二章
――エネルリアム王立軍事学校内――
カイトはシュルツと共に、教室内へと足を踏み入れた。
それと同時に、ざわついていた生徒達は静まり返り、全員がカイトに視線を集めた。
教室の中には教師はいない。なぜなら、この王立軍事学校の教師とは、『元帥』、『上級大将』、『大将』、『中将』、『少将』以下の位の武官、文官の事を指すからだ。
入れ替わり立ち替わりで下位士官が訪れ、戦争が何たるかを教え、訓練するのがこの学校なのである。
それをすでにシュルツから聞いていたカイトは、一直線に黒板に向かい、大陸文字(ダイロア大陸内で使われる文字)で自らの名前を書いた。
「カイトだ。よろしく頼む」
それだけ言って、カイトは空いていた、一番後ろの席に座った。周りからは『それだけか?』等の囁きが聞こえるが、カイトはそんな事は露ほどにも気にしていない。そればかりか、品定めをするように教室内の人間を見回していた。
――女が五人に男が一四人。使えそうなのは、シュルツを含めて五人か。
そこまで考えた時、隣の席にシュルツが腰掛けた。
「どうだ? 軍師の目から見て」
シュルツがそう言うと、教室内がまたもざわめく。
『軍師?』
『軍師だってよ』
『これで一組の奴らにも負けない……かな。どうかな』
『軍師がいないクラスなんてここくらいだからなぁ』
その声を聞いて、カイトは軽く笑った。
「随分と負け犬根性が染み込んだ奴らだな」
「無理もない。ここ一年近く、模擬戦に勝った事などないからな」
「ふん。例の裏ルールって奴か。そんなもん、どうにでもなるって言うのにな」
「……なんだと?」
「聞こえなかったか? あんなルールは、有っても無くても一緒だ。あんな穴だらけのルールで勝ち線が消えるわけねぇだろうが。てめぇらそれでも士官候補生か」
カイトの声が教室中に響き、教室内のざわめきはさらに大きくなった。そこで、カイトに向かって来る一人の少年がいた。
金色の逆立った髪の毛で、目付きの鋭い少年だった。身長はカイトと同じか、それ以下だろうが、よく鍛えられている身体つきだ。
「おい。デカイ事言うのは勝手だけどな。俺らまで巻き込むんじゃねぇぞ。気に食わねぇが、一組の軍師のリデルは相当のモンだ。お前、そいつに勝てるのかよ?」
「勝てる」
即答だった。カイトの言葉に揺らぎはなく、表情も自信に満ち溢れていた。だが、金髪の少年は納得がいかないらしく、カイトの胸倉を掴んだ。
「何か根拠でもあるのか? 俺らがお前を信じてついて行けるだけの、確たる根拠はあるのかよ?」
カイトは胸倉を掴まれたままで、ニヤリと笑う。
「そうだな。まず、お前の事だが――右利きの弓兵だろ。視力もかなりいい。だが、弓以外の才能には恵まれなかったらしいな。弓隊の隊長にはなれるかも知れんが、それ以上は望めないだろう。下半身の筋力が弱そうだし、馬に乗るのも得意じゃないみたいだな」
「っ……!」
カイトが言った事で、金髪の少年は絶句した。しかしそれは、全て当たっているという事の裏返しでもある。能力を見る事もせず、カイトはそれを看破したのだ。
「何を驚いてる? 上半身の筋力がかなり発達してるが、足は細い。右腕と左腕の筋肉にも少し差がある。典型的な弓兵の筋力だ。弦を引っ張る利き腕だけが発達するのは、よくある事らしいからな。それと、視力の事だが、お前は俺の顔を見ながらここまで歩いて来た。だが、一度たりとも焦点をずらさなかった。……俺程じゃないが、かなり視力がいい証拠だ」
カイトは一気に捲し立てる。が、やはり凄いのはカイトだろう。教室内という狭い空間だとはいえ、金髪の少年の目の動きをずっと見ていたのだ。これは、島育ちでずっと星を見て来たカイトにしか出来ない芸当である。
「どうした。他の奴の事も言ってやろうか。……一番前の席の女」
カイトが指名したのは、小柄な少女だった。短く栗色の髪に、栗色の瞳。可愛らしいという表現がピタリと嵌る少女だ。
「ふぇ? あ、あたし?」
「そうだ。お前は線も細いし、文官志望だろう。だが、ここでは救護役を担っているようだな。爪が極端に短く、肌の色が手の甲だけ白い。常に手袋をしている証拠だ。日中はそれなりに暑いってのに、手袋をしてるって事は、素手で触ったらマズイ物を扱ってるって事だ。……人の怪我、とかのな」
「ひぇ……凄い……」
さらに、カイトは続けた。
「その隣の背の高い女」
カイトに指名され、背の高い少女が頬杖をつきながら視線を向ける。黒の髪に赤い瞳。目付きは鋭い。
「なんだい」
「お前は槍か、長刀の使い手だな。バランス良く鍛えられてるが、親指に僅かな日焼けの跡があるし、肩の筋肉が発達してる。この大陸で親指だけ日焼けする兵士は、槍か長刀の使い手だ。長い武器を使う兵士は親指だけを出す籠手を使うのがこの大陸の習わしだったはずだ」
「御名答」
背の高い少女は、ふふんと笑って、手を叩いた。
「もう一人。そこの一番デカイの」
カイトは、壁際の席に座っている、一番大きな生徒を指名した。カイトより遥かに大きく、筋骨隆々、という表現しかできないような、大男だった。
「……俺か」
「お前は、そうだな。全体的にバランスがいい。たぶん、何をやってもそれなりに出来るだろう。力もあるし、武器の扱いにも長けている。……が、未だに自分に合った武具が見つかっていない。どれを持っても合わない。そうだろう?」
「……どの武具も、もろ過ぎるのだ」
大男は、寂しそうに言う。そこまで看破し、カイトは最後に付け加えた。
「今、俺が説明した奴らに、シュルツを加えた五人。それが、このクラスで模擬戦を勝つための要だ。今の五人が、俺の言う通りに動くだけで、俺達は勝てる。絶対にな」
そこで、やっとの事で金髪の少年がカイトの胸倉を離した。
「本当に、勝てるのか?」
「勝てる。俺の言う通りに動け。それだけで、お前らは士官へ一直線だ」
カイトは言い放つ。やはり、言葉に迷いはなかった。そして、さらに続ける。
「いいか、よく聞け。俺は『黒扇』を超える。『黒扇』の英雄譚を塗り替える。数年後、俺の名前とヒルデスの名前は、大陸中に轟く事になる。さぁ、選べ。一生下位士官で終わるか。それとも、俺について勝利の味を知るか。……どっちがいいんだ?」
その言葉に、根拠は少しもありはしない。カイト自身、自分の力がどの程度の物なのかわかっていないし、この教室にいる人間はもっての外だ。が、なぜか、カイトの言葉には説得力があった。
『コイツなら何とかしてくれるかもしれない』。そう思わせるだけの力が、カイトの言葉にはあった。
だからこそ、教室中が活気で溢れた。カイトが現れただけで、負け犬根性の染みついたクラスが、士気を上げたのだ。士気を上げる。
それは、言う程簡単な物ではない。部隊が今、何を欲しているのか。それを考えた上で、何かを与えてやらなければいけないのだから。
そして、今このクラスが求めている物。それは、『勝利』だった。カイトはそれを見抜き、こんな事をやってのけたのだ。
――よし。これでやっと戦える。士気が上がらない状態じゃ、勝てるもんも勝てなくなる。
考え、カイトは口を開いた。
「さっき言った五人は俺のところへ来い。色々と聞きたい事がある」
そう言って、カイトは教室を出て行った。
――エネルリアム王立軍事学校・校舎裏――
「なんでこんなところなんだよ」
金髪の少年が、カイトに尋ねる。話し合いをするならば、教室でも良かった。そう言いたかったのだろうが、カイトの考えは違うようだった。
「馬鹿か。隣の教室には、次の敵である一組がいるんだろう? そんな、敵の目と鼻の先で話し合いなんぞしてられるか」
「う……」
カイトの言う事に納得し、金髪の少年は押し黙る。
校舎裏は人気がなく、少し小さいが、森のようになっていた。その中に、カイトを含めた二組の六人がいる。
「とりあえず、自己紹介からだ。俺はカイト。名字はない。シュルツ以外の四人は名前を言ってくれ」
カイトは木の棒を拾い、地面に何やら描き出した。それを気にしつつも、金髪の少年が口を開く。
「……俺はジル。ジル=バンズだ。お前の言う通り、弓兵だ」
そして、残りの三人もそれに続く。
「あたしはアリーニ=ルーデル。得意なのは、槍」
「わ、わたしは、ニアです。ニア=フー。りょ、料理とか、洗濯とか、治療とかが得意ですけど……。や、お役にたてるんでしょうか……?」
「……グラット=ラジム」
一通り自己紹介が終わると、カイトは地面から視線を上げ、五人を見る。
「ジル。アリーニ。ニア。グラット。それにシュルツ。お前らには、俺の部下になってもらう事にした。……とは言っても、俺は詳しいルールまでは知らん。シュルツにさっき大まかな事は聞いたが、もっと深く知りたい。例えば、今の状態で二組が得られる軍資金、とかな」
カイトがそう言うと、ジルは考え込む。
「んー……。前回は金貨五枚、銀貨七〇枚、銅貨五〇〇枚だったよな」
この大陸では、貨幣は統一されている。銅貨一〇〇〇枚で銀貨一枚分。銀貨一〇〇枚で金貨一枚分。つまり、前回の模擬戦の時に二組へ与えられた軍資金は、銅貨換算で五七万五〇〇枚という事になる。
「兵士を一人雇うのに使う費用はいくらだ?」
カイトは、当然、疑問に思う事を口にした。それに対しては、アリーニが口を開く。
「一人頭、銅貨一〇〇よ。つまり、限界でも五七〇五人。食料や武器もこっちで用意しなきゃいけないから、実数は三〇〇〇くらいだったわね」
「正確に言うと、二九八〇だ。残りは兵糧と武器に回さざるを得なかった」
アリーニの言葉に、シュルツが付け加える。それを聞いたカイトは、少し考える。
――さて。今回はどれだけ軍資金が減らされるかわからねぇ。コイツらですらわからねぇのに、俺にわかるはずもねぇ。なら、こっちの戦力を見積もる前に、敵の戦力を図るとするか。
「一組の戦力はどれくらいだ? 軍資金、兵数、その他諸々。知っている事を全部言ってくれ」
カイトは再び地面に落書きをしながら、五人の言葉に耳を傾ける。
「一組の兵数は、少なく見積もっても五〇〇〇以上だ。さすがに一万はいかんだろうが、模擬戦にしては大きな軍になるだろう」
シュルツが言った事は、間違っていない。先月の模擬戦の結果を知っているシュルツ達は、すでにその大部隊を目にしているのだ。
「その中には騎馬隊もいたな。たしか……一〇〇〇程度だったか。馬は兵士より高いってぇのに、よく揃えれたもんだ」
ジルが、感心したように言う。それを聞いて、カイトの表情には自然と笑みが零れる。
――圧倒的に不利な状況……ね。面白いじゃねぇか。
「と、とにかく軍師……あ、指揮官のリデル君の事ですけど、彼の戦術にいつも嵌りっぱなしで……。戦術と兵力、その二つを持った一組は、雲の上の存在なんです……」
俯いて、ニアは苦笑する。
「そのリデルってのは、それ程すげぇのか?」
カイトのその問いには、アリーニが答えた。
「いいや。確かに戦術を練るのは得意みたいだけど、全部兵法書からの抜粋さ。知識はあるけど、応用力が利かない。そんな感じだね。あたしらには軍師がいなかったし、他のクラスの奴も、圧倒的な兵力でやられてるだけ。軍師の器じゃないよ、アイツは」
忌々しげに、そう述べる。余程毛嫌いしているのか、全員の表情が苦虫を噛み潰したかのような状態だった。
「ふん。……グラット。お前は?」
「俺か。……一組には、ナンド将軍の息子がいる。アイツをどうにか出来さえすれば、勝機は見えると思うが」
「ナンド将軍? 誰だ、ソイツは」
「この国の少将だ。警備隊の管理もしている」
「……ほう。少将ね……」
この国の階級は、『元帥』、『上級大将』、『大将』、『中将』、『少将』、『上級部隊長』、『部隊長』、『千兵隊長』、『百兵隊長』、『一般兵』までの一〇段階に分けられる。その中の少将と言えば、かなり上の階級だ。ちなみに、軍事学校を卒業した者は、武勲を上げる事無く、『百兵隊長』、もしくは『千兵隊長』からスタートとなる。そこから先は、自らの力次第だ。さらに加えると、カイトがなろうとしている『軍師』の位は、『少将』以上の位に匹敵する。かの有名な『黒扇』ことナルファは、この国の『元帥』の位にいたと言われているのだ。
――模擬戦の結果次第で『軍師』に取り上げるとは、この国も切羽詰まってるってわけだな。早く有能な『軍師』が欲しいらしい。
「ナンド将軍の息子のイッソは、かなりの豪傑だ。剣、槍、弓の腕も一級品。父を凌ぐ才を持っていると、評判だからな」
グラットがそう付け加え、カイトが頷いた――その時。
「「誰だ」」
カイトとシュルツ、その両者が、同じ方向に向かって声を上げた。
すると、森の出口の方から、二つの人影が近付いて来るのが見えた。
「まさかまさか。気付くとはねぇ。随分と耳がいいようで」
「まるでウサギのようだな」
近付いて来たのは、小柄な少年と、グラット程ではないが、体格のいい男だった。
カイトは人並み外れた聴力で、シュルツは気配を察知して、この二人の存在を知ったのだ。どちらも、人間業ではない。
「誰だ、って聞いてるんだが?」
カイトが強い口調で尋ねると、小柄な少年が口を開く。
「いやいや。何やらぼく達の話をしているようだったからねぇ。ついつい盗み聞きをしたくなってしまったのさ」
「……ふん。てめぇがリデルか」
「あぁ、初めまして。ぼくがリデル。リデル=ベリオノスだ。君は――確か、カイトだったね」
「敵の情報はもう入手してる、ってわけか」
「ふふふ。イッソはナンド将軍の息子だよ? 君を昨日追いかけ回した兵士たちは、全てナンド将軍の部下だ。ぼくの耳に入って来ないわけがないだろう?」
「……そりゃそうだ」
昨日の騒ぎは、王国中の誰もが知っている。カイトの名前までは知らされていなかったはずだが、カイトを追っていた兵士の上司の息子が敵側にいるのならば、それを知らないはずがない。
「それに、ぼくの実家は王室の遠い親戚筋に当たるからね。君の情報は筒抜けだ。……『黒扇』の後継者、だとか。……ふふふ、本当に蒼いんだねぇ」
他人の神経を逆なでするような態度で、リデルは喋る。声は笑っていたが、カイトの瞳をマジマジと見るリデルの目は、少しも笑っていない。
「『黒扇』の後継者? 笑わせるな。『黒扇』を超えるのが、俺だ」
「それは楽しみだ。君が一体、どんな戦い方をするのか、見させてもらうよ。……一週間後にまた会おう。行くぞ、イッソ」
「あぁ」
リデルとイッソは、そう言い残し、森を出て行った。
それを忌々しげに見つめる五人とカイトは、完全に姿が見えなくなってから、顔を見合わせる。
「よし。大体、聞きたい事は聞いた。後は一週間後、軍資金が渡されてからだ。……そうだ。最後に、今回の場所はもう決まってるのか?」
カイトが尋ねると、シュルツがそれに応じる。
「いや、まだだ。今週中には発表されると思うが……」
「そうか。わかった。じゃあ、戻るとするか」
カイトのその言葉に、五人は応じた。出会ってからそれ程経っていないにも関わらず、不思議と信頼関係が生まれつつあるのは、カイトに人を惹きつける才があるからなのだろう。
――エネルリアム王立軍事学校・教室内――
教室に戻ったカイトがまず手始めに行った事が、部隊編成だった。
と言っても、軍資金の乏しい二組が作れる部隊など、たかが知れている。作った部隊は、『歩兵隊』、『弓隊』、『救護・補給隊』の三隊だ。
「『歩兵隊』はアリーニとグラットの二人を部隊長にする。『弓隊』はジル、『救護・補給隊』はニアだ」
