耽耽と窺う虎と対峙するは白猫。(対冬馬祖父編その1)
始業式。
とうとう代替わりの時が来た。
会長たち先輩方が引退し、私たち二年生が生徒会の中心になる。
「自分達が作り主導してきた生徒会を後輩に明け渡す日が来たとは。なかなか感慨深いですね。」
「えっぐ!せんぱいぃ〜引退なんてやだぁ!」
こめちゃんは先輩たちが引退するのを嫌がって二学期早々ぐずっている。
「増井、そんな今生の別れのような顔をするな。」
「そうだぞ、こめちゃん!私たちは引退後も補佐として卒業までは生徒会の活動に関わる!心配しなくても生徒会室に入り浸るだろう!」
「そうなのです、こめぴょん。特に行事の多い秋は人が足りないですからね!私と美玲はそれがなくても美少女補給に行きますですよ?」
「ハニーちゃん。そんなに春彦だけだと寂しいのかい?なんならボクがいつでも慰めに来てあげるからねその素敵なお胸をグォォォ!!」
「尊、夏休みボケですか?目はしっかり覚まさないといけませんね、私がお手伝いしますよ。」
後ろからギリギリと桜井先輩の頭を締め上げている会長の氷点下の笑顔は相変わらず、そんなお二人を見守る残りの三人の先輩方もいつも通りだ。
「会長、お待たせしてすみません。準備に手間取ってしまって。」
「上林くん、私はもう会長ではありません。貴方が会長になるのです。」
「…はい。」
「貴方なら大丈夫でしょう。私たちも安心して引退できますよ。」
「精一杯務めます。…が、俺にとって会長は会長なので、内々では会長と呼ばせてもらいます。」
冬馬の言葉に会長は苦笑したがそれ以上は何も言わなかった。
始業式では、会長たちが簡単な引退の挨拶をし、そのあとに新生徒会長になる冬馬が代表挨拶と新生徒会役員、それから部活の新部長の紹介を壇上ですることになっている。
副会長の私の仕事は、先生方と一緒に生徒の誘導や放送器具の調整その他の進行の手伝いだ。副会長のメイン業務は会長の補佐。こういう事務的な仕事が多くなる。
いいよ雑用、レッツ雑用、カモン雑用!と順に思考を染めさせた現鬼会長の下で慣れっこですよ!
と、裏方のお仕事に何の抵抗感も緊張感もないいつも通りの私と比べ、壇下で待機中の冬馬の表情はよくよく見ると固い。
「冬〜馬!緊張…はしてなさそうだね。」
弓道の大会や大きめの模試をこなしてきた冬馬だ。全校生徒の前で話すことに緊張するようなタマではない。緊張ゆえの強張りではないことくらい、直ぐに分かる。
「冬馬、忘れないでね。これからの活動はみんなでやっていくってこと。冬馬だけが背負うものじゃないってこと。頼ることを忘れないで?」
「…雪も読心、できるようになってきたんじゃない?」
生徒会を作ってきた会長たちから、その実績がない私たちへの代替わり。
それは大袈裟に例えるなら、戦後の荒廃状態から日本を立て直した戦争経験世代が現役を引退し、歴史を聞いただけの人たちがそのシステムの主体になった瞬間に似ている。
この学校にはまだまだ生徒が自治をするという校風が定着していない。見えないところでの苛めや非行に対策しきれていないことも、先生たちが生徒会を未だ敵視ないし不信視していることも分かっている。
そんな状況だから、会長が危惧していた通り、会長たちが引退して私たちの甘さが浮き彫りになることで、せっかく先輩方が切り拓いた道が崩れるかもしれない。
彼の表情が固いのは、これらを抱えることへの覚悟を固めているからなんじゃないかな、と推測したのだけど、当たりだったみたいだ。
「是非恋愛系にも生かしたいものです。」
「是非精進してほしい。」
息が合ってお互いにぷっと笑う。
現状とこれからやるべきことを的確に見極めている冬馬だからこそ、普通なら荷が勝ちすぎるこの学校の会長職にふさわしい。
そして、思い詰めるタイプの彼の不安や重しを除去する、言わばお掃除のおばちゃんになることが、本当の意味でのこれからの私の仕事だ。
ふふ、と笑って本題に戻した。
「みんな思うところは同じで、努力も惜しまないよ。鬼会長のおかげでみんなこき使われることぐらいへいっちゃらなんだから、思う存分使ってね。」
少しだけ茶化したためか、冬馬が表情を和らげる。
