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黒扇記  作者: 咲良ゆっけ
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一章

この世界に、海と大陸は二つずつ存在している。世界の北、それを半分ずつダイロア大陸とダイロア海が占め、南をラックドロス大陸とディーエル海が占めている。

 誰かが図ったかのように、四等分されているのがこの世界である。

 そして、ダイロア山脈。それは、ダイロア大陸の南を走る山脈の名だ。

 その山脈の中央部、ルートエネルという山の頂に、朝の光に照らされながらカイトは立っていた。ボロボロの衣服を纏っているのは島にいたころと変わらないが、蒼い瞳は爛々と光を放っている。

「あれか……」

 彼のいる位置からは遥か下に見えている国を見ながら、カイトは呟いた。

 それはエネルリアム王国。三方を山に囲まれた、山脈の狭間にある国だ。他の国とは違って、城壁の中に街がある事から、要塞都市とも言われている。人口僅か二〇〇万人という小さな国なのだが、賢王と呼ばれる一人の天才のおかげで、国土は豊かで国民は潤っている。隣接している国は、ガリアス王国のみで、今まで大きな危機は起こらなかったのだ。

「まずは――ヒルデスって奴を探すか。死に際のババアの遺言だからな。……くぅっ」

 カイトは一度大きく伸びてから山を下り始めた。

 期待と希望――彼がそんなものを持っていたかどうかはわからない。だが、その足取りは軽く、不安も絶望も無いように思えた。


――エネルリアム王国・城門付近――

 太陽が真上に上った時、カイトはエネルリアム王国に辿り着いていた。とは言っても、まだ国内には入っていない。

「へぇ。やっぱり大陸ってのは、人がいるもんなんだな」

 カイトがいる場所は、城門近くの高い木の上だった。そこから中の様子を窺っているのである。島育ちのカイトにしてみれば、こんな木などものの数秒で登り切れるのだ。

 とはいえ、カイトが田舎者だという事は隠せない。なぜなら、エネルリアム王国自体は小国で、人口もそれ程多くない。三方を山に囲まれているせいで、観光客はもちろん、行商もほとんど訪れないのだ。陸の孤島という表現がピタリとはまる国なのである。それなのに、カイトにしてみれば、この国は人で溢れているようだった。物心ついた時から孤島で育った事を考えれば、無理もない事かもしれないが。

「さて、と」

 カイトは登っていた木からするすると降り、城門に向かう。

「ヒルデス、ね。どんな奴だ? 男か女かもわかりゃしねぇ」

 呟きながら、カイトは城門を通ろうとした。が――。

「止まれ」

 声をかけられ、立ち止る。声をかけたのは、二人の城門の警備兵だ。銀色の甲冑を纏い、その甲冑には、エネルリアム王国の紋章が刻まれている。二人とも手には長槍を持っていて、それをカイトの目の前で交差させている。

「俺は中に入りたいだけなんだが」

「手形は持っているのか。持っていない者を入れるわけにはいかん」

 当然の事である。この国では戦争こそ起こっていないが、今は群雄割拠の戦国時代。身分を証明できない者を、国の中に入れないのは当然の事だ。

 そして、これも当然の事だが、カイトは手形など持っていない。遥か南の孤島を出発し、ついさっき大陸に来たばかりなのだ。

「ん。持ってないな。そんな物は」

「それでは、入れるわけにはいかんな」

「どうにか入れてもらわねぇと困るんだが……」

 カイトは城門をぐるりと見渡す。そして少しばかり考えた後、まるで準備運動でもするかのように膝を屈伸させた。

「入口はここだけ。……まぁ、三方が山に囲まれてる訳だし、それも当然。守るに易く、攻めるに難し。……悪くねぇが――、」

 カイトは呟く。それを見て、甲冑を着こんだ兵士は、少し身構えた。

 ――コイツは何かをやらかすつもりだ。

 それが、兵士にもわかったんだろう。だが、いくら訓練を受けているとはいえ、甲冑を着こんで身のこなしが悪くなった兵士が、島育ちのカイトを捕まえるのには、やはり無理がある。

「んじゃ、勝手に入らせてもらうぜ」

 カイトは真横に走り出し、城門近くに生えていた木によじ登った。そのスピードは、まるで野生の猿のようで、普通の人間には真似できそうもない。

「んなっ……! ま、待て!」

 兵士は慌てて追おうとしたが、甲冑のせいで上手く動く事が出来ない。カイトは馬鹿にしたように笑いながら、城壁を越えた。

「ご苦労さん。今度からはもっと動きやすい格好をするべきだぜ? おっさん」

 そんな捨て台詞を残して。

 それを見た兵士は、一瞬呆気に取られていたが、すぐに気を取り直す。

「お、おい! すぐに中の警備兵に連絡だ! ナンド様にも!」

「お、おう!」

――エネルリアム王国・都市部――

「さてさて。ヒルデスって奴はどこだ?」

 都市に降り立ったカイトは、辺りを見回す。

 いきなり城壁から降り立ったカイトを見る住人の目は、それはもう不思議そうだったが、彼自身、かけらも気にしていないようだった。だが、それもそうだろう。今まで視線と言えば、森に住む獣か、カイトを養ってくれていた老婆だけだったのだから。

