うつろいゆく気持ちと関係。(花火デート編その4)
「今度は銃口をあげろ。一番上の真ん中だ。物理的に一番弱いことくらいお前も分かるだろ。」
「う、うん。い、行きます!」
パン!の音とゴトン!と重いものが落下する音がしたのはほぼ同時だった。
ゲームの箱が無事に下に落ちたのを確認すると、太陽が祥子の背中から離れて肩が凝った、というように肩を軽く回す。
「落ちたか。ったく、どんだけここで時間食ってんだよ。時間も金もこんなにかけるもんじゃねーだろ、射的は。…?弥生?五月?どうした?」
「…相田…お前昨日あたり雷に打たれたりしたのか…?」
「死ぬだろそれ。」
「…相田くん、気づいてないんですわね…。」
「迷惑女に言われるとものすごい腹立つんだが、何がだよ?」
「太陽…すごく面倒見よくなったんだよ、女子に。」
「…特定の相手に限定される場合、面倒見がいいと言うんじゃなくて特別、と言うんだ。」
「だ、か、ら!弥生も五月も回りくどいんだよ!言いたいことがあるならはっきり言え!」
「じゃあはっきり言わせてもらいますわよ?今の祥子との姿が、特別なもの…つまり、すごくカップルっぽかったと言ってるんですわ!ねぇ祥子?」
同意を求められた祥子は手に乙女ゲームの箱を握りしめ、赤い顔をしたままいまだ硬直している。
ニブさ天下一品の太陽でも、葉月の歯に衣着せない物言いと、接着剤で止められたかのような祥子の不自然な固まり方で意味を理解したようで、
「カッ…!ばっか!!そんなんじゃね――よっ!一回で取れる物にうだうだ時間と金かけまくるからイライラして仕方なかっただけだ!!」
今更ながら頰を染めている。
なんだなんだ、いい感じじゃないか!
「太陽!!グッジョブ!!」
興奮して思わず小声で呟いてしまった。
「し、師匠の声!!」
「なんですって!?お姉様がお近くに?!」
しまった!あの子は超人的な聴覚の持ち主だった!
口を押さえて慌てて声を殺すが、時既に遅し。
「ふふふっ!お姉様の居場所をこの葉月が分からないわけありませんわ!!葉月のお姉様レーダーによれば…こっちですの!!」
ダッシュする浴衣美少女に一斉に人混みが分かれ、そして。
「お姉様〜〜〜!!!」
タックルされてぎゅうっと抱きつかれる。
「き、金魚が!金魚が潰れちゃう!」
一瞬遅かったら葉月と私の間でプレスされて儚く散るところだった命は一瞬早く冬馬に回収されかろうじて繋ぎとめられた。
「ねーちゃん!」
「ししょ〜!」
「「「女王陛下ー!!」」」
あぁ、平穏なデートは終わってしまった…。
周りから「毒物図鑑…」とか「危険生物…あの子が…」とか聞こえてとても心苦しいので場所を移動する。
その間、かなり久しぶりの再会になる葉月は私に顔を擦り付けるようにして甘えている。
「離れろっつってんだろ!!こっの迷惑女!!」
「嫌ですわ!久しぶりのお姉様との再会ですもの。貴方は毎日会ってますでしょ?今日くらい、いいじゃありませんの。ねぇ、お姉様?」
上目遣いで小首を傾げる美少女には勝てません。
私が白旗を振ったのを見て、太陽がぐぬぬぬ…と唸ってから照準を冬馬に変えた。
「あ、上林先輩、お疲れ様です。ねーちゃんを俺のところに連れて来て下さったんですよね?ご足労いただきありがとうございます。でももうお帰りいただいて大丈夫ですよ?」
「いやいや、『たまたま』だよ。『偶然』ここに通りかかって悪かったな。湾内と仲良くしてたのを邪魔して。」
にっこりと冬馬が笑ったのを見て、恥ずかしさから高まっていた太陽の怒りボルテージが簡単に上がっていく。
「あれはこいつらの勘違いと思い込みでっ!俺はそういうつもりじゃ!」
「そうか?誰が見てもあの距離感はカップルだったけどな。」
「違うって言ってムググ」
