合宿の始まりは不安の積み重ねから。(茶道部合宿編その1)
※今後について6月26日の活動報告にちょっとしたお願いを載せておきましたのでご覧いただけると嬉しいです。
文理分かれる前の最後の期末試験を終え、無事に夏休みがやってきた。
私は最後まで1位を死守したが、最後は冬馬との同立だった。2学期からは冬馬や俊くんたち理系組とは分かれるので恐らくこれまでより校内での順位争いは楽になる。逆に今後もまだ文理が分かれなかったらおそらく次は1位を取れないだろうことは容易に想像がついた。高2になって以来、数学や物理、化学(化学に関しては俊くんにはもともとだけど)の試験で冬馬より上の点を取れなくなっているからだ。今回の期末で1位を取れたのはサブの暗記科目が多かったせいにほかならない。
「雪ー?…あ、電話中か。こっちで1年の子としゃべってるから終わったら来てねー?」
明美が途中から静かな声で言って部屋に入っていく。
今は茶道部の合宿2日目の夜。
秋斗とも冬馬とも会わない期間が続くのは久しぶり。今年も愛ちゃん先生のご実家に伺うことになり、例年のごとく一年生はお掃除に行かされていた。
『そっちどう?今年は掃除はないんだっけ?』
「あれは1年だけだからね。昨日今日と葉月たちがヘロヘロになって終わらせてたよ。今年は5人なのにやる量は変わらないから体力ありそうな三枝くんですら顔に疲労の色が。」
『あいつがばててるって想像つかないな。大抵無表情で静かなやつだからなー。』
「帰って物も言わずに部屋に直行してさっきまで寝てたらしいよ。冬馬の方は?稽古ばっかり?」
『そうそう、今年も変わらないよ。神無月や湾内はようやく弓引けるかどうかってとこまで来た感じ。』
「神無月くんは知ってたけど、湾内さんも弓道部なの?」
『そうだよ、言ってなかったっけ?』
「聞いてない、ね。」
『湾内は1年の中ではかなり目立ってる。今年の1年だけじゃなくて、俺ら2年や3年の先輩にもいろんな意味で目をつけられてるよ。』
「上手いってこと?」
『いや、下手。でも一生懸命やっててさ。それに加えて元々容姿がいいから、可愛いって男子に人気なんだよ。合宿中に彼女を狙ってる男子が多いってことは女子も知ってるから同級生や先輩女子には疎まれてるところもあるみたいだけど、そこは俺たち男子には分からないから副部長がカバーしてるみたいだな。』
どうやら主人公への嫌がらせイベントは今年も発生しているらしい。今年は葉月に主人公イベントが起こっている様子はなく、湾内さんが主人公のままずれはないみたい。
葉月が私以外でべったり一緒にいるのは三枝兄だけだし、三枝くんは双子の兄なんだから一緒にいてもそれほど怨みは買わないだろうから、当たり前と言ったら当たり前だ。
「……と、冬馬。」
『ん?』
「湾内さん可愛いの…気になる?」
嫌がらせイベントがあるなら、個別の好感度イベントがあってもおかしくないはず。自分ではなく、主人公の湾内さんが攻略対象者である冬馬の近くにいる。
他人が主人公という地位にあることに不安を覚えるのは初めてだ。去年は夢城さんに返還したくて仕方なかったのに。
『…プハッ。なに、雪、気になるの?』
「ううぅ、気になるよ!」
『あははははっ!俺には浮気はありえないよ。あははっ。』
「もう、笑いすぎ!」
そりゃあ冬馬はお父さんのことがあるけどさ、それでもありえない、なんてこの世にはないんだよ?断言されればされるほど不安になるんだからね、こっちは。
まぁこれは前世のせいだから冬馬には言えないけどさ。
電話のこっち側でむくれたのが分かったのか冬馬が笑いながらも謝ってくる。
『ごめんごめん。雪も人並みに嫉妬するんだなって思って。』
あなたの彼女なんかになっちゃったらよっぽど変わってない限り程度の差こそあれ、嫉妬はするでしょうよ。
「するよ!…と、冬馬を好きなのかなって気づいたのだって、冬馬が君恋祭で女の子の髪拭ってあげてたからだしっ。」
『え、初耳なんだけど。そんなことあったっけ?』
「あったよ!」
『帰ったらちゃんと聞かせて?詳しく聞きたいしさ。』
「なっ!なんで!?わざわざ嫉妬したときの話するの?」
『あれほど頑なだった雪が俺に興味を持つきっかけだよ?そういえば訊いたことなかったけど、直接聞きたいもんだろ?俺、楽しみにしてるから。』
「うううぅ。…分かったよ。」
『ありがとう。…あ、部長呼んでる。じゃ、またな、雪。』
この電話が切れたらしばらくは連絡は取らないことになる。
懸念を残しておくのは嫌だ。
「あ、待って。…その、えっと、…好きだよ。」
前世では付き合った後、きちんと気持ちを伝える努力をしていなかった。そんな私の態度も前世で彼が浮気する原因だったんじゃない?
