【第3話】 怪人ラミア、出撃す──セイガンとの初交戦
ドクトル・メディアスの手術室──“正義の残骸”を解体する夜
金属の扉が自動で閉まり、ロック音が鳴り響いた。
室内の照明が青白く灯り、空間が静寂に包まれる。
ここは、ネメシス第七研究塔“Yomi”の深部──再構築室・第零区画。
そこに横たわっているのは、一人の男だった。
日向イツキ。かつて“セイガンレッド”と呼ばれた正義の象徴。
彼の身体には無数の配線とバイオチューブが接続され、胸から腹部にかけては開かれていた。
肉ではない。むしろ、改造技術によって“生体構造を仮固定”された半透明の肉体だ。
その中で、光るコアユニットが静かに鼓動を打っている。
「ふん……まったく。神経経路が美しすぎて、むしろ弄るのが惜しい」
白衣をまとった男が、テーブルの上で器具を回しながらつぶやいた。
この場所の主、ドクトル・メディアス。
眉間に深い皺を寄せた初老の男だが、眼光には狂気ではなく“信念”のようなものが宿っている。
彼の指先は、機械のように正確に動いていた。左右の手で別々の作業をしながら、脳内で100以上の神経再接続手順を同時処理している。
「彼の筋繊維は、まるで手本のようだな……。鍛え抜かれた肉体、数千時間の訓練。これを“正義の残骸”と呼ぶには、あまりにも美しすぎる」
「……また“語り”が始まりましたね、ドクター」
壁際のシャドウパネルに寄りかかっていたのは、フェノメナ=タイプC。
女性型の非戦闘怪人であり、メディアスの専属助手だ。
紫銀の義眼が、モニター越しにイツキの肉体を観察していた。
「彼の身体に、そんな価値を見出すとは思いませんでした。敵のヒーローだった男ですよ?」
「敵? ヒーロー? そんな分類、私にとってはナンセンスだ」
メディアスは笑った。柔らかく、それでいて怖い笑みだった。
「私が見るのは“骨格と神経”の完成度、鍛錬と信念の痕跡……そして、“壊れ方”だ。これは芸術だよ、フェノメナくん。正義を信じて砕けた男の、美しい残骸だ」
彼はイツキの胸にインジェクタを刺した。内部に流し込まれるのは、自己再生補助ナノ繊維《ゼクローム・β》。
これにより、肉体は従来の200%の復元速度と硬度を獲得する。
「ふむ。神経反応は良好。拒絶反応も最小限。なるほど……これは“幹部用フレーム”にも適合する」
「では、このまま昇格プロセスへ?」
「ああ。だが、“兵器”にはしない。こいつは“語る力”を持っている。仲間に裏切られ、“正義”に棄てられたという痛み。──そういう者こそ、“証人”として価値がある」
フェノメナが小さく目を細める。
「……同情、ですか?」
「まさか」
メディアスは手術用マニピュレータを操作し、イツキの脳幹部へ“メンタル・シェル”を装着した。
「私の興味は常に“完成品”にある。こいつが“壊された”ことは既に魅力的だ。
だが──ここから、どう“再構築されていくか”。その未来こそが芸術だ」
改造プロセスの最終段階、EX-COREユニットが胸腔内に収められる。
赤黒く発光する多層式動力炉。これが稼働すれば、イツキの肉体は“限界”という概念を超える。
「さて……起きろ、“元ヒーロー”。お前の新しい物語が、今、始まるんだ」
次の瞬間、ユニットが脈動を開始する。
ドン……ドン……ドン……
血ではなく、力が流れる音だった。
数時間後、再構築室の扉が開かれた。
金属の床を、ゆっくりと足音が歩いていく。
かつての赤いスーツではない。
ネメシス製の漆黒のスーツ。強化骨格と生体フィールドを備えた、最新型の幹部用戦闘外装。
日向イツキは立ち上がった。
その眼差しに迷いはなかった。ただ、静かな決意と、どこかに残る痛みの影。
「……この身体、悪くないな」
「でしょ?」
後ろから、ラミア=カーニヴァルが笑いながら現れる。
ドクトル・メディアスは奥で腕を組んでいた。
「これが……私の創った“証人”。そして、お前たちの“始まり”だ」
彼の言葉は、誰に向けられたのかはわからない。
だが、それは確かに世界の歯車をひとつ、狂わせた音だった。
■
