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開店記念日のたまご ②

もう少しで、私もベッカライウグイスに就職して一年になります。

だんだん、分かってきたのですが、パン屋さんって、パンを作るだけではないんですね……。

夜なべ仕事が多いです。ベッカライウグイスだけでしょうか?

(独り言です)

それから、古賀さんのことが気になりますよね?

古賀さんは、30代らしいです。

検索しちゃいました。

(独り言です)

シューさんとは、もちろん、ちゃんとメールでやりとりしていますよ!

 早朝の慌ただしい仕事が一段落つき、私は一日のうちで一番好きな時間を、ベッカライウグイスのカウンターで過ごしていた。

 


 工場のオーブンからの熱が、パンの焼かれる匂いともに店内に流れ、淹れたてのコーヒーの香りと混じる。リスさんのスープがじんわりと体の中を温めていく。ガスストーブからの熱は、足下を取巻いている。


 私は満ち足りて暖かだ。

 くったりと煮詰められて形を失ったキャベツが、多く咀嚼を求めず喉へ流れていった。

 リスさんが、おかわりにと温めたパンを運んで来てくれる。焼けたチーズの匂いがした。

 「ありがとうございます」

 誰かに作ってもらえる朝食はとても贅沢で、それは、幸せを埋め合わせる重要なピースである。

 

 リスさんと私は、いつもの調子を少しずつ取り戻し、些細なことでくすくす笑う時間が増えた。

 

 

 春は、もう明確にとどまっている。

 庭先の草を揺り起こし、新しく萌え出る色を、優しい溜息のように吹きかける。

 

 私は独り言のように、隣のリスさんに言った。

 「もう、春ですね」

 リスさんは、相槌のように言う。

 「そうですね。春が来ると、うちは開店記念日で、母の時からずっと、アイスボックスクッキーを作ってお祝いしてます」

 リスさんの話に、私は、口の中のチーズパンを味わいながら頷いた。

 「ホールアーモンドと、伊予柑ピール入りのなんですけど」

 そして、ごくんとパンを飲み込んだ。

 伊予柑ピール入りの……。


 リスさんは、私の懸念を感じ取り、話を続けた。

 「大丈夫です。みずほさん、ずいぶんたくさん作ってくれたから。だから、段ボール3箱もあったのね」

 よかった。すぐになくなることはないのだ、と私は思った。

 「3年分って言ってましたね……」

 リスさんは、温かいコーヒーを湯気ごと啜った。

 「大事に使えば、5年あるかも……。もしかして、なくなる頃に帰ってくるつもりなのかもね、みずほさん」

 私は笑って応えた。

 「そうかもしれませんね」

 「今日から、アイスボックスクッキーは作って冷凍し始めますね」

 「はい」

 「それでね、来春こはるさん」

 「はい?」

 大きな窓から差し込む、春の日差しが眩しい。

 「開店記念日に、他になにか楽しいことがないかなーと思って」

 私は、窓の外の景色に目を細めながら、リスさんに視線を移した。

 「イースターがね、4月5日なんです」

 「はい……イースター……?」

 「ええ。イースター」

 私は、だんだん得意になってきたことがある。それは、こんな時にリスさんが何を考えているのか、読み取れることだ。

 「……たまご探しを、お店でするんですね?」

 リスさんは、大きく頷いた。

 「そうです!」

 リスさんは、以前とは違うのだろうが、同じくらい元気を回復したように見えた。

 


 開店記念日は、3月29日である。

 リスさんが言うには、知歌子さんが、将来リスさんの入学式にお店をお休みして参加できるよう、4月にはせず、3月にしたのだそうだ。

 とはいえ、もう3月の半ば近い。

 私たちは、みずほさんがいなくなってしまったダメージから、開店記念日に対する取り組みが大幅に遅れてしまっていた。


 とりあえず、今日は、業者さんにアーモンドホールを発注し、手持ちのアーモンドをローストした。

 業者さんからは、すぐに返信が届き、毎年のことで準備してくださっていたそうで、明日にもお店に届けてくれるとのことだった。


 あとは、たまごである。

 リスさんは、アーモンドホールと同時に、たまごも大量に発注したが、これは一日遅れるとのことで、私たちは、平常業務の他に、伊予柑ピールを細かく刻み、ローストしたアーモンドと混ぜ合わせて、アイスボックスクッキーを5本作ると冷凍庫に収めた。


