2.家族愛と恋愛
最近ライル様の様子がおかしい。
私や住民たちの前では変わらず笑顔を見せているけれど、どことなくその笑みに影がさしているような気がする。
誰も気付いた様子がないけれど、この5年間ひたすらライル様ばかり見てきた私には分かった。
けれど「どうしたんですか?」と聞いたところでライル様ならきっと綺麗に笑顔で隠して何でもないと言ってしまうんだろう。
ライル様という人はそういう人だ。
何かあったとしてもその動揺が人に伝わらないように表情を隠す。
大らかで細かいことを気にしないような雰囲気ながら、そういうところは繊細なんだ。
私がこのカタの都に来たときだって色々思うところはあっただろうにそんな雰囲気微塵も見せず笑っていた。今ならそれが私や他の人々へ変に気を遣わせないためだったのだと分かる。
それに。
「18の小娘が33歳の領主様に物申したところで丸めこまれて終わり、だよなあ」
「リルハ様?何か仰いましたか?」
「……何でもない」
ポロッと自嘲がこぼれる。
15歳の壁はとても大きい。
私とライル様じゃ経験値も背負う物も何もかも違いすぎる。
この城の人達は皆良くしてくれるけれど、未だに誰もが私を末っ子を見るような感覚であることは分かっていた。きっと私は普通の18歳よりも年下のような扱いを受けているんだと思う。
周りの人が楽しそうに笑ってくれるからつい猫を被り続けそのままにした私が悪いのだけど。
こんな時、ただ庇護されるだけの自分が歯がゆい。
綺麗なものだけ見えるよう気を遣わせることが心苦しい。
いっそのこと被った猫を剥いで、もう大丈夫だから頼ってくれと言ってしまえれば良いのだろうか。
けれどそれで逆に無理に大人扱いさせるよう気を遣わせてしまったらどうしよう。
グダグダと優柔不断な自分。
お役に立てる自分でありたいとそう思うのに、どうすればお役に立てるのか分からない。
けれど、とにかくライル様には元気になって欲しい。
私に出来ることで少しでも背負っているものを軽くできるなら、それが一番だ。
うん、やっぱり会いに行こう。
ライル様の様子を窺って私に出来ることがあるなら実行して、私の存在が邪魔になるようなら1人でじっくり考えられるよう大人しく身を引こう。
そう思って、私はさっそくライル様の元へと足を伸ばした。
そうしてたどり着いたライル様の私室の前。
「あのなあ、リルはまだ18だぞ」
「しかし旦那様は33です。周りの圧力は強くなるばかりですよ」
「はあ、なんだってそんな躍起になるかね、周りが。面倒くさい」
「……私だってこんなこと申し上げたくはないのです。ですが昨今の情勢を見ても周りがつついてくるのは仕方ありません」
耳に入った会話にぴたりと足が止まる。
ノックしようと差し出した手はそのままに私は固まっていた。
近くで警備をしている護衛さん達が私の様子と会話を耳に挟んで、どうしようか悩んでいるのが分かる。
私は慌ててシッと人差し指を口元に当てて笑う。
「お世継ぎは必要です、旦那様。奥方様と寝所を共にされるのが無理だと仰るなら、ご側室を迎え入れる他ありません」
ライル様の最側近であるソウヤ兄様の言葉に、私はハッとした。
護衛さん達が慌てて私を部屋から遠ざけようとする。
私はまた首を横に振って制した。
お世継ぎ、ご側室。
その言葉の重要性は私にだって分かるつもりだ。
ライル様がリオドニアの南を守護する大事な役割を担う以上、それは避けては通れない問題で。
周りが気にするのは当然の話。
会話を聞いていれば、ライル様が私との間に子をもうける気がないのは明白だった。
当然だろう、妹どころか娘にすら思えるような関係性の私相手にその気になれないのは普通のことだ。
……胸が苦しい。
期待なんてしてはいけないと何度も戒めてきたはずなのに、心は自分勝手に落胆する。
妹でいい娘でいいと思っていたくせに、いざ目の前に現実が立ちはだかると「そんなの嫌だ」とだだをこねたくなってしまう。
やっぱり自分はまだまだ子供で、私情を上手く抑え込めない。
こんなところでもライル様との間に大きな壁を勝手に感じてしまう。
……駄目だ、駄目だ。
どす黒い感情に襲われそうになって、私は慌てて首を振った。
大きく深呼吸をして心を落ちつける。
お役に立てないのならば、せめて邪魔にだけはなりたくない。
その一線だけは何としても守りたかった。