そう言うと、教室にいた生徒は、一斉に頷く。誰しもが勝利を求めているが、自分たちの力量はわかっているのだろう、文句は一つも出なかった。
「シュルツは俺の傍にいてくれ。何かと頼む事があるだろうからな」
「了解した」
カイトは、シュルツを『偵察兵』として使う事を考えていた。気配も足音もなく移動できるシュルツは、そういった任務に向いていると考えたのだ。
「よし。じゃあ、これから振り分けするぞ。少人数だし、『部隊長』と『百兵隊長』の二つだ。さっき言った四人は『部隊長』。他の奴らは『百兵隊長』だ。弓と近接戦闘、自分が得意だと思う方に行け。……あぁ、それと。例外的に、『救護・補給隊』に『百兵隊長』はいない。ニア、全部お前に任せる」
「ふぇ? わ、わたし、ですか? 大丈夫かな……」
自信なく俯くニアに、カイトは笑って口を開いた。
「今まで負けっぱなしのお前らだ。誰が一番働けるか、って言ったら、お前しかいないだろうよ。自信を持て」
「え……。は、はい!」
確かに、カイトの言っている事は当たっている。敗戦に次ぐ敗戦を経験しているこのクラスにとって、一番辛い仕事が、『救護』だ。木剣とはいえ、怪我人は出る。それを今まで救護して来たのがニアなのだ。他の者に任せるよりは、忠実に任務をこなす事だろう。
「戦場も軍資金も兵力も定まっていない現段階で、これ以上の事を決めるのはよくないだろうから、今日はここまでだ。――最後に一つ。俺の命令は絶対、それだけを覚えておいてくれ。絶対に損はさせねぇ」
カイトがそう言うと、生徒は一斉に頷く。それを見て、カイトは軽く笑うと、シュルツに視線を向けた。
「さて、と。これ以上、今は出来ないわけだが。他にやっておく事はあるか?」
「いや、充分だ。基本、模擬戦の二週間前からは訓練も座談もなくなる。調整期間、というわけだ」
「そうか。……じゃあ、これで解散だ。シュルツ、ついて来てくれ」
「あぁ」
そう言って、カイトはシュルツを連れて教室を出ようとした――が、思いとどまる。
「あぁ、お前ら。訓練は怠るんじゃねぇぞ。一人で二人を相手にしろとは言わねぇが、一人で一人を相手にするくらいはやってもらわねぇと、こっちの計算が狂うからな」
それを言い残し、カイトは教室を後にした。
「どこに行くつもりだ?」
カイトに続いて教室を出たシュルツは、尋ねる。
「前の模擬戦でお前らが負けたところだ。案内しろ」
「……?」
「どういう状況で、どんな奴らに負けたのか知りたい。行くぞ」
「そういう事か。了解した」
カイトとシュルツは、前の模擬戦で使われた戦場へと赴いた。
――エネルリアム王国・西部・訓練場――
「ここの奥だ」
シュルツに促され、カイトは訓練場に入って行く。訓練場とは言うが、実際は山を切り開いただけの荒れ地である。ただ、普通と違うのは、かなりの広さがあるという事だった。
エネルリアム王国の三方を囲む山には、いたるところにこのような訓練場が作られている。それは、模擬戦はもちろん、軍の訓練にも使われる。カイトが連れて来られたのは、その中でも、山の山頂部に近い場所だった。
「……へぇ。結構良く出来てるな。少し空気も薄い。訓練するには、いい場所だ」
カイトの視線の先にある訓練場は、ど真ん中に森林地帯があり、それを挟む形で平地が広がっていた。その周りは高い崖や谷で囲まれ、それを越えるのは難しそうだ。
この場所で、二組は敗戦を経験したのである。
「ふん。お前ら、馬鹿正直に陣を張りやがったな?」
カイトは、平地を指差してシュルツに指摘した。それを聞いて、シュルツは頷く。
「あぁ。とはいえ、それ以外に陣を張る場所などないだろう?」
「そう見えるかもな。だが、無理に平地に陣を張ったせいで、攻撃を受けると逃げ場が無く、攻撃を仕掛けるには森を通らなきゃいけない。攻撃を仕掛け、仮に負けた時、また森を通らなきゃいけない。慣れてない奴らには、恐怖以外の何物でもねぇ」
まさに、それを考えた上で、こんな地形の訓練場にしたのだろう。
「この場合、平地に陣を張るのは間違っている。張るなら、森の中。最初にそれを兵士たちに伝えて置く事で、士気の低下は防げるだろう。それも、部隊を三つ以上に分けて、均等に陣を配置する。そうする事で、敵がどこを通ってきたとしても、反応する事が出来るはずだ。しかも、そうする事で、両側からの挟撃が出来る。残った部隊には狼煙か何かで敵襲を伝え、頭を叩いてもらう。いくらこちらが少数だとしても、三方から攻撃されれば、敵は引かざるを得ないだろう。慣れない森の中だって事は、敵も同じなんだからな」
「ほう……」
感心したように、シュルツは頷く。それを尻目に、カイトはさらに続けた。
「後、その場合、気を付けるのは火だ。森の中で火攻めにあったら、目も当てられない状況に陥る。だから、伏兵を配置するのも忘れちゃいけない。敵の陣がある方の森の出口に、伏兵を配置するだけで、それは防げる」
「……なるほど。だが、もし敵が森の中に陣を張っていたら?」
シュルツのその疑問は、もっともだ。今カイトが言った事を敵がもしやったとしたら、窮地に立たされるのは、味方軍なのだ。
「その場合は、両方の平地に陣を張る。それだけで、相手は身動きが出来なくなる。後は挟撃するなり、火を放つなりすれば、こちらの勝ちだ」
即答だった。そして、最後に付け加えた。
「だが、今言った事は全て、相手の出方を見てからやる事だ。相手がこうしてきたらこうする。ああしてきたらああする。策はいくらでも出てくるが、イタチゴッコだ。負ける事はないが」
「……先手を取る事は出来ないのか?」
「出来るさ。大昔から、『兵は神速を尊ぶ』なんて諺があるくらいだ。例えば、俺がこの地形で戦うなら、平地でも森でもないところを進軍する」
「……どこだ、それは?」
「いくらでもあるだろうが」
そう言って、カイトは崖や谷を指差す。が、シュルツは首を傾げた。
「ふむ……そうか。だが、進軍速度が遅くならないか?」
「そのための調整をするために、軍を二つに分ける。一つの部隊には敵に察知されない高さまで崖を登らせ、敵の背後に回らせる。もう一つは正面から時間稼ぎだ。多少の犠牲を覚悟すれば、勝利は見えてくる」
「確かに」
与えられた地形を最大限に利用する。それは、『軍師』にとって必要な才だ。少しの窪みがあれば、そこに兵を隠す事も出来るし、崖があれば、部隊を横に広げて、兵数を多く見せる事も出来る。森があれば火攻めを考え、川があれば水攻めを考える。それが、『軍師』なのだ。
「お前らが取った策はなんだ? まさかとは思うが、いきなり全軍で突っ込んだわけじゃねぇだろうな?」
カイトの問いに、シュルツは苦笑する。
「そのまさかだ。俺達は、二九八〇の兵を一気に進軍させ、その日の内に指揮官をやられた。その時の指揮官は――ジルだったか」
二組は『軍師』がいなかったため、模擬戦の度に、指揮官役は交代制だったらしかった。しかも、全員で常に話し合いをしていたため、訓練をする時間が無かった事も、シュルツは話した。命令伝達こそ早かったらしいが、それでは勝てるはずもない。
「天地人」
「……なんだ? それは」
「天の時、地の利、人の和。その中の一つ欠けるだけで、天下は取れないと言われているらしい。同じ日でも、攻め込むのに都合のいい時間はある。同じ場所でも、戦いやすいポイントはある。そして、人を使う以上、思った通りに動かなければ、勝利は出来ない。そういう事だ」
「天地人、か」
「あぁ。俺の側近になるなら、そのくらいの事は覚えておけ」
「ふふふ。了解した」
シュルツは笑った。が、カイトは怪訝そうな表情を浮かべる。
「ん? なんか笑うところ、あったか?」
尋ねると、シュルツはさらに笑う。
「ふふふ。あぁ。お前といると、楽しいな。自分の知らない事が、次々と沸いて出てくるようだ」
軍事学校に入っている以上、シュルツも兵法の基礎くらいは学んでいるのだろうが、それを生かす才能がなければ、ただの飾りに過ぎない。兵法とは、机の上で考える物ではなく、戦場でこそ使うべき物なのだ。
「なぁに。これからもっと面白くなるぞ。……さて、今日のところは帰るか」
「そうだな。明日からはどうする?」
シュルツの言葉に、カイトは少し考える。
――特に今はやる事はないな。リデルがどんな策を練っているか知りたいところだが……。模擬戦が始まってからでも遅くはない。明日から、どうするか。
「特に用事が無いようなら、街を案内してやろうか? 昨日ここに来たばかりなんだろう」
「んー、いや。それはもう、頼んだ奴がいる。ん? でも待てよ。そうだな」
「どうした?」
カイトは小さく頷き、
「明日は訓練を見る。その後は、鍛冶屋に行きたい」
そう言った。
訓練は、軍にとってかなり重要だ。訓練を受けた兵士と、受けていない兵士とでは、戦場での動きにかなりの差が出る。まだ兵士を雇ったわけではないものの、同じクラスの戦力くらいは確かめておきたかったのだ。
「鍛冶屋、か。何を作るつもりだ?」
「まずは、俺の剣。後は、鉄扇だ」
「鉄扇?」
「まぁ、気にすんな。模擬戦の時にお披露目してやる」
「そうか」
シュルツはすぐに頷く。追求するつもりはないらしく、それ以上は聞いて来ない。それを見てから、カイトは一度手を叩いた。
「よし。じゃあ帰るか」
カイトとシュルツは、山を下って街に帰ったのだった。
▽△
――エネルリアム王立軍事学校・二組専用訓練場――
次の日、カイトはシュルツに連れられ、学校の敷地内にある専用訓練場を訪れていた。軍事学校では、クラス毎に専用訓練場が与えられていて、そこで生徒は訓練をするのだ。そのせいで、この学校はかなりの広さを有しているのである。
「弓隊がジルを含めて九人。歩兵がグラットとアリーニを含めて八人か」
「あぁ。いつも弓兵はここまでいないんだがな。お前が言った事を忠実に守っているらしい」
本来、弓兵より歩兵の方が、戦場では汎用性がある。が、カイトはこのままでいこうと決めていた。不慣れな武器を扱わせるよりも、得意な武器の方が、戦果は大きくなると判断したのだ。
「よぉ、カイト。来たのか」
そこで、ジルがカイトに近付いて来た。
「あぁ。ところで、進軍の合図は決まってるのか?」
カイトのその問いには、シュルツが答えた。
「一応、銅鑼が短く一度で進軍。短く二度で待機。短く三度で撤退だ。長く一度で歩兵。長く二度で弓兵。騎馬兵は雇った事がないから決めていない」
「そうか。わかった」
カイトは頷く。
――合図は変えたいところだが……このままで行くべきだな。下手に手を加えると誰も動けなくなる。
「さて。じゃあ、見せてもらうぞ、ジル」
「あぁ。……弓隊! 構え!」
ジルの掛け声に応じ、弓隊の面々は弓を構える。狙う先は、五〇メートル離れた場所にある的だ。敗戦続きのクラスではあるが、ここまで訓練を積んで来た事に変わりはなく、その動きに乱れはない。
「撃てっ!」
その声と同時に、弦が矢を弾く音が響く。複数の人間が同時に射たにも関わらず、その音はたった一つに重なって聞こえた。
それから数瞬後、ダンッ! という、的に矢が当たった音が響く。
「どうだ? 全員命中だ」
ジルの言葉通り、全員が的に矢を当てていて、その内の三人は的の中心部に当てていた。
「へぇ……。これだけの精度があれば、使えるな」
呟き、カイトは頷く。
「ま、次は俺の技を見てもらうぜ」
そう言うと、ジルは的の前に向かう。が、その位置は、他の生徒とは違う。五〇メートルほど離れた位置だった他の生徒に対し、ジルのいる位置は、的から八〇メートルは離れた位置だ。
「イクぜぇ……、」
ジルは一度大きく息を吸い込み、弓を構えた。
「射っ!」
その声と共に、ジルは矢を放つ。それは的の中心に見事に命中――したが、ジルは動きを止めない。
「まだまだっ!」
それから立て続けに五本の矢を放ち、的には六本の矢が突き刺さった。しかも、驚く事に、その矢は縦一直線に並んでいた。少しのズレもなく、ジルの表情も、まるで当然だと言わんばかりである。
「……見事なモンだ」
「俺は、頭も悪いし、接近戦にも弱い。だが、これだけは誰にも負けたくねぇんだ。コイツだけで『大将』になるのが、俺の夢だ。大き過ぎる夢かもしれねぇが」
ジルは弓を堅く握りしめ、言った。が、そこでカイトは笑う。
「ははははは!」
「な、何笑ってんだてめぇ!」
「くっくっく。だってよ、お前。俺の部下になるなら、『上級大将』くらいは目指してもらわねぇと困るんだがな」
カイトはさらりととんでもない事を言ってのけた。『上級大将』と言えば、この国でも三人しかいない大将軍である。
「じょ、上級大将? でも、弓だけで……」
「確かに、弓だけじゃ無理だな。お前が正式に軍人になったら、白兵戦の技術も学ぶ必要があるだろう。だが、今はそれだけでいい。お前の弓の腕、それは、大きな財産だ。大事にしろ」
「お、おう……」
カイトの言葉に圧倒され、ジルは頷く。
「さて。弓兵は訓練を続けてくれ。……シュルツ」
「あぁ。次は歩兵だな」
シュルツに促され、カイトは歩兵が訓練をしている場所に向かった。
歩兵が訓練している場所は、弓兵の訓練場所から少し離れた場所にある。同じ専用訓練場内にあるのだが、かなり広いのだ。おそらく、騎馬兵の訓練をするための場所でもあるのだろう。二組には、縁の無い部隊だが。
「あれか」
「……あぁ」
「ひでぇもんだ」
「…………あぁ」
「ガキのケンカか、ありゃあ」
「………………一応、訓練だ」
カイトが見たものは、統率も取れず、ただただ木剣を振っているだけの歩兵だった。
見た限り、使い物になるのはグラットとアリーニだけである。その二人だけの動きが段違いでよく、他の生徒はまるでチャンバラごっこである。
「あ、カイト君」
そこで、ニアがカイトに気付き、近付いて来る。武器の扱いが下手なせいで、怪我人も余計に出るらしく、ニアは歩兵に掛りっきりらしい。
「よぉ。お前も大変だな」
「んー。でも、これが仕事だから」
ニアは苦笑する。
木剣を使っているおかげで、大きな怪我人はそれほど出ていない。が、擦り傷や切り傷、打撲は絶えないらしく、ニアはそれを一人で治療しているのだ。
「ニア。アリーニとグラットを呼んで来てくれ。アイツらに言っとかなきゃいけない事がある」
「え、あ、はい!」
そう言って、ニアは二人の下へと走って行った。
「シュルツ」
「なんだ?」
「歩兵は、今までもこんな感じだったのか?」
「……そうだ」
「弓とはエライ違いだ。部隊を率いていたのは?」
「アリーニとグラットと、俺だ。だが、二人ともかなり特殊なタイプだからな。普通の人間には同じ事は出来ないだろう」
確かに、二人は恐ろしい程にまともでは無かった。アリーニは女だというのに、長い槍を自由自在に使いこなし、グラットは武器すら持たず、腕を振り回すだけで人を吹き飛ばしている。
――手本になりゃしねぇ。統率がとれなきゃ、それは軍じゃねぇんだが。
カイトは嘆息し、ニアがアリーニとグラットを連れて来るのを待った。
少しして、二人がこちらに向かって来る。ニアは怪我人の救護のため、こちらには来なかった。
「どうしたっての?」
「どうしたもこうしたもあるか。あんなのは訓練じゃねぇ。ただのケンカだ」
「んな事言ったって、あたしらにはあれくらいしか出来ないよ」
それを聞き、カイトはまたも嘆息する。
「もういい。わかった。俺が見る」
カイトは訓練中の生徒の下に早足で向かい、声を上げた。
