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ベッカライの初売り ②

 初売りも二日目になり、用意したお年賀のクッキーも、残りちょうど半分くらいになった。

 リスさんは、六年間ベッカライウグイスを経営していて、毎日焼くパンの種類や数、在庫といった管理がとても上手だった。初売りに来てくださるお客さんの数も、あらかじめ予想出来ていたのだろうと思う。それは、美味しいパンを焼く技術や感覚とともに、お店を維持していくためにはとても大切なことだと思う。


 おせちやお正月のごちそうに食傷ぎみのお客さんは、リーンなパンとパンの食感を求められるから、とリスさんは言って、この二日間は、ハードロールも皮の下が特にいつもよりもふわふわになるように、配合に気を遣った。食パンやイギリスパンはいつももちもちな歯触りだったが、今朝「来春こはるさん、味見してみてください」と手渡されたものは、糸を引く口当たりだった。こんなことができるなんて、と私は感心した。



 二日目も、多くのお客さんが訪れてくださっていた。

 リスさんの予測通り、食パンやイギリスパン、バターロールや、特にフィリングの入っていない、あるいはレーズンのみのようなハードロールが、一番売れ行きがよかった。リスさんは、鏡餅パンと梅パン以外の甘いパンは、ほとんどショーケースの飾り程度にしか作っておらず、デニッシュを求めるお客さんはことのほか少なかった。



 外は、粉雪が舞いだした。大寒だいかんに向かい、寒さは本格的になってきていた。

 今朝はよく晴れ、気温が下がっていたので、リスさんはガスストーブの設定温度を上げて、魔法瓶の中のように店内を暖めた。

 訪れるお客さんたちは、ベッカライウグイスの中に入ると、ほおっと吐息を漏らし、帽子やマフラーを外した。

 遠くから歩いてきたお客さんは、カウンター席に座らないまでも、ガスストーブの前に佇み、しばし暖をとる。リスさんは、そんなお客さんには、紙コップに入れたコーヒーをお渡しした。それはパンを注文しカウンター席で食事をするお客さんの特別なものだったので、知っているお客さんの中には遠慮する人もいるが、

 「寒いときだけですから。遠くから、ありがとうございます」

 と、リスさんはコーヒーを手渡した。

 温まりたい人も、くつろぎたい人も、早く家路を急ぎたい人も様々である。だから、お客さんたちの中では暗黙の了解のようで、特に不満もなかった。

 ストーブの炎は、お客さんの足下の雪を溶かし、乾かし、代わりに大きな嵌め殺しの窓を端から丸く曇らせていった。濡れたマフラーが、空いている椅子の背に掛けられている、少しの時間。冬のこんな光景が、私は好きだった。



 カランコロン

 「こんにちは」

 「いらっしゃいませ」


 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 リスさんと私は、ショーケース奥に並んで立ち、お客さんを迎えた。

 「あら。おめでとうございます。よろしくお願いいたします」

 にっこりと微笑んだのは、月に一度、土曜日にお見えになるお客さんである。

 おかしいな、今日は確か月曜日のはず、と私はショーケースの後ろのカレンダーを見て思った。

 そのお客さんは、お名前も分からなかったし、妙齢のとか、ご高齢のなどという形容も失礼なので、私の中では「土曜日のお客さん」というふうに定着していた。土曜日のお客さんは、私の祖母を思い出させた。祖母の眼差し、優しさ、温かさを、まだ数えれば十度に満たないほどしかお見かけしていないのに、お客さんの年齢がちょうどそのくらいだからだろうか、あるいは人柄がそうさせるのか、土曜日のお客さんがやってくる度に、私は居心地がよくなる空気を覚えた。


 リスさんと私は、並んで立ち、お客さんの注文を待った。

 「あら、可愛い。鏡餅ね」

 「はい。金柑の砂糖漬けを載せました」

 リスさんは、お客さんが褒めてくれても、特にそれをお勧めすることはない。お客さんがゆっくり見て、好きな物を選んでくださったらそれでいいのだった。


 カランコロン

 「いらっしゃいませ」

 「こん、にちっ、はっ!」


 元気な男の子が入ってきた。小さなつなぎのスキーウェアまでもが陽気に動いて見える。毛糸の帽子のぽんぽんが、細かな雪まみれになって真っ白である。重たい扉は、男の子の頭の上で、お母さんが一生懸命押していた。

