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⑦異変


ザッザッ…



『――はぁ。夢なら早く覚めて欲しい…。』



…この道を歩き続けて早数時間。気付いたら見慣れない山道に倒れていた私は携帯で慎吾さんや皆と連絡を取ろうとしたものの、圏外だったため取り敢えず人を探していた…のに。いまだ誰ひとりとして人が見当たらない。それどころか市道や県道のような見慣れたコンクリートの道路さえ見当たらない。



『ずっと山道、エンドレス山道…ッ!』



そんな風に大声を出したところで誰かが反応してくれる訳もなく。…それにしてもこんなに長時間外を歩いていて人に出会えないのは恐らく生まれて初めての出来事。



『はぁ…。どこぞの田舎ですか此処は。』



そう口にすると今のこの状況に自然と自嘲してしまう。どうせ私の中の“誰”かがこんな場所まで来たのだろうけれど、少なくても今まではこんな辺鄙な場所で“私”に戻った事はなかった。そしてその“私”が一体何をしたくてこの場所に来たのか皆目検討もつかない。…まぁ、なんにせよ。



『いい加減ちょっと疲れた…。』



歩き慣れない道を数時間も歩き続ければ疲れて当然なのだけれど、私は少しでも早く皆と連絡が取りたかったし、こんな所に独りで居たくなかった。それにまさかこんなに歩いても状況が変わらないとは思わなかったしね。


私はそんな事を考えつつ鼻から大きく息を吐き出してすぐ近くにあった草むらに腰を下ろした。そしてごろんと寝転がり背伸びをする。



『んん~。良いお天気!』



ザザーッ



空は快晴。心なしかいつもより空の蒼が深い色のような気がした。



『………………。』



そして目を瞑りゆっくり大きく深呼吸をして目を開ける。



ザザーッ…



聞こえてくるのは風になびく木々や草や花、そして鳥の鳴き声。


もうこの世界には私しか存在していないような――…そんな気さえしてしまう。けれど私のそんな考えを拒絶するかのように胃がキリリと痛み始めて。



『――大丈夫、またすぐ帰れるんだから…。』



私はそう自分に言い聞かせるように口にしてお守りのペンダントを強く握り締めるのだった―――…。





****************************************



原田side



ダン…ッ!



永倉「なんで連絡取れねぇんだよ…ッ!?」



新八がテーブルを拳で叩きながら憤りをあらわにした。だがそんな新八を誰も止めることはなく、皆一様に険しい表情を浮かべている。



原田「――もう三日、か…。」



美月が突然姿を消して三日――…。三日前、帰りの遅い美月に各々連絡取ったが返事がなかったため最初は仕事帰りに実家に泊まっているだとか、友達と一緒にいるだとか…そう俺たちは思っていた。


だが翌日になって慎吾が美月の実家に連絡したら「来ていない。」と言われたらしい。それどころか美月の職場から電話が入り「会社に出勤していないが何かあったのか?」と逆に尋ねられた事から行方不明になっていることが判明。



斎藤「“美月”が無断で仕事を休んだり俺たちに連絡せずに居なくなるなど――…。」



“有り得ない”


それは全員一致の意見だった。だからこそ可能な限り美月の友人知人と連絡を取ったものの有力な情報は得られず。それでもじっとしていられなかった俺たちは昨晩街中を探し回ったが、やはり美月を見付けることは出来ず――…現在に至る。


ただひとつ見付かったのは美月がいつも持ち歩いている買物袋だけ。しかも買物袋の中には食材が入っており、美月が帰宅途中に消息を絶ったのだと容易に推測できた。


そしてその買物袋が落ちていたのは、

美月と出逢ったあの公園だった―――…。




















異変



まるでおまえが俺たちの世界に行ってしまったような――…そんな気がした



早くおまえの顔が見たい


早くおまえの声が聞きたい



心配する俺たちに『大丈夫ですよ?』って


『何言ってるんですか?』って


早くいつものように笑い飛ばしてくれ



美月…どうか無事で―――…







****************************************


「……ぃ……お……ッ。」



…誰…?


私を呼ぶのは――…。



「…ぉぃ……い…ッ!」



…嫌よ。


私は目を覚ましたくないの。


だって目を覚ましても皆は居ない。


もう皆に会えないならいっそこのまま…「起きろっつってんだろがッ!」



バシッ



『!?!?!?』



思い切り頭を叩かれて飛び起きる私。何が起きているのか訳が判らず、挙動不審に辺りを見回した。えと、どうして寝てたんだっけ…?確か山道を歩いていて――…?私は状況を把握する為に働かない頭をフル回転させる。



???「はぁ~。やっと起きたか…。」




そう目の前で額に手を当てうなだれる人に視線を移す。癖のある髪…?ポニーテール…?



『って!き、匡くん!?ななな何で!?』



私は目の前の人物を震える指で指差しながら名前を呼ぶ。意味が判らない。私の知ってる匡くんと比べて何か少し幼くはあるけど匡くんが目の前に居るのだからそりゃあパニックになるのが普通でしょ!?



不知火「あぁ?“匡くん”だぁ~?…おまえ何者だ?」



匡くんはそう言って眉間に皺を寄せた。うん、そりゃ見ず知らずの赤の他人に馴れ馴れしく呼ばれたら気分良くないよね…!わかるよ…!?



『あぁ…!えと…。ご、ごめんなさい。私もちょっと混乱して――…。』



そう。もしこの人があの“不知火匡”ならば私を知るはずがない。落ち着け、落ち着くんだ私…ッ!



不知火「何で俺を知ってんだ…?」


『………ッ……。』



匡くんは怪訝そうな顔をして問い掛けてくるけど私は上手く反応出来ない。だからこそバクバクと暴れる心臓を少しでも鎮めようとお守りを握り締めながら深呼吸を繰り返す。


一体此処はどこ?


何で匡くんがいるの?


病気のせいじゃないの?


何がどうなってるの??


そんな風に次々と疑問がすごい速さで浮かぶため、私の頭はパニックになってしまう。それより何より――…。



『何で匡くんそんなに小さいの?』



ピシッ



『…あ。』



そう口にした瞬間匡くんの顔が引き攣ったのに気が付いた――…が時すでに遅し。



不知火「てめぇは、もういっぺん眠りたいらしいなぁ…??」



夕陽をバックに笑みを浮かべる匡くんはまさに“鬼”そのもので。



『ご、ごめんなさいぃぃいい!!!』



私はそう叫ぶしかなかったのだった―――…。




****************************************



不知火「――おい、ちょっと待て。おまえが結婚してる…だと?」



私が簡単に今までの経緯を話終わると匡くんはそう眉間に皺を寄せながら尋ねてきた。



『??…うん、一応。』


不知火「…そんなちんちくりんでか?」


『――は?』



ちんちくりん?いや確かに多少子供っぽいところはあるかも知れないけれど、ちんちくりんはないと思うんだッ…!



『――いや、そうは言われても私はれっきとした大人で胸だってちゃんと――…!?!?』



そう言って自分の胸に手を当てて言葉を失った。なんでこんな…ッ!?



不知火「…“ちゃんと”なんだよ?」


『むっ、むむむむ…。』


不知火「む????」


『胸が無いぃいい!?!?』


不知火「はぁ?」



私の胸は完全にぺったんこ。いや、元からつるぺたとかそういうレベルじゃなくて…!!本日2回目のパニックに陥った私は男性(とは言っても少年)の前ということさえ忘れ、思い切り服をひっぱり自分の胸を直に確認する。



不知火「ばっ!!おま何やって!?」


『……なん…で…。本当に…無い…。全く、無い…。わ、私の夢と希望と勇気が沢山詰まってたのに…。それが…それが…つるっつるピカピカの幼女ですか!?ちくせうぅうッ!!!』



そう想いの丈を叫びながら腕をぶんっと振ると洋服の袖で手の先が隠れた。



『…へ…?』


不知火「???」



不思議に思った私はその場に立って自分の洋服を確かめてみる。そしてもう片方の腕も振ってみるとやはり同様に手は隠れるし、スカートの裾は地面につく。



『……………。』



なんというか全体的に――…



『ち、ちんちくりんになってる――…?』


不知火「――だからさっきからそう言ってるだろうが。」



匡くんは呆れたようにそう口にするが、私はそんな状況が受け入れられない。いやいや、待て待て待て!?何で身体が縮む訳!?おかしいでしょ!?



『さっきまでは大人だったのに何でッ!?そんな夢小説聞いたことないよ!?』



土方さん達だってそのままだったのに!なんで…!!わたくし本日3回目の大パニックなう☆キリッ



不知火「…夢しょうせ…?何か判んねぇけど、そんなの俺が知るかよ。」



そりゃ、判るわけないでしょうけども…!むしろ匡くんが夢小説知ってる方がwmjtam0*%$aetjふじこ


はぁ…。どうしてこんなことに――…。



『……………。』



ん…?あれ、ちょっと待てよ…?私は匡くんを見遣り、幼さの残る彼に疑問を投げ掛けた。



『ねぇ。匡くんて今、何歳…?』


不知火「あ?今15。」

※不知火の今の見た目は平助より少し幼い感じです。


『15歳、か…。じゃあ私は何歳くらいに見える?』


不知火「はぁ???五つ、六つ…くらいだろ?」



何を聞いてるんだ?といかにも顔に書いているような表情で匡くんは少し考えてから答えた。



『なる、ほど…。』



そんな子供になっているなら、そりゃあ洋服もブカブカになりますよね…。



『あはは…。』


不知火「な、何笑ってんだよ…?」


『あ~…。いや、一応これでも私26歳の大人だったんだよね…。』


不知火「はぁ!?26!?こんなちんちくりんで!?」



匡くんは今までで一番大きく目を見開いて私の身体を凝視する。



『ちょ…ッ!?』



いくら何でもそれは失礼なんじゃないかな…!?こんな幼児が既婚者な訳ないでしょ…!しかも一体いつまでこのネタ引っ張りやがるんですかね、この人は…ッ!?そんな事を考えつつ、睨んでも効果のない“鬼”に私はぷいっとそっぽを向く。



不知火「――くっくっく…ッ!」


『…何??』



呆然としていたはずの匡くんがいきなり笑い始めたことに驚いて私は振り返った。



不知火「――へぇ?面白いじゃねえか。」


『え…?…は…??』



これのどこがおもしろいの?私としては、これっぽっちも面白いなんて思わないけどね…!