「なぁ。ヒルデスって知ってるか?」

「ひっ……!」

 カイトが話しかけると、住人は青ざめてその場から立ち去って行く。ボロボロの衣服で、蒼い瞳。それだけで、同じ人間だとは思えなかったのだろう。

「……んだよ。都会の人間は冷酷だな。これならウサギの方がよっぽど優しい――ん?」

 カイトの耳が物音を察知し、彼はそちらを振り向いた。音のした方にあったのは、広場だ。綺麗に整備されていて、真ん中には大きな銅像が立っている。銅の劣化具合と格好からして、おそらく何世代か前の王だろう。

 その銅像の前に、数名の兵士がいるのが見えた。兵士たちは、何やら焦っているようだ。

 通常、人間の聴力では聞こえるはずのない距離だが、島育ちのカイトにはその会話を聞きとる事が出来た。

「ボロボロの服を着た目の蒼い少年らしい」

「少年? 少年が城門やぶりとは……」

「少年と言っても、油断禁物だ。ガリアスの偵察兵かもしれん」

「……とはいえ、ナンド様には報告せねばならんな。ヒルデス王には、捕まえた後で報告した方がいいかもしれんが」

 そこまで聞きとったところで、カイトはニヤッと笑った。当然だ。探している単語が、これ程簡単に見つかったのだから。

「ヒルデス、王。王か。って事は――」

 カイトは広場から視線を外し、都市の奥、山の方を見た。そこにあるのは、城だ。

 エネルリアム王国の中で、最も大きな建築物。エネルリアム城。

 間違いなく、王が住んでいる場所。

「ちょっくら会ってくるとするか!」

 カイトは全速力で走りだした。


――エネルリアム王国・城内――

「待て! 止まれ!」

 ガチャガチャと鎧の鳴る音と、兵士の叫び声が響く。

「待てって言われて待つ奴は馬鹿だってババアに教わったもんでね。待つわけねぇだろうが」

 兵士とは対照的に、落ち着いているカイトだったが、さすがに辟易していたのもまた事実である。

 ――さすがに、広いな。この城だけで俺の島よりでかいんじゃねぇのか。

 カイトの常識は、ここでは当てはまらない。森に囲まれ、小屋のような家で育った彼にとって、この城は広過ぎた。

 さっきから階段を上ったり下りたり、さらには色々な部屋に入ったりしているが、ヒルデスのところには辿りつけない。というより、どこを見ても同じに見えるのだ。長い廊下、高い天井、広い部屋。おそらく、外敵からの侵入を許した際の防衛にもなっているのだろう。

 だが、特徴的な木や岩を目印にして森を駆けていたカイトにとって、同じような景色は目の毒以外の何物でもなかった。

「ここか?」

 とりあえず手近な部屋に入ってみるカイトだったが、ヒルデスらしき人物はいない。いるのは休憩中の近衛兵や、使用人などである。

「貴様! 何者だ!」

「さぁな。どっかの誰かだ」

 そう言うと、カイトは追いついて来た追手を振り切って次の部屋へと向かう。

 しかし、次の部屋も、その次の部屋にもヒルデスはいなかった。

 ――こりゃあ、よく出来てる城だ。初見でここに来た奴らは、間違いなく迷うだろうな。

 そんな事を考え、そして、

 ――頭ん中で地図は出来て来たが、行ってない場所はどこにある? 走りまわってみた限りじゃ、地下はなさそうだし。となると、やっぱ上か? 

 走りながら、カイトはそこまで考えた。

「上ってない階段は、一つあったな。三階の、西!」

 カイトはそこでくるりと方向転換をし、追手のいる方に駆けだした。

「なっ……! 止まれ! 止まらんと――斬る!」

「斬れるもんならな」

 兵士は勢いよく剣を抜き、カイト目掛けて振り下ろした――が、すでにカイトはそこにはいなかった。兵士の股をすり抜け、すでに目的地へ向かって走っている。

「くっ! 素早い奴め!」

 兵士は必死で追おうとするが、重い甲冑のせいで上手く走れない。そうなると、カイトとの距離は離れて行く一方だった。

 他の兵士も、同じようにかわされ、カイトに触れる事は出来なかった。

 それを尻目に、カイトは階段を駆け上がっていく。


――エネルリアム王国・城内・四階――

「ここか?」

 初めて来るフロアで、カイトは片っ端から部屋を開いていた。

「ここ――でもねぇな」

 長い長い廊下を走り、一つ一つ部屋を確認していたカイトだったが、一番奥の部屋に、違和感を覚えた。

――ん? なんだここ。ここだけなんか違うな。扉の装飾か?

確かに、そこの部屋だけ扉の装飾が違っていた。他の部屋に比べ、華やかなのだ。

「ここ――しかねぇな」

 その時、カイトの耳に音が飛びこんで来た。鎧の鳴る音だ。つまり、追手が追いついて来たのである。まだかなり距離はあるが、急がなければまずい。そう判断したカイトは、華美な装飾を施された扉を開け、中へと入った。

 カイトの目に入ったのは、天蓋付きベッド、大きな化粧台、職人が作ったのであろうタンスやソファ、美しい絨毯、そして――少女だった。

「だ、誰……?」

 少女は驚愕と恐怖の入り混じった表情で、カイトに尋ねる。腰まで届く長いブロンドの髪、大きな金色の瞳、そして、煌びやかなドレス。一言で表すなら、美しい。それだけだった。おそらくカイトと近い歳だろう。

