石橋はたたいて渡れ。
神無月くんを引き連れて図書室に向かうと、
「俊くん!」
「雪さん!合宿の後、大丈夫だった!?」
心配そうな顔の俊くんが図書室のカウンターで迎えてくれた。
どうやら今日は貸出当番だったらしい。このところ私も忙しかったし、彼も生徒会に入ったせいで図書委員の仕事の割り振りは少なくなっていたから、ここで会うのは珍しい。
「うん、もう平気。熱中症だったみたい。心配かけてごめんね。」
「それならいいんだけど…。」
「俊くんは当番?」
「そう。あれ、神無月くんもいるんだ?珍しいね。」
「お久しぶりです、俊先輩。さっき生徒会室の前で鍵なくて困っているところで相田先輩に助けてもらってお会いしたんです。」
「そうだったんだ。僕、夏休みたまにここで当番だから今度困ったら僕に連絡してくれれば開けるからね。」
「ありがとうございます!」
二人が会話中にお目当ての本を探しに行く。
さっき祥子ちゃんに言われて目を通しておこうと思ったものたちだ。
「俊くん、これ貸出しお願い。」
「……雪さん、夏休みにキャンプでも行くの?」
「いや?旅行の予定は生徒会合宿しかないよ。」
「…『野営のやり方基礎編』、『毒草と薬草の見分け方』、『危険な野生生物とその対応の仕方』…そんなに危険な目に遭う予定なの?雪さん…。」
「あはは、ほら、石橋は叩いて渡れって言うし、準備しておくに越したことないでしょ?」
「念を入れ過ぎだと思うけどなぁ…。」
「まぁまぁ。あ、俊くん、当番何時まで?」
「前半だから1時まで。あと5分で交代だよ。」
「あ、じゃあ、せっかくだし一緒にご飯行こうよ!これから神無月くんと行くところだったの。」
「いいね、行こうか。」
にっこり笑って俊くんが了承してくれた。よっしゃ。これで万が一大学のノリでたかられてもお財布は二つだ!
俊くんの片付けを待って三人で学校を出た。高校生が払える金額なんてたかが知れているので、大抵はマッ○とかファミレスになりがちだけど、今日は珍しく学校近くのカレー屋さんに入ってみる。お値段はランチ700円くらいと高校生には安くないけれど、ナンお替り自由とかで男子がよく入っているのを見かけて一度入りたいと思っていたお店だ。
「こうやって後輩とご飯食べる日が来るとはねー。」
「中学の時には寄り道とかしなかったの?」
「うん、部活や塾もあったしね。」
「神無月くんは?」
「僕は中学の時しょっちゅうでしたよ。陸上部だったんで、部活で遅くなったりすることも多かったし先輩とも行ってました。」
「陸上部かぁ。部活忙しかったでしょ。それでここに上位で受かるんだからすごいなぁ。」
俊くんがにこにこすると、神無月くんは照れたように笑う。
「いや、ここでずっと上位キープしてる先輩方に言われたらお恥ずかしい限りですよ。僕なんか全然。その点、太陽はすごいですよね。中学の時から全国模試3位以内の常連だったんで名前だけなら知ってました。この辺りならてっきり天夢高校の方に行くのかと思ってましたから、入学式で名前見てびっくりしましたよ。」
「誘われたみたいだけどね。うちに来たいって言って第一希望ずっとこっちにしてたよ。」
「太陽くんは、雪さんの様子を見て君恋高校に入りたいと思ってくれたらしいんだ。入学前から僕たちと結構交流があったし、東堂先輩にも憧れてるみたいだしね。」
「天夢高校の空石雨さんも尊敬しているって聞きました。確か先輩方と天夢高校の先輩方って交流が盛んなんですよね?」
「うん。編入する期間があったから。今年もあるからきっと神無月くんたちが行かされるよ。」
「天夢高校に編入ですか!?」
「そう。生徒会が仕事の一環として行くの。向こうは進度速いし、冬馬が『こんなに頭いい人たちに囲まれたのは初めて』って言うくらい賢い人たちが集う超エリート校だから大変だよ。頑張って。」
「うわー…頑張らないとですね…。」
「あの時は大変だったね。僕は雪さんと同じクラスに編入されたんだけど、治安もよくなくて。」
「治安?あの学校って確かかなりのエリート校で学級崩壊とかなかったと思うんですけど。」
「外見の学級崩壊はなかったけど、実際は身分制度ができてたし、勉強至上主義の選民思想があったのよ。それにボス猿が女嫌いでね。」
「み、身分制度にボス猿ですか…。」
「あはは、大丈夫大丈夫、もう仲良くなったもん。話して見たら面白い人だったし。」
「今年は彼らのおかげでそんな制度も風潮もなくなってかなり変わっているはずだから大丈夫。あ、そうそう、明後日からの生徒会合宿に天夢の生徒会の人たちも参加するんだって。」
「えぇ!?そんな話聞いてないんだけど、俊くん!」
