盗聴はほどほどに。(体育祭編その4)
太陽と冬馬が出て行くと、未羽がはぁ。と大きなため息をついた。
黙ったままこっちを睨みつけて来るので私の方が沈黙に負けた。勝手に飛び出て飛び火を食らった負い目がある私は本気で怒っている未羽に敵わない。
「未羽〜ごめんーついー。」
「ついー、じゃないでしょ、ほんとーに!私が忠告した意味は!?」
「ごめんってば。ね、あれってガラスで怪我する設定じゃなかったよね?」
「本当は単にぶつかったことによる打ち身とはたかれた打撲程度の怪我だったはず。だからこれは。」
「またゲーム補正か。やっぱり過激化するのかな、今年も。」
「かもね。」
ジャージのままでここに来てしまったから未羽の盗聴機を持ってきていない。とすれば先ほどの健之助さんとの会話を未羽は聴いていないはずだが、あれはイベントだったのだろうか。
いや、今日のイベントは東堂先輩のものだったはず。だからあれで怪我をしたとしても上林家の病院に運ばれることはなかっただろうし、そもそも怪我の程度からして病院のお世話になることはない。ということは、あれはこの世界でイベント以外に起こった非日常的な出来事だったわけだ。去年はひとまずイベントだけに注意しておけばよかったけれど、今年は「2弾で補正された世界」を元に特別に起こった出来事にも対策する必要がある。これについては未羽の予めの忠告や情報は受けられないから私一人で乗り切らなければならない。一人で乗り越えるのは「普通の」世界だったら当たり前、だけど「乙女ゲームの設定」によって一般高校生が体験しない出来事が予想される点が当たり前じゃない。
女嫌いな太陽と私を嫌う湾内祥子、危険なイベント、イベント外の非日常の出来事、日常の生活。並べれば処理しなければいけないことが多すぎてパンクしそうだ。特に今年は高校2年生、夏には進路を選択して2学期には進路分岐も待っている。しかし、いくら自分に直接関わらないからって言っても太陽エンドに介入しないという選択肢はない。
だったら腹くくって全部やりきるしかない。
女は昔から強欲な生き物だもの。いいじゃない、やってやるわ。全部、ちゃんとゴールに持っていって見せるから。
ごちゃごちゃした頭を整理していたら、黙って私が体育着を着替えるのを手伝ってくれていた未羽が手をいきなり止める。
「どうしたの未羽?」
「…これはこれは。なかなか面白いことが起こってるわよ。雪、これ。」
未羽がイヤホンの片方を渡してくる。
『…なんの御用ですの?あなたは確か同じクラスのクラス委員の…。』
『湾内祥子。あなたは三枝葉月ね。』
『そうですわ。何か?』
「湾内祥子が三枝さんを呼び出したみたいね。」
「未羽、これは…?」
「盗聴よ。湾内祥子に仕掛けてあるの。性能上げて、途中中継で挟んで音声データをこっちに転送してるから、少し時間差があるわ。」
「とうとう同意盗聴ですらなくなったか…!」
「去年も生徒会合宿の時に一回やってるじゃないのよ。」
「でも距離制限があるとか言ってたじゃないの。あんたまた一ランク犯罪者レベルが上がったわね…!」
「お褒めいただき光栄だわ。」
「褒めてないわ!」
「しっ。黙って。」
『あなた、あたしに何か思わないの?』
『…葉月、女性趣味はありませんの。』
『そういう意味じゃないわよ!嫌いとか憎いとか思わないの?』
『ほとんど初対面のあなたを嫌う理由はありませんけれど。クラスメイトだなぁ、くらいですわ。』
『…じゃあ、相田雪に付きまとっているのはなぜ?』
『お姉様は葉月の生きがいですわ!そう、お姉様のところに早く駆けつけたいんですの、お話がそれだけなら終わりにしていただけますか?』
『待った。あなた、相田雪に何か言われたわけじゃないの?今日のだって、いきなり飛び込むなんておかしいと思わない?』
『お姉様が葉月に何かを強制するようなことをおっしゃったことは一度たりともありませんわ。今日のだって、砂の中にガラスがあったからあんなことをされたのでしょう?どうやらあなたはお姉様に敵意を持っていらっしゃるみたいですけど、感謝こそすれ、敵意なんてお門違いじゃありませんこと?』
『ガ、ガラスは……でも、相田雪がわざと演技している可能性はあるわ!』
『あなたは頭がおかしいんですの?誰が好き好んでガラスの破片を握りしめて人が突進する中に突撃するんですの?どんな酔狂な人間でもそんなことは進んでやりませんわ。』
そうだろう、例え雉でもやらないだろう。葉月、その調子だ!頭の固い彼女を説得してください!
