ぶつかり合うは多大な縁ゆえ。(対冬馬祖父編その2)
学校を出てからケータイで検索し、所在地を確認して電車に乗る。移動先の駅からほど近い、救急搬送にも対応している大きな病院。
そんな病院の院長にアポなしで会うことができるか。
そもそも今日いらっしゃるのか。
最大の不安は病院受付であっさりと解消された。
「相田様でいらっしゃいますね。秘書の斎藤が1階ロビーでお待ちしております。」
なんと準備のいいことで!
まるで、今日この時間に来ることが分かっていたかのようだ。
「斎藤さん、お久しぶりです。」
「相田様、お久しぶりでございます。」
丁寧に腰を折る慇懃な執事兼秘書さんと会うのも3カ月半ぶり。
斎藤さんに案内されエレベーターに乗り最上階まで移動する。
「どうぞこちらに。間もなく院長が参りますので、お掛けになってお待ちくださいませ。」
「案内ありがとうございます。」
ソファに座って主人を待ちながら周りを見回す。豪奢な作りのドアのわりに、中は簡素でシックだった。物もあまり置かれていない。壁からトナカイの頭が生えているとか、そんなごてごてした装飾があると思っていたのだけどな。
「質素だろう?」
ドアが開き厳しい顔つきの男性が入ってきた。年齢は60歳ほどに見えるが、もう少し上なのかもしれない。いやでも沙織さんのお歳を考えると60歳だったとしてもおかしくはないか。
立ち上がって一礼する。
「ご無沙汰しております。…冬馬くんのお祖父様。」
「健之助と呼ぶがいい。長くて面倒だ。私はまどろっこしいのも無駄なことも好かなくてね。」
健之助さんはソファの私の対面に座った。
「では単刀直入にお訊きします。君恋高校の私の文理選択コースが変更されていました。これは健之助さんの介入によるものですね?」
「なぜそう思う?」
「私は国立文系を志望しており、それはこれまで一度も変えておりません。一学期の志望調査表にもその通り記載致しましたし、夏期課題もこれにそって課されていたので間違いはありません。それにも関わらず、今日見た私の文理分け表には医系コースと記載されておりました。そしてこの変更は君恋高校の現校長、曽合校長によりなされておりました。文理クラス分けはこの後の教材購入や時間割の変更にも影響いたしますので、生徒の面談なく勝手に行うことなど通常ありえません。また、校長先生が私個人の進路をいじるメリットなどどこにもありません。そうだとすれば、『誰かが進路表を変えさせた』ということになります。そして、このように強制的かつ秘密裏にこのようなことをする利害関係があり、なおかつ校長に働きかけるほど学校に強い影響力のある出資者の心当たりは、健之助さん以外にいらっしゃいません。」
私の答えに、総一郎氏はふむ。と声を漏らす。
「なかなかいい推論だ。それで、私が君の進路表を変更した理由はなんだと思うね?」
「それは…冬馬くんとのこと以外考えられません。健之助さんが、私と冬馬くんと別れさせたいのではないかと思いました。冬馬くんに私と別れるよう健之助さんからおっしゃっても彼は反発するでしょうが、私から彼に別れたいと言えば、彼がどのような反応をするにせよ受け入れる可能性があるからです。」
「不十分だな。30点と言ったところか。」
不十分、ということは足りない部分があるけれど、間違ってはいない、ということか。
嫌な予感が的中して内心歯噛みしながら言を継ぐ。
「おそらく、その不十分な点は私の疑問と関係していると思うので、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
「言ってみなさい。」
「さきほど健之助さんはまどろっこしいことがお嫌いだとおっしゃいました。それなのに、今回私の文理選択表をいじるという回りくどいことをされた理由が分かりません。健之助さんは私の家庭環境も当然お調べになっているでしょう。私の父が製薬会社勤務であるということもご存知のはずです。健之助さんほどの規模の病院、役職にあれば、他の大手の製薬会社を使うことも出来るのに、あえて父の会社との取引を増やしているそうですね。もし、冬馬くんにこのことを悟られたくないのであれば、父の方から私に話を伝えることも出来たはずです。その方が学校を介するよりも冬馬くんに悟られる可能性が圧倒的に低くなるはずですから。なぜこのような手段を取られたのですか?まるで『私に推理ゲームをさせて私自身にここに来させるようにし向けた』ようにも思われます。」
「…ふふふ。30点ではなかったか。」
健之助さんが笑った。
冬馬の優しい笑顔とは違う、面白がる声音だ。
「点数分は聞かせよう。君と初めて会ったのは5月の時だったね。君の能力、様子や態度を直接見たうえで、私は冬馬の側に置いていても大丈夫だろうと言った。」
「はい。覚えています。」
「だが私は読み違えたのだよ。」
「…読み間違えた、とは?」
健之助さんが深く腰かけた状態からほんの少し体を起こした。
「君は夏に一度命に関わる事故に遭ったそうだね?」
「はい。」
「その時の冬馬の様子を知っているかな?」
「…目が覚める前でしたので又聞きですが、憔悴していたと。」
「その通り。寝食もほとんど取らず、君に付ききりだった。君が死んだら、冬馬も壊れそうな様子だった。沙織の言葉ですら、最初の2日は決して耳を貸さなかったのだ。あれには驚かされた。」
「お言葉を遮るようですが、冬馬くんは頑固で強情です。私のことでなくても、譲らないことはあります。」
