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異世界BALへようこそ  作者: 檻路莉央
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シェイクン・マティーニ

「棟梁から伝言だ。『我々に命を追われるのを覚悟してギルドを抜けるか、次の仕事を成功させるか。自分で選ぶんだな』。確かに伝えたぞ、アルセマニアス」

「あぁ、了解」


そう言ってアサシンギルドの伝言係メッセンジャーの、白い羽根と白い体躯の人語を喋る鳥、白烏シロガラスは、アルセマニアスの前から飛び立った。


「困った」


次のミッションは、魔導師マジシャンギルドの幹部の一人を暗殺する仕事だった。

先日締結しようとしていた聖騎士との同盟の要となる人物で、この同盟が無事結ばれてしまえば、非登録非合法のギルドは一網打尽になってしまう。

アルセマニアスの所属するアサシンギルドも、存続の危機を危ぶまれる事になる。

なぜそんな大事なミッションが、自分に来るのかというと、彼の侵入潜伏に関してはアサシンギルドの中でも群を抜いていたからだ。


ただ。

暗殺に関しての度胸や覚悟は、人一倍足りなかった。


前回の王都随一の弁護士の暗殺ミッションでも、厳重な警備警護を鮮やかに掻い潜り、彼の背後に立ったのだ。

そこまでは良かったのだが、アサシン専用の短刀ダマスカスを首筋に当てたところで、手が震えてしまったのだ。

その緊張は瞬時に弁護士に伝わり、「こいつは殺すのを躊躇っている」とバレてしまい、逃げられてしまったのだ。

サポートについていた副棟梁が、すかさずチョークホールドをして首の骨を折り、どうにか暗殺ミッションは成功したのだが、彼の弱点はその時、ギルドの上層部にバレてしまったのだ。