不知火「それにしても――…。」



「…まぁ、いいか。」と匡くんは言葉を中断する。そして私の頭の先から足の先まで見て溜息を吐いた。



『え??だから何???』


不知火「――ほら、行くぞ。」



突然そう言い踵を返すもんだから私は意味が判らず躊躇してしまう。



『…行くって、一体何処へ――…?』



そう匡くんの背中に向かって問い掛けると匡くんは振り返り、ニヤリとと不敵な笑みを浮かべてこう言った。



不知火「長州藩邸だ。」


『ち、ちょっと待って!匡くん何言ってるの?…長州藩なんてもう既に無くなってるのに――…。』



…そう。百年以上前に廃藩置県されている今、藩が存在するわけないのだ。



不知火「――あぁ、言い忘れてたが今は1854年だぞ?要するにおまえは、おまえの言ってる“げーむの世界におまえが来ちまった”んだろうな。くくくっ。」


『な、な、なんですってぇえぇええ!?!?』




あぁ、神様。



どうかこれは夢だと言ってください―――…。




===長門国・萩城===


『私を現藩主に会わせる――…?』



そんなこと出来るの?でも匡くんは長州の鬼だし可能なのかも――…。なんて色々考えてる私を余所に匡くんはにやにやと笑うだけ。



不知火「――そう不安そうな顔しなくても大丈夫だって。俺に任せな。」



そう言って匡くんは不器用に私の頭を撫でてくれる。匡くんって少し准兄に似てるかも。何て言うか憎まれ口ばかり叩いてるけど面倒見良いというか。…まぁ本人には言わないけど。※怒るから。


そんな会話をしたのが数時間前。あれから私は匡くんに連れられ、とあるお城にやって来た。内心通してもらえるか心配していたけれど、お城の門番さんは匡くんを知っているようで簡単に通してくれたからちょっと拍子抜けしたりして。


ちなみに門番さんに限らずお城の人たちは皆、匡くんを見ると驚いたり避けたりするものの本人は至って普通。少しも臆すること事なく堂々と奥へ進んで行く。さすがだなぁ…と私は改めて鬼の偉大さを思い知った気がした。



スパンッ!



不知火「おい、敬親たかちかいるか!?」


『!?!?』



やっと立ち止まったかと思ったら勢いよく襖を開ける匡くん。それに驚いた私は匡くんの袖を掴んで後ろに隠れる。



敬親「――おぉ、匡か?どうしたのだ突然。」


不知火「…今日はすげぇ拾いもんをしたからそれを連れて来てやったんだよ。」



はぁ!?“拾いもん”ってまさか私…ッ!?



『(匡くん、何言って…!?)』


敬親「…拾いもの、だと…?」



“敬親”さんと呼ばれたその人は不思議そうに匡くんの言葉を復唱した。あれ?敬親って聞いたことあるような…?誰だっけ…?と頭を働かせていると匡くんは私の腕を掴んで無理矢理私を前に出させる。



『な!匡くん…!?…あ。』



強行手段に抗議すべく睨み付けているところで横から視線を感じて見遣ると、その視線は“敬親さん”だった。



敬親「??? …何故おまえが此処におるのだ?しかも、そんなおかしな着物を着たりして――…。」


『え…?えっ?私??』



私を見るなりそう言って溜息を吐く敬親さんにどう対応すべきか判らず、匡くんと敬親さんを交互に見比べる事しか出来ない。



不知火「――言ったろ?藩主に会わせてやるって。」



そう言って匡くんは満面の笑みを浮かべた。どういうこと?一瞬私は眉間に皺を寄せて考えてみる。それってまさか――…!



『…え…?ええぇぇぇえ!?!?』



なんと目の前に居るこのお方は現長州藩主・毛利敬親様その人なのであった―――…。




****************************************


それから私は匡くんに話した以上に詳しい経緯を敬親様に説明した。自分が異世界の人間だということ、この世界に来て身体が子供に戻ってしまったこと、私が毛利家直系本家の人間で唯一“証”を持っている者だということ…。そしてこちらの世界で私が心に決めていることを――…。



敬親「――なるほど…。確かに到底信じられる事柄ではないが…そなたの容姿も含め信じるに値する事柄やも知れぬ…。」


不知火「まぁ、そりゃこんだけ“似て”りゃそう思っちまうのも頷けるぜ。」


『???』



さっきから度々出てくる“似てる”とか“容姿”云々ってどういう事なんだろう…?敬親様も最初から私を知っているような反応だったし…。そう私が首を傾げていると敬親さんが思いついたように口を開いた。



敬親「…そなた“証”を持っていると言っていたな?――それが真実ならばこの場で証明して見せろ。」


『―――ッ。』



この場でというのは少し躊躇われるけれど――…いつかは見せる事になるのだし早いうちに証明しておいた方が得策だろう。



『………畏まりました。』



私は少し間を置いて返事をし、サイズの合っていない洋服をおもむろに脱ぎ始める。



不知火「ちょ!?突然何脱ぎ出してんだよ!?」



バサリ…ッ



『“証”を敬親様に見てもらう為よ。』




それから程なくして私は包み隠さず生まれたままの姿になった。幸か不幸か身体が小さくなったおかげで服はとても脱ぎやすかった。



敬親「―――ッ!!」



敬親様の言っている“証”は毛利家の赤子が生まれながらにして身体に刻まれている刻印のこと。その“証”を持って生まれた者は代々毛利家当主を担っている。


古くは平城天皇がその“証”を持っていたことにより毛利家では代々語り継がれていた裏の掟で、かの毛利元就もこの“証”を持っていたという。


ただ“証”を持った赤子は中々生まれるものではなく、私の祖父が元就の後に生まれた初の“証”を持った人間であった。


そして私が生まれた時、祖父は私の身体に刻まれたこの“証”を見て心から嘆いたらしい。「女で“証”を持って生まれたこの子の運命は一体どうなるのだ…?」と――…。


私はそんな話を思い出しながら胸・太腿・上腰に各一箇所ずつある桜の証を敬親様に見せた。



敬親「――まさか元就公が持っていた“証”と同じものをこの目で見られる日が来ようとは――…。」



目を見開いて“証”を凝視する敬親様の反応を見て私はほっと胸を撫で下ろす。



『…解って頂けたのならば良かったです…。』


不知火「――おい、もういいだろ。」



いまだ呆然と立ち尽くす敬親様を尻目に匡くんが私に先程脱いだ洋服をかけてくれる。視線を彼に向けるとそっぽを向いた匡くんが「いいから早く着ろ!」とぶっきらぼうに言う。



『…ありがと…。』



その優しさに私は思わず頬が緩みながら服を再度着始めた。そして私は着替え終えてから改めて姿勢を正して座り、畳に手を添えて敬親様へ深々と頭を下げる。



『――私はこの世界で毛利家当主になりたいなどの野望は一切ございません。ただ私は近い将来現れる新選組の皆に生き続けて欲しいだけなのです。…そしてそれには敬親様のお力添えがなくてはなりません。…そのために私が出来ることあれば何でも致します。どうか…どうか私にお力をお貸しくださいませ…ッ!』


敬親「……………。」



私がそう言い終えても敬親様はすぐに口を開こうとはしない。きっと私が信用に足る人間なのかを推し量っているのだろう。


広い部屋に静寂が訪れ――誰も口を開こうとはせず、私も頭を下げたまま動かずにいた。



敬親「――美月様、お顔をお上げ下さいませ?」


『…いえ、敬親様が良いと言ってくださるまでは…!』



そう私が口にすると敬親様はひとつ息を吐き出してから小さく笑い始める。



敬親「――美月様?あなた様の期待に背くことなど――私めには到底出来ませぬ。…ですから、どうかお顔をお上げくださいませ?」



敬親様の穏やかな声に私は敬親様の中で何かが変わったことを悟った。



『敬親、様…?』



おずおずと私が顔を上げると、そこには先程までの厳しい顔をした敬親様はどこにも居ない。優しく私に微笑みかける敬親様に一瞬慎吾さんが重なった。



『???』



あれ?おかしいな、と私は瞬きを数回繰り返して再度敬親様を見ると元通りの敬親様で安心する。



敬親「“証”の確認とはいえ、どうか先程のご無礼をお許し下さい。」



そう言って敬親様は私に向かって深々と頭を下げた。…あれは私が勝手にしたことだというのに。



『な!?お顔をお上げくださいませ!敬親様が私などに頭を下げるなんて…!』



“そんなのおかしいと思う”。


この長州の藩主ともあろうお方がこんな五つ、六つの子供に頭を下げるなんてやっぱりおかしい。

いや、中身は26歳だけれども…!