「お前ら。よく聞け。これまでやってきた訓練の事は一旦忘れろ」
当然である。ただのチャンバラごっこでは、戦争には絶対に勝てない。それではただの山賊だ。軍であるからには、統率がとれなければ意味が無い。
「いいか。これからはまず、隊列を取る訓練だ。号令を受けて進み、号令を受けて止まる。号令を受けて歩き、号令を受けて走る。戦い方も改める必要がある。闇雲に剣を振り回して勝てるのは、本当に強い奴だけだ。それなりの強さしかない奴は、戦い方を知る必要がある。確実に、相討ちだろうとも、一人を仕留める戦い方だ」
カイトは歩兵全員に聞こえるように、声を張り上げる。
「虚を突かれても、慌てるな。隊列を崩すな。一人が慌てると、軍全体に動揺が伝染する。そうすると、士気が下がる。それじゃあ勝てない」
カイトの言葉に、歩兵部隊の全員が頷く。
「笛を使って号令を取るぞ。……アリーニ」
「ん?」
「笛くらい持ってるだろ。今まで部隊長やってんだから」
「あ、あぁ。あるけど……」
そう言って、アリーニが出して来たのは、錆びた鉄製の笛だった。ほとんど使っていなかったらしく、手入れが全くされていない。
「汚ぇ笛だな」
「悪かったね」
「ま、いい。その笛で短く一回が『歩いて進め』。その後長く一回で『走って進め』。短く二回で『その場待機』。短く三回で『後退せよ』。それでいいな?」
「……わかった。それをやればいいんだね?」
「あぁ。せめて、兵を雇う時までにはその通り動くようになっててもらわないと困る」
「了解。わかったよ」
アリーニは頷き、笛を磨き始めた。
「ニア。お前は、隊列が崩れてないか確認してくれ。崩れたらもう一度。どんな状態でも慌てないように」
「あ、はい。わかりました」
そこまで言って、カイトは一息置いた。そして、続ける。
「最後に、戦い方だ。お前ら、盾を上手く使え」
「盾?」
グラットが声を上げる。だが、声を上げる理由もわかる。グラットの体格に合う盾など、おそらく存在しないだろう。
「あぁ、お前は今のままでいい。アリーニもだ。お前らは強いからな。……だが、他の連中は違う。『攻撃は最大の防御』なんて諺があるが、それは攻撃が強い者にのみ適用される。いいか? お前らは、盾を敵に向けて突っ込め」
そう言うと、カイトは脇に合った盾を手に取り、それを前方に構えた。
「シュルツ、受けてくれ」
「了解」
カイトは真っ直ぐ盾を突き出し、シュルツに向かって突進する。シュルツはそれを受け、攻撃をしようとする――が。
「む……っ?」
「せい!」
カイトの拳がシュルツの脇腹に当たる方が早かった。
「ぐっ……!」
カイトはそれを見て、盾を投げ捨てた。
「どうだ? わかったか?」
カイトの問いに、歩兵の生徒は首を傾げる。そこで、カイトはシュルツに話を振った。
「シュルツ。どうだった?」
「……お前の急所がどこにあるのかわからん」
「だ、そうだ」
その感想を聞き、全ての生徒が声を漏らした。
『そうか……』
『隠れてるもんな』
『上手いもんだ……』
「いいか? この戦法を取れるのは、歩兵だけだ。弓兵からの同時攻撃を受けた場合は、盾を頭の上に構えろ。矢で殺される事だけは、損にしかならない」
確かにそうである。弓兵は遠く離れた場所にいるし、矢はいくらでも手に入る。カイトの言う、『一人一殺』を実現するには、弓は天敵なのだ。
「とは言っても、同時攻撃なんてそうそうあるもんじゃない。乱戦になれば、味方の兵も危険にさらす事になるからな」
カイトはそう言い、溜息を吐く。これは、安堵の溜息だった。
「よし。これでいい。今日から一週間、これで訓練をしてくれ……シュルツ」
「なんだ?」
「最後はお前だ」
「……了解。だが、ここから少し離れて欲しい」
「わかった。あっちに行こう」
カイトは訓練場の隅を指差した。生徒がいない場所だ。
二人はそこに向かい、対峙した。
「さて、シュルツ。お前は偵察兵向きだと思っているが、それに間違いはないな?」
「あぁ。それは俺も自覚している」
「だが、それだけじゃない。それだけの奴が、あれだけの殺気を放てるわけがない」
「……」
カイトの言っているのは、初めて会った時の事だ。気配の無い状態から現れたシュルツは、確かにその後で殺気を放っていた。その時は、足音の事に気が向いていたが、カイトには少し引っかかる事があったのだ。
「さて。遠慮するなよ? かかって来い」
そう言って、カイトは腰に隠していた短剣を抜いた。島で生活していた時から使っていた物だ。これで、イノシシなどの獣を狩っていた。
それを見て、シュルツの目付きが変わった。それだけで、本気だという事がわかる。そして、シュルツも己の武器を取り出す。それは――針だった。いや、串と言った方がこの場合正しいかも知れない。細長く、先の尖った串だ。指されたら一たまりもないだろう。
さらに、シュルツの持っている串には、何かが塗られているのがわかった。
「毒、か」
「あぁ。触れるだけで全身が痺れる神経毒だ。確実に殺せる」
「……暗殺者、って事か」
「そうだ。俺の家族、先祖、そして、おそらく子孫。その全てが暗殺者だ。人を殺すために産まれ、人を殺すために生き、最後に自分を殺す。それが俺の一族だ」
「よし。お前の力を見せてみろ。……言っとくが、ただでやられるつもりはない」
「了解した」
シュルツが言った瞬間、カイトは突っ込んだ。短剣を握りしめ、シュルツの胸元目掛けて走る。
「もらったぁ!」
カイトは目にも止まらぬ速度で短剣を突き出す――が。
「遅い」
シュルツはすでにそこにはおらず、カイトの首筋には、何かが近くにある感覚だけがあった。
「動くなよ。動けば、お前は死ぬぞ」
「ふふふ。やっぱり、そうか」
そう言って、カイトは短剣を地面に放り投げた。負けを認めたのだ。
「今も足音がなかった。しかも、背後を取られたのに、声をかけられるまで気配を感じなかった。……お前は、この国の誰よりも強い。そうだろう?」
カイトの言葉に、シュルツは武器をしまう。そして、カイトの正面に回り込んだ。
「……この国の、か。つまり、知っているのか?」
「あぁ。この国に暗殺者の一族は存在しねぇ。お前は、間違いなく他の人間だ」
カイトは自信満々に言ってのける。そして、シュルツは笑った。
「ふふふ。お見通しか。……どこで気付いた?」
「なぁに、ついさっきだ。暗殺者の系統。それを知らなきゃわからなかった。――この国だけじゃねぇ。暗殺者の一族が住む国は、この大陸にはない。……ただ一つを除いて」
カイトは島にいた時に、イラから聞いていた。大陸に渡った時に気を付けなければいけない事、それが、暗殺者だ。ラックドロス大陸には多々ある暗殺家系は、ダイロア大陸に置いては一つしか存在しない。
それは――エディリオ帝国である。エディリオ帝国が、ここまで強大な力を持つに至ったのにも、それなりの理由があったというわけだ。邪魔な人間は、戦争とは関係ないところで始末する。それが出来たからこそ、ダイロア大陸一の領土を持つ大国になったのだ。
カイトがイラから聞いたのは、暗殺者、という言葉だけだったため、シュルツの名前を聞いても気付かなかった。
「シュルツ=アサシーって名前も、偽名か?」
「……それは本名だ。そもそも、アサシー家の名を知るのは、極々僅かな帝国人のみ。名を隠す必要などない」
「そうか。安心した」
「安心?」
「あぁ。お前が、俺を信用している事がわかった。それだけじゃない。お前は、この国の人間を信用している」
「……かもしれん」
シュルツは苦笑する。本来、暗殺者が名を明かす事はない。殺される者は、誰に殺されたのかもわからず死んでいくのだ。そして、名を知るのは、その暗殺者を雇っている主人だけである。
「名を明かし、この国の人間を信用し、この国の軍事学校に通う暗殺者。……誰かの命令で動いてる、ってわけじゃあねぇよな?」
カイトの問いに、シュルツは深く息を吐き、答えた。
「あぁ。俺は、帝国が負けるところを見てみたかった。一二の時に家を出て、ほぼ全ての国を見て来たが、この国の王が、一番見込みがあった。……主人に従属する暗殺者は、人を見る目に長けていなければならないからな」
確かに、ヒルデスは賢王と呼ばれている。それは別に、誇張表現ではない、という事だ。彼はやはり、この国に無くてはならない存在なのだ。
「暗殺術は、一二で全て学べるのか?」
「あぁ。個人差があるが、一〇を数える頃には立派な暗殺者だ。俺は六つの頃から人を殺していた」
「……くっくっく」
それを聞いて、カイトは笑い出す。シュルツは怪訝そうな表情をし、立ち尽くしている。
「シュルツ。やっぱりお前は、俺の側近だ。もうお前以外に考えられない。俺の傍にいろ」
まるで愛の告白のように、カイトはシュルツに言い放つ。
「お前の寝首を掻くかも知れんぞ」
「俺が使えないようなら、いつでもくれてやる。お前の判断に任せる」
「……くっくっくっく。了解だ、カイト」
「あぁ。――……よし。お前の力も見れた事だし、引き上げるか」
カイトがそう言うと、シュルツは足音も無く動き、カイトの前に立つ。
「次は、鍛冶屋だったな」
「そうだ。連れて行け」
「了解」
シュルツの後に続き、カイトは専用訓練場を出て行った。
――エネルリアム王国・都市部・鍛冶屋『リック武具店』――
金槌が鉄を叩く音が響く店内に、カイトとシュルツはいた。
「……すげぇ音だ。耳が馬鹿になる」
呟いたカイトの声は金属音に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。もちろん、自分の耳にもだ。
シュルツはカウンターの横にあった大きな呼び鈴を鳴らす。これも、凄まじい音だ。この程度の音でなければ、聞こえないのだろう。
その音が響いた直後、金属音が鳴りやむ。そして、店の奥から髭面の男が向かって来る。まるで、熊のような男だ。グラットと同等か、それ以上である。
「客か?」
「そう見えねぇか?」
「用件は?」
「剣と、後は鉄扇を一丁、作ってもらいてぇんだが」
「金はあるのか?」
「ここにな」
そう言って、カイトはヒルデスから貰った金を、男に放り投げた。
「……どれだけの宝石を詰め込むつもりだ?」
中身を見た男は、しかめっ面でカイトを見る。が、それも無理はない。ヒルデスは少ないと言ったが、カイトの持っている金は、実は家一軒買えるほどもあるのだ。それも、小さな家ではなく、それなりの豪邸が買えるほどである。
「宝石なんぞいらん。俺の手に馴染む、扱いやすい剣だ。どれだけ金が必要かわからんから、全財産を持って来た」
「……どこの坊ちゃんだ? 見たとこ、軍事学校の生徒らしいが」
「俺は島育ちの田舎もんだ。金は昨日、ヒルデスから貰った。ババア――イラの給料らしいが」
「イラ? イラだと?」
そこで、男はイラの名前に食い付いた。カイトとシュルツは顔を見合わせ、首を傾げる。カイトは島育ちだし、シュルツも元はこの国の人間ではない。それも当然と言えた。
「ババアを知ってんのか?」
「知ってるも何も、俺の親父の上司だった女だ。一つも可愛いところがねぇ、男勝りの天才だったらしい」
「確かに。あのババアを女だと思った事は一度もねぇ。……それより、上司って事は――」
カイトが言いかけると、その後を男が続けた。
「あぁ。俺の親父は兵士だった。一応、この国の少将だ。……俺は元々足が悪かったから、兵士にはなれなかったが」
「そうか。だが、鍛冶屋で良かったな。誰よりも早く、俺の役に立てる」
カイトがそう言うと、男は大きく目を見開いて、一瞬固まった。そして、すぐに笑いだす。
「がっはっは! デカイ口を叩く奴だ。お前、名前は?」
その問いに対して口を開いたのは、カイトではなくシュルツだった。
「コイツはカイト。この国の軍師になる男だ」
「……軍師か。イラと一緒だな」
「ちなみに、コイツは『黒扇』を超えるとも言っている」
「がっはっはっはっはっはっは! そいつは面白ぇ! じゃあ俺は、軍師お抱えの鍛冶屋にでもしてもらえんのかい?」
その問いには、カイトが口を開く。
「腕次第だ。俺の求めるもんを作れねぇようなら、必要ない」
「言ってくれるじゃねぇか。……どんな剣をお求めだ? 大剣、短剣、片刃、両刃。なんでも作るぜ」
その問いにカイトは答えず、店に飾られている剣を物色しだした。
――へぇ。いい仕事してやがる。軽いし、強度もありそうだ。見かけだけの宝剣なんかよりずっといい。
そんな事を思い、カイトは飾られている剣の中から、細身で刀身の長い剣を手に取った。
「これは……惜しいな」
両刃の剣だが、すぐに折れてしまいそうな程に細い。一般的な両刃の剣の半分ほどだろう。だが、刀身が長く、柄も長い。両手でも片手でも扱える、使いやすい剣だった。
「この細さで、もう少し刀身を重く。出来るか?」
「出来る。……だが、そんなんでいいのか?」
「あぁ。大きい剣は扱いづらい。それに、長い方がよく見えるだろう? 俺は指揮を執る立場なんだからな」
「そうだったな。……後は、鉄扇か」
そう言って、男は店の奥に戻って行く。そして、数分後に戻ってきた。
「こんなのはどうだ? 剣と違って、こんな装飾も出来る」
男が出して来たのは、エネルリアム王国の紋章が刻まれた鉄扇だった。かなり芸の細かい彫刻だ。
「へぇ……。そうか、なら」
そう言って、カイトはカウンターの脇にあった紙に、同じく脇にあった羽ペンにインクを付けて走らせる。
カイトが描いたのは、カラスだった。エネルリアム王国の紋章へ被さるように、カラスが舞っている絵を描き、カイトはそれを男に渡す。そして、シュルツに聞こえないように男に耳打ちした。
「鉄扇自体は黒。カラスは白。剣も合わせて、二週間で出来るか?」
「出来るが……、白のカラスなど、見た事もないぞ?」
「それでいい。頼んだぞ」
そう言って、カイトは男に背を向ける――が、すぐに振り返った。
「そういえば、アンタの名前を聞いてなかった」
「ん? あぁ、俺はリックだ。ほら、看板にも書いてあるだろ」
「あぁ、あれ、アンタの名前だったのか」
「あぁ。いい店名が思い付かなかったんでな」
「そうか。……じゃあ、頼む」
そう言って、カイトとシュルツは店の外へ出る。
「さっき、何を頼んでいたんだ?」
「秘密だ」
「そうか」
「そう、全ては模擬戦で。一組とやらが慌てふためく様を見てやろうじゃねぇか」
「期待している」
「おう」
そんな会話をしながら、二人は寮へ帰って行った。
そしてそれからの一週間はあっという間に流れ、ついに、模擬戦の戦場となる場所が決定されたのだった。
▽△
――エネルリアム王立軍事学校・専用訓練場――
二組に与えられた軍資金は、金貨四枚、銀貨五〇枚、銅貨五〇〇枚だった。銅貨換算でいくと、四五万五〇〇枚である。兵士に換算すると、四五〇五人の兵士を雇える計算だ。前回から比べて、金貨一枚と銀貨二〇枚もの資金が減らされている。
専用訓練場では、二組の生徒全員が、その資金をどう使うかを考えている。他ならぬ、カイトもそうだ。
――今すぐ兵士を雇ったとすると、模擬戦終了までには一〇日間もある。一〇日分の兵糧を確保するには、最低でも銅貨五万枚必要だ。となると、残りは四〇万五〇〇枚。その内、兵士を雇うのに使えるのは、半分くらい、つまりは二〇〇〇人程度。武具を買い集めるのに使う金が一五万だとしても、残りは五万。……圧倒的に資金が足りねぇ。どうする?