『もしメリットがあったら?』
『は?』
『上林先輩や他の先輩、三枝くんたちの関心を引きたいんだとしたら?』
『ふん、お話になりませんわね。お姉様は上林先輩とはラブラブでいらして、他の方に興味なんてありませんわ。』
『それは分からないわ!あの人が悪役だから!』
『悪役?自己犠牲も厭わず葉月を助けて下さった今日のお姉様は姿はまさに正義の味方でしょう!?悪役なんてものは一番遠い、まさに真逆の存在ですわ!』
『あなた…。その様子だと転生者じゃないの?』
『あなたは何をおっしゃっているの?転生?そんな夢物語な。』
『あなたも悪役なのよ?』
『話が通じませんわ!!もう構いませんか?お姉様の元に一刻も早く行かせていただけません?』
「あの主人公はゲームの存在を隠すつもりもなく言ってるね。追い詰められてるのかしら。」
未羽が私の足に湿布を貼ってくれながら言ってくる。
「彼女の目的は私の弾劾だからおかしくはないよ。でもやっぱり普通の人が聞いたら何言ってんの?ってなるんだね、転生って。」
「そりゃそーよ。」
『ここは乙女ゲームの世界なのよ?!あなたの兄の三枝五月も、幼馴染の神無月弥生も、あの上林先輩もみんな、攻略対象者なのよ!』
『ゲーム?攻略?なんだか不快ですわ。身近な方をそんな風に仰らないで!』
そこで足音らしき音が入る。
『…葉月。相田先輩のところ行くんだろう?何をしてる?』
『五月!この方なんとかして。お姉様が悪役だとか、五月や弥生が攻略なんとかだとか、ゲームだとかよくわからないことばかり言いますの。』
『…ゲーム?悪役?…葉月、ちょっと先に行っててくれないか。俺がなんとかしておくから。』
『わかりましたわ。準備しますの。五月も早くしてね?』
『…すぐ行く。』
またぱたぱたと足音がする。どうやら葉月が離れたらしい。
『ちょっと!話はまだ終わっていないわ!』
『…あんたが話があるのは、多分俺だろう。転生者?』
未羽がぴたりと動きを止めた。その目が大きく見開かれている。
「え。これ、どういうこと?」
「この感じだと」
『…お前は湾内祥子だな。この「君の恋する人は誰?春夏秋冬デイズ☆第3弾」の主人公。俺が転生者だ。葉月は違う。』
『…攻略対象者が転生者?そういうこともあるのね…。』
『…その様子だとお前は転生者で、このゲームをプレイしたことがあるんだろう?…何が目的だ?』
『あたしはあなたを攻略するつもりも、逆ハーを作るつもりもないわ。ただゲームのシステムを知ってそれを利用している悪役の相田雪を懲らしめたいだけよ。そうね、三枝五月くん。あなた、あたしに協力してくれない?』
『…相田先輩も転生者なのか?』
『ごまかしてたけどね。でも、さっきのあの事故の時にあたしの言った「主役の地位が好きなのか」の問いに「違う」と答えたわ。何も知らない人だったら何の話か分からないと言うはずでしょ?』
しまった。つい、口から言葉が出てしまっていた。
『…それは、そうかもしれないな。』
『ほら、どうよ!』
『だが転生者だとしてもあの人はゲームを利用しているのか?お前の調べでそこについてはどうなんだ?』
『そこはっ…まだっ。これからよ!でも』
『俺が観察してきた限り、あの人はこのゲームを利用しようとはしていない。』
『…なんで分かるの?』
『…俺だってあの人が何を考えているのか気になった。…もし葉月にとって悪いようなら排除しなければいけないからな。』
ヤンデレ系攻略対象者様、怖い!!
今度から葉月がくっつくのをもう少し許容しよう!そしてお兄様のご機嫌を損ねないようにしようっと!
『…あの人がゲームで「悪役」だということは知っていた。だから警告の手紙を出したりしてこれまで近くで観察してきた。だが怪しい点は見つからない。』
そうか。あの視線はおそらく葉月や湾内祥子だけではなくて、三枝五月のものもあったのか。そしてあの手紙は湾内祥子からだと思っていたけど、三枝くんからだったらしい。
『そ、そんなの!!演技かもしれないじゃない!』
『…あの人はそんなに器用じゃない、と思う。能力はともかく…人との付き合い方はどちらかというと下手くそだと思った。』
どいつもこいつも失礼だな!全く!
