父には地獄、母には天国。
ようやく離れた後、冬馬くんが自分から私の手を取ってくれたから握り返したところ
「あ、そうじゃないんだ。」
と手を離されてしまう。
と思ったらまた手を取ってくる。
行動の意味が分からなくて首を捻っていると、その長い指をするりと滑らせて指を絡めてきた。確かにこの方が手がくっついて彼氏彼女っぽい感じはする。
でも!ダメです今は!
その指をそっと解こうとすると逃がさないというように力が強まった。
「なんで解こうとするの?嫌?」
「い、嫌じゃないよ!でも今は都合が悪いというか…」
「都合?どういう意味?」
墓穴掘った!
うぅーと唸っていると一段と甘くなった声で追撃をしかけてくる。
「思ってること言ってくれるんだろ?それとも本当に嫌なの?」
嫌じゃないです、嬉しいですよ。
でも私は新陳代謝がいいんですよ。そのせいで熱さと緊張で手がべたべたなんですよ。
あなた今握ってて分かるでしょう!と言えたらどんだけいいか。
この複雑な気持ちが乙女心というやつか、なるほど。
「雪。」
「う……実はさっきのこと言うのが今日の目標で…あの…すごく緊張してたから…ものすごく手汗をかいてまして。どのくらいかと言えば今なら濡れた手で触るの厳禁の電子機器くらい余裕で壊せるんじゃないかというくらいだと…。だから手を繋ぐのはちょっと遠慮したいなぁ、とか。」
「なんだそんなことか。別に大したことないし気にもならないよ。」
「私が気にするの!万が一に備えて制汗剤をしっかりしてきたのに、万が一に対応できてないとか意味ない…!」
「制汗剤?」
「トイレに行くたびに手にスプレーしてたんだよ。それのせいで今日私が持ってきていた制汗剤は力尽きました。」
冬馬くんは目を丸くして一拍置いてから爆笑した。
「緊張するからって手に制汗剤してたの?空になるほどたくさん?…あははははっ!本当に雪は発想が斜め上なんだよなぁ!」
いやいや、汗を抑えようと思ったらきっと制汗剤に発想は行くはずだよ。私が特殊なわけじゃないです。きっと。
「俺がいいんだからいいんだよ。気にしないでいい。」
「で、でも…せめてハンカチを挟むとか!」
「それ意味ないから。」
「じゃあティッシュ1枚でも…!」
「それも同じ。」
それからにこっと笑って繋いだ手を持ち上げるととどめを刺してきた。
「こっちの方が、俺は好き。」
素敵な笑顔で異議を封じ込められた私は指を絡めて手を繋いだまま植物公園の残りを歩くことになった。
夕方になって、家の前まで送ってもらった。まだ暗くないから大丈夫だと遠慮したのだけど「俺がちょっとでも長く雪と一緒にいたくて行ってるんだってば。彼氏特権。」とさらって言ってこれまた私の反論は見事に流された。
さりげない言葉の言い回しや笑顔で私の反撃がことごとく潰されてしまうことは今日分かった。
これは早急に耐性をつけないとダメだな…!
いやでもこの人、耐性つけたらそれを見事に回避した変化球投げてきそう。
一体どうすればいいんだよう!と考えているうちに家の前に着いた。
「じゃあ、また連絡するから。また週明けにな。」
「えっと、あの、冬馬くん。」
笑って手を振って帰ろうとする冬馬くんを呼び止める。
「ん?」
「今度から冬馬って、呼んでもいいかな?」
呼び方を変えることは距離を変えたことをアピールすることにもなると未羽から習った。
彼は去年の秋、自ら名前呼びに変えさせた。それから私の誕生日に私のことを名前で呼ぶようになった。ならば、私も。
冬馬くん…冬馬はそれを聞いて色っぽく笑って近寄ってくる。
「もちろん。」
そしてそのまま軽やかにほっぺにキスされた。
さっきまで冬馬だって顔を真っ赤にしてたのにっ。それともほっぺは別物なの!?
だめだ、慣れるとか対策するとかそんな余裕は一切ない!