カイトは、一組の軍資金はこれの倍以上はあるだろうと予測していた。一組がどれだけいい武具を買い集め、兵糧を買い溜めしようが、兵力は二組の倍以上あるだろう。だが、それは最初から予測できた事だ。カイトが頭を悩ませているのは、そんな事ではない。
「シュルツ」
「なんだ?」
「今まで、陣の設営にかかっていた費用はどのくらいだ?」
「銅貨一〇万枚だが……それがどうした?」
「いや、いい。わかった」
カイトはさらに考え込む。
――俺の計算でいくと、正攻法で行くなら、陣の設営に回す金が無い。勝つつもりなら、兵士は減らせない。相手がどんな策を練ってくるかもわからない現段階じゃ、兵糧も減らせない。少ない兵力で戦かうつもりなら、武具も減らせない。武具が行き渡らないなんて事があると、士気が下がる。……つまり、あれしかないな。
カイトは顔を上げた。
「シュルツ。これは、兵士以外の人間も雇えるのか?」
「兵士以外? なんの役に立つんだ?」
「いいから、教えろ」
「雇えない事はないと思うが……」
「よし。それなら大丈夫だ」
「なんの事だ?」
「俺の発見した裏ルールその一、だ」
「?」
シュルツは首を傾げる。カイトはニヤリと笑い、またしても考え込む。
――さて。これで軍資金の問題は解消だ。たぶん、銅貨一万枚程度は余るだろう。……が、それをどう使うか。兵力は最低限あればいい。各部隊長に馬を与えたとしても、なお余るだろう。となると……。
そこで、カイトは羽ペンにインクを付け、四枚の紙に走り書きをする。そこには、軍資金で買い集める物が書いてあり、それをジル、アリーニ、グラット、ニアに渡した。
「これを今日中に買い集めてくれ。それが終わったらいつもの訓練だ。雇った兵士を交えての訓練は、明日からやる」
「「「「了解」」」」
四人は頷き、すぐさま行動に出た。
「シュルツ。陣の設営はいつやるんだ?」
「模擬戦の前日だ」
「よし。なら、今日は俺に付き合え」
「あぁ」
そう言って、二人もその場を後にする。
もちろん、二人がこの先向かう場所は、『戦地』である。
――エネルリアム王国・西部・模擬戦会場――
「ここか」
「あぁ。そうらしいな」
二人の視線の先にあるのは、模擬戦の会場となる訓練場だ。山の中に大きな穴を掘ったような状態で、片方は大きな平野。もう片方は、崖の中にある小さな空間。二組の陣地は、小さな空間の方である。二つの陣地はまるで瓢箪のように細い山道で繋がっている。
双方には一応川があり、水の心配をする事はなさそうだ。そして、二組の陣地は平野部よりも少し高い場所にある。
平野部にはこれといって特徴がないが、崖に囲まれた二組の陣地には、不利益にしかならなさそうな特徴があった。
それは、切り立った崖、である。二段階に段差の付いた崖は、一段目には登る事が出来そうだが、その上には登れそうもない。つまり、逃げ場がないのである。その崖は、細い山道にまで繋がっているが、平野部までは繋がっていない。
攻めるためには、こちらも二段階の崖に囲まれた細い山道を抜ける必要があり、その外側で待ち伏せでもされたらたまった物ではない。のだが。
そんな圧倒的不利な状況で、カイトは笑っていた。それどころか。
「シュルツ。この勝負、もらったぞ」
そんな事まで言ってのけたのだ。
「……この状況で、すでに勝てると?」
「あぁ。今まではどうだったか知らんが、今回ばかりは、圧倒的に有利な状況だ。……ま、模擬戦が始まったら、それを証明してやるさ」
カイトがそう言った時だった。シュルツが振り向く。そのすぐ後に、カイトもそちらを振り向いた。
そこにいたのは、リデルだった。イッソはおらず、一人で来たようだ。
「やぁ。今の話、聞かせてもらったよ」
「そうか。お前の目から見て、どうだ?」
リデルの挑発染みた言葉を受け流し、カイトは尋ねる。
「君は本当に軍師志望なのかい? 背水の陣という言葉があるが、背後どころか左右も山に囲まれている君達が、圧倒的有利? 笑わせるね。窮鼠猫を噛むというが、ネズミは獅子を噛み殺す事は出来ない。ぼくたちこそが勝者だ」
リデルは自信満々だ。が、カイトはそれを鼻で笑い、
「たぶん、この場所を選んだ奴も同じ事を思っただろうさ。だが、浅い。ひたすらに浅い。少しでも兵法を齧っているなら、このくらいは気付いて当然だと思うんだがな」
逆にリデルを挑発する。するとリデルは表情を歪めた。
「なんだと? たった三〇〇〇程度の兵力で、ぼくたちに敵うとでも思っているのか?」
「いや、俺たちの兵力は、二〇〇〇だ」
カイトが言うと、シュルツが驚いたようにカイトを見る。
「心配するな。言ったところで、何も変わりはしねぇ」
「……それならいいんだが」
すると、今度はリデルが笑いだす。他人の神経を逆なでするような、高笑いだ。
「はははははははははははは! 二〇〇〇? 二〇〇〇だと? たった二〇〇〇でぼく達に勝てるって? はははは! ……笑わせるな! 騎馬もいないたった二〇〇〇の兵で、ぼくたちに勝つ事など出来ない!」
リデルは笑うが、カイトは動じない。それどころか、さらに自慢げになったようにも見える。
「いいか? こちらも教えてやろう。ぼく達の兵力は八〇〇〇だ。騎馬隊三〇〇〇の歩兵三〇〇〇、弓兵一〇〇〇に、救護隊と補給隊一〇〇〇を入れて、八〇〇〇。どうだ? さすがに怖気づいたか?」
「いいや。逆に、面白くなった」
「四倍の兵力だぞ? 本当に勝てると思っているのか?」
「あぁ。お前らの悔しがる顔が、今、すでに見えてる」
「……ふん。まぁいい。模擬戦が始まったらわかる事だ」
そう言って、リデルはその場を立ち去る。
カイトはニヤリと笑ってそれを見送り、シュルツに向き直った。
「これで、俺たちの勝ちは揺るぎないものになった。後は、兵士たちが俺の言う通りに動けばいいだけだ」
「……俺はかなり不安になったぞ」
「四倍の兵力。それが、そんなにも不安か?」
「……あぁ」
「帝国は、エネルリアムの四倍以上の兵力を有しているんだろう?」
「……そうだな」
「なら、四倍くらい、覆して見せなくてどうする? ……まぁ見てな。初日で八〇〇〇の兵を四〇〇〇まで減らして見せる」
カイトは自信たっぷりに言い放ち、会場に背を向けた。そして、シュルツと共に街へと帰って行ったのだった。
それから一週間は、矢の如き速度で過ぎて行き、カイトは、産まれて初めて戦術を披露する事となる。
▽△
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
円形に設営された陣の中心部にあるテントに、カイト以下、二組の生徒が集まっていた。
一番大きいそれは、指揮官であるカイトが寝るためのテント兼、作戦本部である。
そしてその内部で、カイトは一通の書簡を握りしめ、二組生徒の顔を見渡している。
「見た事があるだろ? ヒルデスの書簡だ。模擬戦を開始するという合図らしい。それが、たった今届いた」
その言葉を聞き、テントの中は俄かにざわめき出す。
カイトはその書簡を開き、中の文章を読み上げる。
「『我、エネルリアム王国国王ヒルデスは、その名の下に、軍事学校生及び、新兵訓練の為の模擬戦を、本日正午より開始する事を宣言する。双方の力を示せ』……だそうだ」
簡潔な文章だった。それを読み上げると、さらにざわめきが増す。
国王直々の書簡など、滅多に見られる物ではない。数度目と言えども、生徒達にとっては嬉しい事なのだろう。
「さて。お前らに言っておく事がある。……まずは静まれ」
カイトのその声で、テント内は静けさを取り戻し、同時に緊張感に包まれた。
「一つ。敵の兵力は八〇〇〇以上だ」
その言葉に、生徒たちは言葉を失った。味方軍の兵力が二〇〇〇だという事を考えれば、それも無理はないだろう。すでに、悲観的な目をしている者までいる。が、カイトは続けた。
「心配するな。お前らは俺の指示通りに動けばいい。まずは、今日で半分まで減らす。四〇〇〇だ。それなら、戦えるだろう?」
そこで、ジルが口を開く。
「……どうやって削るんだ? それを教えてくれないと、士気は下がる一方だぞ」
「それは自分たちで気付け。俺の言う事をこなしていれば、お前らなら気付くはずだ。間違いなく、俺たちは一兵の損害も出す事無く、敵の軍を半壊させる。昨日まで、準備をさせていただろう?」
「……準備? 岩を運ばせたり、丸太を運ばせたりか? あれがなんだって言うんだ?」
ジルは未だにわかっていないようだったが、シュルツ、ニア、アリーニ、グラットは気付いたようだった。
「確かに。それなら損害を出さずに済む」
「怪我人も出なければいいですけど……」
「ま、後はなるようになるんじゃないの? 兵の士気を上げるのに苦労するってだけで」
「……俺は、鎧がもらえた事が嬉しい」
カイトはそんな会話を耳にしながら、策を説明する。
「本陣に残る部隊は歩兵が六〇〇と救護兵一〇〇。それの部隊長にはアリーニとニアを付ける。残りは、俺の指定した場所に向かってくれ。グラットとジルは歩兵二〇〇、弓兵六〇〇を率いて山道の崖の上に向かってくれ」
「崖の上、ね。わかった」
そこで、シュルツが疑問を口にした。
「残りの五〇〇の兵はどうするつもりだ? 弓兵四〇〇に歩兵一〇〇しかいないが」
「それは、俺の選んだ兵だ。そいつらにはやってもらう事がある」
そこで、カイトは一息置く。そして、続けた。
「ジル。お前の隊は今日の要だ。しくじる事は許されねぇ。いいな?」
「任せとけ」
「グラット。準備期間に言った事を覚えているか?」
「あぁ。『合図に合わせて、落とせ』。だったな」
「そうだ。頼むぞ」
「了解だ」
カイトが頷くと、シュルツが声を上げる。
「俺は何をすればいい?」
すると、カイトは当然のように言い放つ。
「お前は俺の傍にいればいい。明日、やってもらう事があるからな」
「……明日、か。了解した」
「さぁ。それじゃあ、兵たちに顔を見せに行くか。士気を限界まで上げてやらねぇとな」
そう言って、カイトは立ち上がる。それに続き、生徒たちも立ち上がった。
カイトがテントを出ると、そこには二〇〇〇の兵が武器を携えて直立していた。
カイトは木で出来た台の上に跳び乗り、腰に携えた、鍛冶屋から受け取ったばかりの剣を抜き放つ。そしてそれを、高々と掲げた。
「聞け! 敵は八〇〇〇の兵力を誇る大群だ! だが、恐れるな!」
張り上げた声は兵士たちの耳に届く。が、やはり、士気の低下は否めなかった。四倍の敵に対して士気を上げろという方が、間違っているのである。そう、通常ならば。
「お前らは知っているはずだ! かつて、大陸全てを統一しようとした大軍師がいた事を! お前らだってわかっているはずだ! その大軍師は、少数対多数を難なくこなして来たという事を! ……見ろ!」
そう言って、カイトは懐から、細長い包みを取り出した。そして、それを解き、中の物を取り出す。
「『黒扇』、ここにあり! お前らの命、『黒扇』の末裔、カイトが預かったぁっ!」
カイトが取り出したのは、漆黒の鉄扇だった。エネルリアム王国の紋章に、白いカラス。本来の『黒扇』には、白いカラスなど描かれてはいない。だが、兵たちにとって、そんな物はどうでもよかった。
『「黒扇」だって?』
『すげぇ! 本物だ!』
『末裔だってよ。ホントなのか?』
『見てみろよ、あの蒼い目。あれが証拠さ!』
二〇〇〇の兵は活気を取り戻し、歓声を上げる。それだけ、『黒扇』の名は浸透しているというわけだ。
「……あの時頼んでいたのは、その漆黒の扇子か。……それにしても末裔とは……、これまた大胆な事を言ったな」
シュルツが、カイトに耳打ちする。
「いいんだよ。コイツらの士気を上げるには、これが一番手っ取り早い。……どうだ? 士気は最高潮に達したぞ」
「……確かにな」
シュルツが頷いたところで、カイトはさらに声を張り上げる。
「お前らを指揮する部隊長、以下百兵隊長にも、今日の策は授けてある! 安心して戦え! お前らは、『黒扇部隊』だ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
カイトの二つの時計で、時刻は午前一一時三二分。開戦まで、残り三〇分を切っていた。
――エネルリアム王国・訓練場・一組本陣――
「リデル。偵察兵はなんと言って来たんだ?」
「あぁ。二組はたった二〇〇〇の兵で、ぼくたちと戦うつもりらしい。しかも、どう計算を間違ったのかは知らないが、兵糧が有り余る程にあるらしい」
「兵糧が? ふん。貴重な軍資金を兵糧に回したのか。くっくっく。兵たちにとっては、負け戦の前にたらふく食えて満足だろうさ」
「それもそうだが、その前に。ぼくが計算したところによると、それだけの兵糧を買い、陣も設営した。となると、何かを削らなければいけなくなる。なんだと思う?」
「……ふむ。兵は二〇〇〇。それが決まっているのなら――後は、武具か」
「あぁ。奴らは武具を犠牲にしたようだな。まったく、馬鹿な事だ」
リデルの予想は当たっている。確かに、カイトは武具を買い集める事はしなかった。そして、本来武具を買う資金の何割かを使い、兵糧を買い集めたのだ。
そこで、リデルは自らの時計を開く。
「一一時五五分。残り五分だ。準備はいいか、イッソ?」
「あぁ。俺が先陣を切って、奴らを壊滅させる。策もいらん。圧倒的兵力で叩き潰す」
「そうだ。数的有利は、揺るがない。見せつけて来い。……だが、指揮官のカイトとかいう奴はまだ仕留めるな」
「それも了解だ」
「三日目、絶望の極地を味わわせてから、仕留める。あれほどの大口を叩いたんだ。それくらいは、覚悟してもらう」
「くっくっく……」
「ははは……」
一組の陣地には、二人の勝ち誇った笑いが響いていた。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
訓練場の敷地は、当たり前だが、かなり広い。本来の戦場に近い環境を整えるため、広くしてあるのだ。
今回の模擬戦会場になった訓練場は、その中でも狭い方で、二つの陣の間は、歩いて三時間程の距離だ。
正午に開始された模擬戦も、すでに二時間半が経過している。
『見えました! イッソが率いる騎馬隊です! その後ろには、歩兵部隊の姿も確認できます!』
そんな声がカイトの耳に入り、カイトは中央に張られたテントから外へ出る。
「来たか……。よし。確認は済んでいるのか?」
「あぁ。『迷路』は準備完了。『柵』も『脚殺し』も完璧だ。抜かりはない」
カイトの問いにシュルツが答え、それにカイトは頷く。
「予想通りに事が運んだな。……今日で奴らの騎馬隊を全滅させる」
「あぁ。お前の言った通りだ」
そこで、カイトは伝令役の兵に向かって、声を上げた。
「崖の上に陣取っているジル隊、及びグラット隊に伝令! 『騎馬隊が通過するのを待って落とせ』! 『歩兵隊は為すべき事をやり終えた後、本陣に帰還せよ』! 『弓隊は近付いて来る歩兵を狙い撃ちにしろ』!」
「はっ!」
伝令役はすぐさま動き、崖の上にいる部隊の方へと走って行った。
「騎馬隊はこちらで片付けるのか?」
「あぁ。問題無い。アイツらの足は、すでに死んだも同然だ。こういった戦場で、馬がどれほど役に立たないかを教えてやる」
カイトはニヤリと笑った。
――エネルリアム王国・訓練場・崖の上――
「カイト様からの伝令です! 『騎馬隊が通過するのを待って落とせ』! 『歩兵隊は為すべき事をやり終えた後、本陣に帰還せよ』! 『弓隊は近付いて来る歩兵を狙い撃ちにしろ』! との事です!」
伝令役の言葉に、ジルとグラットは頷く。
「了解。こっちはこっちで上手くやる。だから、頼むぞ」
「……問題無い」
ジルとグラットはニヤリと笑い、準備を終えた崖の上を見渡す。
分厚い板の上に、岩や丸太を乗せ、それを縄で支えている。しかも、たった一本の縄を切るだけで、全ての物が下に落ちるように作られていた。
そして、弓隊は、誰一人かける事無く弓を持ち、充分過ぎる程の矢を持っていた。
ジルとグラットの目には、土煙を上げて迫ってくる騎馬隊が見えていた。
――エネルリアム王国・訓練場・山道――
「ここを抜けるとすぐに敵陣だ! 気を抜くな! 容赦なく殲滅しろ!」
イッソの声が響く。
騎馬隊は山道を走り、二組の陣地へと迫っている。後数分で到達するだろう事は、誰の目にも明らかだ。
