主人公は先輩後輩ともにワイルド。
落ち着こう。事態が急に進み過ぎて整理が追い付けていないぞ。
「冷静に状況を整理しようか。私があなたの申し出を断ったのは、自分の主義もあるけど、このゲームのエンドが『本当の気持ち』によって決められることに気付いたからだよ。太陽も湾内さんも今お互いにまるで興味がないから、悪くすれば告白時点でゲームが終わって、好感度が足りない太陽は退学エンド一直線の可能性があるよね。私は弟を守りたくてそれを防いだだけで、お人よしでも聖人君子でもないよ。」
「いいんです!」
よくないだろ。
「あたしが知りたかったのは、師匠がどういう人柄か、ということだけですから!この世界のイベントを利用して周りを騙す女なら許せない、と思っていましたが、逆だったなんて!よくよく思い出せば師匠はあたしにちゃんと伝えようとしてくれていたのに…自分が恥ずかしいです…。」
そこでもじもじしないでおくれ。とても反応に困るぞ。
そうじゃなくてもあなた、可愛いんだから。そうやってると男子なんかイチコロだよきっと。この子、もしや天然?
「あのさ湾内さん、あなた…。」
「はい!なんでしょうか?何でも訊いてくださいっ!」
湾内さんがキラキラした目で見つめて来る。
うっ。可愛い…待て待て私。
曲がりなりにもこの子は初対面の時、日曜日の朝早くに30分くらいでやるヒーローアニメの前半で大暴れしている怪獣を見る目で私を見てきた子だ。それからだって何度も疑り深い目を向けられていたじゃないの。わざと狙って甘えて来るほど頭の回るタイプの子じゃないとは思うけど、さすがにほいほいと信用していい相手じゃない。
未羽には口が酸っぱくなるほど「あんたはカルピス原液にガムシロップを10個入れたのと同じくらい他人に甘いんだからね?自覚しないとそのうち泣くわよ。」と言われているじゃないの。
今の状態の彼女に何か訊くより、これから彼女を自分の目で見て分析した方が生産的だ。
「…いや、やっぱりいいわ。ごめんなさい。私、あなたのことを今すぐ信用することはできないから…。だからそういう目で見られても困るって言うか…どっちにしても師匠呼びは…」
「ま、まぁそうですよね…。それは仕方のないことです。あたしが自分で認めてもらえるように頑張ります。」
しゅん、と項垂れた姿を少し可哀想にも思ってしまう。
「そ、それより、私に相談したいことって何なの?冬馬に伝言したでしょ?」
話を切り替えれば彼女ははっとしたように顔を上げて私の手を握った。
「そのことなんです!訊いてくださったということは…?」
「…まぁその。危ないことが起こりそうなのに、見過ごすのは性に合わないのよ。…私ができる範囲のことしかしないけれど。」
「問題ないです。師匠がいてくださればきっと百人力ですね!」
なんだその変わり身の速さは。私の存在への信用性が180度変わってるぞ。ついこないだまで私が何を言っても耳に膜どころか壁を張っていたじゃないの。
「師匠は第3弾をプレイしたことがありますか?」
「ないよ。」
正確には第2弾ですらプレイしたことはない。しかし未羽が「今後主人公と接触することがあっても、主人公に手の内を明かしちゃだめ、あんたがプレイしたことないことは伏せなさい。あんたが知っていたことにして、私のことは言わないように。」と昨日言っていたので第2弾をプレイしたことがないことは伝えられない。軍師の言うことは絶対だ。未羽が軍師だとしたら私はって?しがない歩兵ですよ。
「そうですか…じゃあ、今年何が起こるかってことはあたししか知らないってことですね。正確には、あたしと三枝くんですが、三枝くんは前世の妹さんからの又聞きで細かいところは知らないそうなので。」
「三枝くんも…。」
「転生者です。」
彼が転生者であることは未羽の盗聴で知っているけど、こういうところでボロを出すわけにはいかない。
湾内さんは少し地面に目を落としてから話し出す。
「あたしは前世で第2弾もプレイしていますが、第2弾よりも第3弾の方が元の設定のイベント自体が過激なんです。」
「過激、というと?」
