向こう見ずは痛い目に。(体育祭編その2)
血の表現が苦手な方はご注意ください。
次の種目は旗取り競争。
この競技は、砂の中に埋めてある旗を笛の合図で取りに走るという単純なもので、夏にビーチでやるものとルールはそれほど変わらない。君恋高校独特の点は妨害が認められているところで、乱闘や怪我が最も起こりやすい競技でもある。
「あ、葉月がいる。」
「三枝さん、あんまり運動得意そうじゃないのになんでこんな危険な競技に出てるんだろうね?」
葉月の近くを見回せばピンク色の髪、青い目の美少女がいた。やはり葉月が「悪役」だからこれに巻き込まれたと見て間違いない。
未羽からは、「この旗取りイベントでは順位の低い黒組の三枝葉月が乱闘に乗じて湾内祥子に暴力を振るうのよ。それで怪我をした湾内祥子を東堂先輩が助けるっていう設定」と聞いている。つまり東堂先輩のイベントだ。
当然、なぜ湾内祥子はこのイベントは避けなかったんだろう、という疑問が生まれる。
彼女は個別ルートも逆ハールートも取らないと宣言していたわけだから、東堂先輩とのイベントで好感度を上げるという結果を起こしたいわけではないと思う。そうだとすれば、起こしたいのはむしろその経過、つまり「葉月との乱闘」だ。
彼女は夢城愛佳とは違って私を糾弾する目的で動いている。そしてこの世界に私がいることによって周りのキャラクターの性格が変わっていることも知っている。
Qそんな状況で少年漫画のヒーローのような彼女が考えそうなことはといえば?
A登場人物が仲間か敵かを見極めることです!
これまでの経過を見れば葉月が私に懐いているのは一目瞭然。そんな葉月を自分の敵と認定するためにも今回の競技に参加して「イベント」が起こるか試すつもりなんじゃないかな、と推測できる。
もし彼女と同じ目的を持ったとすればこの辺りの思考回路が理解できないわけではない。
でもあえて自分が怪我をする可能性があるところに飛び込むというのは費用対効果が悪すぎると思ってしまう。葉月の様子を確認するなら私と葉月の様子を日常ずっと観察すればいいし、この世界がゲーム通り動いているかどうかについては他の怪我のないイベントでも確認できる。私だったらそうする。
怪我イベントは去年の夢城さんの時もそうだったけれど、これから起こることを考えれば愉快な気持ちにはなれない。だからといって、やめろと説得すればするほど反発されそうだから止めることもできない。ジレンマで地団太を踏んでしまう。
「雪さん、地ならししてるの?」
「…なんでそうなるかな俊くん。」
「冗談だよ!なんかピリピリしてるなって思ったから和らげようと思ったんだけど逆効果だった?慣れないことしてごめん…。」
俊くんが焦ったように謝ってくれるのが申し訳ない。
「ごめん私が悪いわ。落ち着くね。」
なんだかんだ自分に好意を寄せてくれる子を憎くは思えないから葉月がそういうことをする子だとは思わないし、思いたくもない。そして湾内祥子についてもそう思う。怪我してうめく姿を見てせせら笑えるほど私は彼女のことを嫌ってはいない。
願わくば、イベントが起こりませんように。
湧き上がる観客とは違った緊張で強張ったまま、高い場所にある観客席からグラウンドを見守る。
そうしてその時がやってきた。
競技開始の合図の放送が
きぃぃぃぃ――――――ん!
「あわわわわすみません!!」
…四季先生が定番のハウリングを起こしてくれたせいで逆に緊張が取れた。体育祭実行委員の東堂先輩には重いため息をつかれていたけど、助かりました先生。なんともいいドジっぷりです。
「で、では!気を取り直して。旗取り合戦を始めます。」
緊張も適度にほぐれてぼうっと砂を観ていたからかもしれない。観客席から見ている私の目に日に反射した何かが入ってきた。ちょうどゴールの前あたりだ。
え?あれ、何?
