さくらさんの粘土探しツアー ②
雨雲は遠のき、爽やかな朝が訪れた。
いくぶんか霧を含ませた空は、白い雲を湖面に寄せて淡く溶かし、もう初夏は、すぐそこまで近づく気配を隠さなかった。
だがそんな空の下、リスさんと私は、家を出るとポーチで身を震わせた。
風が吹いていなくても、早朝の空気は冷涼だった。けれど私たちが震えたのは、首元に忍んできた空気のせいだけではなかったのかもしれない。
夕べのみっちゃんの様子は、私たちには衝撃だった。
いつも飄々として冗談を言い、リスさんとベッカライウグイスを見守りながら、人生の憩いの時を過ごしていたみっちゃん。
体育教師として勤め上げた仕事とそのかけがえのない時間を誇りに、友人たちに囲まれてのんびりと毎日を愉しんでいたみっちゃん。
そんなみっちゃんが、あんなにも虚ろな表情をするなんて、私たちは信じられなかった。
みずほさんがいなくなって、もう二か月が経とうとしていた。
カランコロン
朝一番のお客さんがやってきた。
「おはよう、来春さん!」
「おはようございます」
と私はさくらさんに挨拶をし、次に
「いらっしゃいませ」
と弘子さんを迎えた。
二人が朝一番に訪れるのは、珍しいことだったが、私には一つ思い当たることがあった。さくらさんは、明日にその催行ツアーを控えている元締めだった。
やはり、さくらさんは、ショーケースの前で開口一番こう言った。
「来春さん、どうして私に言ってくれないの?」
私は、トングを持ったまま、ショーケースの奥で動きを止め、さくらさんを見つめた。思わず、口がすぼまってしまった。
さくらさんは、明日の粘土探しツアーのことをいっているのである。
「今朝、森君から電話が来たのよ!森君よりも、私に相談して欲しかったわ……私たちの仲でしょう?何かあったら言ってね、って前に言ったのに……」
さくらさんは、悲しそうに眉を寄せていた。明朗快活が代名詞のさくらさんのそんな表情を初めて見た私は、素直に詫びた。
「すみません、さくらさん……」
さくらさんのところに、市役所の担当部署から連絡が来たのだという。その担当の方、森君は、さくらさんに、催しが人気なこととツアーの確認事項を伝えようとしただけだったが、さらに私が、自分の辞退の代わりにみっちゃんをとお願いしたので、委細が耳に入ったのだった。
弘子さんは、さくらさんが訴える横で、のんびりとショーケースを眺めている。
昨夜の、挽肉洗い事件があった後、帰宅してからリスさんと私は相談した。
みっちゃんは、普段、ほとんどの時間をベッカライウグイスと自宅でのみ過ごしている。ご近所さんや友人は、ベッカライウグイスを訪れてくれるし、その生活に何ら困ることはなかった。みずほさんが出て行ってしまうまでは。
みっちゃんが抱えていた様々な気持ちに、私たちは気づかなかったわけではないが、そっと触れずにおいてしまった。それが良いことであるかのように。
みっちゃんは、私たちに何か言ってくれるわけでも、自分のことを訴えるわけでもなかったから、そうやって、少しずつ状況を受け入れていくのだと、まるで私たちがそうしたようにみっちゃんも同じだと思ってしまった。
けれど、みずほさんの空席ができたことによる、みっちゃんの世界の変化と、リスさんの世界の変化、私の世界の変化は、違う。
そのことに知らないふりをしてはいけなかったと、リスさんは私に言った。
みっちゃんが思い詰めないように、できれば気持ちが晴れるように、外に連れ出すことが必要だと思う、とも。
そうは言っても、私たちには普段仕事がある。ベッカライウグイスの仕事にかかりきりな毎日の中で、どうやってみっちゃんを連れ出したものか。
とりあえず、定休日には、みっちゃんを食事に連れ出すことくらいはできるだろう。
一番近いところでなら、さくらさんの粘土探しツアーに参加するのはどうだろうか、ということになった。
自然の中で、体を動かして粘土を手に入れるだけではなく、もしかしたらみずほさんも来るのではという淡い期待もある。
期待は外れることになると、分かっているのが辛いところだったが、とにかくみっちゃんには気分転換が必要だと思ったし、いち早くそれができるのはこの行事だと、私たちは確信した。
そして、今朝、一番で市の関係部署に、電話をしてみたのである。
「……さくらさんに言うと、きっと……」
潜り込み可能になってしまいそうなので、抽選から漏れた人のことを考えるとそれはできなかった、とは言えなかった。
「来春さん、みっちゃんと代わることはできないかって相談した話を聞いたよ?」
私は、申し訳なく頷いた。
「もう、私に任せなさい!」
「え、でも……」
さくらさんは、胸を張って明言した。
「粘土は重たいから、森君がお手伝いに来てくれるんだけど、もう一人こちらで助手を連れて行くって言えばそれでよかったのよ!」
私は、目を見張った。
助手!