「怪我や命の危険に係わるイベントが多いということです。ゲームでは攻略対象者が助けてくれますし、イベントはどういう結果…つまり好感度が上がるにせよ下がるにせよ、乗り切れることが確約されていますよね。…でもここが現実なんだとしたら…あたし一人で対応し切れるか、全く分からないんです…。体育祭での師匠の怪我を見て余計に恐ろしくなりました。あんなの、もし師匠が庇ってくださらなかったらもっと大事になってた…。」
やっぱり気のせいじゃなかったか。今年のこの世界は、去年よりも危険だ。
それから彼女はぎゅっと拳を固めて地面を睨みつけている。
「あたし…この世界に転生して君恋の世界だって気付いて、危険なイベントのことも全部思い出したんです。あれが現実に起こったらって思いました。1学期に危険なイベントを引き起こすのは大抵悪役です。だから三枝葉月と…それから悪役の危険性という意味ではもっと危ないだろう『相田雪』がいることに気付いて、この人たちから目を離しちゃいけないって思って監視することに決めたんです。」
ゲームの「相田雪」ってどんだけひどかったんだろう…聞くたびにいい話が1個も出ないんだけどなぁ。悪役ってそんなもんなのか。
「三枝葉月は、なんというか…。全く違ったんです。」
「違った?」
「はい。彼女は攻略対象者にも全く興味もなさそうだし…それになにより、性格が全然違うんですよ。ゲームではもっと暗くておどおどしていて陰気なんです。攻略対象者への好意をひた隠しにして、でもそれが重すぎるほどに膨れ上がってそれで主人公に嫉妬する子で。…なのに現実の三枝葉月は明るくてまっすぐで好意をはっきりと示す面白い子だったんです。」
「まぁ確かに葉月は面白い子だよね…。」
好意の示し方なんて素っ裸でお天道様の下を歩いているくらいあからさまな子だ。
「だからあの子が転生者なのかって思ったんですけど、でも三枝葉月は転生者じゃなかったんです。きっと兄の三枝五月が小さい頃から彼女の性格が曲がらないようにしたんだろうって思いました。だったら、危険なのは『相田雪』だと思って。去年は新田秋斗先輩と上林冬馬先輩の二人を手玉にとって、東堂先輩や四季先生たちにも囲まれてたって話を聞いたんで、これは間違いなく転生者でこいつこそが悪いやつだ!って思っちゃったんです。」
どうやら彼女は私の暗黒時代の話を聞いたようだ。
「でも違いました。師匠は師匠で!あの『相田雪』とは全くの別人、むしろ反対側にいるような人でした!そんな師匠は、危険なイベントを防ごうと思ってるんですよね?」
湾内さんはそこで顔を上げると必死な表情で私の手を強く握る。
「もし、もし師匠が…いいと言ってくださるのなら、この危険なイベントからこの世界の人を守る手伝いをしてもらえませんか?あたし一人の手に負えなくなっていることは分かっているんです…!」
未羽の警戒段階が上がっているのは危険度が上がっているせいか。そして私に言わなかったのは…私がそれを言われたら余計にそのイベントを防ごうとすることがわかっていたからだ。
あの子を責めることはできない。
でも甘んじて守られているつもりもないよ、未羽。
「怪我が起こりやすくなるというなら、それを防ぐように働くこともやぶさかではないよ。」
私の返事に彼女はぱぁっと顔を明るくさせる。
「本当ですか!?」
「女に二言はありません。ただ…私はこれから起こることを知らない。去年は知っていたから対策も心構えもできたのだけど…。」
「ならば今からお話します。でも…本当に?危ないですよ。」
「誰に向かって言ってるの?」
「え?」
「私は去年補正主人公にされたのよ。危険なイベントも切り抜けてきた。そういう意味でもあなたの先輩だから。」
そう言うと、湾内さんはきらきらっとこれ以上なく目を輝かせて、かっこいい…!と呟いてくる。葉月とは違うはずなのにその強さが同じ気がするのはなぜだろう。
彼女はごほん、と咳払いをしてから表情を真面目なものに戻した。
「お願いがあるんです。」
「なに?」
「これから概要をお話しますが、これは師匠のお心だけに留めておいてほしいんです。上林先輩にも伝えない方がいいかと。」
「それはなぜ?冬馬はもうこの世界のことを知っているし、彼は有能だよ?」
今日はここでこの子と会うとは思っていなかったし、そもそも家にいる予定だったから盗聴機(既に私が了承しているから盗聴と言えるかは謎だが)を持ってきていない。つまり、私が黙っていれば冬馬どころか未羽すら知らない情報となる。