だったら現世ではちゃんと伝える努力はする。どんなに恥ずかしくてもね!
前世では大転倒したわけだけど、ただでは起きないのだよ私は!
『………。』
なのに何だこの沈黙。
「冬馬?」
『…やっばいな、このタイミング。』
「え、ダメだった…?」
『破壊力抜群。雪って、実はツボ押さえてるよな。帰ったら、楽しみにしてて。』
「え、え、え?何を?」
『いいから、いいから。俺も好きだよ、雪!じゃあな!』
「え、うん、またね!」
私が気合を込めて言ったのに、冬馬の方はさらっと言ってくる。
なんだか余裕そうだな、もう!
惚れたが負けなんて言うけれど、どう見ても負けているのは私じゃないの。
襖をからっと開けて部屋に戻ると、茶道部2年と1年のみんなが集まってだらだら話している輪に戻る。
「あ、雪お帰りなさいまし。」
「お姉様!」
私が座るとすかさず葉月が抱きついてきた。太陽の邪魔が入らないここでは葉月は暇さえあれば私に抱きついている。三枝くんはここにいるのだが、まだうつらうつらしているようだ。起きていても止めることはないんだろうけれど。
「お帰りぃ!上林くんと、で・ん・わ。楽しかったぁ?」
にやにやと笑って葉月と反対側にすり寄ってくる未羽を「うるさい!」とあしらう。
「相田先輩、ラブラブっすね!羨ましいー!俺はとりあえず彼女欲しいっす!」
そんなことを言ってくるのは今年入部した一年生の男の子、八田大樹くん。遊くんと同じでかなりノリのいい男の子だ。兄弟なんじゃないかというくらい遊くんと息があっていて、遊くんより口も軽い。遊くん劣化版、と勝手に名づけていたらさすがにやめてあげなさいと未羽に突っ込まれた。
「大樹は好きな人と彼女、どっちの方が欲しいのよー?」
「なんか彼女がいれば好きな子じゃなくてもいいって聞こえる!」
今話したのが一年女子の新入部員、里井友美ちゃんと江角真理子ちゃん。三枝兄妹以外で今年入った一年生はこれで全部だ。
「えーそりゃあできれば好きな子作ってその子彼女、がベストだけどさぁ。でももしなんとも思ってない子でも向こうから言ってきてくれたらそのまま付き合うなー。彼女になってから好きになるってゆーのもいーじゃん!」
「えー。先輩、どー思います?こーゆーの!」
「私はあんまり共感出来ませんけれども、人それぞれですからそういうのも一つのきっかけだと思いますわ。」
「京子先輩は好きな人がいる状態で他の人に告白されても付き合わないってことですか?」
「そうですわね。私は好きな方を遠くから眺められるだけで幸せですわ。」
「きゃあ!先輩って本当に大和撫子〜!」
「大樹ぃ、先輩をちょっとは見習いなさいよー。」
「辻岡先輩と比べてもしょーがねーじゃん。俺ら男子高校生だぜ?女の子見たらムラムラすんの!だから付き合ってくれるんなら万々歳!ですよね、海月先輩、野口先輩?」
「僕はあんまりそういう風には…。」
八田くんに水を向けられて困ったように笑う俊くん。
「俺は大樹の気持ちも分かるぜー。やっぱ女子には触りたいし、そーゆーことしたいもんな!」
「さいってぃねー。」
「明美ちゃん、目が怖いよぅ!」
明美がでっかいハエを見る様な目で遊くんを見るのをこめちゃんがなだめている。
手にはバーチャルのハエ叩きが握られているんだね、明美さん。
「そーゆー目的でしか女の子を見てないってことでしょ?そーいえば、去年の一年合宿で偶然雪の下着が透けた時にも遊くん、鼻の下伸ばしてたわよねぇ?」
「明美ぃ!!過去の傷を抉らないで!」
「え、相田先輩そんなことを?!」
「水がかかってずぶ濡れになっちゃったのよ。濃い色の下着つけてたから透けちゃって。あれは私が悪かったし遊くんは仕方ないっていうか。」
「え、上林先輩は何か言わなかったんですかー?」
「その時は付き合ってないからね。」
「上林くんよりも秋斗くんの方が焦ってたよね。」
冬馬と私の仲はもう学校公認。当然一年生も知っているので苦笑して返すと未羽がさりげなく付け加えてきた。
「秋斗先輩って、去年茶道部にいたっていう雪先輩の幼馴染さんですよね?!超イケメンだったって聞きました!!写真も見せてもらいましたけど、かっこよすぎですよね!?」
「去年上林先輩とお二人で相田先輩取り合ってたって有名ですよ?!」
「友美ちゃん、真理子ちゃん、落ち着いてって。もう終わった話だよ。」
「去年見られなかったのは悔しいです!」
「ねぇ!そんな少女漫画的な甘々が見られる美味しい状況!」
甘々?美味しい状況?周りの視線は苦々しいものばかりだったよ?辛口コメントもいっぱいいただいたよ?