「冬馬くん、出番だよ。」
「ありがとう。雪のおかげで楽になった。行ってくる。」
俊くんの声で壇上に向かう、その背にもう迷いはなかった。
新旧両生徒会の紹介は女子生徒たちをうっとりさせ、退屈な挨拶だけになりがちな始業式はつつがなく終わった。
「お姉様、お疲れ様でしたわっ!」
私に飛びついてくる葉月。
「葉月、疲れたのは私じゃなくて冬馬だよ。私は大したことしてないから。」
「いえ、お姉様は縁の下の力持ち。お姉様の働きがなければこうはスムーズに進みませんもの!葉月がお疲れを癒して差し上げますわ!」
「お前がねーちゃんの疲れの元凶だと自覚しろ、迷惑女っ!!は!な!れ!ろ!」
「…相田も始業式からそんなことしてると疲れるぞ?よく飽きないな。」
「ならお前が三枝を止めろよ!本来ストッパーのお前が放置するから毎回俺が言う派目になってんだろ!?」
「…諦めた方がいい。葉月の執念深さには蛇も舌を巻くぞ。」
「蛇が巻くのはとぐろじゃないの?」
「湾内、舌を巻くは驚くって意味の慣用句だよ?」
「わ、分かってたわっ!でもありがとう、神無月くん!そ、そうだ。相田くん、四季先生が早速クラス委員の仕事が〜って探してたよ。」
「あぁ…四季先生が…新学期が始まったって感じがするな…。今行く。湾内は先に行ってろ。」
「い、一緒に行っていい、かな?」
「は?なんでだよ。効率悪いだろ。」
「ほほ、ほら!あたしだけだと頼りないかなーって…。」
「…俺としたことが。お前と先生が一緒に準備するとか、後始末を想像するだけで眩暈がする光景だった。仕方ねーな、行くぞ。」
太陽の了承が得られた祥子は嬉しそうに軽いスキップで太陽のところに向かう。
「お前、自分ができない人間だって言われてなんでそんなに楽しそうにできるんだ?プライドとかねーのかよ?」
「プライド持つほどできたことがないからなぁ…。」
「自覚している人間ほど悲しいものはねーな。」
「ひっ、日々努力はしてるんだよ?これでも!」
「あぁそうだな。リッターあたりの燃費がものすごく悪い車で反対方向にエンジンふかすような生活してたからな、お前。」
「…ごめん、意味が分からないので解説してください。」
「…お前に皮肉が通じないことだけはよーく分かった。つくづくお前は俺の周りにいねータイプだよ。」
「ほ、ほんと!?」
「俺の周りに今までいなかったくらいの突き抜けたアホだって言っただけだ。褒めてねーからへらへらした顔すんなバカ。」
「またバカとアホって二つとも言ったぁ!!!」
可哀想なものを見る目で横の生物を観察する太陽と、それでもるんるんと隣を歩く祥子を、生徒会一同が生暖かい目で見守る。
もちろん、祥子の恋心など一年二年全員がとっくの昔に気づいている。
「祥子は分かりやすい子で可愛いですわ。」
「…葉月、お前も分かりやすさなら他に引けを取らないぞ。」
「湾内さんも三枝さんも…なんというか、透明な感じだもんね。」
「俊先輩、頭の中が透けてるってはっきり言っていいですよ。太陽は最初とガラッと変わりましたよね。」
「ねぇ!太陽くんが女の子に笑うなんてびっくりしたよ~!あ、そういえば、祥子ちゃんも葉月ちゃんも雪ちゃんも同じくま付けてる~!」
こめちゃんが指さす祥子の鞄には、ピンクのチョーカー付きのくまが。私も鞄につけているし、葉月の鞄にも黄色いチョーカー付きのくまがぶら下がっている。
「いいなぁいいなぁ!三人お揃い〜私も欲しかったなぁ…!」
「まいこ先輩のも手に入れられないか、探してみますわ!もしかしたらネットで探せばあるかもしれませんもの。見つけたら必ずお渡ししますわ。」
「本当〜?やったぁ!ありがとう、葉月ちゃん!じゃあ教室帰ろー?」
「あ、私は冬馬待ってから行くから、先に行ってて。」
みんなにそう声をかけて、一人で冬馬を待っている最中に愛ちゃん先生が寄ってきた。
「相田さん、ちょっといいかしら?」
「はい。なんですか?」
「進路のことで話があるの。HR後に面談室1に来てもらえるかしら?」
進路?どういうことだろう。
勉強に関してはなんら問題は起こしていないはずだ。
「…上林くんには、なるべくそのことを悟られないようになさい。」