 が、島育ちで、女性と言うものを育ての親の老婆しか知らないカイトにとって、美しさの基準がわからない。

「お前がヒルデスか? 王様なのか?」

「え……。ち、違います。わたしは――」

 少女が何かを言いかけた、その時だった。

「姫様!」

 そんな声と共に、兵士が五人、部屋に入ってきた。すでに剣を抜き放っていて、甲冑から覗く目は、カイトに対して怒りを放っていた。

「姫……。って事は、また外れか」

 呟き、カイトは瞬間的に状況を判断する。

 ――出口も入口も一つ。窓から出ようにも、ここはかなり高い位置にある。正規の出口は塞がれてるようなもんだし、どうするか……。

 甲冑を着こんだ兵士が完全に入口を塞いでいるため、さっき廊下ですり抜けたようには出来ない。武器もない。となれば、カイトがやるべき事は一つだった。

――ま、これしかないな。

「てめぇら動くな」

 そう言って、カイトは姫と呼ばれた少女の背後に回った。そして、首に腕をかける。

「なぁっ……。き、貴様!」

「姫様から手を離せ!」

「外道め!」

 兵士たちは焦って騒いだ。が、カイトは動じない。

「てめぇらが動くより、俺がコイツの首をへし折る方が早い。さぁ、ヒルデスのところに連れて行ってもらおうか」

「ひっ……」

 少女は恐ろしさのあまり、声を上げた。そこで、カイトは少女の耳元に口を近づけ、囁く。

(安心しろ。俺は別にアンタを殺そうなんて考えてない。ただヒルデスに会いたいだけだ。だから大人しくしててくれ)

 そう言うと、少女はコクコクと激しく頷く。カイトはそれを見て軽く笑う。そして、兵士に向かって言い放った。

「さぁ! どうすんだ? お前らの大事な姫様の命は俺が握ってんだぜ?」

「くっ……」


――エネルリアム王国・城内・雑務室――

「何やら騒がしいな」

 若き賢王ヒルデスは、王としての仕事をする手を止め、階下の音に耳を傾ける。すると、脇に立っていた大臣が、ビクリと身体を震わせた。

「どうした?」

「いえ……実は。先程ナンド将軍より報告を受けまして。この国に侵入した輩がいると」

「侵入者? なぜそれを早く言わんのだ」

「申し訳ありません。一人の少年だという事でして、王の手を煩わせる事もないかと……」

「ふむ。侵入者の目的はわかっているのか?」

「はい。『ヒルデスに会わせろ』と言っているようです」

「目的はわたしか。……どんな少年だ?」

「みすぼらしい格好で、蒼い瞳の少年だそうです」

「蒼い瞳……ほう」

「ただちに捕まえさせます。もうしばらく――」

「いや、いい。わたしから出向こう」

「王直々にでございますか?」

「あぁ。わたしに謁見を申し込んで来ているのだ。会ってみてもいいだろう」

「しかし……」

「なぁに。ガリアスの偵察兵などではあるまいよ。それに、何かこの国に害を及ぼそうとしているのなら、わたしの耳に報告が届いた時点でその計画は破綻している」

「それは……そうですが」

「たった一人で警備を掻い潜りこの城まで来たのだ。何か尋常ならざる事があるのだろう。それに――蒼い瞳だという。『黒扇(こくせん)』を継ぐ者かもしれん」

「『黒扇』ですか。しかし……」

「いい。わたしはもう決めた。地味な雑務にも飽きてきたところだ。……よしついて来い、大臣。その少年に会ってみよう」

「はっ」

 ヒルデスは部屋の隅に進み、床にある木の板を取り外した。すると、そこにはポッカリと穴が開き、下の階が見渡せる。そこへ、立て掛けてあった梯子をかける。そして。ヒルデスは大臣を従え、雑務室を出て行った。


――エネルリアム王国・城内・四階――

「姫様を離せ!」

「何度言われても離すつもりはない。離して欲しかったら、ヒルデスを呼んで来るか、俺をヒルデスのところに連れて行け」

「それは――出来ん!」

 場はこう着状態だった。それも無理はない。姫を人質にしているとはいえ、カイトにはそこから一歩も動く事は出来ず、兵士たちにしてみても、姫を人質に取られている以上、下手に動く事が出来ない。飛び道具でもあれば話は別だが、生憎の事、兵士たちは剣しか持っていなかった。

 そこで、カイトの耳が音を捉えた。足音だ。

――足音が二つ……近付いて来るな。兵士じゃない。鎧の音がしねぇし、何より落ち着いてる。誰だ? かなり自信たっぷりって感じだが……まさか。

 足音が、常人でも聞き取れる場所まで近付いた時。


「どいてくれ」


 重みのある声が、部屋中に届いた。若い声だ。老人のものではない。だが、あらゆる事を知り尽くしたような、そんな響きだった。

「ひ、ヒルデス様!」

 兵士の一人が叫び、それに続いて、残りの兵士は跪き頭を下げた。

 カイトはと言うと、目の前の男二人に視線を向けている。

 一人はブロンドの髪を短くし、金色の瞳。紋章の入った服と深紅のマントを着ている。もう一人は、白髪の老人だが、仕事は出来そうだ。ヒルデスと、大臣である。

「そっちの若い方がヒルデスか?」

 カイトは少女を掴んだままで尋ねる。

「貴様! 王に向かって――」

「よい」

 兵士の一人が声を上げたが、ヒルデスはそれを制した。そして、カイトに歩み寄る。

「ふむ。本当に蒼い瞳だ……。美しく、それでいて強い。どうだ、大臣」

「それだけですと、『黒扇』と同じかと。しかし……、『黒扇』には子も無く、親族すらいなかったと聞きます。子孫ではないでしょう」

「そうだな。それはわたしも知っている。が、生まれ変わりという事も考えられる。本来、一国の王がそんな迷信染みた考えを持つのは良くないかも知れんがな。……少年。君はどこから来たのだ?」

