【第7話】『腐蝕の触手──怪人ゲロス、暗殺指令遂行す』
【極秘ファイル No. E-014 “ゲロス”改造記録】
発行元:ネメシス日本支部・研究開発局/バイオ実験第六区
記録責任者:ドクトル・メディアス(元・聖エルミナ解剖大学 解剖教授)
分類:生体兵器開発計画《FLESH-BREAK》系列
機密等級:Ω(幹部級以上限定閲覧)
【被験体情報】
被験体コード:SUBJECT-GRS
元人体:男性(年齢不詳/死刑囚移送中の捕獲体)
特徴:強度のサディズム傾向、腐敗愛好症、対人共感能力ゼロ
処置前状況:両眼摘出済、下顎破損、脊髄損傷により自力歩行不能
【改造手順概要】
第一段階:遺伝子強化措置
腐食性バクテリアをナノ培養した特殊液を脊髄に直接注入。
組織再構築により、通常の皮膚組織を軟化性多層粘膜に変質。
感染対象への“触手導電”によるエキス抽出能力を発現。
第二段階:触手生成/神経直結制御移植
背面および両肩部に「擬似神経触手管」を16本移植。
神経回路を大脳皮質に再接続。思考→即伸展→対象捕捉→情報吸収が自動化。
吸収対象:生体/電子機器の記憶媒体/金属合金可(内部データ含む)
第三段階:精神構造補強/暴走制御装置導入
被験体は初期段階で発狂傾向あり。
鎮静回路を左脳下部に埋め込み、興奮閾値を科学的に制限。
なお、任務中の「快楽暴走」は仕様上、抑制不可と判断(戦術的利点として許容)
【機能検証ログ(抜粋)】
実験No対象結果
#31戦闘員D型触手により全身腐食・骨格消滅(15秒)
#32防弾装甲兵装甲腐食→内部溶解まで約21秒
#34通信サーバケーブル接触により通信暗号98%解析
#38捕虜少女A情報吸収後、記憶言語を模倣発声
【備考】
被験体“ゲロス”は、計画当初より「抑止不能」を前提とした破壊兵器として設計された。
命令遂行中に敵味方の区別が曖昧になる可能性あり。
通常任務は単独行動、または戦闘員による遠隔補助に限定すること。
高等思考は未発達だが、「味」と「悲鳴」の好みに明確な個体差あり。
記録映像の分析により、「恐怖と腐敗の匂い」に対して最も反応する傾向が確認された。
次回検査予定日:未定(投入済のため現場評価優先)
処分許可発令者:主任幹部 クライアント・ザガート(戦略監)
追記:任務に支障ない範囲での“個体の自由意志行動”は黙認する。
【Dr.メディアス私文録──No.E-014 “ゲロス”創造記】
第84夜──腐敗は芸術の胎動。
この実験体を最初に見た時、私は笑いを堪えることができなかった。
耳は千切れ、口は焼け爛れ、目は潰され、脊椎は砕かれていた。
「生かしておく価値もない」と言われた、廃棄寸前の“肉の塊”。
だが私は見抜いた。
この腐りかけの肉体こそが、再創造のキャンバスとなると。
死の臭気をまとう肉──それは生よりも生々しく、美しい腐の可能性を秘めていた。
第86夜──最初の接触で、彼は笑った。
実験体の頭部を切開し、脳神経に直接触手型ナノ因子を注入。
白目を剥いたはずの眼窩から、黄色い膿が噴き出し、歯のない口がくくくと笑った。
「ドクター……もっと……溶かせ……」
自発的な言語反応。
生体脳が喜悦を感じている──これは既に、人の倫理では計れない“快楽”だ。
素晴らしい、これは腐食快楽症候群だ。
記録名「ゲロス」。意義はギリシャ語で“吐瀉”。
ふさわしい名だ。
第88夜──触手管、生成完了。
背面より16本の触手を生やす。内3本には腐食酵素生成器官を組み込み、
