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「ほらみろ、普遍的に好かれるタイプって、こうなるだろ」
美月に言われて、八重樫はそっぽを向いた。
坊坂は『運命のぼく』に向けて、『運命のぼく』が書いて寄越したようなメールを送り返すことを提案したわけだが、いきなり言われて書けるものでもない。そこでいろいろ協議があり、結果、架空の、それこそゆるふわ女子高生を恋人として設定し、その恋人に宛ててのラブラブ妄想メールを書き、表現を過激にしていく、という手順を踏むことになった。『運命のぼく』からのメールが、男子校の生徒に宛てているにも関わらず、異性へのつきまといを思わせる内容だったことから、考え至った方法である。どうせならその架空の恋人に細かい設定を付けようという話になり、談話室にいた生徒たちに、好みのタイプを聞いてまわり、構築していったところ、八重樫がつまらないと評した、美月の挙げた若手女優を思わせる偶像が出来上がったのだ。八重樫は、それは絶対に、生徒たちが美月が具体的に名前を挙げたのを耳にしていたために、思考が誘導された結果だ、と主張したが、聞き入れてもらえなかった。
出来上がった架空の恋人は、美月が命名権を得て、『はなひなた・ゆかり』と名付けられた。紫陽花の漢字を逆に並べて、無理矢理読ませてみただけである。『はなひなた・ゆかり』ちゃんは、例の若手女優と特徴を同じくした、ぱっちりお目目に細い首、肩にかかるストレートの髪を持ち、スリーサイズが上から八十五、五十六、八十四のFカップ、美脚のセーラー服着用の清純派美少女だった。
「もう、ゆかりちゃんでもゆりかちゃんでもいいけどさあ、俺は無理。ぜんっぜん思い付かない」
美月との応酬でへそを曲げた八重樫は、基本坊坂の言うことには従う一組の生徒の中で、唯一メールの下書き作成を投げ出した。坊坂は無言で、高校一年生対象の大学受験対策の参考書を持ち出してくると、その一頁を開いて示し、真っ直ぐに八重樫を見た。八重樫は、参考書に目をやり、はっとした表情で、坊坂の顔を見返した。現代国語の項で、ゴシック体の力強い文字が踊っていた。文章をたくさん書いてみること、と。
「やる」
「分かりやすいな、お前」
俄然、やる気を出して、ノートに向かった八重樫に、藤沢が呆れた顔で突っ込んだ。ただそういう藤沢も、全く文章が作れずに、困った顔で坊坂を見た。皆、例え本当に恋人に向けてであっても、藤沢がその手のメールを書くところが思い浮かばなかったので、困惑は理解出来た。
「これとか、ところどころ現代的な表現に変えたら、それらしくなると思う」
坊坂は、八重樫が持って来ていた国語の教科書の、現代詩を指した。連れ合いへの思いを綴った美しい詩文なのだが、顔も知らない他人にこれを送って来られたら、確かに引くだろうと思われる内容だった。藤沢は素直に、近代的な表現を今風に改変する作業に取り組み始めた。
もともと、近くにいた代田と、クラスメイトの美月へのきつい当たりを気にしていたらしい三組の生徒たちは、積極的に意見をしてくれていた。そして八重樫がノートに向かい始めた辺りで、完全に坊坂たちの取り組みに同調して、おのおのメールの文章を作成したり、絵の上手い生徒は『はなひなた・ゆかり』の肖像画を描き始めたりしていた。それにつられる形で、談話室にいた他の生徒たちも悪乗りし始めた。
「ゆかりちゃん、誕生日は?誕生日にどこかに行こうねってメール送りたい」
「今日じゃね。今日迎えに行くって書けば」
「ゆかりちゃんって食べ物は何が好きなんだ?ケーキとかか?好きなものを送りたい。着払いで注文したらどうだろう」
「金が絡むのは流石にまずい。注文するのは却下で」
「じゃあ、ゆかりちゃんに、手料理を作ってもらおう!」
「ご随意に。あ、自分の好物はしっかり書けよ」
「ゆかりちゃんは、怖いものはきっと苦手だよね。心霊写真送ったら、怖がるかなあ」
「…チェーンメールかよ」
「困った顔も、かわいいんだろうなあ。写メ送ってほしい。ゆかりちゃんフォルダ作って管理する」
「是非すすめてくれ」
「ここは一つ、作詞:俺、のラブソングをゆかりちゃんに!」
「送ってあげて」
「ゆかりちゃん、昨日は何してたんだろう」
「素直に訊け。あ、学校か」
「学校って、共学?男いるよな。ゆかりちゃん、男と喋ったのか?」
「…男と喋ったら許さないって書いたら?」
俗世から切り離されたようなこの学院で、いい加減娯楽に飢えていたのと、中間試験が終わった直後で気が弛んでいたのと、雨続きで外で体を動かせない鬱憤があったのだろう。生徒たちは異常な盛り上がりを見せた。当事者である美月は完全に置いてけぼりである。メールの作成には参加しようとしたが、坊坂に冷ややかに今日中に片付けなければならない補習の課題を示され、諦めて同志たちとともにそちらに取り組んだ。




