変えるのではなく、作るもの。(茶道部合宿編その5)
それからのことはあまり覚えていない。俊くんがいきなり動けなくなった私の異変に気づいて未羽を呼んでくれて未羽にすがったこと、他のみんなも慌てて来てくれたけど何の理由も説明できなかったこと、試合が終わってから私の様子がおかしいことを聞いた太陽が血相変えて来てくれたこと、その太陽に支えられるようにして愛ちゃん先生の家に戻ったこと。
何もかもが夢の中みたい。
あれ、これは現実?夢?
もしかして、私は長い夢を見てるのかな。そうだよね、そんなに簡単に死ぬような目に遭うわけないし。それにしては長い夢だなぁ。自分がハイスペックに憧れる傾向があるのは知ってたけど、まさか恋愛にまでこんなに興味あったなんてね。夢かぁ、そっかぁ。みんな素敵な人たちばかりだったのに、もう覚めちゃうのかな。未羽にも太陽にも冬馬にも秋斗にも、これが覚めたら会えない?…それは寂しいなぁ。またこの夢を見たいな。見たい夢を見る装置とか出来ないかな…。
「雪…!雪!!」
未羽の茶色い目がこっちを覗き込んでいる。
「え、私。えっと、ええと?」
「ようやく気付いたか。目ぇ覚めた?」
「ここ…ゆ、夢じゃ、ない?」
「この横田未羽様の存在を夢オチで片付けないでくれる?そんな軽い終わり方冗談じゃない。胸くそ悪いわ。」
未羽が腕を組んで睨みつけて来る空気が重い。
未羽の口が悪すぎるのは大分心配させてしまったからのようだ。よし、ここはかの有名なセリフで空気を和ませて…
「ココはドコワタシは」
「まだ目が覚めてないみたいならフルパワーで往復ビンタ食らわせてあげるけれど?」
あ、未羽の目が笑ってない。このままだと本気でおたふくにされてしまう!
「すみません。えっと、ここは愛ちゃん先生の家だよね?」
「そうよ。今日は合宿最終日の4日目。これから帰り支度するとこよ。あんた、昨日の昼、太陽くんたちのサッカーの試合観に行って、トイレ行った後ずっとぼうっと放心してたの。意識はあるはずなのに何言ってもぼんやりした返事しかしなくてね。みんなすごく心配してるし、太陽くんなんか半狂乱になってたんだから。一緒にいた俊くんの話だと、ケータイ見る前は普通だったっていうから原因はそれなのよね?」
「…そう、そうなの!未羽!助けて!」
「どうしたの?何があったの?」
「ケータイのロック、解除してなかったの?原因分かってたなら見てると思ったのに。」
「あんたのことだから上林くんの誕生日かあんたの誕生日、または秋斗くんの誕生日だろうと思ったのに、どれでも開かないし。開けられなかったのよ。」
「未羽の誕生日だよ?」
「は?」
「0818。未羽の誕生日にしてる。」
「…ばっか、あんたそこは普通、彼氏の誕生日とかでしょうよ?」
「ごめん。前から変えてないから。未羽見てたし知ってると思ってた。」
「あーもう!もういいわよ!それで?何があったの?」
「…冬馬が、乙女ゲームや転生のことを訊いてきた。」
私の言葉に未羽が顔色を変える。
「…くっそ。そっか、あの主人公。そう来たか。現実突きつけるのが一番『覚醒させる』のには効果的だものね。私としたことが。」
「でもこれは予想してても防げなかったし。それはもういいんだ。…でも未羽、怖いんだ。冬馬が知っちゃった…。どうしよう…。」
「選択肢は2つね。とぼけ倒すか、真実を話すか。どうすんの?」
