秋斗に気持ちを伝えよう
「お母さん、今からちょっと秋斗のところに行ってくる。帰るの遅くなるかもしれないから、先にご飯食べてて。」
「雪。」
お母さんがキッチンから出てきた。
「秋斗くんのこと、整理ついたの?」
「つかないよ、そんなに簡単に。ずっと一緒にいたもん。」
「そうね。私から見ていても、あなたたちは驚くほどずっと一緒にいたもんね。…太陽が嫉妬して寂しくてあなたに冷たくしたくらい。」
太陽がああなったのは私のせいか。
「…うん。でもね、もう逃げちゃいけないと思って。思ったら、すぐにやらないと、決心が鈍りそうで。」
「…そう。雪、あなたはあなたよ。秋斗くんはきっとあなたのどんな結論も最後には受け入れてくれるわ。」
お母さんは、きっと私が何で悩んでいるか気づいている。そして私の決断にも。
「…そう思う?」
「あなたたちがどれだけ一緒にいたと思っているの?私よりも秋斗くんの方があなたのこと分かっているんじゃないかってたまに思うくらいよ?もう少し秋斗くんのことを信じてあげなさい。」
お母さんは、私に歩み寄ってぎゅっとしてくれた。
「雪、どんな道でも、あなたの結論よ。自分を責めちゃだめよ。」
「…うん。」
ありがとう、お母さん。
秋斗のお母さんもすぐに入れてくれて、秋斗の部屋に向かう。
秋斗の部屋に入るのは、あの夏の秋斗の卒業宣言以来。
部屋には既にいくつも段ボールができていて、本棚は空になっていた。
秋斗は椅子に座って机の上を見ていたようだが、私が入ってきたのに気づいてこっちを見た。机の上には、写真立てが2つあった。幼い私と秋斗と太陽が三人で写っているものと、それからクリスマスパーティーで泉子先輩が撮った全体写真。
ガランと寂しくなった部屋で、どんな思いで、あなたはこれを見ていたの?
「座る?」
「…ううん、大丈夫。立ってる。」
「そ?じゃあ、俺も立とうかな?」
私の前に、秋斗が立つ。
正面に立って、まじまじと彼を見つめる。
小さくて整った顔に、均整の取れた長い手足。
そのエメラルドの目も、柔らかい金色の髪も、ずっとずっと、一番近くで見てきた。
彼はまごうことなき、攻略対象者のイケメンだ。
そして私は、そのイケメンの幼馴染で、主人公に嫉妬する悪役として作られた存在。
だから私たちは出会うべくして出会ったのかもしれない。
でもそんなきっかけ、どうだっていい。
ゲームなんてこと関係なしに、私たちは私たちの意思で仲良くなった。
私にとって秋斗は秋斗。
小さい頃から、泣いたり怒ったり笑ったり、いろんな表情が可愛らしかった、甘ん坊の幼馴染。そこは変わらない。
でもいつの頃からか、背中に庇ってきた小さい華奢な男の子は、私よりずっと大きくなって、見上げないといけなくなった。天使の声と例えられていた高くて澄んだ声も低くなっていた。私を簡単に支えられたり押さえたりできるくらい、しっかりした体になった。
秋斗、男の子になったよね、本当に。
時が経って変わってしまうものも、変わらないものもある。
秋斗と私は歳が上がって、男女という違いがはっきり出てしまった。
友達でい続けるには私たちはあまりにも近すぎた。
でも、私が秋斗を大事に想う気持ちは変わらない。
その想いは届けたい。
「秋斗。」
「なに?ゆき。」
彼のその綺麗な瞳を見つめたまま、口を開く。
「返事、する。…私、秋斗のこと、この世界で一番大事。秋斗のこと、好きだよ。…でも、それは、恋愛としてじゃない。家族としてなの。…ごめんなさい。秋斗の気持ちに、応えられない。」
秋斗はそれを聞いても驚いていなかった。
ただ、苦しそうに笑った。
「そっか、うん。俺もね、気づいてた。」
「…いつから気づいていた?」
「いつからかなぁ。12月入ったときくらいから、ゆきがあいつのこと目で追っているのは、分かってた。決定的だったのは、クリスマスパーティーかな。」
「そんなに前から…。」
「俺がどんだけゆきのことを見ていると思っているの?」
秋斗が近づいて手をそっと私の頬に添える。
「小さいころから、ずっと、ゆきだけを見てきたんだよ。その俺がゆきの気持ちの変化に気づかないとでも思った?ゆき自身が気づいていないことにだって気づくよ。」
何と言えばいいんだろう。
彼はどんな思いで私を12月の間見ていたんだろう。苦しかっただろうに、いっぱい吐き出したいことはあっただろうに、冬馬くんにも、私にも、そんな様子は微塵も見せなかった。
言葉が詰まる。
「俺、分かってた。ダメ元で、1月に告白したんだ。…ゆきにちゃんと返事をもらわないと、俺、ゆきのこと諦められない。」
泣いちゃ、ダメだ。
必死で唇を噛む。
一番辛いのは、秋斗なんだから。
秋斗が自嘲するように歪んだ笑みを見せた。