『…それに上林先輩とのことや去年何があったかを部活で海月先輩に一通り聞いたが、あの人はゲームを避けようとしていたとしか思えない行動を取っている。』
『そんな。…ゲーム世界に来て、転生したことを分かった悪役がその主役の地位を狙うなんてことはよくあることでしょ?』
『…よくあるかは知らないが、あの人は違う気がする。』
『そういやあなた、前世女なの?』
『…いや男だ。俺の妹がこのゲームの熱狂的な信者で事あるごとに俺にその話をしていた。』
『そ。じゃあお話にならないわね。』
『どういう意味だ?』
『本人じゃなきゃあ分からないからよ。乙女ゲームに狂う現代女性のその気持ちは!ゲームにかける愛の深さは!』
「まったくその通りね、文字通り狂っちゃう人がここにいるもんね。」
「あんたさりげなく人のこと貶めてんじゃないわよ。」
「え、狂ってないの?」
「ふ。彼らの姿を3日見ないだけで手が震える程度よ。」
「立派な依存症じゃないの!」
「私なんか写真か録音音声だけで回復するのよ?こんなの軽度よ。」
未羽が軽度なんてそんな馬鹿な。家が火災に遭ったら真っ先に抱えていくのは盗撮写真アルバムだと言い切る人間が軽度の依存症だと?
『で、結局協力するの?しないの?』
『しない。』
『…ふん。あんたも敵ってことか。そっちについてあんたにメリットはないんじゃない?』
『…敵とかそういうのじゃない。俺がこの世界で一番大事なことは、葉月を守ることだ。葉月が幸せであればそれでいい。葉月は相田先輩に心酔している。その人を傷つけられれば葉月が悲しむ。…お前が相田先輩を傷つけようというのなら、俺は葉月のために妨害する。』
『…めんどくさいことになったわね。言うんじゃなかった。いいわ、あの女の化けの皮はあたし一人で剥いでやる。』
『…湾内。』
『何。』
『…お前の方こそゲームに囚われて現実を見失ってないか?』
『あたしが?…そんなわけないじゃない。あるわけないわ。話し合いは決裂よ。』
そのまま音声はぷつりと途絶えて聞こえなくなった。
「これはこれは、なんとも予想外の展開だね。」
未羽がしみじみと呟いた。
「私のことはバレてないみたいだけど、あんた相当嫌われているわね。」
「そうみたいだね…。これは悪役の宿命なのかな?」
「宿命って言っていいかはさておき、悪役または主人公に転生した女がその地位を利用するっていうのはありふれた話。まぁ彼女の中ではそれが前提になっているんでしょうね。」
ありふれているのは小説の中の話で実際は夢物語だろうに。彼女もこの世界をゲームと混同している部分はあるんだろう。
「特に君恋の悪役は命を奪われたりしなければ没落するわけでもない。それだったら知識利用して心からイケメンたちに溺れたいって思うのが乙女心じゃない?」
「そんな汚い心が乙女心なんだとしたら私はこの世を悲観する。」
「イケメンに囲まれて恋愛したいと思うのは汚くないわよ?」
「利用するのが汚いって言ってんの!最初から言っている通り、恋愛は一人とするものだし、『ゲームの登場人物』だから好きになるんじゃないでしょ。その人を見て人柄を好きになって想い合ったりするその過程が一番楽しいんじゃないの?」
「はーいはい、大正ロマンの純情培養少女は永遠にその漬け汁に浸ってなさい。」
「漬け汁って言う!?せめてぬるま湯じゃないの!?」
「あんたも突っ込むのはそこじゃないでしょ…。」
湿布を貼り終わり、制服のシャツを着せながら未羽が何気なく尋ねてきた。
「それにしてもあんた、あそこまで嫌われてそれでもあの子のこと庇いたいの?」
「…あの子さ、あんなに敵対しなければ面白い子な気がするんだよね。思い込みの激しいとことかさ、見てたら呆れちゃうと言うか笑っちゃうと言うか。太陽って理性的過ぎるところがあるから実は相性いいんじゃないかなぁとか期待しちゃったりもするのよ。どうにか誤解解いて仲良くなれないもんかなぁ?」
「はぁー…。あんたって本当に甘ちゃんよね。どうして自分に敵意を持っている人をそんなに好意的に捉えられるのよ?憎むとか怒るとかないの?」
未羽が憧れと諦念をうまく混合した何とも言えない表情でこちらを見て来る。
