カメラはどこにもありません。(遊園地デート編その6)
太陽たちが戻ってきたので、アトラクションめぐりを再開させる。
「あ、ミラーハウスだね。」
俊くんが指差した先にあるミラーハウスとは、中にたくさんの鏡が設置されていて迷路になっている屋内アトラクションだ。視界が惑わされるので普通の迷路より難しい代物になる。
「わーい!やろうやろう!」
さっきまで震えていたはずのこめちゃんはとっくの昔にいつも通りのテンションに戻り、てててっとそっちに走っていく。
「普通にやってもつまんねーからさ、タイム競争しようぜ?平均攻略時間が10分かー。やるぜぇー!!」
じゃんけんの結果、最初が俊くん、次がこめちゃんでお次が遊くん。それから私、京子、冬馬、太陽、最後に祥子の順になった。
雨くん、明美、未羽、東堂先輩は不参加を表明したので、タイムキーパーをしてもらうことになる。
最初の3人が時間をずらして入っていくのを未羽と見届ける。
「鏡って綺麗だよね。」
「そう?私は好きじゃないわ。見てイケメンが映るなら見る価値はあるけど。」
「それ鏡じゃないから。」
「自分が美形だったら鏡見るのは楽しいかもなって意味よ。」
「ねぇ未羽、知ってる?ギリシャ神話に、ナルシーって言って、泉に映った自分の姿を…」
「知ってるわよ。自分の顔なんて見たって楽しくもなんともないって言いたかっただけよ。…それにね、私、合わせ鏡って嫌いなのよ。」
「なんで?」
「あの空間に閉じ込められるような気がすんのよね。あんな狭いとこに閉じ込められるなんてじょーだんじゃないわ。私はそんな小さい枠に収まるような人間じゃないもの。」
確かに未羽の変人ぷりは常軌を逸してるから「小さい人間じゃない」という意味では間違ってはいないけど。
「未羽がそういうファンタジックなことを言うのは珍しいね。」
「ま、私もたまにはね。実際に一昨年まで、自分がゲームっていう箱に閉じ込められて出てこられないような気分だったんだもの。……ちょっとだけ怖い気もするのよ。ほんのちょっとだけだけど。」
どこか遠くを見るようにして呟く未羽の姿にはっとさせられる。
未羽にだって、怖いものはある。
未羽だって、か弱…くはないが、それでも変わった記憶を持っているだけのただの17歳の女の子だ。
そんな当たり前のことがなぜか私の頭からは簡単に抜けて落ちてしまう。
それは、「未羽」という子に、いつも我が道を行き、唯我独尊で、同時に強くてしっかりした存在でいてほしいと、心のどこかで思ってしまっているからだ。
未羽が一番弱音を吐ける存在でありたいと思った他ならぬ、この私が。
「ごめんね、未羽。…私、自分のことばっかりだ。」
「はぁ?何よ?いきなり…あぁ。上林くんに前に言ったのもあって今言ったことを気にしてるわけ?」
私が黙りこむと、未羽は大きくため息をついた。
「確かに今言ったことは嘘じゃないけど、あんたに会った去年はそんなに深刻でもなかったわよ?なんだかんだ言っても君恋の世界だもの!!あの大好きな世界で素敵な人たちのラブを!スチルを!生で!タダで!見放題なのよ?ぬふふふふっ。」
魔法薬を調合する年老いた魔女のように不気味に笑ってから、未羽はこっちを見てふっと目元を和らげた。
「…ま、そんなわけだからそんなしょぼくれた顔しないでくれる?あんたはちゃんと私に頼りなさいよ。私を支えようなんて、100万年早いのよ。」
そう言ってぐいーっと私の頬を引っ張る。
「いはいいはい!はおのはたひはわふー!(痛い痛い!顔の形変わるー!)」
「迷惑料は、いちゃラブネタの提供で勘弁してあげるわよ?もちろん、お中元お歳暮も大歓迎だから!」
それから、手加減なくぴん!と弾いてきた。
その手つきに容赦はなかった。
俊くんが7分ほど、こめちゃんが10分くらいで出てきたところで私がそこに足を踏み入れる。
暗く、鏡ばかりがキラキラした室内にいると、まるで別空間にいる気分になりそうだったが
「いってええぇ!!また頭打った!!」
とか
「ぶっ!?俺とキスすんの何度目?!俺はいつになったら女の子とキスできるんだぁぁ!!!」
という遊くんの声が反響して台無しになった。
遊くんは律儀に真横の鏡を見て歩いているようだが、ミラーハウス攻略ポイントは横を見ないことだ。下の床と鏡の境目だけを見て歩く。手を少しだけ前に出しておくと下を見ていても頭を打たない。袋小路に入っても焦らず下の繋ぎ目の分かれ目まで戻れば迷子にだってならない。
途中のどこかで遊くんを抜かしてスムーズに進み、最後のブロックを通り過ぎようとした時、突然後ろから手を取られた。
「え、冬馬!?」
「しっ。」
人差し指を口に当ててくすっと笑う彼氏が真後ろにいた。私が入って1分後に入ることになっていた人がこんな時間にここに?