「なんかね、ドッキリだったらしいよ。兄さんから聞いた。あっちは初めての生徒会合宿だからもっと情報交換したいっていうのと、交流深めるってことでそうなったんだって。1年生の子が2人新しく入ったらしいよ。」
天夢生徒会が合流するのか…これはイベント外だ。イレギュラー要素が多い合宿になりそう。
「だから去年と同じ場所じゃないんだ。」
「そう、こっちが全学年計14人に猿くんたち3人、天夢高校の6人も入るから大人数でしょ?去年のとこだと広さが無理だったんだって。」
「あー合点がいったよー。」
運ばれてきたキーマカレーをナンにつけて食べる。うん、美味しい。
ちなみに、俊くんはホウレンソウカレーとナンとご飯で、神無月くんはチキンカレーとナンとご飯とサモサを頼んでいる。お昼の量としては多い気がするけれどそこはさすがに成長盛りの男子高校生か。
「辛いけど美味しー!あ、俊くん、ほっぺのここ、カレーついてるよ。」
「え、どこ?」
「ここ。」
自分で拭っていたが外れて埒が明かない様子だったので紙ナプキンで拭いてあげると、俊くんは恥ずかしそうに少し顔を赤くして、ありがとう雪さん、と呟いて水を飲んでいる。
そんな様子をもぐもぐとカレーを食べながら見ていた神無月くんがぼそっとやってくれた。
「俊先輩と相田先輩って、かなり仲良いですよね?そういえばその編入以外にも生徒会の元の役職も部活もクラスも全部一緒だってお聞きしましたけど、お二人で付き合おうとか思わなかったんですか?」
ぶふっ。
私は食べていたナンを吹き出しそうになったがまだ大丈夫だった。
ところが俊くんは水を飲んだところだった。
気道に入ってしまったのか、せき込みたいけれど吐き出すわけにもいかず、かといって飲み込むことも出来ず、手を拭く用の濡れタオルを口元に当ててしばらく経っても苦しそうに俯いているままだ。ごぼごぼっ、とまるで溺死しそうな音が聞こえる。気管に水を詰まらせることなんて水に顔を浸けなくてもできるので溺死は十分にありうる。
カレー屋の水を飲んでいて高校生男子溺死。という見出しが頭に浮かんだ。
こんなので死んだら恥ずかしいぞ、俊くん!
「俊くん無理せずトイレ行くでもなんでもして水を吐いて!」
「すみません、言うタイミング間違えました。俊先輩、死なないでくださいね!」
苦しむ俊くんの背中をさすってあげながら私が答えておく。
「俊くんは純然たる男友達だよ。」
その言葉にいまだ声を出せないまでも深く頷く俊くん。
「えーでも、俊先輩も結構かっこいいですよね。それにたまに見かけるときでも周りのことによく気づいてて優しいし、癒し系だし、いけると思うんですけど。」
「それは全く否定しないよ。でも彼氏彼女が絶対に欲しいって思ってなかったら、どちらかが好きにならない限り付き合うことにはならないでしょ?私が俊くんを恋愛という意味で好きになることだって可能性としてはあったと思うけど、なんでかならなかっただけ。恋愛に発展するきっかけなんて誰にも分かんないってことだよ。」
「まぁそうかもしれませんけど。でも可能性はあったんでしょう?」
「可能性だったらどの人にだってあるでしょ。いい人だなって思ったら。」
「いいかもなって思ったら好きって言うんじゃないんですか?」
ようやく回復した俊くんが口を開く。目が充血していて涙目だ。
「はぁ。苦しかった…。本気で死ぬかと思った…。」
「すみません。そこまで動揺されるとは思わなくて。」
「動揺っていうか予想外の話題で…。雪さんの言った通りだよ。そもそも雪さんの傍には秋斗くんっていう雪さんに溺愛の幼馴染がいてね、雪さんに近づく男子みんなが敵認定されてたような状態だったんだ。そこに真っ向から噛みついていったのは冬馬くん一人だけ。僕はただみんなと仲良くなりたいと思っていただけで、雪さんのことを友達として好きだと思うことはあっても、特別に恋愛っていう意味で好きって思うことはなかったよ。」
「先輩は、相田先輩にさっきみたいにされてドキドキしないんですか?」
「それはするよ!」
「…もしかして俊先輩ってちょっと鈍いですか?それ、相田先輩のこと好きだったんじゃ?」
神無月くんがしつこく追及するのに、俊くんは苦笑して首を振った。
「僕は雪さんのことは好きだよ。けれどそれはあの2人みたいに必死で追いかけたり、苦しくなったりするようなものじゃない。だから恋愛っていう意味での好きではないよ。あくまで友達なんだ。」
「そうそう。俊くんが恋愛的な意味で好いてくれているわけじゃないことは私が一番分かってるよ。私から俊くんへの気持ちも同じで、安心して色々話せる一番の男友達って意味での好き、だよ。」
