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新年 ③

 人々の居並ぶ頭より高く、境内の入り口が見えてきた。足踏みを繰り返し、少しずつ近づいて行く。

 蒼天にそそり立つ大屋根の神門が、ご神殿へ向けて大きく扉を開いている。雪の上に置かれた門松は、飾りも少なく、竹の青々とした色が清冽だった。


 大しめ縄が張られた下をくぐると、厳かな気持ちになる。

 人々のざわめきは低くなり、ただ湧き立つように白い息が立ち上る。

 白い玉砂利は、凍った雪の下で、隙間なく踏みしめられている。一歩前へ進む度に、地面の固い雪はなお引き締められ、絞られるかの音が短く鳴る。その音は、心の表面にまとわりついた穢れを摩耗させ、滑らかにしていく。歩くたび、気持ちが清浄になっていく。


 人々は、蛇行しながら手水舎てみずやへ向かう。

 手水舎の辺りは、もうもうとした水蒸気が立ち籠めている。冷たい手水より、空気の方がよほど冷えているのだ。

 龍の口元は半ば凍り付き、私は細く流れ落ちる手水を、多くの人の手を経た柄杓で、受ける。

 

 再び、手水舎から出る人の流れに合流すると、ついに本殿へと向かう。

 本殿は、銀色の菊門を染め抜いた白い神前幕に、清々として取り巻かれていた。

 中では、厄払いの儀が行われているのだろう、太鼓の音がとどろく。

 

 人の流れの中で、いつの間にか古賀さんはリスさんと並び、私は隣に立っていた智翠ともあきさんと一緒に、鈴緒に手を掛け、その音を振るう。

 魂に涼やかな息が吹きかけられたように、私は自分が新しくなるのを感じざるを得ない。

 つつましやかに生きたい。ふと、そう思う。そして、心の中を、空っぽにする。

 二礼二拍手。柏手を打つ。

 お参りに上がることのできた感謝を述べ、世の中が平和でありますように、私たちが健康で無事に過ごせますようにと、心から願った。

 

 新しい年が始まった。

 ベッカライウグイスに、リスさんに、私たちに。



 智翠さんと私が、満足して拝礼を終え、後ろに居並ぶ人々からやっとのことで離れると、古賀さんとリスさんを見失っていた。


 「リスさんたち、向こう側かも知れませんね」

 御神殿の前には三つの大きな鈴が並んでおり、智翠さんと私は一番左側の鈴緒を揺らしたので、どうしてもそのまま左へ捌けなければいけなかった。真ん中の鈴を鳴らしたリスさんたちは、後続の人々に場を譲ってからこちら側へは来られなかったのだろう。

 「そうですね……」

 智翠さんは、目の前に連なる人垣を見ていた。

 「向こうへ行くのは難しそうだな」

 私は、人の切れ間を見つけようとした。

 「電話してみるか。来春こはるさん、ちょっと向こうへ」

 私たちは本殿から離れ、人のまばらな境内の隅でリスさんに電話を掛けた。

 「あ、リス?……うん、そうだね。いや、こっちから行くから、そこを動かないでいて。……うん、分かった。え……?古賀さん?……あ、はい、……ええ、そうですね、確かそうだと思いますけど……ええ……分かりました。じゃ、お願いします。僕たちは……」

 智翠さんは、辺りを見回した。

 「お守りの授与所のところにいます。……はい。……お願いします」

 電話を切った智翠さんは、少し憮然とした表情をしていた。私が見ていることに気づくと、コートのポケットに携帯電話を入れながら下を向いた。再び顔を上げたときには、唇を横に結んでいたが、特に不機嫌な様子はなかった。