「え!?冬馬の順番って京子の後だったよね?早くない?」
「雪もな。もうちょっと前で見つけられるかと思ったけど予想以上に出口ギリギリで焦った。」
「もしかして私、思った以上に時間かかっちゃった?」
5分以内…できれば4分くらいで出ようと思ったのに失敗したか!?
したり顔で攻略方法をほざいていた自分が恥ずかしいじゃないか!
「いや?俺入ってまだ3分くらいじゃないか?」
「え、それじゃあ冬馬、カップラーメンができる程度の短時間でここまで来たってことに…。」
一般人の3倍くらいの速さってどうなんですか?
さっきから叫び声を上げている遊くんが冬馬の前に入った京子に抜かれたかは分からないが、少なくとも私と冬馬の2人には抜かれたことになる。
遊くん…どれだけ苦戦してるんだ…。
「なんでそんなに急いで」
「ん?お仕置きのため?」
話ながら前に進みだしたところ、その場の鏡に軽くとん、と背中を押し付けられた。
これはもしかしなくても、聞きしに勝る「壁ドン」とやらですか…?
「こ、ここで!?さっきの?!」
「ほら、大声上げると野口や辻岡にバレるよ?」
「たっ!…タイム悪くなるよ?」
「別に俺はタイムなんてどうだっていいしな?」
手は押さえれていないけれど、両腕が顔の横にあるから抜けられない。
くぐって逃げようという一瞬の思考は至近距離で楽しそうに微笑むその笑顔に絡めとられた。
軽く両手で冬馬の胸を押すけど、まぁ意味はなくて離れてくれない。
逆に顔を寄せられてなんとか顔を逸らして目線を外すけれど顔が熱いことには変わりない。
ちょっと、運営さん!冷房効いてません!もう少し温度下げてもいいんじゃないでしょうか?
「と、冬馬…近い…。」
「わざとだよ。」
そうでしょうね!むしろわざと以外に何があるんだって!
睫が触れそうな距離まで顔を寄せられて話されるもんだから吐息がかかって全身の体温が上がる。
「な…なんなの!?ブレスケ○とかのCMとかですか…?!」
近くにいてもエチケットは完璧です!みたいなあれですよ!
「残念ながらカメラはないね。横田がいれば別だったんだろうけど。」
もう少し近寄れば唇が重なりそう、でも重ならない。
そんな微妙な位置で彼は止まってこちらを見ている。
いつもは自然に寄って、軽く触れて、すぐに離れるのに。
ここで寸止めされるのは初めてだ。
「…恥ずかしい?」
「そりゃあそうだよ!毎度のことながら、こんなのやってかっこつく人とかっこつかない人がいるんだからね!そして大多数の日本人男子は後者だからね!」
「俺も、失格?」
「っ!」
さっきの話をより正確に言うなら「ただし、よっぽど冷めてないか、現実主義でない限り恋人相手なら大抵どんな相手でも前者」、だ。
「客観的に見て数少ない後者に位置する冬馬に恋人の立場でやられる私の心臓を慮っていただきたいなと思います!」
「そう。」
やけにあっさり言うと、そのまま腕を下ろして彼は離れた。
…離れた?
あれ?キスしないの?
なんだか、とても、物足りない。
「お仕置きだからね、雪にとってマイナスにならないと。」
「う…。はい。」
「…と、思ってたんだけどな。」
「うんっ!?」
さっきより少しだけ乱暴に鏡に手を縫いとめられてかすめ取るようにキスされた。
「…物欲しそうな顔。」
は、と小さく熱っぽい息を吐いてこっちを見つめて来る。
「雪がそんな顔するとは。正直予想外だった。」
「!」
冬馬がキスしてくれなかったことがなぜだか寂しく感じてしまったなんて…!
「な、なんとはしたない子に…!」
「いいんじゃない?俺、そういう雪も好きだ。むしろそそられるよ。」
「…!うぅ!」
「それに可愛いからつい苛めたくなるんだよな。」
Sだ!間違いない!この人はドSだ!
