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ゲーム補正を求めて奮闘しよう!  作者: わんわんこ
【高校2年生編・1学期~夏休み】
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当たり前を当たり前と思わずに。

左手の怪我が完治したのは6月も末になってからだ。抜糸は終わっていたのだけど筋肉を細かく使う箇所であるせいで小さな出血が絶えず、包帯が取れなかったのと、しばらく細かい作業をしていなかったので動かす軽いリハビリが必要だったせいで元の状態に戻るまでに1カ月もかかってしまった。

自由になった左手をグーパーしながら満面の笑顔で両手を上に突き上げる。

「これであの羞恥プレイの数々から解放されるー!」

「羞恥プレイ?」

隣で歩く冬馬が首を傾げる。

「そんなのあった?」

「あったよ!!いっぱい!」






切ったのは人さし指と中指の間の掌なので、そこを包帯で巻いて固定する生活。そのせいで左手は雪だるまの手袋状態で指を折り曲げることができなくなった。それでも実際に怪我した範囲は狭いし利き手ではないからせいぜい風呂の時に困るくらいだろう、と怪我したときは思っていた。

左手の存在を低く見過ぎた当時の自分を正座させて3時間くらいお説教したい。


左手は偉大だ。

教科書やノートをスムーズに開く時も、雑巾絞りの時も、日常生活の多くの場面で働いているまさに縁の下の力持ちの存在なのだ。

例えば、ペットボトル一つ開けるのも、左手は指を丸めてしっかりと本体を固定してくれる。ところが雪だるまモードの私にはそれができない。その事実に直面した私は「腕で本体を体に挟んで押さえつけて右手でキャップを回せばいいでしょ」と浅い考えでそれを実行した。

結果、最初に開けるときの固さについ力を込めてしまい、開いた瞬間に顔に炭酸水の洗礼を受けた。


ご飯を食べる時にお皿を持ち上げることも難しい。平皿ならいい。問題は深皿やカップだ。仕方ないから置いたままスプーンや箸で運べば途中で手の微振動で零れてスープが右手を伝って来たり、ご飯粒が落ちたりする二次災害に遭う。苦労することを見越したのか、太陽は昼ご飯を食堂で食べるときは必ずフォローに来てくれた。

「怪我なんかするもんじゃないね。こんなのひいおばあちゃんだったらスープ類は食べられなくなってたよ。」

「どーいう意味?」

「高齢になると自然に手が震えちゃうでしょ?ほら、ひいおばあちゃん、コーヒーカップをかたかた言わせて、表面に津波が波打ってる状態で飲み物渡してくれるじゃない?もし同じような状態だったらこうやってスプーンで飲むなんてできなかっただろうなーって意味。」

「…ねーちゃん…同意はするけどそこに思考が至ったこと自体をツッこみたい…。とりあえず布巾取ってくるから無理して動くなよ?」

「体はもう平気なんだよ?」

「あんだけ打撲の痣を作っておいてよく言う。」

ぶつくさ言いながらも太陽が布巾を取りに行ってくれている間にいそいそと葉月がやってきて嬉しそうに微笑む。

「…なんで満面の笑顔なのかな葉月。」

「お姉様が少しでも笑顔になれればと思いまして。辛気臭い顔するのは相田くんだけで十分でしょう?」

「なるほど。じゃあその箸に挟んだ煮魚は何かな?」

「そんなの決まっていますわ。お姉様、はい、あーん?」

「いやそこまでしてくれなくても大丈夫よ?」

「お姉様の怪我は葉月を庇ってくれてのこと。葉月がお姉様のために動くのは当然のことですわ!」

「葉月のためだけじゃなかったけどなぁ…?」

「恥じらうお姉様は本当に宇宙一お可愛いらしいですわ!もうこれ以上葉月の心を奪わないでくださいまし!」

「恥ずかしがってでの反応ではないんだけどなぁ…?」

「…相田先輩、諦めてください。」

そんな感じで三枝兄妹が同席するようになり、

「お前また邪魔しに来たな!?」

戻ってきた太陽が追い払おうとして葉月と口げんかを始める、という光景が日常茶飯事になってしまった。


こういう弟や後輩からの熱烈な奉仕が元のトラブルを避けるためには2年の教室にいるのが一番効果的だ。

だがここにはここで問題があった。

教室で食べるとなると必然的にお昼はコンビニで買ってきたものか、お弁当になる。最初はおにぎり、サンドイッチのみの生活で、それでもラップを剥がしたり包みを開けることに苦労する。ルーティーンな食生活に飽きたあたりで、いっそそれならとお母さんに頼んで普通のおかずの入ったお弁当を作ってもらうようになった。制服を汚すわけにはいかないから必然的に慎重な箸移動をすることになり、結果的には食べるのが億劫になって若干小食になった。ここまでならいい。問題はその先だ。

