【第22話】『暴徒の烙印──裏切り者は誰だ』
──セイガン本部・地下待機エリア。
ここはかつて、正義の戦士たちが出撃前に士気を高め、希望の光を背負って戦地へ向かった“出発の場”だった。
だが今、その空間は冷たい蛍光灯の光に照らされ、モニターから流れる静音映像と、換気ダクトの機械音だけが鳴っていた。
ヒーローたちの名を冠する出撃リスト。
それはもはや、希望の名簿ではなかった。
「……また、旧型怪人の残党か」
スーツの胸部パーツを装着しながら、レンが重く呟く。
かつて“セイガンブルー”として勇名を馳せたその姿は、今や幾度もの改造手術によって原型を留めていなかった。
隣で静かにベルトを締めるサクラが、微かに顔をしかめる。
「先週、あらかた掃討したはずなのに……おかしくない?」
「……おかしいさ。でも、それが“正義の仕組み”ってやつだ」
レンは皮肉げに笑った。
その声は乾いていて、かつての爽やかなヒーローの面影はない。
「最近のプロパガンダ映像、見たか?」
サクラは黙って頷く。
セイガンが提供する公式チャンネルでは、連日“新ヒーローの活躍”という美名のもと、レンとサクラによる怪人討伐の映像が切り抜かれ、拡散されている。
だがそこに映る“敵”は、いつも奇妙な共通点を持っていた。
かつてネメシスで番号を与えられ、廃棄処分とされたはずの旧型怪人たち。
なぜ彼らが次から次へと湧いてくるのか、答えは一つしかなかった。
「セイガンも、ネメシスの情報を利用してる。暴徒の情報は“意図的に漏洩された”……つまり、処分計画ごと仕組まれた“見世物”だ」
レンの拳が、無意識に震える。
セイガンは今や、“正義のテレビショー”を演出する会社と化していた。
ヒーローたちはその生贄であり、映像商品であり、視聴率と信頼のための盾だった。
「この任務だって、“新ヒーロー・ピンク&ブルー”のお披露目第二弾ってわけか……」
レンの苦笑に、サクラもまた目を伏せる。
今、自分たちが何を演じさせられているのか。
“人類の希望”ではなく、“管理された正義のアイコン”に過ぎないことを、サクラは誰よりも知っていた。
「……でも、今は演じるしかない。少しでも、自分たちの意思を保つために」
レンがゆっくりと頷く。
「演じてやろうじゃねえか。セイガンにも、ネメシスにもな。どっちの正義が偽物か──俺たちの存在で、暴いてやる」
重い鉄扉が開き、任務ブリーフィングが通知される。
作戦名:残火
対象:旧型怪人群・湾岸第六区造船所跡地にて暴動の兆候
レンとサクラは無言で立ち上がった。
もはや彼らは、人間でもヒーローでもない。
だが、それでも──誰かを守りたいという“人間の心”だけは、まだ内側でくすぶっていた。
歪んだ正義の火が照らす夜に、
彼らは静かに、その“残火”を踏みにじる覚悟を決めた。
──ネメシス・湾岸第六区造船所跡地。
薄曇りの空の下、無数の錆びついた鉄骨が風に鳴る。かつては工業の拠点として稼働していたが、今では怪人たちの墓場のような荒野となっていた。
その中心で、旧式の怪人たちが集結していた。
「仲間が処分されたんだぞォッ! 俺たちだって戦ってきたのに、ただの“廃棄物”扱いかよッ!」
叫ぶのは牙を持つ巨体怪人バロッツ。彼の声に、周囲の怪人たちが怒声と咆哮を上げた。
「捨てられるくらいなら、暴れて死ぬ方がマシだッ!」
赤い目を爛々と光らせた怪人たちが、まるで人間のように怒りと恐怖を叫ぶ。その場の空気は、まさに爆発寸前の火薬庫だった。
だが、この暴動は偶発的ではなかった。ネメシス再編計画──“プロジェクトR”によって、意図的に旧式怪人たちの不安と憎悪が煽られていたのだ。
──セイガン本部・作戦会議室。
「……暴動の情報、ネメシス側が意図的に流した可能性が高い」
会議室に流れる映像に目を凝らしながら、レンは声を落とした。
「これ、まさか“お披露目”の舞台じゃ……」
「正解だよ」