 冷凍庫から腰を上げ、リスさんが言った。

 「これで大体、150枚はできるから、あと45本くらい作るといいですね」

 あと45本……。

 私は、今一度冷凍庫を開けて、クッキーになる前の、円柱の棒を確認した。

 「大丈夫、来春さん!初売りの半分くらいの量にしようかな、と思っているから。気持ち多めで。それに、切って焼くだけだから」

 気持ち多めなんですね……。

 私は、自分を鼓舞するために張り切って言った。

 「明日から、私も気合いを入れますね!」

 「よろしくお願いします!あ、コアントローも発注しておかないと!」

 リスさんは、工場を出ると店舗にあるパソコンへ向かった。


 「あ……」

 リスさんの声が聞こえ、私は見に行った。

 「どうかしましたか?」

 「古賀さんからメールが来てました」

 私は、あの日、古賀さんに駆け寄ってお礼を言っていたリスさんを思い出した。

 「いいじゃないですか」

 「また演奏会が続くので、次にお店に行けそうなのは、4月に入ってからになりそうです、って」

 古賀さんは、たまご探しに間に合うのかな、と思いつつ、私はリスさんを押した。

 「古賀さん、今度はどちらに行かれるんですか?」

 「さぁ?」

 リスさんは、見開いた目が乾燥したようで、しばたかせた。

 「リスさんが聞いてあげてください!」

 リスさんは、ちょっとだけ意にそぐわないという表情を見せたが、素直にパソコンに向かった。

 

 リスさんがメールを送ったかと思うと、すぐに返信が来た。

 古賀さん……。

 メールを開いたリスさんは、信じがたいという顔で言った。

 「……イタリアだそうです」

 可哀想に。古賀さんは、たまご探しに間に合わないようである。



 その翌日から、私たちは、伊予柑ピール入りアイスボックスクッキー作りに邁進した。

 それと同時に、私たちにはある懸念材料があることに気づき、援軍のお願いが必要だと判断した。


 リスさんは、その日、白あんパンを求めてやってきた弘子さんとさくらさんに声を掛けた。


 「さくらさん、弘子さん、実はご協力いただきたいことがあって。お願いできないでしょうか……」

 「なになに?」

 弘子さんが、コーヒー片手に椅子から乗り出してリスさんに聞いた。

 リスさんは、厳粛に告げた。

 「たまごに、絵を描くんです」

 弘子さんは、何度か瞬きをして、コーヒーカップをカウンターへ置いた。

 「うーん。それはちょっと、私には無理ね」

 こういう時はきっと協力してくれるであろうと当てにしていた弘子さんに、真っ先に断られてしまった。

 「え、忙しかったですか?」

 弘子さんは、静かに首を振った。

 「ううん、違うの。私ね、絵が壊滅的にひどいのよ。とてもじゃないけど、リスちゃんには見せられないわね」

 さくらさんが、加わる。

 「たまーにいるわよね、そういうタイプの人。英語は堪能なのにねー」

 瞬間的に海外旅行を夢見たリスさんが言った。

 「私、海外に行くなら弘子さんと行きたいなー」

 「さくらさんはお呼びじゃないってこと?」

 「そんなことありませんよ。一緒に行きましょう!もちろん、来春さんも!」

 「え、私もですか?」

 ショーケース奥のカウンターで、パッケージ用の袋を数えていた私は、思わずリスさんたちを振り返った。

 

  カランコロン

 「こんにちは」

 「いらっしゃいませ」

 みっちゃんがやってきた。


 「あれ、今日は早いんじゃない?」

 みっちゃんは、軽くなった上着を入り口のフックに掛けると、弘子さんたちへ言った。

 「どうしても、あんパンが食べたくてね。午後は売り切れの可能性が高いから」

 弘子さんとさくらさんは、笑いながらみっちゃんへもたまごの絵付けを誘ったが、すげなく断られてしまった。

 「りすちゃん、大丈夫よ。もちろん、私はお手伝いにくるから。絵付け大好きだし」

 「ありがとうございます、さくらさん!」

 さくらさんは、唇を横に広げてにっこりし、リスさんと私は素晴らしい援軍を得てほっとしたのであった。




 カランコロン

 「こんばんはー」

 「こんばんは」

 ベッカライウグイスではあまり聞かれることのない挨拶が、明かりを灯した店内に響いた。

 重たい扉から、大きな荷物を肩に掛けたさくらさんが、よいしょ、よいしょと言って入ってきた。

 今夜は、秘密のたまごに描く会の夕べである。

 