「これからお話する内容は、夏及び2学期以降、ゲームで起こることが予定されている危険なイベントです。あたしは個別ルートは隠しキャラまで全部やったので、当然攻略対象者としての上林先輩の過去の詳細も知っています。本人ですら知らないこともゲームでは明らかにされます。」
「え…!?」
「でも攻略対象者の過去は本人のプライバシーだと思うので、あまり明らかにしたくないんです。攻略対象者たちにはそれぞれ特異な過去や事情があって…本人に伝えるのはどうかと思うので、なるべく伝えたくもないんです。それはあたしが『主人公』として守るべき当然かつ絶対のルールだと思っています。だから危険なイベントに関わらない限りお話しません。…ですが、上林先輩に関することはそれに関わらない事実もお伝えします。これが、あたしが師匠にお見せする信頼の証のつもりです。あたしがちゃんと見た師匠は上林先輩のことを真剣に考えて彼のために動かれる方だと思うからです。…どうしますか?お聞きになりますか?」
ゲーム補正がかからない過去は現実に起こっている可能性が高い。冬馬自身も知らない、冬馬の過去を知る。それは冬馬のプライバシーを侵害することだ。
それを単なる彼女という身で知っていいのか迷う。
でも、もしそれを知ったら、冬馬がこれから受ける痛みを少しでも減らしてあげることができるのかもしれない。
それならば。
やはり聞きたい。
「聞くわ。教えて。」
「…というのが私が知っている全部です。」
長いようで、イベントという形でまとめられると短い気がする。
「…はぁ。」
「師匠?どうかされましたか?」
ふつふつと怒りが湧き上がるのをこらえたせいで少し返答が遅れてしまった。
「ごめん。…つくづくゲームって腹立つわ。ゲームだから許されるだけで、現実で起こったらどれだけ大変か…。人の想いも努力もゲームだからって言葉でひっくり返されたらたまらないわね。」
「師匠…。」
「まぁ、私はそんなことにならないようにこれからみんなを守っていくよ。覚悟はもうできてるもの。教えてくれてありがとうね。…祥子ちゃん。生徒会では頑張りましょう。」
「し、師匠!!」
そう言って抱きついてくる彼女。敵認定した時は歯を見せて唸っていたのに、今は尻尾をぶんぶん振って甘える犬のように見える。
あれ。私の周りって犬系の人間が多い気がする。
「師匠、連絡先を教えてください。今日の話は概要です。また詳細は適宜ご連絡します。」
「分かった。今日話してくれたことは大体覚えたけど。」
「今の話だけでですか?」
「概要はストーリーだもん。冬馬なんて祥子ちゃんの伝言を一言一句間違えずに伝えてきたよ。」
「噂通りのハイスペックですね…。」
「でしょ?きっと生徒会で仕事してたら分かるよ。私は精神的にも一番幼いし、助けられてばかりだから。」
ラインのアカウントを交換してから、ふと気づく。
「祥子ちゃん、その格好。今日確か午前練なのよね?」
言った瞬間、彼女の顔からさぁああああっと血が引いていくのが見えた。顔が白くなっている。
「い、今…何時ですか…?」
「んーと。12時半?」
「け、稽古時間終わったぁ!!!!さぼっちゃったぁ!!!!」
あーやっぱりこの子は、見えなくなるタイプなんだなぁ。
「あああああああたしっ!行かないとっ!」
「あ、その格好で走ったらこけちゃうから!あとトラップに気を付けて!」
「どどどどどうやってそんなの気を付けるんですかぁ!?」
「直感!」
「なるほどです!」
言った彼女は本当に直感だけでトラップをすり抜けていく。
なんという野生児だろう。わずかでも四季先生にわけてあげたい。
彼女を見送ってから少しだけ思考を進ませる。
それにしても、あの子にとってルート選択は本当にどうでもよかったのかな。
彼女を見た期間は短い。
それでも、彼女が正義感が人一倍強い子でいい意味でも悪い意味でも突っ走ってしまうタイプであることはおそらく間違ってない。そうじゃなきゃ攻略対象者やその周りの人たちがイベントで危険な目に遭うことを防ごうと頑張ったりはしない。
そんな彼女が罪のない一般市民が不合理に学校を追い出されることについてなんとも思わなかったとは思い難いんだけどな。
もしかして太陽があまりにもぶっきらぼうで完全に嫌われちゃって、「こんなやつ退学になっても仕方ない」と思われていたとかか…?
