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呪詛  作者: のっぺらぼう
7/7

咲く

六月も半ばを過ぎた。季節は進んでいるのだろうが、依然しつこい長雨に降り(こめ)められて気温が上がらず、肌寒いままである。紫陽花は満開で、どんよりとした空と、水滴で(くすぶ)っている山の間で、そこだけ絵の具が垂らされたように鮮やかな色を見せている。

美月は、その文言を、八重樫と一緒に、集めた課題の提出をするために教員室を訪れた際、合田の机の上で目に止めた。学院ではおよそ目にすることのない、通俗的なスポーツ紙の小さな切り抜きが一旦スキャンされ、再度A4用紙に印刷されている。ご丁寧にカラー印刷だったので、黄色と赤の、扇情的な字体が酷く目に付いた。

セーラー服を着て、主婦を殴る。男を逮捕。

記事の内容は単純で、セーラー服、つまり女子生徒用の制服を着用した男が、突然近所の主婦を殴ったという事件である。殴られた主婦は軽傷で、男は近くにいた人たちに取り押さえられたが、意味不明なことを口走っているということで、個人名は書かれていなかった。何故このような記事を合田がわざわざ入手して、印刷しているのか、美月は疑問に思ったが、直接尋ねることはしなかった。


それから数日経って、時任理事が再度訪問して来た。八重樫が談話室で推理を披露していたため、一年生で『運命のぼく』が時任理事の関係者であることを知らない生徒はいない。初めに車に気付いたのが誰かは不明だが、膝の痛みが悪化したらしい老人が杖を突き、介添えに支えられながら応接間に入るより先に、美月にまで来訪情報が届いていた。そのため、またも昼休み、昼食前に応接室に呼ばれたときも、美月は平然と対応し得た。

応接室には、前回と同じ顔ぶれに加え、時任理事の介添えがいた。還暦前くらいの印象の薄い男で、眼鏡に背広を着用の、一見すると秘書といった風情があったが、名前を『平戸』と紹介された時点で、美月は相手に察しが付いた。時任理事の娘婿であろう。

「まずは、謝罪をさせてもらいます。君におかしなメールを送りつけていたのは、私の孫でして」

時任理事は沈痛な表情だった。隣の平戸氏は恐らくその孫の父親なのだろうが、無表情である。合田の無表情よりは上手かった。宇部校長も悲劇を目の当たりにしたというような表情を作っているが、元の顔立ちのせいか、芸人のコントの中の演技にしか見えなかった。合田は、美月には苛立っているのが分かったが、表情に出さない努力をしていた。

「嫌な思いをさせて申し訳ない。孫は、今入院している。病院では電話が使えない。だから、もう何もできない。その点は安心してください」

話しているのは時任理事一人である。介添えの平戸氏は、本当に介添え以外のことはする気がないらしい。一体、自分の息子や孫が、一日三桁のメール送信と電話掛けを行っていたことを知って、どんな気持ちなのか、美月は意地悪く尋ねてみたい気もしたが、自重した。当人の入院が行動制限の理由ということは、結局学院からの警告はまるで意味をなさなかったというわけだが、とにかく終結するというなら、それで良かった。

「分かりました。もう結構です」

美月は短く応えた。それ以上美月がすることはなかった。時任理事がうなずき、合田がわざとらしい無表情のまま、扉を開いて美月を退室させた。無言だった宇部校長が深く息を()いた。

「これで、落着ということで」

「はい。まあ、そうですね」

「…わざわざお越し頂き、お手間を取らせました」

「いえ、ね。迷惑に思ったというなら、ね」

時任理事は、語尾を曖昧に濁して、下を向いた。

「胃潰瘍で入院した職員は労災で扱います」

「はい、まあ、ねえ」

「生徒のメールアドレスを盗み見た点も問題です。ご家族ということは分かりますがご注意下さい」

それまで黙っていた合田が口を挟んだ。時任理事はうなずいたが、どこか上の空というか、己の家族が己の職務上の情報を知ることに問題があるという事実が余り理解出来ていない様子だった。しばらく下を向いて無言だったが、ややあって、つぶやいた。

「なんで、こんなことになったんでしょうねえ」

他の面々が何も言うことが出来ずに押し黙っていると、時任理事は顔を上げ、言葉を続けた。

「いやね、いい子なんですよ、ちろちゃん」

「一緒に、良く出掛けました。私が足を悪くするまでですが」

「私を気遣って、出掛けることを控えてくれていたんですよ」

「それで、家にいることが多くなってね」

「最近では、ほとんど家から出なかったんです」

「その代わり、メールとか、良くするようになったんでしょうねえ」

「ちょっとした悪ふざけですよ。メールなんて。それで、なんで」

「ちろちゃんの唯一の楽しみなのに、取り上げられて」

「ただ、ともだちが欲しかっただけなんですよ、きっと」

「ちろちゃんは、病気じゃありません。どこも悪くなんかありません」

「入院など必要ないんです」

「周りが無理に入院させるから、一緒に出かけられなくなってしまった」

「どこか、悪いというなら、そうだ、須賀君、彼に治してもらえばいいのではないですか」

時任理事の正面にいた宇部校長は、ただ立て板に水を流すように口述を垂れ流す口を見つめ、呆然としていた。合田も声が出せずに口をただ開閉させている。平戸氏は、目を見開いて時任理事の肩の辺りで両手を上下させ(なだ)めようとする仕草を繰り返した。効果はなかったが。