――ふん。『黒扇』の後継者だかなんだか知らんが、まるでザルのような陣地だ。俺ならすでに伏兵の一つや二つは配置しているところだが。
イッソは馬鹿にしたように、鼻で笑う。が、その時。
後方から、ガラガラガラッ! というけたたましい音と共に、地面に振動が伝わった。
「なんだ? 止まれ!」
イッソは声を張り上げ、その後で『待機』の笛を鳴らす。そして、後ろを振り返る。
が、舞い上がった土埃のせいで、何も見えない。
「何があった? 誰か! 状況を伝えろ!」
すると、兵士の一人が声を上げる。
「崖の上から岩が落ちて来たようです! 騎馬隊と歩兵隊が分断されましたっ!」
「岩、だと?」
――崖崩れ? ……違うな。これがカイトとかいう奴の考えた策、か。
そう考え、イッソはさらに声を上げる。
「馬で通れそうか?」
「難しいと思われます!」
「そうか。……退けぬなら、突っ込むまで! 怯むな! 数の上では我ら騎馬隊が圧倒している! 敵には充分に武器もない! 目に物見せてやれ!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
イッソの率いる騎馬隊は、そのまま山道を駆けあがる。
――エネルリアム王国・訓練場・崖の上――
「……上手くいったようだな」
グラットが呟くと、兵士の一人がそれに続ける。
「死者は一人も出ていないようです。歩兵と騎馬、その二つの行軍速度の違いのせいでしょう」
「あぁ。カイトの言っていた事は本当だったというわけだ」
そこで、グラットはジルの方を向いた。
ジルは、自らも弓を構え、崖の下に向けて矢を放っている。
「さぁ! 一兵たりともここを通すな! 狙い撃ちにしろ! なぁに、矢は腐るほどある! 撃って撃って撃ちまくれ!」
騎馬隊と分断された歩兵隊は、ジルの率いる弓隊にとって、格好の餌食だった。未だに土埃が舞っているため、下からは上の事が良く見えない。が、上からは丸見えだった。落ちて来た岩をよじ登ろうとしている歩兵は、精度の高い弓によって殲滅させられている。
「おらおらおらおらぁっ!」
ジルが矢を高速で放っていると、そこにグラットが近付いた。
「ジル。俺は一度、陣に戻るぞ」
「おらおら――……ん? あぁ、こっちは任せとけ。気を付けてな」
「あぁ」
グラットは歩兵隊を集め、本陣へと向かった。
現在の兵力、一組七六〇〇、二組二〇〇〇。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
「カイト。もう、敵は目と鼻の先だ」
「あぁ。……本陣の兵に通達! 各部隊長の指揮に従って、『迷路』を完成させろ! 『柵』と『脚殺し』はその後だ!」
その声で、一斉に本陣の兵が動く。
竹を組んで出来た柵のような物を本陣の外に立て、カイトの言葉通りに『迷路』を組み立てていく。
その迷路は、山道まで続いていて、それを乗り越えるのは無理そうだ。これは、三方を崖に囲まれているとはいえ、少々の隙間から敵兵を陣内に入れさせないためである。
とはいえ、迷路を抜けると、そこは本陣である。だが、この迷路。ただの迷路ではない。始まりと終わりがある普通の迷路と、外見は変わらないが、様々な罠が仕掛けてある。
「『柵』。それに『脚殺し』。……兵を使うだけが戦争じゃねぇ」
「……お前の発想は、この国の戦い方を根本から否定しているようにも見える。だが、非常に合理的だ」
「兵法は、兵を用いる方法だ。無理もないさ。だが、俺たちは人間だ。駒じゃない。人間だから知恵がある。その他に、道具を扱う術がある。なら、答えは簡単だ。……兵よりも優れた道具を作ればいい」
「それもそうだな」
その時、伝令役がカイトの下へと向かって来た。
「敵の部隊が『迷路』へ入りました!」
「わかった。……歩兵隊へ通達! 敵部隊と交戦開始! だが、一兵たりとも死ぬな! 目的は、『迷路』の奥深くまで誘い込む事だ! 適当に戦ってすぐに逃走しろ!」
「はっ!」
伝令役は、すぐさまそれを伝えにいった。
――エネルリアム王国・訓練場・『迷路』内――
「ええい! なんだこれは! 思ったように進めんではないか!」
イッソは苛立ちを隠そうともせずに叫ぶ。だが、それも無理はない。行く先々で二組の部隊と交戦にはなるが、一兵たりとも勇敢に戦う事はせず、すぐに逃げてしまう。しかも、それを追って行くと行き止まりに突き当たるのだ。
「討ち取った兵は何人だ!」
「はっ……。〇でございます」
「〇? 〇だと? 一人も兵力を減らせていないのか!」
「はっ」
「ぐぐ……。なんて忌々しい奴だっ! こんな壁、壊してしまえ!」
当然、それは誰しもが思い当たる事だろう。が、兵士は首を横に振った。
「我らの武器はこの木剣と、木槍のみです。これらを破壊するためには、刃の立っている武器が必要です」
「ぬぅぅぅっ! ならばこの道を進むしかないというのか!」
「残念ながら……」
イッソは苛立ち、竹で出来た柵を殴りつける。が、柵はビクともしない。地面に深く打ち込んだ竹は、まるで本当の壁のようにそこに立っていた。
「それに、なんだあの敵兵は! なぜドイツもコイツもちゃんとした武具を持っている! 奴らはどうやってあれだけの装備を整えたのだ!」
「……わかりません」
「ぐぐぐ……! もういい! 先へ進むぞ! 全ての道を通れば、いずれ辿り着くはずだ!」
イッソは馬を走らせ、『迷路』の奥へと進んで行った。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
二組の本陣には、グラットが帰ってきていた。
無傷の歩兵はやる気満々といった表情で、カイトの命令を待っている。
そこで、見越したようにカイトが口を開く。
「アリーニ隊は続けて敵を引きつけろ! グラット隊は迷路の『抜け道』へ向かえ! そして、敵部隊の後ろから順に『脚殺し』を仕掛け、その後で兵を捕えろ!」
「……後ろから?」
「あぁ、後ろからだ。確かに、前からやった方が効果は大きいが、率いているのはイッソだろう? こちらの被害は最小限に抑えたいんでな」
「……了解した」
グラットは連れて来た兵を率いて、カイトの言った『抜け道』へと向かう。
実はこの『迷路』、カイトの言うように『抜け道』があるのだ。というのも、自軍の兵たちが迷う事がないように、である。『抜け道』はいたるところにあるが、騎馬隊では絶対に通れない場所にある。
グラットは全ての抜け道に、均等に兵を配置し、百兵隊長に指示を言い渡した。
「……いいか。敵部隊が半分まで通過したところで、『脚殺し』を仕掛けろ」
「了解!」
「……後はアリーニだ」
その時、アリーニは木槍を振り回し、騎馬隊を牽制していた。
「ほらほら! こっちだよ!」
騎馬隊は恐ろしいまでの咆哮を上げ、アリーニ隊に迫る。が、道を把握していない敵部隊では、アリーニ隊に近付く事は出来ない。
近付いても、柵の向こう側だったり、行き止まりだったりと、アリーニ隊に傷を負わせる事は出来なかった。
「さぁて。伝令の言う通り、『抜け道』まで誘き出してあげようか」
ニヤリと笑い、アリーニは大地を蹴る。
――エネルリアム王国・訓練場・『迷路』内――
「ここも行き止まりか! 次だ! 次の道を進め!」
イッソの声が響き、騎馬隊は方向転換をする。そして、イッソが先陣を切り、迷路の奥へと進もうとした――その時。
ガラガラガラッ!
そんな音と、馬の嘶きが轟く。
「今度はなんだ! 状況を報告しろ!」
イッソが振り向くと、またしても土埃で何も見えない。すると、一人の兵士が慌てたように声を上げる。
「も、申し上げます! 殿を務めていた部隊が――……消えました! 残っているのは馬だけです!」
「……なんだと? どういう事だ! そんなはずがあるか!」
イッソは来た道を戻り、兵が消えたという場所に向かう。
そこにいたのは、兵士の言った通り、馬だけだった。しかも、全て脚を折られている。これでは、使い物にならない。
――なんだ? 何が起こった? 兵が消え、馬が使い物にならなくなっているだと? 地面に躓きそうな物はないし、敵兵が隠れていたわけでもないだろう。そもそも、奴らだってこの中から出られんのだろうからな。……カイトとかいう奴は、魔法使いか何かか。
イッソの考えた事は、当然とも言えるが、それは全て間違っていた。
地面には一瞬だけ、馬が躓く『物』が出現し、兵は『抜け道』を使う事で出入り自由だ。それに当然、カイトは魔法使いではない。
「消えた兵は一体どのぐらいだ?」
「……馬の数を見ますに、およそ一〇〇だと」
「一〇〇……。ふん、まあいい。未だに俺たちの兵力の方が上だ。前進だっ!」
イッソは高らかに声を上げ、迷路を進む。が、兵たちには動揺が広がっていた。それと同時に、士気も下がる。
士気の低下を防ぐのは、指揮官の役目だ。だが、今のイッソは頭に血が上っている状態だ。冷静な判断が取れない。だからこそ、兵の士気の事まで頭が回らなかった。それが、今日の結果を招くとも知らずに。
現在時刻、午後五時半。日は傾き始め、後一時間もせずに日没になるだろう。そして、日没を待たずに、今日の結果が訪れる事になる。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
「そろそろ、抜ける頃だな」
「そうなのか?」
「あぁ。騎馬隊の機動力、俺の組み立てた『迷路』の複雑さを考えると、そのくらいだ」
「……ならば、こちらも体勢を整えた方が良さそうだな」
シュルツがそう言うと、カイトは頷く。そして、叫ぶ。
「本陣の兵に通達! 敵はすぐにも『迷路』を抜ける! 部隊長は兵を集結させ、『柵』と『脚殺し』の用意をしろ! 一網打尽にするぞ!」
すると、兵たちは一斉に動き出す。その動きに淀みはなく、一週間の訓練は無駄ではなかったと告げている。
そこで、グラットが戻ってきたのが目に入り、カイトは彼を呼び寄せた。
「グラット! こっちへ来い!」
すると、グラットはすぐさま近寄り、直立する。
「どれだけ捕まえた?」
「ざっと一二〇〇だ。それが限界だった」
「よし。一二〇〇も削れりゃ上出来だ。お前の部隊はそのまま監視に付け。武具は全部奪い、縄で縛って動けなくしろ」
「了解だ」
その時。
「カイト様! 敵兵が『迷路』を抜けました!」
伝令役の声が響き、カイトは動き出す。
「ふふふ。今日の仕上げだ。……シュルツ、ついて来い」
「あぁ」
カイトとシュルツは陣の入口に向かって、歩いて行った。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
「抜けたぞ! かなりの兵を削られたが、攻撃力ではこちらが上だ! 姿の見えた敵兵を全て討ち取れ!」
イッソが号令を出すとともに、騎馬隊が一斉に二組の本陣に突撃した。削られたと言っても、一八〇〇の騎馬隊である。崖の上にいるジル隊を除いた兵しかいない二組軍は、数の上でも負けている。
が、イッソは気付いた。敵陣全てを見渡したが、兵の姿が見えない。
「兵がいない……?」
――ふん。どうやら、あの迷路の中にいた兵が全てのようだな。陣をがら空きにするとは、まさに愚の骨頂。手始めに有り余っている兵糧を頂いて――。
そんな事を思っていた矢先だった。イッソの視界に、人影が二つ、飛びこんで来たのは。
それは当然、カイトとシュルツである。
騎馬隊と二人の距離は約一〇〇メートルほどだ。足の速い騎馬隊なら、一瞬で追いつける距離だ。
「くっくっく! のこのこと出て来るとは! まさに馬鹿だな! 行け! 奴を討ち取れ!」
――リデルにはまだ討ち取るなと言われているが、知った事か。こっちは散々挑発されて頭に来ているんだ。
イッソはそう考え、馬に鞭を当てる。
カイトとシュルツに、イッソが率いる騎馬隊が迫る。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
「くっくっく。馬鹿が馬鹿共を引きつれてのこのことやって来やがった」
「救いようのない馬鹿だな」
カイトたちと敵部隊との距離、およそ五〇メートル。
けたたましい音が、陣内に響く。
「さぁて。仕上げに入るか」
「あぁ。もう、失敗の余地はない」
距離、およそ二〇メートル。
そこで、イッソの声が響く。
「敵将カイト! 覚悟!」
勝ち誇った顔でイッソは剣を振りかぶる。が、カイトはニヤリと笑う。
「馬鹿が。……『脚殺し』と『柵』を展開させろ!」
カイトの声のすぐ後に、カイトとシュルツのすぐ目の前に、竹の棒が突き出される。そして同時に、騎馬隊を囲むように竹の柵が飛びあがった。
騎馬隊は竹に足を取られ、轟音と共に転がった。それは、イッソもである。
イッソはカイトにもう少し、といったところで、地面に転がったのだ。
傷の浅い敵兵はすぐさま立ち上がろうとするが、遅かった。すでに、周りを歩兵に囲まれいて、身動きが出来ない。さらに、陣を囲むようにある崖の上には、カイトが残していた遊軍、弓兵四〇〇が敵に狙いを定めている。
それでもイッソは立ち上がろうとしたが、カイトに剣を突き付けられ、動きを止める。
「さて。ここで降伏するなら、命は助けてやってもいいぞ」
カイトは剣を突き付けたままで、イッソに言い放つ。
「……ふん。誰がするか」
「負けを認めていないようだな。……どうすれば負けを認めるんだ?」
カイトの問いに、イッソは少し考え、口を開く。
「正々堂々と戦ってこそ、負けを認めてやる」
「そうか。なら……帰っていいぞ。ただし、お前だけだが」
「……なんだと?」
「それと、お前が気になっている事にも、答えられる範囲で答えてやるぞ。正々堂々とした戦争がしたいんだろう?」
「……ならば聞くぞ。なぜ、お前らは武具を揃える事が出来た?」
それを聞いて、カイトは笑う。
「はははは! そんな事を考えていたのか? 馬鹿だな、お前。……武具を買い集めるより、材料になる物を買って、鍛冶屋を雇った方が安く済むだろう」
「なっ……! は、反則だ!」
「模擬戦のルールにはそれが『反則』だとは明記されていない。それに、いざ戦争になった時、お前は卑怯だ、だの、反則だ、だのと吼えるのか? それこそ愚かだ」
これが、カイトの言っていた裏ルールその一である。
雇えるのが兵士だけとは、誰も言っていない。そして当然ながら、その二は、『兵以外の物を使う事』である。
「さて。聞きたい事はそれだけか? なら、お前はもう帰っていいぞ。もちろん、武具は剥奪させてもらうが」
そう言って、カイトは兵に合図を出す。すると、イッソだけでなく、他の敵兵も装備を剥ぎ取られた。
そして、丸腰になったイッソは、二組本陣を追い出される。
「明日は全軍でかかって来い。じゃあな」
「……くっ」
イッソは言葉もなく逃げ帰った。そして、後に残ったのは三〇〇〇の騎馬兵だ。
「コイツらをどうするつもりだ?」
「とりあえず、『柵』で檻を作ってぶち込んどけ。メシも水もいらん。人はそう簡単に死なないからな」
「了解だ」
それから少しして、日が暮れた。
後から本陣に帰還したジル隊は、約一〇〇〇もの歩兵を仕留めたらしく、まさに意気揚々と言った状態だった。
そして、この日の模擬戦が幕を閉じたのである。
現在兵力、一組が約四〇〇〇、二組が二〇〇〇。
カイトは宣言通り、一兵の犠牲も出さずに敵兵力を半分まで削ったのである。
――エネルリアム王国・訓練場・一組本陣――
「ふん。島育ちの猿にしては頭を使ったという事か」
「あぁ。見事にしてやられた」
「まったくだな。騎馬兵を文字通り全滅に追い込まれるとは」
「……すまなかった」
「……まぁいい。明日は歩兵を中心に軍を構成する。弓兵も交えて、総力戦を仕掛けるぞ」
「……明日、必ず、奴を討ち取る」
「あぁ。もう容赦はいらん。全兵力を持って、二組の連中を叩き潰す」
リデルとイッソは、沸々と込み上げてくる怒りを抑えつつ、明日へ向けての策を練り始めた。
――エネルリアム王国・城内・雑務室――
「今日の結果を報告します」
大臣が口を開き、ヒルデスはそちらを向く。
「カイトはどうだった?」
「兵ではなく、道具を用いて、一組軍の騎馬隊三〇〇〇を捕虜にしました。他にも、二組は弓隊の功績が著しく、およそ一〇〇〇の敵兵を討ち取ったそうに御座います」
「ほう! 一組の兵力は八〇〇〇と聞いていたが、初日で半分も削られたのか! やはり、わたしの目に狂いはなかったらしい!」
