映画を観よう
12月12日。
歩いて待ち合わせの駅に向かっていたのだが、遠くからでも人が集まって遠巻きに見ている場所があるのが見えた。
まさか、気のせいでしょ?ともう少し足を進めてきちんと確認しても、そこは間違いなく彼と示し合わせた待ち合わせ場所だ。嫌な予感は的中していた。周りの女性から熱い視線を送られているその先、中央には私の待ち合わせの相手がいた。
これはまずい。
「お待たせしましたっ!」
砂糖に群がるアリのように彼の近くに人が集まる前に走っていく。ショートブーツだから走るのにそれほど苦労しない。
私に気づいて冬馬くんがケータイから顔を上げてこちらを見た。
「おはよう、相田。待ち合わせより早く来たのは俺なんだから走って来なくてもよかったのに。」
「そんなに走ってないよ。それより私、先に着けたと思ったのにな。まだ10分も前だよね?なんでこんなに早くに?」
主役より後に着くわけにはいかない、と早めに家を出たはずなのに。
「…待ちきれなかったんだ。」
そこでどうして頬を染めるのかな!?
にこりと笑う冬馬くんに思わずきゅんとする。どんなに枯れてる女だって普段は飄々としているイケメンが頬を染めて微笑んだらくすぐったい気持ちになるものだよね?
「そ、そっか。ありがとう…えっと。じゃあ行こっか?」
私たちは5つ先の駅まで向かう。
土曜日なので映画館は少しだけ混んでいた。
「どれ観たい?」
「希望ないの?」
「特には。相田が選んでいいよ。」
こういう時はカップル向けの恋愛映画を観るのが普通なのかもしれない。
けれど。
「だったらあれがいいな。」
私が指さしたのは、ベストセラーファンタジーの3時間映画だ。原作が好きだったので是非観たいと思っていたところにこの話が来たので、渡りに船だと提案してみる。
「ファンタジーとか、あんまり観ない?」
「そんなことないよ。俺、チケット買って来るからちょっとここで待ってて?」
「いやいや!誕生日をお祝いするのは私だから!私が買って来るよ。」
飛び出そうとした私は目の前にすっと出された腕に止められた。
「ちょっとはかっこつけさせてくれない?」
人差し指を顔の前で立てて、ちょっとウインクするなんて。
イケメンがやらなかったら世の中の女性に即座に埋められてしまいそうなそんな動作も彼なら逆に決まりすぎてしまう。
ほら、あっちこっちのギャラリーから「もう一回―!!」って悲鳴が聞こえるじゃないですか、お兄さん。
こうなると、上映中は隣が気になって集中できない、というのが一般の恋愛感覚を持った女の子かもしれない。いや、例えこんなことがなかったとしても、これだけかっこいい男の子を隣に連れて映画を観るわけだから、緊張してがちがちになってしまうのかもしれない。
ところがそこは私。
「面白かったぁ!!!」
自分でも残念になるくらい枯れているせいなのか、それともイケメン耐性がついているせいなのか、思い切り映画に没頭してしまった。
「最後のシーン良かったぁ!原作を忠実に反映してくれていて!」
「そうだな。主人公が友達を庇って相手の攻撃を受けたところとか迫力あったな。」
「ね!楽しかったよー。あ、映画館出る前にトイレ行っていいかな?」
「じゃあ、向こうで待ってる。」
そのままるんるん気分で歩き出したらぐっと腕を強く掴まれて止められた。
え?
振り返ると苦笑した冬馬くんが困ったように指摘してくれた。
「相田、そっち男子トイレ。」
やってしまった!!!映画に夢中になりすぎて興奮して周りが全く見えなくなっていたなんて!
「本当に申し訳ないです…。」
映画が終わった後、カフェで遅めの昼食をとっているときに、私は冬馬くんに謝った。
さすがに男子トイレに元気よく直進していたことを指摘されたときは顔から火が出そうだった。冬馬くんがあと一歩遅かったら私は当然のように男子トイレのドアを開けて利用者とこんにちはしてしまっていただろう。
やりきれない思いで謝る私を見て冬馬くんはくすくす笑っている。
「さすがに自分でもどうかと思うわ。隣にいる冬馬くんそっちのけで映画に熱中するわ、男子トイレに入ろうとするわ…。」
正面の席でサンドを食べていた冬馬くんは思い出し笑いをやめて私を見ると、目を細めて微笑した。
「相田らしくて、面白かった。俺、今すごく楽しい。」
その言葉と、その表情を見て、きゅううんと胸の奥を絞られるような感覚がする。
でも嫌な気分じゃない。むしろ逆だ。
気分が高揚する。
「こ、この後どうするの?考えてなかったけど。」
優しい笑顔の彼から目を逸らして尋ねる。だってなんだか顔を直視できない。
なんで?これまで冬馬くんとご飯食べたことだって何度もあったし、勉強会でも正面向かい合って普通に話してたじゃないの。
「んー。この近くに自然公園があるんだ。外寒いから出歩くのはどうかと思ってたんだけど、相田、動物好きだろ?結構カモとか泳いでるから、見に行く?」
「うん、行く!」
「それじゃ、行くか。」
席を立つと、二人で並んで自然公園まで歩いていく。
冬馬くんは、私より背が高くて当然足の長さが違うわけだから歩幅だって違うはずなのに私は特に苦も無く彼の隣を歩いている。それは彼が私の歩調に合わせてくれているということだ。