広報担当の男が得意げに言う。
「レンとサクラの“復活”を広く見せつけるには、ちょうどいい状況だ。ドローン映像はリアルタイムで放送される。君たちはヒーローとしての“演出”を頼む」
「……まるで芝居だな」
レンが呟くと、隣のサクラがわずかにうつむく。アイマスクをつける指先が震えていた。
「それでも、やるしかない。今の私たちは……そういう存在だから」
「…………ああ」
二人は無言で立ち上がった。
──暴動現場・湾岸地帯。
無人ドローンが上空を旋回し、赤外線カメラが怪人たちを捉える。その中心に現れたのは、青い装甲に身を包んだレンと、白衣をたなびかせるサクラだった。
「セイガンブルー、レン。これより鎮圧任務に入る!」
レンの声に反応し、怪人たちは一斉に雄叫びを上げて突進してきた。
レンは脚部ブースターで加速し、鉄骨をすり抜けるように突撃。拳一つで怪人の頭蓋を粉砕し、腕を振るえば骨と内臓が吹き飛ぶ。
「うおおおおおおおッ!!」
その戦いぶりは、かつてのヒーローとは異質なものだった。力任せの、暴力の塊。
一方のサクラは無言だった。鋭い手刀で喉元を裂き、心臓を掴み取る。その唇には微かな血の色が滲む。
「──すまない」
そう囁いて、彼女は目の前の怪人の首筋に歯を立てた。
ドローン映像には、凛としたヒーローの姿が映されている。
だが現実は、血と肉片と悲鳴が飛び交う惨劇。
「お、お願いだ……もう戦いたくない……俺たちは、生きたかっただけなんだ……」
膝をついた一体の怪人が、サクラに懇願するように手を伸ばす。
サクラの赤い瞳が揺れた。
「……そう、だよね」
一瞬、ドローンカメラのレンズがその表情を捉えた。
サクラは静かに、その手を取り、そして……沈黙させた。
──任務終了後。
セイガン広報室では、満足げな笑みが交わされていた。
「映像は完璧。これで“新ヒーロー”のイメージは固まった」
「……これが正義、か」
レンは控え室の鏡に映る自分の顔を睨んだ。無表情な仮面と化したそれは、もはや“人間”のものではなかった。
サクラは黙って着替えをし、血に濡れた手袋をそっとゴミ箱に捨てた。
「でも……まだ、守りたい人がいるから」
レンの背中にそう告げて、彼女は立ち去った。
たとえ、自分がどんな怪物になったとしても──
■
──湾岸第六区造船所跡地・任務後の帰路。
夜の海風が錆びた鉄骨を鳴らす。月明かりは重たく、コンクリートの影に沈んだ血の跡を、誰にも気づかれぬよう隠していた。
二人は並んで歩いていた。
話さず、振り向かず。ただ、同じ歩幅で。
「……なあ、サクラ」
先に口を開いたのはレンだった。声は小さく、風に紛れるほどに弱い。
「うん」
サクラは答える。視線は夜の波間へ向けられたままだ。
「さっき、迷ってただろ。最後の一体……泣いてた怪人に、とどめ刺すの」
沈黙。
数歩分、風の音だけが会話を繋ぐ。
「……見てたんだ」
サクラはぽつりと呟き、顔を伏せた。
影が長く伸び、二人の間に微かな断絶を落とす。
「ごめん。私……一瞬、本当に迷った。あの声、あの表情、……私たちと、そんなに違わないって思った」
「違わないよ。……でも、だからこそ止めなきゃいけなかった」
レンの言葉には、憤りと痛みが滲んでいた。
「そうだね……。でもさ、私は、あの瞬間……自分が“本当に怪人になったんだ”って、気づいちゃった」
サクラの目に、乾いた光が差す。
それは涙ではなく、諦めの光だ。
「私たち、もう“ヒーロー”じゃないんだね」
「それでも、俺は……お前を守りたいと思ってる」
レンは立ち止まる。サクラも、立ち止まる。
「昔と……何か、違う?」
サクラの声はかすれていた。
だが、耳を澄ませば確かに届いた。
レンは目をそらす。その顔には、かつて見せた強さではなく、ただの一人の“男”の葛藤があった。
「……違うさ。お前は今、俺より強いし、冷静で……たぶん、俺よりも人間らしい」
