だいちゃんとたいちゃんの夏休み ⑤
カランコロン
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
たいちゃんに迎えられたのは、古賀さんである。
たいちゃんと古賀さんは、初対面ではないはずだ。
何度か、カウンターで並んでいる後ろ姿を見たことがある。
しかし、今日の古賀さんは、ひと味違った。
去年の夏、古賀さんにはじめて出会ってから二度目の夏を迎え、分かったことであるが、彼はユニコーンTシャツの愛好者である。
もちろん、ワンポイントユニコーンを、夏以外の季節でも目にしたことはあったが、やはり前面に押し出している……つもりはないのだろうが、大きく目につくのは夏の季節である。
今日も今日とて、古賀さんは愛用のユニコーンTシャツを身につけ、ベッカライウグイスに現われた。
そこでたいちゃんに出会ってしまうわけである。
たいちゃんは、何気ない風を装っていたが、その実気持ちは古賀さんのユニコーンに釘付けなのが傍目にも分かる。だいちゃんと同じである。
みっちゃんにとっては、それもファンシーな領域であるが、実際のところ、古賀さんのユニコーンは海外製なので、日本のマイルドな可愛らしさは皆無である。
キリリとした美しい目、風に靡くたてがみ、斬新な存在感と色使い、すべてがインパクト大なユニコーンであった。
しかも、今日のはまた大きい面積を占めている。
古賀さんは、ショーケースの向こうのたいちゃんに迎えられ、一瞬、目を見開いた。
僅かに不安が垣間見られ、たいちゃんの後ろにある、硝子戸を覗く。
そして、工場にリスさんのいつもの姿を認めると、安堵するのだった。
たいちゃんは、全身から敏感なアンテナを張り巡らせることの出来る、現代JKである。
古賀さんの存在について、説明はいらないほど納得した様子を、表情に現していた。それでいて、普通を装っている。
端正な顔つきで、可愛らしいお人形のように黙って、古賀さんがパンを選ぶ様子を見守っていた。
古賀さんは、いつものように草原を舞う蝶となり、ショーケースの端から端までを留っては離れ、留っては憩い、楽しい時間を享受する。
「あ」
古賀さんの歩みが止った。
「新しいのがありますね」
古賀さんは、屈めていた腰を伸ばし、たいちゃんに言った。
「はい」
実のところ、古賀さんが目を留めてた「夏野菜のキッシュ」は、夏みかんのデニッシュの終わりに合わせ、ひと月ほど前からショーケースに並んでいたのだが、たいちゃんはそんなことに言及したりはしない。
「この夏の新製品なんですよ。ズッキーニやトマトがとっても美味しくて、もちろん、卵液のスパイスや、外の皮もパリパリ感が残っていてとっても美味しいんです」
おおっ、という顔を古賀さんはした。
古賀さんは、3人目の大当たり・特賞「一日パン屋さん体験」を引き当てた最後の1人である。
たいちゃんみたいなことが果たして言えるのだろうか。
いや、古賀さんには古賀さんのいいところがあるのだから、それをリスさんの前で発揮できたなら我々ベッカライウグイスメンバーは報われる、それ以上のことは今のところご期待申し上げてなどいない、この頃である。
「それは!美味しそうです。夏野菜のキッシュにします。コーヒーも、お願いします」
「はい。ありがとうございます」
古賀さんは、笑顔でたいちゃんに注文すると、既にみっちゃんがカウンターの左端に座っている、もう片方の右端の席を埋めるべく、移動した。床が、ぎしぎしと馴染みの音をたてた。
たいちゃんが、にこやかに応対しコーヒーの準備を始めたので、私はリスさんを手伝いに工場へ入った。
ほんとうに頼りになるたいちゃんである。
すぐにお勤めに出ても、なんでもそつなくこなしそうだった。
リスさんと私はそんな話をしながら、次々と午後のパンを仕上げていった。
カランコロン
「こんにちは!」
「いらっしゃいませ」
声の主は、扉のところで立ち止まった。
「あれ、リスは?来春さんは……?」
「……少し、お待ちください」
たいちゃんが呼びに来るまでもなく、リスさんが工場の扉を開けてお店に出た。
開けられたままの硝子戸の向こうから、古賀さんの声が聞こえた。
「こんにちは、智翠さん!初詣以来ですね!」
「……古賀さん、ご無沙汰してます、って……そんなことは、ないんですが……」
「あれ、どこかで会ったかな」
「えっと、ぼく週一でここに来ているんで、古賀さんの後ろ姿を何度か見たことがあるんです」
「それはすみません。全然気がつかなかったなー。いや、初詣の時には送ってもらって助かりました。ありがとうございます」
「いえ、ついでですから……」
二人はぎこちなくであるが、二人なりの関係を模索しているようだった。
「智翠、こんにちは。餡子、ありがとう!」
リスさんと智翠さんの声が聞こえた。
「あれ、来春さんは?」
たいちゃんがお店に立っていたので、もしかして私がベッカライウグイスを辞めたのかも知れないと思ったのだろうか。
私は、工場の調理台に立ったまま、お店を覗き、軽く頭を下げて智翠さんに挨拶をした。
「来春さん、こんにちは!あれっ、じゃあ、新しい人?」
「ふふふ。たいちゃんよ。いいでしょー。即戦力なのよ!」
「えっ、そうなんだ……」
たいちゃんが謙遜した。
「そんなことありません。大当たりを当てて、楽しくパン屋さん体験をさせていただいてるんです」
たいちゃん、敬語もバッチリである。
「そうなんだ。いいなー。家にも即戦力のいい人、来ないかな~。家、どうですか?和菓子屋なんですけど……」
「たいちゃんは、貴重な人材なの。智翠、自分より年下の人に修行に来て欲しいだけでしょ」
智翠さんは、二の句が継げず、お店を出たようだった。