「ふぅん、そんなもんですかね。まぁもう相田先輩は上林先輩の彼女ですもんね…。今更気付いたってしょうがないでしょうし。」
「気づくも気づかないもないってば。」
「そうですか?」
「なんかいやに追及してくるね。こういう話題が大好物とかそういうのなの?」
「いえ。ただそこが気になるくらいすごくいい雰囲気だったんですよ。もしどちらかが好きだったりしたら、よく今上林先輩と相田先輩が付き合ってるところで一緒にいられるなって思って。」
「…それができないから秋斗が外国に行ったんだよね…。」
呟いたところで神無月くんがはっとしたようにして、それから慌てて謝って来た。
「すみません!そうだった、失念してました…。」
「?秋斗のこと知ってるの?」
「弓道部合宿で上林先輩に話を聞きました。」
「そっか。冬馬が秋斗の話をしたんだね。」
「すみません、あんまり相田先輩にこの話題振るなって言われてたのに…。」
「いやいや、大丈夫。あんまり気を遣われ過ぎてもこっちが申し訳なくなっちゃうから。これは秋斗と私の中では解決した話なんだもの。」
とはいえなんとなく気まずくなって私がカレーに集中し始めたので、俊くんは困った顔をしてまとめてくれた。
「どっちにしても、今の僕と雪さんが、って話は冬馬くんにはしない方がいいかも。僕は友達に背中を狙われるのは嫌だ…!」
「そんな、あの上林先輩がそんなことしますか?あくまで可能性の話ですよ?お二人の話だとありえないわけですし。」
「それでも。神無月くんもいずれ分かるよ。兄さんほど過激じゃないと思うけど、冬馬くんは見かけよりずっと雪さんを独り占めしたがってるから。」
途中からは恥ずかしさのあまりひたすらカレーを食べ続けていたが、話題転換を図るべく口を開く。
「か、神無月くんは?一年で一番モテるって太陽が言ってたよ?彼女いないんだっけ?」
祥子ちゃんからは彼のことは聞いてないから分からずじまい。一応ゲームとしては太陽の競争相手なわけだ。最終的には当事者の心次第だけど情報は得たい。
「今はいませんね。中学ではいましたけど。」
おぉ。攻略対象者でも元カノがいるという設定なのか、彼は。まぁ太陽のようによっぽど女嫌いじゃなければ彼ほどの容姿で女子と付き合ったことがないというのは現実はないだろうな。冬馬や秋斗、それから雹くんと雨くんは知っているけど、そういえば会長と東堂先輩って女子と付き合ったことあるのかな?攻略対象者のその辺の個人情報は知らないなぁ。
「へぇ!どんな子どんな子?」
「え。普通の子たちですよ。」
「複数人か!やっぱりモテるぅ!何人?タイプは?きっかけは?」
はしゃいで尋ねると俊くんが苦笑してくる。
「…雪さんもそーゆーの好きだよね。」
「女子の専売でしょこれは!神無月くんは女の子に優しそうだもん。ラブラブな会話聞けるかもじゃん。」
「あー。そういう意味では期待しないでください。」
「恥ずかしがっちゃって!」
「そうじゃないんです。…僕、確かに中1の時から彼女いましたけど、全部向こうから告白されて、大体向こうから別れを告げられてるんです。」
「え、どうして?」
「僕としては付き合ってる時に優しくしてた…つもりなんですけど、冷たいって言われました。あの時はわからなかったけど、今はその通りだなと思います。」
「どういうこと?」
「僕、当時、彼女たちのことを本当に好きかって訊かれたら頷けませんでした。向こうから言われたから付き合う、ってまぁそういう言い方だと失礼ですけど、そんな感じでしたから。そりゃ、好きか嫌いかで訊かれたら好きですけど、恋してたかって言われると違う気がします。だから自然と部活や自分のことを優先しちゃって、『思ってたより冷たい!』って捨て台詞言われたりしました。」
「あーその子たちの気持ち分かるなー。」
「え?雪さん、どういう意味?」
「えー。相手が全然好きだって思ってないのにずっとこっちが想い続けるってしんどい」
あ、あかん。つい前世の記憶が。現世で付き合ったのは冬馬が初めてだった。二人がきょとん、とした顔をしている。
「…と思うんだよね、女子としては。」
「あぁそうかもね。」
「はい。だから最後の彼女には他に好きな人が出来たわけでもないけれど、こっちから別れてほしいと言いました。」
なるほどね。それで高校入学してから主人公との本当な恋に目覚める系か。だけどこの程度はよくある話で二股してたわけではない彼は背徳どころか普通の子だ。こんなものが背徳なら、雨くんは犯罪と言ってもいいことをしていたと言える。雨くんのあれも「設定」で予定されているのに「背徳」でないんだからゲームだってこの程度を「背徳」だと思っているわけではないのは間違いない。一体何が背徳なんだろう?