 冬休みの親子連れのお客さんだった。幼稚園くらいの男の子は、お母さんにあれもこれもとねだり始め、お母さんは笑いながら注文を待っていたところ、土曜日のお客さんが、

 「私はゆっくり見ているので、お先にどうぞ」

 と順番を譲った。

 お母さんは一瞬考えたが、ありがたく譲っていただくことにしたようだった。

 「申し訳ありません。お言葉に甘えて……」

 そうして、お母さんはお会計を済ませると、焼き菓子コーナーの前に釘付けになっていた男の子の手を取って、土曜日のお客さんに「ありがとうございました」とお礼を言うと帰って行った。

 

 男の子が鏡餅パンを食べたいと言ったので、ショーケースの中には残り一つになった。

 土曜日のお客さんは、それをじっと見ながら考えているようだった。私たちの視線を感じたのだろうか、お客さんは言った。

 「……いえ、ね、最後の一つをいただくのは、申し訳なくてね。後から欲しい人がくるんじゃないかと思うと。その人ががっかりしたら……」

 リスさんは、優しく微笑んだ。

 「そのお客さんが、今、選ばれるかも知れません。鏡餅パンは、数量限定ですが、七日までお店に出す予定なんですよ」

 土曜日のお客さんが、リスさんの言葉に目を細めながら頷いた。その笑顔は、やはり私には、祖母を思わせた。

 「じゃあ、お言葉に甘えて、鏡餅パンをいただこうかしら」

 「はい。ありがとうございます」

 

 ガスストーブが、室温の調整を始めて、静かな音が店内に低く行き渡った。

リスさんは、新しくコーヒーを淹れ、土曜日のお客さんの元へ木のトレーを運んだ。

 それから間もなくして、みっちゃんと、今日はパートがお休みのみずほさん、そして夕方には弘子さんがやってきて、ベッカライウグイスの初売りは賑やかで充実した時を終えたのだった。



 閉店後、もう外は夜のように真っ暗で、リスさんは、外の看板を下ろすと、踏み台と一緒に抱えてお店に戻った。

 「ふぅ」

 私は、踏み台を受け取った。

 「降ってますね」

 リスさんの肩や、リスの尻尾のように結ばれた巻き毛に、雪はびっしりと吹き付けたようだった。

 「うゎ。ちょっと出ただけなのに」

 「地面も氷が厚くなってきてますから、踏み台、気を付けてくださいね」

 「はい」

 リスさんは、ストーブの近くで肩の雪をほろい落としながら、笑って返事をした。


 段ボールの中のお年賀クッキーは、二日ですべてなくなった。


 「そういえば、古賀さん、来ませんでしたね」

 ショーケースの後ろのカウンターを片付けながら、何気なく、私はリスさんに聞いた。古賀さんは、職業柄、長く姿を見せないときがあった。今度はどのくらいになるのだろうか、とふと思ったのだ。

 リスさんは、

 「あぁ。そういえば、メールが来てたわね。演奏会があって地方に行くって」

 と答えた。

 なるほど。私はなんだか楽しくなってきた。

 「地方って、どこですか?」

 「うーん、どこかしらね。聞かなかったわ」

 「リスさん、聞かないと!」

 「え、どうして?」

 「どうしてって……それだけじゃまるで出欠確認みたいじゃないですか」

 「え……」

 「古賀さんは、従業員じゃないんですから」

 「もちろんお客さんですよ?」

 私の押しに、リスさんは少したじろぎながら言った。

 しかも、聞いていると、リスさんが教えたアドレスは、個人のではなく、ベッカライウグイスのホームページのアドレスだったということが分かった。あの、シューさんがブルーベリーでべとべとになった写真を送ってきたアドレスである。

 「リスさん……」

 「だって、あっちもこっちも確認するのはたいへんなんだもの」

 リスさんがいいわけするように言った。

 だが、リスさんがそんなふうに言うということは、よくなかったと思っているということだろうか。

 古賀さんは、いつ、業務関係から個人の関係へと移行されるのだろう。私は、静かに見守るしかないな、と思った。

 


 嵌め殺しの窓の曇りを、手の届く範囲で拭き取ると、リスさんは言った。

 「来春さん、カウンターの椅子を増やそうかと思うんですけど」

 私は、カウンターに並べられた、三脚の椅子を見た。

 カウンターの上に釣り提げされた明かりと、窓の外から忍んでくる、灰色と紺青の混じった闇の中に、それは余裕のある間隔で沈んで見える。

 「人が、増えてきたので」

 みっちゃん、さくらさん、弘子さん、そして古賀さん、たくさんのお客さんたち。ベッカライウグイスは、入れ替わり立ち替わり賑わう。その情景は、和やかで、落ち着いた明るさに満ちている。

 私は、リスさんに微笑んで頷いた。

 「そうですね」

 それから、私たちは壁に並んでいた椅子を二脚、カウンターへ運んで並べ、窓のシェードを下ろした。

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