そんなやり取りをしていた時だ。
「…なにやってんだよ?」
ものすごく剣呑な声が後ろから聞こえた。発した犯人はGWなのに部活の練習があった太陽だ。太陽は君恋高校で東堂先輩と同じサッカー部に入ったのだが、サッカー部はこういう休みの日も関係なく練習があるらしい。
その弟はタイミング悪くさっきのシーンを見てしまったらしく、私とは違う意味で顔を真っ赤にしている。声が抑えられている分だけ怒りの度合いが高いのが分かる。
「人ん家の前で。ねーちゃんに。そんなことを…!」
「雪は俺の彼女だから別におかしくないだろ?」
太陽の怒りボルテージが上がった!
「だからあんたは嫌いなんだっ。ねーちゃん、もう家入るぞっ!!」
そう言うと、太陽は私の腕を引っ張って無理矢理家に引き込む。
「そりゃ入るけど。あ、ちょっと待って待って。待ってってば!あーもう!ごめん冬馬また後で連絡するね!」
苦笑して手を振る冬馬の姿が見えたところでドアが閉まる。
バタン、と乱暴に玄関のドアが閉めた太陽の方をそうっと窺うと、予想通り私のことを睨みつけていた。
「た、太陽…?私たちは付き合っているのであって」
「どこまで?」
「は?」
「どこまでいった?」
「ど、どこまでって。」
そんなこと弟に言う姉がどこにいるんですか?
「言えないくらい不純なことしてんの?」
「まさか!未羽たちに中学生青春日記と言われたくらい清く健全なお付き合いですとも!」
「じゃあ、言えるだろ?」
「さ、さっき見られたまんましかしてないよ!」
言わないとずっと問い詰められそうなので白状すると、太陽は不愉快そうなままフン、と鼻を鳴らす。
「その様子だと、ほっぺだけじゃねーだろ。」
「それは、その。あの。」
言い澱むと太陽はちっと舌打ちする。
「あいつにねーちゃんのファーストキスが。」
「ファーストキスじゃないから。」
ついでにいえば冬馬とはほんの数時間前が初めてですから!
「あ、クリスマスパーティーの時の横田先輩のがあるか。でもあれはノーカウントだろ。」
「いや、前に秋斗に。」
それも2回だ。
「秋斗にぃ?!何してんだよ秋斗にぃ!!…いやでもこうなったらその方がマシだ…。」
「何二人でぶつぶつやっているのー?もう夜ご飯出来たわよー?」
「あ、はぁい!」
「今行く!」
「雪は今日デートだったのよねぇ?」
ブ―――ッ。
夕食中お母さんは家族の前でとんでもない一投をしてくれた。
それも私がお茶を飲んでいた時に言うもんだからつい噴いてしまった。
「ねーちゃん…。」
「ごめん。やってしまった。」
と、からんからん、と箸の落ちる音がする。お父さんだ。
「で、デートだ、と…?!」
「あ、お父さんは知らなかったのよね。ふふふー。」
お母さん!!確信犯だろ!
「雪ね、付き合ってるのよ〜クラスの男の子と。ふふふふふ♡」
「お母さん!」
「でもお父さん、安心して?その子すごく真面目そうな子でね。ザ好青年よ?」
「どうだか。」
味噌汁を飲みながら太陽がぼそっと言う。
お父さんがわなわなしたままこちらに目を向けるので、ため息をついて肯定する。
「そうだよ。彼氏がいるよ。」
「か、彼氏…だと!!」
「でもね。はっきり言って、秋斗の方が私にベタベタしてたから。彼の方がしてないから。」
「そ、それは秋斗くんが外国帰りだからだろう?」
お父さんの脳内では、秋斗は向こうの習慣があるからしかたないと処理されていたらしい。だけどあれはおそらく彼が外国生まれであることはそれほど関係がない。
人間は避けられない嫌な事実に向き合うとなんとか理由をつけて納得しようとする傾向があるらしいがまさにその現象だ。
「と、とにかく!!健全な付き合いなんだろうな?そうじゃなければ父さんは認められんぞ?!」
「はいはい。友達にも認定されるくらい健全だから安心して。」
「せいぜい家の前でお別れのキスしてるくらいだもんな。」
「太陽!!そんな、今日初めてだもん!今までそんなことなかったもん!」
言った途端にお父さんの魂が飛んで行った!!逆効果だった!
