【第35話】『共犯者たちの選択──ルクシィア、そしてサクラへ』
ネメシス本部の深部、光の届かない解析室。
モニターの青白い光が、ルクシィア・メイルシュトロムの無表情な顔を照らしていた。彼女は薄く目を開け、細い指で端末を操作する。画面には、サクラの戦闘映像──断片的なログと視覚データが再生されていた。
「……これが、あなたの今」
低く呟きながら、彼女の瞳が揺れる。セイガン本部からの外部アクセスで辛うじてハッキングし、手に入れた情報だった。暴走と沈静の狭間で揺れる“姉”の姿。血に染まった床、叫ぶでもなく、ただ苦悶に身をよじる姿。そして、カメラの死角に浮かぶ、どこか哀しげな微笑み。
「サクラ……」
画面を見つめながら、ルクシィアは息を詰めた。
同じ“L”の系譜を持つ者。だが、それ以上に、今の自分にとっては“家族”だった。
「どうして、あなたは……そんな目をしてるの?」
彼女はひとりごとのように問いかける。だが返答は、当然ながらない。
ネファリウムとベルゼヴュートの最期の映像が、再生リストに重なる。燃える本部。立ち向かう二体の影。命令ではない。意志だった。共鳴だった。
「私も……私自身の答えを出さなきゃ、ならない」
そのとき。
扉が音もなく開いた。
「ルクシィア」
仮面を被った男──レイヴンが立っていた。冷たい視線の奥に、かすかな揺らぎ。
「上層部が、お前の行動申請に気づいた」
ルクシィアは身じろぎもせず、問い返す。
「……止めに来たの?」
しかし、レイヴンは静かに首を振った。
「いや。俺は止めない。止める資格も、ない」
意外な言葉に、ルクシィアのまぶたが微かに震える。
「なぜ……?」
「俺たちは全員、共犯者だからだ。イツキも、ラミアも、お前も、俺も……」
レイヴンはポケットから一枚の小型ディスクを差し出した。そこには、セイガン領域の外周部、警備の盲点となるルート情報が詳細に記されている。
「これを使えば、本部には届かなくても……サクラに近づく手段はある」
「あなたは……それでもいいの?」
「いいさ。少なくとも、俺の中の“人間”が、それを見過ごせなかった」
ルクシィアはしばし黙し、やがて一歩踏み出した。
「ありがとう、レイヴン。あなたは変わらないと思っていたけど……少しだけ、意外だった」
「そうか」
彼の声は変わらなかったが、その仮面の奥には確かに何かが揺れていた。
解析室を出たルクシィアの背には、もう迷いはなかった。
一方その頃、ネメシス医療区画。
ラミアは仮想修復中の思考領域に沈み込んでいた。白い空間、静寂だけが支配する領域に、ネファリウムとベルゼヴュートの最期の戦闘ログが再生されていた。
「この角度……斬撃は意図的な誘導。あれは、守ろうとしていた……」
ラミアの声は震えていた。自分の中の“理解”が、感情に近づいていく。
「あなたたちの死は、無意味じゃない。でも……」
ふっと、虚空に問いかける。
「私は、まだ“人間”にはなれない。だから……私は、目撃者でいる」
やがて彼女は静かに目を開いた。
「もし、次に否定される者が現れたなら──その前に立つのは、私だ」
ネメシスの底で、また一つ、意志が芽吹いた。
ネメシス本部、医療解析区画の暗室。仮想思考領域に接続されたラミアは、静かに目を閉じていた。
データの海。無数のログが流れる中、彼女が検索していたのは、ネファリウムとベルゼヴュートの最後の出撃記録だった。
「対象:L-Disaster壱号および弐号。最終行動ログ、出力……開始」
彼女の視界に、仮想映像が再生される。<ログ映像>というタグが浮かび、白黒の戦闘記録が流れ始めた。
高熱に焼け焦げた本部通路、金属が歪み、蒸気が噴き出す瓦礫の山。その中を、ネファリウムとベルゼヴュートが進んでいた。
