その1
『王立』の会議室に王都の隊士長が集められていた。
ブルーノやゾーイ、それにルーエも呼ばれている。
警務部の中隊長グリュンワルドが正面の黒板に男三人の手配書を張り出していた。
見るからに悪人顔に描かれているが。
この三人は王都の外の地域で、殺人、放火、強奪、婦女暴行、ありとあらゆる犯罪をやらかしているという。
三人は同じ孤児施設で育ち、義兄弟を名乗っているという。
各地の警務隊も何度も後を追い、捕縛に向かったが取り逃がしている。
それだけでなく、返り討ちになった小隊もいる。
賞金首としても三人にそれぞれ金貨三十枚が賭けられている。
賞金稼ぎなんかが追っているだろうが、まだ捕まっていないところを見るとかなりの手だれた連中なのだろう。
集められた警務隊は、捕縛のベテラン部隊だ、その上、場合によっては切り捨て許可が与えられる部隊でもある。
ルーエは、ジェイド・ヴェズレイ第三副団長の副官であり、身分は隊士長だが小隊は持っていない。だが、今回は参加を求められている。同期のゾーイ隊の助っ人だ。
「マダル三兄弟だ。
長く辺境を荒らしまくっていたが、王都に入りこんだと連絡があった。」
「賞金首でしょ。
稼ぎたいのがいるんじゃないですか。」
「稼ぎ屋が返り討ちにあっている。」
「…。」
「金貨三十枚の大物だ。見つけ次第、捕縛しろ。斬り捨て許可も出ているが、捕縛が最優先だ。」
「あの! 賞金、当たるんですか!」
「我々は公僕だ。」グリュンワルドが冷ややかに言う。
「えー!」と残念な声が上がる。
「以上だ、解散!」
隊士長たちが席を立った。
ルーエとゾーイも席を立つ。ブルーノがやや困った顔をしながら会議室を出て行った。
「ブルーノ先輩も気の毒に。」
ゾーイが苦笑を浮かべる。
「何?」
「やっと、パメラと暮らせるようになったのにさ、当分、夜回りで、お預けだもんな。」
ゾーイの言葉にルーエも思わず苦笑を浮かべる。
「ルーエ!」
グリュンワルド中隊長に呼び止められた。
「はい?」
「お前は、大剣を帯刀しろ。」
「え、」
「お前には許可を出しておく。
連中は捕まっても、死罪だ。」
「…。」
「ゾーイ、手助けしてやれ。」
「承知いたしました。」
ゾーイが頭を下げた。
中隊長を見送って、ゾーイが呟いた。
「いつも損な役回りだな。」
◇◇◇
エリーに手を引かれて、エイミーはご機嫌な笑顔で「ふるふるプリン」の店に入った。
本当は、ルーエが連れてきてくれるはずだったのだが、急な仕事でダメになってしまった。がっかりしていたら、センセイがお休みの日で、連れてきてもらったのだ。
今日のセンセイは、お医者様の格好じゃなくて、きれいな茶色の長いスカートのドレスを着て、日傘を持って、小さなバックを手に提げている。
お人形のようなきれいなお姉さん!
手を繋いだエイミーもよそいきの服で、とっても嬉しい。
運ばれてきたふるふるプリンは、いちごの色でうさぎの絵がついていた。
エイミーは何度もお皿を振ってプリンが揺れるのを見ていた。
「あんまり、振ってばかりだと溶けちゃいますよ。」
「はぁい!」
エイミーが大きく頬張ってイチゴの耳を食べてしまった。
おいしそうな笑顔だ。
「おじちゃんもくればよかったのにね!」
エリーも笑顔を浮かべる。
「お仕事だから、残念ね。」
エリーがエイミーの頬についたプリンを指で拭った。
(母親みたい・・・)エリーにも笑みが浮かぶ。
店主の婦人がエリーのカップに紅茶をつぎ足してくれた。
「いつもご贔屓にありがとうございます。」
店主が微笑みかけた。
「今日は、旦那様はご一緒では?」
「え?」
「旦那様は南部のご出身でございますか?」
「えっと、」
「ときどき、うちの新作のお菓子の試食をお願いしているんですよ。
お酒にお詳しい方で、大人向けのお菓子を。
旦那様も、奥様にも作って差し上げたいっておっしゃって、習っていかれるんですよ。
かわいい御方ですね。」
(ルーエさん、奥様をもらった?)