「太陽ここでは暴れないで!!周りに被害が出る!…上林先輩、お久しぶりです。せ、先輩方は何されてたんですか?」
三枝くんが太陽を後ろから羽交い締めにし、神無月くんが間に入った。
「俺?これ。」
冬馬が二匹の金魚を見せる。
「離せ五月!…はん、たったそんだけですか?」
「雪が赤と白の方、俺が黒い方をな。『番』かもって言うんで『二人で』取ったんだ。番かもしれないのに別れさせるのは可哀想だろ?」
「強調部分にそこはかとない悪意を感じますが?!」
「それは耳の問題だろうな。そうだ、俺の家で二匹とも飼うことになったから、飼い主の雪もこれまでより頻繁に俺の家に来ることになったんだ。そこのところよろしく頼むな?弟くん。」
「そんなもん行かせません!」
「責任感の強い雪が飼い主としての責任を放棄すると思う?」
「くぅ!…ふ、ふん!そのお話だと先輩は金魚のついで、ってことじゃないですか?金魚に負けるんですね。お可哀想に。」
「金魚は俺の母が世話することになったから、雪は『俺のところに来るついでに』金魚を見に来るんだってさ。な、雪?」
冬馬がいつも以上に太陽を苛めているのは、一年生ズに会ってしまった以上、これ以降のデートが邪魔されることが確定したことへの憂さ晴らしだ。終了になった原因が私であったことを忘れさせるためにも冬馬側についておこう。
「あ、うん、そう。」
「ねーちゃん!!ここで裏切りかよ!」
得意げに太陽を見下ろす冬馬。それに対して歯をむく太陽。
そんな冬馬と太陽の幼い戦いを三枝くんが物理的に、神無月くんが言葉で諌めようとしているのを離れたところで見守りながら、抱きついてくる葉月の頭をなでなですると、葉月は「きゃあぁ、お姉様ぁ♡」と満面の笑みを浮かべる。見えない尻尾がちぎれんばかりに振られている。
「お姉様っ。これっ!」
取ってこいを命じられて見事達成し「褒めて褒めて?」と言う犬のように張り切って差し出されたのは、さっき三枝くんが落としたクマのキーホルダーだ。
「お姉様とお揃いにしたかったのですわ!受け取ってくださいまし!」
「いいの?」
「もちろんですわ!お姉様のイメージだと…チョーカーの色は青、かしら?」
偶然とはいえ、冬馬のキャラ色だったことが少し嬉しい。
「それでこれは祥子に…祥子?どうかしまして?」
祥子は私たちから少し離れたところで一人で俯いていた。
「祥子?」
私の呼びかけに、黙っていた祥子がぴくっと動いて泣きそうな声を出した。
「し、師匠…。」
「どうしたの?」
「あ、あたし……あたし…。」
こちらに向ける潤んだ深い青い瞳に、切なそうに震える声。
時折ちらちらと視線を送る先には、冬馬と幼くやりあっている弟の後ろ姿。
その様子だけで言いたいことは分かる。
気づいてしまって、でもその気持ちをどうしていいのか分からない。
それでも知ってしまった以上、消せなくなった確信を持て余す。
自分も通った道だった。
くすっと笑って手招きし、項垂れたまま近寄ってきた祥子の頭も撫でてあげる。
「ん。頑張って。」
それだけ言えば、祥子は黙って私の空いている側に抱きつくと頰をすり寄せてきた。
「なんでこれを取りたかったの?」
左に葉月、右に祥子、の両手に花状態のまま乙女ゲームの箱を指して尋ねる。
「…薄々、気付いてたんです。自分が、彼…から目を離せなくなっていること。構ってくれて、嬉しいこと。怒られても、近くにいたいと思ってること。……でも、あたし、これまで一度も男の子をちゃんと好きになったことなくて……どうやって相手に自分の気持ちを伝えていいか分からないから…。それで…。」
「ヒントをもらおうとしたってこと?」
こくん、と頷く祥子。
うわぁ。私の言えたことじゃないかもしれないけど努力の方向が180度間違ってる!
