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呪詛  作者: のっぺらぼう
1/7

始まり

雨が降っている。職員寮の更に北側には、紫陽花が群生している一角があり、つぼみと手のひらほどもある大振りの葉は、今日も雫を(したた)らせていた。衣替えで、制服は既に夏用の開襟シャツになっている。しかし梅雨真っ最中の山奥は、長袖でいてもまだ肌寒い。美月は開襟シャツの上からカーディガンを羽織っていたが、薄手のニット生地を通して、水分たっぷりの冷気が染み込んでくるようで、薄ら寒い。加えて、先週行われた中間試験の総合結果が返ってきた今は、その結果に血の気を引かされて、美月はいっそう寒さを感じた。

学院では、各定期試験の総合結果が同学年の生徒全員に配布される。総合と教科別の順位に加え、点数付きの結果がである。表向き進学校で成績の悪い生徒は取っていない上に、まだ一年の一学期の中間試験なので、点数自体は、生徒間でそれほど離れてはいない。それでも後ろから何番目、という結果を目の前に据えられれば落ち込むものである。美月の場合、数学がそれで、他は全体的に上位、生物に至っては、学年首位という、なかなかにばらつきの激しい成績だった。

「須賀って、理系なんだか文系なんだか分からない成績だな」

後ろの席の田中が、総合結果を前に(うつむ)きっぱなしの美月に、声を掛けて来た。美月は一言、ほっとけ、と返した。

生徒たちの悲喜こもごもなど、いつものことである担任教師の合田(ごうだ)は、黒板に補習授業の予定を書き出していた。各教科の成績が下位六人に入ると、漏れなく教科別に補習である。もっとも、大変なのは授業そのものではなく、付属する大量の提出物だ。合田は板書(ばんしょ)を終えると、まだ少し時間が早いながら、ホームルームの終了を宣言した。

「ああ、そうだ、須賀」教室の引き戸に手を掛けた合田に、思いもかけず声を掛けられ、美月は跳ね上がるかの勢いで顔を上げた。「昼、食事に行く前に、教員室に寄ってくれ。頼みたいことがある」

怪訝そうな表情は表れていたが、美月は素直に返答した。合田は、忘れるなよ、と念押ししつつ退室していった。

「なんなんだ?」

田中に訊かれたが、美月にも分かる筈がなかった。


中間試験の結果配布の影響で、午前中の授業は全体的にいつもより静かだった。成績上位者でも上位者なりに不満や反省点があったらしい。それでも昼になる頃には普段通りの活気、もしくは喧噪(けんそう)が戻ってきていた。美月は合田に言われた通り、四時限目の授業が終わると教員室に寄った。合田は、美月を見とめると、自席からさっと立ち上がって、美月を(うなが)し、教員室から出た。頼みたいことは教員室外にあるらしい。

宇部(うべ)先生に、お客様が見えている。学院の理事だ。その方が須賀に会いたいらしい」

美月はしばらくの間、この学校に宇部(うべ)などという教師がいたかどうか、記憶を探ることになった。程なくそれが校長のことだと思い出された、というより理事をお客として迎えると聞いて、校長くらいしかないと思い至った。しかし理事が自分に一体何の用事があるのかと思うと、男子校に性別を偽って入学しているという点を始めとして、(すね)に傷を持つというか、後ろ暗いところが多々ある美月は、背中に冷たい汗が流れたのを感じた。

応接室は一階の正面玄関からすぐの場所にある。他の教室とは比べ物にならない重厚な造りの扉をノックするとすぐさま応答があり、合田と美月は部屋に入った。中背で、恰幅が良い、といった言葉そのものの体格の宇部校長と、一人の痩躯(そうく)の老人が革張りの応接セットに腰掛けていた。一瞬美月はその老人が、自分に同級生の一人である坊坂(ぼうさか)慈蓮(じれん)の監視を依頼した陣内(じんない)翁に見え、心臓が跳ね上がった。実際問題として、陣内翁とこの老人はそれほど似ていた訳ではない。古いが仕立ての良い背広姿で、中折れ帽子を隣に置き、椅子に杖を立てかけていて、いかにも金持ちそう、という印象を受け、陣内翁を連想させたのだった。中折れ帽にプードルの帽子ピンが付いてるのが茶目っ気に(あふ)れていた。

