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【第6話】『イエロー、右腕散る──黒き正義の報復』

 夜の旧都──かつて新日本の繁華街だったその一角は、いまや焼け焦げた瓦礫と沈黙に支配された無法地帯と化していた。

 その闇を切り裂くように、漆黒のシルエットが降り立つ。


「ネメシス幹部候補──《ナイト・ファントム》、日向イツキ。……これが、今の俺だ」


 イツキの声は静かだった。だが、かつての仲間たち──セイガン・ブルーのレン、グリーンのシド、ピンクのユズ、そしてイエローのマコトには、氷のように突き刺さった。


「裏切った……本当に、お前は……!」


 レンが歯噛みしながら叫ぶ。


 イツキはその視線を正面から受け止めた。


「正義のために戦った。だが、俺たちは負けた。誰かの正義を守るには、手段が必要だった……それを俺は、ネメシスで得た」


「ふざけるなッ!!」


 レンの怒声と同時に、イエロー・マコトが前に出る。拳を固め、装甲が唸る。


「お前がいなくなってから、俺たちはどれだけの人を救ってきたと思ってるんだよッ!!」


「救ってきた“つもり”だろ」


 イツキの瞳が鋭く光る。


「だが、お前らが守ってきた“正義”の正体を、俺は知っている」


 刹那、空気が爆ぜた。


 イツキの《オブシディアン・リンク》が駆動音を上げ、黒い閃光が走る──!


 マコトのパイルナックルが火花を散らし、イツキへと突き出された。


「行けえええええええっ!!!」


「──遅い」


 低く響いた声と同時に、イツキの身体が残像を残してマコトの懐に入り込む。


 そして、右腕を掴んだ。


 ギギギギギ……という嫌な軋み音。


 ――メリッ!!


 次の瞬間、イツキの全身の駆動力が右腕に集中される。


「ぐあああああああああああっ!!!」


 悲鳴と共に、マコトの右腕が装甲ごと捥ぎ取られ、瓦礫の地面に叩きつけられた。


「マコト!!」


 ピンクのユズが駆け寄ろうとするが、レンが咄嗟にその腕を掴む。「ダメだ、まだ動くぞ……!」


 イツキは腕の血しぶきを振り払うと、崩れ落ちたマコトを一瞥した。


「命を取らなかったことに、感謝しろ」


 静かな声に、ユズの目が見開かれる。「……どうして……」


 「正義を騙るお前らに、同じ手段で裁きを下す。それが今の俺の“正義”だ」


 レンが怒りと混乱で声を荒げた。


「それが正義か!? 怪人と手を組んで……かつての仲間を傷つけて……!」


「仲間を見捨てたのは、お前たちの方だ」


 短く返すと、イツキはすっと背を向けた。


 その背中に、ユズの嗚咽混じりの声が飛ぶ。


「マコト……! お願い、生きて……っ!」


 シドがマコトを背負い、レンが最後にイツキを睨みつけたまま後退の合図を出す。


「……撤退する。今日のところは……な」


月明かりが瓦礫の上に鈍く差し込んでいた。夜風は冷たく、血の匂いと焼けた装甲の残り香があたりに立ちこめている。


「マコト、しっかりしろ!」


 ブルーのレンが叫びながら、変身解除しかけたイエローの身体を支えていた。マコトの右腕は肩口からごっそりと消え、血とオイルが混じった液体が制服を濡らしていた。


「俺は……まだ、やれる……っ」


「やれるかバカ! 今動いたらマジで死ぬぞ!」


 マコトの声はかすれ、意識が途切れそうになっている。


 ピンクのユズが震える手で応急処置用のスプレーをマコトの傷口に吹きかけながら、涙ぐんでいた。


「大丈夫……大丈夫だから、痛いの飛んでいけって……!」


「俺の……右腕、どこいった……」


「しゃべんな!! 血が止まんねぇんだよ!」


 グリーンのシドが背後を警戒しながら、荒れた声で叫ぶ。


「レン、早く決めろ! ここにいたらまた来るぞ……あのバケモノが!」


「分かってる……!」


 レンは奥歯を噛みしめたまま、周囲の状況を確認する。瓦礫の隙間から、さっきまで戦っていた黒いスーツの“ナイト・ファントム”──イツキの姿は消えていた。


 それが、逆に怖い。


 どこにいるか分からない。だから、何を仕掛けてくるか分からない。


「──撤退する。マコトを優先だ」


「了解」


 シドは即座に頷き、マコトを背負う形で体勢を整える。その後ろを守るようにユズが付き、レンは最後尾に回って敵の影を警戒した。


 あたりには静けさしかない。


 それが、また気持ち悪い。


「……あいつ、ほんとにイツキなのかよ……」


 誰にでもなく、レンがつぶやく。


 かつて、リーダーだった男。仲間を守るために先頭に立ち、誰よりも訓練を積んでいた男。自分たちが信じて疑わなかった、“正義”の象徴──その男に、今、自分たちは敗れた。