ネファリウムが斬り払い、ベルゼヴュートが上空から腐食液を撒き、敵を排除していく。
だが──
「……おかしい」
ラミアの眉がわずかに動く。敵影が存在しない。セイガン兵でも、内部反逆者でもない。攻撃対象が“空白”だった。
「このログ……敵の存在が、消えている?」
映像は続く。だが、2体が“何か”と対峙し、同時に動きを止めた瞬間、映像が一気にノイズに包まれ、白いフラッシュとともに記録は中断された。
その場に響く、彼女の息づかい。
「撃破ログがない……誰が、彼らを……?」
ラミアは即座に別のルートに切り替えた。ネメシス戦術AI“クローノス”のバックアップログ、そして補佐官ヴェリアの記録層へのアクセス。
「許可コード:L-Lamia-0771。アクセス申請──承認待機」
画面に表示されたのは、赤い警告。
《このログは、ゼクス直属機密。閲覧権限外》
「……そういうことか」
ふと、背後に気配を感じた。
「侵入ログは検出済みだ。やはり来たか、ラミア」
振り返ると、ゼクスがいた。
いつものように冷静な態度。だが、その眼差しはどこか、曇っていた。
「教えてほしい。あの三分間、何があった?」
ラミアの声は静かだった。しかし、その瞳には微かな焦燥が滲む。
ゼクスはしばし沈黙し、やがて口を開く。
「……あの方が現れた」
部屋の空気が凍りついたように感じられた。
「……総帥が?」
「三年ぶりの帰還だった。クローノスも、ヴェリアも、その瞬間以降は全記録を自動遮断した。おそらく、それは“命令”だったのだろう」
「なぜ、それを誰にも……」
ラミアの声がわずかに震える。
ゼクスは目を伏せた。彼にしては珍しい仕草だった。
「私自身……思考停止していたのかもしれない。あの方の力を前にして、我々はただ、ひれ伏すことしかできなかった」
ラミアの記憶に蘇る、ネファリウムの静かな横顔。ベルゼヴュートの愚直な咆哮。
「彼らは、そんな存在と……」
ゼクスは頷いた。
「彼らは、命令なく、意志で“その存在”に刃を向けた。だが──敵わなかった」
しばしの沈黙。ラミアはただ、拳を握りしめた。
「ログはすべて、封印されるのね」
「そうだ。記録は残さない。それが“総帥の意志”だ」
だが、ラミアは静かに言った。
「……私は、忘れない」
彼女の心の中で、焼け焦げた戦場に立つふたりの背中が、再び浮かび上がった。
「彼らは、兵器じゃない。“名前”を持つ仲間だった」
ゼクスはその言葉に、何も返さなかった。ただ、黙ってその場を去っていった。
ラミアは、白いノイズの残るログを閉じた。
失われた三分。
そこにあったものは、命令でもデータでもない。
ただひとつ、確かな“意志”だった。
ネメシス本部、最深部。無音のエレベーターが、地下七層の制御中枢へと降りていく。
乗っているのは二人。ラミアとゼクス。
ラミアは虚空を見つめたまま、ふと口を開いた。
「……総帥は、どこにいるの?」
その問いは、まるで室内の温度を数度下げたような沈黙を生んだ。ゼクスは腕を組んだまま答えない。だが、ラミアは構わず続けた。
「私が知りたいのは、怪人たちを殺した“力”の正体じゃない。なぜ、あの瞬間まで何も知らされなかったのか。それを知っているのは──あなたしかいない」
ゼクスはわずかに目を伏せ、そして答えた。
「総帥は“存在しない”場所にいる」
「……存在しない?」
「正確には、“次元をまたぐ監視領域”におられる。いかなる通信も遮断され、物理的接触も不可能。だが──あの方は常にセイガンと我々ネメシスを監視されている」
ラミアの眉が動く。
「なぜ、セイガンも?」
「我々とセイガンは同根だ。総帥にとっては、どちらも“制御すべき因子”にすぎない」
ラミアは静かに息を吸い、吐いた。エレベーターの機械音が遠く響く。
「あなたの進めていたネメシスの改革……それも、総帥の意志だったの?」