「…あたし、もうここが『違う』って分かってます。だから、怖いんです。…分かってもらえるかも分からない…例え分かってもらえても…拒絶されたら…って…。そう思ったら今はまだ、このままでいたい、けど…あたし……。」
ここはゲームじゃない。だから「主人公」の役割が与えられた祥子であっても、好きな人とうまくいくとは限らない。
そんな当たり前の事実に気づいたということだろう。
「偉いね。気づいたんだね。」
「…はい。」
祥子をよしよし、としてあげながら優しく声をかける。
「…あの子も私と同レベルかそれ以上に鈍いからね。だから今はまだ、難しいかもしれない。」
黙ったまま、祥子がぎゅっと私の浴衣の裾を掴む。
「でもね、祥子の取柄はまっすぐで偽りがないことだと思うの。誰に対してもごまかしがなくて裏表がない女の子って、あの子にとってはとても新鮮なんだよね。そういう意味で祥子は『特別』な子なんだよ、太陽にとって。」
太陽は、女の子のあざとさやちょっとした下心やずるさが許せないタイプだ。例えそれが自分への好意ゆえであったとしても、他人に媚びたり、何かを狙って行動したりする計算高さを受け付けない。それらを匂わせた途端に自分の視界から弾くのを今まで何度も見てきた。終いには初めから女子を視界に入れないようになっているのも、一番身近で見ている。
そして太陽のこの徹底した女嫌いは、少しばかり計算高い女子たちから受けてきたもろもろの嫌がらせを放置してきた私のせいだ。太陽は、私が彼女たちからどういう仕打ちを受けていたかを間近で見ていたから、余計許せないのだろう。
祥子や葉月はそういう意味で「女子らしさ」がないから、これまでは受け入れられてきた。これでも大きな進歩だと思う。
その祥子が「女子」としての目線で太陽を見たら、太陽はどうするんだろうか。
根深い女子嫌いのせいで、二度と口を利かなくなる可能性は十分ある。
一方で、「女子であること」を意識して加減したりする優しさを見せたり、ああやって照れたりするときもあるから、期待も出来る。
私の目から見てもいずれに転ぶかは未知数だ。
それでも私は願う。
「祥子が怖がってまだ関係を変えたくないと思うのも分かるの。でももし、太陽との関係を進めたいと思うのなら。これからも今まで通り、自分の思ったことを真っ直ぐに伝えてあげてくれないかな。手強いと思うけど、きっと少しずつ心を開いていってくれると思うから。」
これまで女子と一緒に遊ぶことはおろか口さえ利かなかったあの子が、今、祥子と葉月を「友人」として受け入れ始めているように、「異性を好きになる」気持ちも芽吹いてほしい。
植えて直ぐに芽を出す朝顔の速さはなくても、光と水を浴びてゆっくりと目覚める木の芽のように。
「…でも…。」
「ん?どうしたの?」
「あ、あたしが今一番辛いのは…葉月が…。」
「呼びまして?」
私に抱きついてひたすら頬ずりしていた葉月を、祥子が今にも泣きそうな顔で見つめる。
「は、葉月も、相田くんが好きなんだよね?」
「…ほ?」
「さっき師匠が言ったのって葉月にも当てはまるし…大体、葉月の方が、相田くんと仲良いから…。こんなことで…気まずくなったらやだ…。せっかく仲良くなれた…友達、なのに…。」
呟く祥子をぽかん、と眺めていた葉月はそれを聞いて、くすっと小さく微笑んだ。
「そんなことありませんわ。祥子、気づいてませんの?」
「な、何に…?」
いつもはやりたい放題甘えたい放題の葉月が、珍しくお姉さんのようなたおやかな笑みを浮かべた。
「相田くんが葉月に構うのは、葉月がお姉様に絡む時だけですわ?でも祥子にはお姉様がいない時でもさっきみたいに絡んでますわ。どっちが仲良いかなんて一目瞭然じゃありませんの。」
「それは…。」
「それにですわ?忘れないでいただきたいのは」
「のは?」
友情の方が大事、とか素敵なことを言ってくれるんだろうか?!
期待して見守る私と不安げな祥子を前に、葉月がカッと目を見開いた。
「葉月が一番に愛するのはお姉様であるということですわ!相田姉弟を並べてどっちか選んでいいよと言われたらコンマ1秒悩まずにお姉様!一も二もなくお姉様!ここは譲れませんの!!」
ブレない!葉月はブレない子だったわ!
「と、いうわけで、相田くんにとって葉月はただのお邪魔虫ですし、葉月にとってもただの障害でしかない…あっても友情、ですわ。蛇足ですが、葉月にとって、五月ほどかけがいのない存在はいませんの。あ、肉親としてですわよ?…それできっと、五月とは違う気持ちで、でも同程度に強く大事に想える方が現れたら、きっとそれが葉月にとっての恋の始まりだと思っておりますの。そして葉月は相田くんにそんな感情は一切持っておりませんわ。安心してくださいまし。」
にこりと笑った葉月がピンクのチョーカーのついたクマのキーホルダーを祥子に渡す。
「祥子。葉月と祥子の関係は水魚の交わりのようなもの。その証にこれ、受け取ってくださいます?」
「葉月…。」
ぶわっと目に涙を浮かべた祥子がピンクのチョーカーのクマを受け取って握りしめる。
「うん!あたしと葉月は金魚のなんとか、ね!」
私の頭の中で黒い金魚とピンクの金魚が躍る姿が一瞬浮かぶ。
「…祥子。金魚じゃなくて、水魚の交わりよ。三国志で有名な劉備玄徳と諸葛亮孔明との切っても切れない関係のことを指した故事成語で、親密な関係のことを言うの。」
「ほ、ほほう!…えーっと、つまり、親友ってことですよね?」
「まぁそうね。それにしても、よく意味分からなくて泣けたね祥子…。」
「雰囲気とニュアンスは直感的に分かりました!こうやってあたしはこれまで乗り切って来ましたから!葉月、大好き!」
それを聞いた葉月が満面の笑顔で私と祥子をいっぺんに抱きしめた。
あぁ、友情っていい…!これぞ熱い絆ってやつね…!
