第5話 開校までのインターリュード
今回でようやく主要メンバーが出揃う形になりました。
が、深斗くんが生徒の前に立つのはまだまだ先になりそうです。
とりあえず、サラッと流す感覚で深く考えずにお楽しみください。(保険かけてます)
「しかしまぁね、引きとめられても困るんだよねぇ。私は暇じゃないし…」
希は疲れたような面持ちで深斗に、そう言ってから寛二を静かに睨みつけた。
「よく言うよ。バイトバリバリするって言ってたじゃないか」
寛二が対抗するように口を尖らせながらそう指摘すると、希は長机の前まで歩いていき、机を叩いた。
「冗談じゃないわ」
「でも、こんなに条件がいいバイトは中々ないよ〜?」
「いいのは、条件じゃなくて給与でしょ。開講したての高校受験専用予備校で塾講師なんて、いったいどれ程の時間が飛んでいくことか。しかも、あんたみたいな使えない人間の下じゃ尚更よ」
「つ、つ、つ、使えないって…」
「まぁ、いいわ。とにかく私はお暇するから、それじゃ」
「待って待って、待ってくれ。君のようなオタ受けの良さそうな人材は中々いないんだ。行かないでくれぇ〜」
「それ言われて『はい、わかりました』っていつ奴いないでしょうがよ」
再びドアの方へと向きを変えた希は、わめく寛二を後ろ手に、今度は深斗へと問いかけた。
「帰っていいでしょ?」
「…まぁ、強制するのは無理ですしね。もう、仕方ないですかね…」
説得は効力をなさなそうだと判断した深斗は、ドアの前から立ち退き、右手で手を振りながら希の後ろ姿を見送った。
「なんでドアの前からどいちゃったのさぁ〜!」
希の見送りを済ませた深斗が、席に戻ろうとすると案の定寛二が深斗に対して文句を垂れ始めた。
深斗は『ハエが飛べば羽音が立つのは当たり前だ』と、寛二の愚痴を受け流しつつ席へ戻った。
席へと戻った深斗はそこで初めて、『そういえば、寛二と雪の他に2人いたんだったな』ということを思い出した。
蚊帳の外に出過ぎていて、完全に存在を忘れていた。
「というわけで、成り行き上ここで働くことになりました。改めまして篠原深斗です、よろしくお願いします」
深斗は、机を挟んで反対側に並んで座る2人に会釈を添えて挨拶をした。
すると2人のうち、深斗から見て右手に座っていた、年老いた男性がまず挨拶を返してきた。40代後半から50代前半といった感じだ。
「初めまして。私は、日高宗孝です、どうぞよろしく」
宗孝から右手を差し出された深斗は、同じように右手を差し出して握手を交わした。
『歳の割には、中々センスのいい服装だな』と思いつつ、握手を交わしたまま舐め回すように宗孝を見ていた深斗は「あの、深斗くん。そろそろいいかな?」と宗孝から言われてから手を握ったままであることに気づいて、手を離した。
「実は宗孝先生はね、つい先日までとある予備校で講師をしていた実戦経験者なんだよ」
グチグチと文句を垂れていた寛二が突然、宗孝のフォローに入り始めた。
「へぇ、そうだったんですか。でも、なんでまたお仕事をやめて、”こんなところ”へ来たんですか?」
深斗がそう問いかけると、宗孝はなぜか気まづそうな表情をし始めた。
「いやまぁ、いろいろ事情があってね。元々やめようか迷っていたら、寛二くんから『うちで働いてくれないか』とお誘いがあったからね。ちょうどいい機会だったというか…ね…」
その”事情”とやらが聞きたかったのだが、本人が言いたくないなら、まぁいいか と思った深斗は微笑んで相槌を打ってから、場の空気が止まらないように宗孝の隣の少女に声をかけた。
その少女は特に童顔というわけでもなく、おそらく自分と同じ高校生くらいなのだが、どこか少女のようなあどけなさのある雰囲気だ。
「えーっと、あなたは?」
「入宮時帆。これからよろしくお願い」
とても落ち着きがあり、知性を感じさせる喋り方だった。
しかし、それでもやはりどこかあどけなさを感じさせる不思議な子だ。
そんなことを考えていた深斗は、寛二の一言に心底驚いた。
「彼女はね、雪や深斗くんと同じ高校1年生にしてメンサ会員でもあるんだよ」
深斗は、「本当なのか」と時帆に問いかけた。
時帆は誇らしげな表情をするでもなく、サラッと首を縦に振った。
ただ1人、よく状況が飲み込めずにいた雪は深斗に尋ねる。
「メンサって?」
「世界人口の上位2%に入る知能指数を持つ者だけが入会を許される非営利組織だよ。しょうがいで3度だけ受験を許される試験に合格しなければならないんだけどね」
「時帆ちゃんは、それの会員なの?!凄いね!!」
机に両手を置いて身を乗り出しながら、時帆に賞賛を送った雪に対し、時帆は平然と答えた。
「単純計算で、50人に1人は入れる。テストが少し独特だし、運要素もあるけど、ここにいる全員は充分に可能性があると思うよ」