ゼクスは首を横に振った。
「否。あの方は私の改革に明確な“好意”は示されなかった。私の理想──自律と統制の均衡──を“危険な幻想”とまで言われたことがある」
「なのに、続けていた?」
「総帥の沈黙は、時に許容を意味する。……私は、そう信じたかっただけかもしれん」
ラミアはゼクスを見つめる。その視線には、どこか人間的な光が宿っていた。
「じゃあ、あのときの粛清は、“沈黙の否定”……だったのかもしれないね」
ゼクスは返事をしなかった。ただ、エレベーターの扉が開く直前、ぽつりと呟いた。
「あるいは──再起動の号砲だったのかもな」
ネメシス本部の静寂な塔の一室、深夜。冷たい灯が揺れる中、ゼクスとラミアは向かい合っていた。テーブルの上には簡易的な投影装置が置かれ、そこに浮かぶのはセイガン本部周辺の断片的なモニタ記録と、怪人たちの活動ログだった。
「ゼクス。……ひとつ、聞いていいかしら?」
ラミアが珍しく言い淀みながら口を開いた。
「総帥……あの人はいったい、何者なの?」
ゼクスは一瞬だけ目を細めた。その視線は虚空を射抜くようで、数秒の沈黙ののち、静かに言葉を選んだ。
「我々の理解にある“存在”ではない。肉体的な生命というより……概念に近いものだと、私は考えている」
「概念?」
「時間を数秒、あるいはそれ以上止める力。そして、相手の能力そのものを吸収し、模倣する力……それらを自在に使いこなす。だが、それだけではない」
ゼクスは指先で空間をなぞり、光の粒子が微かに震えた。
「彼は、セイガンの中枢を直接監視している。直接目を光らせる必要はない。まるで……神が祭壇の上から世界を俯瞰するように」
「そんな存在が、どうしてネメシスに……?」
ラミアの声には微かな疑念と畏れが混じっていた。
ゼクスは一呼吸おいてから答えた。
「ネメシスは、もともと“正義を監視するための組織”として創設された。かつて世界の均衡が揺らぎ、セイガンの力が暴走しかけた時……彼はその抑止力として現れた」
「……正義を、監視する?」
「そう。正義は時に独善に変わる。セイガンは正しさを振りかざし、時に罪なき者を踏みにじる。だからこそ、総帥は“もうひとつの目”としてネメシスを作った。だが……」
「だが?」
「今のネメシスもまた、腐食を始めていた。だから私は改革を進めた。だが彼は……あまり快く思っていなかったようだ」
ラミアの目が鋭くなる。
「あなたの改革は、怪人たちに“意志”を持たせることだった。総帥にとって、それは……」
「制御不能の芽に映ったのかもしれないな」
ゼクスはゆっくりと立ち上がり、窓の外、夜空の果てを見つめた。
「彼がどこにいるのかは、正確にはわからない。だが、おそらくは“こちら”ではない。別の次元、あるいは……時の狭間に近い場所に存在している。必要な時にだけ、この世界へ降臨する」
ラミアは小さく息を呑んだ。
「じゃあ、あのときも──」
「我々が怪人を制御できなくなり、“兵器”が人に近づいたとき。彼は、それを“否定”しに来たのだろう」
室内に沈黙が落ちる。投影装置が静かに明滅する中、ラミアはゆっくりと問うた。
「ゼクス。あなたは……それでも改革を続けるつもり?」
ゼクスは、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
「私は“人形”ではない。総帥が否定しようと、私には私の方法がある。意志を持った怪人たちが命を賭けて見せた、もうひとつの可能性。それを、私は捨てることはできない」
ラミアはその言葉に、静かにうなずいた。
その夜、ふたりは総帥の“存在”と“創設の理由”を初めて言葉にした。
その会話は、ネメシスという組織の“原点”を掘り起こす、静かで重い始まりだった。