 参加者は、さくらさん、リスさん、私の三名のみ。

 この三名で、今夜中に100個の卵に絵付けをするつもりであった。

 それが無謀なことであるのかどうか、リスさんと私には皆目見当が付かない。

 

 リスさんと私は、この日のために、日夜たまごを集め続けてきた。

 そのたまごとは、たまごの形を保ったまま、中身だけ出して使うという技術を要したものだった。

 ベッカライウグイスでは、卵黄を多く、あるいは卵白のみを使うことが多い。だが、卵のお尻に、適度な大きさの穴を開け、そこから出てくる中身は、とても卵黄と卵白に分けられるものではない。中身を出すだけでたいへんなのだった。

 

 まずたまごの上下二か所に、清潔な針で穴を開ける。その力加減がこれまた難しい。

 下の方の穴を、竹串で少しずつ拡大し、なんとか中身が出せるほどの大きさにしていった。

 そこから、竹串でつついて黄身を割り、中身をかき混ぜる。上の穴から息を吹きかけるとよい、ともののアドバイスには書かれていたが、中身はお店の焼き菓子に使いたかったので、そんなことはできなかった。私たちは、根気よく、竹串でグサグサしながら、下の穴から中身をだした。

 そういう作業を、ザルとボウルの上でひたすら繰り返した。


 最初、私たちは失敗し続け、朝食にはオムレツが続いた。そのオムレツは、ザルの編み目をくぐり抜けた、細かな殻入りだった。

 

 やっと手際よくなる頃、ベッカライウグイスは、パン屋さんであるのに「パウンドケーキ祭り」を開催した。

 それはすべて、このたまごを新鮮なうちに使い切るためだった。

 しかし、すでに黄身と卵白を分離できない状態だったために、リスさんは泣く泣くベーキングパウダーとソーダを入れた。リスさんお得意のパウンドケーキは、卵白で膨らむものだったからである。


 たまごの下処理作業は、まだ続いた。次は綺麗に洗剤で洗い、さらに穴から消毒液を吹きかけた。そうして何日か乾燥させ、ようやく絵付けまでこぎ着けたのだった。

 


 銀色のバットに山盛りになったたまごを前に、さくらさんは楽しそうに、その一つを手に取った。  


 「たまごは、どんな穴が開いてるのかな~」

 さくらさんは、穴の具合を確かめた。

 「よしっ」

 穴が、さくらさんのお眼鏡にかなったようであるが、なぜ穴なのだろう。絵を描くのは殻の上になのに。リスさんと私はいぶかしげに、さくらさんを見つめた。

 「あなたたち、考えてなかったでしょ。どうやってたまごに絵を描いたらいいのか」

 私たちは、首を傾げた。

 「どうやって?」

 「そうよ。たまごはね、こうやって絵を描くのよ」

 さくらさんは、持って来た大きなバッグの中から、割り箸を出すと、穴にぶすりと差し込んだ。

 「ああ!」

 私たちは、歓声を上げた。

 そうである。たまごの全体に絵を描くには、片手に持ってできるものではない。さくらさんが見せてくれたように、浮かせて描くのが最も適当な方法だった。さくらさんは、割り箸を一度出して、言った。

 「リスちゃん、ティッシュペーパーと輪ゴム、あるかしら?」

 「あります!」

 リスさんから受け取ったものを割り箸に巻き付け、卵がぐらぐらしないようにしっかりと安定させた。素晴らしい手際である。


 私たちは、拍手した。

 「なんでこのくらいで拍手なの?」

 さくらさんは、当惑した顔をした。


 「さて、描くわよー」

 さくらさんは、持ち込んだ大きなバッグの中から、次々と道具を取り出して、カウンターに並べ始めた。

 「リスちゃん、新聞紙敷いて」

 「はいっ」

 「来春こはるさん、これにお水汲んできて」

 「はいっ」

 さくらさんの指示に従って、私たちは準備を整えていった。

 