「祥子にはお姉様に抱きつくことを許しますわ。だって大事な親友ですもの!」
「は…葉月が一番大事な師匠独占権をあたしにも譲ってくれるなんて…!あたしっ、心狭くてごめんっ、醜くてごめんねっ!」
「いいのですわ。愛しい方を独占したい気持ちはよく分かりますもの。」
「…はづきぃ~~!!!はづきっ、ぐすっ、うんっ。一緒に甘えようねっ!」
「もちろんですわ!」
…あれ?なんか最後に納得がいかない。
が、とりあえずおいておこう。入ったら泥沼なところには踏み込んではいけない。
人生を上手く生きていく鉄則だ。
「祥子。」
「はい、なんでしょう、師匠!」
「あくまで太陽は太陽の意思で相手を選ぶでしょう。私は手助けしか出来ない。」
「はい。」
「でも、話を聞いてあげることはできるよ。だから辛くなったらいつでもおいで。」
「ししょ〜!!」
「あぁお姉様はなんて素敵な…!是非葉月の悩みも聞いてくださいまし!お姉様を想うと胸が苦しくてっ!」
あ、なんか暑苦しい。早まったかもしれない。
「お前ら、いい加減ねーちゃんにくっつくのやめろっ!!」
にぶちん太陽が冬馬との口げんかを止めて遅ればせながらこっちを見て駆け寄ってくる。
この子に恋心が芽生えるのはまだ先になりそうだ。
それから決して私から離れようとしない葉月と祥子、そして太陽のせいで冬馬とのデートは想定通り強制終了させられ、全員で花火を観ることになる。
もちろん、場所は桃が体を張って並んで取ったベストスポットだ。三人は神無月くんからお菓子をもらって感涙にむせいでいた。
「お、お優しい…!下僕の俺ッチらに…!」
「俊のアニキ並みだ…!」
「これからは神無月さんもアニキと呼ばせていただくんす…!」
「たかがお菓子で…?安すぎなんじゃ…?」
「いいえ、神無月のアニキ!気持ちッスよ気持ち!!気持ちがこもってるッス!」
「生徒会の方はSの方が多くて…!滅多にない優しさは絶妙なスパイスです!これは神棚に飾りますね!」
「…食え。」
ぼそっと三枝くんがツッコんだ。
どんっ、ぱーん!パパパパーン!と大輪の華が夜空に開く。
夜闇を彩る花火の美しさには毎年見惚れる。
何も考えずにただその光の粒子を目で追う。小さい頃も去年も今年も、変わらず無心で光を見る。
そうやって見上げていると、隣にいた太陽が呟いた。
「ねーちゃん、花火、綺麗だな。」
「うん。」
「…花火はさ、今も昔も変わんねーよな。」
「そうだね。」
「花火は変わんねーけど、人は変わるんだよな。ねーちゃんも、…秋斗にぃも。」
太陽の言葉にはほんのわずかに寂しさが滲んでおり、今ここにいない彼のことを考えていることが分かる。それを感じ取ったのか、冬馬たちがさりげなくそこから離れてくれる。
「…元気、なの?秋斗は。」
「…うん。風邪とか全然引いてねーって。『祭り、そろそろ?』って訊いてきたから、『うん』って答えといた。」
「そう。」
出会ってから毎年欠かさず三人で見てきた花火を、彼も向こうで思い出しているのだろうか。
「太陽は」
「うん?」
「…また、今年も三人で観たかった?」
今年もその次も、秋斗が私の隣にいて、太陽が少し邪魔しながらじゃれ合う、三人で完結した世界にいたかったのだろうか。
「…そりゃ、ねーちゃんと秋斗にぃがくっつけばよかったと思うし、今でも思ってるけど。諦めてもいねーけど。…でも。」
「うん?」
「こうやって、みんなでわいわい祭り楽しんでにぎやかに花火観んのも、悪くねーって思ってる。」
「…そっか。」
「…秋斗にぃとも、きっとまた観られるよな。」
「うん。きっとじゃなくて、絶対。帰ってきたら、またみんなで観よう?今度は、先輩も、友達も、後輩も。全員で観よう?」
「…うん。楽しみにしてる。」
珍しく何の皮肉もなくにこっと笑った太陽の笑顔は、私と秋斗と手を繋いで花火を見上げていた小さい頃と変わらず無邪気なものだった。
これにて花火デート編、および第1章はおしまいです、お読みいただきありがとうございました。