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【第4話】 再戦の火蓋──俺の怪人に手を出すな

 夜の〈Yomi塔〉最上層、開閉式の天窓から、くすんだ満月が覗いていた。


 その下に立つのは、細身のシルエットと艶やかなスーツを纏った女──怪人ラミアである。

 深い紫のボディスーツは肩口で裂け、そこに巻かれた包帯が風にゆれる。

 彼女の右肩には先日のセイガンとの交戦で受けた光弾の痕がまだ残っていた。


「……ちょっとだけ、浅い傷よ」


 誰に聞かせるでもなく、ラミアはぽつりと呟いた。


 戦闘記録には、勝率68%。撤退成功。毒霧散布の精度は98%──

 だが、数字の裏にあるこの鈍い痛みと冷えた風だけは、報告書に載らない。


 戦闘中、誰も自分を守ってはくれなかった。

 当然だ。あれは単独任務。現場にいたのは自分だけ。


 ──でも、見ていてくれた。


 ネメシス本部の監視室、作戦統括モニター越しに。

 たった一人だけ、自分の動きと状態を逐一見つめていた存在がいた。


 幹部候補・日向イツキ。

 元・戦隊ヒーローで、今はこの秘密結社に身を置く男。


「……ずるいんだから、あの人は」


 ラミアはひとつ笑った。

 任務後、再生カプセルから出たばかりの自分に、彼は多くを語らなかった。


 ただ一言だけ。


 『無理はするな』


 それは命令でも叱責でもない。

 自分という存在を“戦力”ではなく、“誰か”として認識してくれた言葉だった。


 彼はまだ正式なネメシス幹部ではない。

 “幹部候補”という立場で、上層部にも警戒され、孤立することもある。


 だからこそ、自分だけはあの人を信じていたかった。

 どれだけ人工筋肉で体を作り替えられても、毒袋を移植されても──

 心のどこかに“あの人の視線”があると思えば、怪人である自分にも、価値が残る気がした。


 ラミアは月を見上げた。

 満月は、どこまでも白く、遠く、冷たい。


「……次は、あたしが、ちゃんと返すから」


 その呟きは、誰にも聞かれない。


 だが、月は見ていた。

 改造怪人と呼ばれる女が、いまだに“人間”のように震えていることを。


 その夜、〈Yomi塔〉には誰よりも静かな忠誠の光が宿っていた。


 

 毒に咲く──ラミアになる前の私

 ――夜。冷たい雨がアスファルトに打ちつけていた。


 灰色のコートに身を包んだひとりの若い女が、駅前の高架下で身体を丸めていた。

 名を、沙藤レイカ。二十歳を少し過ぎたばかり。どこにでもいる平凡な若者だったはずだった。


 だが今は、すべてを失っていた。

 居場所も、家族も、仕事も。

 すべてが、腐敗した社会の歯車に巻き込まれるようにして崩れていった。


「……誰も、いらないって言ってるみたいじゃん……」


 口の中が、かすかに血の味がした。

 昨日投げ出されたバイト先では、上司の指示ミスの責任をひとり押し付けられた。

 保証人になっていた父親は蒸発。

 行政窓口は機械的に「自己責任です」と言い放った。


 明日食べるものすらない。

 この国は“助けられる者”と“捨てられる者”を、明確に区別するようになっていた。


 そんなときだった。雨の向こうに、黒く光る傘のシルエットが現れた。


「君、“痛み”には強い方かね?」


 奇妙な口調。白衣を着た男。

 顔の上半分を黒いバイザーで覆い、全身から“理性のない好奇心”のようなものが漂っていた。


「は? なに……?」


「我々は、可能性を求めている。君のように、“社会に切り捨てられた者”の中にこそ、進化の扉は開かれる。興味は?」


 その言葉が、レイカの心に引っかかった。

 “切り捨てられた”――それを最初から理解している目の前の男は、気持ち悪いほど冷静だった。


「……何すんの?」


「再設計、だよ。君の神経と血管と細胞を、毒という概念に最適化する。痛みは伴うが、終われば君は“ラミア”になる」


「……」


 誰にも必要とされず、ただ無価値のまま終わるくらいなら──

 何かになれるなら、それでもいいと思ってしまった。


「……いいよ。どうせ、どこにも帰れないし」


 レイカはそう答えた。


 