「しかし、未だに一組の兵力は、二組のそれを大きく上回っています。さらに、明日は総力戦になるそうで……」
「ふむ……。つまり、明日が重要というわけだな……。よし!」
そこで、ヒルデスは勢いよく立ち上がった。
「まさかとは思いますが、ヒルデス王」
「そのまさかだ、大臣。明日は、丸一日、模擬戦を観戦するぞ。雑務は無しだ」
「丸一日ですか。しかし……」
「いいではないか。我が国の軍師が決まるかも知れんのだぞ?」
「それはそうですが」
ヒルデスは、強い意志の宿った瞳で、大臣を見る。それを感じ、大臣は小さく溜息を吐いた。
「……わかりました。それでは、日が昇る頃に出発いたしましょう」
「あぁ。さて、では今夜は早く寝よう」
そう言って、ヒルデスは雑務室を出て行き、自分の部屋へと向かった。
軍事学校の歴史において、王が丸一日観戦した事など、一度もない。それだけ、ヒルデスがカイトに期待しているという事だ。
▽△
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
朝六時半、顔を出した朝の日の光を浴びながら、カイトは陣内を見渡していた。その横には、当然、シュルツも立っている。
二人の表情は、昨日とは打って変って緊張感に包まれている。
「間違いなく、今日が山場だな」
「……昨日、あんな事を言ったからだ。それに、イッソも帰してしまった」
「あれはあれでいい。これで一つ、奴に貸しが出来たわけだからな」
「……その貸しを返すような奴だとも思えんが」
「この模擬戦で回収する必要はない。アイツもこの国の軍に入るだろうし、いつか返してもらうさ」
その言葉に、シュルツは軽く笑う。
「やはり、お前は他の奴とは違う。ここにいる兵も、一組の連中も、今だけを見ている。が、お前は未来も見ている」
「他の奴らは、今だけ見てりゃあいいのさ。それが、この国が勝つって事に、一番重要なんだ」
「……お前が言うなら、そうかも知れんな」
そこで、カイトは一度大きく身体を伸ばす。そして、シュルツに向かって口を開く。
「今日は、お前は俺の傍にいなくてもいい。っつーか、やってもらう事がある」
「やってもらう事?」
「あぁ。俺の目で選んだ歩兵が、一〇〇人いる。ソイツらをお前に預ける。やる事は――」
カイトはシュルツの耳元で、策を囁く。
「……何? だが、それは……」
「戦場では、常に何が起こるかわからん。俺がどれだけ策を練ったとしても、予測不能な事態ってのは、必ず起こる。伝染病、干ばつ、水害、住民の反乱……。予測できないからこそ、それ以外の事を万全にする必要があるんだ。お前には、今日の要になってもらう。それが出来なければ、今日を凌いだところで、明日の勝利を見る事は出来ない」
シュルツは無言で頷いた。
そして、カイトはシュルツに、自らの分計を渡した。
「今日、これが必要なのはお前だ。頼むぞ」
「あぁ」
カイトは指揮官――軍師であり、策を練る立場だ。そして、軍師であるからこそ、味方の軍を守る義務がある。その為に必要な事ならば、卑怯だろうとなんだろうと、やらなければならない事がある。
それをカイトは、誰に教わるわけでもなく知っていた。軍師の資質というべき物が、初めから備わっていたのだ。
「今日は総力戦になる。もちろん策は練るし、負けるつもりは毛頭ない。が、相手は四〇〇〇の兵を有しているのに対し、こちらは二〇〇〇――いや、お前に預けたのを除外すると、一九〇〇の兵力しかない。不利なのは間違いなくこちらだ」
「……ならば、どうする?」
「有利な状況を作り上げるまで。一九〇〇の兵が、四〇〇〇の兵に勝てないまでも、負けないための状況、それがなんだかわかるか?」
カイトの問いに、シュルツは考える。
「ふむ……。四〇〇〇の兵が機能しない状態、か。例えば、細い一本道で戦うような」
「そうだ。だが、今日は山道を使うつもりはない。正々堂々と、真正面から奴らを叩き潰す。一九〇〇の兵でな」
「出来るのか?」
「出来なきゃ、俺はここにいないさ」
カイトは笑い、さらに続ける。
「いいか。俺はお前らに戦争を教えてやる。いつもいつも、俺が指揮を執るとは限らんからな。自分の頭で考え、行動出来るようになれ。将軍に必要なのは、思考力、理解力、分析力、そして行動力だ」
「覚えておこう」
シュルツがそう言ったのと、伝令役の兵が走ってくるのがカイトの目に見えたのは、ほとんど同時だった。
「カイト様! 敵からの使者がやって参りました!」
「来たか」
そう言って、カイトは時計を開く。朝七時丁度。
「シュルツ。お前は正午を待って、さっき言った事を実行に移せ。その後は、敵に見つからないように帰還しろ」
「わかった」
そう言うと、シュルツはその場を離れた。
カイトは伝令役に促され、使者の下へと足を運ぶ。
使者は、カイトを見ると、無表情で頭を下げた。これがおそらく、この国の使者の礼儀なのだろう、と、カイトは考え、その使者に向かって口を開く。
「ご苦労だったな。で、用件はなんだ?」
すると、使者は口を開いた。
「我が指揮官リデルより、『決戦は午前八時、双方の陣の中間地点にて。つまり、山道を抜けたところだ。しっかりと隊を編成し、正々堂々と戦え』」
「わかった。帰っていいぞ」
すると、使者はもう一度頭を下げ、
「逃げるなどという事は、考えん事だ」
そう言って、二組の本陣を出て行った。
そこに、ジル、アリーニ、グラット、ニアが近寄る。
「使者はなんて言ってきたんだ?」
ジルの言葉に、カイトは一度ニヤリと笑い、答える。
「今日は全兵力を投入してくるらしい。昨日騎馬隊を壊滅させた事が、余程頭に来ているらしいな」
「全兵力ってぇと……四〇〇〇くらいか。どうするんだ?」
「なぁに。策はいくらでもある。山道を抜けたところは、平たく言えば『平野部』って事になるが、何もないわけじゃないからな」
確かに、平野部には小さな林や、大きな岩が転がっている場所、丘などがある。カイトは、それを上手く使うつもりなのだ。
そこで、アリーニが口を開く。
「本当にそこで決戦になるの? 罠だって考えるのは?」
「山道を抜けたところに伏兵が配置されてる、って事か? 大丈夫だ。それの対策も考えた」
カイトは地図を取り出し、広げる。そして、山道の出口を指差した。
山道の出口には、兵が隠れられそうなところはない。だが、崖の陰に隠れる事くらいは出来そうだ。
「まず、ジル。お前には、一〇〇の弓兵を率いて、もう一度崖の上に行ってもらう。そして、下の様子を報告しろ。敵兵がいたら、討ち取れ。お前の合図を待って、他の部隊は山道を抜ける」
「もし、俺の部隊だけじゃ手に負えないような数の兵がいたら?」
「その場合、すぐに俺に伝えてくれ。残りの弓兵もそちらに向かわせ、殲滅させる。伏兵は、こちらが訪れない限り動く事はないだろう。だから、俺たちはお前の報告を聞いてから動く。残りの弓兵と歩兵一〇〇は、俺が率いる」
「了解だ」
「まぁ、そんな事はしないと思うが、念のためだ。そもそも、正々堂々とした勝負を望んだのは、アイツらだからな。……さてと」
カイトは一度深く息を吐き、声を張り上げる。
「本陣の兵に通達! 各部隊長、及び百兵隊長は部隊をまとめろ! 先陣を切るのはグラット隊! 次にアリーニ隊! その後でニア隊だ! 殿はジル隊、及び、俺の部隊で受け持つ!」
アリーニ隊とグラット隊は歩兵三五〇ずつ。アリーニ隊は槍を装備し、グラット隊は剣だ。ニア隊は救護兵一〇〇。カイトの部隊は、歩兵一〇〇に弓兵九〇〇。だが、カイトが率いる弓隊は、ジルが戻ってきた時点で、ジルが率いる事になる。
歩兵の数が心許ないが、カイトは問題ないと思っている。というより、今回に限って言えば、これが最良の配分だとも思っていた。
――今回、嬉しい誤算だったのが、弓隊だ。近距離での戦いは不慣れな奴ばかりだが、盾を使った戦い方は全員に伝授してある。そうそう簡単にやられはしない。それに、弓のいいところは、矢だけで敵を仕留められるという事だ。相打ちにしなくても、数本の矢で相手の数を減らす事が出来る。
そういう事だ。弓兵は戦場において、ローリスクハイリターンなのだ。それを上手く使いこなせるかどうかは、指揮官の腕次第だが。
そうこうしている内に、各部隊長、百兵隊長は部隊をまとめ上げ、カイトの下へと集結した。
カイトは、余った軍資金で買っておいた馬に跨り、兵たちを見渡す。
「……いいか。昨日は誰一人、犠牲は出なかった。だがそれは、奴らが俺たちを甘く見ていたからだ。……はっきり言って、今日は違う。すでに兵力を半分も失った奴らは、死に物狂いで向かって来るだろう。死を覚悟しろ。常に死を意識しろ。たとえこれが模擬戦だとしても」
カイトの言葉に、兵たちの表情は引き締まった。動揺も走らず、すぐに気を引き締める事が出来るのは、最初からわかっていたからか、カイトを信じているからか。それとも、その両方か。
本当のところは、カイトにもわからない。士気が下がる事を覚悟して言った一言だったが、兵たちの士気が下がった様子はなく、とりあえずカイトは心の中で安堵する。
そして、最後に付け加えた。
「そしてもう一つ。後二四時間以内に、この模擬戦は終了する。……もちろん、俺たちの勝利でな!」
カイトの言葉に、兵たちは一斉に声を上げる。誰一人としてカイトを疑う事無く、飛び上がっていた。
「さぁ、今日の第一段階を始めるぞ! 四〇〇〇の兵など、恐れるに値しない! お前らは――『黒扇部隊』だ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
歓声が上がり、昨日に引き続いて、二組の士気は最高潮だ。
現在時刻は午前七時二五分。決戦まで、残り三五分。
すでに朝日は、高々と昇っていた。
――エネルリアム王国・訓練場・崖の上のさらに上――
「二組の士気は、まさに最高潮といったところですかな」
「そのようだ。対する一組は、すでに布陣を終えている。静かだが、士気が低いわけではなさそうだ」
ヒルデスと大臣は、昨日、カイトが弓兵を配置した崖の上、そのさらに上の崖に椅子を用意し、遥か下の訓練場を見守っていた。
「一組の陣形は――ふむ。なるほど」
大臣は頷き、マジマジと一組の陣形を見る。
部隊を五つに分け、本体を中心に配置し、残りの四つを左右に二つずつ。上から見ると、まるで、羽を開いた蝶のようにも見える布陣だ。
「確かに、兵力に物を言わせるならば、効果的な布陣だな。限られた範囲で、自らの兵を満遍なく布陣している。あれでは、下手な策は逆効果だ」
確かにそうだ。一組の布陣は、自らの本陣側に隙間を残さず兵を配置してあり、取り囲む事も出来ない。つまり、このままでは真正面から当たるしかないのだ。
「とはいえ、一組と二組の距離が離れ過ぎている。あれでは、どちらもさらに中心部に進行しなくてはなるまい。となれば、あの陣形のままで進むのには無理がある」
「そのようですな」
満遍なく布陣してこそいるが、前にも言った通り、この戦場は純粋な『平野部』ではない。戦地になるのはもっと前方になるだろうし、そこへ行くまでには、丘や岩が転がる場所などを通る必要がある。
「しかし、リデルならそれを可能にする事も出来るだろう。軍師の才はあるかどうかわからんが、軍師としての経験が違う。それに、いつもより少ない兵力だ。操るのは容易いだろう」
「おっしゃる通りです。カイトがいかに天才であろうとも、経験は戦場でのみ積める物。初めて兵を動かしたカイトに、兵がついて来るかどうかが問題ですな」
「それも含めて、今日の見どころだ。……ん? 二組が動いたぞ」
ヒルデスが指差し、大臣もそちらを見る。
二組の部隊は本陣を出発し、山道へと向かっていた。
「始まるな。決戦が」
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
カイト率いる二組の部隊と、リデルの率いる一組の部隊は、丁度平野部の中央で相対した。
「敵将カイト! 出て来い!」
リデルが叫び、カイトは兵たちを掻きわけ、戦闘に立つ。
リデルはカイトととは違い、押し車に乗っていた。そこに座り、自らの剣をカイトに向ける。
「昨日はよくもやってくれたな。だが、今日は昨日のようにはいかん。全兵力を持って、貴様を叩き潰す」
「やってみろ」
「……ふん。減らず口を。――イッソ!」
リデルはイッソを呼び寄せる。イッソは、予備で買っておいたのであろう馬に跨り、リデルの横についた。
「カイト。教えてやろう。戦場の礼儀という物をな」
「なんだそりゃあ?」
「こういった場合、まずは一騎打ちをするのだ。武将と武将の、せめぎ合いだ」
「ほぅ……」
カイトは、大陸の作法についてあまり知らない。イラから少しは聞いていた物の、詳しいところまで聞いたのは、ほんの一部だ。だからこそ、リデルの申し出は断らなかった。
「よし。じゃあ、こっちはグラットを出す。……グラット!」
その呼びかけに応じ、グラットがカイトの横についた。カイトの跨っている馬の、ゆうに二倍はあろうかと馬に跨り、大きな矛を手にしている。
「イッソを討ち取れ。もしくは、奴を戦闘不能にしろ。それだけで、士気に大きな影響が出る」
「……随分と難しい注文を出す」
「それと、出来るだけ時間を長引かせろ。キツイだろうが、頼む」
「どのぐらいだ?」
「……そうだな。最低でも二時間。出来るか?」
「……やってみよう」
グラットは前へ進もうとしたが、カイトが肩を掴んで留まらせた。
「切り札をくれてやる。コイツだ」
そう言って、カイトは木で出来た短剣をグラットに渡した。グラットは首を傾げながらそれを受け取り、鎧の中に隠した。
「たぶん、ソイツが必要になる」
「……わかった。ありがたく使わせてもらう」
そう言って、グラットはカイトよりも一歩前に出る。
それとほぼ同時に、イッソも前に出た。
「デカイだけの奴に、俺を討ち取る事は出来ん!」
「……親の七光が」
グラットの挑発が、一騎打ちの合図になった。
二人は馬を走らせ、お互いに肉薄する。そして、イッソは剣を振るい、グラットは矛を振るう。その二つが交差し、二人はすぐに距離を取った。
そして、またすぐに馬を走らせ、肉薄。その繰り返しで、何度となくぶつかり合うが、決定打は一つもない。
この勝負を、リデルもカイトも黙って見守っている。他の兵たちも、である。戦場において、一騎打ちを妨げるのは、マナー違反だという事を、誰しもがわかっているからだ。
それからかなりの時間を費やし、一〇〇回を超える攻撃の時、勝負は急激に動き出した。
イッソが剣を振りかぶり、グラットに襲いかかったのとほぼ同時に、グラットは馬を横に走らせた。そして、剣をかわすと同時に、矛をイッソの馬の足に引っ掛けた。
「ぐっ……!」
すると、イッソの馬は体勢を崩し、その場に転がる。イッソは馬から転げ落ちるが、ただでは転ばない。さすがは少将の息子と言ったところだろうか、彼も、自らの剣でグラットの馬の足を斬りつけたのだ。
「むっ……!」
そして、二人の大男は大地に転がり、すぐさま立ち上がる。馬上戦から、地上戦に移ったのだ。
グラットは大きな矛を力任せに振るう。イッソはそれなりの大きさの剣を上手く使いこなし、その攻撃をかわしていた。
が、力任せに攻撃しているグラットは、言うなれば隙が大きい。そこを、イッソが見逃すはずが無かった。
「もらったぁ!」
グラットの隙を付き、イッソは剣を突き出す。振るったのでなく、突いたのだ。グラットはそれを一瞬かわそうとするが、間に合わないと判断し、矛で防御を図る。運よく防御には成功したグラットだった――が。
バキリ!
そんな音と共に、グラットの持っていた矛が折れた。本来は鉄で出来ている部分を木に変えてあるとはいえ、柄の部分は元々の矛と同じだ、それも、グラット専用の重量のある、太い柄である。それを、イッソは折ったのだ。
グラットはすぐさま身体を後ろに退き、体勢を立て直す。その際に折れた矛の片割れを捨て、大きく残った方だけを手に残す。そして、それを剣のように構えた。
「ぬぅううううううううううううううううううっ!」
グラットは雄たけびを上げ、イッソに迫る。イッソもグラットを討ち取るべく、剣を上段に構えて突進した。
二人の武器が交差し――。
バキッ!
