優しいお客さん ②
「……え?」
「……だって」
工場からリスさんと智翠さんの声が聞こえてくる。工場と店舗は、三歩と離れていないのだから当たり前である。
私は、そっと工場と店舗の間を仕切る硝子戸を閉めようとした。
「あ、来春さん、ちょっと聞いて!」
気づかれないように離れたかったのに、智翠さんに呼ばれてしまった。
私はしぶしぶ、工場へ顔を覗かせた。
「……何か……?」
「ちょっと、こっちに来てください」
「……あの、お客さんが来るかも知れませんから」
私が遠慮しようとすると、リスさんが、事もなげに言った。
「大丈夫。ここから見えます!」
何があったのだろう。
私は、工場へ一歩だけ入った。
「来春さん、聞いてくださいよ。リスったら」
リスさんったら?
せっかく二人で話しているところを、私が聞いていいものなのだろうか。いや、いいわけがないだろう。
私は、小さく半歩後じさった。物理的距離は、大事である。
智翠さんが、やや憤然として私を見ている。
リスさんを見ると、リスさんも似たような表情である。
喧嘩…………?
「来春さん、聞いて!智翠ったら、ダメだって言うのよ」
「リス、パンに大福入れようとしてる!」
「え……」
私は、首を回してリスさんを見た。
私の表情が良くなかったのだろうか、リスさんが急に意気消沈して声が小さくなった。
「…………パンに大福入れたら、美味しいんじゃないかって。だって、餡子が入ると美味しいでしょ?アルファ化した求肥も美味しいでしょ?」
あ、これだったのだ、と私は思った。
リスさんがこのところ、少しぼんやりして考え事をしていたのは。不在な古賀さんのことを考えていたのではなかったのである。
「あーあ。リス、来春さんの前だとますます小さくなる。さっきまで俺に強気だったくせに」
「ますます小さくなるって、なによ?!」
喧嘩である。
「そうですね。それは言い過ぎです」
リスさんでもリスさんでなくても、身長に言及するのは良くない。
そして私は、どちらの味方というわけではない。
「パンに大福を入れるのは、そんなに良くないんですか?」
「うーん」
智翠さんが、両手を組んで首を傾げた。難しそうな顔をしている。
「米粉とかを使ってみると、いいかもしれないけど、そもそもリスって、米粉を使わないでしょ。小麦粉信奉者でしょ?そこが良くないんじゃない?」
リスさんは、お店の理念を主張した。
「米粉にしても、結局別にグルテンとか、サイリウムとかを入れなくちゃいけないもの。うちは、添加物なしでやってるんです」
「……そうだよね」
と、智翠さんは肩をすくめ、お手上げな表情をして言い募った。
「だって、小麦の香ばしい風味や、特にバターと求肥は合わないんだよ。もちろん、求肥も焼き目を付けることはあるけど、小麦粉とは風味が違うから。求肥はね、上品なの。繊細で、上品」
「小麦粉とバターに品がないって言いたいわけ?」
喧嘩である……。
「リスが、ものすごくうちの餡子を大事にして、パン生地に気を付けてくれてることは知ってるよ。もともと小麦の香ばしさと豆は合うんだよ。あんパンは日本人の発明!でも、求肥とパンは、相容れないっていうか、そんなことする必要ないでしょ?別々で美味しいんだからさ」
「…………夢ではとっても美味しかったんだけどなぁ…………いちご大福パン」
反目しきれなくなったリスさんが、残念そうに、最後は消え入りそうな声でもぐもぐ呟いた。
智翠さんは、それを聞き逃さなかった。
早口で聞き返した。
「いちご大福?」
「ありえない!いちご大福?!あははは!食べたって?!」
リスさんは、ますます憮然とした目で智翠さんを見た。
智翠さんは、ひーひー言い出した。
「これは、今晩うちの食卓の話題になるわー!」
リスさんは、黙って両頬を膨らませ、尻尾のように結び上げた髪を揺らし、店舗へ向かって行った。
お店のショーケースの向こうに、土曜日のお客さんが見えた。
お帰りになる様子である。
リスさんが、話をしている。
「聞こえちゃいましたよ。いちご大福のお話」
土曜日のお客さんが笑顔で言った。
「私なら、店主さんの作るパンは、なんだっていただいてみたいですね。いちご大福パンも」
「ありがとうございます!今度、こっそりお出しするかもしれません」
土曜日のお客さんは、リスさんの味方である。
リスさんは、少しだけ鼻をそびやかせながら、智翠さんを振り返った。