 ──目が覚めたとき、天井は青白く光っていた。


 そこはネメシスの地下実験棟。

 手術台に固定された彼女の身体は、もはや“レイカ”のものではなかった。


 皮膚は黒い人工筋肉と生体素材に張り替えられ、肩には毒腺ユニットが接続されていた。

 脳にはニューロリンク・コイルが埋め込まれ、骨格は軽量高密度素材で補強されていた。


 ドクトル・メディアスは彼女の顔を覗き込み、口元を歪める。


「成功率3.8%の賭けだったが……君は美しく仕上がったよ。

 “毒と美は似ている”と昔の哲学者は言ったが、まさにその通りだ」


 その言葉に、レイカ──いや、“ラミア”は何も返さなかった。


 言葉よりも先に、もう一度世界を見つめ直すために、瞳をゆっくりと閉じた。

 そして初めて、自分が“ヒトではない”ことを理解した。


 だがその瞬間、不思議なほどの静けさが心に満ちていた。

 誰にも必要とされなかった日々に比べれば、この痛みは“価値の証明”だった。


 


 ──それから三年。

 彼女は怪人ラミアとして幾度も任務に出た。

 そして、唯一“自分”として向き合ってくれた存在が現れた。


 日向イツキ──元ヒーロー。現在、ネメシス幹部候補。


 初任務で失敗しかけた時、モニター越しに彼は言った。


 『次は、お前を信用する。……その程度の価値は、すでにある』


 あの言葉を支えに、彼女は今日も毒を撒く。


 これは復讐ではない。

 ただ、生き延びて“誰かになる”ための物語。


【ネメシス技術部:機密記録 No.074-B】

被験体コード:L-13《ラミア》

記録者:Dr.メディアス


◇改造計画名:

『ヒューマノイド毒性運用体の実験的開発(通称:ラミア・プロトタイプ)』


◇対象プロフィール:

元名:沙藤レイカ


年齢:22歳


属性:無職/生活困窮者/家族関係断絶済


社会的影響力:皆無


精神状態:極限的自己否定と微弱な自己救済欲求を併発

→ 改造適応率「3.8%」ながら、極限状態における精神依存先誘導による補正を見込む。


◇改造プロセス:

【STEP1】身体構造の再構築

筋繊維強化:生体強化素材「ネオミオシン」挿入。通常筋力比:+600%


骨格補強:炭素化チタンベースの軽量骨格に置換。跳躍力・耐衝撃性上昇。


感覚遮断一部残存:痛覚中枢は調整保持。制御失調時の“人間性喪失”を防ぐ設計。


【STEP2】毒性機能の移植

腺体ユニット:左肩・右腰部に新型「NEM-β型毒腺」を移植。


毒霧/神経毒/酸性液/選択式スプレッドが可能。


神経制御チップ:「ヴァイパー・リンク」を中枢神経に直結、毒素放出を意図制御へ。


【STEP3】戦闘脳機能補正

視覚補強:「バジリスク・アイ」搭載。赤外線・熱感知・運動予測機能付与。


戦闘アルゴリズム記憶体:「カルマコアver.4.6」にて初期インストール。


反射速度、6.7倍へ上昇。戦闘時の自律判断プログラムも同時起動。


◇術後経過:

身体的安定性:想定より早期に生体拒絶反応消失。定着率98.2%


精神面の応答:改造直後、48時間沈黙。以降、「名前を聞かれるたびに沈黙する」現象あり。

→ 通常なら精神再調整を行うが、任意の人格発露を許可。


◇備考(個人的所感):