 時計が、6時を回った。

 さくらさんは、たまごを付けた割り箸を持つと、するすると筆で描き始めた。

 

 「これは、ロシアの花模様ね」

 と、極彩色に左右対称の花を連続でつなげて描き、

 「こっちは、マリー・アントワネット風」

 と、金色のリボンで縁取られた、丸い額縁を描いて中に薔薇を覗かせ、

 「こっちは、中華風」

 三つ目は白いたまごを真っ赤な提灯にしてしまった。

 「すごい……」

 リスさんと私は、自分たちの作業を完全に忘れ、さくらさんの手元に魅入った。

 

 そして、さくらさんの素晴らしい芸術を前に、リスさんと私はすっかり萎縮してしまった。私たちは、何を描けばいい?というより、何が描けるのだろうか……。

 割り箸を手に持ってみると、実際に、立体のつるりとした玉子に絵を描くのはとても難しそうだった。


 さくらさんは、カモメのようなモザイク柄を描き終わると、今度は一体どういう技法を使っているのか、スポンジを使ってたまごに宇宙を描き始めた。

 

 「さくらさん、こんなにすごいのに、陶芸の方がよかったんですか?」

 私は、思わず疑問を口にした。

 「え?……私は、ぜんぜんすごくなんてないわよ。むしろ、才能ないからとても絵で食べていくなんて不可能で、専門の陶芸でも怪しかったから、教職課程をとったんだもの」

 そんなことを話しながら、今度は金色の背景に川を流し菖蒲を描き出す。

 さくらさんの手は、どうなっているのだろう。不思議でしかない。


 「私ね、こんなだけど、本当は画家になりたかったの。油絵が第一志望だったのよ。でもね、受験に行っただけで他の画家志望の人たちとの才能の差が分かったの。私、この分かるっていう力があって本当によかったと思ってるのよ。そこで、別の道を考えたおかげで、私は、たくさんの生徒たちと楽しく学校生活を送れたもの。才能のある人は、また別に、もっとたいへんだと思う」

 「でも、さくらさん、やっぱりすごいです」

 「ありがとう。そんなこと全然ないんだけどね。自分が作りたいものと作れるものの差をひしひしと感じるわね」

 「これでですか…………?」

 リスさんと私は、さくらさんが持って来ていた発泡スチロールに、次々と挿されていく、生まれ変わったたまごたちを、溜息交じりに見た。

  


 時計の針は、刻々と進んでいく。

 とうとう、いややっと私たちは、やらなければいけない、という使命に駆られた。

 だが、ダメだ。

 描く前から、私たちにはなぜか惨状が想像できた。

 しかし、描かねばならない。

 リスさんと私は、さくらさんの持ち込んだ筆ではなく、自分たちが用意していたペンを手に持った。

 描くしかない。さくらさんの芸術を目にしては、もう私たちに必要なのは、ただ決心することのみだった。描き出すのには、満身からの決意が必要だった。


 突如サインペンを持ったリスさんは、たまごに描き始めた。

 リスさんは、昔好きだったという、絵本のあおむしを描いた、という。

 それは萎れたレタスで作った紐に見えた。

 私は、リスさんに倣い、やはり昔好きだった、絵本の白猫を描いた。おそろしく、難しい。可愛かったはずの顔が歪んでしまい、体と足の長さが釣り合っていない。


 「あ、来春さん、それ知ってます。家に絵本がありますよ」

 それです!

 「リスさん、その絵本って、借りられますか?」

 見てかけばいいのである。リスさんも、すぐにピンときたようで、

 「色々、持ってきます!」

 と家に向かった。


 どさどさと、カウンターの横に、絵本が積み重なった。

 これです!私たちには、お手本があって曲がりなりにもなんとか描くことができるのだ。と思ったが、さくらさんが言った。


 「なぁにやってるの。それでいいのよ。自分の想像で描いたものでいいの。過去を懐かしむために、色々失敗しときなさい」

 私たちは、少し悲しくなってきた。

読んでくださり、ほんとうにありがとうございます!

もしよろしければ、感想、評価などいただけますと励みになります。

よろしくお願いいたします!


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