一年合宿で奈良から京都へ移動しよう(2→3日目)
結局あのあと延々と二人の魅力について風呂で語られて、その間湯船にずーっと浸かっていた私がようやく解放された時には、立派なゆでだこ雪さんが完成していた。
ゆでだこなんて、比喩だろ。とか思ってたけど、今の私なら本当にあの、茹でた蛸の赤さと勝負できる。きっと茹で蛸選手権でグランプリを取れるはずだ。あればだけど。
朦朧とする意識でふらふらと階段を上る。一番階段に近い部屋でよかった。お水をたくさん飲んでからドライヤーで髪を乾かしていた時ですら何度意識が飛びかけたか。これ以上はもたん。
襖を開けると、既に敷き布団が敷いてあった。
パリッとした白いシーツが「おいでおいで」と誘っている。きっと未羽が敷いておいてくれたんだろう。この誘惑に勝てるだろうか、いや勝てません。
私は布団に倒れこみ、そのまま意識を失った。
ほっぺたを、ペシペシたたかれている。
重たい瞼を上げると、未羽の茶色い瞳が見える。
「んー…未羽ー…?もうちょっと…」
「もうちょっとじゃないわ、バカタレ。起きろっ。」
ぱしっと頭を叩かれる。
「痛ぁ。なにすんのぉ?」
「何すんの、いや何したの、はこっちのセリフよ。あんた、のぼせたの?」
「風呂でクラスの女子と話し込んで…大分仲良くなれたよう…?」
「どのくらい話してたの?」
「んー…1時間半くらい、かなぁ…?ずっとお湯に浸かってて…。4時過ぎに入ってぇ、今何時ぃ?」
それでか。と未羽が頭を抱える。
「どぉしたのぉ?夕食逃しちゃったぁ?」
「…問題。ここはどこでしょう?」
「へ?私たちの部屋でしょお?宿泊中の。」
「本当に?周りをよく見なさいな。」
辺りを見回すと、私のコロコロもなければ、こめちゃんのピンクのボストンもなくて、黒っぽいバックがいっぱいある。
「あ、れ…?」
「わかった?ここは、男・子・部・屋!!秋斗くんたちの部屋。一階分、あんた、階段上り損ねてんのよ?」
その言葉にさぁっと全身の血の気が引き、完全に覚醒する。
私たちの女子部屋が3階で、秋斗たちの男子部屋は2階だ。
「な、な、それならなんで…未羽がここに…。」
「上林くんからヘルプコールが来たのよ。」
「まさか、見られた?!私、もしかして、仰向けのウシガエルみたいな恰好してた?!」
足がガニ股のアレだ。
「それだったらどんだけよかったでしょうに…。百年の恋も冷めて終わりだからね。」
「…どういうこと?」
ふふふふふ、と未羽が不敵に笑う。
「天然雪ちゃんには、私が上林くんの視点からの状況を語ってあげましょうとも。上林くんはあの刺激の強いものを見てから色々用事を片付けて、部屋に布団を敷いて、風呂に入ってさっぱりしようと思ったんでしょうね。風呂から戻った彼は部屋に入って襖を開ける。そうすると、奥の布団を敷いている場所になぜか明らかに女の子にしか見えないシルエットが。彼は当然部屋番号を何度も確認するけど、そこはどう見ても自分たちの部屋。仕方がなくその子を起こそうと近寄って、気付くのよ。その子が、自分が一度気持ち伝えて断られても諦められないぐらい好きな子だって。その子がね、浴衣で布団の上で寝てるわけ。寝て乱れたその姿は、白い首元や鎖骨はもちろん、胸元は際どいところまではだけた状態だし、浴衣の下のところでは辛うじて帯で止まっているとはいえ、白くて艶かしい太ももがのぞいている。布団の上で乱れた長い髪に包まれた小さな横顔は少し頰が上気していて食べ頃の熟れた果実のよう。いつもは女かどうか疑いたくなるくらい可愛げのない態度で警戒心しか見せない少女が、罪と評してもいいほどの無防備さですぅすぅ寝息を立てて、あろうことかたまに、『ん…』とか艶っぽい声を上げている。そんな思わず生唾を飲んでしまうような光景が彼の前に広がっている。そうなると、起こそうと思って屈んだ彼の鼻腔に洗いたてのシャンプーの甘い香りが広がっていることや、ここが他に誰もいない密室であることが否応なしに現実として迫ってくる。それは高校生男子という血気盛んなオス狼たちにはあまりに刺激の強いもの。そう、思わず過ちを犯してしまいたくなるくらいには…。」