 ヒルデスがそう言うと、カイトは彼を睨みつけ、言い放つ。

「先に俺の質問に答えろ」

「これは失礼した。が、我が妹を人質に取っている凶悪な人物に、自己紹介などしたくないのだよ」

「……ふん」

 カイトは少女を解放した。そして、ヒルデスにの方に背中を押してやった。

「今だ! 捕まえ――」

 と、同時に兵士が声を上げたが、ヒルデスはそれを手で制した。

「わたしはこの少年と話がしたいのだ。邪魔をしないでくれ」

「しかし……っ!」

「いいから下がれ。この部屋にいるのは四人だけでよい」

 ヒルデスはカイトに視線を送った後で、妹である少女に視線を送り、大臣に視線を送った。そして、最後に兵士たちを見る。

「下がれ。もうよい」

「……はっ」

 兵士は部屋から出て行き、四人だけが残った。

「さて、邪魔者は消えたな。……フィア。この部屋を使ってもいいかな?」

「え。あ、もちろんですわ」

 ヒルデスと少女――フィアは、ソファに腰掛けた。その横に大臣も移動する。カイトは、三人を鋭い目つきで睨みつけていた。

「いいのか? 捕まえなくて」

「いいさ。ここで逃げたところで、わたしに損害はないからな。……それより、わたしを探していたんだろう? なぜだ?」

「……やっぱりてめぇがヒルデスか。ま、いい」

 そう言って、カイトは床に腰を下ろし、胡坐(あぐら)を掻いた。そして、続ける。

「俺を育ててくれたババアがお前に会えって言うから来てみたんだ。何があるのかわかんねぇが、とりあえず来てみただけだ」

「その、ババア、というのは誰の事だ?」

 ヒルデスの問いに、カイトは少しだけ沈黙する。何かを思い出しているようだった。

「確か名前は――イラ、だったか」

「イラ? イラだと?」

「まぁ……」

「……ふむ。巡り合わせ、ですかな」

 ヒルデス、フィア、大臣の三人は、三人とも驚いた顔をした。それに、カイトは不思議そうな表情をする。

「知ってんのか? ババアの事」

「あぁ。君の言っているのは、イラ=ルアンザの事だろう。特徴的な名前だし、そうはいないはずだからな」

「……確かそうだったな」

「イラは、この国の軍師だった女だ。『黒扇』の意志を継ぐ者として、この国に仕えていた。わたしやフィアが幼かった時に、どこかへ行ってしまったが……」

「へぇ……」

 思わず声が漏れたカイトだったが、すぐに気を取り直す。そして、さっきから気になっていた事を尋ねた。

「そういえば、さっきから言ってる『黒扇』ってのはなんの事だ?」

 が、それは、

「おっと、先にこちらの質問に答えてもらおう。君はどこから来たんだ?」

 というヒルデスの言葉によって遮られる。

 カイトは一瞬苛立った表情を作ったが、すぐに思い直す。

 ――ここは下手に出るべきか。俺の生殺与奪はコイツらが握ってるわけだしな。

「山脈を越えた海の向こうにある小せぇ島だ。俺とババア以外に人間はいなかった」

「そうか。では、イラに何かを言われてきたんだろう? 何をするためにここに来たんだ?」

「何も言われてねぇよ。ババアが死ぬ間際、『ヒルデスのところへ行け』って言ったんだ」

 すると、ヒルデスはまたも驚いた表情を作った。

「あのイラが死んだのか。殺しても死なないような人間だと思っていたが……ふむ。寿命には勝てんか」

 ヒルデスは天井を見上げ、目を閉じた。おそらく、黙祷のつもりなのだろう。

 そこで、カイトが口を開く。

「そろそろ俺の質問にも答えてもらうぜ。『黒扇』ってのは一体なんだ?」

 その問いに、ヒルデスはカイトの目を見据えた。そして、

「『黒扇』とは、二〇〇年以上前にこの国にいた、軍師の事だ。『黒扇』の立てる策は万人を欺き、魅了し、確実に勝利を収めたという。五〇年前にこの城が火事になった時に全ての記録は失われたらしいが、『黒扇』の名だけは未だに皆が知っている」

 そこから、ヒルデスは『黒扇』について語りだした。

『黒扇』と呼ばれた軍師の名は、ナルファ=ナル。カイトと同じ蒼き瞳の青年だったという。そして、『黒扇』の名前の由来が、ナルファが肌身離さず持っていたという漆黒の扇子だ。

 さらに、ナルファが編み出した、どの兵法書にも載っていない戦術は、『究極戦術』と呼ばれ、『黒扇』の代名詞ともなった。

 三方を山に囲まれてこそいるものの、小国であるエネルリアムが、今まで滅亡する事がなかったのは、間違いなく他国がそれを恐れていたからである。《黒い扇子は不吉の印。外で見たなら迷わず逃げよ。城から見たなら門を閉ざせ。数は力に非ず》と、他国から言われていた程だったのだ。

 そして、『黒扇』を有していたエネルリアム王国は、大陸統一まで後一歩というところまでいった。が、要であるナルファが病にかかり、この世を去ってからは連戦連敗。エネルリアム王国は今の場所に追い込まれた。