「そんなことない。私も……自分が怖いよ。
でも……レンが隣にいてくれると、少しだけ安心できる。
変わってしまったけど……それでも一緒にいられるなら、それでいいって思う」
風が、二人の髪を揺らす。
その距離は、かつてよりも近いようで、遠くもあった。
レンはほんの少しだけサクラの方へ体を向けた。
「また、任務が入るだろう。……その時も、隣で戦ってくれるか?」
サクラはゆっくりと頷いた。
それは“恋”とは違う、“絆”とも違う。
ただ、どこかに生まれかけている、確かな“何か”の始まりだった。
──彼らは、壊れた正義の世界で、
微かな温もりを確かめ合うように、夜の湾岸を歩き出した。
■
──セイガン本部 地下保守区画、立ち入り制限ランク:オメガ。
照明の届かない地下回廊。
その奥にある密閉ブロックの一室で、男はひとり、冷却装置に背を預けて膝をついていた。
セイガン・ゴールド。
その正体は公にされておらず、本名も年齢も不明。
“ヒーロー部門の元老”とも、“最初の強化被験者”とも噂されるが、誰も真相を知らない。
彼の後頭部には、脳神経に直結した接続ポートが埋め込まれていた。
そこに自らの手で通信端子を差し込むと、即座にノイズが脳髄を貫いた。
(──起動コード、入力……開始)
男はゆっくりと目を閉じ、無言で“通信”を待つ。
やがて、脳内に直接、無機質な電子音声が響いた。
《This is DS Central. Authentication complete. Proceed, Gold》
「コード名“オーロラ”に基づき、戦況報告。
新規戦力:セイガン・レンおよびサクラの運用状況、極めて良好。
プロパガンダ映像はリアクション評価率で旧ヒーローの3倍以上を記録」
男の声は低く、感情を抑え込んでいる。
言葉の端々に滲むのは忠誠ではない。
ただ、命令を遂行する者の無味乾燥な責務だけだった。
《Acceptable. The people are responding. Your market is stabilized》
「ですが……私自身の運用限界も近い。
神経導電に歪みが出ている。更新モデルへの昇格を検討していただきたい」
《You were built to be eternal. But eternity decays too》
返ってきたのは、やけに詩的な合成音声だった。
《Your body will be evaluated. In the meantime──you will oversee the integration of the next team》
「次の……戦隊を?」
《Correct. Project ARK BREAKERS》
《戦術AI補佐・遺伝子調整済・多国籍素体による“演出重視”の部隊だ。
君の役割は監督・記録・制御。──旧時代の象徴として、静かに裏側で導け》
男は、わずかに眉をひそめた。
導く、か。
“ヒーロー”とは何か。
“守る者”とは誰か。
すべてが演出であるなら、自分は何のために存在しているのか。
「了解した。“この国”の安定のために」
《Not just your country, Gold. The world watches. From the West》
その言葉に含まれた一節が、全てを物語っていた。
──“西の方角”。
──“全世界の監視”。
──“国家を超える視点”。
誰に明かされることもないが、それは明白なヒントだった。
この“声”の主は、日本ではない。世界を影から動かす、別の“中枢”の存在。
接続が切れ、室内は再び沈黙に包まれた。
セイガン・ゴールド──謎の男は立ち上がり、無言で背を向けた。
彼の背中に刻まれた“G”のエンブレムが、わずかに光を反射する。
(次の世代にバトンを渡すか。それとも……)
男は歩き出す。
その足取りは、まるで“意志”を持たぬ兵器のように静かだった。