ぼそっとすれ違いざまにかけられた言葉に嫌な予感しかしない。
二学期も、始まりは嵐の予感がした。
教室でHRを終えた後、愛ちゃん先生に言われたように面談室に向かおうと早々に荷物を片付ける。
「雪、この後何かあるの?」
「愛ちゃん先生に呼ばれてるんだ。今日は先に帰ってて?」
「クラス委員の仕事なら俺も手伝うよ?」
「違う違う。多分副会長の仕事だと思う。時間どのくらいかかるか分からないから先帰ってていいよ。」
「冬馬〜みんなでカラオケ行こうぜー!」
ちょうど冬馬が私に言った時に、違うクラスの弓道部の友達が冬馬を誘いに来た。
ナイスタイミングだ!えーと。確か、伊藤くん、だったか。
「ほら、せっかくだし。いっつも同じメンバーで固まってるのもあれでしょ?ね?」
「ゆきちゃ…相田さんも一緒に行かない?」
「ごめん、これから用事があるの。気持ちだけありがたく受け取っておくね。」
「じゃ、じゃあ今度は必ず!な?な?」
「ありがとう。」
にこと笑ってから席を立つ。
カラオケだと惨事になるからなるべくなら他のがいいなぁとだけ思っておく。
言われた通り面談室1に行ってパイプ椅子に座っていると、愛ちゃん先生が入ってきて使用済みの札を掛けた。
「相田さん、呼び出して悪かったわねん。」
「いえ。どういうお話でしょうか?」
「見せたいものがあってね。これよ。」
見せられたのはクラス分け表だ。
まさか、雉のハッキングがバレたんじゃ…?!
と焦ったが、それは普通のクラス分けではなく、文理選択による特別科目のクラス分け表だった。
『2-A 相田雪 医系コース』
え?
「あの、これは一体どういう…?」
「その感じだと、やはりあなたは進路を変えたわけではないのね。」
「変えてません。国立文系のままです。」
「そうよね。相田さんは確か国立文系って言ってたはずだからおかしいと思って。もし希望を変えたのだとしたら直接理由を訊きに来たのだけど。」
「一学期の進路希望表でも国立文系として提出しました。夏期課題もそれで出されています。」
はっきりと記憶にあるから、間違いない。
愛ちゃん先生は一瞬悩むような表情を見せた後、持っていたファイルから一枚の紙を取り出した。
「相田さんならワタシに一言言うだろうと思ったわ。おかしいと思ってデータ変更記録も調べてみたのだけど、そうしたらね、編纂者欄はこうなっていたわ。」
『8月31日 曽合吉住』
「校長先生…?」
その紙を受け取って呟くと、愛ちゃん先生が声を潜めて続けた。
「相田さん、ワタシがこれを検索したことは既に校長に知られているわ。打ち間違いだと思ったから直した、とそう言ったら、間違いではないと答えられたわ。」
「そんな!私はそんな申請は一度もしていません!」
「ええ。そうでしょうね。だから理由も尋ねたのよ。」
「校長先生はなんと仰ったんですか?」
「笑顔でね、『あなたもこの学校に長いですから、そろそろ他の学校に行きたいと思っているのでは?違うのならこれ以上余計なことはせず、今まで通りお過ごしになられるよう』とだけ。」
それは世で脅しと言われるものじゃないか。
「ワタシが他に言えることは。この学校が私立であり、多額の出資金と寄付金を払っている出資者の影響力が強い、ということだけよ。」
「!」
そう。君恋高校は私立だ。
そして。
地元の多額出資者になりうる人で、私の進路を裏から変更することに係わりのある人の心当たりは、一人しかない。
「ワタシにできるのはここまでだわ。…ごめんなさいね。」
悔しそうに顔を歪めているが、昨日の今日で教えてくれているだけありがたい。先生はもうほとんど答えを教えてくれている。ここから先は、私が直接向かうところだ。
そう、これはただの意地悪なんかじゃない。私への呼び出し状だ。
手の込んだことをなさるお方だ、全く。
「いえ、ありがとうございます。これだけ教えていただければ十分行動に移せるので。…特に上林くんには知られずに。くれぐれも、上林くんには内密にお願いします。」
「えぇ。承知しているわ。」
私は一礼してからそこを出た。
9月1日の活動報告に四季先生小話その1を載せました。ご興味ある方はどうぞ。