「だから、心配しないで!それを伝えに、朝一番で来たの。近所だしね」
弘子さんが、微笑みながらショーケースから顔を上げた。
私は、それからさくらさんに尋ねた。
「…………みずほさん、参加されるでしょうか?」
「うーん……実はね、みずほさん、少し前に参加取り消しの連絡をしてたって、さっき来春さんのことと一緒に森君から聞いたの。それで、繰り上げ参加の人がいるってね」
さくらさんは、目を反らすと、弘子さんの方を見た。
弘子さんも、残念そうに綺麗な唇の端を少し下げて言った。
「でも、みずほさんが出てから、まだ二か月だから……みっちゃんに会うのは時期尚早かも知れないわね」
さくらさんと弘子さんは、注文を済ませ、揃ってカウンターへと移動した。
私がコーヒーをカウンターへ運ぶ頃、リスさんも工場から出てやってきた。
リスさんが私を見て目配せをするので、私は、二人の前にコーヒーを並べながら話した。
「昨日の夜、みっちゃんの家に、行ったんですけど……。インターホンを鳴らしても、出てこなくって、慌てて上がってみたら、みっちゃん……キッチンで挽肉を洗ってて……」
「ぷっ……あはははっ!」
さくらさんが、思いっきり吹き出した。
私たちは、深刻な事態だと思い、話したのである。
なんと、その横では、弘子さんまで肩を震わせて笑いを堪えている。
「そんな……笑い事じゃ……みっちゃん大丈夫でしょうか……私たち、心配で」
私が恨みがましい目を向けていたのだろう、さくらさんは、慌てて否定した。
「ちがうの、大丈夫」
何が大丈夫なのだろう。さくらさんはまだ笑っている。
「あはは……みっちゃん、とうとう自分で洗っちゃったんだ!」
「そうよね」
弘子さんが、笑いながらさくらさんに同意した。
二人とも、みっちゃんったらアライグマみたいね、と軽い気持ちで笑い合っているようにしか見えない。
だが、そこで弘子さんが、思いがけないことを言ったのだ。
「来春さん、リスちゃんも、聞いて。みっちゃんね、みずほさんに『肉は必ず洗うように』って言ってたのよ」
「え?」
「『自分は、お腹を壊しやすいから、肉は必ず洗え』ってね。それで、自分も洗っちゃったわけだ。しかも、挽肉!」
さくらさんは、さらに「ありえないわー」と呟いた。
リスさんと私は、困ったように顔を見合わせた。最近、ずっとそうしている気がした。
「みっちゃんはね、ああ見えて結構なモラ男なのよ」
「ほんと。まあ、だからみずほさんもたいへんだったわけ」
「みずほさん、『虎男の報告書』ノートを付けてたわよね?」
「うんうん。つけてたつけてた」
さくらさんと弘子さんは、コーヒーに口を付けながら笑った。
「でも、肉は洗えは、仕方ない部分があるっていえばあるからねー」
さくらさんが、笑った罪悪感からかみっちゃんを擁護しだした。
仕方がないの?という言葉を私は飲み込んだ。
弘子さんは、私たちが分かるように説明しだした。
「ほら、みっちゃん、家庭科を履修していない世代だから」
「そうそう。私たちが楽しく調理実習している時に、男子はチリトリ作ってたからね!」
「そうよね」
「私たちは、特に、鶏肉、洗うと危険って教わったわよね」
「結構、家庭科、重要よー」
「これも過渡期っていうやつね」
さくらさんと弘子さんは、私たちを見上げて頷いた。
かくして、ベッカライウグイスの定休日であり、さくらさんの粘土探しツアーの日が訪れた。
みっちゃんは、ベッカライウグイスの駐車場へ車を回してくれたが、その顔は幾分不機嫌そうだった。
口には出さないが、なぜ「さくらさんの粘土探しツアー」に自分が参加しなければならないのかという疑問と不満がありありと見てとれた。
「みっちゃん、送ってくれて助かっちゃった」
「ありがとうございます!」
このツアーには、結構な持ち物があった。
まず、長靴。できるだけ長いもの、というさくらさんの指示である。
それからゴム手袋。できるだけ、厚手のもの。