「葉月ちゃんは男子と付き合おうとか思わねーの?」
「葉月はお姉様が大事ですの。」
「ま、まさか…葉月ちゃん、そっち系なわけ?だから相田先輩に…!」
八田くんが私の隣から動かない葉月の即答に若干ショックを受けているような顔をしている。葉月、美少女だもんね。この子が湾内さんのように学年問わず人気があるのは知っている。
「違いますわ。お姉様以上に熱い想いになれる方が今いないだけですの。葉月はお姉様に熱い想いは持っておりますが、恋愛感情ではありませんわ。そうでなければ上林先輩をなんとかしてお姉様から引きはがしてその地位をいただきます。でも実際はそんなことは思っておりませんの。お姉様のお幸せのためにはこれくらいの寂しさはいた仕方ないと思っておりますわ。」
「そんだけくっついてたら十分じゃないの…?」
ナイスツッコミだよ友美ちゃん!
「五月くんは彼女いないの?」
明美の質問に、まどろみから少し覚醒した三枝くん。
「…いません。」
「欲しくないの〜?五月くんならすぐできそう~!」
こめちゃんが眠くて人相が悪くなっている彼をツンツンと突っついている。
このくらい大胆不敵じゃないとあの会長とは付き合ってはいけないのです。
「…今は特に。葉月の暴走を抑えるので精一杯です。」
え、あなたストッパーとしてちゃんと作動していた時あったっけ?
「なぁ、五月って、葉月ちゃんに彼氏が出来たらどーすんだ?」
「…相手を殺しますかね。」
三枝くんがパチリと目を覚まし、珍しくにこっと微笑んでから発した言葉は葉月を除くその場の全員を硬直させる程度には本気だった。
「…冗談ですよ。葉月が幸せになれる相手と認められたら殺しません。」
認められなかったら殺すんですか?
「五月怖え!やべーよ!葉月ちゃんは無理!俺は無理!だから殺さないで!」
「ご安心くださいな。葉月は1万回お願いされても遊先輩とはお付き合いしませんわ。」
「お百度参りでもダメ前提!?」
「…遊くん、門前払いされたね。」
「そんなに!?なんでダメ!?」
葉月がじぃっと遊くんを見てからにっこり笑った。
「葉月はそれなりに釣り合う方を希望いたしますわ。それは容姿でなくとも、何か突出して惹きつけられるものを持つ方がいいのですの。」
「俺、結構人気あるんだぜ?」
「ええ、知っていますわ先輩。あれですわよね、動物園でお猿さんを見て可愛い―と愛でる気持ちですわね。いえ、それでもピッタリの表現ではなくて…そうですわね…なんといえば、あぁ!分かりましたわ。遊先輩は中途半端なんですの!だからダメなんですわ!」
「………。」
あぁ!今葉月自身の手によって遊くんの心がめった刺しにされた!
部屋の隅っこの方に行っちゃったよ!
「命拾いしましたんですよ、野口先輩!元気出してください!」
「さ、三枝くんは極度のシスコンだよね。2年の間でも有名だよ?」
「…そうですね。」
「気にならないの?」
「…別に大丈夫です。」
「シスコンと言えば、ここまではいかないにしても太陽くんの上林くんへの突っかかり方も似てますわね。」
「そーねー。上林くんが流してるから深刻にならないけど、人によっては嫌になって別れそう。私だったらあそこまで兄弟に突っかかれたら面倒に思うかも。」
「え…やっぱり…?」
「太陽くんだってそれ狙ってるとこはあるでしょーよ。何においても計画犯なあの子が無駄に体力使って突っかかってるとは思えないし?」
「そうだよね…。」
「あんた気づいてなかったの?」
「いや、うすうす気づいてたけどさ。正確には、単に冬馬に生理的に反発したい気持ちと、冬馬に鬱陶しいと思わせて私から離れさせたいという気持ちが半々なんじゃないかと睨んでいる。」
とはいえ、先程に引き続き不安はさらにあおられる。
明美と未羽の忌憚ないコメントがおそらく客観的な見え方なんだから。
「でも冬馬くんが雪ちゃんを手放すことはないよーあれだけ大変だったんだもん。今も雪ちゃんしか目に入ってないって感じだし~!」
「そんなっすか?上林先輩って、学年問わず人気っすよね。いまだに告白してる人とか見ますもん。俺にその分分けてくんねーかなぁ。」
「無理ね。」
「無理よ。」
「なぁなぁ。二人ともさっきから俺に容赦なくね?」
「遊先輩よりマシでしょ?」
「今の遊先輩には俺は近づけねぇ!痛すぎて!」
「そう?大樹の発言の方が結構酷いよ?どんどん評価下がってるからね!」
「マジで!?なんでっ!?なんでっすか、海月先輩!?」
「えーと…うーん。発言そのものを思い返せば分かるかも?」
そうなんだよね。これも不安三打目で柔道だったらきっと技あり判定が出るくらいの打撃はあった。
私と冬馬が付き合っていることが学校中に広まった今でも冬馬に「あわよくば」でアタックする人は一定数いる。最近は忙しい冬馬がその機会すら与えないようだけれど、今合宿中の弓道部にだって冬馬に憧れている人はいっぱいいるのだ。主人公だけが懸念対象じゃない。
「上林先輩は紳士的って、後輩の間でも評判なんですけど、実際のところどうなんですか?相田先輩に対してもそうなんですか?」
「超紳士的だよ。雪と二人で中学生みたいな初々しい付き合いしちゃうんだから。」
「未羽っ!」
「そうねーさっきも電話で好きって言って照れてるくらいだもんねー。」
「ちょっ、明美、聞こえてたの?」
「未羽が教えてくれたのよー。」
未羽がアニメで出て来るあくどいことを考えるおっさん悪役と同じ顔してる!