それだと大変まずいのだが、生徒会室での顔合わせの様子からだとそこまで険悪な様子はなかった。
なんだろう、もやもやする。
現実の湾内祥子という子を見ると、今私が持っている全ての知識…特にゲームの進行情報にどこかかみ合わないような違和感がある気がする。なにかがおかしい。私は何か前提を間違えているのだろうか。
上がった気温でじんわりと汗が浮かび、それが背中を伝っていく。
暑い。
まぁゲームの現状把握はおいおいやっていこう。
まずは現状を喜ぶべきだ。
彼女が私に敵意を持っている状態が続けば太陽があの子に好意を持つことはありえなかったけれど、私に一定の好意(度が過ぎると葉月のようになる)を示してくれている状態なら好意を持つ可能性も千分の一くらいならある。それから逆にこれから生徒会で一緒に仕事をしていくわけだし、クラス委員も一緒にやってるみたいだから、あの子が自然に太陽を好きになってくれる可能性もあるわけだ。
どっちにせよ、事態は好転したんだから。
祥子ちゃんと別れた後は、生徒会室に向かった。合宿で使う予定のノートを一冊荷物にいれるのを忘れてしまったからそれを回収しに来たのだが、生徒会室の前には先客がいた。
「あれ?神無月くん?」
「あ、相田先輩。助かりました!生徒会室を開けていただけませんか?」
「それは構わないけど、どうしてここに?」
「海月会長から借りていたこれまでの資料に目を通し終わったので返したいんです。あんまり外部に持ち出さない方がいいと言われたので置いていこうと思って。」
「おー真面目だねぇ。」
「太陽だったら多分その場で目を通せば頭に入ると思うんですけど、僕はそこまで記憶力良くないんで。」
私が生徒会室の鍵を開ける間、隣で苦笑する神無月くん。
「太陽は瞬間記憶能力持っているんじゃないかってくらい暗記得意だから比べる方が間違ってるよ。神無月くんは評判を聞くに十分ハイスペックだと思うけどね。」
がちゃ、と生徒会室を開けると、閉め切っていた室内からはもわっと暑い空気が流れて来る。
「うわぁ。あっつい。」
神無月くんはノートを抱えたまま右腕で額の汗を拭っている。
私は猿が整理してくれた書類棚に案内してお目当ての会計ノートを手に取る。
「あ、そっちが生徒会長関連の物ね。…神無月くんはえーっと。弓道部なんだっけ。じゃあ今日は稽古があったんじゃない?」
「そうです。午前練でした。途中から湾内が帰って来なくて責任者の副部長が焦ってました。腹とか下してたんですかね?」
それは間違いなく私と話していたからだが、言っても仕方ないので苦笑しておく。
「相田先輩はどうして夏休みにわざわざ学校に?」
「太陽が部活の練習日なんだけど、お弁当置いてっちゃってね。届けに来たの。…あ、アブラゼミだ。」
窓の外のところでアブラゼミがひっくり返ってじたばたしているので窓を開け、手に取る。
「!!!あ、相田先輩っ!!それっ!虫っ!!!」
「え?アブラゼミでしょ?」
掴まれたときに怒ってじぃじぃ五月蠅く鳴いたが、既に諦めたのか静かになっている。
「ほら、お逃げっと!」
それを思い切り宙に放ってやるとアブラゼミは高く太陽に向けて空に飛び立っていく。
「まだ死にかけじゃなくてよかったねー…って、あれ?神無月くん?」
神無月くんは信じられない、という顔でこっちを見ている。
「せ、先輩、虫、平気なんですか?」
「うん、まぁ。いきなり来られたらびっくりする程度。」
「足が8本以上あったら気持ち悪くないですか!?」
「えーそりゃあ触りたくないとは思うけど、いるなぁ。ぐらいかな。」
「部屋に出たら、思わず殺虫剤とか持ってきませんか?」
「いや、逃がしてやるよ?」
「え…!?」
「昔、芥川龍之介の蜘蛛の糸を読んで以来、クモを殺すの忍びなくなってねー。虫全般、基本的には平気だよ。」
「それは僕も読みましたけどそんな気持ちにはならないですよ!よっぽどの理由がないと!宗教とかですか、それとも博愛主義ですか!?」
「いや私は桜井先輩じゃないから特別博愛主義とかじゃないよ。Gとかその他種別によっては生理的に無理。夜中に出たら24時間営業の薬局とかでホウ酸サンゴとか殺虫スプレー買ってこないと気が済まないくらいには嫌。始末しないと気になって仕方ない。」