「…嘘。かっこつけた。俺、期待したの。俺が離れるって言ったら、ゆき、考え直してくれないかなって。俺のところに来てくれないかなってさ。」
「…思ったよ。秋斗は私にとってかけがえない存在だよ。私が秋斗のこと好きだって言ったら、付き合ったら、秋斗はずっと私の傍に居続けてくれるんじゃないかって、考えた。…でも。それは嘘の気持ちだもん。きっと、後悔する。それで、後悔したことについて、秋斗に申し訳なくて、どうしようもなくなると思った。」
「うん、そうだね。やっぱどこまでもゆきはゆきだなぁ。はは。」
秋斗が泣きそうな顔でそっと私から目を逸らす。
「俺、そういう潔くて凛としたゆきが小さい頃から好きでたまらなくて。ゆきに告ちゃったら微かな希望も消えるって分かってても、どうしても告いたくてさ。」
「秋斗…。」
「ゆき、なんで行くのって訊いたよね?一人暮らしも出来るのにって。…出来るよ?出来るけど、こうなることはどこかで分かってた。だから、ゆきの一番望むことのために、俺、向こうに行った方がいいと思った。それは、俺が望むことでもあるから。」
「私の望むこと…。」
「うん。ゆきが俺を恋愛という意味で選んでくれなくても、俺がゆきの傍にいるっていう、約束。…でも、ゆきのことをそういう対象として見ないようにするためにはゆきが近くにいない時間が必要だと思った。ゆきが近くにいたら、いつまで経っても気持ちを変えられない。」
秋斗は、私の無茶なお願いを聞こうとしてくれている。
そんな秋斗に私がすがってはいけない。決して、行かないでと言ってはいけない。
「ゆきが1か月以上も悩んでたのと同じ。俺も、ゆきのことが何よりも大切だから、ゆきとの約束は守りたいんだ。」
そう言ってから、秋斗は私の肩に優しく手を置いて、そのエメラルドの綺麗な瞳で正面から私を見た。
「ね、ゆき。俺がゆきとの約束を守る代わりに、俺のお願い、三つ聞いてくれない?」
「うん。言って?」
「まずはね。俺がいなくなった後も、ちゃんと学校生活を楽しむこと。1月の間みたいな上辺だけの生活をしないこと。」
「…約束する。」
「それから、二つ目。俺、ゆきのことそういう対象としてみないように頑張る。それでね。」
「うん。」
「俺、5年後にこっちに帰ってくるって決めてるんだ。ゆきが大学卒業するくらいだね。その時には、俺のこと、笑顔で迎えて?」
「秋斗…。」
「俺、ゆきの笑顔が大好きで、どんな関係になってもそれを見せてほしいんだ。それを陰らせないでほしい。…例え恋人って関係に立てなくても、俺に今まで見せてくれていた笑顔をなくさないで。俺の一番の宝物を俺が壊すなんて耐えられない。」
どんな思いで、彼はこれを言ってくれているのか。
彼はどうしてこんなに私に甘いの。
私が彼を引っ掻き回してズタズタにしたのに、秋斗はいつも私のことを想ってくれる。
こんなことを言ってくれる。
「…分かった。うん。」
「三つ目。ゆき、あいつに気持ち伝えた?」
「まだ、言ってない。…言えないよ、そんな。秋斗より先になんて。」
「よかった。…お願い。あいつに気持ち伝える前に、ゆきから、俺にキスして?」
「どうして…。そんなことしたら…秋斗が余計辛いよ…。」
力なく首を横に振る私を見て、秋斗がすがるように私の手を取った。
「いいから。……かっこいいこと言ったけどさ、俺がゆきを想う気持ちは、ゆきに断られたからって簡単に消せるような軽いもんじゃないんだ。…今も、この手を離したくなくて…ずっとこうやって握っていたいのに…でも俺にはもう、できないから。」
一体どれだけ、私は愛されているんだろう。
「俺にキスした瞬間は、ゆきは俺のことだけ考えてくれるでしょ?」
どうして、私は彼の隣にいてあげられないんだろう。
「一瞬だけでいいから。ゆきの心を、俺だけにちょうだい?俺のことだけ、考えて。」
辛そうに眉尻を下げ、それでも優しい瞳をこちらに向けようとしてくれるあまりにも綺麗な幼馴染。
大切で大切で壊したくない、宝物。
どうして、こんなに大切な人を、私は選べなかったんだろう。
彼を抱き締めて、傷ついたその心を優しく包み込みたい。
でもそれは私には許されない。傷つけたのは私なんだから。
それならせめて。
彼の望むことを、彼の望むとおりに。
少しだけ目をつむって、その手を握り返す。
それから目を開いて、柔らかい髪に手を伸ばして、彼の目をきちんと見返す。
「分かった。秋斗、目、つぶって?」
私に言われた通りに目を閉じた彼の長い睫も、こんなに間近で見られるのは、これが最後。もう少しで彼は私が手を伸ばしても触れられないところに行ってしまう。
その姿を見るだけで胸が締め付けられるように苦しい。
秋斗が目を閉じている間なら、許されるかな。
伸び上ってした秋斗との2回目のキスは、涙の味がした。