敬親「――いえ、私は当然のことをしているだけでございます。…私は幼い頃より元就公に憧れておりました。“証”の話を聞いた際には是非とも“証”を持ったお方にお会いしたい、そのお方に仕えたいとさえ思っておりました。…しかし何の縁か己が藩主になることとなり、その願い叶わぬまま死ぬ運命と…半ば諦めておりました。ですが――…」



そう言葉を止めた敬親を不思議に思い私は首を傾げる。敬親様はそんな私の頬に手を添えて笑った。



『????』


敬親「…よもや、このような形であなた様にお会いすることが出来るとは――…。しかも美月様が他の誰でもなく私めを頼ってくださったこと光栄の極みでございます。――どうか何なりとお申し付け下さいませ。…って美月様??」


『―――ッ!』



私は敬親様の手を握り締めながらボロボロと零れる涙を止めることが出来ない。この涙は安堵からくるものなのか、感動からくるものなのか自分でも判らない。



不知火「おいおい…、何泣いてるんだよ…。」



呆れたような声でそう匡くんが言うけど涙で匡くんの顔さえ見れない私は嗚咽を漏らしながら泣き続ける。



『だっで!じょうがないじゃんッ。わたちこの世界に来れなかったらどうやって皆をまぼろう?とか、色々がんがえでで!でも突然こっちに来ちゃったし身体は小さくなっちゃでるし、エンドレス山道だし、匡くん幼いし、もう意味わかんない状態だのに敬親様にこんな早く認めてぼらえるなんて思ってながっだんだもーーーー!!!』


不知火「――おまえ、さり気なく失礼な事言ってるよな…。」


『うあーーーーん!』



そう言って私は思わず匡くんに抱きついて泣き喚き、匡くんを困らせてしまった。


…年甲斐もなく、というか身体が幼くなったからなのかまるで本当に子供に戻ったようで感情が抑えられない。



不知火「――あ~…。ったく面倒臭せぇ餓鬼だぜ…。」


敬親「ははっ。」



ぶつぶつと文句を言いながらも匡くんは私を引き剥がすことをせずに待っててくれたし、敬親様はその間ずっと笑っているし。


何だかよく判らない事だらけだけど私は無事一番最初の難問を突破したのだった―――…。

























(――Zzzz…。)

(…お、やっと寝やがったなクソ餓鬼。)

(知らぬ世界で美月様もさぞかし不安であったのだろう。仕方あるまい。)

(――そうかも知れねぇけどさ…。)

(…匡――…。おまえは今後美月様の傍でこの方をお守りしては…くれぬか?)

(はぁ!?おまえ何言って…!?)

(――美月様は唯一生き残っている毛利家の正統な姫君。この世界では毛利の正当な血筋が途絶えているのはおまえも知っているな?そんな美月様の存在が知れれば御身だけではなく命も狙われるであろう。…私だけでは守り抜けないやも知れぬ。しかし鬼のおまえであれば不可能ではあるまい?美月様も鬼を知っているようだしな。)

(……………。)

(引き受けてはくれぬか?)

(……はぁ、面倒臭え。考えとく。)

(――ふふっ、ありがとう。)





『なッ!?!?!?』



翌日、目を覚ますと隣には匡くんが寝息を立てていて私は脱兎の如く飛び退いた。正確には隣じゃなくて私の下に居たんだけどね!?というか寝る時は髪下ろすんだ!!いや、そもそも匡くん何て破廉恥な格好してるの!?


…とか色々言いたいことはあるんだけど、まずどうしてこんな萌えイベント発生してんの!?何これ敬親様攻略のご褒美イベントですか!?!?神様ありがとぉぉぉぉおおお!!!


…そう心の中で叫んでみる変態幼児。



『ふぉ~…。匡くんてサブキャラだけど、やっぱり美形さんなんだよね…。おぉ、お肌ぷるんぷるん♪』



匡くんが目を覚まさないのをいい事に私はこの神様がくれた素敵イベントを堪能すべく匡くんの寝顔を見ながらお肌をつついてみた。



不知火「…つか何、おまえ襲って欲しい訳?」


『jgreowp;slrふじこ!?!?!?!』



ガタタンッ!



爆睡していたはずの匡くんから発せられた言葉に慌てふためいた私は光の速さで再度飛び退くが勢い余りすぎた私は襖を突き破ってひっくり返る。襖ってこんなに簡単な作りなのは駄目だと思うよッ…!



『!?!?…痛ぁッ…ッ!』


不知火「…おまえ――…馬鹿だろ?」


『あはっははは…。よく言われます…。』



呆れ返ってそう言う匡くんに少し負い目がある私は彼を直視出来ずに目を泳がせた。


【――ねぇ、君は馬鹿なの?死ぬの?】


そう以前、総司に言われた事を思い出す。



『……………。』



きっと心配、してるだろうな…。と、ふと遠く離れた皆を想い私の胸はつきりと痛んだ。



不知火「…はぁ。取り敢えずおまえは着替えだ。そんな身体に合わねぇ着物じゃなくておまえの身体に合った着物を敬親が用意してるらしいから――…」



そう言って匡くんは立ち上がり、簡単に自分のはだけた着物を直す。…え!?はい!?当たり前のようにおっしゃいますが、今さらっとすごいこと言いましたよね、この人!!



『ちょ、どういう!?って私を物のように持ち上げるなぁ!!』



匡くんは立ち上がるやいなや私をサンドバックの如く持ち上げるから精一杯の抵抗したものの、努力虚しく私は匡くんの腰に抱えられたまま――辿り着いた部屋はそれはもう広い広いお部屋だった。


そして匡くんが襖を開けると数人の女中さんと子供用の着物がズラッと並べられている。何これ大奥ごっこか何か?



女中「――美月様、敬親様よりあなた様の着物を見繕うようにと仰せつかっておりますので、気になる着物があればおっしゃってくださいませ。」



そう女中さんの一人が言うと彼女も含む全員の女中さんが私に深々と頭を下げた。



『…mjk…。』



あまりの光景に私は絶句してしまう。妄想だったらにやける事柄でも実際に目の当たりにすると本当に言葉が出ないもので。



不知火「――折角の機会だ。貰えるもんは貰っとけば良いだろ?」



そんな私の反応を見てくくッと隣で笑う匡くんは人事のようにそう言った。いや、まぁ、確かに人事なんだけど…。そう判っていてもカンに障るわ。



『うぐっ…。ひ、人事だと思って…!あわわわ…どどどどうしよう…。』



私はそんな匡くんに小声で不満を口にするものの、正直どう選べば良いのか判らず困惑してしまう。



奈津「――失礼ながら美月様。見繕うのにお困りのご様子とお見受け致しました。差し支えなければお召し物の見立てを私めにさせては頂けないでしょうか?」


『…え?』



そう声が掛けられて振り向けばそこには綺麗な着物を着た少女が二人私に頭を下げていた。



不知火「…何でおまえらが此処に――…?」



匡くんの声に顔を上げた少女たちはふわりと笑う。わ…ッ。何て可愛らしい子たち…ッ!



奈津「――初めまして美月様。私、毛利敬親の娘で奈津と申します。」


知代「…同じく知代ちよと申します。」


奈津「お父上に美月様のお話を聞き是非ともお会いしたく参上致しました。以後、お見知りおきを。」



そう言って二人が再度頭を下げるから私も同じように見様見真似で座り、頭を下げた。



『…奈津様、知代様。初めまして。私は矢城美月と申します。敬親様から聞いていらっしゃるかとは思いますが、何分不慣れで至らない事が多々あるかと思います。何かお気付きの点がございましたら、何なりとご指摘下さいませ。』



私は緊張しながらそう言い終え顔を上げると奈津様は呆然と、知代様はきょとんとして私を見ている。え…?私何かおかしなこと言った…?そう思いオロオロしていると奈津様が口に手を当てて笑い始めた。



奈津「ふふっ…!お父上のおっしゃる通りだわ…!」


知代「――腰が低い…。」


『え…?そ、そうですか…?』



私は何故笑われているのか判らない。言い方が間違っていたのかな…?それとも姿勢?でも、とりあえず済んでしまったなら笑ってごまかすしかない…よね?



不知火「…じゃあ、俺は行くから後は頼むぜ。」



匡くんはそう先程よりも若干低い声色で言うなり背を向けて歩き出す。まさか帰ってしまうの…?そう思った時には身体が勝手に動いていた。



『匡くん待って…ッ!』



ガシッ…



不知火「あぁ…?」


『わ、私まだあなたに教えて欲しい事たくさんあるの…!ずっとなんて言わないから…だからもう少しだけ私の傍に――…。』



私は匡くんの着物を掴み引き止めながら必死にそう訴える。自分自身でもそんな行動に出たことに少なからず驚いてもいて。…だけど。



不知火「…………悪いが。」



少しの間を置いて匡くんは私の手を掴み、着物から引き離した。



不知火「――これ以上の面倒事は御免だ。…俺は鬼で昔の借りを返すため仕方無く人間に協力してるだけ。おまえみたいな餓鬼のお守りをする為じゃねぇんだよ。じゃあな、毛利の姫君さん。」



そう言うなり、匡くんは一瞬のうちに私たちの前から消えていなくなってしまう。



『―――ッ!』


奈津「匡…ッ!?待ちなさい…!!」



あなたは出会ってすぐの私に優しくしてくれたから――…。


“人間”の私に親切にしてくれたから――…。


…だから私は忘れてしまっていた。


“鬼が仕方無く人間に協力している”という事を―――…。


【――そう不安そうな顔しなくても大丈夫だって。俺に任せな。】


不安がる私の心中を察して不器用にも頭を撫でてくれた優しい鬼であったのに――…。


【――これ以上の面倒事は御免だ。…俺は鬼で昔の借りを返すため仕方無く人間に協力してるだけ。おまえみたいな餓鬼のお守りをする為じゃねぇんだよ。じゃあな、毛利の姫君さん。】


甘える私にそう言い放った時、彼は完全なる“拒絶の目”をしていた。



『…ごめんなさい――…。』


奈津「――美月、様…。」


知代「……………。」



謝罪の言葉を今更口にしたところで匡くんには届かない。そう判っていても言わずにはいられなかった。



キュッ…



知代「――美月様、笑って…?」



すると突然知代様が私の手を握り微笑みかけてくる。顔を上げて知代様を見ると何故か不思議な感覚がした。



『????』


知代「――自分と同じ顔をしている貴女が悲しんでいると、私も胸が引き裂かれそうに苦しくなります。…だからどうか笑って――…?」



そう言われて初めて知代様が自分と同じ顔をしているせいでそんな感覚になったのだ気付いた。そうか違和感の理由はこれだったのね…。


もちろん知代様の方が私より数百倍可愛らしいのだけれど、図々しくも私はまるで鏡を見ているような錯覚に陥ってしまう。何より私を励まそうとしてくれている知代様の優しさが嬉しくて私は顔を綻ばせる。



