ライバルの誘いに乗ろう
次の日。昨日の職員会議は確かに不審者のことだったということを聞いた。君恋高校の女子生徒がいきなりハサミを持った男に追いかけられたということだった。京子を襲った不審者との関係性は謎だが、とにかく警察が捜査中なので生徒は無駄に一人で帰らないように。とのお達しが出た。
「一人で帰るな、なんてあったりまえじゃないのねぇ?職員会議やる必要あったの?」
未羽の言い分がもっともだ。
「まぁ、こんなことくらいしか今は言えないんだね。しょうがないよ。」
秋斗も掲示を見てため息をつく。
「新田、ちょっといいか。」
「はい!」
数学の教師に呼ばれて秋斗がいなくなったので未羽に訊く。
「これって、もしかしてイベントなの?」
「そうだよ。まぁしばらくは事件動かないから待つしかないね。」
「イベントかぁ…。ゲームだったらいいんだろうけど、現実だとこんなことでも怖いから嫌だね。全く。」
「あ、相田。」
げ!今会いたくない人第一位!こっちにやってきたのはもちろん上林くんだ。
私はさりげなく未羽の後ろに隠れながら返す。
「上林くん、お疲れ。」
「お疲れ。この前のテスト、残念だったな。」
何?あえて抉りに来てる?傷に塩塗ってる?
「喧嘩売ってるなら買いますよ!」
「違う違う!」
未羽の後ろで唸る私に上林くんが苦笑する。
「提案しに来たんだ。」
「提案?」
「物理と数学、勉強したくない?」
何?
「どういう意味?」
「俺、教えるけど。」
「ほんと?…無償なんてそんなムシのいい話ないでしょ?何が目的?」
「目的って訊かれると。新田じゃなくて俺と二人で過ごす時間確保してほしいっていうのが一つ。それから俺に代わりに文系科目教えてほしいっていうのが一つ。」
「攻めるねー!上林くん。」
未羽が嬉しそうににやにやする。
「放置しておいて相田が自分から来てくれるわけないからな。横田だって俺の気持ちには気づいてるだろ?隠すつもりはないんだ。」
「将を射落とすためにまず馬を射るつもり?悪いけど、私どっちにも肩入れしないわよ?」
「それは別に構わない。横田には邪魔さえされなければいい。」
「へぇ。」
チェシャ猫のように目を細める未羽。舌なめずりしてるでしょ今。
「で、相田どうする?」
確かに攻略対象者に関わりたくはない。あえて二人きりになるなんて以ての外。だが既に私は彼らとどっぷり関わりを持っている。それに攻略対象者と関わりを持ちたくない一番の理由は成績のためなのだ。博学多才の名を欲しいままにしているこの人に教わることは私にとって有意義なんじゃないか?
悩んだ末、結論を出す。
「…ん、乗る。」
それを聞いて上林くんは嬉しそうに笑った。
「よっしゃ。じゃ、くれぐれも新田は誘うなよ?言うのは構わないけど。」
言うもんか。面倒くさい。
それから幾日か、昼もしくは放課後に上林くんとグループ学習室などで勉強している。秋斗は帰りに一緒に帰れない時があると知り最初は嫌がっていたが、理由は聞かずに分かった、と言った。
「すんなりだね、珍しい。」
「本当は一緒にいたいけどね?もう弟って立場にいないなら別の立場手に入れるまではそこまで干渉しちゃだめかなって思ってさ。拘束しすぎて逃げられちゃうのも嫌われるのも嫌だからね。」
「秋斗…。」
「だけど、今不審者情報とかあるし、絶対人と帰って?女の子だけなら3人以上と!」
過保護なのは変わらない。
今日の放課後も二人だけの勉強会をしていた。場所は珍しく空き教室。二学期の中間も近づいてきて図書室のグループ学習室が埋まっていたのだ。
私は物理、上林くんは世界史を広げて勉強中。
「なんか、日が落ちるの早くなってきたね。」
「そうだな。」
勉強会を始めた時はヒヤヒヤしていたけど、今のところは本当にただの真面目な勉強会だ。お互いが分からないところを教えあう。私から1位を取るだけあって上林くんは教え方がうまい。有意義な時間だ。
もう9月も終わり。暑さも大分和らいでいて、長袖を着始める季節。
前に座ってノートを目で追っている彼の横顔をそっと盗み見る。夕日に照らされてちょっと茶色っぽく見える漆黒の髪。目は二重。すっと通った鼻筋。乙女ゲームが元となっている世界と知らなかったら本当に人間か何度か振り返って確認したくなるような整った顔。
「何?」
顔を凝視してしまったせいか、上林くんに気づかれた。
「いや、何でもない!」
「…ふぅーん。」
前の席に座っていた上林くんがこちらに椅子を向ける。
「なぁ、相田って、俺の顔好きなの?」
「は?!」
「いや、最初隣の席になったときもじっと見てたし、それからも結構頻繁にチラチラ見られてるから。」
最初のは攻略対象者の確認だったんだよ!その後のは覚えてない。無意識って怖い。
「さぁ?意識してない。たまたま目に入っちゃうんじゃない?」
「へぇ。」
意地悪く笑う彼。
「意識してなくても見ちゃうくらいは好きなわけだ。それは得したな。」
「そんなんじゃ」
「な、相田ってさ。新田はともかく野口のことも、俊のことも名前で呼んでるよな?なんで俺だけ苗字?」
それは当然距離を置くためですとも!