毒は恋を知らない──ラミア、初任務の夜にて
鏡の中の自分が、笑っていた。
艶やかな唇。深く切れ込んだスーツの胸元。蛇のようにしなやかな肢体。
どこから見ても“完璧な怪人”だった。誰を魅了し、誰を殺せと言われても、それに応えられる設計。
それが、ラミア=カーニヴァル。
──そのはずだった。
「……何を見てるの、私」
呟く声が、ほんの少し揺れていた。
ここは出撃前の準備室。高機密の地下にある専用ユニットルームで、空気は温度も湿度も管理されている。だが、室内の鏡に映るラミアは、どこか落ち着かない表情をしていた。
薄く唇を噛み、立ち上がる。
仕込まれた毒腺に圧をかけ、フェロモンの生成を開始。瞳孔の調整、神経共鳴波の周波数設定。
彼女は機械ではない。だが、その“魅惑のシステム”は限りなく精密だった。
「完璧にやらなきゃ。だって、彼が見てるんだもの」
モニター越しに、自分の戦闘を見つめるイツキの姿が思い浮かぶ。
幹部候補として改造を終えたばかりの“元ヒーロー”。
言葉は少なく、目だけがすべてを語るような男だった。
初めて会ったときの彼は、瓦礫の中で血まみれだった。
それでも、ラミアは彼の眼差しに“生きている”と感じた。
──その目に、今夜の自分がどう映るのか。
それが、こんなにも気になる理由がわからなかった。
任務は成功だった。
セイガンの新戦士・ゴールドとの交戦。
短時間ながら、毒と快楽波による撹乱に成功し、情報を抜き取るだけの目的は十分果たした。
撤収後の報告ルームで、ラミアは淡々と戦況を報告した。
ドクトル・メディアスは特に口を挟まず、記録装置だけが機械音を刻んでいた。
だが、心は妙に静かではなかった。
(……もっと、戦いたかった? 違う。見せたかったんだ、きっと)
戦場で、動いているときは感じなかった。
だが、戦いを終えてから、イツキの表情が気になって仕方がなかった。
見てくれていたか。
自分の力を、振る舞いを──“戦う意味”を。
「……変ね。怪人のくせに」
ラミアはひとりごちた。
そう、自分は怪人。
人間でもなく、もう愛される側でもない存在。
けれど、彼の前では時折、自分が“ただの女”であるような錯覚に陥る。
控室に戻り、装備を解いたラミアは、静かにタブレットを開いた。
アクセス先は、ネメシスの内務記録──イツキの監視モニターフィード。
本来、怪人ごときが覗くことは許されない。
でもラミアには、フェロモンでログイン認証をすり抜ける技術があった。
「……」
画面に映るのは、彼の横顔。
無言で戦闘映像を再生し、再生を止め、何かを考えている。
そして、モニターに触れるようにして呟いた。
「……一人で、よくやったな」
その声は、記録装置にも残らない、ただの独り言だった。
でも、ラミアには聞こえた。
名を呼ばれたわけじゃない。褒められたわけでもない。
けれど、その言葉は確かに、彼女の“核”に届いた。
毒でも快感でも分類できない何かが、胸に生まれた。
それは、かつて彼女が人間だった頃に味わった、懐かしくて、どうしようもなく甘い感覚。
「……バカね、私」
ラミアは微笑んだ。
誰も見ていない部屋で、静かに、そして寂しそうに。
その夜、記録ファイルの片隅に、分類不能の項目がひとつ追加された。
感情分類不能:コード名称【L-V】(ラミア・ヴァリエーション)
状況:任務完了後、再生映像を自主閲覧し、対象幹部の反応を保存
備考:自己発生的情動の可能性/感情移入傾向観測中
ネメシスはまだ知らない。
毒を以て敵を侵す怪人が、
いずれ“恋”という名の毒に、自らを溶かしていくことを。
夜の空が、赤黒く染まっていた。
そこは、かつて“再建特区”と呼ばれていた旧市街地。だが今やその名残すらなく、建設中の高層ビルは骨組みのまま風に晒され、舗装途中の道路には雑草が割れ目から生えている。
静寂と荒廃の入り混じった都市の廃墟。
その中心部、誰も使わなくなった公会堂の屋上に、ひとつの影が舞い降りた。
「……あら、ほんとに誰もいないのね」
しなやかな腰つきで立ち上がったのは、黒と紫の艶やかなボディスーツに包まれた女。