奈津「さあさ、あんな臍曲がりは忘れて着物を見繕いましょう…ッ!」


『な、奈津様…。』



奈津様はパンパンと数回手を叩いて仕切り直しする。そんな彼女の意外な物言いに私は唖然とした。奈津様って姫様だけどかなりサバサバした性格なのね。



知代「――私は美月様にこれなどが合うと思いますけれど――…。」


『あ、はい…!』



そうして奈津様と知代様のおかげで必要な着物、帯、小道具その他諸々選び終える事が出来た。それでも終わる頃にはすっかり疲弊し切っていた私。


しかしこの後、息抜きと言って二人に連れて行かれた場所は素敵な茶室で。美味しい和菓子と抹茶と二人の励ましのおかげで私は元気を取り戻す。


そんな二人の気遣いに感謝しつつ、いつかまた匡くんに会えますように…と私は心から祈るのであった―――…。


****************************************



『えと…改めて確認ですが、今は安政あんせい元年なのですよね?』


奈津「そうです。」


『――で、知代様が生まれたのが嘉永かえい元年。』


奈津「間違いありませんわ。」



私は今、奈津様にお願いして年号の確認をしている。今がいつなのか、今から何年後に何が起きるのか把握しておかなければ意味がないからだ。


奈津様の話を聞き、元の世界に居る時に勉強しておいて改めて良かったと思う。何故なら西暦という概念は明治以降の事で、江戸時代以前は年号よりも干支の十干十二支で確認することが主流だったらしく、年号と西暦を頭に入れておかなければ把握出来なかった。

※十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞。還暦は干支が一巡し、起算点になった干支に還ってくる(戻る)ことからそう呼ばれることになった。


もちろん年号を用いる人も沢山いるようだけれど、それはそれなりの知識がある人達だけ。本当予習しておいて良かった――…!


…で、本題に戻すと。安政元年は西暦1854年。その前の年号が嘉永。嘉永元年は1848年で6年続いた年号だった。そして嘉永元年生まれの知代様は現在六歳。その知代様と顔も背丈も同じ私は必然的に六歳という事になる。



『私が六歳、ですか…。』



さすがに実年齢より二十歳以上幼い身体だという現実は少なからず抵抗があった。…だけど私が六歳と仮定した場合、新選組発足時は十五歳の1863年、池田屋事件の時は十六歳の1864年、そして鳥羽・伏見の戦いの時には十九歳の1867年ということになる。


もし実年齢のままだったら同じ頃にはアラサーどころかアラフォーになってr…ゲフンゲフン!! そんな事、考えるだけで恐ろしい…ッ!だからこそ身体が幼児化したのはむしろ好都合だったのだと自分自身に言い聞かせた。中身は変わらずに身体だけ幼くなるなら本望…!



奈津「美月様…?大丈夫ですか?」


『あ…はい!大丈夫です。教えて下さってありがとうございました…!』



私の可能性は無限大。自分が出来る限界まで足掻いてみよう。足掻いても歴史が変わらないのは当然の事なのだから、それでも私が此処に来た意味を考えて最善を尽くせば良い。


ただそれだけなのだ―――…。




****************************************


奈津「――美月様、それ本気ですの…!?」


知代「…………。」



私は敬親様の力添えも出来たことでこれからどう行動するか考えていた。まず私がしようと思っていたのは2つ。


1つ目は南雲薫を誤った道に走らせない為、酷い虐待を受けている南雲家から救い出すこと。


2つ目は試衛館に弟子入りすること。


その両方をひとりで実行するには綿密な策を講じなければならない。ただ詳しく話すことで奈津様たちに迷惑をかけたくない為、土佐に居る大切な人を救い出しに行き、それから江戸へ修業しに行くと話した。そして冒頭の奈津様発言に戻るというわけ。



奈津「――美月様。一人で江戸や土佐に行くのはいくら勇敢な貴女様でも難しいかと――…。」



そう心配そうに諌める奈津様の言葉を聞いて私はにやりと笑った。



『ふっふっふっ!何を隠そう、私の剣術は剣豪二人のお墨付きだから全くもって不可能ではないのですわ☆』



私が手を腰にあてて偉そうにそう講釈してみると奈津様と知代様は不安そうな表情を浮かべて顔を見合わせた。



奈津「あの…念のためにお聞きしますが、今の貴女の身体が知代と同じなのだと判っておっしゃっているのですよね――…?」


『あ…。』



忘 れ て た ッ !

私、今幼じy…ゲフンゲフン!もとい幼児体型だったのを綺麗さっぱり忘れていました\(^o^)/



『で、でもきっと何とかなると思いま「「なりません。」」あはは、ですよねぇ~…?』



う~ん…。奈津様と知代様が大分私に対してフランクな口調で話してくれるようになったのは嬉しいのだけれど、少し手厳しいのは考え物だったりする。



敬親「――では、美月様が不便なく目的を達成出来るよう数名の兵をつけましょう。それであれば奈津も知代も文句はないであろう?」


『敬親様…!』


知代「お父上…!」


奈津「…む、そうですわね――…。」



鶴の一声の如く敬親様から出された助け舟に喜びを隠しきれない私は思わず敬親様に飛びついた。



『敬親様、ありがとうございます…ッ!』



そう言って敬親様の袴に顔を埋めると敬親様はゆっくり私の頭を優しく撫でてくれる。



『私、頑張ります…!』



私はそう言って抱き着いた腕に力を込める。本当に敬親様は慎吾さんと似てるなぁ――…。そんな事を考えながらふと思い出したように私は二人に振り返った。



『――ということなので心配ご無用です!』



私は満面のドヤ顔を二人に向けてそう言い放つ。



奈津「…ええ、そうみたいですわね。」


知代「それでも心配……。」



それでも二人の不安げな表情は晴れない。それだけ二人に思われている事は素直に嬉しく思う。…けれど私は目的を果たさなければならない。だからこそ二人が少しでも安心する様に毎日手紙をしたためると約束し、どうにか二人を説得するのだった―――…。




****************************************



あれから私は知代様たちの心配を余所に自室として用意された部屋で張り切って旅仕度を始めていた。着々と準備をしながら私は色々と考えを巡らせる。


土佐に行く前に――…まずは京都の千姫に会わなきゃならない。東西の鬼達を牛耳っている古の鬼“千姫”


人間によって滅ぼされた雪村家の幼い双子の鬼が生きていることを伝えなければ――…。ただ薫の事はすぐに報告すべきだけれど、千鶴の存在は黙っているつもりだ。何故なら千鶴は今、問題なく幸せに暮らしているのだし、それをわざわざ壊す可能性は避けるべきだと思うから。それに千鶴の存在を千姫たちに知られる事でちー様…もとい風間千景に悟られては元も子もない。…まずは薫を救い出すことをしっかり考えよう。


ただ千姫に会うまでが大変よね――…。


いや、それより私はいつ元の世界に戻ってしまうのか予測出来ない事が何より一番の不安要素だった。けれどこの世界に私が来れた事、順調に物事が運んでいる事はきっとこの世界が私を受け入れてくれているのだと思うから。…だったら私は出来る限りの事を精一杯するのみ…ッ!そう己に喝を入れて私はお守りをぐっと握り締めるのだった―――…。



萩城を発って二週間、私は四人の護衛と共にやっと丹波国まで辿り着いていた。(※現在の大阪府高槻市の一部などが含まれる。)宿で一息つき皆が部屋を出て行くと、私は恒例になっている敬親様と奈津様知代様への手紙をしたためる。今日は無事何処まで辿り着けたか、今日一日あった事などを記した。そして――…。



カサッ…



《矢城美月様。 手紙を頂戴して驚きました。是非お話を聞かせて頂きたいと思っております。あなたにお会いできるのを心よりお待ち申し上げます。 千姫》



これは数日前に千姫から届いた一通の手紙。いつもの私であれば貴重すぎるこの手紙を小躍りして喜んだと思う。…でも、この手紙を受け取り読んだ直後は喜びよりも安堵したというのが正直な気持ちだったりする。そして連絡が取れたことは勿論、千姫が会ってくれるという事実が喜ばしくもあり、また気が引き締まる思いでもあった。


元々千姫と連絡手段のない私は、まだ角屋に勤めているかさえ判らない菊月さんへ駄目元で手紙を書いた。余計な事は書かずにただ“雪村家の事で話がしたい”とだけ記して。…だからもし返事がなかった場合には敬親様にお願いして匡くんに協力してもらうつもりだった。匡くんとは以前あんな別れ方をしたのだから当然快く協力してくれるなんて思えなかったけど…。それでも私には手段を選ぶ余裕はない。出来る事は全てやるくらいの心積もりでなければ皆を助けることなんて到底出来やしないのだから――…。

※菊月=君菊の本名。君菊は源氏名。




『――さてっと。さっさと手紙書き終えて寝なきゃ…!』



そう私は呟き改めて机に向かうのだった―――…。



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===摂津国・大坂===



「美月様、申し訳ありません――…。」


『あ、良いんです…!私の我が儘でお供して頂いているのですからこれくらいお気になさらなくとも…。――ほら、早く妹さんに顔を見せに行って下さい…!』



私がそう言うと何度も私に頭を下げながらお供の一人が走り去って行った。実は彼の妹さんが一年前この大坂に嫁に出て、どうやら数日前に初めての出産をしたらしい。たまたまその知らせを今朝聞いた私は良い機会なので会いに行っては?と提案して大坂に寄り道をしているところ。ずっと歩き通して来た訳だし、今日くらいは他の三人にも少しくらい息抜きをして欲しいと思った。



『どうせなら今のうちに薬の買い足しとかしておきたいな…。』



そうは言っても皆大坂の土地勘もなく知り合いがいる訳でもないから良い商店が判らない。町の人に尋ねても皆バラバラのお店を言うからどれが良いのか余計判らなくなっていた。途方に暮れた私は河原の草むらで休憩と称しごろんと仰向けに寝転びながらどうしたものかと頭を悩ませる。



「美月様、はしたないですよ。」


「御召し物が汚れてしまいます。」



そう私を窘める声が聞こえるけれど敢えて知らんぷり。だって私は姫じゃないもの。それに奈津様や知代様だってこういうの嫌いじゃないと思うわ。



??「――君、薬種問屋探しているのか?」


『…え?』



聞き慣れない声が頭上からして私は目を開ける。そこには切れ長で淡い菫色の瞳が私を覗き込んでいた。



「―――ッ!」


「おまえ、美月様から離れろ!」


??「美月、様…?」



お供の二人はそう言うなり鞘に手をかける。やれやれと私は起き上がり二人に制止の手を翳す。



『このお方に戦意はありません。ですから二人とも落ち着いて下さい。…もし殺気があったなら私も気付きますしね。』



そう私が戒めると二人は顔を見合わせてから鞘から手を離した。


それから改めて声を掛けてきた人物に視線を移す。歳は――…十、十一くらいだろうか。短髪だけど後ろ髪を小さく結んでいる少年。ん…?どこかで見覚えがあるような――…。



??「君、何者…?」


『――私は…長門国から京へ行く途中の者です。あなたは…?』


??「俺はこの近所で薬種問屋兼鍼医者をやってる家の息子。見慣れない奴らが問屋を探してるって聞いて様子を見ていただけだ。」



あら。なんて好都合…!鍼医者もやっているのであれば少し疲れの溜まった足腰を鍼で治療してもらえるわ…!