自分を過大評価しないようにと念押しする意味を込めて時帆は言葉を放ったが、寛二の付け足しで、時帆の言葉は効力を失うことになる。
「でも入宮くんは、中学時代の全国模試でトップ3から落ちたことないじゃない?」
「え?は?え?ちょっと待って。…本当?」
「いやまぁ、それも本当だけどさ…。イチイチその程度のことで興奮されても困るよ、篠原」
相変わらず眉一つ動かさずに淡々と答える時帆を眺めながらも、深斗の興味の矛先は彼女自身ではなく、彼女がオタク相手にどのような授業をするのだろうかということに移っていた。
果たしてどのようにオタクの心を掴むのだろうか。
見た限りでは、”彼らの好物”には余り詳しくなさそうだが、寛二が集めてきたメンバーだし、案外そうでもないのだろうか。
「いやぁー、なんだか不安になってきたよ〜。ここでやっていけるかなぁ〜」
雪が苦笑いしながらボソッと呟いたので、思わず深斗は「いや、今ここにいる中で一番学力低いの俺なんですけど」と的確すぎるツッコミを入れた。
と、こんな感じで順調に自己紹介も終わり、さて具体的な話に移るのだろうと考えていた深斗だったが、その旨を伝えると、寛二から予想外の返答が返ってきた。
「いや、今日はまだそんな話はしないよ」
「は?今日はしないって、じゃあいつするんですか。開校まで時間がないんですよ?」
「まぁ、そうなんだけどね。正しく言うとしないんじゃなくて、できないんだよ」
「と、おっしゃいますと?」
「だってほら、希ちゃんが居ないじゃない?」
「そりゃそうでしょう。帰ったんですから」
「じゃあさ深斗くん、希ちゃんを連れて来てよ」
「は、はぁ?そりゃちょっと無理なお願いじゃないですか?」
「でも、君がさっき帰らせちゃったせいでもあるんだよ?」
「いや、そもそも帰った理由はもっと根本的なことがあるでしょ他に。てか、俺が説得に行ったところで、絶対聞く耳持ちませんよ、彼女」
「そこをなんとかしてこそだろ。不登校児を学校へ連れ出すのと同じ要領だ」
「まったく違いますね。そもそも、ここへ来ない方が正解なわけですし」
「ヒドイねそれ」
「てか、そんなに彼女が重要なんですか?まぁ、確かに人数がかなり不足しているんでしょうけど」
「うん、それもそうだし。理由はもう一つあるよ?」
「それって、どんな」
「彼女は貴重な存在だよ。オタク受けしそうだ。そういう素質がある」
「それってどんな素質ですか!!」
「そう言うけどね、本当のことだよ。オタク的な知識は勿論のこと。なにより、素であんな風にできる人はそうそう居ないんじゃないかな」
「あんなこととは?」
「まぁ、それはそのうちわかるんじゃない?」
「なんすか、それー」
「とにかくだ、連れて来てよ、頼むから」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、意味わかんないでしょ」
「よく、噛まずに言えたね」
感嘆の声をあげながら拍手喝采をする寛二を睨みつけてから、深斗は肩を落とした。
「お父さん!どうせ暇なんだから、お父さんがやればいいじゃん!」
雪が、さすがに見兼ねて隣からフォローを入れた。
深斗は、そんな雪からは、後光が差しているように見えていた。
「いやぁ、俺は嫌われてるからダメだよ〜」
「なるほど、本校で働くこと以前に、あなたという人間の存在に問題があったというですか。そうですか、そうですか」
「そんな風に、たった一言だけ喋って死ぬモブキャラを哀れむような目で見るのはよせよせ」
哀れみではなく、敵意を通り越した殺意を受け取れない寛二にほとほと疲れながら、深斗は面倒くさそうに、希の説得をすることを約束した。
「わかりましたよ、やります。てか、やってみます。ですが、最善は尽くしますが、失敗しても文句は言わないでください」
「あー大丈夫大丈夫。希ちゃんは、チョロインだからデートでもしてデレさせれば、なんとかなるよ〜」
「ほぼ初対面なんですけどね。まぁ、いいですよ、やり方はこっちで考えます」
「開校は来週の水曜日だから、月曜日まで待つことにするよ。月曜日の集まりに連れて来れるようにしてくれぇー」
「はいはい、わかりました。それじゃあ、もう話すこともないんですし、そろそろ失礼しますね」
そう言って、深斗が席を立つと、少々遅れて他の面々も席を立ち始めた。
「じゃ、お先に失礼しまーす」
深斗はドアの脇にある壁に寄りかかって雪にアイコンタクトで、一緒に帰ろうと促しながら、そう言った。
無言のメッセージを受け取った雪は、深斗の元へと駆け寄って行き、共にその場を後にした。
やがて、宗孝と時帆たちが帰るのも見送った寛二はふと過ちに気付いて、思わず「あっ」と声をあげた。
「また、深斗くんに希ちゃんの居場所教えるの忘れちゃった…」