「…そこは極端なんですね。哀れみとかないんですか?」
「Gの宿命だと思うから哀れみは感じないよ。むしろ生まれてきたことを後悔してほしい。」
「えらい違いですね…。アブラゼミもそれと一緒ですよ。手でっ!素手でなんてっ!!」
「えーアブラゼミは違うよ。害ないし、毒ないし。」
「…Gも毒はないんじゃ?」
「Gは精神的猛毒を持っています。まぁ結局は主観なんだろうけど…。うん分かったから。そんなにばい菌を見る目で凝視しなくても手は洗うから!ちょっと待ってて。あ、鍵これで閉めといてくれる?」
鍵を渡し、トイレまで手を洗いに行って戻ると、神無月くんはちょっと引き気味で待っていた。どうやらよっぽど嫌いらしい。
「女子が虫平気って、引く?」
くすっと笑って聞くと、
「女子限定じゃなくて男女問わず、ですね。虫は苦手です。」
と返してくる。それから自分の反応が過剰だったと気づいたのか、ぽつりと付け加えてきた。
「…僕、年上の従兄弟がいるんですけど。その人と小さい頃は虫取りとかもしてたんです。」
「へぇ。それまでは平気だったんだ?」
「でも小学校4年くらいだったかな?その時に、その従兄弟が夏に虫を取って、虫かごがなかったらしくて、近くにあった密閉できるものにいれたんですよ、虫。…それ、僕の筆箱だったんです。」
「それは…。」
「その時の僕は考えなしで。よくよく耳を澄ませば筆箱から物音がしたのに…何も気づかないままに筆箱を開けたら、いろんな種類の虫がわんさか出てきて。特にセミが。…僕、泣き叫んで気絶しました。それ以来虫がめっきりダメになっちゃって。当時はその時のこと夢で見てうなされて起きたり、デフォルメされた虫の絵ですら僕を脅してるように見えたりするくらい完全にトラウマになりました。従兄弟なんか僕をいまだにあれで脅しますよ。今でも動かなければまだいいんですが、動く虫を見ると怖気が走ります。だからつい…」
「あっはっはっは!!!」
「…先輩、笑いすぎです。」
そりゃあもうご愁傷様だけど、今、これだけ女性を虜にしまくっている彼が「こんにちは!」とか言ってるテントウムシの絵にすら怯えて飛び上がっていたと知ったらどう思うだろう。
「あははは、はは、ご、ごめん。実際にそれ体験したら冗談じゃないね!でもつい…。太陽にね、神無月くんは女の子にモテモテで、とかいう話聞いてたから、虫に怯えて過剰に反応する神無月くんの姿はあんまりにも意外で。」
「僕の方こそ意外でしたよ。」
「んー?何が?」
「相田先輩って、こういう話したら『可哀想…』とか『それは辛かったね。』とか言う優等生タイプかと思ってましたから、まさか笑い飛ばされるとは思いませんでしたよ。それにそういう風に大口開けて笑ったりしないもんかと思ってました。」
「ふふ、人をそんなカテゴリカルに分けないでよ。普通に笑うし、結構アホなこともしているよ。先輩方や友達にどれだけ化けの皮剥がされているか!あ、まぁお互い様なんだけどね。」
「?どういうことですか?」
「太陽は私よりかなり冷静で合理的だけど、冬馬にはあんなに子供っぽく噛みついているし、私や秋斗っていう私の幼馴染にはすごく甘えるし。桜井先輩とか、いい加減でチャラチャラした人に見えるけど、実はすごく敏くて大人な人だし。冬馬だって。」
「上林先輩?」
「あ、神無月くんは冬馬に憧れているからあんまり想像つかないかもだけど。」
「な、なんでそれを!?」
「え、むしろ隠せてると思っていたの?みんな気づいているよ。…彼だって、秋斗相手にはすごく子供っぽかったり意地っ張りだったりするしみんないろんな面を持ってるよ。これから活動していくうえで分かるから、楽しみにすればいいんじゃないかな。」
にこっと神無月くんに笑いかける。
ここを単なる仕事の場と考えずに気に入ってもらいたい。
私が最初よりずっとこの生徒会が好きで、なくてはならないものになっているように。
「そ、そうですか…そうだ!先輩。もう昼飯食べました?」
「いや、まだ。」
「じゃあこれから食べに行きませんか?」
「たかるつもりー?」
このノリは大学の男の子の後輩でよくある感じだ。
「いやいやそう言うつもりじゃないんですけどっ!」
「冗談よ。でもこの後ちょっと図書室寄りたいからそれからでいい?」
「はい、大丈夫です。」