 そしてマコトは、腕を失った。


「……何が正義だ……ふざけやがって……!」


 レンの拳が震える。悔しさか、恐怖か、それとも怒りか、自分でも分からない。


 その背後で、ユズがぽつりと漏らす。


「……マコト、笑ってた。少しだけ……戦えて嬉しそうだった」


「……そうかよ」


 レンは顔を伏せると、無言のまま廃ビルの通路へと消えていった。


 彼らはもう、あの場所には戻れない。


 かつての“正義”は、瓦礫の中に崩れ落ちた。




 セイガンは崩れた瓦礫の影へと消えていった。


 彼らが去った後、イツキはぽつりとつぶやいた。


「“守る”ために戦っていた俺は、誰も守れなかった。でも──」


 黒いスーツの奥、赤い光が静かに灯る。


「今度は、すべて壊してから創り直す」


 風が吹き、イツキのマントを揺らした。


 夜の旧都に残ったのは、崩れ落ちた正義の残骸と──新たな戦いの鼓動だけだった。



 ――夜。


 旧都の空に星はない。ネメシスの前線研究拠点《黒鏡ラボ》の屋上、誰もいないその場所で、イツキはひとり静かに夜風を受けていた。


 漆黒のスーツの下で、軋むように心臓が痛んでいる。


 装甲は完璧だった。出力調整も誤差なし。

 反応速度、筋力、駆動系、戦術処理能力、いずれも“人間”を遥かに超越していた。


 あの時──マコトの拳が迫ったとき、自分は一切の迷いなく動いた。


 右腕をつかみ、関節を破壊し、ねじ切り、投げた。


 その一連の動きに、わずかな“躊躇”もなかったことが、イツキをもっとも苦しめていた。


「……俺は、ここまで落ちたのか」


 呟きは夜空に吸い込まれる。


 かつて仲間と呼んだマコトの断末魔が、耳にこびりついて離れない。ユズの泣き声、レンの怒声──どれもが、記憶に杭のように突き刺さる。


 だが、戦闘時、脳は何の反応も示さなかった。ただ、“正しい破壊”を実行した。


「……ネメシスの力、か」


 イツキは、ゆっくりと右手を持ち上げた。


 黒く冷たい義肢。だが、感触は自分のものとまったく変わらない。

 骨も筋肉も神経も、すべて“自分”であって、“自分ではない”。


「力を得た代償に……何かを、失っていくのか」


 そのとき、背後のドアが開いた。


 出てきたのは、ネメシスの医療技師であり、情報分析官でもある女性怪人ドクトリア・フィア

 彼女はスーツのまま壁によりかかるイツキに、そっと言った。


「感情に影響する電気信号が極端に鈍化してるわね。戦闘後の君は、脳が“嬉しい”とも“悲しい”とも反応してない」


「……壊れてるってことか?」


「いいえ、調整通りよ。あなたは“最適な戦闘個体”になった。ただし、“倫理”や“痛み”に対するフィードバックは旧来の脳では処理できないだけ」


 フィアは淡々と語るが、イツキの胸には重くのしかかる。


 マコトの右腕を引きちぎったあの瞬間──

 自分の中の何かが、確かに“無表情に笑っていた”気がしたのだ。


 フィアがふとイツキの肩に手を置く。


「罪悪感を覚えるうちは、まだ人間ってことよ。安心なさい、イツキ。あなたは壊れてない。ただ……変わり始めてるだけ」


「それが、安心になるのかよ……」


 皮肉めいた返しに、フィアは肩をすくめて屋上を去った。


 静寂が戻る。

 イツキは目を閉じる。かつての仲間の笑顔が、微かに浮かんでは消える。


 右手が震えた。

 それは、風のせいではなかった。


 “力を得た代わりに、仲間の腕を奪った”

 “正義の名を捨てて、恐怖に足を踏み入れた”