エリーの表情がこわばった。
「センセイ?」
エイミーがエリーを見上げた。
「何でもないわ。」エリーが笑みを作った。
エイミーが大きな口でプリンを食べてしまった。
「ごちそうさま!」
「はい、ごちそうさまでした。」エリーが答えた。
「つぎは、どこにいくの?」
「ルーエさんに服を取りに行ってほしいと頼まれたから、いつもの仕立屋さんに行きましょう。」
「はい!」
二人が席を立とうとしたところで、店の扉が乱暴に開けられた。
「お客様!」
店主の悲鳴が上がる。
エリーがエイミーを抱きしめて店の奥に逃げた。
店主以外は、エリーたちと若い娘たちが二人、店員が一人。
飛び込んできたのは、薄汚いごつい男が三人。酷い体臭に気持ち悪くなる。
(気持ち悪い、男の人の臭い…)
エリーがこみ上げてくるものを我慢する。
エイミーがスカートに顔を押し付けて震えている。
その小さな体を強く抱きしめる。
「なんだ! ここ!」
「ちゃ、茶店です! あなたがたこそ!」
店主の婦人が気丈に男たちに言い返す。
「お前ら、動くなよ!」
三人組の男が女性たちの前に大剣を突き立てた。
客の中で一番の年上はエリーだったから、二人連れの娘もエリーに身体を寄せてくる。
かわいそうに皆、震えてしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫よ、『王立』のみなさんが助けてくれるわ。」
「おじちゃん…?」
「そうよ。」
安心させるようにエリーが言った。
押し入ってきた男たちは、茶店の菓子を手づかみで食い散らかし、飲めるものは菓子用の酒すら飲み干していた。
「あなた方、何が望みです!」
気丈にエリーが言う。茶店の婦人は真っ青になって娘たちの側で震えている。
「食うもんと飲むもんが欲しかったんだよ。」
「こいつがしくじりやがって!」
「逃げそびれた。」
男達は、黒っぽい髪を長くしている。顔は無精ひげで汚らしく見える。
歳の違う三人組だろうか、一番若そうな男は酷く顔色が悪く見えた。
エリーは、男たちが動くたびに、汗臭い体臭の中に別の臭いが混じっているのを感じていた。
「私達をどうするのですか?」
「飲んで食って、」
「犯すか!」
その男の言葉にエリーの血の気が引く。
(だ、だめ! 彼女たちはだめ!)
声にならない叫び声で頭がいっぱいになる。自分が盾のようになって皆を庇う。
「アンタ、美人だな!」
男のごつい手がエリーの髪に伸びた。今日は茶黒くしているのに!
怖さで頭が真っ白になってしまう。
「おかあさんにさわらないで!」
スカートに顔を押し付けたエイミーが叫んでいた。
汚い男の手が髪に触れる寸前にとまった。
「なんだ、ガキ持ちかよ!」
いまいましそうに男が椅子を蹴飛ばした。
「エイミー…」エリーが子供を抱きしめた。
「ありがとう…」
他の娘たちがしくしくと泣き始めていた。
◇◇◇
「どこで見失ったんだ?」
「中央広場。どこかの店に逃げ込んだらしい。」
「厄介な…」
「店屋をしらみつぶししている。」
ブルーノとルーエが顔を見合わせる。
中央広場には『王立』の騎士と兵士が集まっていた。
「ルーエ!」
ゾーイが駆け寄ってきた。
「まずいぞ!」
「なんだ?」
「『ふるふるプリン』の店だけ、中に入れない!」
「定休日じゃ?」ブルーノが言う。
「違う、違う!
今日は休みじゃない。エイミーを連れていく約束をしていたんだ。」
ルーエから血の気が引く。
「ルーエ?」
「俺の代わりにセンセイがエイミーを連れてってくれるって。」
「…巻き込まれてなきゃ、いいな。」
「…。」
◇◇◇
どのくらい時間が経ったかわからないが窓から差し込む陽が夕焼けの色に変わり始めていた。
エリーもだんだん落ち着きを取り戻していた。
男たちは乱暴な物言いだったが、女たちを手籠めにはしなかった。
だが、監禁状態には違いない。もう娘たちにも耐える力が無くなってきている。エイミーもぐったりとし始めている。
(このままでは持たない。)
エリーは男たちを見ていた。
顔色の悪かった男が座り込んで、汗をにじませている。
彼が動くたび嫌な臭いもする。
(腐臭…?)
それに近いもの。
「誰か、怪我をしている人がいるの?」
エリーがおそるおそる口を開いた。
「俺らは怪我だらけだよ。」
エリーに剣を付きつけていた男が嗤った。
「傷口が化膿している。」
「なんだと!」
「臭いがします。」
「臭いかよ!
そりゃ、水浴びも着替えもしてねえからよ!」
「兄貴!」
もう一人がごつい男を呼び止めた。
「フロリンの様子が変だ!」
顔色の悪かった男がぜいぜいと肩で息をしている。重傷者の浅い呼吸。
「フロ! 痛むのか!」
「お前が薬種店と間違えるからだ!」
「兄貴!」
(やっぱり、化膿の!)
