祈る
美月がほとんど何も話さない話し合いの末、メールを印刷したものと電話の暴言の書き起こしを、合田に提出しようという事になった。それぞれ覚えている電話の内容を書き出して、突き合わせている内にパソコンが空き、美月は印刷のためにメールボックスを開いた。三十件ほど未読の受信メールが増えていた。全て同じアドレス、【至急】きみの…、の題名のメールのアドレスからである。無言で固まった美月に気付いた坊坂が、画面を覗き込んで、やはり無言になった。
「これ、見ない方がいいと思うんだが」
しばしの沈黙の後、坊坂が言った。美月はうなずいて、もうこの際全面的に任せることにした。坊坂と八重樫が代わりにメールを確認して印刷する。藤沢は、八重樫の、この手の話の通じない相手に慣れていない奴は見るな、との言葉に止められ、美月と一緒にパソコンの前から離れていた。結局、印刷している間にも、どんどんメールの数が増えていったことから、印刷は一通目と二通目だけにして、後はデータで確認してもらうことに変更された。
翌日の朝一番、組委員の坊坂が付き添い、美月は教員室で合田に事の次第を相談した。恐らく新貝寮監の報告があったのだろう、合田は既に一年生寮におかしな電話があったことは知っていたし、美月たちが来なければ、呼び出して事情を訊くつもりだったと言われた。ただ、美月から渡された電話の書き起こしに目を通す前と後で、微妙に表情が変化したので、その時点で聞かされていた電話の内容と、生徒たちが協力して書き出した内容とでは差異があったと思われた。時任理事のことは『ヒラト』との関係では話に出さず、ただメールを受け取った日付の確認として、『時任理事に会った翌日』と強調して伝えた。何せ相手が理事という、職員にとってはある種生徒より優先される立場の人間なので、最初から疑いを伝えない方が良い、と、昨夜の話し合いで一致していた。
合田は、本人は無表情を保っていたつもりなのかもしれないが、美月も坊坂も、はっきりと腹を立てているのが分かった。
「合田先生は根っからの教師だからね」
とは、昨夜、合田に相談する、という話になった時に八重樫が言ったことである。合田は学院の卒業生だが、生徒の大半がそうであるような寺の息子などではなく、一般家庭の生まれで、いわゆる見えない筈のものが視える能力を得てしまい、学院に入学して来たという経緯の持ち主である。もっと強力だったり、おかしな方面の能力者がごろごろしている学院では、普通の一生徒として扱われたが、それ以前一般社会にいたときには気味悪がられて色々あったらしい。そのため、卒業後は自分と同じ立場の人間に少しでも助力出来るように、学院の教師になった、とのことである。他の、例えば怪我で除霊師の仕事が出来なくなって仕方なく学院で働いているというような教師とは、根幹から違った。
「そういう人だから、学院外部の人間が生徒の能力をむやみに知って騒ぎ立てることには嫌悪感があるのは間違いないんだよね。時任理事の関係者に平戸って名字があるってことも気付いて調べてくれると、更にいいんだけど」
そこまで気付くかどうかは別として、美月は、単なる悪戯、で流されないだけでも良いと思えた。
夕刻、食堂が夕食のために開くころになって、合田から呼び出しがあった。美月たちが考えていたより遥かに早い進展だった。合田の歯切れは悪いが、あの電話が掛けられた家が分かったこと、学校関係者の家であること、恐らくメールも同じ人物が送信していること、そのため名簿業者に売られたなどの、本格的なメールアドレスの流失があったわけではないこと、を説明された。その人物については、既に学院側から、美月を含む生徒全体への接触をしないよう釘を刺したので、騒ぎを大きくしないで欲しい、とも頼まれた。美月とて余計な騒動は御免である。簡単に了承した。合田は、いわば揉み消しに協力してくれという頼みを、ごく軽い調子で承諾した美月を見て、何か言いたそうな表情をしたが、結局口をつぐんだ。その様を見て美月は、合田自身が、騒動になることは望んでいないにせよ、その人物が警告を受けたくらいで電話とメールの攻勢をやめるとは思っていないことを知った。届いたメールは削除しないようにすることと、新貝寮監には、既に美月宛の電話は取り次がず録音するように伝達してあること、を確認して、合田からの呼び出しは終了した。
夕食後、いつもの面々と同席の上、美月はメールボックスを開いた。有に百件を越えるメールがあり、周囲から溜め息が漏れた。覚悟していたとはいえ、美月は青ざめた。藤沢に引っ張られて、パソコンの前から離れようとしたとき、近くにいた一人の生徒が呆れた声を出した。
「あのさ、メールと電話くらいで大騒ぎしてさ、恥ずかしくないの」
美月より、八重樫が早く反応した。
「はあ?どういう意味よ?」