それに業を煮やした冬馬が強硬手段に出るようになったのだ。

「雪、ほら。」

そう言って私の口元におかずを差し出してくる。

わぁ、お箸の持ち方一つに至るまでどうしてそんなに優美なんですかね?

「…いいよ、冬馬。気持ちだけありがたく受け取っておく。」

「無理するなって。食べる量減ってるだろ?」

「派手に運動もできないからそんなに食べなくても大丈夫なんだって。」

「それにしても半分以下はおかしいって俺、何度言った?」

「そんな赤ちゃんみたいな食べさせられ方を衆人環視の中で冬馬にされるのと比べればこの程度…!クラス中に注目されてることくらい分かってるでしょ?」

「だったら人目につかないとこに行く?俺は雪がご飯食べてくれるなら何でもいいんだよ。」

「歩く発信機のようなあなたの容姿でそれが出来るとでも?新たな騒動のネタを積極的に提供してどうするんですか。」

「だったらまだクラスの方がいいだろ?いい加減諦めて。俺に三枝みたいにあーんって言われながら食べさせられるのと、このままとどっちがいいかくらいの選択権は与えてあげるから。」

「なんだその羞恥プレイ!ていうかそれ選択肢ほとんど違わな…つまり選択権を与えないということですね!」

「何も言わなければ前者を希望すると判断するけどいいんだな?」

「うぅ。よくないけど…。」

「3・2・い」

「い、いただきますっ。」

冬馬の強硬措置は2―Aどころか他クラス他学年からも人がわざわざ見に来るくらい話題になってしまった。

どうして食事中に胃がキリキリする思いをさせられるのか、だったらせめて同性に。と訴えても未羽も明美も京子もこめちゃんもにんまりと笑って細めた目のままで静かに首を横に振るばかりでまるで助けてくれる気配はない。それどころか間近で率先して実況までしてくれるのだこの人たちは!三馬鹿ですらだ!

「雪ちゃんが毎日ラブラブしてる~。同じ学年っていいなぁ~。」

「あーんとかやってるよ、あーん。」

「微笑ましいですわね。」

「みなさんそういうことを言ったら女王陛下は余計照れてしまうんすよ?」

「いやいやこのくらい慣れて先に進んでもらわないと。」

「雪ちゃん、楽しそーだよなー。俺も手を怪我したら誰かやってくれるかなぁ。」

「誰も男同士でのなんか見たくないわよ?一部の人除けば。あ、遊くんだと男の子同士でも需要ないわね。」

「どういう意味だよ、明美ちゃん?!ていうか女子はやってくれない前提?!」

「遊くん、その時は僕がやってあげるから泣かないで。」

「僕だったら『食べないとこれ喉の奥まで突っ込むわよ!?』みたいな攻めを受けたいなぁ、はぁはぁ。」

「雉、女王陛下がものすごい目で睨んでるッス!」

「あぁ!ぞくぞくする…!」


そんな感じで覗く生徒は多いのだが、その視線はとげとげしいものではなく、むしろうっとりとしたものが多い。

それは、この2-A組に私の恋愛を見守ると宣言してくれた元1ーAの子が多いこと、あの体育祭での事故でのそれなりに痛そうな怪我を見て同情されたこと、そして。

「それにしても雪ちゃん、あのお姫様抱っこは素敵だったねぇ!」

「こめちゃんが望めば会長は直ぐにでもそしていつまでもしてくれるでしょうよ…。」

競技場の真ん中で学校中から王子と評される冬馬が私をお姫様抱っこした事実は疾風の如く学校中に広まった。観ていなかった人にまでだ。

「いいじゃん、あれで二人は公式にカップル認定されたんだから。」

校内では同級生がそこそこ知ってる程度、下級生も「あの先輩すごいかっこいい〜!」「でも彼女いるらしいよ?」「え―――!誰?!」「同じ学年の生徒会の人らしいよー」くらいでしか知られていなかったはずの冬馬の彼女としての私が学校中に認知された。

