その3
男は自分の長い髪をきつく結び、黒布の中におさめた。
目だけが出るように別の黒布で顔を覆う。
「役目」の時は、全身、黒づくめになる。
足首まである長い黒マントを羽織ると背中の黒のフードを深く頭にかぶり、顔面を見えなくした。
机上に置かれた大剣を鞘から静かに抜いた。
小さな明かり取りの窓からの光が大剣の刃を照らし出した。
大剣に似合わない薄刃が銀色に染まった。
「執行人、お時間です。」
呼ばれた男は、大剣の刃を下に向けて、刑場に向かった。
◇◇◇
エリー・ケリーは、王都の『王立』敷地にある監獄を訪れていた。
エリーは、治療院の白の制服に濃緑のコートを着ている。茶黒い髪をきつく三つ編みにし、髷にして留めている。
彼女の側には、ルーエではなくゾーイがいる。
「本当に、よろしいんですか、先生。」
監獄にある石組みの部屋の前でゾーイが念を押した。
「今からでも、断っていいんですよ。」
「いいえ。」
ゾーイが重い扉を開けた。部屋に入る。
部屋の中は鋼の格子で仕切りが作られてあった。
壁の高い所に窓があり、部屋を明るくしている。
格子の向こうに男が膝まづいていた。
「おい、来てくださったぞ。」
格子の向こうで男が顔を上げた。
その顔には、はにかんだような笑みが小さく浮かんだ。
茶店の立てこもり犯の男、マダルだった。
無精ひげは無く、あの時よりもずっと身ぎれいで若く見える。
だが、髪は襟足の高い所で短く切られていた。
エリーが格子に近づいたが、途中でゾーイが止めた。
「近づきすぎてはだめです。」
エリーが止まった。
言葉のない時間が流れる。
男がエリーに深く頭を下げた。
「…きいてもらえると思わなかった。
願いって言ってみるもんだな。」
「…オーガさんからお手紙をいただきました。」
「え、アイツ、字なんか書けねえのに。」
「代筆、していただいたそうです。」
「…。」
「フロリンさん、残念でした。」
「ああ、先生が助けてくれたのに、監獄のお医者も良くしてくれたんだ。
でも、弱ってたって。ダメだった。」
「…。」エリーの表情が暗くなる。
「でもな、苦しい思いもせず、優しく笑って死んだんだ。
俺もオーガもフロリンの最期に一緒にいてやれた。
監獄の弔いもちょっとだけ見せてもらえた。
先生が助けてくれなかったら、オレら、どこで腐って死んだかわからねぇ。
…俺らを、人扱いしてくれたの、先生だけだ。」
「だから、最期に、会いたかった。」
マダルは顔を上げなかった。
エリーが言葉をかけようとしたが、ゾーイが袖を掴んだ。
「先生、終わりです。外へ。」
ゾーイがエリーを連れ出そうとした。
「あの、ゾーイさん?」
「これから、『執行人』が来ます。
我々は去らねばなりません。」
「…。」
格子の向こうで別の扉の開く音がした。重い足音がした。
エリーがその足音に振り返った。
黒づくめの大男が大剣を下げて立っている姿が見えた。
その大剣が構えられる。
大剣がマダルの首との距離を測っていた。
その構えに見覚えがある。
黒づくめの男は、剣先を少し上に向けた。男は剣先の向こうにヘイゼルの瞳を認めた。
「先生、」ゾーイが無理やりエリーを外に出し、扉を閉めた。
マダルは、エリーが出て行ったのを見てほっとした。
先生には見られたくない。
執行人の剣先が彼の目の前にあった。
大剣の刃の薄さ。フロリンの足を切り落とした大剣もこんな感じだった。
マダルは顔を上げた。
黒づくめの執行人の顔はわからない。瞬きもしない目だけが自分を見下ろしていた。
「ああ、痛くなさそうでよかった。」
マダルは頭を下げ、執行人に首筋を見せた。
振り下ろされた銀の光は、一人の男の首の骨を断ち切った。
転がった首が微笑んでいたが、誰にも気付かれることはなかった。
◇◇◇
陽が落ちて月が二つ、空に上がっていた。
『王立』騎士団の通用門の前でエリーが立っていた。
さっきまで、死刑囚の最後の面会者としての記録確認をされていた。
ゾーイが聴取をして、その後、送ってくれるというので馬車を待っている。
本当は馬車ではなく、別の人物を待っている自分がいる。
事件のあと、機会がなく彼とは会っていない。
「お待たせしました、先生。」
ゾーイが馬車を止めると馭者台から下りてきた。
馬車の戸を開ける。
乗り込もうと動いたエリーが足を止めた。
目の前にルーエが立っていた。
黒い肌が夜に溶けていて、白髪が肩に見えた。力ない表情は暗い。
「なんだ、ルーエ、今、帰り?」
「あ、ああ。」
ルーエが目を伏せた。
「途中まで、乗ってくか?