そんな馬鹿な。きっとたまたま砂が日光に反射しただけだ。そう自分に言い聞かせる。
でももし。
あれが鋭利な固いものだったら?
そしてそんな物が紛れている砂の上を裸足で走ったりしたら?
これは、怪我が起こることが予め想定されているイベントだ。更に言えばあのコースは湾内祥子と葉月が通るコースだ。
気のせいで終わらせられるほど楽な一年は送っていない。
祈るだけじゃ、この世界の補正はできない。
「ダメだ!やっぱりダメだよ!!その競技ストップ!」
私が精一杯張り上げた声は空しく観衆のざわめきにかき消されてしまう。放送は続く。
「位置について、用意…」
幸い、私はゴールに一番近い位置にいる。他に手段はない。
覚悟を決めて立ち上がり、観客席から階段の方へ走った。
「雪さん?!」
俊くんが驚いて立ち上がるけど、それも無視。
例えそれが湾内祥子でも、葉月でも、人が怪我することが分かっているのに放置することは出来ない。
「ドン!!!!」
私は転がるように階段を駆け下りる。鈍い筋肉痛の走る足が恨めしい。
使いたいときに速さを生かせなくしたのは阿呆は誰だ。私だ。
こんな緊迫した状態でも頭の隅でくだらないことを考えられる私はまだ落ち着いている。大丈夫。頭を働かせろ私。ここで焦っても何も生まない。
先ほど見えた砂の位置を頭の中で思いだし、最短ルートをはじき出す。そこを迷いなく進んでコースに乱入し、砂の中に左手を突っ込む。少し走り込みながら手をまさぐれば、やはり異物が手に当たった。その固形物を落とさないよう手に握り込むと少し痛みが走ったが、それどころじゃない。早くコースから外れないと。
身を翻して走り出そうにも足が砂にとられる。
砂の上がこれほど走りづらいものだったということが計算ミスだった。
「ねーちゃん!!!」
観客席から太陽の絶叫が聞こえた気がした。
一瞬過ぎて何が起こったかあまりわからない。
ただ左側からの強い力で吹っ飛ばされたことだけは認識できた。
「う…」
わーわーと辺りで人の騒ぐ声が聞こえるから衝突したのは間違いない。
手足が砂との摩擦で擦れたらしく痛みがある。ジャージを着ていたおかげでそのまま砂粒に抉られることはなかったのは救いだ。
意識もあるし、冷静に状況も判断できている。幸い落ちた先も砂の上だし、とっさに身体を丸めて頭と顔を腕で庇った。だから頭に打ったような痛みはない。骨折もしてないはず。
ただ強い打ち身のせいかくらくらして起き上がれないだけだ。
「相田さん!!湾内さん!」
遠くから四季先生の声が聞こえたので小さく答える。
「し…四季先生…私、大丈夫です。多分骨折とかしてません。ぶ、ぶつかった人たちは大丈夫ですか?」
私にぶつかったと考えられる生徒が近くに蹲っている。湾内祥子と男子生徒だ。特に女の子である湾内祥子の方が痛みは強いはず。
「わ、湾内さん、大丈夫?」
湾内さんはよろよろと起き上がり、私をぎっと睨みつける。
「あんた、こんなことまでして目立ちたいの?そんなに主役の地位が好きなの?」
「ち、違…。」
ちゃんと否定したいのに、体がなかなか言うことを利かない。
同じレーンで走ってきてようやく近くにたどり着いたらしい葉月が突如として悲鳴をあげた。
「お姉様!!!手が!!」
その言葉に私の手に目を向けた湾内祥子もギョッとして口を閉じた。
さっきから背中側に回して見ないようにしていた左手から、砂の上にボタボタと赤いものが落ちている。上半身を右腕だけで起こした途端に左の掌に溜まっていた血が落ち、そしてその後も腕を伝ってジャージを赤く染めている状態だ。
感覚はあるが、じんじんして、熱い。