『…そこの問屋名は?』



いくら好都合でも私たちが町で聞いた複数の名前に含まれていないのならば、あまり気がすすまない。そう思った私は念のため、この少年に質問してみる。



??「“山崎鍼灸院”だ。」



買い物を終えた私は鍼治療を店主にお願いした。すると子供だからと渋られてしまったが私も簡単には引き下がれない。何故なら私は京で千姫に会った後すぐに薩摩へ行かねばならないのだ。だからこそ出来る時に身体のメンテナンスをしておかなければならない。それ故、私が頼み込むと「触診して異常があれば診てやってもいい。」と言われ、今診察台に横になっている。



店主「!?…あんた本当に子供なのか…!?」


『あ、あはは…。』



私の身体を触診した瞬間そう驚きの声をあげる店主に「いえ、見た目は子供でも中身はアラサーですから。」なんて言える筈もなく。だから私は笑ってごまかすことしか出来ない。…こういうのって何だか心苦しいわ。



店主「…はぁ。わかった。診てやるからそのまま寝てろ。」


『――お、お願いします。』



私はそう言って目を瞑る。実を言うと元の身体では週一で整骨院に通わなければ仕事に影響出る程筋肉の凝りが酷かった私。…ううっ、どうせ身体が若返るなら身体的弱点も改善してくれたら良かったのに…ッ!と心中で悪態をついてみるものの、そんな私の事など露ほどにも知らない店主は黙々と凝りの強い箇所へ鍼を刺す作業を止めない。



『…ぅく…ッ…。』


店主「………………。」



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===2時間後===



『――治療、ありがとうございました。』



治療が終わり身支度を整えると私はそう言って深々と頭を下げた。鍼のおかげか気持ち身体が軽くなった気がする。実際は鍼治療した後に身体に蓄積された悪いものが表面に出てくるため身体は怠くなり、一日程身体を休めなければならない。そしてその怠さがなくなって初めて身体が軽くなるのだ。…けれど私の場合は治療に慣れているせいか直後でもそんな感覚になる。



『また大坂に来る時には立ち寄らせて頂きますね。それじ「ちょっと待て。」…へ?』



私が商店の入口でそう挨拶している途中で店主が言葉を遮ってきた。そして店の奥へ入っていく。奥の方で「おい、烝…ッ!」という声が聞こえる。…え?すすむ?ってまさか――…。



山崎「――着いて来い。連れの奴らが待ってる店まで送って行く。」


『…え?あ、あぁ!お願いします…!?』



私は脳内の混乱を表に出さないようにしつつお辞儀をして着いていく。確かに此処は《山崎鍼灸院》だけども!しかも大坂で、山崎で、鍼医者やってて、髪型も若干違えど原型は同じでしかも名前が烝なら…!いや、でも…!?



山崎「……………。」


『……………。』



き、聞いても良いのかな…?おかしく思われないかな…?私はそう考えながら何とも言えないおかしな汗が出てくる。すると前を歩く山崎さん(仮)が足を止めて振り返った。



『!?!?!?』


山崎「???――顔色があまり良くないが、もしかして身体が怠いのか?…まぁ、鍼治療した直後だしな…。」


『い、いえ!大丈夫です!鍼は慣れてますし…!?』



冷静さを取り戻せないまま、私がそう言うと山崎さん(仮)は「そうか。」と言ってまた歩き始める。折角山崎さん(仮)が心配してくれてるのに、どうして声裏返るかな…!?もうホント自分のヘタレっぷりに腹が立つ…!…だけどやっぱり気になる、よね――…。



『――あの…。山崎、さん…?』


山崎「……烝でいい。」


『あ、えと…では烝、くん…?』



私たちは河原を歩きながらぎこちない会話を続ける。それこそ周りからしたら子供離れした会話に聞こえるかも知れない。



山崎「…なんだ?」


『――あの…烝くん、は、その…将来武士になりたいんですか…?』


山崎「な!?」



私がそう口にした瞬間、山崎さん(仮)は勢いよく振り返り私の口を塞いだ。



『んん!?』



その時、



「美月様…ッ!!」



タイミングの悪い事に、



「貴様…!美月様から離れろ…ッ!」



――私のお供の兵がその場に居合わせていたのです。まる。



山崎「!!あ、いや!違う!」


「違わぬものか!さっさとその汚い手を美月様から離せ…!」



そう護衛兵に凄まれた山崎さん()――…あぁ、もうこの呼び方面倒くさい…ッ!山崎さん(仮)改め烝くんは慌てて私の口から手を離す。そして「違う」と何度も主張するものの護衛兵たちも気が立っていて烝くんを斬り捨てかねない状態。…ならば。



『…お待ち下さい。』


山崎「!!!!」



『――皆さん、どうか落ち着いて。彼は私の“友人”で、先程の行動は私が不用意な発言をした事が発端なのです。…それ故、彼には何の罪もありません。どうか刀を納めて下さい。』



私は烝くんの前に立ち、彼を庇うように手を広げて皆の目をしっかり見据えながら話した。



「!?!?!?美月、様…!?」



護衛兵たちが呆然とする中、私は烝くんの隣に下がりひとつ息を吸いグッと目に力を入れて護衛兵を見上げる。



『――それと先程“汚い手”とおっしゃいましたよね…?私の友人の手を“汚い”と…。』


「!!!!」


『謝ってくださいますか――…?』


山崎「おい、もう良いから…!」



そう言って烝くんは私の肩を揺するけれど彼らが侮辱した事実は変わらない以上、謝ってもらわないと納得出来ない。



「……ッ…!…さ、先程の御無礼をお詫び致します――…。」


山崎「……………。い、いえ…。」



護衛兵が烝くんに謝罪したのを確認すると今度は私が護衛兵に頭を下げる。



「み、美月様何を…!?」


『…私の身を案じ、剣を抜いた皆さんの思いを踏みにじるような発言をした事、心からお詫び致します。――もし彼が友人ではなかったら命を落とすところだったのやも知れません。本当にありがとうございました。』



あの発言は許せないけれど、私も皆の思いを踏みにじった。だからこそ心から謝らなければ。



「美月様――…。どうかお顔をお上げ下さい。」



少し笑っているようなその声に顔を上げると皆は顔を見合わせて苦笑している。



「――私どもは怒ってなどおりません。美月様もどうか簡単に頭を下げたりしないでください。」

『…え?だって悪いことをしたと思うなら謝るのが当然ですよ?』



私がそう言うと「まったくこのお方は…。」と更に笑うから余計意味が解らない。私間違った事言ってる?感謝と謝罪の言葉はとっても大切なんだよ?…う~ん、やっぱり解らない。



『――ね、烝くん。私おかしいですか?』


山崎「…俺に聞くな。」



困った私は烝くんに尋ねてみても顔を背けてそう言うだけ。あぁ、そうですか。鬱陶しいんですね、わかります(泣)。そして悔しい私は、ぬぅ~…!と下唇だけ突き出してむくれると即「美月様、見苦しいです。」と辛辣な忠告が突き刺さる。優しいんだか厳しいんだか判らないよ、この人達…!


そんな事を考えつつ、先程まであった張り詰めた空気が無くなっていることに私は心からホッと一安心するのであった―――…。



山崎「……………。」




山崎「――おまえは一体何者なんだ…?」



そう尋ねる烝くんに応えるため、私は護衛兵たちに「少しお話ししたいので席を外して下さいますか?」と言い、目配せした。


護衛兵たちが少し離れた場所に行くと烝くんは私に対して疑問に思っていたことを次々と質問してくる。



山崎「しかも“友人”などと何故――…。」



確かに“まだ”友人ではない私たち。…にも関わらず護衛兵たちに友人と偽った事が疑問なのだと思う。でもそれは、



『…そう言わなければ烝くんは斬り捨てられていたかも知れませんから――…。』



彼は《新選組の山崎烝》で、私に会う事はイレギュラーだ。しかも私に関わったせいで命を落としたら未来が変わってしまう。…まぁ、その未来を変えるために私は行動しているのだけれど…烝くんもまた護りたい人のひとりなのだからこれくらいの嘘で救えるならばたやすい事。



『――とある方に協力して頂いていますが、私はただの旅人ですよ…?』


山崎「……………。」



間違いではない。嘘でもない。そして私はこうとしか答えられないから――…。



『…送って下さってありがとうございました。』



「それでは」と私はお辞儀をして護衛兵たちの元へ向かう。本当はもっと一緒に居たいけれど…私にはやらねばならないことが山積みなのだ。



山崎「――もう、会えないのか…?」


『…え――…?』



背後からぽつりとそんな声が聞こえて私は足を止めて振り返った。出会ってまだ数時間の私に何故彼がそんな事を言うのかが判らない。



山崎「あ、いや…。何を言っているんだ俺は…?その…気にしないでくれ。」



そう言って不器用に笑う彼に私は最初呆然としたが、彼が気にかけてくれたことが嬉しくて次第に頬が緩み始める。そしてそんな風に言われると欲が出てしまうのが人間の性。私は再度烝くんに近付いて身につけていた数珠を彼の手首につけた。