「エイミー、ちょっと待っていてね。」
エリーがエイミーの身体を離した。
「センセイ…」
不安げなエイミーを店主に預けた。
「娘をお願いします。」
「お客様?」
「大丈夫。私、これでも医者なんです。」
エリーは皆ににっこり微笑むと立ち上がった。
両袖を肘までまくり上げる。
「おい!女!」
剣を突き付けられ、咎められたが無視して怪我人の側に近寄った。
「動くな!」
「邪魔!」
エリーが一喝した。その剣幕に男たちが怯む。
怪我人の男は足を伸ばして壁に背中を預けていた。
血や泥で汚れた顔も衣服も不潔不快だ。
少し前のエリーなら卒倒していたかもしれない。
傷は左足の脛からふくらはぎのところらしい。
ズボンの破れた後に赤黒く乾いた血がこびりついている。
だが、傷口らしき場所は沼のようにじゅくじゅくしていた。
エリーは臆せずその傷口に手を伸ばした。
「女!」
エリーは男の傷口の布を剥いだ。傷口は化膿を通り越し、壊疽が始まっていた。死体に群がる蛆も姿を見せている。
「水を!」
エリーが強く言った。
怪我人の側にいた男が水差しをエリーに手渡した。
エリーはその水を傷口にかけた。
男が苦しそうに嘔吐した。エリーのスカートを汚す。
それにも構わず、エリーは手拭きの綺麗な布をかき集め、傷口の汚れを拭った。
傷は、かなりの深手、奥の方まで壊疽を起こしていた。
濡れ汚れた手を拭い、怪我人の額に当てる。かなりの高熱だ。
「怪我をしたのはいつです?」
「え、ええっと。」
「半月前だ。魔獣わなに引っかかって、無理やり足を抜いた!」
「半月も!」
エリーが驚く。
「その時、手当は?」
「薬草を塗り込んでそのまま。」
「医師や薬師に診てもらったのですか?」
「俺らを診るヤツなんていねえよ!」
男がエリーの首筋に剣を突き付けた。
「離れろ!」
「このままでは、この人、死んでしまいます!
いいのですか!」
「!?」
「私は医者です。手当をします。」
「…。」
「センセイ…」
エイミーが小さな声でエリーを呼ぶ。
「大丈夫よ、エイミー。もう少し待っていてね。」
エイミーの方を向いてエリーが微笑んだ。
「お前!」
「何か書くものを、」
エリーが店の棚を探して、伝票の裏に何かを書きつけ始めた。
「何してる!」
「いるものを書き出しています。」
エリーが男たちを睨みつけた。
「足を… 足を切断する必要があります!
このままだと一日ともたず身体中に毒素が拡がって死にます!」
「ふざけたこと、言いやがって!」
「…や、やめてくれ。足、切られるのやだっ。」
「そ、そうだよな。簡単にいうな!」
「彼を死なせたいですか!」
「連れて逃げる!」
「動かせば余計に早く毒素が拡がります!」
「うっ!」
「それに、ここに入ってきてどのぐらい時間が経ちましたか?
『王立』だって馬鹿じゃありません。
ここにいることを気づかれているんじゃありませんか?」
「!」
「彼の足は切断しないと、命にかかわります!
そのために必要な器具と薬剤を書き出しました。」
「足、切るなんてそんなことできるか!」
「私がします!」
「…。」
「だから、小さな子供と他の女性たちを外に出してください。」
「…。」
「彼女たちの前で手術はできません。」
「…。」
「彼女たちをここに留めても、誰のためにもなりません!」
「…。」
エリーから剣が下ろされた。
「フロリンを死なせるな。」
エリーは書付けを小さく畳むとエイミーの側に戻った。
エイミーが涙目になっている。エリーがその頬を優しく撫でた。
「エイミー、お願いがあるの。
これをルーエさんに届けてね。」
エイミーに書付けを握らせた。
「センセイは?」
「患者さんがいるから一緒には行けないの。」
「センセイ…」
「きっと外にルーエさんが待っている。
必ず渡してね。」
エイミーが頷いた。そっと、エリーが抱きしめた。小さな震え、小さな温もり。
その身体をしゃんと立たせて、エリーが言った。
「さ、皆、立って。
外に出してもらえますよ。」
「…。」
娘たちも店主の婦人も立ち上がった。
女性たちは、男たちを避けるように隅を歩いて出口に向かった。
窓の向こうに『王立』の緑服が大勢いるのが見えた。
「戸を開けてやれ。」
もう一人の男が小さく戸を開けた。
「一人ずつだ。」
小さなエイミーが最初に外に出た。
薄暗くなった広場に、白髪のルーエを見つけた。
「おじちゃん!」エイミーが全力で走り出した。