届く
学院では、生徒一人一人にメールアドレスが与えられている。メールは学校のサーバーで一括管理されていて、例えば寮にある生徒使用可のパソコンからは見ることは出来ても、メールそのものをパソコンに落とすことは出来ないようになっていた。もっとも生徒の大半は、そのアドレスは学校関係専用にして、学院の外にいる家族や友人とのやり取りは個別にウェブメールを使用していているので、特に不満は上がっていなかった。美月は高校入学後、極力中学以前の友人たちとの連絡を絶っていたし、弟妹へは自分から電話をかけるだけなので、メールは、学院のアドレス、一応取得してある個人用アドレス、どちらもほとんど使用していなかった。そのため、中間試験の総合結果が配布された翌日の夕方、学院のアドレスのメールボックスを見たのは本当に偶然であった。補習授業の予定を校内ウェブ掲示板で確認する際に、しばらくメールボックスを開いていないことを思い出して、確認したのだった。
学校からのお知らせの中に、一つだけ知らないアドレスが混じっていて、美月は内心で首を傾げた。題名は、『須賀光生へ』と、『光生』の記載で美月の名前がしっかり書いてあるので、間違いメールの可能性は低い。生徒のアドレスは基本、生徒のフルネームをローマ字表記したものと入学年度の数字の組み合わせなので、どのような字を書くかまでは分からない。美月は少し悩んでからメールを開いた。本文に一通り目を通すが、差出人欄にはメールアドレスのみ、本文中にも差出人の記名がない、という有様なので、誰からなのかは結局分からなかった。
液晶画面を前にして、動きを止めている美月を見て、八重樫が声を掛けて来た。
「須賀、まだ使う?」
「あ、ごめん。いいよ。なんか変なメール来てて」
「なに?見ていい?」
寮に二台だけしかないパソコンである。占領するわけにはいかない。美月はメールを閉じて、立ち上がろうとしたが、それより八重樫が興味を示すほうが早かった。美月がうなずいて、椅子をずらすと、八重樫は自分が座っていた椅子を引っ張って来て、画面を覗き込んだ。
きみからのSOS、受け取りました。遅れたね、ごめん。でもきみも、もう少しわきまえるべきだ。こんな分かりにくい方法をとるなんて。ぼくの優秀な頭脳に感謝してほしい。ぼくは、分かったんだ。
随分苦労をして来たね、ああいいんだ、言葉にしなくてもいい。知っている。きみが努力して来たこと、皆を愛そうと、きみを迫害して来た彼らを愛そうと、してきたこと、知っている。頑張ったね。でも、もう必要ないんだよ。
ぼくは盾、そしてなにより、きみの苦痛を断ち切る剣。
もう苦しむ必要はない。ぼくのもとへ来るんだ。そしてただただぼくの抱擁を受けなさい。きみの力はきみを本当に愛する人にのみ使われるべきものだ。
きみがぼくを選ぶことは分かっている。ぼくがきみを、きみの全てを助けるように、きみもぼくを心からの喜びとともに、助けてくれること、すべて分かっている。
さあ、きみ自身をその牢獄から解き放つのだ。そして、翔け、羽ばたき、ぼくのもとへおいで。
ぼくにはいま、非常に厳しい状況にある。でもきみが解決してくれるね。選択を間違っては駄目だよ。きみの抱える苦しみのすべてを、解放出来るのは、ぼく。ただ一人。
ぼくはきみに、ぼくを助けることのできる機会を与えているんだ。そのことを、忘れないでください。
「出会い系…にしちゃ変だよな、詐欺?金持って来い、って言ってる?誰かにメアド教えた?」
「覚えは、ないな」
八重樫も首をひねっているが、美月はその倍はひねりたかった。
「しっかし、変なの。普通さあ、出会い系って、家出しちゃったお金ないの何でもします、って自称ロリ巨乳女子高生とかがメールしてくるものだろ。詐欺にしたって、亡夫から莫大な遺産を受け継ぎましたが怖いので助けて下さいって、黒髪ロングの巨乳未亡人とか、そういう設定じゃね?実際書いているのはおっさんだろうけど。なのに、これはさ、一人称ぼくだし、普通に男だよね」
「だよねえ」
美月もその点、同感だった。自分の名前がローマ字表記だと中性的になることを別にしても、女性名男性名関係なく、迷惑メールは男性向けに書かれていることが多い。しかしこのメールは男性が女性宛に書いたように見えた。
「まあ、無視でしょ。無視無視。あ、迷惑メール登録はしときなよ」
八重樫の忠告を有り難く受け入れて、件のメールを迷惑メールとして報告すると、美月はパソコンの前の席を譲った。
「珍しいね、八重樫がパソコン使うなんて」
退きがけに、つい気になって声を掛けた。八重樫の、のべつ幕無しに情報を発信している姿はいつものことだが、情報を取り入れる行動をしている所を見るのは初めてだった。
「あ、うん。新聞読もうかなっって」
「新聞を?」
「ほら、新聞読むと、国語の成績上がるって…」
八重樫の声は、滅多にないことに、歯切れが悪いというか、語尾が消え入るようだった。美月は八重樫が中間試験の国語で、ぶっちぎりの学年最下位を取っていたことを思い出した。