「毒とは美である。腐敗ではなく、選別であり、淘汰だ。

人間に擬態しながら“毒そのもの”になる女──ラミアという名は美しい偶然だった。」


「この女には“中毒性”がある。科学では測れない余剰因子が、時として世界を傾ける。

私の設計など、彼女にとっては“土台”でしかない。

最も興味深いのは──“誰のために戦うか”で毒の精度が変わる、という点だ」


◇現在の位置付け:

戦闘階級:S級戦闘怪人(実力値:第S級相当、保留中)


人格安定化処置:未実施


幹部候補・日向イツキとの親和度:特異的高値(観察継続中)


この記録はネメシス本部の科学技術部内でのみ閲覧可能。

閲覧には生体認証および倫理適合値70以上が必要。


【極秘ファイル No.X-00A】

対象名:日向イツキ

コードネーム:ナイト・ファントム(幹部候補)

記録責任者:Dr.メディアス(第七塔 Yomi)


◇計画名:

『元ヒーロー戦闘適応転換計画《BLACK-REVERSE》』


◇対象プロファイル:

名前:日向イツキ


元所属:戦隊組織〈セイガンファイブ〉初代レッド・隊長


年齢:27歳


身長/体重(術前):181cm/75kg


精神状態(受理時):自己責任感過多/信頼障害/強い自己否定と理想依存


◇選定理由:

戦闘センス、リーダーシップ、集団統率力において高水準。


精神面に不安定要素を抱えるが、逆にネメシス思想との“選択的同調”を示す兆候あり。


自ら幹部候補の地位を志願。外科的強化処置を「対等な戦力となるための条件」として受け入れ。


◇改造内容詳細:

【STEP1】外骨格融合型スーツ“Obsidian-X”の接合

ネメシス最上位素材“黒曜樹装素”とカーボン神経繊維の融合体。


装着時、神経接続により「装甲=外皮」となる。肉体の拡張ではなく“第二の自我”として機能。


通常兵器無効。音波・熱量変化にも適応可。


【STEP2】身体反応速度強化

小脳連結神経に「リアクション・スパイク回路」導入。


戦闘時、思考より先に筋出力を最適化。反射速度+420%。


過剰負荷を回避するため、自己制御バッファを搭載(イツキの人格ベースで稼働)。


【STEP3】意識補正・戦闘中の集中力安定装置

“戦闘妄念”抑制フィルタ内蔵。


セイガン時代の記憶は保持されたまま、トラウマ由来の判断遅延を抑止。


また、必要に応じて「正義」という概念への感情反応を瞬時に遮断するスイッチを内蔵。


◇副作用(観察中):

戦闘中、セイガン時代の記憶に引っ張られる場面あり。


特に「仲間」という言葉への過敏反応が見られる。


相棒怪人“ラミア”との連携時、安定値が大幅に向上(精神・戦闘双方で顕著)。


◇作戦実働評価:

試験任務2件:成功


現場にてラミアの撤退支援を“遠隔”にてモニターサポート


敵戦隊セイガンとの直接接触時、冷静な対話および防衛行動を実行させる予定。

→ 感情暴走なし、必要最小限の制圧を選択。ネメシス幹部資質あり。


◇備考(Dr.メディアス私見):

「彼は“闇に染まった正義”ではない。

自らの正義を解体し、再構築するために“闇を選んだ正義”だ。

このタイプの人間は、両陣営にとって最も危険で──最も希望でもある」


「改造では足りない。彼の最大の武器は“己を貫く執念”だ。

それを制御しきれなかったら、我々が喰われるぞ」


◇現在地位:

S⁺ネメシス幹部候補


ラミア他、複数怪人の現場指揮権保有


公式な階級認定は保留中(上層部にて意見分かれる)