軍手。
園芸用の小さなシャベル。
ゴミ袋。黒い厚手のもの。
タオル。
帽子、飲み物、その他各自必要な物。
リスさんと私は、買ったばかりの長靴を履き、持ち物の入ったバッグを持ってみっちゃんの車に乗り込んだ。
そっと助手席を覗くと、しっかり準備されたあれこれが置かれているのが見え、リスさんと私は、胸をなで下ろした。
堤防の駐車スペースには、もうかなりの人数が集まり、さくらさんを中心にしてわいわいと楽しそうにしていた。全員、長靴姿である。
「おはよう!リスちゃん、来春さん!みっちゃん!」
はじめは行き渋っていたみっちゃんだったが、川を目の前にしてその態度は百八十度変わった。
生き生きと水を得た魚のように活動し、如才ない会話で参加者たちを盛り上げはじめたのである。みっちゃんのいる場所では、笑い声が上がる。
「ね、これが教師の性ってやつよ」
みっちゃんの豹変ぶりをあっけにとられて見ていると、隣にやってきたさくらさんが囁いた。なるほど、さくらさんはすべてお見通しだったのである。
春の川縁は美しかった。
誰が植えたのだろう、白や黄色の水仙が群生し、辺りは清浄な流れと土の匂いに取り巻かれていた。
川面は滑らかに光を反射させながら、のどかに遊ばせてもいた。光は、幾重にも絹糸のように水を縫って、眩しく穏やかだった。
「綺麗な場所ですよね!」
さくらさんが、参加者全員に呼びかけた。
参加者はほとんどがさくらさんの陶芸教室の人たちだったので、みな馴染みな様子で打ち解けている。頷きながら、隣近所とおしゃべりをしていた。そこに、みっちゃんが違和感なく混じっているのがすごかった。
みっちゃんは、ジャージにウインドブレーカーという格好だったが、さすがそれがよく似合っていた。床屋さんの安井さんに整えてもらっている髪まで、綺麗に撫でつけられていた。
一人だけ神妙な様子なのは、市のカルチャー教室の担当、森さんで、しっかり仕事をします、という真面目な表情でさくらさんの話に頷いていた。
私たちが現地に到着するなり、その人が担当さんなのだとすぐに分かったのは、一人だけ漁師さんが履いているようなゴム長の作業着を着込み、市のマークがついたヘルメットを被っていたからだった。
「さて、実は、粘土というのが至る所に埋蔵されているのは、すでにご存じのことと思います。皆さん、長いですからね、キャリアが」
どこからそんな大きな声が出るのか、さくらさんは外でもメガホンいらずで声がよく通った。
「皆さんの庭でも、『これ、粘土かな?』という手触りの土に当たったことがある方がいらっしゃるでしょう。粘土質の土っていうのは、粘土です。限りなく粘土です!お庭にある方、あとで、教えてくださいねー、私が粘土の仕上げになる土を持って、混ぜに行きますよー!」
笑いが起こった。さくらさんが土を持ってやってくる姿を想像すると、面白すぎて、私も笑ってしまった。
「そして、今日は、『さくらさんの粘土探しツアー』なわけですから、もう、既に調査済み。ここには完璧な粘土が埋蔵されています。思い起こせば、これを発見したのは今から30年以上も前のことでした。まぁ、探してたわけですね、粘土を。私、粘土大好きですから。そして、見つけたわけです。向こうその地層が、見えます!」
私たちは、さくらさんの手の先を見た。
川の対岸に、むき出しになった土の断層が見えた。
「いやー、まさか30年もこのままあるとは、思ってもみなくて、ここにきてまずびっくりしましたがね、あの断層の灰色の部分が、いい粘土です。昔はもっと綺麗な色だったんですが、ま、30年も経ってますからね。で、あそこは掘りません」
ええーっ?!という声が上がった。
「大丈夫です。あれと同じ地層が、こちら側にもありますからね。しかも、もっといい感じで。あっ、皆さん、危ないから、向こう側の断層へは絶対に近づいちゃいけませんよ!森君っ!ここ、ハザードマップはどうなっていましたっけ?」