「変わったのだよ。」
健之助さんは私と冬馬を別れさせる論理を立てようとしているのだから、怖かろうが何だろうが噛みついていかなければ、と不遜を覚悟で遮ったが、健之助さんは気にした様子もなく鷹揚に答えた。
「あの子は物心ついたころから、酷く生きている実感を窺わせない冷めた子供だったよ。私に言われたことは文句を言わずこなし、私の期待通りの成果をあげる。逆らいもせず、感情を表に出さず、表ではただにこにこと笑い、それ以外の時は無表情だった。まるでロボットのようにね。ただ唯一、沙織が絡むときだけ感情を表に出した。自分が私に認められない、すなわち後継者から外されたら、沙織が親戚連中にどういう扱いを受けるか、あの子は分かっていたのだろうね。あの子の行動原理はこれまで沙織だけだった。…だが、それが高校に入ってから変わったのだ。沙織だけではなく、君恋高校、そして君を中心にも動き始めた。君は、あの子が君恋高校に入る経緯を聞いたかね?」
「君恋の生徒会に入りたかったから、ということくらいは。」
「正直、当時の君恋高校は天夢同様、面白味のない学校だった。同じ勉強だけの学校に行くのであれば、よりレベルの高い天夢高校にいれるべきだろうと思っていた。それをあの子本人が君恋高校に行きたいと言ったのだ。調べてみれば確かに入学前の1年は変わっていた。その状態がどこまで続くかは分からないが、本人が初めて望み、沙織が頼むほどであるなら、行かせてみたら面白いかもしれないと、その程度に思っていたのだよ、私は。」
ふふ、と懐かしいものを思い出すように健之助さんが笑う。
「それまでただ淡々と事務作業をこなすように毎日を過ごし、あの男への復讐だけを考えていた子供がね、高校に入ってから生き生きし始めた。君恋高校に入ったことは、あの子に今まで持っていなかった能動性を与えた。上林家を支えてもらうためだけではない、これから社会に出ていく者として、ただ言われたことをこなせる人間など上には行けん。自分から何かを変える人間になれなくてはならん。そういう意味であの高校に入れたことを私は後悔しておらんのだよ。そしてあの子が君に会ったこともね。」
私はこれまで、健之助さんは、冬馬のことをただの後継者として、道具として考えていると思っていた。
でも違う。言葉の節々から、孫である冬馬本人を想う気持ちが感じられる。
この人、冬馬のことを「孫」として成長させたいと思ってる。
「君と男女の付き合いを始めてあの子はまた変わった。特に私が君と話した後、あの子は君について私に文句を言わせないために、これまで以上に猛勉強しているという。弓道を初めとした武道や教養の習得にも精を出している。資格を取ったり、大会で優勝したり、対外模試に積極的になったりね。君を私から守りたいと子供ながらにできることを探しているんだろう。知っていたかね?」
「…いいえ。」
冬馬は、私が見ていない、知らないところでそんなにも私を守るために頑張っていてくれたのか。
「他人に執着することはなかったあの子が、沙織以外の人間に守りたいという感情を持ち、人を愛することを知った。それはとてもあの子のためになった。だが、これ以上は毒になる。」
健之助さんが私の方を見る目が、その刹那、変わった。
「一人の人間にそこまで執着することは、同時に脆さも含んでいる。執着しすぎれば、それは本人にとって弱みにもなる。それがどういう意味か分かるかね?」
射すくめられて、かすれる声を絞り出す。
「…私がいなくなった時に冬馬くんの心に与える影響…ですか?」
「その通りだ。私は夏のあの事故の時に初めて、自分の目測、すなわちあの子が君に執着している度合を見誤ったことを知った。それで今回の話になる。これ以上悪化しないうちに、君には冬馬から離れてもらいたい。なに、ただ男女として別れるだけだ、死に別れるわけではない。それならば、今の段階であれば、あの子は壊れないで済むだろう。賢い君なら分かるね?」
理解は出来る。
でもそれを受け入れられるかと言ったら別だ。
反駁しようと口を開いた私を封じるように、健之助さんは続けた。
「先ほど自分で言ったのだから分かっているとは思うが、既に君の父親の勤める会社は我が病院、そして私が教授をしている東京の大学病院関係と多くの関わりを持っている。それは、一度になくなれば一気に倒産に追い込まれかねないほどだ…拒めばどうなるか分かるだろう?最初の君の質問に答えるのなら、君の家族にもなかなか優秀な子がいるみたいだからね、騒ぎになるのは困ると思ったからこういう手段をとったのだよ。」
太陽のことか。
うちのことを調べていれば当然あの子のことは分かるだろう、どういう能力値の子であるかも。
「…つまり、私に冬馬か家族か選べ、とおっしゃるんですか?」
「期限は2日後。決めたらこの番号に連絡を寄越しなさい。時間を取る。またその時に聞こう。」
そう言って健之助さんは立ち上がると電話番号の書かれた紙を手渡してきて、私との話を終えた。
200話達成!編集画面に「ページの下部へ」が出ていることに地味に感動します!…なのにラブも萌えもコメディもないシリアス回ですみません!!!
9月2日の活動報告に四季先生小話その2を掲載しました。ご興味のある方はどうぞ。
※9月3日追記 四季先生小話その3(最終話)も9月3日の活動報告に載せましたのでこちらもよろしければ。