時任理事の言葉を(さえぎ)ったのは、平戸氏、宇部校長、合田の誰でもない、応接室にいないはずの、第三者の声だった。


「…八重樫と坊坂、いないんだね」

「用事があるんだと」

今日の昼食にはビーフカレーがあった。他のおかずを追加すれば、カツカレーにも出来る。そのせいで食堂はいつもより盛況であるように感じた。多分に漏れず、八重樫も坊坂もカレーが出るときは普段の二倍は食べているように思えるのに、ぱっと見、食堂に姿がなかった。大盛りカツカレーの皿を重ねた藤沢を見つけて尋ねると、あっさりと答えが返って来た。

「そう」

「で、時任理事は、なんだって」

「普通に謝罪だったよ。あと『運命のぼく』、入院したらしい。だから、メールも出来ないって」

「ああ、それは良かった」

藤沢の言葉は簡潔だったが、偽らない本心を率直すぎるほどに表していた。

「本当にね。八重樫は文章を書く機会がなくなって困るかもしれないね」

美月は小さく笑うと、少し遅れた昼食を()り始めた。


「ねえ、どしてえ、電話くれないの、くすん、ゆかりちゃん、待ってるのにい」

やたらと語尾を伸ばした男の声が、応接室に設置されている音楽コンポから流れ出て、時任理事の口をつぐませた。その声に、合田と宇部校長は今度は別の理由で硬直した。両者ともこれが何なのか知っている。新貝寮監が録音した、時任理事の孫が掛けて来た電話の音声であり、新貝寮監の胃に多大な実害を与えた正体である。

「あ、もしもし、今ね、学校でね、傘が、盗まれちゃったの。困っちゃった。迎えに来てくれるよね」

「もうなんで、来てくれないのお。濡れて帰っちゃったよ」

「今日も来てくれなかったね。どおして」

「…ねえ、浮気してるんじゃないの。もうやだよ、ゆかりちゃん、会いにいくからね」

「お金足りないよお。どうすればいい」

「もういい、途中まででも行くから」

「ウチの前の家の、若作りの子持ちババアが出て来た、行けない」

「今日はどう?ねえ、今日さ、出会って一ヶ月の記念日だよね。さぷらいず、あるのかなあ?わくわく」

「…メールはくれるのにどうして来てくれないの…」

「また、アイツ。ゆかりちゃんがね、家を、出ようとすると、来るの。これ、見張られてる?」

「もう、どうしたらいいの」

「ねえ、まさか、アイツと浮気してるんじゃないでしょうね」

「許さない」

「ごめん、うそだよ。ゆかりちゃんが浮気されるなんてないもんね。待ってるよ」

「あ、今日の分の写メまだだったね。おくるよ」

「許さない」

時任理事が、意味不明な叫び声を上げた。


大して難しくもなかった。新貝寮監が医務室に運び込まれたあのとき、美月たちを送って来た事務長が鍵をかけるまで寮監室は鍵が開いていたので、音声データをコピーするくらいの時間はあった。応接室も使用するときを除いて施錠されているが、毎日の清掃中は開いている。清掃担当は一年生だった。もともと来客自体滅多にないが、特別な来賓が来た時に流す、長い管弦楽曲の後に電話の録音を加えておく。応接室は完全防音設備が整っているわけではないので、窓の外からでもその気になれば会話が拾える。会話を盗み聞き、頃合いを見て、持ち出したリモコンで音声を再生すれば良かった。

坊坂と八重樫は、時任理事の叫び声を機に、再度操作して音声を止めると、応接室の外窓の下から移動した。正面玄関の方にまわると見つかる恐れが高いと判断し、校舎をぐるっと一周する方向を選んだ。一連のメールを全て読んでいた両者は、送られてくるメールの変化には当然気付いていた。段々と送信者が女性…それも自らを『ゆかり』と称する女子高生…として、メールを書くようになっていた。

「これ、俺らの『はなひなた・ゆかり』ちゃんになりきっているよな」

八重樫は、初めて一人称が『ゆかりちゃん』のメールを見たとき、つぶやいた。坊坂も黙ってうなずいた。生徒たちの送りつけたメールは意外な効果を発揮してしまったらしい。

美月が合田の机の上の記事を見つけた時、当然八重樫も気付いた。たまたまその事件のあった地域が、時任理事の娘の家のある地域だったことで、まさかと思ったのだが、事件があった日以降、メールが一切寄越されなくなったことで半ば確信した。そして今日の時任理事の訪問である。時任理事の対応がからきしなことから、恐らくメールや電話の内容があのようなものだとは知らないのだろうと当たりを付けて、準備をした。時任理事が謝罪しに訪れただけだったのなら、わざわざ流すようなことはしなかったのだが、この期に及んで『運命の僕』と美月を会わせるなどと言い出されたら、別である。せいぜい衝撃を受けてくれ、と思った。

「あ」

校舎を回り込む際、八重樫がそれに気付いて、声を上げた。

「なに?」

「紫陽花」

「ああ」

「綺麗だな」

紫陽花の花の色は土壌の成分に簡単に影響される。坊坂はそのことを不意に思い出した。

(しゅ)に交われば、赤くなるんだな」

完結です。お読み頂き、ありがとうございました。

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