ラミア=カーニヴァル。
ネメシスの幹部怪人にして、今回の作戦指揮者。
今日の任務は、廃都市の南端に設置されたセイガンファイブの偵察拠点を“丸ごと奪取”すること。
拠点自体は小規模。だがここには、セイガン側の新メンバーが常駐しているという噂があった。
ラミアはそれを「試運転の相手」として選んだ。
何より──今の彼女は、少し機嫌が良かった。
(だって、“あの人”が見てるんだもの)
遠く離れた塔のモニター室に、イツキがいる。
改造手術を終え、幹部として目覚めたばかりの彼が、初めて見る“自分の怪人”の出撃。期待も疑念も抱かれているだろう。
それを全部、ひっくり返してやるのだ。
「じゃ、派手にやりましょっか♪」
ラミアが軽く指を弾くと、スーツの一部が展開し、蛇腹状の鞭型武装が背中から伸びた。
同時に、その鞭の先端から細かい神経毒素が霧のように拡散されていく。
廃墟の町に甘ったるい香りが満ち始めた。
――その数分後。
偵察拠点の入り口にいたセイガンの警備兵が異変に気づいた。
「ん……な、なんだこの匂い……?」
「うっ……クラクラする……!」
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪み、二人の兵士は膝をついて倒れた。
錯乱誘導・快楽神経過敏・自律神経麻痺。三重の毒素が、彼らの思考と肉体を麻痺させていく。
その背後から、踊るような足取りでラミアが歩いてきた。
「んふふふ……ごめんなさいね、痛くないでしょ? だって、私の毒は“快感のかたち”なんだから」
その声に、拠点内のセンサーが反応した。
アラートが鳴り響く。
――そして、姿を現したのは、銀のスーツを着た新たな戦士だった。
「侵入者確認──コードネーム:セイガンゴールド、出撃する!」
金属の翼を備えたスタイリッシュなフォルム。
セイガンの新メンバー。かつてのイツキとは異なる、軍主導で設計された“完璧なヒーロー”。
ラミアの笑みが、さらに深まる。
「へえ、今日の相手はあなただったの。ようこそ、私の“お披露目会”へ」
「貴様……怪人か。投降しろ。ネメシスの構成員は即時排除対象とする」
「排除……? ふふ、即物的でつまらない男ね」
そして始まる、初の激突。
ゴールドは光学投射型のビームウィングを展開し、上空から超音速の突進を仕掛けてきた。
対するラミアは、その鞭を蛇のようにくねらせ、空間に毒の軌跡を描く。
刹那、衝突──!
「ッ……!」
ラミアの鞭が空を裂き、ゴールドのビーム翼が交差する。
互いに一撃で仕留めきれず、空中と地上を駆ける高速戦。
「どうしたの? もう終わり?」
「貴様の毒は効かない。俺のスーツは神経遮断処理済みだ」
「そっか。……じゃあ、直接“心”を揺らすしかないわね」
そう言った次の瞬間。
ラミアの瞳が、淡く輝いた。
《共鳴波動──フェロモニック・ヴォイス》
それは、言葉でない音波。“快感”と“記憶”を融合させる精神干渉攻撃。
ゴールドの動きが、一瞬止まる。
「ッ……ッなに……だ……これは……!」
「思い出した? どこかの病院の待合室。泣いてた女の子の手を握ってた小さな君。──やさしい子だったのね」
「……貴様……俺の……記憶を……!」
「ふふ、私の毒は、脳にも届くのよ。……もう少し遊びたかったけど──」
鞭がうなりを上げて迫る、その時だった。
――ズドン!!
地面が爆発し、煙が立ちこめた。
セイガン側の残存隊員が、狙撃を開始したのだ。
ラミアは舌打ちし、宙に跳ねる。
「ふふ、今日はここまで。ヒーローくん、次はもっと本気出してね」
そう言い残し、毒霧を撒きながら夜の空へと姿を消した。
その様子を、遠隔モニターで見つめるイツキ。
椅子に深く腰かけ、目を細めながら呟いた。
「……一人で、よくやったな」
彼の指先が、ラミアの名が表示されたモニターに軽く触れる。
かつては自分が戦っていた“正義の象徴たち”と、
今や“敵”としてぶつかり合っている仲間である“怪人”。
その光景は、痛々しくもあり、どこか誇らしくもあった。