 「古賀さんが、こっちへ来てくれるって言ってました」

 「そうですか……」

 でも、この人垣を縫ってくるのはたいへんそうだと、私は向こう側を見ながら危惧した。

 「境内からの出口が、初詣の時は、こちら側しかないんです」

 なるほど。智翠さんは、ポケットに手を入れたまま、視線で境内からの出口になっている門を指した。

 「でも、向こう側からこちらへ来るのはたいへんそうですね……」

 私たちは、しばらく黙って幾重にも連なる列を見ていたが、どうしようもなかった。

 「お守りの授与所で待ってると言ったので、そっちに行きませんか」

 私は、頷いて、智翠さんの後に続いた。

 智翠さんは、斜め後ろの私を見ずに、歩きながら言った。

 「来春さんは、古賀さんをどう思います?」

 私は、不意の質問に瞬きを繰り返した。どうと言われても、智翠さんには答えづらい。智翠さんがリスさんのことが好きで、大事にしていることは明白だった。

 答えない私に、智翠さんは立ち止まって振り返った。私は何か言わなければいけない立場になり、けれど当たり障りのない内容で済ませたくもなく、思っていることを話した。

 「……私は、古賀さんはいい人だと思います。よく知っているわけではないけれど、去年の夏からずっと見てきて、なんて言うのか、無理をしているところがなくて、マイペースで、それでいて結構大人だと思います」

 これは、古賀さんを褒めたことになるのだろうか……私は、智翠さんを窺い見た。智翠さんは、なんとも言いようのない表情をしていた。様々な感情を混濁させた、難しい表情だった。そして、その目を私に向け、はっきりと言った。

 「……古賀さんは、リスを幸せにはできないと思う」

 私は、そう断言する智翠さんの強さに一瞬息を呑んだ。人をそんなふうに言うことは、なかなかできない。私の視線の意味に気づいた智翠さんは、まなじりを緩め、少し優しく話した。

 「来春さんは、リスの事情を聞いてるでしょう?」

 それは、リスさんが子どもの頃にご両親を亡くし、みっちゃんとみずほさんに守られて暮らしたことを言っているのだろう。私は、黙って頷いた。

 「リスは、そのことをすべて……なんていうのか理解してくれるだけじゃなくて……うまく言えないな、すみません、来春さん。ただ、リスのことが好きって言うだけじゃ全然足りないと思うんです」

 私は、自分の口元に徐々に笑みが浮かぶのを感じていた。

 「智翠さんがそう感じるのも、分かります。…………私は……自分の人生を選んで進むのは、リスさん自身だと思うので、リスさんが自分自身のことをどう考えていくのか、見守っていたいです。智翠さんと一緒で、リスさんが幸せになることを、願っていますよ」

 智翠さんは、急に恥ずかしそうな顔になり、ポケットから出した手を首の後ろに回した。

 「あ」

 気がついた智翠さんが、声を上げた時だった。

 突然、参拝の人垣の中に道ができて、向こう側にいた人々がこちらへ大勢傾なだれてきた。警備の腕章をした係の人が、時折人垣を堰き止め、向こう側へ捌けた人々を出口の門があるこちら側へ誘導しているのだった。

 古賀さんと、小柄なためほとんど人に隠れて時折肩先しか見えないリスさんが、姿を現した。古賀さんは、リスさんが人にぶつからないよう、よく気をつけてくれていた。それだけでは十分に思えないのだろう、と私は、二人を見つめる智翠さんの横顔を見た。