「だから僕、次は自分から好きになった人に自分から告白するつもりでそれまでは断ってるんですよ。」
「見つかるといいね、好きな人。」
俊くんが神無月くんに笑いかけると、神無月くんも俊くんに微笑み返した。
「俊先輩が女の子だったら結構本気で惚れたかもしれないです。」
神無月くんの言葉に去年ウサギさんコスプレをさせられた俊くんが真剣な顔で強調した。
「僕は男だからね。そこのところ絶対に間違えないでね。」
「分かってますよ、例えばの話です。」
こらこら、そこの二人。今の会話が腐ったおねーさま方に聞かれたら永遠にめくるめく官能の世界を広げられてしまうぞ。
…もしや、彼は男の子好きって可能性って意味で背徳だったりして…?
いやでもそれは乙女ゲームにはないよね。
…だけど、元が男の子好きなのに主人公だけにはときめいちゃうとかそういう感じだったりして。…これは否定できない。
腐ったおねー様方に近い勝手な妄想で疑惑を膨らませてじぃっと神無月くんを見ると、彼に「どうしましたか?」とひどく真っ当なことを訊かれてしまい、慌てて首を振って「なんでもない!」と答えることになった。
家に帰り、借りてきた本を捲っていると、部屋のノック音がする。ドアを開けると弟が立っていた。
「太陽?どうしたの?」
「今日は暑い中弁当持ってきてくれてありがとな。」
「それは全然。そのためだけにわざわざ?」
「いや…まぁこっちは。ねーちゃんの準備終わってるみたいだしいいや。」
既に服などは詰め終わったコロコロを部屋の中に見つけてそのまま行こうとする。
「待て。自己完結するな。話はちゃんと分かるようにしなさいよ。」
私に止められた太陽が部屋のドアに寄りかかりながら腕組みをして答えてくれた。
「…会計でなんか持って行かなきゃいけないものあるならこっちのバッグに入れようかって言おうと思ったんだ。女子の方が荷物多いもんなんだろ?」
「一般的にはね。でもまぁ私、化粧道具とかないし大丈夫。ありがと。」
下着(上)やドライヤー、化粧道具その他もろもろがある点で女子の方が多くなるのが普通だが、私は化粧をしないので化粧道具を持っていないし、髪もストレートが幸いして整髪料などを持っていかないと収まらないということはない。
しかし太陽、こーゆーとこにはちゃんと気づく子だから、好きな子出来たらポイント高いのになぁ。女嫌いがつくづく惜しい。
「ねーちゃんは化粧する必要ねーもんな。」
「私に限らず肌綺麗な高校生の年頃なら化粧なんていらないと思うんだよ。歳とったら逆にしないといけなくなるんだから今の段階なんて。そのうち鬱陶しいと思い始めるだけなのにね。」
「まるで経験あるみたいな話し方じゃね?」
おぅっ!!今日は色々やらかしてしまっている!
「そ、そうそう!今日は神無月くんと話したんだよ。で恋愛トークになったんだけど、神無月くんは中学の時は付き合ってたんだねー。今はいないらしいけど。」
「好きだとも思ってねーのに付き合うよりマシだろ。それでもあいつは残酷だと思うけどな。付き合う気がねーなら期待もさせるべきじゃねーと思うから。」
「…太陽。あんたかっこいいね。それちゃんと外に出せばモテるよ。」
「そんなことしなくても向こうから来るんだよめんどくせぇ。」
「実は優しくすると照れちゃうからしないだけ、とかもあるんじゃないの?」
「っ!うっせーなー!」
太陽が照れて赤くなるなんて珍しい。特に私にはともかく、女子にはツン90%みたいだから普段ツンツンな分デレになると威力は何倍にもなる。
「太陽、あんた結構女子の萌えポイントついてると思うわ。」
「あーもー!!ねーちゃんのばか!」
そう言って少し顔を赤くした太陽はドアを少しだけ乱暴に閉めて出ていった。
次話から生徒会合宿編です。
7月12日の活動報告に太陽小話を載せました。秋斗との小話です。興味のある方はどうぞ。