「時任さん、お話に出た、須賀光生です。須賀君、こちらは、時任(ときとう)征士郎(せいしろう)理事。学院創設に関わった、時任(ときとう)欣作(きんさく)氏は父君にあたられる。」

「初めまして。お話は聞いています。強力な治癒能力者だと」

時任理事の声は、なかなか渋く、良い声だった。治癒能力者であることを勝手に伝えたのか、と美月は内心文句を言いたくなったが、愛想の良さを全力展開して、無言のまま一礼した。後で聞いたところ、別に美月の件に限ったことはなく、特殊能力者の育成学校の理事という立場上、全ての生徒の素性やら能力やらが知らされているとのことだったので、不満を漏らさなかったことは正解だった。とはいえ美月の本音としては、勝手知ったる人たち相手とはいえ、特殊能力を大々的に宣伝されたくはなかった。

「どうも、膝がね。余りにどうにもならなくて。色々手は尽くしてみたのですが。君の話を聞いて、ひょっとしたら、と思いまして」

美月の内心などとは関係なく、時任理事は話を続けていた。ようは、美月の力で、なんとかしてほしいということである。ちらりと校長と合田を見やった。校長は血色の良い顔に、にこにこと笑みを浮かべて無言。真意は不明である。合田は無表情だったが、二ヶ月の付き合いで、美月はそれが腹の内を隠している際の表情であることを知っていた。

美月に拒否権…は、あるかもしれないが…わざわざ行使する気はなかった。出し惜しみする気もないし、理事に恩を売っておくのは悪くない。最悪、性別云々がばれた時には、一人でも多い味方が必要である。

「失礼」

美月は声を掛けると、時任の前にひざまずいた。ズボンの裾をまくり上げ、膝に手をあてる。実際のところ、美月は治癒能力を使用する際に、何か動作が必要なわけではないので、ただの見せかけである。患者の目の前で行う場合、とにかく何かそれらしい様を見せかけないと、何かしたと思ってもらえないのだ。目を閉じて、いかにもな雰囲気を(かも)し出す。時任の膝の症状自体は良くある症例で、加齢による半月板のすり減りで起こる痛みである。炎症を和らげ、周囲の筋肉を少し増強する。美月に出来るのはここまでだ。週一くらいで通ってくれると、筋肉の増強を継続して出来るので効果的なのだが、まさかこの、かろうじてバスが通っている一番近い集落から更に車で一時間かかる場所まで通ってくれとは言えない。

「いかがですか?」

美月が声を掛ける。時任は、痛みのない方の膝に手をあて、立ち上がりかけ、少し首を傾げた。

「ああ、ああ、楽だ」そう声を出すと、何度か膝を折って、具合を確かめている。目が光り輝き、顔に赤みが差した。「ありがとう。いや、凄いね。これは。うん、本物だ」

美月の背中側にいる宇部校長が何度もうなずいた。合田は扉付近に立ったまま、相変わらず無表情である。

「これなら、ちろちゃんと、出かけることもできる。ありがとう」

時任理事は美月の手を取った。美月はどういたしまして、と小さく返した。そのまま繰り返し、幾度も謝意を伝える時任理事を、適当なところで合田が声をかけて止めてくれた。共に退室した美月に、扉が閉じられるや否や、合田はぼそりと、済まない、と言った。美月にいきなり治癒をさせたことに対しての謝罪らしいが、美月は、合田が治癒が目的だとは知らされていなかったのか、知らされていて止められなかったのか、判断が付かなかった。

美月は合田の謝罪を軽く受け流すと、一直線に食堂に向かった。育ち盛りの高校生男子たちが群がっている()の場所に、まだ食べ物が残っていることを願った。

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