[大学生たるもの自販機飲料ごときで愚痴るでない]
私は、大学生になった。現在、夢のキャンパスライフに胸を焦れまくっている次第である。
私は、大学近くの駅に居た。入学式の日は、別の場所で行われていたため、大学に、大学生として向かうのは今日が初めてのことであった。近年、大学が全入時代と世間的に揶揄され、学生の学力低下が心配されている時代である。ゆとり、ゆとり、と現代の大人達がゆとりを欲しているのに対して、自分たちの子供たち世代が甘やかされまくっていることに対しての僻なのかもしれない。なんにせよ、大学生たちを避難する大人達は、イコール自分の子供を避難していることにあまり気がついていないのかもしれない。最終的には、自らの教育力の少なさを露呈していることにさえも。
そんなことはどうでもよいのに、どうしても考えてしまうのが自分の悪い癖である。自分の頭の悪さに自覚があるともいえるか。それよりも今は大学だ。楽しい楽しい大学。大学までの距離、およそ歩いて10分。遠い。駅から5分とか10分という時間感覚は近そうにみえて実は遠い。
とぼとぼと大学に向かって着実に歩いて近づいている私の横を、紺色の着物を着た男が、左手にテキストと筆箱をゴムで止めて持ち、カタカタと下駄をならしながら走り去っていった。当たり前ではあるが、驚いたのは私だけではなかった。周りの新入生と思しき大学生は、当然のように振り返り、ざわざわと声を上げていた。この光景に、驚きもしない学生が数名いた。ということは、この光景を見慣れている人間達であると思った。あの着物の男は上級生である可能性が高い。
私は、時計を見た。最初のオリエンテーションの時間まで少々時間があった。私は、息を吸い込み、また歩き始めた。
「あ」
時は、あっというまに過ぎ、時計の時刻は17時13分となっていた。私は、「大学」というものを今日、初めて体験した。周りの連中は、大学生と言っても私と同じ、先月まで高校生であった輩達だ。大人に毛の生えたようなものである。
会計の授業を初めて受けたが、なかなか面白かった。どうして、借方と貸方という呼び方をするのか。今日は、そればっかり考えているような気がした。
私は、のどが乾いた。お昼ご飯をコンビニで買ったときに一緒にに買ったお茶の存在を思い出した。背負っていたデイバックを開いてお茶を探したが、かばんの中には入っていなかった。全部飲んで捨てた覚えはなかったので、どこかの教室に置いてきてしまったのかもしれないと思った。お茶のことを考えていたら、どうしようもなく喉が渇いてきたので、なにか飲み物を買おうと改めて決意するのであった。
大学の校門近くに自動販売機が2台並んであった。大学価格なのか、ペットボトルは130円。缶の飲み物は全て100円だった。財布のヒモが結束バンドで出来ている我々大学生にとって、とても優しい価格設定だった。それに、今時珍しい大学の周りにはスーパーや、コンビニがほとんど無かったため、より一層その価格設定は目に入った。嬉しい。
「なにが良いかな……。コーヒーも飲みたいような気がする」
私は、財布をあけ自動販売機に100円硬貨を投入した。初めはお茶が飲みたかったのだが、自動販売機のすばらしいラインナップに心を奪われ、気が変わってコーヒーを飲むことにした。大学生にもなったがブラックコーヒーというあの苦みと臭さが強烈の飲み物を私は受け付けない。従って、私の選ぶコーヒーは、牛のお乳たっぷり砂糖たっぷりの、とろとろミルクコーヒーとなっている。缶コーヒーの中では、マックスコーヒーというのが一番好きだ。最近でこそ、巷ではよく見かけるが、昔はあまり見かけなかったと、母親は言っていた。
缶コーヒーのプルタブを、私は引っ張った。プッシュと景気の良い音が大学の入り口に響いた。私は、その右手に持った至高の缶コーヒーを口元に持っていき、飲もうとした瞬間であった。
「ううううぅぅ」
私の右隣から、うめき声が聞こえてきた。私は、飲もうとしたその右手の缶コーヒーを口元に止めたまま、右隣をちらっと見た。
「あ」
私は、思わず声にでてしまったのだが、私の右隣の自動販売機に一人の男が、おろおろしながら抱きついていた。よく見ずとも、私はこの男に見覚えがあった。
今朝だろうか。そう、今朝である。あのわけもわからず、大学までのルートを着物と下駄でカタカタと激走していったあの男であった。変わっているヤツだと思っていたが、やはり変わっていたらしい。自動販売機に抱きつく男など、そうそうに見ることはできるまい。
私は、声をかけようかかけまいか迷っていた。しかし、その迷いは一瞬で消し飛んだ。
「金、貸しちくれ」
右隣の自動販売機に抱きついていた、いやしがみついて男から真顔で声をかけられたのだった。
「いや、えっと……無理です」
私は、その変人を拒絶した。
「な、、、なんでじゃ!?」
男は、動揺した。
「だって、私はあなたのことを知らないし。他をあたってください。私だってお金はあまり持っていないんですから」
私は、もう一度その着物の変人を拒絶した。
「嫌じゃ」
「は?」
「嫌じゃと言ってる。金を貸してくれないと嫌じゃということだ。おぬしは馬鹿なのか」
馬鹿であることは紛れも無い事実ではあるが、あからさまに言われるとそれは少々悔しかった。私は、しばらくその変人を睨みつけていたが、変人も私に鋭い目つきで噛み付いていた。
「わかりました。100円しかあげませんからね」
私は、半ば折れるようにして彼に、100円を渡した。これで、この変な状況から抜け出せると私は安堵した。
「嫌じゃ」
「は?」
「嫌じゃという言葉がまだわからんのかこの小僧は。おぬし、まさか、、、3歳児?」
私は、飽きれて返す言葉もなかった。なけなしの100円をあげたのにまだこの態度。これ以上に何を望むというのだ。
「わしは、あの130円のコークが飲みたいのじゃ。100円じゃ、チンケな缶コーヒーか中途半端な炭酸飲料しか買えんじゃろう。まったく。わしの視線で、わからなかったのか。気の利かないヤツめ」
私は、その変人に10円硬貨三枚をぶん投げてその場から立ち去った。良い子のみんなは、真似しないでね。
大学初日から、とんでもない人間にであってしまった。大学というのはこうも変人が集まるところだったのか。私は驚いた。明日から、用心せねばと思った。
大学近くの駅から電車にのり、私は一人暮らしのアパートへと帰っていた。