「ライル様ー、ごめんなさい聞こえちゃいました」
落ちついた声は出ているだろうか。
普段通り明るい声になってくれているだろうか。
自分では分からないけれど、必死に笑えと念じて私は扉を開く。
ライル様とソウヤ兄様はピタリと会話を止めて私を見ていた。
目を見開き固まっているお2人。
「リル」
「申し訳ありません、ちょっと寝る前にご挨拶だけでもしようって思ったのですが」
「奥方様……」
「ソウヤ兄様もごめんなさい、せっかく気を遣ってくれたのに」
バッと勢いよく頭を下げて謝る私。
ああ、どうしよう。うまく感情が抑えきれない。
どうしたって手を強く握ってしまう。
ライル様はそういうところに気が付いてしまう人なのに。
けれど、これは仕方のないことなんだ。
私がここへ嫁いできたのは13歳の時。
今が何才だろうと、私に対する感情の始まりが子供という感覚である以上はどうしようもない。
恋愛感情を持てないのも、夜を共に過ごすことに抵抗があるのも、何らライル様が悪いわけじゃないんだ。
それに元々私はシモニア公国の人質。
政略結婚として来ている以上、優先されるべきは私の心じゃなく国として領地としての行く末。
そこを履き違えてはいけないと、故郷でも散々言われて来た。
グッと唇を一瞬だけ噛んで無理やり感情を飲み込む。
顔を上げた時に何とか笑顔だけは保てていた。
「ライル様、ご側室お呼びしても大丈夫ですよ?」
そう一言告げればライル様の眉に皺が寄って、ソウヤ兄様は驚いたように私を見つめる。
その反応にこの方々が私をどれだけ気遣って下さったのかが分かって思わず苦笑してしまった。
「私のことなら大丈夫!本当です」
「リル、お前本当に分かってるか。側室招いて世継ぎ産んでもらうってことは、お前の立場はかなり複雑になる。苦労すんぞ」
ライル様の顔は途端に真剣になって、そして言い聞かせるように私の目を見て言う。
……胸は苦しい。けれど、そうやって私のことを案じてくれるのが私は嬉しかった。
もうそれで良い、それで私は満足するべきだ。
そう念じて私は笑った。
「けれどライル様には絶対絶対必要なことですよね?あ、私でよければ勿論私がお相手いたしますけど!頑張りますよ、たくさん勉強しましたし」
「……リル。お前な、そんな簡単に身を売ろうとすんな。若い娘がまったく」
「簡単じゃありませんよ、身売りでもないですもん。一応これでも仮にも妻ですし私」
「一応でも仮でもなく正真正銘の奥方様ですよ、リルハ様。ご自覚下さい?」
「えへへー、とにかく私は大丈夫ですライル様。たくさん考えてくれてありがとうございます、私はライル様が決めたことに従います」
「リル」
「あ、私がいたら考えにくいですよね。私寝ますから、ライル様大変ですけれどじっくり考えて下さいね!お休みなさい」
「……ああ、お休み」
心を抑えるというのは難しい。
頑張ったつもりだけれど、やっぱり最後の方は耐えられなくて逃げてしまった。
こんなの気にするなって方が無理な話だ。
やってしまったと、俯いてしまう私。
「リルハ、様」
扉の外で気遣わしげに護衛さんが声をかけてくる。
こぼれそうになる涙を無理矢理抑え込んだところで、私の目の赤さで気付いてしまうだろう。
そうは分かっていても、私は意地でなおも抑え込んで笑った。
言葉は詰まって出てきてくれなかったけど。
「旦那様。奥方様は」
「大丈夫じゃないだろ、どう見ても。リルなりに気遣ってくれてんだよ、精一杯。……良い子だからな」
「……申し訳ございません、奥方様の耳に入る場所で申し上げることではありませんでした」
「いや、良いって。他の場所じゃ変に噂が回りかねん、厄介事になるのを回避したんだろうお前さんは。悪いな、気遣わせて」
「いえ、私は」
「ま、確かに放っておける問題でもないしな。近いうちには決めるさ」
「……はい、承知いたしました」
「それよりも。少々南の動きが怪しい、近々動くかもしれん。警戒しとけよ」
「南……と言いますと、まさか」
「……ああ、ったくどれだけリルに苦痛を強いるつもりなんだか、世の流れはよ」
私は自分のことで精一杯で、裏で事が大きく動いていただなんて気付けなかった。
そしてそれこそがライル様の心からの笑みを奪っていたこと、ライル様がどんな想いで今まであんな豪快に笑っていたのか、それを知るのはもう少し先のことになる。