「迷惑メールが来てるってだけだろ。あと、いたずら電話。なんかさあ、電話の件とかも、あやふやな相手からは取り次がないことになる、とかって言われたし、迷惑なんだよ」
美月はその生徒が、昨日新貝寮監の言葉に笑って、代田に睨まれた一人だと気付いた。
「生徒が嫌がらせ受けたら、学校が対処するのは当然だろ」
「だから、嫌がらせってレベルじゃない、って言ってんの」
その生徒に言葉に、八重樫が、にやあっと、もの凄く悪い笑みを浮かべた。隣の坊坂の表情が少し曇った。その生徒に向けて、御愁傷様、と合掌しているようだった。
「…へえ『君は僕の運命』なあんて叫んじゃう相手が電話掛けて来ても嫌がらせじゃないんだあ。じゃ、俺も掛けちゃおっかな、あの何だっけ、あんたが机の中に写真集隠し持ってる、十一歳、の、ジュニアアイドルに!」
八重樫は、十一歳、のところを特に強調して、談話室中に響く大声で宣言した。ただでさえ注目を受けていた上に、更にその声である。え、あいつロリコン?、というざわめきが、さざ波が広がるように広がった。
「ちが…」
「水着でアイス食ってんだよな。水着は白のレース付き、アイスは棒状のやつ」
生徒は酸欠の魚のように口をぱくぱくさせた。実際酸欠になっていたのかもしれない。
「八重樫、嗜好はひとそれぞれだ」
坊坂が冷静な声で、八重樫をたしなめた。もっとも本当にたしなめたとは誰も思っていない。明らかにその生徒に対しての追撃だった。
「はあ、馬鹿にしてんのか!お前らはどうなんだよ!」
生徒は顔を真っ赤にして叫んだ。
「えぇ、俺、子供に興味ないしぃ。だいたいぺったんこじゃん。なにがいいのお」
八重樫はおどけつつ断言した。
「小学生はないだろ。…ありなのか?」
藤沢は断言後に、近くにいた他の生徒に話を振った。振られた生徒は首をもげ取れそうなほど激しく振って否定した。ないよな…、小学生って…、などというささやきがそこかしこで上がった。
生徒は顔をどす黒く変色させると、談話室から飛び出て行った。
「ごめん、うちのクラスの奴が」
生徒が出て行くのと同時に、代田が美月に謝罪して来た。あの生徒は三組所属だったらしい。美月はぱたぱたと手を振った。
「別にいいよ、実際、騒ぎ過ぎだと思う奴だっているだろ」
「いやいや待て、さっきも言ったけど、これ、メール受けてるのが須賀じゃなくて、ゆるふわ女子高生だとしたらどうよ。騒ぎ過ぎか?むしろ警察に届けたっていいレベルだろ」
八重樫は直接メールを見ている。まだまだ生ぬるい対応に思われた。
「ゆるふわ、なんだ。巨乳じゃなくて」
美月は、八重樫が今回に限りゆるふわを持ち出して来たことが気になって、思わず尋ねてしまった。
「どっちでもいいよ!イメージの問題だよ!普遍的に受けるだろ、ゆるふわ。そりゃ、俺だったら、巨乳のお姉さん…出来れば普段は性格がきつい…で、変なメールがきててちょっと弱ってるところってシチュがいいけど。そこに颯爽と助けに現れるって、格好いいし。いや、それはとにかく、ゆるふわ文句付けるなら須賀はどうよ。どんな相手ならいいの。誰かに例えると?」
美月は最近売り出し中の清純派若手女優の名前を即答した。美月に即答されて八重樫は一瞬虚をつかれたような表情になり、続けてつまらない、と小さくつぶやいた。
「つまらないってなんだよつまらないって」
いちファンとして、美月は憮然とした。
「坊坂は?誰だったら助ける気になる?」
「芸能人はよく分からない」
「普通の女の子だったら、普通に助ける気になるんじゃねえの」
「ちょっと、メールみせてもらっていい?」
八重樫に話を振られた坊坂は正面から逃げ、藤沢は先手を打ってきた。代田は自分に話を振られる前に回避した。美月がうなずくと、坊坂がパソコンを操作し、メールを表示させて、代田に示した。
「凄いな。呪い並の破壊力だ。体調悪くなりそうだわ」
代田は素直に嫌な顔をした。続いて少し考えるような表情になったのは、『嫌がらせレベルじゃない』と断じたあの生徒をどうすべきかについて、思い及んだからだ。
「タチ悪いよな。これが本物の呪詛だったら、返すことも出来るのに」
「呪詛返し、出来るんだ」
八重樫の言葉に美月は素直に感心した。呪詛を返す、という法の存在は聞いたことがあったが、八重樫が出来るとは思っていなかった。八重樫はちょっと目を開いて、俺がやるわけじゃないけど、と付け加えた。
「そうか、返せばいいのか」
一連のやり取りを聞いていた坊坂がつぶやいた。
「呪詛じゃないだろ」
八重樫が口を挟んだが、坊坂は澄ました顔で言葉を続けた。
「相手のアドレスは分かっているんだから、似たようなメールをこちらから送りつける。そうすればこの気分の悪さは相手に理解させられるんじゃないか。理解しなくても、向うが体調悪くして、メールを止めるかも」
美月「…坊坂、時々もの凄く攻撃的になるよね」
美月は思わずつぶやいた。