このファイルはネメシス“七塔評議会”の承認がなければ開示不可。

閲覧後は自動消去処理が行われます。



──セイガン中央指令区、地下40メートル。


 かつて日向イツキが率いていた戦隊“セイガンファイブ”の本部は、今や新生メンバーの拠点となっていた。


 白く冷たい蛍光灯の光が会議室を照らす中、セイガンブルー・千堂レンがモニターに視線を落とす。彼の隣で、イエローのマコトが腕を組んでいた。


「こちら、先日のラミア戦闘時、現地のドローンが記録した映像です。戦闘終了後、煙の向こうに一瞬だけ確認された黒い影──本部では敵性幹部候補として処理しています」


 無機質な声で告げたのは、セイガンの単独行動型ヒーロー“セイガンゴールド”──戦術解析と前線戦闘を兼任する異端の存在。チームに属さず、常に距離を保つ彼の言葉は重い。


 映像には、ラミアが退却した直後、瓦礫と煙の中にうっすらと黒い人影が映る。その姿は不鮮明。顔も装甲も特定には至らない。


 だが──


「……この動き」


 レンが呟いた。


「……日向、だ。あの右手のクセ、重心の移し方……間違いねえ」


「馬鹿言うなよ、レン」


 マコトが肩をすくめる。


「あいつが幹部候補? そんな都合よく現れるかっての」


「都合よく、じゃねぇ。あいつは逃げたんだ、あの日──自分だけ傷一つなくな」


 マコトの声には憎しみが滲んでいた。


「責任を押し付けて消えたくせに、今度は怪人とつるんで戻ってくるとか、正気の沙汰じゃねぇよ」


 レンの拳がテーブルを叩く。


「ヒーローだったくせに……ネメシスの犬かよ」


 その言葉に、会議室が静まり返った。


「排除すべき対象だな」


 そう言って立ち上がったのは、新たにレッドの座に就いた若き戦士──神谷イオリ。


「過去に何があろうと関係ない。裏切り者は裏切り者。今のセイガンには、あいつの居場所なんてない」


 冷徹な言葉に、誰も反論しなかった。


「作戦を立案する。次回ラミアが出現した場合、同時にこの黒い影──『幹部候補』も現れる可能性が高い。捕縛・排除対象としてマークしろ」


 ゴールドが静かに頷き、映像を切った。


 ──同時刻。ネメシス・第七研究塔“Yomi”。


 イツキは監視モニターの前で、ラミアの戦闘記録を確認していた。


 彼女の毒霧の拡散角、攻撃速度、撤退ルート──すべて計算された通りだった。


 だが、彼女が一瞬だけ肩を押さえた瞬間。


 イツキの眉が、かすかに動いた。


「……被弾、か」


 背後からスーツのジッパー音。ラミアが現れ、包帯を巻いた肩をひらひらと見せる。


「ちょっとミスっちゃった♪ でもほら、浅い傷よ?」


「……無理はするな」


「心配してる? それとも責任感じちゃった?」


「……次は俺が出る」


 ラミアが目を丸くした。


「え? ほんとに?」


「お前は狙われてる。セイガンが、動いた」


 イツキは、静かに立ち上がる。


「連中に、手は出させない」


 ──その夜。旧都廃ビル跡地。


 セイガン小隊が展開する中、黒い装甲を纏ったイツキが上空から降下する。


 かつてのレッドの面影はない。ネメシス製の強化装甲に身を包んだ彼は、まさに“敵”の姿だった。


 月明かりの中、イツキが告げる。


「──ラミアに手を出したのは、お前らか」


「その声……やっぱり、お前かよ、イツキ」


 レンが叫ぶ。


「てめぇみたいな裏切り者が、今さら何を守るだと! 怪人に惚れて、幹部になって、正義を語る資格もねぇくせに!」


 新レッド・神谷がスーツのヘルメットを装着する。


「この場で処理する。貴様は、正義の名を穢した存在だ」


 イツキは、静かに答えた。


「……お前らの“正義”とやらが、誰を救ったか……今度、じっくり聞かせてもらうさ」


「ふざけるな!」


 セイガン側が一斉に構えた。


 だがイツキは、わずかに手を広げ、鋭く言い放つ。


「ラミアは……俺が守る」


 その言葉に、セイガンの誰もが一瞬だけ動きを止めた。


 冷たい風が吹き抜ける中、火蓋が切って落とされた。


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