そんな心遣いが嬉しい。なんでこんなにもあったかい気持ちになるんだろう。
公園に着くと、目の前には大きな池が広がっていた。池の周りを囲むように歩道が敷いてあって、ところどころにベンチが設置されている。
「わぁ、カモ!!カモがいっぱい!!」
自然公園にはいっぱいカモがいた。みんなで寒い中首をすくめて寄り添っている。
「あ、カメもいる!結構おっきいね!」
巨大な鯉たちの間をのんびり泳いでいるのはミドリガメだ。
「あれ?冬馬くん?」
池の柵に身を乗り出すようにして見入っていた私を見て静かに微笑んでいる。
小さな娘を見守るお父さんですかあなたは。
「…ごめん、またやってしまった。」
「やっててくれていいよ。動物見ると人変わるんだな。奈良の時もそうだった。」
「見事に野生化しますとも、ええ。認めます。」
「違うって。無邪気で可愛かっただけ。」
なんでさらっとそういうこと言えちゃうの!?頬がまた熱い。
「学校では、冷静で合理的な行動が多いだろ?監禁された時ですら落ち着いてた。」
あれはイベントだと分かっていただけだ。
「こういうの、ギャップ萌えっていうのかな。」
「そぐわない!冬馬くんからその言葉はそぐわないわ!」
「なんで?俺だって、作っている面だってあるよ?そうだな、相田の中で俺ってどんなイメージ?」
冬馬くんのイメージ。
「博学多才、文武両道、落ち着いていて大人っぽい、一歩引いたところからみんなを見ている。周りへの気配り上手。空気読むのがうまい。」
「だろ?でも…」
「でも、幼いところもあって、意地っ張りで負けず嫌いでもあるよね。むきになると止まらなくなっちゃったり、逆にびっくりするくらい素直な面もあったり、そんな感じかな。」
冬馬くんはそれを聞いて驚いた表情をしている。
「…すごいな、相田。案外隠せてないもんだな。」
「多分、秋斗も、俊くんも、こめちゃんも、先輩方も、みんな気付いているよ。冬馬くんが見かけよりももう少し幼かったりするところ。…みんな、気づいてくれてる。」
私だってそうだ。未羽にも、秋斗にも全然隠せないし、私がみんなから少し離れた場所にいようとしたことは、明美や京子だって気がついていた。
「相田ってさ。ちょっと俺に似ている気がするんだ。」
「え?」
隣にやってきた冬馬くんの髪を北風が煽る。
「周りから一歩引いて、ちょっとだけ壁作って、周りを見ているってとこ。」
それは間違ってないかもしれない。
「でもさ、そうやって外から見ているつもりで、実は結構周りに見られてて、気づかれているもんなんだよな。」
「…うん。」
「俺、君恋高校入ってよかったって本当に思ってるんだ。大切な人がいっぱい出来た。俊や増井、茶道部の野口たちみたいな友達も、会長たち先輩方も。それから、新田っていう一番のライバルも。」
ライバル。冬馬くんにとって秋斗はライバル。きっと秋斗にとってもそうだ。それは私以外についても。
「そういう風に得られた人達を、なくすつもりはないよ?」
「え?」
「相田はさ、気にしてんだろ?俺と新田の仲を。」
「な、なぜそれを!?」
「君恋祭の最終日、相田が酒で酔っぱらったときに言ってたよ?」
あれは夢じゃなかったのか!?あぁだから未羽もあの時あんなことを!
つい動揺が出てしまい、動かした手が冬馬くんの手に当たってしまった。私は冷え性だ。それも冬は末端の感覚がないのが普通、というくらいの重症。当たるだけでもこの真冬に氷を押し付けるような攻撃を加えたのに等しいと思う。
「ごめんっ!冷たいでしょ?」
「大丈夫。…女の子って想像以上に手冷たいんだな。」
「そうでもないよ。冷え性の人だけ。それにここまで冷たいのは珍しいと思う。お母さんに冷凍マグロって言われてるくらいなんだよね。今、手袋するから。」
「待って。」
手をきゅっと握られた。
冬馬くんの手は男の子の手で、私の手より大きくて、骨ばっていて、あったかい。
「そのまま手袋してもどうせあったまらないだろ?」
すっぽりと包まれたわけでもないのに握られた指先から冬馬くんの熱が伝わってくる。
びりびりと電撃が走るみたいに、私の神経がそこに集中する。
心臓が、痛いくらいドキドキして、呼吸が浅くなる。
手はまだ冷たいのに顔はすごく熱い。
どれくらいそうしていたのかは分からない。冬馬くんの手が冷たくなり、私の手が人の体温よりわずかに低いくらいぬくくなったところで、手が離れた。
あ、放したくない。
寒い中ごめんね、でもなく。
温めてくれてありがとう、でもなく。
その手が離れることを惜しいと。
もう少し触れていたいと。
そう、思ってしまった。
だから分かった。
ぐちゃぐちゃに絡まった糸がするする解けて、形を作る。
他の女の子の髪に冬馬くんが優しく触れるのを見て、喉の奥が苦くなる理由。
他の女の子と冬馬くんが笑っているのを見て、目を背けたくなる理由。
寝顔を見て髪に触れたいと思ってしまった理由。
笑いかけてくれる顔を見て胸の奥が絞られるような甘酸っぱい気持ちになる理由。
そんなもの、一つしかない。
ほんのわずかに頭の片隅に灯っていた疑惑の明かりがその強さを増して私の心を明るく照らすから、もう、否定しようがないくらい、はっきりと認識してしまった。
私は、冬馬くんが好きなんだ。