担当さんの森さんは、両手をメガホンにして叫んだ。
「はいっ!土砂災害、浸水、すべて危険地域です!地図では、危険で真っ赤になっている地域です!絶対に近づかないでくださいね!」
さくらさんが言うより信憑性が高く感じられるのはなぜだろうか。
森さんの隣で、びしっと休めの姿勢をしたみっちゃんが、大きく頷いているのがなおその信憑性を高めて見えた。
さくらさんを先導に、総勢20名ほどのツアー人員が、じりじりと粘土のある場所に近づいて行った。
みな、一様に手にはゴム手袋を嵌め、黒いゴミ袋を手にしている。ボランティアの清掃集団に見えなくもない。ゴミ袋が、風にはためく。私の前を行くリスさんの大きな尻尾のような髪も、風に渦巻いたまま揺れる。
森さんの、ゴム長作業着が、とても歩きにくそうだ。森さんは、ごろごろと転がっている大きな丸石に足を取られながらも、懸命にさくらさんの後を追う。追いながら、責任感のある眼差しで時折、我々を振り返って安全を確かめる。しんがりを務めるみっちゃんとアイコンタクトをしているようにも見える。
すると目の前に、大きく蛇行した川が、溜りになっている場所が開けた。
枯れた葦が茂っている。
さくらさんは、長靴で濁った溜りに踏み込んだ。
泥の粘着する音がした。さくらさんは、ねちゃねちゃと歩きにくそうにしながらも、その葦を掻き分けながらさらに進んだ。
森さんが、右側の葦を持って倒し、後を続く我々が通りやすいように道を作ってくれると、みっちゃんが後方からすばやくやってきて、左側の葦を倒した。
「ありがとうございます!」
我々は、二人にお礼を言いながら進んだ。
進むと、目の前に、あったのだ。そそり立った断層が。
さくらさんは、断崖の右手に回り込んで消えた。
私たちも、その姿を追って行く。
その場所は、奥まった位置にあり、日陰になっていた。
見上げると、草が生い茂り、低木の枝がいくらか垂れて、葉を飾っていた。
断崖は、湿り気を帯びた苔や古い生き物の匂いと、長い時間に堆積された地層を閉じ込めて、剥き出しになっていた。
さくらさんが見蕩れている背中と、その悠遠が、一枚の絵画に見えた。
さくらさんは、後ろのがやがやした様子に我に返ると、
「はい!ここです!」
と振り返って誇らしげに土の壁を差した。
「粘土取り放題!あぁ……懐かしい……。こっち側が不格好に削れてるのは」
「30年前に、先生が生徒を使って掘り出した跡ですよね!!」
その声の主を私たちは一斉に見た。
「え……?」
さくらさんが、不可解な表情でそちらを見ている。
声の主は、一人の中年男性だった。眼鏡を掛け、無精髭を生やしている。
チェックの登山シャツを捲り上げ、両手を腰に置いていた。
「君…………」
「分かりますか?」
「君は…………」
我々は、固唾を呑んだ。
さくらさんが目を細めて、一生懸命記憶を手繰り寄せている。
「うーん…………」
中年男性は、ゆっくりと顎を引いて上目遣いになった。
「うぅーん…………君、…………年を取り過ぎてる」
我々は、爆笑した。
中年男性も、つられて笑った。
「もう、勘野先生、忘れないでくださいよ!教え子の中で、先生の薫陶を最も体現してる人間だと思いますよ!」
「えっ……」
さくらさんは、ゴム手袋を嵌めた手を、口元に寄せた。
「…………もしかして、蒔田くん?」
中年男性がゆっくりと頷くと、さくらさんが大きな声で言った。
「粘土取りに来たの?!」
「あははは!そうですよ!粘土取りに来たんです!」
二人は、断層の下で、再開の時を果たした恋人たちのように、ゴム手袋の手を握り合った。
「あはは!すごい、よく来てくれたわね」
「抽選の補欠要員だったらしくて、森さんから電話が来たんですよ」
「えーっ、30年ぶり?」
「30年ぶりです」
さくらさんが、我々の存在に気づき、ようやく説明し始めた。
「ええと、蒔田くんといえば、ご存じの方がいらっしゃるんじゃないですか?」