だからこそ、敢えて、棟梁は暗殺ミッションを再度アルセマニアスに課した。


しかもミスの出来ない大役。

所謂、ラストチャンスというやつだ。


「これをミスしたら、死ぬ」


彼は肩を落とし、唸った。


「逃げてしまおうか」と、心の中の悪魔が彼に甘く囁いた。

大した事はない、と。

ただそれは、一生追われる身となる事を意味するのだ。

もう一度ため息をついて、ごくりと生唾を飲んだ。

そういえば、今日一日何も口にしていない。


白烏の去った王都の隅の隅にある川に架かるアーチ型の石橋の上で、小石を投げ入れて水面に浮かぶ波紋をぼんやりと眺めた。

こんな風に、自分の滲んで消えてしまえたら。

忍び込むのがドキドキして、コソ泥をしていた素人アサシン時代。

若気の至りで、ギルドに入り、それを仕事にした途端に、その楽しさは半減してしまったのだ。

誘拐やドラッグの受け渡しなどという、まぎれもない犯罪に身を投じ、人の命まで奪う事になるとは。


「わざと逃げて殺される方が、俺には合ってるのかな」


彼はふっと笑って、最後の波紋を見送る。

そして円形の波は、じんわりと水面に馴染んだ後に消えてしまった。

そしてその水面に突然、現れた。

外灯ランプの明かり。

アルセマニアスが後ろを振り向くと、そこには自分の背丈にカンテラが浮かび、ユラユラと揺れていた。


「なんだ、突然現れて。王都に魔物か?」

「いえいえ、私はただの案内カンテラ」

「案内、カンテラ・・・?」

「ああ、確かこの町の入り口の中心街に、軽快な口調で道を教える魔術の掛けられた「何か」が設置してあるな。おしゃべりな案内役。そのマジックアイテムが俺に何の用だ」

「是非とも飲んで頂きたい一品が」

「飲んで頂きたい一品?言っておくが、毒やしびれ役に対する治療呪文は、仕事柄習得済みだ。通じないからな」

「では、賞味期限の切れた牛乳は?」

「それは・・・そ、そんなものに対する治療呪文なんてないからな。腹下すだろうな。って、そんなものを飲ませる気か!!??」

「ほんの冗談でございます」

「・・・・・・・・・・・・」


案内カンテラはクルクルと回って、おどけた様子を見せた。


「一流のスパイが愛した飲み物。アサシンのアナタぴったりの飲み物でございます」

「き、貴様!俺のギルドを、どうして!?」

「細かい事はお気にせずに。きっとそれを飲めば、次の仕事も上手くお行きになるでしょう。案内させて頂きます」

「一体、何処へだ・・・?」

「異世界バル『レッジーナ』でございます」







アルセマニアスの眼の前に突然現れたドア。

ニスの塗られた美しい木製のドアだ。


「どうぞ、お入りください」


暗殺の出来ないアルセマニアスだったが、彼もプロである。

そんな怪しげなドアにおいそれとは入れない。

猜疑心が否応なく、彼の拒絶に追い打ちをかけるように危険信号を送る。

かのれ頭の中で赤い信号が点滅し、侵入を拒む。

しかし、案内カンテラの言った「一流のスパイ」という文言が、彼の耳に残っていた。経験と勘をど返しする好奇心と興味が、彼の歩みを進める。


ちりん。


ドアノブを回し彼が中に入ると、客の来店を知らせるベルが鳴る。

中はバーカウンターがあり、等間隔で置かれたピンスポットライトが、仄かにカウンターの表面を照らすのみ。

そしてバーテンダーが、白いナプキンでグラスを磨いているのが微かに見る事が出来る。

美しい手と手入れされた爪が、清潔な布で、ワイグンラスを磨き、指紋やチリを完全に拭い取り、一切の曇りのなく仕上げ、次のグラスに取り掛かっていた。


「こ、これは。異次元移動か?」


アルセマニアスは一歩入ったところで、後ろを振り返る。

まだ開かれているドアの後ろは霧の架かる薄暗い石橋だ。下を流れる河の音が微かに聞こえるが、ドアを境に目の前に広がるのは、落ち着いたバーが広がっている。


「取って食いやしませんよ」


そう言いながらクルクルと回転するカンテラが、アルセマニアスの疑心を暗鬼させる。


「まぁ、良い」


やはり藁にも縋りたい彼の心理が「一流のスパイの愛した飲み物」という言葉に突き刺さったのだろう。彼は疑いながらも、カウンター席に座った。


奥から二番目。

ピンスポットとピンスポットの間の一番照明の当たらない席。

やはり暗闇を好み顔を見られにくい場所を探すのは、職業病なのだろう。

その席に浅く座ると、カンテラが背後で一度くるりと回った。

それを合図にしたように、バーテンダーは流水のようにスムーズに動きだす。

アルセマニアスは、彼の手元を注意深く見ていた。


暗い中で、シェイカーの中に氷を三つ。

ベルモットとドライジンを注ぎ、空気が入らないように一度キャップを外してすぐに締める。

そして背筋を伸ばし、ヒジを上げ、とても丁寧にシェイカーを振り始めた。


カショカショカショ・・・


リズミカルに振られるシェイカーは中指と薬指で押さえられ、美しい音は液体だけを混ぜ氷が破壊されない絶妙な力加減を、アルセマニアスの鼓膜に控えめに主張していた。


素早くキャップを外し、用意しておいたショートグラスに傾ける。

半透明の美しいアルコールが、照明に反射されてキラキラとしていた。

一度だけシェイカーを振りと、ショートグラスの縁より僅かに下がった位置でアルコールを注ぎ終えた。

計算された完璧な量だ。

その芸術的な動作にアルセマニアスは、いつの間にか引き込まれ、猜疑心もすっかりと無くなり、彼の前に差し出されたショートグラスの縁に串に刺さったオリーブが二つ添えられた。


「シェイクン・マティーニでございます」


アルセマニアスはショートグラスの縁に唇をつける。

その時にベルモットの深い臭いと、ドライジンのツンとした香りが彼の鼻腔を撫でた。

僅かに傾けて、口の中を潤す。

うっとする男らしい香りが口内に広がる。


「マティーニは、ステアだろ?」


偶然だろうか、必然だろうか。

アルセマニアスも、自分でマティーニを嗜んでいる経験から、自分の知っている知識を案内カンテラにぶつける。


「確かに仰る通りで御座います」


チャリと金具を鳴らして案内カンテラが一度上下に揺れた。

「ただ」、と。

案内カンテラは、否定の意を言葉に匂わすことなく、逆説的な接続詞を付け加えた。


「ある世界のある国に、殺しのライセンスを持つスパイが居らっしゃいます。彼もあなた様と同じようにマティーニをお愉しみになるのですが、その時には、ステアではなく、シェイクで召し上がるそうです」

「・・・シェイク」


そしてもう一口、アルセマニアスはマティーニを飲み込んだ。


「あたりが、柔らかい、か・・・」

「左様で御座います。シェイクする事で、ステアよりも僅かながらに空気が、そして氷がドライジンの角を取るので御座います」


アルセマニアスは、もう一口。そしてもう一口マティーニを飲む。


「そのスパイは、スリルを楽しんでおります。人妻を抱く事と、カーチェイスの間に仕事をし、人の命を奪った事は、その直後には忘れている」

「でも僕は・・・」


酔いが回ったのか、弱みを突かれたか。

アルセマニアスは子供時代に使っていた一人称に戻り、頬を紅潮させて言い訳がましい言葉で割って入った。

クルリと案内カンテラは一度回る。


「出来ますよ。貴方様なら」


それ以外の言葉は必要なかった。

アルセマニアスも続けようと思った言葉が、結局のところなんの解決にもならない事だと感じ、閉口し、代わりにグラスに口をつける。


「ふぅ、旨かった。ごちそうさま」


アルセマニアスは席を立ち、ポケットから数枚の札を出すと、「いえ」と案内カンテラが制した。


「私たちからのお祝いで御座います」

「祝い?なんの」

「昔の貴方と決別した、別れの祝い」

「・・・・・・・・」

「成功お祈りしております」


ちりん。


アルセマニアスはバーを出ると、石橋の上に出た。

冷たい空気が彼の頬を撫でる。

もう一度後ろを向くとバーのドアは消えていた。


「シェイク、か」


いつの間にか次のミッションに対しての不安は無くなっていた。

まるでさっき案内カンテラ話した一流のスパイになったかのような心地だ。


アルセマニアスは石橋を渡り、その足で魔術師ギルドの本部に歩いて行った。


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