 それでも、カイトの育ての親であるイラが軍師だった頃は、それなりに勢力を拡大する事も出来た。だが、やはり『黒扇』には程遠く、大陸統一など夢のまた夢になってしまったのである。

 そこまで話して、ヒルデスは溜息を吐いた。

「現在ではエディリオ帝国が大陸統一に一番近いだろう。軍師も大臣もいない、皇帝が一人で全てを担っている国だ。わたしは賢王などと呼ばれているが、彼の足元にも及ばんだろう。大陸のいたるところで、『黒扇』の生まれ変わりは彼だと囁かれていると聞く」

「……そいつは、この国にとっちゃ穏かな話じゃねぇな」

「そうだ。今の勢いでいったら、この国は数年後には滅亡している。エネルリアム王家も存在していないだろう。民は生き残れるだろうが、わたしとフィアは――無理だろうな」

「お兄様……」

 ヒルデスの手をフィアが握り、ヒルデスはフィアに向かって優しく微笑む。兄弟などおらず、政治の事に関しても何もしらないカイトだったが、滅亡した国の末路くらいはわかっているつもりだった。

――さて。ババアがなんで俺をここに寄こしたのかは大体見当がついた。たぶん、自分の母国だったからってのと、エネルリアム王国の滅亡を予期したんだろうな。星を見るのが得意なババアだったし、有り得ない事じゃねぇ。つまり俺がここに送り込まれた理由ってのは……ふん。あんなババアでも母国は大事だったらしいな。

 カイトが考えていると、ヒルデスが口を開いた。

「それで、君はこれからどうするつもりだ?」

「それを俺も今考えてたところだ。それで、もう結論は出てる」

「ほう?」

 ヒルデスが聞き返したところで、カイトは言った――というより、頭を下げた。


「俺をこの国の軍師にしてくれ。頼む」


 作法として知ってはいたが、カイトが頭を下げたのは産まれて初めてだった。だが、おそらくイラはこうなると予見していたに違いない。だからこそ、カイトを旅立たせたのだ。

 すると、ヒルデスは高らかに笑った。

「はははははは! これはいい! 聞いたかフィア、大臣! イラの秘蔵っ子が士官を求めて来たぞ! これはまさしく運命だろう!」

「そうですわね、お兄様」

「……」

 が、大臣だけは渋い表情だった。それを見たヒルデスは、怪訝そうな表情を受かべる。

「どうした? 大臣」

「……わたしは、今すぐにこの者を取りたてるのは反対です。確かにイラ殿の関係者のようですが、この者に軍師の才があるかどうかはわかりません。軍師というのは我が軍の将軍から一兵卒まで、全ての命を預かる者の事を指します。才の無いものに軍を預け、戦争になった時どうなると思われますか。おそらく、壊滅的な被害を受けるでしょう。まずは形式通り、軍事学校に入学させるべきだと」

 大臣の言っている事は、平たく言えば『実力を示せ』という事である。だが、これはカイトにとって有難い事この上なかった。

「その軍事学校とやらで、どんな事をすればこの国の軍師になれるんだ?」

 カイトが尋ねると、ヒルデスが口を開く。

「三ヶ月に一度ある模擬戦で、優秀な成績を残すのが第一条件だ。三日間で行われる模擬戦の二日目には、わたしと大臣も出席する。……わたしも兵法にはいささか心得があってね。わたしと大臣の想像を遥かに超える戦術を披露した者を取りたてる事になっている。わたしが即位してから、一度としてそんな才のある者には出会っていないが」

「ふん。いいぜ。やってやる。……次の模擬戦の日取りはいつだ?」

「二週間後だ。軍事学校に入学すれば、正式なルールを聞かされるだろう」

 そこまで言うと、ヒルデスは立ち上がった。

「さて、そろそろ雑務に戻らねばならん。明日、朝七時にもう一度ここに来るがいい。制服を用意しておく。それでは――おっと、名前を聞いていなかったな」

「カイト、一六歳だ。よろしく頼む」

 カイトはもう一度、頭を下げた。

「そうかカイトか。わたしはヒルデス=エネルリアム。一八歳だ。王などと堅苦しい呼び名はいらんぞ。呼び捨てで結構だ――そして妹のフィア。お前と同じ一六歳だ。仲良くしてやってくれ」

「よろしくお願いいたします。カイト様」

 フィアは、ドレスの裾をチョンと摘まみ、カイトに頭を下げた。

「この国の大臣、イシラ=ジュークだ」

 大臣は形式通りの角度で、頭を下げた。

「そういえば、住むところがないだろう? 今すぐに用意させよう」

「何から何まで悪い」

「なぁに。未来の軍師のためだ。お前が『黒扇』の生まれ変わりなら、エネルリアムの未来は明るい。生活の不自由はさせんさ。部屋が決まるまでフィアと話でもしていてくれ」

 そう言って、ヒルデスと大臣は部屋を出て行った。

 部屋にはカイトとフィアだけが残され、沈黙が訪れた。だが、それも無理はない事だ。人質に取られた人間と、人質として取った人間。そんな二人が、上手く話せるはずもない。

 数分が経った頃、その沈黙は破られた。意外な事に、フィアが口を開いたのだ。

「イラ様は、安らかに眠られましたか?」

「ん……。わかんねぇ。昨日の夜に星を見たら、ババアの星が見当たらなかった。だから死んだんだとは思うが……安らかだったかどうかはわからん。天寿を全うしたのか、それとも嵐でやられたのか、それさえも」