 ナイト・ファントム。

 今の自分が背負う名が、どれほどの重さを持つか──イツキには、まだ量りきれなかった。


 ただ、ひとつだけ確かだった。


 この力が、次に誰を傷つけるか──その覚悟だけは、すでに必要になっていた。



 医療灯の冷たい光が、白い手術室を無機質に照らしていた。


 セイガン本部・深層医療区画。一般隊員が立ち入ることのないその場所に、マコトは静かに横たわっていた。


 失った右腕の付け根には神経再生装置が取り付けられ、人工血液が流れる管が生命維持装置と接続されている。


「──いまなら、腕の再生は可能です」


 電子カルテを眺めながら言ったのは、セイガン中央医療班の主任外科医・九頭くずロウ。かつて軍用義肢開発に携わっていた男だ。


 彼は誰よりも優秀で、誰よりも“正義”に疑問を抱いていた。


 マコトは、うつろな目で天井を見ていた。


「……あいつ、迷いなく引きちぎった。ほんの一瞬で。俺の……右腕を、迷いなく……」


 彼の声は乾ききっていた。

 後悔でも怒りでもない。燃え尽きたような、空虚な響き。


 九頭はため息をついた。


「君は“生き残った”。それが重要だ。だが、君はこの先、どうしたい? 再び彼と戦いたいか? 同じ目に遭っても、また正義の旗を掲げたいのか?」


 その問いに、マコトは答えられなかった。


 かわりに九頭は、そっと一枚の設計図を差し出した。


 そこには、“再生”ではなく“進化”が描かれていた。


 三日後。特殊手術室“第零区”。


 マコトは無麻酔でその場にいた。


「神経接続を始める。苦痛閾値を超えたら言え、即座に切る」


「……切ったって、腕もうないからな……」


 乾いた冗談。九頭は笑わなかった。


 機械のアームが、彼の右肩に繋がる神経束に極細の触手を差し込んでいく。


 焼けたような激痛。視界が赤く染まる。


 けれどマコトは、ひとことも叫ばなかった。


 接続された義肢は、装甲で覆われた重機構造。

 右前腕の内側に埋め込まれた砲身は、HEI弾頭(炸裂徹甲榴弾)を射出する構造で、

 出力最大時には90式戦車砲の3割に相当する威力を持つ。


 名を、《ジャッジ・キャノン》。


 かつてのセイガンでは、人間兵器化を禁忌とする倫理憲章により、このような義肢兵装は開発中止となっていた。


 だが九頭は、それを“禁忌の棚”から引き出した。


「……これは、正義じゃない」


「そうだ。だが“復讐”にはなる」


 九頭は、静かにマコトの肩を叩いた。


 義肢装着完了から二週間後。


 マコトは射撃試験場に立っていた。

 標的は分厚いチタン装甲。


「行くぞ……!」


 義腕が駆動し、砲口が展開。

 内蔵された炸薬が点火、凄まじい閃光と共に標的が爆ぜた。


 ──轟音。熱風。粉塵。静寂。


 チタン製の標的は、真ん中に大穴を空け、二つに裂けて転がっていた。


「……俺は……これで、あいつに……」


 マコトの目には、悔しさとも怒りともつかない、

 けれど確かな“闘志”が灯っていた。


 その夜。彼はひとり、手術室のガラス窓越しに“右腕”を見つめた。


 まるで自分のものではないような、黒鉄の塊。

 それは、もはや“正義の手”ではなかった。


 だが。


「返してもらうからな……俺の誇りも、右腕も──全部、お前から」


 マコトの呟きは誰に届くでもなく、

 ただ冷たい義肢の表面に、反響した。



 セイガン本部・地下第七区画、通称“灰色室グレイ・ルーム”。


 明かりも窓もない密室に、拘束椅子に縛られたネメシスの捕虜がひとり──顔には腫れ、口にはさるぐつわかされ塞がれていた。


 彼は“人間兵器”開発の犠牲者になることを知らず、ただ朦朧とした目を漂わせていた。


 その前に立つのは、義腕を静かに下ろしたマコト。

 かつての明るく、仲間想いのイエローの面影は──そこにはなかった。


「……本当に、やるのか?」


 声をかけたのは白衣の男・九頭ロウ。医師でありながら、もっとも人体を“モノ”として扱う冷静な技術者。


 マコトは、義腕ジャッジ・キャノンの安全装置を外した。


 装填、完了。


「出力は三割。顔面への着弾を想定」


 九頭がメモに記しながら無感情に告げる。


「対象は中級戦闘員。防弾フェイスマスクを装着。外骨格なし。反応速度も並以下」


 「ただの囚人じゃないか……」と、マコトは呟いた。

 それでも引き金から手を離さなかった。


「……一発、撃つだけだ。試射、なんだから……」


 口実のように呟き、マコトは狙いを定めた。


 距離は十二メートル。撃ち下ろし。対象は身じろぎもできない。


 そして、引き金を──引いた。


 ドン──!!


 炸裂音が密室を揺るがす。


 閃光と共に、捕虜の顔面が砕け、頭部全体が後方へ傾いた。


 壁に飛び散った血と骨と──沈黙。


 その瞬間、室内の温度が凍るように落ちた。


 マコトは、ただ黙ってそれを見ていた。

 言葉も出なかった。ただ、胸の奥が痺れていた。


 ――俺が……殺した。


 確かな実感。

 それは激しい吐き気と、手足の震えを連れてきた。


 「反応時間0.3秒未満、貫通角度42度、装甲貫通力……」


 九頭は淡々と記録している。人の命など「爆風のデータ」でしかない。


 マコトは口を押さえ、数歩後ずさった。


「やっぱり……こんな、間違ってる……!」


 呻くように吐いたその声に、九頭が目を細める。


「だが、君は撃った。そして成功した。これは君の“力”だ。どう扱うかは君次第だよ、セイガン・イエロー」


 翌日、マコトは再び射撃場にいた。


 罪悪感は消えていなかった。だが、それを上回る感覚が彼の心を蝕んでいた。


 “撃てば、すべてが黙る”──

 その感覚。


 再装填、構え、発射。


 金属製の標的が吹き飛ぶ。

 撃つたびに、心の空白が少しずつ“充足”されていく。


 これは、正義じゃない。

 でも、もう一度“あいつ”に向かって立ち上がるには──

 この手に力が必要だった。


 マコトは、もう一度引き金に指をかけた。


「正義なんて、最初から……名前だけだったんだ」



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