「こんにちはー。来春さん、今週の餡子、お願いします!」
工場のドアが開き、智翠さんが顔を出した。
「毎日、外は暑いですよね!」
智翠さん用のスリッパに履き替え、やってくると、調理台の横に重たい番重を置いた。
「ありがとうございます」
確認のため、番重の蓋を開けて中を見せてくれる。
「そのうち、リスと一緒に家の方へお茶に来てください。僕が作ってる夏の上生も出してるんで」
智翠さんは、2月の神事の時からすっかり7代目として認められ、店頭にお菓子を出しているのだと思った。
「ありがとうございます。リスさんに、聞いておきますね」
私は、リスさんの気持ちを思いつつ曖昧に笑った。
調理台の横のカウンターで、伝票を記入して智翠さんに渡した。
「ありがとうございます、じゃ」
智翠さんは、まるで夏の暑さとは無縁な、涼しげに切りそろえた髪で風を切るように、帰っていった。
カランコロン
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
午後のお客さんの波が寄せ、それが退いていく。
私たち三人は、休憩をとり、工場とお店を行き来しながら、穏やかに仕事を進めた。はずだった。
「えーっ」
ところが、突然、たいちゃんが声を上げたのだ。
リスさんと私は同時に言った。
「どうしたの?!」
「はーっ」
続いて、たいちゃんは大きな溜息を吐いた。
みっちゃんも古賀さんも、そのほかお客さんたちは皆さんお帰りになり、ベッカライウグイスは平和な夕刻へ向かおうとしている時のはずであった。
「もうこんな時間なんて……信じられない……」
リスさんと私は、胸をなで下ろした。
なにせ、今朝は、体調が沈没していたたいちゃんである。また、何かあったのかと思ったのだ。
「ふふふ。そんなに早かった?」
リスさんは、たいちゃんに優しい目を向けた。
たいちゃんは、不服そうに頷いた。
「早すぎです」
それから、何か悟った表情をした。
「あ」
私たちが、不思議そうな目を向ける。
「……私が、貴重な早朝を体験できなかったからなんだ……」
たいちゃんが、がっくりと肩を落とした。
「そんな……それは、仕方ないわよ」
「そうそう。気にしない、気にしない!」
たいちゃんが、心底残念そうに言う。
「だって……私、本当に今日、楽しみだったんです。この夏一番の大イベントだったんですよ!」
リスさんと私は顔を見合わせた。
「……受験生って、たいへんなのね……」
私は、たいちゃんのスマホのスケジュールが、予備校の講義で埋まっていたのを知っていた。
時計は、午後4時半を回っているが、真夏の夕暮れはまだまだ訪れる様子はない。
リスさんが、レジのカウンター下から、踏み台を取り出すと言った。
「もうパンも残り少ないから、今日は店じまいにしますね」
もし、誰か焼き菓子でも求められるお客さんが、コンコンと窓を叩いて覗けば、そのときに応対すればいい。
リスさんは、看板を下ろし店内の灯りを消したが、お店のシェードは開けたままにしておいた。
私たちは三人で、カウンター席に腰掛け、ほっとした時間を過ごした。
リスさんは、たいちゃんのために、オレンジとショウガの手作りコーディアルを振る舞った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
リスさんは微笑みながら、腰掛け、たいちゃんに言った。
「たいちゃん、コーヒー苦手でしょ?」
たいちゃんは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でリスさんを見た。
「……言ったことないのに……」
リスさんは、結構何でもお見通しである。例外もあるが……。
「ふふふ。いつもマイボトルだし、今朝もお昼もコーヒーに手を付けなかったものね?」
たいちゃんは、カウンターに肘を付き、背中を伸ばした。
「そっかー。バレバレでしたね」
「ふふふ」
「匂いとかは好きなんだけどな~」
「いい匂いよね」
「あの、これで本当にお店、終わりなんですか?明日の仕込みとかは……?」
リスさんは、たいちゃんの反応を少し楽しんでいた。
「そうね、ミキシングして生地を冷蔵したりするわよ。あと、その間にクリームも作るわね」
「やりたいです!!」
「でも、たいちゃん、明日も予備校でしょ?少し休んだ方がいいわよ」
私は、緩衝材を置いたつもりだったが、たいちゃんは譲らなかった。
「今朝、できなかったから、体験したいんです!クリーム作りも、好きだし、見たい!あ!!私、大きなピケローラー、まだ見せてもらってなかった。朝、あんなだったから、タルトの縁がぴったり離れない秘密も、教えてもらってなかった!」
「ふふふ。じゃあ、一つ作って、お土産にする?」
リスさんが、コーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「やったぁ!」
たいちゃんが嬉しそうなので、私も嬉しい。
私たち三人は、それから再び工場へ入ると、夕刻のパン屋さんを満喫したのであった。
退勤前、たいちゃんは、名残惜しそうにお店を見渡した。
夕日の残滓が、店内に鏤められている。
「今日は、ご迷惑をおかけしましたけど、とっても楽しかったです。また来ていいですか?」
「もちろんですよ。待ってます」
「店長さんのこと、リスさんって呼んでもいいですか?」
「ふふふ。いいですよ」
「来春さんは?」
「もちろん、いいですよ」
たいちゃんは、何か他にも言いたげな顔をしたが、言わなかった。
リスさんに、焼きたての夏野菜のキッシュや、他にもたくさんお土産のお菓子を持たされて、たいちゃんは帰って行った。