「そうですか……。カイト様は、イラ様とどれだけ過ごされたのですか?」

「俺か? 俺は、四歳の時にはもう島にいたから、一二年、かな。四歳より前の記憶がないから、その前にどこにいたのかはわかんねぇ。でも、口の悪いババアだったが、色んな事を教わった。文字の読み書き、兵法の基礎、礼儀作法、星の見方、風の読み方。全部が俺の財産だ」

「イラ様は、カイト様に全てを託したのですね」

「そうかもな……。……それより、さっきは悪かったな。人質みたいにしちまってさ。後、その喋り方どうにかなんねぇのか? 俺に様なんて使わないでくれ」

「あ……、はい。それじゃあ、わたしはカイト、って呼びますね?」

「おう。それでいい。えっと、なんだっけな。……そうか、友達。これで友達だろ」

「え、友達……ですか?」

「おう。友達って言うんじゃなかったっけ? 辞書で読んだ気がするんだが」

「は、はい! わたしとカイトは、今から友達です!」

 フィアは飛びきりの笑顔で、カイトを見た。それに、カイトは一瞬照れた。ちなみに、人生初の照れである。

「ん。……っと、ヒルデスが来たみたいだな」

「え?」

「ほら、足音聞こえるだろ。アイツの足音だ」

「……聞こえないですよ?」

 フィアは耳に手を当てて音を探っていたが、なんの音も拾えなかった。だが、フィアがおかしいのではなく、カイトが人並み外れているのだ。これも、島育ちのせいだろう。

 その時。

「カイト」

 扉が開き、ヒルデスが中へ入ってくる。

「とりあえず軍事学校の寮に部屋を用意しておいたから、今日からそこに――何をやってるんだフィア?」

「え……ふぇっ……。お、お兄様!」

 フィアは、耳に当てた手をパタパタと動かし、音を拾おうとしている最中だった。ヒルデスにしてみたら、妹が変な事をしている以外には見えなかっただろう。

 フィアは真っ赤になり、部屋の奥に走って行ってしまった。

 ヒルデスは首を傾げていたが、カイトが立ち上がった事によって姿勢を直す。

「さて、カイト。本来、軍事学校に入るには一定の試験を行う決まりになっているのだが――イラからどこまで教わったのだ?」

「兵法の基礎、読み書き、星の見方に風の読み方。そのくらいだ」

 カイトはさっきフィアに言った事をそのまま述べた。

「ふむ。イラに兵法を教わったのか。……ならば問題あるまい。わたしの権限で試験は免除してやろう」

「そうか。試験ってのがどんな物かはわかんねぇが面倒臭そうな感じだったからな。助かる」

「あぁ、そうだ。明日の七時、ここに来るのを忘れずにな。制服を渡そう」

 そこで、カイトは一瞬首を傾げた。

「さっきも思ったんだが、『七時』、ってのはなんだ?」

「……時間を知らんのか?」

 そう言って、ヒルデスは懐から金色に輝く丸い物を取り出した。懐中時計だ。

「なんだこれは?」

「時計だ。……そうか、お前は島育ちだったな。朝昼夜の三種類だけあれば良かったというわけだ。これはな、一日を二四分割し、どれだけの時が経ったか知るための装置だ」

 ヒルデスは懐中時計の蓋を開け、カイトに見せてやった。

 丸い文字盤に二四の数字が描かれ、針が一本。今は一五を指している。つまり、今は一五時だという事だ。

「へぇ……」

 ――どうやって動いてんだ? こんなに小せぇのに。……ヒルデスの言い方を考えると、大陸じゃあ当然の事らしいが。

 カイトにとって、時間などは無用の物だった。日が昇ったら朝、日が真上に来たら昼、日が沈んで星が出たら夜。その三種類だけでよかったのだ。

「ふむ、そうか。時計を持っていないのか……ならば。誰か、誰かいるか?」

 ヒルデスが声を上げると、近衛兵の一人が部屋に入ってきた。

「お呼びでしょうか」

「イラの時計を持って来てくれ。倉庫にあるはずだ」

「はっ」

 近衛兵はその場を立ち去り、ヒルデスは笑顔を浮かべた。

「イラがこの国を立ち去った時に残した物が、かなりあるのだ。その中に時計もあったはず。お前に渡すのならば、イラも許してくれるだろう」

「ババアの時計、か。ま、有難く頂くとするか」

 それから数分の時が経ち、近衛兵は二つの時計を持って再び部屋を訪れた。

「おぉ。分計まであったか。ふむ、軍師たるもの、そうでなくてはならん」

 言いながらヒルデスは二つの時計を受け取り、それをカイトに渡した。物珍しそうにカイトはそれを受け取り、両方の蓋を開いた。

「こっちは、ヒルデスのと一緒か。……でも、こっちはなんだ? 随分と数が多いな。六〇?」

「それは分計と呼ばれる物でな。通常、あまり使われんのだが、軍師ならば話は別だ。天の時を見誤る事は許されん。分計は、二四に分けられた物をさらに六〇に分けたものだ。一時間は六〇分、という事だな」