『――いつかまた会える日がくるように願いを込めてこれをあなたに。…きっとこの数珠が私たちを引き合わせてくれるはずです。…そしてその時までこの数珠があなたを守ってくれます。だから――…あなたは自分の信ずる道を貫き通して下さい。…大丈夫、あなたは“必ず”武士になれますわ。』


山崎「―――ッ」



そう言って踵を返して歩き始めるともう彼から呼び止められることはなかった。私たちがまた会える保証なんて――…どこにもない。…でもそうあって欲しいと切に思う。


例え再会する時は敵同士だとしても、ね――…。



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===京都・角屋===



あれから護衛兵たちと大坂の宿に泊まり、朝一番で京へ向かった私たち。京へ着き、角屋に訪れるとすぐに菊月さんと千姫が出迎えてくれた。薫の話をする前に私の話をし、そして雪村家の双子の兄妹の一人が生き残っている事を伝えていた――…。

※ちなみに私の話を護衛兵たちに聞かれる訳にはいかないため、今は別部屋で待機してもらっている。



千姫「――手紙を戴いた時にもしかしてとは思っていたけど…。まさか本当に雪村家の生き残りがいるなんて――…。」



私が一通り説明すると千姫と菊月さんはその事実に驚いて目を見開いた。



『…心中お察し致します。』



そんな二人を見て私は千姫の様子を伺う。いくら結論を早く話したくとも交渉事には余裕が必要なのだから焦りは禁物。



千姫「――それであなたの目的は?」



きた、と思った。これからが一番肝心な話。だからこそ私は話を始める前に手にぐっと力を込めてから口を開いた。



『…私の目的は南雲薫、いえ雪村薫を私の手で救出することです。』


千姫「え…?」


菊月「――人間のあなたが何故…?」



そう言って菊月さんは少し眉間に皺を寄せて尋ねてきた。そりゃあ不思議がるのは当然だと思う。私はあくまでも“人間”で救おうとしているのは自分と何のゆかりもない“鬼”なのだから。



『…確かに私は“人間”です。けれど私はこの世界がこの先どうなるかを“知って”いるのです。…だからこそ雪村家の生き残りである薫を南雲家から救い出したい。私は薫にも幸せになって欲しいから――…。…そしてその思いは貴女も同じな筈。』


千姫「――まぁ確かにそれはそうだけど…。救出したいなら私たちに任せれば良いんじゃないかしら?」



千姫がそう言うと菊月さんが千姫の肩に手を置き、顔を横に振った。それに対して千姫の表情は曇る。



菊月「…姫様。残念ながら表立った理由がなければ私たちは動けません。――ましてやこの者の言っている事が真実かどうかも…。」


“わからないのだから。”


そんな事は初めから解っていた。千姫は私の話を信じるだろうと。そして菊月さんは私疑うだろうとも。…けれどそれが正論だし、そうでなくては意味がないのだ。



『――菊月さんのおっしゃる通りです。だからこそ姫様、私が雪村薫を救出する許可を頂けないでしょうか?もし私が雪村薫を救出できれば菊月さんにも私の話が真実だと信じて頂けるでしょう。』


菊月「……………。」


千姫「…そうね。…うん、わかったわ。――あなたに雪村薫の救出をお願いします。」


『――かしこまりました。』



こうして私は鬼の姫である千姫から正式に許可を得て土佐に向かうのだった――…。



****************************************



菊月「――姫様、良いんですか…?」


千姫「…解らないわ。でも――…あの子の瞳には陰りがなかった。それに彼女…まだ私たちに隠している事があると思うの。それを聞き出すまでは泳がせておきましょう。」


菊月「――御意。」




===土佐国・高知城===



私は事前に現土佐藩主・山内豊信(とよしげ)様に謁見出来るよう敬親様に依頼していた。そして今、土佐藩庁であるこの高知城にて豊信様を前にしている。


豊信様には《先日、不逞浪士に襲われた際に南雲という鬼に命を救われた為お礼をしたい》という“嘘”をついた。


目的のためとはいえ罪悪感もなく平然と嘘を言ってのける自分に心中で自嘲してしまう。



山内「――なるほど、判りました。…久晶(ひさあき)。」


久晶「…はい、此処に。」



豊信様が呼び掛けるといつの間にか豊信様の隣に細身の男性が一人座っていた。



山内「この者は我が藩の鬼、南雲家当主の南雲久晶。この者と共にお探しになると良いでしょう。」


『…あ、ありがとうございますッ。』


久晶「――で、その鬼の名は判るのでしょうか?」



私が豊信様に頭を下げると頭上から声が聞こえたので顔を上げると、南雲久晶という“鬼”が柔和な笑みを浮かべて私の回答を待っていた。



『――鬼の名は“南雲薫”…です。』


久晶「!!!!!」



私が名前を口にした途端、目の前の鬼は一瞬だけ険しい顔に変わり、それを見ていた豊信様が不思議そうに首を傾げる。



豊信「???…どうかしたのか?」


久晶「――ッ。いえ、何も――…。」



そう答える鬼は先程の険しい表情がまるで見間違いだったかのように穏やかな笑みを浮かべていた。それが何とも言えない不気味な表情に見えたのは――…きっと気のせいではないだろう。



久晶「…では美月様、私がその者の元へお連れ致しましょう。どうぞこちらへ――…。」


『…あ…。は、はいッ。』



立ち上がって部屋を出ていく久晶に私は遅れまいと小走りでついて行く。そして少し歩き、人の疎らな所まで来ると久晶はピタリと立ち止まった。



ダンッ…!



『――ッ!!』



動きが早過ぎて一瞬何が起きていのか判らなかった。音と同時に肩へ衝撃が走り、私は自然とその勢いで目を閉じてしまう。そして直ぐさま目を開いた私の目の前には予想通り“本来の姿”になった鬼がそこに居た。


その鬼は角を生やして私を睨みつけていて、そこでようやく自分が壁に叩きつけられていることを理解する。



久晶「…貴様、何故薫を知っている?」



これまた予想通りの質問をされた私は鼻で笑い久晶を見下すように見遣った。



『――あの日…。混乱に乗じて雪村の子を連れ去った事、そしてその子供があなた達の欲しかった女鬼でないと知り、ずっと虐げている事は知っているわ。』



そう告げると久晶の眉間に寄った皺が更に深くなり私の肩を掴む手の力にも更に力が入った。先程の様子を見るからに恐らく薫の事は秘密裏にしていた事なのだろう。…確かに普通に考えるとそんな事は薫と同じ位の子供が言うような事柄ではない。しかも“人間”がそれを知っているなど理解が出来ないのだと思った。



久晶「…何故知っているのかと聞いている。」


『――さぁ何故でしょう…?…ただひとつ言えるとすれば…私を子供だからと言って甘く見ない方が良いかも知れません。――もし、私に万が一の事があれば南雲家も雪村家と同じ末路を辿ることになるのでしょうから、ね――…。』


久晶「!!!!!」



私は目の前の鬼を嘲笑うかのように見遣りながらそう言い放った。…勿論、南雲家を滅ぼそうなどとは微塵にも思っていない。それでも私を“脅威”に感じさせなければきっと薫を救い出せないから。



『――薫に会わせて下さい。』


久晶「………ッ…。」



久晶はまるで親の敵を見るような憎しみを込めて私見た後、通常の姿に戻り肩から手を離してくれた。



久晶「――ついて来い。」



そう言って再度歩き出す久晶の後を私は追う。…薫、どうか無事で――…。そう祈りながら私は先を急ぐのだった―――…。



あれから私は南雲家の屋敷に案内され、久晶は思った以上にあっさりと薫に会わせてくれた。そして久晶は別途部屋を用意してくれ、今その部屋で薫と二人っきり…の状態。



薫「………………。」


『………………。』



薫は先程から一言も喋らず視線も合わせず部屋の真ん中で正座したまま微動だにしない。…うぅっ。…非常に気まずい。無言のプレッシャーと極度の緊張ですっかり萎縮してしまった私は事前にどんな流れでどんな話をするか考えていたか綺麗さっぱり全部飛んでしまった。



薫「………だよ……。」


『…え…?』



私が内心ダラダラと冷や汗をかいていると薫が初めて何か口にする。上手く聞き取れなかった私は自然と聞き返してしまう。



薫「――人間が…!俺に何の用だよ…!?」



やっとまともに聞くことが出来た薫の声だけど…やはり薫は視線を合す事なく、そう喉から絞り出すような声で言い放つ。人間を心から憎んでいる――…。それがひしひしと伝わってきて胸がつきりと痛んだ。


…雪村家が人の手によって滅ぼされたあの出来事から約二年――…。※千姫に確認済み

自分の幸せを壊した人間を薫は恨み続けてきたのだろう。…当然の言葉だと思う。だから――…。



『…ごめんなさい…。』


薫「!?!?」



…だからこそ私は“人として”薫に誠心誠意謝らなくてはいけないと思った。…決して許される事ではないけれど…。



『…ごめん、なさい…。』


薫「―――ッ!!」



私はもう一度頭を下げて謝った。こちらを向いていない薫に頭を下げたところで気付かないかも知れない。…例えそうだとしても薫に伝わるのなら構わないのだ。



薫「――馬鹿、じゃないの…?そんな事くらいで許されると思ってるわけ…?」



薫は声を震わせながらそう言った。驚きと怒りが入り混じっているような…そんな声色で。



『……………。…ごめんなさい。』



思ってない。思ってないよ、薫。…だけど私は馬鹿だからこんな方法しか浮かばないの――…。



薫「…ッ…!!…頭下げれば済む問題じゃ、ないだろッ!?」



ダンッ!!