くそう、このすぐ赤くなる顔をなんとかできないかなぁ!?
「お姉様、照れてしまうなんてかわいらしすぎます!!」
「まじですか?!やっべー。相田先輩、ツンデレっすか?見た目とのギャップ半端ないっすね!やっべ。萌え。惚れていいっすか?」
「八田くん、それ冬馬くんにバレたら多分笑顔で冷たく足蹴にされるから気をつけて。」
「そうですわ、もし仮に相手がこめちゃんでしたら…。」
「多分この瞬間に八田くんの寿命は決まったね。会長、こないだ本人の口でこめちゃんに手出ししたら存在を抹消するって言ってたから。」
「兄さんならやりかねないよね…。いやもうどこかでやってるんじゃないかと思うんだ僕…。」
俊くん、兄に対する信用が地に落ちてるよ!去年お兄ちゃんを尊敬して雹くんに食って掛かったあの気持ちを捨てないであげて!
項垂れる俊くんを見守っていた私に八田くんによって最後の打撃が加えられた。
「ていうか、上林先輩、そんなに相田先輩のこと好きなのにまだ我慢してるんっすよね?話の雰囲気的に。俺、尊敬しますよ!」
「え?我慢って何を?」
「俺らぐらいの年の男子なんて、好きな子が彼女ならヤりたいに決まってるじゃないっすか!好きな子でなくてもってくらいなんすから。」
衝撃が走ったように固まった私の代わりに一年女子が忍者のごとき素早さで動き、八田くんが畳の端っこから壁まで飛ばされる。さっきまで私にひっついていたはず葉月が体育祭で一切見せなかった機敏な動きで八田くんにタックルしたとみえる。
「天誅ですわ!!」
「ぐえええぇ!なんで蹴られるんだよぉ!?」
「お姉様のお耳汚しをしたからですわ!あんなにショックを受けていらして!」
「嘘つくよりいいじゃねーか!」
「誰でもいいなんて信じらんないっ!」
「一回地獄に落ちて来いっ!」
それに残りの一年女子二人が続き、全員で八田くんを蹴飛ばして踏み潰している。
「…そ、そんなもん?」
それを横目にわなわなしながら同級生男子に向けて呟くと、同じく一年生女子の凶行を見守っていた俊くんと、葉月によって繊細な心が粉みじんになった遊くんが困ったように返してくれた。
「あ、あははは…。大樹の言い方は身も蓋もねーけどなー…。」
「うーん。そうだね、男から見ればそうかなぁ。」
大外刈りで一本!おめでとう、累積不安実績が限界点を突破しました!
打ちのめされて固まる私に、未羽がそっと追撃してきた。
「あんた、人生通算何年やってんのよ。前世で彼氏もいたんでしょ?」
「そ、それとこれとは違うよ!私、彼氏できたの大学だから高校の付き合いなんて知らないもん!」
今度は未羽が逆に愕然としている。
「ここまであんたと付き合ってきたけどまだ新情報は出るもんね…。」
「先輩たち、もう部屋戻りましょ!」
「そうですよ、こいつと同じ空間にいたら汚れます!」
「友美も真理子もひっでーよー!!」
友美ちゃんと真理子ちゃん、それから葉月が私たちを引っ張り女子部屋へと戻る。
振り返って見えた光景では、八田くんが落ち込んだのを遊くんがなだめ、俊くんが苦笑していた。