「つまり今は、一五時二二分、って事か」

 カイトは二つの時計を見て、現在の時間を知った。

「よし、それでは寮に向かってくれ。少々狭いところだが、飯も出る。……後これは当座の金だ。服でも買えばいい」

 そう言って、ヒルデスは小さな袋をカイトに渡した。小さい袋だが、ずっしりと重い。カイトがその袋を開けてみると、金貨と銀貨が三〇枚ずつ、中には入っていた。

「いいのか?」

「なぁに。全てイラの給金だ。彼女がこの国にとって重要だった事を考えれば、それでは余りにも少ないくらいだが……。今はこちらも戦時中なものでな。それだけしか出してやれん」

「いや、充分だ。恩に着る」

「お前が軍師になって功績を上げれば、もっと与えてやれるぞ。精進しろ」

「あぁ」

 そこで、ヒルデスは控えていた近衛兵に向かって口を開いた。

「カイトを寮まで送って行ってくれ。頼んだぞ」

「はっ。……ではこちらに」

「おう」

 カイトは近衛兵について、部屋を出て行った。

 部屋には、ヒルデスとフィアだけが残された。

「フィア」

「は、はい?」

「カイトはおそらく、この国の英雄になるぞ」

「なぜそう思うのです?」

「アイツの目だ」

「目?」

「わたしも一応、この国の王だからな。人を見る目には少々自信がある。奴の目には、強い光が宿っていた。まさに、蒼き炎だ」

「蒼き炎……」

「その炎に焼かれぬよう、わたしももっと精進しなくてはならんな。……ふふ。二週間後が楽しみだ」

 ヒルデスは笑い、フィアも笑顔になった。後の歴史書に載る事になる三人が、初めて揃った日。星歴二四三年、六月一二日の事だ。


▽△


――エネルリアム王国・城内・フィアの部屋――

 六月一三日、朝七時。

 フィアの部屋には、カイト、ヒルデス、フィア、大臣の四人がいた。

「うむ。似合っているぞ、カイト」

「えぇ。とっても」

「ふむ……」

 鏡の前で、カイトは立っている。だが、昨日までとは違う点が一つ。それは、着ている服だ。

 ボロボロだった服を脱ぎ捨て、カイトは、青色の制服を見に纏っていた。軍服のように機能性を重視した、王立軍事学校の制服である。

「意外と動きやすいな」

「それはそうだ。我が国の学者が研究し、軽く強靭な布で作った服だからな」

「へぇ……」

 カイトは鏡の前で、腰を捻ったり屈伸したりするばかりか、飛び跳ねたりもしている。だが、制服が邪魔になるようなところはない。

 そこで、ヒルデスが口を開く。

「王立軍事学校は、上級士官候補生の訓練校だ。一兵卒は学校に入る必要はない。つまり、将軍や軍師の候補生が集まるところだという訳だ。……一筋縄ではいかんぞ」

「どうかな。俺の目で見てみない内は、なんとも言えん。まぁ、精々頑張らせてもらうさ」

「カイト、頑張って下さい」

 フィアがにっこりと微笑む。カイトはニヤッと笑い、ただ一言。

「おう」

「よし。それでは学校へと向かってくれ。わたしも行きたいところだが、雑務があってな。昨日の近衛兵を付けよう」

「わかった。それじゃあ、行って来る。二週間後を楽しみにしてな」

「あぁ」

 そこで、ヒルデスと大臣はフィアの部屋を出て行った。それと入れ違いに、昨日カイトを寮まで送った近衛兵が部屋に入ってきた。

「よっし。それじゃあ――と、ちょっと待った」

 カイトは部屋を出て行こうとしたが、思いとどまり、フィアに向き直った。

「なぁ、今度街を案内してくれよ。お姫様なら、街の事だってわかるだろ?」

「え……。は、はい! 今度、今度……っていつです?」

「……そうだな。二週間後、模擬戦が終わった後、ってのはどうだ?」

「あ、はい! それじゃあ、隅々まで案内しますね」

「あぁ、頼む」

 フィアは屈託の無い笑顔でカイトを見る。カイトも笑い、二人は手を振ってその場で別れた。

 その後、カイトは近衛兵の後に続き、エネルリアム王立軍事学校の門を叩く事になる。

 後の歴史書には書かれていない事だが、たった一ヶ月の学校生活で、カイトは多大な財産を手に入れる事になる。

 それは、この時点ではカイト本人ですら、気付かなかった事だ。


――エネルリアム王立軍事学校――

「それでは、わたしはこれで」

 近衛兵はカイトに軽く頭を下げると、城に帰って行った。

 残されたカイトは門の前に立ち、学校全体を見渡している。

「この国で二番目に大きい建物だって話だったが、本当らしいな」

 ちなみに、寮は学校とは別の場所にある。そのため、カイトが軍事学校を見たのはこれが初めてだ。

 一通り見終わると、カイトは学校の敷地に足を踏み入れた。

 遠くに見える校舎は、ちょっとした城のように大きく、訓練をするためだろう、平地が広がっていた。

「お前がカイトか」

 どこからか、声が聞こえた。それと同時に、カイトは後ろに飛び退いた。カイトの額には、冷や汗が滲んでいる。

 そして、カイトの目の前には、一人の少年がいた。顔つきからして、歳の頃はおそらくカイトと同じくらいだろう。だが、カイトよりも遥かに背が高い。逆立った黒い髪の毛に、吸い込むような漆黒の瞳。そして、軍事学校の制服を着ている。それだけではなく、さらにその少年は――殺気を放っていた。

 だが、カイトはその殺気に対して、冷や汗を流しているわけではない。そんな事より、驚くべき事があったのだ。

 ――なんだ、コイツ。足音がない……! それだけじゃなく、俺に近付くまで、気配すらなかった……! 