「…秋斗は幼馴染だし、俊くんは会長がいるからだし…」
「俺のことも、名前で呼んでくれない?」
真っ直ぐに目を見て言ってくる。
ピコーンピコーン!危険信号です!
「い、嫌です。」
「じゃあ俺がまずは相田のことを名前で…」
「ストーップ。それはなし。」
「そんなに嫌?」
からかうように訊いてくる。
上林くんはみんなのことを苗字で呼び捨てる。私だけ名前とか特別感満載じゃないか。私はまだ女性たちの嫉妬の炎で火あぶりにはなりたくない。上林くんを名前で呼ぶ人はそれなりにいるから、そっちの方が断然マシだ。
「じゃ、それはまた今度。代わりに俺のこと名前で。」
「う…。」
「相田、覚えてる?夏休みの生徒会合宿の写真。あれ、捨ててもいいよ?もともと他の男に持たせたくなかっただけだし。」
ふふっと笑う上林くん。外見が綺麗でも中身が邪悪すぎる!
こんなに性格悪かったっけ?
「会長が乗り移ってない?上林くん。」
「まさか。乗り移ってたらこんな回りくどいことしない。会長が増井にしてるみたいにやる。」
「それは本当にやめてくださいお願いします。」
「ほら、言ってみ?」
「…トーマくん。」
「冬馬だよ。」
「と、とうまくん。」
「冬馬。漢字。呼び捨て。」
「…くっ。ひとまず呼び捨ては勘弁してください、冬馬くん。」
「まー及第点、かな。よく出来ました。」
そう言ってにこっと笑い、頭をなでなでされる。
「私を子供扱いするのね?」
「違うよ?女の子として見てる。」
そのままずれた手が私の前髪をすっと持ち上げて、前に未羽が言ってたとおりの第一ボタンが開けられた色っぽい首元が迫ってきて、おでこに柔らかい何かが当たり、ちゅっと小さな音が。
「ちょっ!!」
油断した!!
ガタッと席を立ち上がる。
「今はここまで。でも呼び間違えたらお仕置きな?」
真っ赤な私を見ていたずらっぽく笑う。
「〜っ!ドS!」
「それをお望みならそうするけど。」
「ごめんこうむる!!」
脱兎のごとくダッシュするが、リレーアンカーには敵わず腕を掴まれる。
「ほら、逃げない。今は不審者が出て危ないんだし。もう帰る?」
「…帰ります。」
大人しく一緒に歩いて帰る。まだ部活帰りの人もいる時間だ。チラチラとこちらを見てくる生徒は多い。
隣を歩く背の高い美少年を見上げて、ため息をつく。どうして人生経験通算37年の私が15歳の男の子にドキドキさせられてるんだろう。
「なんで私ばっかり。」
「何が?」
「何でもない!」
「相田、正直に。」
なんでこっちを覗き込むかな!
「…こっち、見ないで。」
顔を逸らすと、ふふっと嬉しそうに笑われた。
「ドキドキ、してる?」
「うるさいな。ちょっとだけだよ。あれだよ!びっくりしたからね。」
「ふーん?…俺もドキドキしてるよ。」
「へ?」
「ほら。」
手を取られて、彼のシャツの胸のあたりに当てられて、一気にこっちの血が上る。
「ほら、聞いてみなよ?」
なんとか呼吸を整えてその振動を手で感じ取ると、わずかに速い気もする。
「これ、相田のせいだから。」
「その全く動じてなさそうな顔で?」
「俺、ポーカーフェイスいけるし。でも相田の前だとダメだ。なんか笑っちゃって。」
「…そんな変なことしてないよ。」
「面白くて、もあるけど、そうじゃなくて、自然と微笑んじゃうんだよ。」
なんだこれ、さっきは上から目線のブラックドSモードだったのに、今度は純情少年?
さっきより、私の心臓がドキドキする。
「安心した。相田が男や恋愛に興味ないタイプじゃなくて。」
「その言い方だとまるで私がそーゆーのに興味津々みたいじゃない。」
「させたいものだね。俺にだけなら。」
そう言って私の手を下ろした冬馬くんは、帰ろう、と言って動けなくなる私を解放してくれた。
あとで未羽から『いや~ん。耳が幸せ過ぎて溶けちゃいそう!』というラインが来た。聞かれてたのを忘れて恥ずかしいことを言ってしまったことに悶絶する羽目になった。