私の存在は悪い意味で目をつけられていただけで、ニュートラルな立場の無関係な人にまで注目されることはなかったはずなのに。校内を歩くたびに好奇の視線を浴びるのは、恥ずかしいやら落ち着かないやらでいたたまれない。

「しかもラブラブですって見せつけたんですものね。嫌がらせもされなくなりましたでしょ?」

「…確かに事故後から靴箱や鍵のつかないロッカーが荒らされることもなくなったし、持ち物を壊されることもなくなったよ。」

私を抱き起こしたときの冬馬の表情や迷いない動作から、私たちがかなり仲が良いカップル…そのまぁ、冷めてないカップルであるということは知られたらしく、「あの彼女に嫌がらせしてあの人に嫌われるより遠くから見守って騒ぐ方がいい」に移行した人が多くなったようなのだ。

「それどころか、最近は私と冬馬が一緒に歩いていると指さして顔を赤らめる下級生が増えた気がするんだ。彼女がいても人気が落ちないどころか上がるとは…芸能人みたいなもんでもそこは一般高校生だからかな…。」

「あーそれ、冬馬くん単体じゃなくてカップルで騒がれてるんだよぅ?」

「は?」

「お似合いカップルだって下級生で盛り上がってるんだって。」

「去年のどっちつかずにしか見えない状態を知らないから余計憧れにしか見えないのかもねー。」

どっちつかずって言われましても。そもそも恋愛するつもりなかったんだって。

「俺は願ったり叶ったりだよ。雪への無意味な嫌がらせもないし、俺の彼女だって公示できたおかげで雪に近づく新入生が出てないし。」

近づくどころか、新学期始まってから2か月経っても会話したのは茶道部の新入生と太陽の友達数名とだけです。それも女子も含めて。

「でも太陽くんは…ねぇ。」

この状態を気にくわないのが太陽で、ここ最近機嫌がすこぶる悪かった。両親が冬馬のことを気に入っているから不機嫌を吐き出す場所がないらしく、それがなぜか女子嫌いの方向に発揮されたらしい。太陽は女子にとことん冷たくなり男子と会話しているところ以外は見かけられないレベルになっている。

その太陽とよくいる男子筆頭の神無月くんに会った時に、

「最近太陽荒れてるでしょ?ごめんね?」

と謝ったところ、黙って苦笑された。

「ねえ、未羽。今回ってさ、太陽と主人公が恋愛ルートに入らないといけないんだったよねぇ?」

「そうね。」

「マイナススタートが更にマイナス方向に移行した気がするんだけど。」

「その事実を指摘しちゃだめよ、雪。」

こっそり未羽に言ったら、どこか諦めたような半笑いを返された。


こんな生活が1か月。

この手が治ったことでようやく平穏な生活を取り戻せたんだからそりゃあ嬉しいよね!



「雪、今日俺が本屋寄りたいんだけど、いい?」

「うん、もちろん。」

生徒会の仕事も部活もなくて早く帰れる日なので、二人で駅前の本屋まで向かう。行く先は問題集コーナー。相変わらず色気も面白味もないとかツッコんじゃダメですよ?

「赤本?」

「そう。ちょっと見ておこうかなって。」

二人で赤本、つまり大学入試の過去問集を広げる。

進路、か。

全国的にも進学校に入る君恋高校の進路選択、文理が分かれるのは高2の2学期と早い。2学期からは、私は文系選択だから物理・化学から解放され、逆に文系科目である英語の授業が増え、漢文と地理が加わる。国立コース志望だから理科と数学が完全になくなるわけではないが、生物選択にするので鬼門の物理がなくなり負担は随分軽くなる。今は必要なものの他、数学Ⅲを教養としてやっておこうかと取り組んでいるが、前世でやったことのない完全な未習範囲で苦戦している。

「雪は文系なんだよな。国立文系。」

「その予定だよ。冬馬はやっぱり医学部?」

「うん。それ以外は考えてない。」

「東京の大学希望なの?」

「そうだね。あっちの大学の方が医師国家試験の合格率もいいし就職先も豊富だから。」

「お家を継ぐんじゃないの?」

「いずれそうなると思うけど最初は大学病院勤務で技術を磨いたりして勉強したいんだ。祖父さんもそれについては反対してない。大体あの人自身がまだ東京の大学の教授をメインの仕事にしてて、こっちでやってるのは主に経営だからな。…雪も東京の大学だろ?」