 人並みから抜け出したリスさんと古賀さんが、小走りにやってきた。

 「あっ」

 リスさんが、足下を滑らせ転びそうになったのを、片腕を抱えて古賀さんが支えた。

 「ありがとうございます」

 リスさんが、お礼を言うのが聞こえる。

 「いいえ。大丈夫ですか?」

 智翠さんが、そちらへ歩みながら

 「リス、気を付けて!」

 と困ったように声を掛けた。


 ようやく私たちは、揃って授与所に並び、リスさんと私は、破魔矢とお守りを授かった。

 「帰ったら、一緒に神棚に上げましょう?」

 リスさんが言い、私は頷いた。

 古賀さんと智翠さんは、一緒におみくじを引いた。

 「えいっ」

 そのかけ声は、とても古賀さんらしい。智翠さんは、無言で大吉を引き当てようとしていた。

 「あぁ」

 古賀さんが、小さな声を漏らす。

 リスさんと私は、その手元を覗いた。

 「……小吉」

 古賀さんは恥ずかしそうに笑うと、真剣に読み始めた。

 「智翠は?」

 リスさんが尋ね、覗き見た私は、思わず声に出してしまった。

 「……小吉……」

 今年も二人の鞘当ては続きそうであった。



 通用門から境内を降りると、帰りの人々は三々五々という感じで、私たちはようやく一息ついた。

 「いい初詣だったね」

 智翠さんが、リスさんに言った。

 「そうね。来てよかった」

 リスさんが答え、私は微笑みで同意した。

 智翠さんが、リスさんに尋ねた。

 「もうすぐ、家の湧き水のおまつりがあるけど、久しぶりに来てみない?」

 「……そうね。お店もあるから、考えてみるわ」

 私は、古賀さんに尋ねた。

 「暮れの演奏会は、いかがでしたか?」

 古賀さんは、少し首を傾げ

 「うーん、よかったかな?いや、よかったですよ。精一杯やりました」

 と笑った。私は、その答えに、暮れの一連の出来事を思った。


 

 境内の下では、参道とは別に伸びた道に、たくさんの屋台が並び、人々が憩うていた。私たちも楽しくて、きょろきょろとお店を見ながら歩いた。歩くたびに、リスさんの手に握られた破魔矢の鈴が、可愛らしい音を鳴らす。

 常緑の松に、白い雪が美しい。行き交う人々の晴れやかな表情も、新春の慶びを愉しんでいた。

 「リス、綿あめ買わなくていいの?」

 智翠さんが、面白そうにリスさんを見やった。

 「もう、智翠」

 車中とは立場が逆転したようである。

 「ん?古賀さん……?どこへ……」

 私は思わず、ささっといなくなる古賀さんを呼び止めようとした。

 古賀さんは、私たちの横を離れ、どこへ行くのかと思うと、一番近くの綿あめの列に並んだのだ。リスさんはそれに気づき、もう一度言った。

 「もう、智翠!」

 古賀さんを連れ戻しに行こうとするリスさんを押しとどめると、智翠さんは、笑いをかみ殺しながら、古賀さんを迎えに行った。何かを話し、古賀さんを綿あめの列から引き戻してくる。

 「リスさん、いいんですか?」

 真面目な古賀さんの表情に、リスさんは顔を赤くした。

 

 新年のお囃子の音が、少しずつ近づいてくる。ふと見ると、古賀さんの耳はいけない状態なほど真っ赤だった。

 「古賀さん、耳、真っ赤ですよ」

 私の言葉に、リスさんは古賀さんを見上げた。

 「ほんとに。そういえば、登校の時に凍傷になる子がけっこういたわよね」

 「古賀さん、マフラーを耳まで上げた方がいいんじゃ……」

 みんなに言われ、古賀さんはマフラーを巻き直すと耳まで覆った。

 「あ、この方が暖かいですね」

 古賀さんのマフラーにつけられたピンズが、よく目立つ位置にずれ、リスさんと私は気がついて笑った。


 「みんなで、甘酒飲みませんか?」

 「わっ、甘酒、いいですね!飲みたい!」

 私の提案に、一番のってきたのは、智翠さんだった。私たちは、小一時間どころではなく外にいたので、手袋の下の指も、露わな頬も冷え切っていた。

 寒空の下で温まる甘酒は魅力的だ。

 「あ、多分あそこじゃ……」

 智翠さんは、もくもくと湯気の出ている屋台を見つけて、そこを目指した。


 ざわめきとともに、小気味いい太鼓の音とお囃子が大きくなってきた。

 陽気な笛の音に、獅子が踊っている。右に、左にとあちらこちらで戯れに噛みつきながら、獅子舞行列が、練り歩く。勇気のある子どもが、恐る恐る頭を差し出す姿に、楽しげに手を叩いて盛り上がっている。