「どうした。お前がカイトか、と聞いている」

 少年はカイトに向かって一歩踏み出した。が、やはり。カイトの耳が音を拾う事はなかった。

「すげぇな。お前」

 カイトの口からは、正直な感想が零れた。

 それに対して、少年は軽く笑った。

「第一声がそれか」

「あぁ。お前は凄い。俺にはとても真似できない。驚いた」

「よく喋る奴だ」

 確かに、よく喋っていた。カイトは本来、それ程喋る人物ではない。今まで話し相手と言えば、イラだけだった。それに、カイトは喋るよりも考える時間の方を大事にしていた。考えてから喋るからこそ、言葉数は少なくて済むのだ。

「喋りたくもなるさ。正直、少し不安だった。……いい『駒』が揃うかどうか」

「『駒』?」

「あぁ。戦争をするために必要な『駒』だ。使えない奴らばかりだったらどうしようかと思っていたところだったが……。使える奴がいた」

「俺の事か」

「そうだ。お前は使える」

 はっきりとそう言って、カイトは一呼吸置いた。そして、言い放つ。


「お前、俺の側近になれ」


 その言葉を聞いて、それまで無表情だった少年は驚いた表情になった。だが、それもそうだろう。ついさっき会ったばかりの人間に『側近になれ』と言われたのだ。

 言葉を無くし、立ちっぱなしの少年に、カイトはさらに言葉を投げかける。

「俺は世界一の軍師になる。その側近だ。不満か?」

「世界一……だと?」

「あぁ。この大陸だけじゃない。海の向こうのラックドロスも制覇する。世界統一を成し遂げてやる。……お前には、常に俺の傍で勝利を体感させてやるよ」

 カイトの言葉に、少年はまたも驚き、そして笑った。

「くっくっく。面白い奴だ。世界統一とは。……だが、退屈はしなさそうだな」

「あぁ。俺を信じてついて来い。俺の力は、二週間後に見せてやる。返事はその時でもいい」

「そうさせてもらう。……俺はシュルツ=アサシーだ」

 そう言って、少年――シュルツは手を差し出した。カイトはそれを握る。人生初の握手である。

「わかっていると思うが、俺がカイトだ。名字はない」

 カイトとシュルツは一度笑うと、学校に向かって歩き出した。


――エネルリアム王国・軍事学校内――

「三日間か」

「そうだ。模擬戦は三日間行われる。その間に、敵の指揮官を『戦死』もしくは『捕虜』にした陣営の勝ちだ」

 カイトは、教室まで辿り着くまでの間、シュルツから模擬戦についてのルールを聞いていた。

 模擬戦のルールは五つ。


 第一に、模擬戦の一週間前に軍資金が与えられ、それで兵士を雇い、兵糧や武器を買う。

 第二に、武器は木剣などの殺傷力が無い物を使用する。

 第三に、模擬戦は指定された場所で行われる。指定するのはヒルデス王である。

 第四に、木剣には塗料を塗り、致死部位に塗料が規定量を超えて付着した場合、死亡となる。

 第五に、三日間の内にどちらの指揮官も『戦死』もしくは『捕虜』にならなかった場合、兵数の多い方を勝者とする。


 つまり、指揮官さえ『戦死』させれば、他に一兵たりとも殺す必要はない、という事である。

 実際の戦争でも、指揮官をやられた軍はただの烏合の衆になり下がる事が多々ある。それを考え、こういったルールを作ったのだろう。

「で? 俺が入るのはどういう軍だ?」

「一応、ここは学校だからな。クラス対抗という事になっている。お前は俺と同じ二組だな。今度の模擬戦の相手は、この学校で最強のクラス、一組だ」

「……最強、ね」

「ちなみに、何度か模擬戦をやった事があるが、一度も勝った事はない。いつもやられてばかりだ。……『裏ルール』のせいもあるのだろうが」

「『裏ルール』?」

 カイトは怪訝そうに聞き返す。それを見て、シュルツは説明を始めた。

「模擬戦を行うと、必ず勝者と敗者が出るだろう。すると、勝者には次の模擬戦で使える軍資金が多く与えられるようになり、陣地もいい場所を与えられる。敗者に与えられる軍資金は減らされていき、陣地も問答無用で悪い場所だ」

 シュルツの説明を聞き、カイトは笑った。

「そんな事か。当然の事だろ。だって、本当の戦争に負けたら、領土は取られ、国民が減る。そうなると軍資金は減っていくし、領地も僻地へと追いやられる。世の常だ」

「その通りだ。だからこそ、俺達は優秀な指揮官を求めている。……俺達のクラスには軍師がいないんだ」

 その言葉を聞いて、カイトはもう一度笑った。

「ははは。じゃあ、俺が来たのは僥倖ってわけだ」

「そうだな」

「それより、一組の指揮官はどんな奴だ?」

 カイトが尋ねると、シュルツは吐き捨てるように、

「金持ちで頭のいい、鼻持ちならん奴だ」

 そう言った。

「ははは! いい事を聞いた。完膚なきまでにぶちのめしてやろうじゃねぇか」

 カイトがそう言った時、教室の前に辿り着いた。教室の中はそれなりに騒がしく、中に生徒がいる事が窺われる。

 その扉を開けた時、カイトの軍師への第一歩が踏み出されるのだった。


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