「なんでって言われてもね。敵対するって疲れるから、かな。人を憎んだり妬んだりって体力使うじゃない。中学の時はそれこそ正面からぶつかってたけど、あの時は私も若かった。」
「さすが通算精神年齢アラフォー。」
「うっさい。…それにさ、あの子が私に向けているのは妬みとかじゃないんだよ、純粋な怒り?妬み恨み嫉みの方がきついからさ、あの子なんか可愛く見えちゃうんだ。」
私がそう言うと、未羽は心底呆れた、という顔をしてからふっと笑った。
「ま、あんたらしいか。そんなあんただから周りに人が集まるのかもしれないし。」
「集まっているかは知らないわよ?」
「バカね。今いる友達はもちろん、さっそく三枝葉月にも入れ込まれてるんじゃないの。無鉄砲で向こう見ずなあんたを守るために私や太陽くんや上林くんが自発的に動いちゃってる、この状況を見てもそれを否定する?」
「う…ひ、否定はしない。けど過保護過ぎる気も。」
「ほう?」
未羽が半眼になって私の左手にチョップを食らわせた。
「!?傷が開いたらどうしてくれんのよ!!」
「今縫ってるんでしょ。そんな強くたたいてないし。あんたこの怪我を見てそれでも過保護だと言うの?」
「ごめんなさい。」
即座に頭を下げたことで未羽が溜飲を下ろしたようなので話を続ける。
「ねぇ未羽。」
「なにさ。」
「私、彼女が物理的に何かやってくるとは思えないんだけどな。」
「なんで?」
「正義のヒーローならぬヒロインを気取る彼女が『歪んだ正義』に囚われているわけではないから。」
「『歪んだ正義』の持ち主って?」
「悪人には何もしてもいい、と思っている人たちのこと。よく逮捕された被疑者の家族に嫌がらせの電話やメールをしたり、ネットでこき下ろしたり、家の玄関に中傷を書いたりするアレよ。」
「あぁ。」
日本の警察は優秀だ。それは間違いない。でも間違えないわけじゃない。被疑者はあくまで「被疑者」なのであって、「罪を犯したことが間違いない人」ではない。そして犯罪者の家族が「悪人」なわけではない。
それなのに、「罪を犯したと疑われる人には何をしてもいい」、「その家族には鉄拳制裁を下すべきだ」と考えている人たちがこの世の中には大勢いる。
もしかしたら被害者の家族はそれですっきりするかもしれない。そしてその人たちは可哀想な被害者の代弁者として「正義」を振りかざしているのかもしれない。
けれどそれがもし誤認逮捕だったら?
「お前らは犯罪者だ!」「死んで謝れ!」と罵り、無言電話をかけ続け、家のドアに「犯罪者」と張り紙を張ったりしてノイローゼにさせた後にごめんなさい間違えました、では済まされない。
その行為自体が脅迫罪であり、傷害罪であり、侮辱罪なのだと気づけない人が世の中にはあまりにも多い。更にずるいことに、その「歪んだ正義」をかざす大勢は誰も自分がやったことを明らかにしない。あくまで匿名で「世の中の善人の一人」としてそれをやろうとする。
それははたして正義か、本当にそれが善人なのか。
犯罪者は法で裁かれる、それがこの世界のルール。
別に犯罪者を庇いたいわけではないが、ルールが崩された世界がいかに怖いか、どうしてそのことに気づけないのだろう、と常に疑問に思う。
まぁかくいう私も盗聴機を使ったり未羽の行為を見過ごしているわけだからこんな偉そうなことは言えない。けれど一応それが「不正義である」ことは常に自戒している。
閑話休題。
それに引き換え、確かに彼女は「間違った正義」を貫こうとしているが、確証が得られるまでは、私に直接手を下そうとはしていない。これまで何度もチャンスはあったのに、だ。調査は雑だし、思い込みの激しいところはあるが、それでも「私が悪人なのか」を調べようとしている。そんな当たり前のことを直感的にでも分かっている彼女を憎くは思えない。
「それの是非に賛同するかはともかく、言いたいことはなんとなく分かったわ。そうだとしたら彼女はどうやってあんたを追い詰めようとするのか…とにかく、十分注意しなさいよ。私は私で彼女の動きを追っておくわ。」
うーんと考え込んで一人でぶつぶつ呟く未羽。
湾内祥子の今後の動向は気になるが、それよりも私は親友を案じていた。
他人のためにここまで必死になれる優しい彼女は、私のせいで青春を無駄遣いしてしまわないだろうか。
この疑問が傲慢だと気付かぬまま、つい訊いてしまう。