「でもあんまり苛めると涙目になるからな。雪のその顔は他の奴には見せたくないからここで終わり。」
そう言って、もう一度軽く唇を触れさせる。
「さ、出ようか?」
にっこり笑う冬馬の顔を、私はどうしても見られなかった。
私たちが出ると、「雪が5分47秒、上林くんが4分45秒!」との明美の声がかかった。
「あれ、遅かったですね。お二人にしては。」
「まぁな。」
笑顔を見せる上機嫌な冬馬と湯気が立ちそうなくらい真っ赤な私を見て、中で大体何があったのか想像がついたらしい、雨くん、未羽、東堂先輩がにやにやしており、太陽が「こっの!」と向かおうとするのを俊くんがまぁまぁと止めていた。
そのあと、ようやく遊くんが出てきて(まるで砂漠で行き倒れた人のようにへろへろだった)、太陽と祥子が順に続いて入ったのだが、太陽はわずか3分で出てきた。先ほどのことが尾を引いているのか、一秒でも早く出て冬馬を睨みつけることに専念したいようだ。
「太陽くん、早かったな。」
「これ以上一瞬でも長く俺の目のつかないところで上林先輩とねーちゃんだけにすることに耐えられないんで。」
「おもちゃを取られて泣きそうな幼稚園児みたいな顔だね。止めるんだったら事前に止めればよかったのにな?」
「おもっ…!…あんなとこでねーちゃんが顔真っ赤にするような常識外れなことを先輩がなさるとは思わなかったんで事前には止めなかったんですよ!場所も選べないなんて見損ないました。」
「場所を選べばいいんだ?」
「だっダメです!」
あーあー。太陽、完全に冬馬に遊ばれてるな。
今日一日太陽にとっては災難だろうなぁ。
ぼーっとしていると、何やら明美がおろおろしているのが見えたのでそっちに向かう。
「どうしたの?明美。」
「京子がまだ出てきてないの!」
「太陽、途中で見かけなかった?」
「見てない。」
「迷ってるのかな。」
「辻岡さんが入ったのは相田のすぐ後だから流石に遅すぎだろう。ちょっと探してくるか。」
東堂先輩が入っていって、ふらふらした京子が東堂先輩に肩を抱えられて出てきたのはその10分後だった。
「京子?!」
これは支えている相手が東堂先輩だからじゃなくて、気分が悪いからだ。顔色がよくない。
「どうしたの?」
「申し訳ありませんわ…。私、閉所恐怖症で…。あんなに狭く感じるとは思わなくて…。」
「途中の行き止まりで倒れてたんだ。少し休んだ方がいいだろうな。」
東堂先輩が京子を座らせている。
「救護室に行くか?」
「…いえ、広いところで空気を吸っていれば大丈夫かと…。」
「そうか。」
「あの、東堂先輩。…ありがとうございます。いつも助けていただいて…。」
京子が明美に支えられながら言うと、東堂先輩は「気にすんな」と快活に笑う。
「さて、もう一人の湾内もさすがに遅すぎるな。探しに行くか。」
東堂先輩が行こうとするので、慌てて止める。
「あのっ!私行きますから、東堂先輩は京子についててもらえませんか?私なら迷いませんから。」
「いや、でもな…。」
東堂先輩が迷ったときに、京子がそっと細い手で心細そうに東堂先輩のシャツの裾を持った。
驚いたように京子を見る東堂先輩。
「あの…私からもお願いいたしますわ…。いていただけると…。」
京子が!京子が珍しく!!!
不意打ちで東堂先輩が止まった瞬間に私がダッシュして中に入る。
よく考えれば太陽にやらせればよかったのだが、まぁまた押し問答をして祥子を長いこといさせるのも悪いのでいいか。
「祥子ー?いるー?」
「しっししょううううう!!」
声を頼りにその方向に歩くと、予想通り泣きべそをかく祥子が遭難しているのを発見した。
「祥子、方向音痴だって言ってたもんね。」
「し、し、し、師匠っ。違うんですっ。」
「んー?何が?」
「ままま迷ったのだけじゃないんですっ!」
「じゃあどうしてあんなに遅かったの?」
「信じてもらえないかもしれませんがっ、あのっ、……そこに、髪の長い女の人がっ。」
「またまたー。」
「あたしっ、霊感もあるんですよぉ!そそそその人がずっとっ!!あたしのこと見ててっ!それからなんだか体が動かなくてっ!!」
必死の形相である方向を指さす祥子の様子に、ぞぞぞぞっと全身の血が逆流した気がして、私は祥子の腕を掴むとそのまま真っ直ぐに出口に向かって走った。
恥も外聞もありません!
ようやく外の光の中に出てきた時に未羽に、
「今度はなんでそんな青い顔してんの?あんたも忙しいわね。」
と突っ込まれた。
8月20日の活動報告に冬馬視点の浴衣デート小話を載せました。甘いのもう少し!という方はよろしければどうぞ。