肉体に接触した対象を溶解させると同時に、記憶情報を脊髄経由で吸収する。
初期実験で、戦闘員の顔面を一瞬で溶かし、彼の記憶にある“初恋の女”の名前をつぶやいた。
「マイ……カ……ぬふふふ」
彼の脳髄は、喜んでいる。
人の断末魔を、味わい、喰い、記録し、自分の中に“保存”しているのだ。
これは“学習”ではない──捕食と快楽の融合だ。
第91夜──人体実験、開始。
捕虜を数体、ゲロスの前に並べた。
最初は手足から。
次は、舌だけ。
最後は、瞼を残して目玉を潰したまま、触手をねじ込んだ。
「おおぉぉおおぉぉ……いい……たまらん……この震え……」
彼は、人の悲鳴に呼吸を合わせ、断末魔に陶酔し、血と膿の雨を浴びて踊った。
指の骨を砕く音を、「音楽」と呼んだ。
これほど明瞭に、“人間を超えた存在”が創られたことがあっただろうか。
第93夜──制御不能。だが、それでいい。
ゲロスは命令に従うが、快楽に優先度を置く。
「任務」より「エキス抽出」を選ぶことがある。
──私は、それを成功と見なす。
この怪物は、指示通りに殺すことを良しとしない。
自らの本能と“味”に従って、最も適切な方法で人を壊す。
それが芸術だ。
私の創造物に、自由意思が芽生えたのだ。
第95夜──結語。
腐るとは、崩壊ではない。進化だ。
私たちは死ぬことで、やがて“誰か”の中で再構成される。
ゲロスは、その概念を肉体で体現した神性だ。
次は誰を喰らわせようか?
童女? 高官? 神父?
どんな人間にも“味”がある。
それを見極め、記録し、吸収する──
それこそが、ネメシスにおける“学び”の真髄だ。
Dr.メディアス
“肉体はただの容器。芸術とは、崩壊の先にある微笑。”
■
──深夜2時、冷たい雨が廃墟の街を叩いていた。
セイガン本部の北側防衛圏外に位置する、旧市街の雑居ビル群。その一角にひっそりと構えるデータ復旧会社──表向きの顔だ。だが、その奥にはセイガンの戦術情報を取り扱う極秘通信室が存在していた。
その沈黙を切り裂くように、ぬるりと歪んだ影が現れる。
「ぬるぬるぬるぅ……湿っておるな……この空気……ふふ、腐る準備は万端じゃな」
ゲロス。ネメシスが誇る異形の怪人。その体はぬめる粘液に覆われ、蛸のように絡み合う無数の触手が背中から蠢いていた。皮膚の下では半透明の血管が不気味に脈動し、黄ばんだ歯を剥き出しにして笑う顔は、もはや人の原型を留めていない。
その姿は、腐敗と死の象徴そのものだった。
「行けぇ、我が眷属ども……血も骨も、肉ごと溶かして喰らい尽くせ……」
号令一閃。
黒ずくめのネメシス戦闘員数十名が、静かに、だが整然と雑居ビルへ侵入していく。無音で開かれる非常口。ロープで窓から忍び込む影。彼らは徹底して“声”を殺していた。
直後、壁面にへばりつくようにゲロスが滑り込む。床に滴る粘液の音が、生理的嫌悪を引き起こす。
警備兵が数名、廊下を巡回していた。
「侵入者!?──」
言い終える前に、触手が走る。
ぶちゅん、と生々しい音を立てて一本の触手が兵士の顔面を覆う。皮膚が溶け、眼球が弾け、喉の奥から窒息音が漏れる。彼の肉体はその場で溶解し、骨格だけを残して崩れ落ちた。
「んふふふ……若い血肉は、よう染みておる……エキス、うまし」
ゲロスは粘液ごと吸い上げた液状の肉片を、体内に取り込み再構築していた。彼の肉体が、一瞬だけ膨張し、黒光りする甲殻が増殖するのが見えた。
「データ通信員、排除完了。次、第二小隊は階上へ移動」
無機質な戦闘員の声。