一つの大きな音が鳴る。
皆が注目したのは、二人の武器だ。イッソの剣は根元から折れ、グラットの矛は完全に壊れていた。普通なら、とても戦える状態ではない。
だが、イッソはすぐさま折れた剣の刃の部分を掴み、それを持ってグラットに斬りかかった。
「敵将グラット! 討ち取ったぁっ!」
そのセリフが轟いた直後、二人の内、一人の大男が大地に転がった。
そして、転がっていたのは当然ながら――イッソである。
イッソの鎧の腕の部分には、木で出来た短剣が深々と刺さっている。本来ならば、絶対に有り得ない状態だ。
イッソの剣がグラットに届く直前、グラットは鎧から短剣を抜き放ち、力任せに振るったのだ。イッソが突進してくる速度と、グラットの力。その二つがあったからこそ、このような結果が生まれたのである。
「……ふむ。腕か」
グラットは呟き、カイトの下へと戻る。
「ご苦労だったな、グラット。これで、奴の利き腕は潰した。今回はもう、使い物にならんだろう。……見ろ、兵たちを」
カイトに促され、グラットは自軍の兵を見る。その後で、敵兵を見た。
兵たちは歓声を上げ、グラットの勝利を喜んでいた。対して、敵兵は意気消沈し、明らかに士気が落ちている。
「とどめは刺さなくてよかったんだろう?」
「あぁ。アイツを『戦死』にしちまうと、敵に『怒り』を与える事がある。だが、怪我ならどうだ。心の拠り所である将軍はまだ生きているが、戦えない状態。死んでもいないから回収しなければいけない。となると、俺たちが兵をまとめる時間が出来る。今、喜びに沸いている兵は、敵の兵力を忘れちまってるんだ。それを正す必要がある」
カイトは言い、グラットは頷く。
そして、カイトは声を張り上げる。
「気を引き締めろ! イッソがいなくなっても、敵兵力が消えてなくなったわけじゃあない! グラットは勝った! お前らもそれに続けぇっ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
そこで、本当の決戦が始まったのである。
現在の兵力、一組四〇〇〇、二組一九〇〇。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
シュルツは一騎打ちの様子を、かなり離れた場所から見守っていた。後ろには一〇〇人の歩兵が待機している。
「よし。勝ったか」
そこで、シュルツは自らの時計を取り出す。一〇時半。まさに、二時間に及ぶ一騎打ちだったわけだが、言って見れば、シュルツにとっての暇潰しである。
現在、彼はしたたかに、敵兵の隙を狙っている。
「今日の正午、という事は、おそらく、戦闘が一番激しい時の事だ。つまり、その隙を縫って、実行に移せと言う事か」
シュルツは呟き、戦場を見守る。
敵兵は誰一人として気付いてない。いや、おそらく味方の兵すらも。シュルツの部隊がどこにいるのか知っているのは、ヒルデスと大臣だけだった。
――エネルリアム王国・訓練場・崖の上のさらに上――
「あの部隊はなんだ?」
「おそらく、二組の遊軍なのでは」
「……それにしては、妙な位置だ。何をするつもりだ?」
確かに、ヒルデスの疑問もわかる。なぜなら、シュルツの部隊がいるところは、岩に囲まれた場所。伏兵として配置しているのならば、もっと出やすいところに配置するはずだ。それに、シュルツの部隊がいる場所は、敵兵からもかなり距離がある。誰も近付いて来ない可能性もあるのだ。
「伏兵ならば、もっといい場所が山ほどある。カイトもそれに気付かんわけがない。兵法を齧った事がある者ならば、あんなところに兵を配置するはずが……ん? まさか」
「どうなされました?」
「いや……」
そこで、ヒルデスは考える。
――まさか、カイトの指示で待機しているわけではない? あの部隊は、勝手に動いている? ならば、あの部隊の目的はなんだ? 奴らが目指す物、それは……。
「あっ……」
ヒルデスは思わず声を上げた。気付いてしまったのだ。おそらく、通常の戦場では決して気付く事はないだろうが、上から全てを見ているからこそ気付いたのだ。
「面白い。やってみろ、カイト」
ヒルデスは、ニヤリと笑った。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
一騎打ちを終え、遂に戦争は始まった。
一組の兵力四〇〇〇と、二組の兵力一九〇〇が、正面から激突したのである。
「グラット隊は前進しろ! アリーニ隊は左右に分かれ、敵の左右の部隊を叩け! ジル隊は、敵本隊目掛け一斉に撃てっ!」
カイトの声に応じ、横で控えていた銅鑼を持った兵士が、指示通りに音を鳴らした。
それを聞き、兵たちが動く。たった一週間の訓練期間と言えども、統率を取る事に重点を置いた訓練だ。動きには乱れがない。
すると、それを待っていたかのように、リデルも声を上げる。
「左右の部隊は前進! 本隊も前進だ! 一気に殲滅しろ!」
一組の部隊は、二組の部隊を囲い込むように前進する。数の上で勝っている一組の戦法は、『逃げ場をなくして叩く』事だった。
これが決まれば、二組は絶体絶命の危機に陥る――が、カイトはニヤリと笑う。
「ジル隊は左右の敵に対して矢を放て! 敵本隊はグラット隊に任せる! 耐えろ!」
またしても、銅鑼が鳴る。それに応じ、ジル隊は部隊を二つに分け、左右の敵部隊を攻撃した。それによって、前進しようとしていた左右の一組部隊は足止めされ、本隊だけが突出した形になる。
「今だ! アリーニ隊、グラット隊は敵本隊を攻撃! 囲い込め!」
カイトは叫び、銅鑼が鳴る。アリーニ、グラットの二人は、突出した敵の三方を囲むように兵を動かし、各々に攻撃を開始する。
それを見たリデルが、今度は指示を出す。
「左右の部隊は本隊の下へ来い! 逆に囲い込んでやれ!」
それと同時に、敵の左右の部隊は前進をやめ、アリーニとグラットの部隊を囲もうとする。
が、そんな事をカイトが許すはずもない。それどころか、まるで予想通りという風に笑った。
「グラット隊とアリーニ隊は二〇メートル後退! ジル隊は中央に集まった敵兵に矢の雨を浴びせてやれ!」
その指示で、グラット隊とアリーニ隊は後退する。そして、それに合わせてジル隊が大量の矢を放った。
敵兵は中央部に集まっていたがために、格好の的になる。それを見たリデルは歯噛みし、声を上げる。
「歩兵は盾を上に掲げて防御しろ! 弓兵は撃ち続けろ!」
戦闘が始まって、未だ一時間も経っていない。が、現状では、二組軍の方が優勢だった。
現在の兵力、一組三四〇〇、二組一七二〇。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
シュルツは時計を開く。午前一一時二〇分。
「……ふむ」
――現状では、こちらが有利か。カイトの言った時間まで残り四〇分。それまでに、さらに戦場は荒れるという事か。
カイトの口ぶりでは、そういう事だ。シュルツがやるべき事は、敵の隙を突かなければ意味が無い事であり、そのための兵も預かっている。
足の速い、隠密行動向きの兵が一〇〇人。やるべき事はすでに伝え、兵は静かに戦況を見守っている。
「ただ見ているだけの戦争は、ひたすらに長いな……」
呟き、シュルツは溜息を吐く。
シュルツの部隊が動き出すまで、残り四〇分。
――エネルリアム王国・訓練場・崖の上のさらに上――
「二組が優勢だな」
「そのようです」
「が、いくら優勢とは言えども、兵は駒ではなく人だ。疲れも出てくる。その場合、数の多い一組は有利だ」
「はい。長期戦になれば、この力関係も崩れてくるでしょうな」
「だが、カイトの布陣を見る限り、短期決戦というわけではなさそうだ。随分とゆっくりと兵を動かしている風に見える」
確かに、カイトが率いる二組が勝つには、短期決戦以外にない。が、カイトはあえて、兵をゆっくり動かしているのだ。それは、他でもない、シュルツの為である。
今は余力を残し、シュルツが動き始める直前、戦闘を激化させる。それにより、シュルツの部隊を動きやすくする。
シュルツ部隊が狙っている事を看破しているヒルデスも、それに気付く。
「ふむ。時間稼ぎか」
「……時間稼ぎ?」
「あぁ。二組にはどうしても時間が必要なのだ。おそらく、時間で言うと四時以降。それまでは、どうしても戦争を長引かせたいのだ。カイトの狙っている事を考えると、そのぐらいは必要だろう」
「狙っている事、とは?」
「……見ていればわかる。誰も知らせる事無く、皆がそれに気付くだろうさ」
ヒルデスはニヤリと笑う。
時刻は、午前一一時四〇分。
現在兵力、一組三二五〇、二組一六一〇。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
「ええい! 何をやっている! 数の上ではこちらが有利だ! 多少の犠牲は構わん! 敵部隊に突っ込め!」
リデルの声で、一組の部隊は前進する。ジル隊が放っている矢を気にする事無く、全速力で突撃してきたのだ。まさに、怒涛の勢いである。
こうなると、二組は歩兵で応戦するしかなくなる。なぜなら、弓兵は離れた敵に矢を射るための部隊だ。味方とこうも接近されると、思ったように敵を狙えない。味方の兵を攻撃する可能性があるからだ。
そこで、カイトは指示を出す。
「アリーニ隊は槍の長さを利用して敵を近付けるな! グラット隊はアリーニ隊の援護だ! ジル隊は敵本隊目掛けて撃ち続けろ! 矢が無くなっても構わん! ニア隊は負傷者の救護だ!」
兵は一斉に動き出し、指示通り動く。だが、数の上で不利な二組に、全ての敵を抑えつける事など出来るはずもない。
そして、穴が出来た。兵たちがやられ、壁がなくなったのだ。
そこを、リデルが見逃すはずもない。
「敵は崩れたぞ! そこを突け! 一気に敵将を討ち取るんだ!」
まるで雪崩でも起きたかのように、一組の兵が二組の兵に襲いかかる。一人やられ、二人やられ、三人やられ……。
状況は一変した。一組の捨て身の攻撃が功を奏し、二組の部隊を追いつめ始めたのだ。
が、その状況を見ても、カイトは薄く笑っている。冷静さを失ってはいなかった。
――さて、今は何時だろうな? おそらく、正午はすでに回っている。となると、シュルツはもう動いているだろう。アイツが到着するまで、残り三時間といったところか。そこから実行に移すとして、四時。つまり、後四時間凌ぐ必要がある。
そこまで考え、カイトは叫んだ。
「全軍後退! 態勢を立て直せ!」
その指示により、二組の部隊は後退を開始した。だが、敵に背を向けて逃げ出したわけではない。敵を警戒しつつ、後ろ向きに下がったのだ。
そして、一組部隊と二組部隊は、かなりの距離が開いたところで、カイトはもう一度叫んだ。
「部隊を立て直せ! 各部隊長、百兵隊長は戦死者と戦闘不能の怪我を負った兵士の数を報告しろ!」
数分後、アリーニ、グラット、ジルの三人が、カイトの下へやってくる。ニアは、怪我人の救護で手を離せないらしかった。
「弓隊は戦死がざっと二三〇ってとこだ。怪我人もいるが、戦闘不能状態はいない」
「俺の部隊は戦死が一九〇。怪我人は、ジルと同じく」
「あたしの部隊は、戦死が一二〇ってとこ。怪我人は、あまりいないわ。残った兵は、みんな戦える」
それを聞き、カイトは計算する。
「戦死者が五四〇、か。つまり、残りは一三六〇って事だな」
そこで、ジルが軽く頭を下げた。
「さっきの、奴らの捨て身の突撃で、かなりの兵を死なせた。模擬戦とはいえ、すまねぇ」
確かに、模擬戦であるが故に、誰も死ぬ事はない。怪我こそするが、死に至る程の怪我をする者は、今まで一人もいなかった。だが、実際の戦場では、必ず戦死する者が出る。
ジルが頭を下げたのは、部隊長として、部下の命を預かる責任があったからだ。
「そう思ってんなら、問題ねぇ。気にするな。これで負けたってわけじゃない。今は態勢を立て直し、奴らに勝つ事だけを考えろ」
「……あぁ」
ジルは苦笑し、弓隊の下へと向かう。
アリーニとグラットも、部隊の下へと向かう。
――さて。こちらの兵力は一三六〇。おそらく、奴らの兵力は、こちらの二倍程度か? 最後の突撃で、こっちもかなりやられたが、捨て身の戦法だ。あっちもかなりの被害を受けたはずだが。
その予想は当たっている。現在の一組の兵力は、二五九〇まで減っている。だが、兵力は間違いなく一組が上であり、二組はかなり厳しい状況まで追い込まれている。
見る人が見れば、『見事な後退だ』と言うかもしれないが、兵たちにそうはいかない。前進していれば優勢、後退していれば劣勢、それが、人の心理である。それにより、士気が下がるのも当然のことだ。
――奴らの兵力はかなり減らせた。後は、時間を稼ぎ、奴らに負け意識を与えてやれば、それでいい。そうしてやる事で、勝手に引っ掛かるだろう。
カイトは太陽の位置を確認し、現在の時刻を推測する。
――たぶん、今は一時くらいか。兵に休息を取らせるべきだな。
そう考え、叫ぶ。
「全軍に告ぐ! 敵兵を警戒しつつ、休息を取れ! まだまだ戦争は続くぞ!」
カイトの声を聞き、兵たちはその場に座り込む。持って来ていた水を飲み、各々が身体を休ませる。だが、誰一人警戒は怠らず、常に敵の部隊を視界に入れていた。
カイトも馬を降り、竹で出来た水筒から水を飲む。
現在時刻、午後一時一二分。
これから僅か三〇分後に、模擬戦は大激戦を迎える事になる。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
シュルツは、遥か後方に見えている戦場を振り返り、様子を窺う。
――一時休戦、か。
それを確認すると、シュルツは目的地へ向け、再び歩を進める。シュルツに与えられた兵は、かなり抑えているとはいえ、シュルツのスピードについて来ている。これならば、カイトの言った作戦は、問題無くこなせそうだった。
――俺に与えられた指令が、一番重要らしいからな。失敗は許されん。
シュルツは気を引き締める。
現在時刻、一時二五分。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
時刻にして、午後一時四〇分。遂に、総力戦が開始された。
一組軍二五九〇と、二組軍一三六〇が、正面からぶつかったのである。それも、さっきまでのゆっくりとした戦闘ではない。言うならば、大激戦、である。
「アリーニ隊は敵本隊に向けて前進! ジル隊は援護に回れ! グラット隊は左右の敵部隊を牽制しつつ、本隊との距離を詰めろ!」
今回のカイトは、アリーニ隊を先頭においた。そして、ジル隊とグラット隊を二つに分け、左右の敵に当たらせた。つまり、形としては、大きな三角形のようにも見える。
対して、リデルは、部隊を三つに分け、それぞれを均等な距離に配置した。上から見ると、三角形が三つあるようにも見える。
それぞれの部隊が死力を尽くし、戦争を激化させる。だが、先程同様に、押されているのは二組軍だ。数の上で負けているため、それも当然と言える。
今までの二組なら、すでに白旗を上げていてもおかしくない状態である事も確かだ。未だに持ちこたえているのは、カイトの手腕とも言えるだろう。
だが、カイトはこれで満足してなどいない。
――時間稼ぎは当然する。だが、奴らに負け意識を植え付ける事が出来なければ、今回の策は成功しない。つまり、俺にかかっているわけだ。
負け意識を植え付ける。それは、かなり難しい事だ。数的有利もない二組が、相手に『負けた』と認識させるのは、ほぼ不可能である。
だからこそ、カイトはジルにある指示を出していた。
その指示は、『指示を出したら、弓兵一〇〇ずつを左右に伏せろ』というものである。
本来、伏兵という物は、戦争が始まってから伏せる物ではない。それも、ここまで激化した戦争の最中に、そんな事をするのは、自殺行為である。失敗すれば、全て敵に殲滅される。
だが、カイトには勝算があった。
平野部とはいえ、隠れられる場所はいくらでもある。それに、戦争が激化すればするほど、敵兵の注意力は散漫になる。そんな時に、敵兵が少数いなくなったところで、誰も気にはしないだろう。
しかも、カイトは二重の策を練っていた。それが、『指示を出したらまず後退。グラット隊に援護をさせつつ、弓兵を伏せろ』である。
敵が後退すれば、何も指示が無い状態だと、兵は追うだろう。それを逆手にとり、散り散りになった風に見せかける。それを悟らせないために、グラット隊に援護をさせる。それが、カイトの考えた策だった。
