻を防ぐため激しく抵抗し時間を稼いでくれたからだという言葉。
最後に、その戦闘の最中人質に取られたお母様が自害し亡くなられたということ。
『民を救うのは武や頭脳だけではないのです。誰とてその時その者にしか出来ぬことがきっとあります。人の上に立つ以上、己が役目を問い続けなさい。それはいつか貴女を支える剣と盾になってくれるはず』
そう常に私に言い聞かせていたお母様。
何があってお母様が人質にとられ、何を思って自害などしたのか分からない。
けれど、いつだって自分に厳しく自分が成すべきことを考えるような方だった。
何か理由があったのだと思う。
厳しくて怖かったけれど、それと同じくらいに強く優しい方。
そんなお母様が私は大好きだった。
もう、いない。一生、会えない。
容赦なく突き刺さる事実に、絶望で真っ黒く塗りつぶされていく心。
ライル様からの手紙の最後には、ただ一言だけこう書いてあった。
“シモニア公国の献身と深い情に心より感謝する”
かすかに震えた字で、けれどどの文字よりも丁寧に書かれた一文。
それだけがわずかに私の心を慰めてくれる。
心をこめてそう書いてくれたのが分かったから。
……明日からは、ちゃんとまた自分の役目を果たそう。
今までも大して果たせてはいなかったし、自分の役目自体もまだ分かっていない私ではあるけれど。
それでもお母様が私にくれた言葉を無駄にだけはしてはいけない。
明日から、少しずつでも強くなる。
けれど、今日だけはどうか弱い私を許して欲しい。
制御が効かずドロドロな心のまま、その日の夜は更けていった。