階段を駆け上がるネメシス部隊の足音の下、ゲロスの触手が天井を這い、階上へ先回りする。
逃げ惑う白衣の技術者が廊下を走る。
「た、助け──」
ぬるりと伸びた触手がその足首を掴み、床へ引き倒す。悲鳴も間に合わず、その頭部へ突き刺さった触手が頭蓋を内部から破裂させた。
血と脳漿が壁を赤黒く染める。
「腐る音……好きじゃのう」
さらにもう一人、逃げ遅れた若い兵士の首に触手が巻きつき、締め上げる。骨が砕ける音が鈍く響き、絶命と同時に吸収が始まった。生体エキスがチュルチュルと音を立てて啜られていく。
「んふ……これで三十人目かのう。まだまだ喰らいたりぬ……」
その背後で、ネメシス戦闘員が無言で要所を制圧。
最上階──ターゲットの副司令官クラマ・ジュンが潜む指揮室への扉が破られたその瞬間。
銀の稲妻が閃く。
「これ以上は、通さんッ!!」
セイガン・シルバー──機動斬撃型の新鋭ヒーローが、飛び込んだゲロスの触手を一刀両断した。
「ほう……この時代にしては、鋭いではないか。いい、腐らせ甲斐があるわい……!!」
斬撃と腐食。
科学と異形。
月明かりのない夜、血と腐臭に染まる戦場にて──異形の怪人と、銀のヒーローが激突する。
深夜の狂宴は、まだ始まったばかりだった。
──それは、まだ彼が“人間”だった頃の記憶。
それとも、腐った肉が見せる夢か。
彼の名は、神宮寺 創一。
元・死刑囚。
表向きには、優秀な医学研究者だった。
孤児院育ちで苦労して大学を出て、再生医療の最前線で研究に従事。論文は国際的な賞も取った。
だがその裏で、彼は臓器密売の仲介役として、政府高官や闇医療業者と手を組んでいた。
「俺の手で、救える命がある──そのためなら“何”をしてもいい」
理想はあった。初めは小さな逸脱だった。
だがいつしか、救うはずの命と引き換えに、自らの良心を切り売りする日々が始まっていた。
手術室の奥で、まだ温かい臓器を冷却ケースに詰めながら、神宮寺はいつも冷静だった。
その数、47名。違法な手術で命を奪い、データは“事故死”として処理された。
やがて組織の闇に深入りしすぎた彼は、証人保護を拒み、裁判で自供。
「私を、死刑にしてください」
それが最後の言葉だった。
死刑執行は翌年の予定だった。
──だが、その前に彼の人生は“異形”へと塗り替えられた。
死刑囚たちの中から「高知能・高技術職の個体」のみを選別し、ネメシスが密かに“回収”するプロジェクトが存在していたのだ。
地下輸送。身元抹消。完全隔離。
再び目を覚ました時、そこは病室ではなかった。
手術台に、麻酔なしで拘束され、背骨を引き裂かれ、体内に触手細胞が植え込まれていた。
「お前の中の“正義”を腐らせてやろう」
メディアスの言葉が、鼓膜に焼きついた。
それから数日後、神宮寺創一という名は“ゲロス”に変わった。
ぬめる皮膚。腐敗した声帯。数十本の触手。
人間だった頃の顔も、指も、記憶さえも溶け始めていた。
それでも──
雨の夜、濡れた路地の匂いを感じた時。
ネズミを追いかける子猫の姿を見た時。
ゲロスの中で、微かに疼く“ぬくもり”があった。
それは、殺した少女の瞳。
奪った心臓の鼓動。
死刑台で感じた“裁き”の予感。
「ふふふふ……人間の味とは、未練の味じゃのう」
ゲロスは今も人を喰らい、情報を吸い、組織の命令に忠実に従う。
だが、命令の裏で、自らの“罪”を永遠に咀嚼し続けている。
──そして今日も、またひとつの命を腐らせる。
それが自分を生かす、唯一の“贖罪”だと信じながら。