お花見デートに制汗剤を忘れずに。
次の日。結局植物公園に行くことになった。
普通のショッピングも考えたけれど、今日は自分の気持ちを伝えることが目標だ。周りに人がいる空間で彼の甘い視線を受けることにすら動揺する恋愛小心者の私がそんなところに行ったらただのお出かけで終わってしまう。だからリラックス効果の高い自然の多いところ、そして周りにあまり人がいないだろうところを選んだ。その結果だ。
そんな私を応援するように今日は見事な五月晴れ。気温も5月上旬にしては高く、上着は薄めで十分な気候になった。
お昼に駅で待ち合わせた冬馬くんは、ロングのシャツの上にアーガイル柄のカーディガンを重ねた格好で大変よく似合っていらっしゃる。いつものことだが周りの女性が冬馬くんを指さして騒いでいた。彼はその視線に気づいているだろうに気づかないふりで文庫本を読んで私を待ってくれている。声をかける女性が出てこないのはきっと文庫本のカバータイトルが「あなたを狙うその視線・迷惑なストーカーに狙われたら~最近は女性のストーカーも増えています!~」だからだ。中身はおそらく違う本だろうから、彼もやることはえげつない。
私はリボンのついた白い半そでブラウスに黄色いカーディガン、下は黒いスカートで冬馬くんのところに歩いていく。もちろん胸元には雪の結晶のネックレスが光っている。季節が違おうとこれだけは関係ない。
女性の隙間を縫って近づけば、冬馬くんは私に気づいて、にこっと微笑んでくれる。
「おはよう、雪。いい天気だな。」
「うん、晴れてよかった!」
それから文庫本をしまってこっちの手を取ってくれる。
「行こうか。」
二人でカフェに行って軽食を取り、植物公園に入る。
春だから花の種類も多くて見応えがある。あったかい日差しの中、二人で並んで歩く。
「うわぁ!綺麗!」
チューリップがたくさん咲いている場所はいろんな色があって目を楽しませてくれた。
「あ、あっちはレンゲ畑だー。あの花って」
「はちみつで有名だよな。」
「…先に言われた…。」
「水族館での教訓。食べ物系連想ゲーム、だろ?」
冬馬くんはにこにこ笑って楽しそうにしている。
こうやって私服で隣にいると学校で生活しているのとは違う特別感がある。
一緒に出掛けて一緒にいろんなものを見られるのも楽しい。
彼は春休みもこうやって過ごしたかったのかもしれない。
「あ、スイートピー!!これ、とても好きな花なの!匂いが特に好き!」
花に顔を近づけると甘い、優しい香りが鼻孔に広がる。
「どんな匂い?」
私を真似して花に顔を近づける冬馬くん。自然と顔が近づくので私の方がちょっとドキドキしてしまう。
「本当だ。甘くて、優しい香り。…雪の香りに似てる。」
「え?」
「前も言ったけど、雪は甘い匂いがするよ。何かつけているのかと思ってたんだけど、違うの?」
「私…香水とかコロンとか特につけてないから、あれかな、シャンプーの匂いかな。」
「俺、最近気づくと雪の香りを探している気がする。近くで動くときにふわって香ると雪だなって思えて嬉しい。」
「え。」
言ってから、冬馬くんは照れたような顔をする。
「なんかちょっとダメだったかな、今のは。」
「だ、ダメじゃない!…私も!私も一緒だから!冬馬くんに抱きしめられるときに冬馬くんの香りだなーって思って嬉しくなるの。」
あ、私の方が恥ずかしいことを言ってしまった気がしなくもない。
「え、俺、匂いする?」
「する。爽やかな香り。会ったときからそうだったよ。男の子なのに匂いまで爽やかなんてずるいって思った。」
「なんでずるいの。」
「えー高校生の男の子って汗臭いのが定番かと。そういえば、前に弓道部の見学させてもらったとき冬馬くんかなり汗かいてたのにその時ですら臭くなかった…!女子の敵…!」
「それは褒めてんの?貶してんの?」
「褒めてるの!」
そんなたわいもない会話を続けていると薔薇園に行きついたので、中を歩く。
ミルクレープと薔薇ジャムのケーキセットが有名なカフェが近くにあるらしいのだが、ここの薔薇を使っていると係員のおじさんに聞いた。確かにジャムにする分を除いても十分余るくらい、見渡す限り薔薇、薔薇、薔薇、だ。
こういう場所って現実じゃない空間に人を連れていく気がするから、私もいつもより二人だけだということを強く意識してしまう。
直接繋いだ手がドキドキして汗ばむ。
今日はきっと話そうとして緊張してしまうだろうと予想していたから手に無臭の制汗剤スプレーをして来た。念入りにだ。
それでもそれが無意味になってしまっているんじゃないかってくらい緊張している。
そのせいでさっきから口数が減ってしまった。普段は話していなくても気にならないのだけど、今日はそわそわしている。
こんな状態でこないだのことを持ち出せるのかな。ちゃんと自分の気持ちを言えるのかな。
気づかれないといいな。
いやでも気づいてほしいのかな、自分で言い出せるんだろうか…。
人の背の高さくらいまで育って大輪中輪問わず咲き乱れているその甘い匂いで酔いそう。
甘い匂い…。
甘いといえば冬馬くんの声って結構二人だけの時甘いんだよなぁ…。
…あれ、何しなきゃいけないんだっけ…。
緊張性の発熱と濃い香りでぼうっとしてきた思考を復活させてくれたのは虫だった。
すぐ横からぶぅーんと私の顔に向かってアブみたいな虫が飛んできたのだ。
「きゃあっ。」
思わず隣を歩く冬馬くんのカーディガンにすがりついてしまった。
虫はある種を除けばダメじゃないけど、顔に飛んでくるのはなしでしょ。
だがナイスファイトだ虫!思わず心の中で親指をびっと立てた。
あんな女子力の高い声を私に発させるとは、お主なかなかやりおるな!ファインプレーとして心に留めておくことにする!