「未羽。」
「何?」
「未羽は私のために色々やってくれ過ぎてるよ。未羽自身のことも大事にしてほしい。」
「どういう意味?」
「未羽、自分の恋愛とか生活とか全部放棄してない?」
「別に。」
「第2弾は終わったんだよ?未羽は第3弾をほとんどやってないんでしょ?だったら」
「だったら何?私は役立たずだってことを言いたいの?」
未羽が目を鋭くさせる。
「違う!違うよ…。今年もそんなことのために時間を使ったら、未羽の高校生活が…。未羽の現世の大事な高校時代が、私のために使われることになる。鮫島くんだって未羽に想いを寄せてくれてるのに。…未羽は、前世で高校生だったんでしょ?高校生活を最後まで終えられなかったってことだよね?せっかくの二度目の人生なのに…もったいないよ。」
しばし沈黙が流れた。
そろそろと見上げると、未羽は怒気を発していた。
「…そんなこと?もったいない?なんであんたに評価されなきゃいけないの?」
不愉快さを隠そうともしていない。
「雪。私の恋愛は私が決めるわ。私の中で何が大事なのか、優先順位を決めるのも私よ。雪じゃない。私が自分の意思でこれが大事だと思っているから行動しているの。」
その表情を見て、私は自分が間違えたことをようやく悟る。
いけない、入りすぎた。私と未羽の暗黙の境界線を越えてしまった。
その境界線をお互いに守ることは私たちの間ではとても大切なことなのに。
「…ごめん。それは私が介入することじゃないね。」
「…いいわ。私もきつく言いすぎた。雪が心配してくれているのは分かってるから。」
未羽は私の大事な友達だ。転生者という共通項を持っていて、増えた濃い友人たちの中でもある意味最も近いところにいる。
彼女が苦しんだり、傷ついたり、後悔する姿は見たくない。そんなこと絶対させたくない。
でも未羽が今自分の意思で行動している以上、私はこれ以上介入したらいけない。
彼女が決断して一番だと思っていることを私が「大事じゃない」と言って評価するのは傲慢だ。親友としての私が彼女の境界線に踏み込んでいいのはおそらく、彼女が本当の心を偽った時だけだ。それを改めて肝に銘じる。
「雪!」
「お母さん!」
ノック音の後すぐにドアが開いてお母さんが泣きそうな顔で私に抱きついてきた。一緒に冬馬と太陽も入ってくる。
「心配したのよ!!雪。」
「ごめんなさい、お母さん。大事なかったから。」
「よかったわ、本当に。こんな思いをするのは去年の修学旅行の時以来よ…。」
「うん。ごめんね、本当に。」
ひとしきり泣いた後なんだろう、涙の跡の残るお母さんを見ていると罪悪感で押しつぶされそうだ。
「母さん、ねーちゃん大丈夫だったろ?」
「そうね、太陽もありがとう。冬馬くんも、未羽ちゃんもこの子がお世話になったわね。」
「お姉様ぁ!!!」
「葉月!」
ちょうど着いたところなのか、病室のドアを勢いよく開け放ち葉月が飛びついてくる。
「お姉様、葉月のためにっ、お怪我をっ!」
「葉月のためだけじゃないけど…。」
「はっ。もしかして、お姉様のお母さまでいらっしゃいますか?」
「え、ええ。」
あっけにとられた様子のお母さんの手を取る葉月。
「初めまして!私、雪お姉様の後輩で三枝葉月と申します。お姉様のことは実の姉のように慕っておりますの!どうかお見知りおきを!」
「…葉月、相田先輩のお母さんが引いている。近寄りすぎだ。」
三枝くんが葉月を止める。その様子には微塵もさっきまでの転生者として語っていた様子はない。彼が無口なキャラであることからもなかなか表情も思っていることも読み取れない。
「あ、も、申し訳ありませんわ。」
「いいのよ。雪は学校でいろんな人に愛されているのね。」
お母さんがくすくす笑った。
「でももう暗くなってきたわ。みんなも遅くならないうちに帰らないと。せっかく来ていただいたのに何もおもてなしできなくてごめんなさいね。雪、私は手続きの方をしてくるから。」
「うん。」
それからしばらく体育祭のその後を聞いたりして過ごしてからみんなは帰っていき、私は一人病室で今後のことを考えながら眠りについた。
こうして、今年の体育祭は去年も予想しえない形で幕を閉じたのだった。
切りどころがなく長くなってしまいましたがこれにて体育祭編はおしまいです。