お母さんはあらあらと笑っている。
「高校生ならキスくらいはしてるでしょ。お母さんは付き合う前からしてたのかと思っていたわ。まだしてなかったのね。」
お母さんの言葉に太陽が絶句する。
「なんで付き合う前からなんてことが…。」
「あらぁ。最近人気の少女漫画とかだと、無理矢理キスして始まる恋、とか多いじゃない?」
お母さん夢見すぎだから!あれは少女漫画の世界だから許されるミラクルであって、普通にやったら犯罪になるからね?!
お父さんが正気を取り戻してなんとか立ち直り、私に言う。
「雪。その彼氏、とやらをGW中に連れて来なさい。」
「え?!だって、あれだよ?まだ付き合って2ヶ月とかだよ?!」
「最初から釘を打っておかなければならん。いや、そんなに短い期間でそ、そんなことをやるような碌でもないやつなら雪と別れるように言わんといけんな!」
「冬馬は真面目に誠実に付き合ってくれてるよ!」
「まぁねーちゃんと付き合ってからも『しょっちゅう』女子に告白されては断ってるみてーだし?どこまでもつか知らねーけど。」
「太陽!!!」
「雪。この目で見なければどうあっても認めんぞ?」
こうなった時のお父さんは頑固だ。あぁ太陽のバカ。
その太陽はほくそ笑んでいるからお父さんで冬馬を弾かせようと計画しているようだ。
「でも!!これから中間あるし…彼だってその勉強しなきゃいけないでしょ?」
「去年2位をキープしてしかも一回はねーちゃんに勝った上林先輩なら大丈夫だろ?」
「向こうの都合もあるでしょ!」
「訊いてみたら?お母さんもまた彼に会いたいわ。」
「お母さんまで!もう!訊くだけだからね?!向こうが都合悪かったらなんと言ってもダメだからね!」
居間を出て、部屋に行き、ケータイを取り出す。
よく考えてみたら彼と電話で話すのは初めてだ。いつも学校で会えるし、大抵のことはラインで事足りるから。
今だと夕食時かなと迷ったが、うちが早めだから大丈夫かもしれないと電話することにしてコールで少し待つ。
『もしもし。雪?』
電話ごしの耳触りのいい声にようやく落ち着いたはずの心臓が少しドキドキする。
「ごめん、食事中だった?今時間平気?」
『まだだから大丈夫。どうかした?』
「さっき太陽に見られたのがきっかけで、お父さんが冬馬く…冬馬のこと、知っちゃって。それでね、GW中に冬馬を連れてこいって無茶言ってるの。とりあえず形だけ連絡しただけだから断ってくれていい。」
『…それ、明日じゃないとダメ?』
「いや、GW中ならいつでもいいと。」
『最終日…だから明後日?なら行けるよ。』
まさかの了承が来た。
「え、本当に来るの?!まだ付き合って2ヶ月なんだから断っていいんだよ?」
『月日なんて関係ない。別れるつもりないから。』
なんでこういう時にもさらっと言ってくれるかな!!
『だから、明後日ならお邪魔させてくださいって言っといてくれる?』
「でも、後悔するかもよー?太陽が何か企んでそうだもん。それに中間!」
『太陽くんにだって早く認めてもらいたいからな。中間は大丈夫だろ、あんだけ春にやっとけば。』
「そう、かなぁ。」
『そうだよ。だから、そう伝えといて。よろしくな?』
「わ、分かった。ごめんね、いきなりこんな無理なお願いしちゃって。」
『全然無理なんかじゃないよ。むしろ声聞けて良かった。…あと、やっぱり名前呼び捨てされるのは嬉しい。』
かぁっと頰が熱くなる。素直に伝えてもらえるって照れる!
「あ、ありがとう。じゃあ冬馬、おやすみなさい!」
『おやすみ、雪。』