わずかに指を動かすだけで鋭い痛みが走って反射的に涙が浮かぶ。
咄嗟に頭を庇ったときに握りしめてしまったのか、タックルの衝撃で地面に倒れた時に体重をかけてしまったのか。掌を開けば見てはいけない光景が広がること間違いなしであることも、きっと力が抜けて立てなくなってしまうことも分かっているから今の握った状態をキープしている。その手にあるのは、ガラスの破片だ。ビンを割ったような大きな尖った欠片。
こんな物を思い切り裸足で踏んだら、おそらく今の私の怪我程度では済まない。足には動脈も通っているからね。
「ほ、保健室に行かないと…。」
左手を開けないようにしたまま、なんとか立ち上がって歩き出した時に急に足が地面につかなくなった。
「え?…と、冬馬?!」
冬馬が私の膝裏と背中に手を入れて体を持ち上げていた。
「これは、まさかあの、有名なお、お姫様抱っこというやつ?!」
「雪、手は心臓より上の位置にして右手で左手首を握って止血して。応急処置は保健室ですぐする。ここでぐずぐずやるよりその方がいい。他の傷も洗わないと。」
「ちょっと、冬馬、私ゆっくり行けば大丈夫だよ!下ろして?あと怪我してるのは手だから足腰は問題ない…」
「右手でなるべく強く押さえて。急ぐけど、振動で痛かったらゆっくり歩くから必ず言うこと。」
「冬馬くーん、聞こえていますかー?言葉のキャッチボールはできますかー?」
「先生、一旦保健室に連れていきますが多分保健室レベルで終わらないくらいの怪我だと思います。」
「分かりました。その感じだとすぐに病院に行った方が良さそうですね。私が車を用意しますので保健室にいてください。東堂くん、海月くん、他の先生方の指示に従って後をお願いします。」
冬馬はそれだけ聞くと私を抱えたまますぐに保健室に向かって歩き出す。私は冬馬の指示に従って右手で左手首を押さえたまま移動させられる。下ろしてくれる気配はない。
「ねーちゃん!!!俺も行く!」
「車の収容人数がある。太陽、お前は別で行った方が邪魔にならない。」
「でも!」
「私も後で行くから太陽くん、一緒に行こう。それよりお母さんに連絡取った方がいいんじゃない?」
珍しく東堂先輩に食ってかかろうとする太陽を止めたのは未羽だ。
「…!そうでした、横田先輩、ありがとうございます。」
「葉月も行きますわ!」
「三枝さんも後でね。」
離れてしまった後ろの方での会話はそれ以上は聞こえなかった。
冬馬はといえば私の要求を見事に無視したまま歩き続けている。
「冬馬―?」
「……。」
「確かにね?いくら枯れてると言ってもお姫様抱っこに憧れたことがないとは言えないよ?どんな感じかなとか想像したことはあるよ?だけどここは全校生徒の目の前だからさ、ちょっと冷静になろう?」
「憧れたことはあるんだな。覚えとくよ。」
「これは拾うんかい!」
「雪、話す元気はあるのはいいと思う。だけど自分で歩くとか馬鹿げたこと言うのはやめてくれる?」
「静かになると手に意識がいって余計痛いから…!でも逆に言えば話してれば一人でもなんとかなるから大丈夫だって」
途端に冬馬が黒く笑った。
「雪。」
嫌な予感がする。
「…はい?」
「俺、今かなり怒ってるんだ、雪の無茶苦茶に対してね。それ以上話してると強制的に口塞ぐけどそれでもいいの?全校生徒の前で怪我した状態ではやられたくないんだろう?」
それだけで十分に私を黙らせる威力はあった。びりびりと走る左手の痛みに耐える戦いに余力を注ぐしかない。
それ以上こちらを見もしないで歩き続ける冬馬に話しかけるのはためらわれる。
どうやら冬馬は相当にお怒りのようだった。