先生を送っていくんだ。」
「い、いや…」
「乗ってけよ!」
「おい、」
「先生に手を貸す役、いるだろう?」
「え、」
ゾーイがさっさと馭者台に上がった。
「先生を中に案内して、お前も一緒に乗れ。」
「おい!」
「いつまで先生を立たせておくんだ、さっさとしろ。」
「…すみません、センセイ、乗ってください。」
ルーエが差し出した手を借りてエリーが馬車に乗った。
ルーエも黙って乗り込んだ。
(ルーエさんの手、冷たい…)
ルーエはエリーから顔を背けて座った。
どちらも口をきかなかった。
大通りに出て、すこしすると馬車が止まった。
「ルーエ、店の前。」
馭者台からゾーイが声をかけた。
ルーエはエリーに頭を下げると黙って馬車を下りた。
「あ、」
エリーも慌てて馬車を下りる。
「ルーエさん、」エリーが呼び止めた。
でも、ルーエはエリーを見ない。
「…勘弁してください。」
そう言って、ルーエが足早に立ち去った。
「先生、乗ってください。」
ゾーイが声をかける。
「こういう夜はね、ヤツ、一人がいいんです。」
「…。」
「重いのにつぶされそうだって、前に言っていました。」
「…。」
「時々ね、他人様の重いのまで背負っちゃう奴なんで、つぶれる夜もあるんですよ。」
エリーがルーエの店の方を見ていた。
「そっとしてやってください。」
「…それは、ダメです。」エリーが呟いた。
エリーがゾーイを見上げた。
「言伝てをお願いできますか。」
◇◇◇
「ああ、今日は定休日だっけ。」
勝手口から店に入った。小さなランタンがカウンターの灯りになっていた。
こういう夜は、ルーエが一人で飲むのをバーマンは知っている。
だから、カウンターに酒瓶がわかる程度の灯りを用意してくれている。
灯りを頼りにカウンター内にあったテキラの瓶を取り上げた。
そのままラッパ飲みする。
あっという間にひと瓶が空いた。隣のをまたラッパ飲みする。
口元を手の甲で拭った。
(全然、足りないな。)
ルーエが次の瓶に手を伸ばしたのを別の手が先に取り上げた。
「え?」
ほっそりとした手だ。そして、その手の主を知っている。
その手が伏せてあったグラスを二つ並べ、それにテキラを注いだ。
ランタンに照らされたテキラがキラキラと光った。
(こんな夜に、似合わないキラキラだ。)
そして、ルーエの前にグラスが置かれる。
隣に人が座った。
「瓶から直接飲むのはいけません。」
エリーが怒っていた。
「…ほっておいてください。」
「お行儀が悪すぎます。
エイミーちゃんには見せられません。」
「…。」ルーエがグラスを煽った。
「…勘弁してください、と言いました。」
「はい、お聞きしました。」
「なんで!」声が荒がる。
「…ひとりだと、重いものにつぶされてしまうからです。」
「センセイ!」
「…前に、私の時、ルーエさんが側で支えていてくださいました。」
「…。」
「…私も、」
「センセイは、非力です!
こんなバカでかい男、支えられませんよ!」
ルーエが自嘲した。
「…。」
ルーエがテキラを自分のグラスに注ぐとまた煽った。
「センセイ、見ましたよね。
監獄で、『執行人』の姿。」
「…。」
「『役目』の夜は、いつもこんなのですよ。
酒飲んで、グタグタで。
人の顔を見たくない。
こいつの首もあいつの首も切らなくちゃいけないのかなって思ってしまう。」
ルーエが瓶をつかむとまたラッパ飲みをする。
「でも、後悔はしていませんよ!
誰かがやるべき『役目』なんで!」
ルーエが自分自身を嗤っている。
「ただ、こんな情けない、動揺している自分を知られたくないって見栄がね、あるんだ。」
ルーエがテキラを煽った。
「センセイの前で、俺はいつも情けないツラを晒している。」
ルーエの肩が少し揺れている。
「帰ってくれ…」
空になった瓶をおいて次のに伸ばした手をエリーに掴まれた。
エリーは両手でルーエの手を包んだ。
今夜のエリーの手は柔らかく、温かい。
冷たいルーエの手がはみ出している。
「離してください、人殺しの手です!
センセイの『人を助ける手』には、似合いません!」
「私の手も、患者さんを死なせています。
本当に、非力な手です。」
エリーがルーエを見つめた。
仄かに照らされた中に、彼だけに見せてくれている優しい顔。
ルーエもエリーを見ていた。そのエリーが大きく揺れて見える。
「…酔っ払いに、そんな優しい顔しないでください。
縋ってしまいそうだ。」
「ルーエさん?」
「俺も男ですよ! 酔っ払いですよ!
何するかわかりませんよ!」
ルーエがエリーの手を握り返していた。大きくて熱い手。いつも安心をくれる手。
今度はルーエが顔を近づけてきた。
「センセイ、」
「はい?」
「俺、センセイを抱きたいです! センセイの胸に顔、埋めたいです!」
エリーが固まってとても困った顔をした。
「…こ、困ります。」そして赤面になる。
「へ、慰めてくれないんですかぁ。」
ようやく、ルーエがひどい酔っ払いになっているのに気が付いた。
そういうことを言うわりに手しか握っていない。
ルーエの力ならエリーを押し倒すぐらい簡単なはずだ。
「…酔っ払いすぎます。」
「…酔っ払いでーす!
俺はすごーく酔っ払いで、今、エリー先生と男女の仲になる夢を見てまーす!」
陽気にそう言うとルーエはカウンターに突っ伏した。
「あ、あの、ルーエさん?」
ルーエの手はエリーの手を握ったままだ。だが、微かに震えている。
そっとエリーがその手を握り返した。
ルーエが寝息を立てていた。
「…寝ちゃったんですか?」
そっと様子を窺ってみる。
閉じた瞼から涙がカウンターに落ちていた。
「こういう夜は、一人でいると、重くて暗い中から出られなくなります。
私はそれを知っています。
だから、ここにいます。」
エリーはルーエに身体を寄せた。
「ルーエさん、貴方は大丈夫です。」
「…大丈夫です。」
エリーがルーエの肩に頬を寄せた。