「とぼけるのは無理があると思う。あまりにも去年あったことと似てたって書いてたし、多分湾内さんが第2弾の概要を話したんじゃないかな。あの冬馬が考えたうえで私に連絡してきたくらいだから、ゲームのシナリオをそれなりに話したんじゃないかと思うの。去年いなかった一年生が、一般人が知り得ない私たちの過去を事細かに知っているのはおかしいでしょ?」
「だったら、言うしかないわね。」
「うん…。」
冬馬にゲームのことを伝える、のか。
「言っても、上林くんならあんたへの気持ち変わらないと思うわよ?」
この子も私の表情を見て言いにくいことを先回りしてフォローしてくれることが多い。
きっと私は顔に表情が出やすいんだろうな。どうして嫌がらせをする人たちには私の気持ちが伝わらないのにこんな時には簡単に伝わってしまうのかな。
「…どうだろう。そう、思いたいんだけど…。」
「夢城愛佳が桜井先輩に話したか分からないけど、話してたとしてもあの人は受け入れたでしょ?それと同じよ。」
「でも!それは桜井先輩が攻略対象者なんて立場にないからで…。攻略対象者の冬馬はもともと主人公に恋愛感情を持つように設定されてる、んだよ?…途中からゲーム補正で私が主人公になったんだとしたら…冬馬の感情は、ゲームのためかもしれないって思うかも。それに、私の行動は実は攻略しようとしてたんだって、思われるかも…。と、冬馬の好きなようにわざと動いてたんだって思われるかも。」
未羽はうーむと唸ってから答える。
「どうだろうねそれは。大体あんたがゲームに主人公認定された時点が不明確じゃない。」
「私は始めから攻略対象者に絡まれてたんだよ?!」
「でも出会いは悪役設定の出会いをしてたりするでしょ?」
「それは…そうだけど。そんなこと冬馬は知らないよ。私が説明するのも言い訳がましいし。」
「それだけじゃないわよ。大体、あんたには正確なゲーム知識はないでしょ。私があんたに話してる部分とあえて話してない部分があるからね。他の攻略対象者のゲームエンドとか知らないでしょ?あんたが知っていたのは、近い未来に起こるであろうことと、攻略対象者の元の性格設定だけよ。それにあんた、攻略対象者から逃げ回ってたでしょーが。上林くんや秋斗くんの告白だって断ってたじゃないの。」
「それもそうなんだけど。…あのね、怖いのは私への冬馬の気持ちだけじゃないんだ。」
「どういうこと?」
「冬馬…もし湾内さんから全部聞いたんだとしたら。自分が攻略対象者として、恋愛用に作られたキャラだって知るってことだよね。つまり、性格設定や環境作りとして自分の生活も能力もプロデュースされたってことを知るわけだよね。…冬馬の過去、色々辛いことあって、それを乗り越えるために冬馬は必死で努力してきて…でもそれが全部元々予定されていたもので、冬馬が努力しなくても手に入るもので、または努力してもどうしようもなかったものだったって知ったら、どう思うと思う?」
「あー…。なるほどあんたの気にしてることは分かった。」
「…だから知られたくなかったのに。設定されてないモブのこめちゃんやサブキャラの俊くんならまだいいんだよ。そーなんだー、くらいで終わるかも。でも、冬馬は…。」
「雪。」
未羽が私の肩を掴んでこちらに向かい合う。
「あのね。これはあんたに教えてなかったことなんだけど。」
「何?」
「ゲームの中での上林くんと秋斗くんはあんなに仲良くないのよ。せいぜい生徒会で顔合わせる友達って感じで、あんなに悪口言い合ったりじゃれたりしない。」
「え?」
あの二人の関係は設定されているものでは、ない?