「大丈夫?」
冬馬くんは私の肩に手を回そうとして、ためらってからやめようとした。
今を逃せば、きっと今日も言えない。
「や、やめないで!」
冬馬くんのカーディガンをぎゅっと掴み、顔を見ないまま話す。
「あのっ。こないだはごめんなさい!」
「…何度も言ったけど、あれは俺がタイミングを間違えただけで…」
「違うの!嫌じゃないの!」
「え?」
「あれは。…絶対に見逃しちゃいけないものが目に入っちゃってつい、体が動いちゃって。…その、冬馬くんのき、キスが嫌だったわけじゃないの。あの。むしろ待っていたところも無きにしも非ずというか…」
「雪。」
「は、ごめんなさい、嘘です!してほしいと思ってました!それどころかまだだったら自分からもありかなーとか少し思ってました!えっとそのだから」
「うん分かったからちょっと黙って。」
冬馬くんが今度はためらいなく私の背中に手を回して抱きしめてくれた。それから私の肩に手を置き、ちょっと私の体を彼から離す。
「俺も雪とキスしたい。いい?」
ストレートな言葉は回りくどいセリフよりも分かりやすくて、そして私の心を捕まえる。
冬馬くんの黒檀のように真っ黒な目を見返せばもう逸らせない。
その瞳からは逃げられない。
いや、逃げたくない。
私だけを、そこに映して。
私が目をつむると、そっと冬馬くんが身をかがめる気配がする。
唇に、温かくて柔らかい彼の唇が触れた。
唇が離れたので見上げると、冬馬くんは口元を手の甲で隠した。顔が真っ赤だ。
「雪、見ないで。俺、今嬉しくてどうにかなりそう。」
照れた冬馬くんは可愛い。
恥ずかしそうな、こんなに可愛い冬馬くんをきっとみんなは見たことない。
私の特権だ。どきどきして、甘いお菓子を口にいれたみたいに顔が綻ぶ。
私がくすくす笑っていると、冬馬くんは私の腕を取ってぎゅうと抱きしめた。
冬馬くんの腕の中にいることが、幸せ。
ずっとこうしてほしかったんだ。
「ねぇ冬馬くん。」
「…ん?」
「今何を思ってる?」
「……なにって」
「普段、冬馬くん何を考えてるの?何がしたいの?全部私に教えて?」
「…俺のしたいこと、思っていること、全部雪に言ったら雪、きっと引くよ。」
冬馬くんの背に腕を回し、私もきゅっと抱き返す。
「引かないよ。言ってよ。私が知りたいの。」
「…いいの?」
「うん。」
「…俺、雪のこともっと知りたい。雪に触れたい。」
あぁ、おんなじだ。
「雪のこと独占したくて、誰か他の人としゃべってるだけで気になる。拘束しないなんてかっこつけたけど、本当は俺だけの元に置いておきたい。あと…」
「あと?」
「雪も、俺に何思っているか言ってほしい。」
冬馬くんはそっと腕から私を解放して、言った。
「雪、言って?雪が思っていること。雪も、俺に言いたいことがあるんだろ?」
私がこくんと頷くと、冬馬くんは私の腕を取ったまま、聞く体勢に入る。
え、このまま言えと?冬馬くんの顔を見たまま?
すごい恥ずかしいんだけど。
「あのー少しだけ離れてくれると」
「雪。お願い。」
あぁもう!お願い。だなんて可愛い!なんで今日そんなに可愛いんですか!!あなたは可愛いキャラじゃないと思ってたのにそのギャップは罪ですよ!
迷いを捨ててその目を見つめて言う。
「…私、さっき訊いたみたいに、冬馬くんが何を思って、何をしたくて、何を望んでいるか知りたいの。本当は私が悟るべきなんだろうけど、なかなか分からないんだ。だから、直接冬馬くんに言ってほしいの。冬馬くん、みんなと壁を作るタイプだって前に言ってたでしょ?でも私には壁を作らないでほしい。わ、私、どんな冬馬くんも好きだもん。冬馬くんの全部、私だけが知っていたい。隠さないでほしい。怒ったことも、悲しいことも、ちゃんと伝えてほしい。時間かかってもいいから。それから…その。」
「何?」
これはさすがに目を合わせては言えないからちょっとだけ逸らす。
さっきは照れた冬馬くんを見て笑っちゃったけど、多分今は私の方が赤い。
「その…もっと、触れてほしい。もっとぎゅってしてほしい。…だ、だめでしょうか…。」
視線を少しだけ冬馬くんに戻して見上げた途端、また腕の中に閉じ込められた。
「あの…冬馬くん?」
「はぁ。何?さっきから俺を試してる?」
「え試すって何を」
「だめなわけないだろ。…可愛すぎて、誰にも見せたくない。できることならずっとこうやって抱きしめていたい。」
心臓が!心臓が悲鳴を上げています!
これ以上ないってくらい、速い。苦しい。
誰か119番を押してください!いや冗談です邪魔しないでください。もうちょっとこうしてたいです。あぁ私は一人で一体何を!
「雪。」
「はっ、はい!」
「これからはもう雪のこと抱きしめるのに遠慮しないから覚悟して。俺の宣言が本気だってことぐらい、去年1年で分かってるよな?」
「う、うう~。」
「返事は?」
「…はい。」
「よくできました。」
耳元で色っぽい声で囁かないでください!気を失いそうです!