『!!!!』



興奮した薫に私は掴み掛かられ畳に押し倒されてしまう。だけど薫は顔をひどく歪ませ今にも泣き出しそうだ。



薫「――父様も母様も…!おまえら人間に殺されて…!!…挙げ句千鶴とも引き裂かれたんだぞ…ッ!?…俺が今…こんな目に遭ってるのも全部…全部ッ!おまえらの――…ッ!!!」



ガッ…!



薫は泣きながらそう言って私の首を絞める。憎しみを込めてまるで親の敵をとるかのように。



『……ぅぐっ……!』



そして私は――…気付いた。

何故久晶が簡単に薫と会わせてくれたのか…?何故わざわざ部屋を用意してくれたのか…?久晶はこうなることを“解った上で”やったのだろう。…邪魔な私を他の誰でもなく“薫の手で”消すために。



薫「――死ね、人間。」


【――死ね。】


『!!!!!!』



あぁ…。

今の薫の目は昔見たあの男と同じだ――…。“本気”で私を殺すつもりなのだろう。


…それでも私は今此処で死ぬわけにはいかない。私にはやらねばならないことがある。そう思い抵抗しようとするもののやはり純血種の鬼だけあって幼いながらもびくともしない。このまま死ぬの…?と絶望的な考えが頭をよぎる。…でも、もしこれで死ぬ運命ならば――…悔しいけれどもう祈ることしか出来ない――…。



『…薫が…笑える…なら…殺し…て…?』



愚かな考えだとしても私が死ぬことで薫が笑えるなら――殺されても良いと思ってしまった。…何故なら私にとって薫は新選組と同じくらい大切な存在――…。



薫「!?!?」


『わた…しは…薫…にも…千鶴…にも…幸せ…に――…。』



…なって欲しいの――…。


私たち人間が壊してしまった幸せを願うなんて虫の好い話だけれど、本当に心からそう思うから。



『…だか…ら…泣かない…で――…?』



私は薫の頬に手を添えてそう言った。…でも酸欠のせいか、手は上手く動かせなくて薫の顔がぼやけて見える。あ、れ…?もう意識が――…。


…皆…ごめ…ん…ね――…。



薫「!!!!」



****************************************



薫side



突然現れたこの人間が何者かは判らない。それでも“人間”というだけで憎しみが込み上げてくる。南雲家に引き取られてからずっと溜め込んできた痛みがこの人間のせいで爆発してしまったのだ。


俺だって今この目の前にいる人間が悪い訳じゃないのは“解っている”。…それでもやり切れない思いが抑え切れず首を絞めたのに。



『…薫が…笑える…なら…殺し…て…?』


薫「!?!?」




この女は苦しそうに――でも笑みを浮かべてそう言った。…意味が判らない。殺される為にわざわざ来たとでも言うのか。



『わた…しは…薫…にも…千鶴…にも…幸せ…に――…。』


【――薫も千鶴もどうか幸せになって――…。】


『…だか…ら…泣かない…で――…?』


【――泣かないで薫…千鶴――…。】


薫「!!!!」



俺はあろうことか目の前の人間とあの日の母様が重なって見え、思わず手の力が抜けてしまった。



『…………………。』



そして人間はそのまま目を閉じて動かなくなる。



薫「…死んだ…のか…?」



俺は慌てて目の前の人間の左胸に耳をあてると小さな鼓動が聞こえ、まだ生きていることが判った。…って何で俺は安心してるんだよ。本当に意味が判らない。


そもそも、こいつ他の人間とは違う“匂い”がする。本当に“人間”なのか??



???「――そいつ人間だぜ?どうやらこの世界の人間じゃないらしいけどな。くくくっ。」



振り返ると見慣れない鬼が襖に寄り掛かりながら笑ってこちらを見ていた。



薫「――誰だ…?」


不知火「俺は不知火匡。昔の借りを返すために今は長州に加担してやっている。」


薫「長州…?」



…あぁ。そういえばこの人間は長州の姫とか言っていたっけ。俺は目の前の横たわっている人間を見遣りながらそんな事を思い出す。



薫「――で…?あんたは何しに此処に来たんだ?」



護衛――ではないようだし、一体何のために来たのか検討もつかない。まさかこの人間から話を聞いて俺を嘲笑いに来たとでもいうのだろうか?



不知火「…あ~…。そうだな…しいて言うなら見物?」



不知火と名乗った鬼は不快な笑みを浮かべながらそう言った。




薫「――はぁ?」


不知火「いや…美月が、よ?どうするのか少し気になってな。…それに敬親から直々に頼まれてちゃ無下にも出来ねぇし…。」



不知火は頬を指で掻きながらそう言った。…心配なくせに首を絞められていても助けないとか理解に苦しむけど。…まぁ、こいつは人間だし、最終的に助けないのは当然と言えば当然か。



不知火「――まぁ、そんな事はどうでも良いんだ。…あのよ、おまえ何か勘違いしてねぇか?」


薫「…勘違い、だと?」



不知火の言葉が妙に癇に障り俺は不知火を睨みつける。…俺が一体何を勘違いしてると言うんだ。俺は“鬼”でこの女は俺の一族を滅ぼした“人間”じゃないか。それ以上でもそれ以下でもない。



不知火「――余計な事を言うのは俺の主義に反するんだが…。こいつ――美月はお前をこの南雲家から解放するために来たんだぜ?…しかもご丁寧にちゃんと古の鬼の姫に許可まで貰ってよ。」


薫「…は?」



以前聞いたことがある。京には鈴鹿御前の血を継いでいる古の鬼の姫がいると。そしてこの日ノ本中の鬼を実質的に牛耳っているのはその古の鬼の姫なのだと。



薫「…意味が…判らない。」



そう、意味が判らない。何故面識の無い俺なんかにそこまで必死になる必要があるのか。人間の、しかも姫という立場の奴が何故――…?



不知火「――だろうな。俺も同感だ。」


薫「なんで…。」


不知火「――おかしな話だが…美月は俺たちに起こり得る未来を“知っている”んだとよ。」


薫「…は…?未来を…?」



“知っている”だと――…?

俺は苦笑いを浮かべる不知火の顔を見てからまた女に視線を戻す。――そんな話通常では到底理解できない話だ。…しかし、この人間が放つ人間とも鬼とも違う“匂い”を目の当たりにすればそれが事実なのだと妙に納得出来る。



不知火「――だからこそ美月は自分の大切な奴らを助けたいんだと。要はおまえも美月にとって護りたい存在ってことだ。…判ったか糞餓鬼。」


薫「―――ッ!!」



そう言って口角を釣り上げて笑う不知火に不快感が込み上げるのではなく、俺は頭を強打されたような衝撃を感じていた。俺の目の前に横たわる人間は俺と同じか年下にも見える子供で。そんな子供がいくら一国の姫だとしても容易に出来ることではないのは俺だって解る。…だとしても俺は――…。



薫「………帰れ。」


不知火「――は!?…おまえ折角の機会を棒に振るつもりかよ?!」



俺が立ち上がり二人を背にして歩き出すと、不知火は俺に向かって理解出来ないとでも言うように声を荒げた。…例えこの人間について行く事が幸せだとしても――…そう簡単に“人間”を許すことなど俺には出来ない。…出来るわけがないんだ。



薫「………そいつを連れて帰れ。そして目が覚めたら伝えろ。次俺の前に現れたら“今度こそ殺す”ってね――…。」



****************************************



美月side



『…ん……?』



首筋にひやりと冷たい何かの感覚があり目を開けば見慣れぬ天井が視界に入る。…此処は何処だっけ?私は何を――…?とそこまで考えて思い出した。



『か、薫…ッ!?』



ガバッ…!



『……ぅ…!』



布団から勢いよく身体を起こすと目の前がぐにゃりと歪む。酷い眩暈と頭痛。それを振り切るように頭を数回振るが簡単には落ち着いてくれないみたい。



不知火「――いいから、まだ寝てろ。」


『…え…?』



私の肩を掴んで寝かしつける声に重たい瞼をゆっくり開くとそこには苦笑する匡くんが…居た。



『き、匡くん…!?どうして此処に!?薫は…!?え、どうなってるの…!?というか私匡くんに謝りたい事が…!……ぅっ…。』



横になったかならないかのところで再度身を起こそうとした私は先程と同じように眩暈と頭痛に襲われる。そんな私を匡くんは苦笑しながらまた寝かしつけた。私はこの状況にただただ混乱してしまう。匡くんに聞きたいことは沢山あるけど――まずは。



『…ぁ、ありがとう…ね…?』


不知火「―――ッ!?」



今私が此処に居るって事は匡くんが介抱してくれたに違いない。…だってあの場所には私以外の人間は居なかったし、簡単に人間が入れる場所ではないのだから。



『それで薫は――…?』


不知火「――ん?…あぁ。次俺の前に現れたら“今度こそ殺す”…だとよ。」


『…そっか。』



救出作戦失敗か…。

でもまぁ今回は命拾いしたし、薫と会うことも出来たし、まずまずの成果かな…!私はそう自分を励まし、胸元のお守りをキュッと握り締める。



不知火「――これからどうするんだ?諦める、のか?」


『まさか!…私は諦めないよ。』



私は最初から薫を救出できるまで南雲家へ通いつめるつもりだったのだし。明日はどんな風に口説こうか考えると顔が自然とにやけてしまう。



不知火「――おまえ、いつか殺されるぞ…?」


『だ、大丈夫大丈夫ッ…!』



眉間に皺を寄せながら忠告してくる匡くんに私は笑いながらそう言った。…助けられるって確信がある訳じゃない。でもそうやって前向きでいなきゃ薫を助けることなんて出来ないではないかと不安に押し潰されてしまいそうになるから…。だから私は少しでも前向きに考えて笑っていなきゃと思うんだ―――…。




