自分の気持ちを確かめよう
1月1日の秋斗の告白に、私は時間をくださいと言った。
考えさせてほしい。
秋斗が遠くに行ってしまうという確実な未来を、私の脳が受け入れてくれない。
秋斗は私の半身だ。
小学三年生の時からずっと一緒にいた。それこそ家で遊ぶときもクラスも中学の生徒会も全部、なにもかも一緒にやってきた。
今年だってそう。
あえて突き放そうとしたのに、同じ部活や生徒会に入ってまで一緒にいてくれようとした。
私が怪我した時や様子がおかしいことにもすぐに気づいてくれた。
イベントで命の危険が迫った時だって助けてくれた。
氷の壁に閉じこもって目を覆っていた私の心を解放してくれたのだって秋斗だ。
どんな時も、片時も離れずに私を見ていてくれた。
そんな彼がついに私の傍から離れて行ってしまう。
それがこんなにも早く、確実な未来になってしまうなんて。
それが辛くてたまらない。彼がいない未来、というのが想像できない。
こうやって今年一年、いや今までの過去を全て振り返れば分かる。
秋斗に精神的に依存していたのは私の方だ。
私が秋斗と付き合ったら、私と秋斗の繋がりは強いままだ。距離が遠くなっても、連絡を取っていいし、向こうに行ってもいいし、心は傍にいられる。
秋斗を失いたくない。その想いが余計に迷いを生み、分からなくなる。
私は、秋斗に、なんて答えればいいんだろう。
答えたいと思っているんだろう。
年始のもやもやが解消されることはなく、3学期は始まった。
いつもの通り、授業を受け、部活動をし、生徒会の活動をこなす。
帰ったら予習復習をする。
みんなに笑い、ふざけ、突っ込む。一緒に喜び、悲しみ、怒る。
秋斗も私もいつも通り変わらなく過ごす。
でも、それは表面上のことで。
私の心の奥は死んでいた。驚くほど心が動かなかった。
静かに、一人で暗い澱みの中を迷い佇んでいた。
そんな様子で過ごしてあっという間に2月の初日を迎えた。
「雪さん。広報2月号作ったから貼りに行こう?」
「うん、オッケー!」
俊くんと一緒に歩いて校舎を回る。放課後だからばたばたしなくていい。
とりとめのない俊くんの話に相槌を打ちながら、彼の横顔をぼんやりと見やる。
俊くんにとっても秋斗は友達だ。秋斗には転校のことを決して誰にも言わないでほしいと言われたから他言はしていない。
だけど、そのまま誰にも話さず行くつもりなの?
物思いにふけっていたら、廊下の影、階段の近くのところでいきなり彼は立ち止まってためらいがちに言ってきた。
「…雪さん、あのさ。」
「何?」
「雪さんって、なんでも一人でできるくらい優秀な人だと思うけど、それでも、抱えきれなかったら他人に頼っていいんだよ?」
「え?ど…う、いう意味?」
「僕だってね、気づくよ?ちょっとだけだけど、違和感があるし。」
「…私、そんなにおかしいかな?変な態度、取っちゃってる?」
俊くんが苦笑した。
「雪さんとどれだけ一緒に色々やってきたと思ってるの?僕、実は雪さんと一緒に行動する機会、秋斗くんの次に多いんだからね。僕ですら気づくんだからさ、雪さんのこと、もっと見ている秋斗くんや未羽さんや冬馬くんは当然、気づいているよ?でも、雪さんが絶対に触れるなって空気出しているから、訊かないんじゃないかな。」
未羽、年末年始に実家に帰ってご両親とちゃんと話せたのかな…。
そんなことすら訊けていないことに気づく。友達の状況すら把握できないくらい、今の私には余裕がない。細い糸の上を歩いているような、あやふやでふらふらした不安定な毎日。
「僕は、泣きたいときは泣いていいと思うんだ。もっと甘えていいんだよ。雪さんは自分に厳しすぎる。」
「でも…」
頼っていいの?泣いてもいいの?許されるの?