「…未羽、よくそこまで一息に滑らかに言えたもんだね…官能小説家に弟子入り志望とかあったっけ…?」
「彼の気持ちになれって言ってんのよ。全く。女の私が見ても一瞬くらっとクるぐらいあんた、色っぽい感じだったんだから。」
なんでかな、全身から汗が出ていて妙に寒いのに頭だけ熱いのは。
風邪か。風邪だよね。風邪に間違いない。きっと冷や汗とかそういうあれではない。
「可哀想に。たった5分の間に私の携帯には彼から10件もの不在着信が入っていて、私がようやく出られた時には今まで聞いたことのない切羽詰まった声で、『横田、悪い、今すぐ俺たちの部屋に来てくれ。頼む、これ以上…』って言ってさ。あんたが寝てるから二次被害を起こさないために離れられなかったんでしょうね。私が着いた時には、ぴっちり閉めた襖の前で浴衣で片膝立てて座りこんでたわよ?私に気づいて半分死んだ目でこっち見たと思ったら『助かる。あと頼む。俺、ちょっと頭冷やしてくるわ…』とだけ言ってフラフラとどっか行ったわよ。彼の理性には頭が下がるわ。もう二度と上がらないレベルで。」
「!!!!!!!」
「雪、どこ行くの?」
唐突に立ち上がった私に未羽が訊いてくる。
「え…スコップ探してくる。」
「スコップ…?…雪、穴掘っても意味ないから。上林くんの記憶も、あんたの醜態もなくならないから。」
の―――――――!
翌日。3日目。
京都に移動する日だ。
奈良から京都への移動にはそれほど時間がかからない。
「京都だねぇ!」
京都駅に着いた私たちはすぐにバスで移動。これからあの室町時代の三代目の将軍が建てたキンキラキンのお寺に行くことになっている。駅からかなり遠いし効率が悪いと思うのだが、やはり定番なのか。バスの席では明美と隣に座って昨日の風呂の話をする。
ちなみに、幸いなことに男子部屋での私の醜態は冬馬くんと未羽しか知らない。
「え、クラスの女子と仲良くなれたの?」
「うん、入学当初のこと、謝ってくれてね。クラスの子たちは楽しく観察しますって。」
「とうとうクラス公認になったか…おそるべし、雪。」
明美さん?どういう意味?
「でもさ、よかったじゃん。最初は結構きつかったんでしょ?私みたいにそれほど付き合いなかった違うクラスの子でも雪と秋斗くんと上林くんとそれから東堂先輩の話って有名だったし、嫌がらせ、酷かったんでしょ?仲間が増えたなら、彼らの近くにいても過ごしやすくなるじゃん?」
けらけら笑う明美。
「うん、そうだね…。いてくれればね。」
「ん?どうかした?」
「いや、なんでもない。」
昨日から今日にかけて、ずっと冬馬くんは私と目を合わせない。
昨日あの後、あんな醜態を見せてしまったことをそれはもう土下座する勢いで何度も謝りに行った。彼も苦笑気味に「もういいよ」と言ってくれたし、それからいつも通りの事務連絡とかみんなと混ざっての世間話とかはしてくれる。
それでも。目に私を映してくれない。
はしたないやつだと、軽蔑されたのかもしれない。
あえてあんなところであんなことをして彼らを惑わそうとした計算高い姑息な女だと思われたかもしれない。
嫌われたかも、しれない。
斜め前の席に遊くんと座って笑っている冬馬くんをそっと盗み見る。
黒髪の、綺麗な男の子。同じクラスで、隣の席で、クラス委員も一緒にやってて、生徒会も一緒で。なんだかんだ一緒にいることは多かった彼。これからもこの委員のつながりはなくならない。
だったら。
いいじゃないの。嫌われた方が。攻略対象者様だよ?あんなに主人公の夢城さんにカップルになってほしいと思った人たちだよ?
これで彼が私から距離を取ってくれた方がいいんじゃない?
今ならまだ、少し寂しいとは思っても「ただのクラスメート」の距離に戻れるかもしれないから。