「君恋は乙女ゲーの中でも特に恋愛に主眼を置いてたゲームよ。友情なんて一大テーマになるものをストーリーに書き込むにはお金も容量もかかるし、安易なものになりがちでしょ。だったら上林くんと秋斗くんがすごく仲の良い友人になるという設定を作る必要はない。それに恋愛モードに入った後にプレイヤーに攻略対象者同士がいがみ合ってるところなんか見せても仕方ないからね。だからそれなりの友達であればいいってしたのよ、ゲーム製作者は。そういう大人の事情もあって、君恋ではあくまで主人公と選んだ相手がイチャラブできる環境を整えることが主眼になってて、個別ルートに入った時点で他の攻略対象者同士の友情はそれほど描かれなかったの。逆ハールートはもっとよ。ストーリーがめちゃくちゃになっちゃうもの。そこが君恋のもったいないところだってされてたくらい。…だから、ゲームであの二人は最初あんなにいがみ合ってなかったし、今みたいな仲のいい友達にはなってない。ゲームで上林くん個別ルートが取られた時点で、秋斗くんは誰にも見送られないまま去ることになってて、それに対してあんなお別れ会なんてものもなければみんなに悲しがったりはされなかった。どっちかっていうと、上林くん個別ルートを取った時の秋斗くんは、悪役の相田雪を庇う面が強くて少し嫌なやつ、という描かれ方をしていたわ。」
「そんな…。でも二人は…。」
「だからね、ここはゲームじゃない。たとえ元になっていても、あんたはゲームを変えていってる。それは人の性格もそうだけど、人間関係もそうなの。変えていく、というより作っていってるっていた方が正しいのかもしれないわね。確かに積み重ねてきた過去がある彼らが、自分が架空の世界のキャラに酷似していると知ったら嫌な気持ちになるだろうけど、でも、違うのよ、雪。彼が積み上げたものはゲームじゃなくて、彼自身の努力によるものだってことぐらい、あんたが一番よく分かってんでしょ?そして『ゲームとは違う上林冬馬』である彼が好きになったのは、『ゲームとは違う相田雪』であるあんた。でしょ?」
「未羽…。」
「あんたが不安になってたタイミングで畳みかけるよう起こったけど、自信を持ちなさい。ちゃんとあんたの口から上林くんに伝えてあげて。私のことも言っていい。…ゲーム個別の設定情報が欲しければ、私が教えてあげるって言っておいて。」
「…分かった。未羽、いつもありがとう。」
未羽は無言で私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。
もう逃げられない。
冬馬に隠し事をするということに罪悪感がなかったわけじゃない。
特に体育祭で怪我をしたときの冬馬の必死さは痛々しくて、自ら危険に飛び込んだことが申し訳なくて仕方なかった。
もう彼は一部知ってしまった。半信半疑ではあるだろうけど、完全に打ち消すことも出来ない疑念だからこそ、私に連絡してきたんだ。
もう、逃げちゃだめなんだ。
私は決意を固めた。
冬馬には、『話したいことがあるんだけど、合宿終わったら時間とれる?』と返した。
冬馬はしばらくしてから事情を訊かずに、『こっちも今日で合宿終わるから明日は?』と返してくれたので、合宿から帰った次の日の3時に公園で待ち合わせることにした。
カフェや自宅で話を関係者に聞かれる可能性を防ぐためにこうなったのだが。
「暑い…。」
木陰にいてもこの暑さ。日向なんか、溶けた後にすぐに蒸発しそうなかんかん照りだ。じわじわじわじわというセミの鳴き声が夏の情緒を感じさせ、気温の高さを嫌でも体感させる。木陰であっても地面の熱さが足を電気毛布で包んでいるような熱を与えてくる状態だ。
病は気から、の応用で「寒い寒い寒い…」と呟いてみたのだけど、こんな状況では効果は全くなく、熱中症で頭のおかしくなった人にしか見えないので途中でやめておいた。
そんなわけで、早めに着いてやっぱりカフェの方が良かったかと後悔していたところで、頭に冷たい缶が乗せられた。
「…冬馬?」
「当たり。向こうにいたから暑いの忘れてた。」
そう言って冷たいピーチティーの缶飲料を私に渡してすぐ隣に座る。
1週間ぶりに見た彼はいつも通りの美形ぶり。
そういえば、冬馬は前より身長が伸びたんじゃないかな。秋斗の方が身長は高かったのに、秋斗と同じくらいはある気がする。
「…冬馬、背、伸びた?」
「高2になって伸びてたね。春の身体測定では178になってたよ。」
「まだ成長期なんだ?」
「そろそろ止まってくれてもいいんだけど。雪は?」
「私は全く変わってなかった。身長差、開いたね。」
私が163センチ程度なので15センチも差があるのか。そんなにあるんだ。
隣に座った彼を見て気付く。
身体つきも最初に会った時よりずっと大人っぽくなったな。
会ってないと気付くもの。そしてそれはそんな変化に気づかないくらい最近近くにいたということを私に思い知らせる。
この話で彼が離れていってしまうのでは、という不安はなくならない。でも正直に話さないと何も始まらない。
ちゃんと、話さないと。
「冬馬。話したいことがあるの。聞いてくれる?」
「いいよ。話して。」
私は冬馬の方を向き、話し始めた。