「あぁ!」
「えっ?!」
「あの?」
私は、まるきりご存じではない。リスさんも、首を傾げて私を見た。
「そうです!この人は、私の教え子で唯一、陶芸の世界にどっぷり漬かり、その世界に名をとどろかせる蒔田くんです!」
残念ながら、名前を聞いても私には陶芸の世界はさっぱりだった。
「ぼくは、30年前に、勘野先生がこの場所を発見して、粘土採取に連れてこられた生徒の一人で……あまりの懐かしさと、粘土欲しさに、ツアーに申し込んだ次第です。ええと、ここで初めて粘土採取をさせられてからというもの、すっかり粘土好きになり、とうとう陶芸家になってしまいました。あの時、勘野先生にここへ連れてこられなかったら、ぼくは今頃、何をしていたのかな……とさっきから考えてました。もっと、幸せだったかもしれないな、ね、勘野先生!」
蒔田さんは、さくらさんを見下ろすと、ゴム手袋の手でその肩を叩いた。
「何言ってるのよ。あの時作った焼き物が素晴らしいって褒めたら、とたんに鼻高々になっちゃって、今の道に進んだくせに。その素晴らしい才能を発掘した私に感謝してください!」
「あはははは!感謝してますよ、勘野先生!今日は、懐かしのいい粘土をたくさん取らせてくださいよね!」
蒔田さんは、また、手袋の手でさくらさんの肩を叩いた。
「そういえば、ね、山本さん!」
「えっ……」
山本さんと呼ばれた大人しそうな女性が、戸惑った顔を見せた。
「ね、同級生でしょ、蒔田くんと」
「え、先生、私だって分かっていたんですか?」
「もちろん、蒔田くんより」
「ひどいな!えっ、それにしても、山本さん?え、あのずーっとおかっぱだった?」
山本さんは、恥ずかしそうに小さく頷いた。
「山本さん、静かなタイプだったけど、いっつも素敵な色使いの絵だったわよね!」
山本さんは、嬉しそうに微笑んだ。
結局、さくらさんは、仕事と教え子が大好きなのだ。
さくらさんが、小さなシャベルで実演して粘土を取って見せた。
「この色のところ、ここからここまでくらいを取ってください。あんまり、奥まで掘らないようにして、表層を」
我々は、並んでシャベルを振るい、粘土採取は順調に進んだ。
蒔田さんが、さすがいつも粘土採取をしています、という腕を発揮して、要領よく断崖の壁を削っていった。不思議と、蒔田さんの採取する場所だけ、道具なしでもぽろりと粘土質の塊が剥がれ落ちた。
蒔田さんがそれを口に持って行こうとするのを、さくらさんが叱った。
「蒔田くん、だめ、口に入れない!」
「えー」
蒔田さんは、中学生に戻ったように不服そうな顔して山本さんを振り返り、山本さんは、小さな声で笑った。
さくらさんも、一緒に並んで削り方を教えてくれるので、我々は、どんどん粘土を手にしていった。
手に入れた粘土は、黒いゴミ袋に大事に入れる。
そうして、我々は、採取を終え、隠された断崖を離れた。
長靴もゴム手袋も泥だらけになったが、青空の下の川縁は気持ちよかったし、自然のものを採取する充実感がたまらなく、申し分のない時間だった。
みっちゃんが、粘土の入った黒いゴミ袋を肩に掛け、腰を伸ばして空を仰いだ姿が、奇妙なサンタクロースに見え、私は一人で笑った。
日光が、我々の背を温めていた。
「今日採取した粘土は、『いい粘土になる土』っていうのがあるんですけど、それを混ぜて寝かせまして、仕上がりましたら皆さんに配布しますので、楽しみにしていてくださいねー!
自分で採取した粘土で、自分の器を作る!陶芸界の自給自足です!
既に、皆さんたくさんの芸術作品を生み出してきた方々ばかりですが、次はどんな作品にしようか、考えて待っていてください!きっと蒔田くんの作品を凌駕する芸術が生まれると思います!私も楽しみにしていますねー!」
さくらさんは、必要ないのに、両手をメガホンにして川縁の青空へ大きな声で伝達した。空が、すっかり初夏を受け入れていた。