 私たちは、立ち止まって、獅子の踊りを眺めた。

 獅子頭が、ぱこぱこっと音を鳴らし、こちらに近づいてきた。古賀さんに目を付けたらしい。さすが、古賀さんである。

 「うわ」

 古賀さんは、両目をぎゅっと瞑って頭を差し出しながら、獅子頭に噛みつかれる。

 「いいなー」

 隣に並んで、智翠さんも、頭を垂れる。噛みついていただく。

 「よしっ」

 二人は、神気を分け与えていただき、気力をみなぎらせた。  


 「ふふふ。誰かと思ったら、古賀さんと智翠くんじゃない」

 突然、後ろから声を掛けられ、私たちは驚いて振り返った。

 「弘子さん!」

 そこには、いつも綺麗だがもっと綺麗に見える弘子さんが、首元を暖かいマフラーにうずめ、立っていた。

 弘子さんの斜め後ろには、樹森さんがいた。


 「リスちゃん、来春さん、おめでとうございます」

 弘子さんと樹森さんは、一緒に頭を下げ、リスさんと私も深く頭を下げて、新年の挨拶をした。

 「おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 弘子さんは、ふふふ、と笑いながら言った。

 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 樹森さんが、両手に持っていた紙コップの一つを、弘子さんに手渡した。

 「あ、甘酒?」

 リスさんが、覗き込む。

 「そうよ」

 二人は、仲良く甘酒の紙コップを手にし、薄い湯気を楽しそうな顔に纏わせた。なるほど。お二人で初詣なわけですね、リスさんと私は笑顔で目配せした。

 

 「あら?古賀さんと智翠くんにまだご挨拶していなかったけど……」 

 古賀さんは既に私たちの輪にはいなかった。智翠さんもである。弘子さんも私たちも辺りを見回し、甘酒の列の中に混じる二人を発見した。

 「なんとも、面白いわね、あの二人」

 弘子さんが、古賀さんたちの後ろ姿に、笑いながら言った。

 「ね、リスちゃんも、来春さんもよく聞いて。あのね、人生、見切り発車くらいがちょうどいいから!今年は、ちょっとぐらい不安要素があっても、大丈夫よ!」

 弘子さんの横で、甘酒を啜っていた樹森さんが、訳知り顔で重ねて私たちに言った。

 「石橋、叩いたらダメですよ。結局、渡らないから」

 弘子さんと樹森さんは、いつの間にかいいコンビになっていた。

 それにしても、新年早々、見切り発車のお勧めとは……。だが、弘子さんやみっちゃん、さくらさんの言葉は、妙に含蓄のあるものが多い。

 古賀さんと智翠さんが、両手に甘酒を持ち、やってくるとまた挨拶が始まる。

 それから私たちは、道の脇で、熱い甘酒にふうふうと息を吹きかけ、啜りながら、他愛のない話をして笑った。私は、ふとイチイの木にかかる雪を見ながら、赤い実が残っていたならと、その美しさをまぶたの裏に思い浮かべた。古賀さんたちが手渡してくれた甘酒は、冷たくなった手と体を温めた。


 「じゃあ、またベッカライウグイスで。気を付けて帰ってね」

 そう言うと、弘子さんと樹森さんは並んで帰って行った。


 リスさんは、古賀さんを見上げた。

 「古賀さん、地下鉄で来たんですか?」

 「はい」

 「帰りなんですけど、智翠さんの車で、一緒にいかがですか?」

 「えっ」

 古賀さんは、思いも寄らない申し出に一瞬考えたようだが、すっかり智翠さんの存在に慣れたのだろう、目尻に皺を寄せて笑顔になると

 「いいんですか?」

 と智翠さんに聞き、智翠さんは智翠さんで、

 「もちろんですよ」

 と広い度量を見せて頷いた。

 「ね、智翠、甘酒って、お酒なんじゃない?」

 リスさんは、尋ねた。

 「あ、大丈夫、これ米麹だから。酒粕とは、匂いが違うでしょ?」

 智翠さんは、頼れる職人の顔で、リスさんに答えた。古賀さんは、

 「さすが、分かるんですね」

 と、感心しきりだった。

 それから私たちは、屋台を見ながら散策をし、帰途についたのだが、車中では、智翠さんが運転中に、古賀さんがリスさんに連絡先を聞き出すという一幕があり、私は智翠さんの心中を思わずお察し申し上げたのだった。

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