「僕じゃ、いつもの秋斗くんや冬馬くんの代わりには、なれない?」
俊くんがあの柔和な笑顔を浮かべて頭を撫でてくれるから張り詰めていた糸がぷちんと切れた。
「俊…くん。じ、事情…今は…話せ…ないんだけど、ちょっとだけ、肩借りて、いい…かな?」
「どうぞ。」
微笑む俊くんは、優しい。
未羽や冬馬くんが心配してくれているのは、さすがに私だって気づいている。
だけどどうしても二人には頼れない。
それは、この私の恋愛の利害関係者だから。
でも俊くんは、そこから少し外れた空気の中にいる。彼は間違いなく、ぶれずに一番の男友達の位置にいてくれる。
私は俊くんの制服のセーターにしがみついて、少しだけ、泣いた。
俊くんは約束通り何も訊かずにそっと頭を撫でてくれた。
しばらく廊下の隅で泣いていたら、俊くんの手伝いに来てくれた冬馬くんと鉢合わせてしまった。
「俊!仕事てつ…え?」
「冬馬くん、しっ。」
俊くんが人さし指を口元に当てる動作をするが、冬馬くんは止まらなかった。
「相田!泣くほど辛いなら、なんで言わないんだよ!?」
ぐっと肩を掴まれて正面からまっすぐに見てくるその目から目を逸らす。
「ご、ごめん…。じ、事情…があって。これは私の問題で…。冬馬くんや未羽に頼るわけにはいかなくて…。」
「俊には頼るのか!?」
「し、俊くんは…その」
「だめだよ冬馬くん。」
私に詰め寄る冬馬くんを止めてくれたのも俊くんだった。
「雪さんにだって、僕たちにも隠したいことはあるよ。そうやって詰め寄るのはよくない。」
冬馬くんはその言葉に顔を歪めた。
「…それでもっ…!……俺、そんなに頼りない…?」
「ち、違う!そうじゃないの!そ、そうじゃない…。」
こうやって向かい合えば、はっきりと分かる。
彼が痛いほど心配してくれているのが。
そしてそれを嬉しいと思ってしまう自分の心も。
この1か月、彼のことを恋愛的に好きだと思ったのは勘違いじゃないかと思って、彼と行動するときに自分の心を客観的に眺めてみた。
勘違いだったら、秋斗との離別に対するこの抱えきれないほどの苦しさは恋愛からくるものだと結論付けられる。そうすれば、秋斗の告白への返事だって決まるし、万事が丸く収まる気がした。
でもそんな儚い望みは、私自身の心によって砕かれた。
勉強会をするときでも、仕事をするときでも、隣の席で授業を受けている姿を見ているときでも、その横にいられることを嬉しいと思う自分。
彼を知りたいと思う自分。
彼を独占したいと思う自分。
彼に触れたいと思う自分。
それに気づいてしまう。これは勘違いじゃない。
私は冬馬くんが好きだ。秋斗じゃない。
それは残酷にも事実で。
だから余計に動けなくなってしまった。
誰にも話せなくて、しまい込んでいた。
でも、もう、時間切れだ。もうすぐ秋斗は行ってしまう。
このまま、秋斗を大事に思っているみんなが秋斗にさよならを言えないまま彼を行かせるわけにはいかないんだ。
そして恋愛に関してもそう。
四季先生の言う通り、心を決めているのに期待させて待たせちゃだめだ。
「あのね…。」
「雪さん無理しなくていいんだよ?」
「ううん。ありがとう俊くん。でも言わなきゃ…ダメなの。…あ、秋斗がね…イギリスに転校しちゃうの。」
二人が弾かれたように身じろいだ。
「いつ…?」
「2月、14日。私、秋斗と元旦、に初詣行って、この、話、聞いて。」
「い、いつ帰ってくるって…?」
「分からない…。ご両親についていくんだって。もう、もう、秋斗帰って来ないかもしれないの!私、私、言ったら現実だって完全に受け入れなきゃいけない気がして、どうしても、みんなに言えなくて。だ、黙っていて、ごめん。こんなにギリギリまで言えなくてごめんなさい。」
「相田…。そんなに自分を責めなくていいから。…言ってくれて、ありがとう。」
その日の夕方、私は秋斗にラインした。
『秋斗、今から返事言いに行くから、部屋行っていい?』
『うん。来て。』