そして、それから一時間ほど戦闘を続け、カイトは遂に指示を出した。
「ジル隊! 動け!」
カイトの声に合わせて、銅鑼が鳴る。その音を聞き、ジル隊は一斉に後退を始めた。敵兵はそれを見て追撃する。何人かの弓兵がやられるが、そこでグラット隊が援護に入った。すると、敵兵はグラット隊を相手にし始める。……全ては、カイトの予想通りに事が運んでいた。
その隙に、弓兵二〇〇が、左右の物陰に隠れた。部隊を伏せ終わると、ジル隊は前進を始める。
それを確認すると、カイトは目を細めて遠くを見た。
――そろそろ、到着か。後は、追い込むだけだ。
カイトは懐から漆黒の扇子を取り出した。
「左右の弓隊! ありったけの矢を放て! 敵を中央に寄せろ! アリーニ隊は後退だ!」
その声の直後、銅鑼が鳴らされる。それと共に、アリーニ隊は後退し、敵の左右の部隊だけでなく、中央の部隊にまで及ぶ矢が放たれる。敵兵はそれを逃れるために、中央に寄った。
「今だ! グラット隊、アリーニ隊、ジル隊! 一斉に囲い込め!」
すると、二組軍も兵を集結させ、一組軍を囲い込んだ。逃げ場は、背後だけである。だが、その逃げ場も、ジル隊の弓により、無いに等しかった。
そこで、リデルが声を上げる。
「どこでもいい! 突破口を開け! 力づくで押し切れ!」
が、カイトは笑う。すでに、一組の部隊は、身動きが取れない状態になっていた。
当然である。一組軍より数が少ない二組軍が、一組軍を囲い込んだのだ。それは、かなり小さな円にならざるを得ない。となると、数の多い一組軍は、円の中央部にいる兵士ほど、攻撃に参加できない。そればかりか、動く事すらままならなくなる。
こうなると、後は殲滅を待つばかりである。なぜなら今は、多数対少数ではなく、少数対少数が沢山あるという状況だからだ。
円周付近にいる兵士を一掃すれば、兵力差はかなり縮まる。それを見越して、カイトは囲い込んだのだ。
その状況を見て、リデルは苦虫を噛み潰したと言わんばかりの表情を作る。
「くぅ……っ! このままでは……っ!」
ここに、もしもイッソがいたとしたら、突破する事も出来ただろう。だが、イッソは戦線離脱している。となると、後は逃げるしかない。だが、逃げ場は後方のみだし、その逃げ場には、雨のように矢が降ってくる。
リデルの中で、敗北意識が芽生えていた。
そこで、カイトは太陽の位置を確認した。
――四時くらいか。……よし。成功したみたいだな。
カイトは目を細め、遠くを見つめる。そこには、一筋の煙が立ち上っているのが見えた。シュルツが成功したという証である。
現在の兵力、一組一九八〇、二組一〇二〇。
――エネルリアム王国・訓練場・崖の上のさらに上――
「見事だ、カイト」
ヒルデスは呟く。一組を完全に包囲し、戦況を覆した様子を、ヒルデスは感心しながら見ていた。
「しかし、未だに兵力は一組が優勢です。今日はこれで終わりかも知れませんが、明日はどうなるか……」
大臣の言葉に、ヒルデスは笑う。
「ははは。何を言っている? この模擬戦は、今日で終わりだ」
「……どういう意味ですかな?」
「少なくとも、カイトは今日で決着を付けるつもりでいる。でなければ、あんな戦い方はするまい」
ヒルデスは、朝から始まった戦争で、おかしな点を淡々と挙げていく。一騎打ちにかかった時間、一時休戦までの間はゆっくりと動いていた二組軍、誰の指示でもなく動いていたシュルツ隊。そして、今、敵を囲い込んでいる状況。
その全てが、カイトの真理を表していた。
「軍師の才は、どれだけ策を練れるか、という事ではない。どれだけ先を見通せるか、だ。人の心を操作し、人を手足のように動かす。策では人は動かんよ。人が動くのは、未来があるからだ。……それが出来るカイトは、間違いなく、軍師の器だ」
「ふむ……。そうかも知れませんな」
ヒルデスと大臣は、口を閉ざし、模擬戦の動向を窺う。
日は既に傾き、日没までの時間は、後少しだった。
――エネルリアム王国・訓練場・平野部――
「リデル。さぁ、どうする?」
カイトは不敵な笑みを浮かべ、リデルに向かって言い放つ。身動きの出来ない一組軍は、格好の餌食だった。
兵力差はどんどん無くなっていく。それと同時に一組の兵も動きやすくなるはずだが、カイトは、二組の部隊を常に前進させていた。そのせいで、円がさらに小さくなり、一組の兵士は身動きが取れないままだ。
「くっ! と、突破口を――」
「そんな物が、出来るとでも思うか? イッソがいるならまだしも、雑魚が何人いたところで、逃げ道が増える事はない」
カイトは漆黒の扇子を向けて言い放ち、さらに続ける。
「お前に残された選択は、後二つ。ここで、最後の一兵になるまで戦うか。それとも、多少の犠牲を覚悟し、後ろの逃げ道から逃げるか。……あぁ、もう一つ。自害ってのもあるぜ?」
その言葉に、リデルは顔を茹でダコのように赤くし、激昂した。
「仮にも王家の血を引く者として、自害などするはずがないだろう!」
「なら、選択肢は二つだ。……軍師として、正しい選択をするんだな」
カイトは言い放つ。現状では、一組軍はこの状況を覆す術がない。リデルがどんな策を練ったとしても、この包囲網は突破できないと、カイトは読んでいた。
リデルは歯噛みし、決断を下す。
「て、撤退だ! 多少の犠牲は構わん! 本陣へ撤退しろ! 敵を警戒しつつ、撤退だっ!」
リデルが叫ぶと、一組軍は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
そこに追い打ちをかけるように、ジル隊から矢が放たれ、アリーニ隊は追おうとする。が、カイトはそれを制した。
「深追いはするな。なぁに、アイツらはすでに、負けている。思い切り笑ってやれ」
その言葉で、二組軍は高らかに笑いだす。罵詈雑言を吐き散らし、一組軍の背中を見送ったのだ。
撤退の最中、リデルは歯を噛みしめ、
「まさか、まさかこんな結果になるなんて……っ! い、今に見ていろ、カイト! 絶対に、勝ってやる!」
そう漏らした。
その後、カイトは残った部隊をまとめ、本陣へと帰還した。すでに、本陣にはシュルツの部隊が帰って来ていた。
「どうだ。上手くやったか?」
「あぁ。これで、お前の策は完成だ」
「ふふふ。今日中に片を付けるぞ。……とりあえずは、メシを食おう。兵たちにも、休息を与えてやってくれ」
そう言って、カイトは自らのテントに入って行く。
現在の兵力、一組一五五〇、二組一〇〇〇。
――エネルリアム王国・訓練場・一組本陣――
「なんだ、これは……。なんなんだこれはっ!」
本陣に戻ったリデルは、怒りを露わにしていた。だが、それも無理はないだろう。朝から続いた戦闘で、心身共に疲れ果てて帰ってきたところを、この仕打ちだ。無理はない。
「なぜ、こんな事が……っ!」
リデルが立ち尽くし、陣の様子を見渡す。
一組の本陣は、全て焼き尽くされていたのだ。
幸い、全軍が出陣していたため、兵力に変化はない。が、もっとも重要な物が、焼き尽くされていた。
それは――兵糧である。
米を筆頭に、日持ちのする野菜などを保管していたところが、消し炭になっていたのだ。
それだけでなく、予備の武具なども焼き払われ、文字通り、本陣は壊滅していた。
水は川から汲めばいいが、兵糧はそうはいかない。この訓練場には森林地帯が存在せず、現地調達する事も出来ない。川から魚を取る事も出来るだろうが、兵たち全員に行き渡るほどの数が取れるとも限らない。
模擬戦は明日で終わるため、飢え死にする事はまずないだろうが、士気には大きく関わる。そうでなくとも、負け戦の後だ。士気の低下は否めなかった。
――クソッ! なぜだ? どこからこの本陣に来たんだ? 奴らの部隊で、戦闘中に余裕のあった部隊など……ま、まさか。
「最初から、別働隊がいたのか……?」
リデルは気付く。他でもない、シュルツの部隊の存在に。
リデルは、あの平野部にいた兵士が、存在する全てだと思っていたが、そうではなかった。その他にも動いていた部隊があったのだ。
「だとすれば……くっ。最初から、奴の手のひらで踊らされていた、というわけかっ!」
リデルは地面を蹴りつける。
「もう明日しかないというのにっ! 明日しか……うん? 明日、か? ふむ……」
そこで、リデルはニヤリと笑った。そして、ある事を思い出す。
「そうだ。足りないのならば、奪えばいいだけだ」
そして、高らかに笑う。
「はははははははは! 確かに、ぼくはお前に負けた! だが、勝負に負けても、戦争には勝たせてもらうぞ、カイト!」
リデルは自信に満ちた表情で、自らの乗っていた押し車に跳び乗った。
すでに日は沈み、辺りは闇に包まれ始めている。
そんな中、リデルは行動を開始したのだった。
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
陣内のかがり火は消され、本陣は静寂に包まれていた。
外を見張る兵士はおろか、人の寝息すら聞こえない程の静寂だ。
そこに、リデル率いる一組部隊は現れた。真っ暗な中、火も掲げずに、リデル部隊は現れたのだ。
今にして思えば、騎馬隊が壊滅させられたのは、幸運だったと言えるかもしれない。そのおかげで、全兵力が隠密行動をとる事が出来たのだから。
そう、リデルの策は、『夜襲』である。
闇に紛れて敵本陣を襲い、敵兵を殲滅。その後、有り余っている二組の兵糧を奪おうという作戦だ。
――奴らは今日勝った。不本意だが、それは事実だ。そんな勝利の美酒に酔いしれている時に、夜襲をかけるのは、我ながら大した発想だ。メシにあり付けると聞いて、兵たちの士気も保つ事が出来た。……この勝負、ぼくの勝ちだ!
そう考え、リデルは声を上げた。
「全軍! 二組本陣を一斉に攻撃だ! 備蓄している食料、武器を全て奪え!」
その声で、兵たちは一斉に動く。そして、建っているテントに攻撃を開始した――が、しかし。
それだけの攻撃を受けても、二組の本陣に動きはない。それどころか。
「リデル様! 敵兵の姿が――見当たりません! それに、兵糧も武器も、どこにもありません!」
そんな声が、リデルの耳に届く。
「なんだと? 一体どういう――」
リデルが言いかけた時、辺りが急に明るくなった。
その明りは、一組軍の上空から届いている。そこで、リデルは咄嗟に顔を上げた。
「ご苦労さん。お前らは、完全に包囲された」
カイトの声が響き、全ての状況が明らかになる。
二組の本陣、その上。崖の上に、二組の兵力が集結していた。さらに、弓兵が一組軍に対して、弓を構えている。カイトの一声で、全ての矢は放たれるだろう。
さっきまでとは違い、後方の山道付近にも弓隊は構えていて、さらに、アリーニとグラット隊が、一組軍の背後を塞ぐように現れる。
「なん、だって……っ!」
リデルは、歯噛みした。
▽△
リデル=ベリオノスは、王族の生まれだ。
純粋な血統ではないが、ヒルデスとは遠い親戚にあたる。だからこそ、物心ついた頃から、劣等感を抱えていた。
自分には王位継承権がなく、金を持っているだけ。
体格も、お世辞にもいいとは言えない。兵士になっても、武勲を立てる前に殺されるだろう。
ならば、どうする。
王であるヒルデスには絶対になる事が出来ず、それでいて、自分に合っている事。
非力の自分が、誰にも邪魔されずに輝ける場所。
考え抜いた結果、それが『軍師』という道だった。
軍師になれさえすれば、劣等感を抱く必要はない。何しろ、この国では誰もが知っている、『黒扇』の後継者なのだから。
そして、リデルは軍事学校に入学する。
初陣では、難なく勝利を納め、その後も次々と勝利を手にして来た。
実際、才能もあったのだろう。
幸運などという言葉で片付けられるほど、リデルの手にした勝利は軽くなかった。
ひたすら研究も重ねた。毎回のように、自らの失敗を上げ、それの改善策も練り、どんな状況でも負けない軍師になるために、必死だった。
実のところ、カイトが現れさえしなければ、エネルリアム王国の軍師は、リデルで決定だっただろう。
だが、カイトが現れてしまった。
島育ちながら、イラという大軍師に育てられた、カイトが。
最初こそ舐めていたものの、二日目は本気で戦った。しっかりと軍を動かし、効果的な陣形も選んだはずだった。
だが、カイトには敵わなかった。
リデルが負けたのは初めてで、しかも大敗だった。
間違いなく、自分より才のある者。それがカイトだった。
先に言った通り、カイトが現れさえしなければ、リデルはこの国の軍師になっていただろう。ヒルデスでさえ、その気持ちを固め始めていたのだ。
劣等感の塊だったリデルが、自信を持った道。それを塞いだのが、いきなり出て来たカイト。
だからだろう。
リデルは、今、激しく悔しかった。
▽△
――エネルリアム王国・訓練場・二組本陣――
俯いたリデルに向かって、カイトは笑って声を上げる。
「俺の策は、すでに完成している。お前は、俺の策を見抜く事が出来なかった。どうだ? 降伏するか?」
リデルは、その声を聞いても、顔を上げようとはしなかった。いや、上げる事が出来ないのだ。なぜなら、止めどなく涙が溢れて来るからである。悔し泣きだ。
「なら、先に兵士たちを降伏させよう。……最初に捕まえた騎馬隊! それに、下にいる敵兵に告ぐ! 俺たちには、余りある食料がある! お前らが鱈腹食っても残るほどの量だ! メシが食いたいか? なら、降伏しろ! そうしない場合、お前らはここで殲滅する!」
カイトの言葉を聞き、敵兵に動揺が走る。そして、一人、また一人と、武器を捨て始めた。つまり、降伏したという事だ。
「よぉし。武器を捨てた者から、崖を登って来い。そして、好きなだけ食え!」
敵兵は我先にと崖を登り始め、食事を取り出す。
最後に残ったのは、リデルだけだった。
リデルは俯いたままで、その場から動こうとしない。そんな彼に、カイトは語りかける。
「意地を張るなよ、リデル。今回は、お前の負けだ。それは覆らない。だが、次は違うかもしれん。勝敗は兵家の常、今を悔しがるより、次を見ればどうだ」
だが、リデルは顔を上げない。それを見たカイトは、一度嘆息する。そして、一気に崖を下り始めた。
カイトは崖を下り、リデルの下へと近付く。
「お前が、軍師になる事に命を賭けてたのは、なんとなくわかる。だけどな、いつまでも泣いてたって、先は見えてこねぇぞ」
「うるさいっ! 黙れ!」
「黙らねぇ。お前は俺に負けた。それを受け入れろ。それが出来なきゃ、お前は一生俺に勝てない」
「う、ぐっ、ひぐっ……! み、認めるものか! ぼくは、ぼくはこの国の軍師になるんだっ! 『黒扇』を継ぐのは、ぼくだったはずだっ! なのに、なのに!」
「俺がお前の道を、塞いでしまった。だが、塞いだんなら、どかせばいいだろう?」
「う……」
「俺の見た限り、お前は使える。これから大陸統一、世界統一をしようってんなら、絶対に必要だ。俺の身体は一つしかねぇんだからな」
「……ぼくに、お前の部下になれというのか」
その言葉に、カイトは笑って頷く。それを見たリデルは、涙でグシャグシャの顔で、笑った。
「ははは……。誰が、お前の下になどつくか! いつか必ず、お前を超えて見せる! だから――今はこうさせてもらう!」
そう言って、リデルは腰に下げていた木剣を取り出し――自らの胸を突いた。リデルの着ていた鎧に塗料がつき、リデルの『自決』が確定した。
「プライドの高い奴だ」
呟き、カイトは上空を見上げる。そして、空に向かって呼びかけた。
「よぉ! 見てたか! この模擬戦、二組の勝利だ!」
すると、二組軍が陣取っている崖の、さらに上から、二つの人影が顔を出した。
言うまでもなく、ヒルデスと大臣である。
「見事だ、カイト! お前を軍師にするか、否か。城に持ち帰って検討させもらうぞ! いい報告を期待していろ!」
カイトは、ヒルデスがいる事を察知していたのだ。人並み外れた聴力は、こういった場面でも、使える事がある。
ヒルデスは、マントを翻し、訓練場を立ち去った。
それを見送ったカイトは、もう一度声を張り上げる。
「ようし! 勝ち鬨を上げろ! 二組の勝利だ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
こうして、模擬戦は幕を閉じた。
終始、カイトが主導権を握っていた形だったが、あくまでこれは模擬戦である。
これからすぐに、カイトは人と人とが命を取り合う、本物の戦争の中へ足を踏み入れる事になる。