「うん。それはそう。」

「そうなると、ここからは離れるんだよな。」

「そうなんだよね。…みんなといつまでもべったり一緒にいられるわけないことくらい分かっているんだけどね。」

ようやくできた友達が身近にいなくなるということは寂しい。心は繋がってる、と綺麗ごとは言えるけれど、遠くで暮らせばどうしたって連絡も取りづらくなる。

私が少ししゅん、とすると冬馬が赤本を持っていない左手の指を絡めてきゅと手を繋いでくる。

「俺は東京に行くつもりだし、離れないから。それにみんなと会えなくなるわけじゃないだろ?」

「うん…。」

しょんぼりした私を見て冬馬が続けた。

「俺、最初会ったときに雪のことをドライな子かと思ってたけど、内にいれた人間に対しては甘くてかなり寂しがりなんだよな。」

「むぅ。否定はしない。未羽にもよく甘すぎって言われるよ。へん、キャラじゃないですよー。大事な人は大事なんだもん。甘くなって何が悪い!」

「悪くない。可愛いよ。」

「かっ!可愛くなんか…。」

くすっと笑った冬馬が頭にくちづけてきたもんだから一気に体温が上がる。

「こここ、ここは本屋だから!そ、そういうことしないっ!!」

「嫌?」

「ば、場所の問題がっ!!冬馬そういう常識持ち合わせた人でしょ?!」

「常識を忘れたくなるくらい雪がたまらなく可愛いからいけない。」

そういうことさらっと言いやがって!!言われるこっちは心臓がもたないんだよ!

「そっそういう問題じゃっ………くぅ。冬馬に勝てない…。」

「テストでは俺に勝ってるだろ?」

「それとこれとは関係ないっ!」

冬馬がくすくす笑っていて私が必死で反駁していた時だった。



「冬馬?」

立っていたのは、しとやかな雰囲気の女性だった。まだ若い。20代にも見えるが落ち着いた様子からもう少し上である気がする。

緩く巻かれた胸元まである黒髪が絹のように滑らかでお育ちの良さを窺わせる大層な美人だ。

呼ばれた冬馬が驚いたようにその女性を見ているから知り合いのようだ。

親戚のお姉さんかな?それとも近所のお姉さん?

「…母さん。なんでここに?」

え!?冬馬のお母さん?

冬馬とその女性の顔を見比べてしまう。確かに、どことなくだけど似た雰囲気がある。髪や目元が少し似ている気がする。冬馬の黒髪黒目はこの人の遺伝なのかな。

だけどお母さんって!若すぎやしませんか!?

「ちょうどお買い物していたら冬馬の姿が見えたのよ。女の子が一緒だったから邪魔しちゃうかもしれないと思ったんだけど、どうしても気になって。冬馬、もしかしてその子は…?」

「同じ高校の相田雪さん。…であの、俺の、彼女。」

彼氏のお母さんにこんな形で会ってしまうとは!もうちょっと心の準備をしておきたかった!

「は、初めまして。君恋高校2年生で、冬馬、くんとは同じクラスで、生徒会でもお世話になってますっ!あ、相田雪と申しますっ。」

慌てて頭を下げる。

種類は違えど健之助さん(冬馬のお祖父さん)に会ったときと同じくらい緊張している。

動揺がにじみ出た私の挨拶を聞いて冬馬のお母さんは花が開くようにふんわりとほほ笑む。

「はじめまして。冬馬がいつもお世話になっています。私は冬馬の母の上林沙織(うえばやしさおり)と申します。あなたが相田雪さんね。お会いしたかったわ。」

え、それは「大事な息子の彼女」だって分かったうえでのお言葉ですか!?私はまた試されていますか?

「雪さん、とお呼びしてもよろしいかしら?」

「は、はいっ。どうぞっ!」

「雪さん、この後お時間の方あるかしら?」

「へ?」

あああああ!初対面の印象って大事なのに!なんでこう間抜けな声をあげちゃったかな私は!よく考えたらさっきの見られてたりした!?破廉恥な女だと思われてないだろうか!?

しかし、冬馬のお母さんは気にした様子もなくにこにこしたまま続けた。

「今から家にいらっしゃらない?お茶でもいかがかしら?」



※6月14日の活動報告に明美視点の小話前編を載せました。雨と明美の馴れ初めです。ご興味のある方はどうぞ。

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