「――失礼致します。こちらに美月様がいらっしゃると連絡を受けた者です。」



突然襖の向こうから聞き慣れた声が聞こえてくる。護衛の人かな?と考えていると匡くんが立ち上がる。



不知火「…じゃあな。」


『――え?』



匡くんはそのまま襖を開け護衛兵たちに事の経緯を説明している…ように見えた。――というか、匡くんは一体いつから見ていてくれたのだろう?…謎すぎる。



「み、美月様大丈夫ですか…!?」


「この首の跡…!!」



説明が終わったのと同時にバタバタと私の元へ駆けて来る四人。それに匡くんは苦笑いを浮かべながら見遣り、軽くこちらに手を振って行ってしまう。



『あ、匡く「ちょ、美月様!?話聞いてます!?」…き、聞いてますよ…?…う…。』


「「「「……………。」」」」



またしても眩暈に襲われてしまう自分の虚弱な身体が憎らしい。…いや、違うか。鬼の力がそれだけ強いという事なのかも知れない。



「――もう大丈夫ですから、安心してお休みください。」


「…目が覚める頃に夕餉の準備をしておきますので今は眠ってください。」


『――わ、わかりました。』



ちらりと護衛兵たちの顔を見ると皆先程の剣幕とは打って変わり、穏やかな表情を浮かべていて。それに安心した私は目を瞑る。どうやら自分で思っていた以上に体力を消耗していたらしく、私はすぐに意識が遠くなるのだった―――…。




****************************************



『―――ッ!!』



ハッと目が覚めるのと同時に酷い嘔吐感が込み上げて私は口を押さえながら慌てて外に出る。宿の裏にある茂みまで来ると堪え切れず思い切り吐き出してしまった。



『…うっ…!』



嘔吐感が治まるまで背中を丸めて胃の中にあるもの全部を吐き出す。…何度も何度も――…。その行為を繰り返す度、生理的に自然と涙が零れるけれど今はそれを拭く余裕はない。



【――死ね、人間。】


【――死ね。】



脳裏に蘇る薫とあの男の声、目、首に残る感覚。それらはまるで今現在そうされているような錯覚を与え、私を追い詰める。…これは所謂“フラッシュバック”だ。



『―――ッ!!』



私は息が詰まりそうになりながら間隔の短い不規則な呼吸を繰り返し、ガクガクと震える身体を自分の両手で抱きしめた。



『……はぁ……はぁ…。』



大丈夫、大丈夫だからと何度も自分に言い聞かせて―――…。











不知火「………………。」


























(――あれは…不知火か?)

(…そのようですね。)

(――顔を見せないと思ったら人間なんぞに――…ん?)

(…あの者は長州の姫君。ですが千姫様に会いに行くなど人間としては少し妙な動きをしていると聞いています。現在は何故か南雲家と接触している模様。)

(――ほぉ?面白いではないか。)

(……………。)

(――まぁいい。行くぞ、天霧。)

(…御意。)



****************************************


そして翌日から私は護衛兵たちの猛反対を受けながらも南雲家に毎日通った。


ある時はお菓子を持参し、ある時は途中で見付けた子犬を連れて。最初は無視を決め込んでいた薫も次第に話をしてくれるまでになっていた。



『薫~!見てみて!初めて上手く作れたの!』


薫「――煩いな。俺は本を読んで――…ってそれ…。」



ずっと上手く作れなかった“花冠”。薫はきっと好きだろうと思って密かに特訓した数日。やっと上手く作れた事が嬉しくて自慢げに薫へ差し出した。



『薫が好きな“花冠”!はい、あげる…!』


薫「!!!」



少し呆けている薫の頭に花冠を乗せると薫は火がついたように顔を紅くさせる。…あら、可愛い。



薫「俺がいつ好きだなんて言った…!?大体花冠は男がするものじゃ…!」


『でも薫、花冠作るの得意でしょ?それは結局好きと同じ事だと思うの。』


薫「な、なっ…!」



更に顔を紅くする薫が可愛くて思わず私が笑うと薫は顔を背けて「おまえなんて嫌いだ…!」と言う。そのくせ私が南雲家に居る間はちゃんと傍に居てくれるから言葉と行動が矛盾している。…だけどさすがにそれを口にすると今度こそ口をきいてくれなくなる気がしてそっと胸にしまっておく事にした。



久晶「…薫。」


薫「―――ッ。」



…まただ。薫と過ごす時間にいつも横槍を入れてくる久晶。久晶が現れると薫の表情は初めて会った日と同じように冷たくて悲しい表情に戻ってしまう。…それが悔しくて悔しくて――だけど私は久晶を睨みつけることしか出来ないでいた。



久晶「――本日もうちの薫と遊んで頂きありがとうございます。…ですが、いくら通っても無駄ですよ…?」



「では」と、含み笑いを浮かべながらそう言って久晶は薫の肩を抱き、屋敷へ入っていく。



薫「……………。」


『――薫ッ!また明日ね…!?また明日も来るから…ッ!』


久晶「愚かな…。」



小声でそう呟く久晶の言葉が聞こえた私は、己の手を握り締めて二人の後ろ姿をじっと見つめていた。



『………………。』


「――美月様…。」



そんな私へ心配そうな声をかける護衛兵さんに気付いた私は軽く深呼吸をし笑顔を浮かべて振り向く。



『さぁ、そろそろお腹も空きましたし帰りましょうか…!』



そう言って私たちは宿へ向かって歩き出す。その時の私は明日もいつも通り薫に会えるのだと思い込んでいたのだった―――…。




****************************************



薫side




バキッ!



薫「うぐっ…!」



父上に屋敷の中へ連れ戻された俺はいつものように仕置き部屋へ連れて行かれる。…もちろん俺を仕置きする為に、だ。父上はいつも俺の両手を縄で吊し上げ、自由を奪った状態で痛めつける。



久晶「――あぁ、薫。痛いかい?だがおまえのその苦しみに歪む表情はとても美しい…。」



しかもこんな事を恍惚としながら言ってのける父上に俺は本気で“吐き気がする”。だからと言って俺に逃げる場所なんて無――…。



【――薫、私と一緒に行こう?】



薫「………ッ。」



俺の思考に突如あいつの笑顔が浮ぶ。あいつがいつも笑いながらそう言って手を差し延べてきた事を思い出すなんて――…。



久晶「――ん?何を考えている…?」



父上は首を傾げながら俺の顎を持ち上げ、頬をべろりと舐める。…本当に気持ち悪い。



久晶「――おかしな事は考えるなよ?…もし万が一、おまえがあの人間と逃げようなどとしたら――おまえもろとも殺してやる。」


薫「……そんなこと有り得ません…。」



あいつはかたきである人間だ。何のつもりかは判らないが俺を連れ出そうとしても俺は人間を信じない。…信じられない。



久晶「――おまえはもう“南雲薫”。俺の可愛い息子なんだよ。…確かに女鬼じゃなかったのは残念だが――例え男だとしても俺がずっと可愛がってやる。…ずっと、な――…。」



耳元でそう囁くように言う父上の言葉に背筋が凍りつく。…俺はいつまで父上の人形でいれば良いのか。終わりの見えない闇に感情が無に変わる。



バキッ!


ガッ…!



薫「…ぐはっ…!」



…ならば俺は俺自身しか信じない。でも、もしもあいつが本当に俺を助けようとしているなら――…?…いや、そんなのは幻想に違いない。



久晶「いい表情だ、薫…!」



バシッ!


ガンッ!



久晶「あははは…!ぞくぞくするぞ…!」


薫「…げほっ…!」



【薫が好きな“花冠”!はい、あげる…!】



それでも俺はあいつのあの馬鹿面は嫌いじゃない。それに俺はいつからか…毎日あいつが来るのを心待ちにしていたのかも知れない。…そんな自分が滑稽に思えるけど今はどうかこのままで―――…。

































(――南雲家の養子の素性を調べました。…もしかすると雪村家の生き残りではないか、と…。)

(…なるほどな。だからこそ古の鬼にも会いに行ったということか。ふんっ、人間にしては頭が回るらしい。)

(――これからどうされるおつもりで?)

(…さぁな。)



****************************************


「――薫様は貴女様に二度と会いたくないとおっしゃられていて…申し訳ありませんが、お引き取り下さいませ。」



翌日いつものように薫に会いに行った私に待っていたのは悲しい現実だった。毎回薫と引き合わせてくれていた女中さんにそう言われては私も引き下がるしかない。…そして途方に暮れること数刻。いくら薫の本心だとしても、いきなり人づてにそんな事を言われても納得など出来るはずもない。そもそも薫は嫌なら嫌だとはっきり私に言う気がする。――だとすれば何か理由が…?であれば屋敷に潜入して直接薫に―――…。



「――美月様、もしや良からぬ事を考えているのではないでしょうね?」


『ふぇ…!?そそそんなことないですよ…!?ええ、全く…!』



じとーっと疑いの眼差しを送って来る三人に顔が引き攣る。※一人は宿で荷物番



『あぁっ…!!』


「「「…え?」」」



私は咄嗟に適当な空を指差して大声を上げるとそれに釣られて護衛兵たちもそちらを見た。



ドカ…!バキ…!ガッ…!



「「「うぐ…!?」」」



ドサドサッ…



私はその隙に三人の鳩尾やこめかみ、顎に攻撃をする。上手い具合に急所に入ったらしく三人とも失神した。



『ごめんなさい…。…でも三人を連れていくのは危険なんです。』



私は三人に頭を下げつつ、踵を返し後ろ髪ひかれる思いで屋敷に向かった。そして決意をする。私は今日薫を救出してみせる、と―――…。



****************************************



===南雲家本邸===



屋敷に着くと私は裏から木に登り、屋根づたいに薫の部屋まで来た。部屋を覗き込むと戸は開いていてどうにか入ることが出来そうだ。私は持参した紐を屋根の突起物に引っ掛けて薫の部屋にダイブッ!



『…なッ…!?』



私は部屋に飛び込んで愕然とした。昨日は元気だった薫が今は全身傷だらけで身体に巻かれた包帯は血で滲んでいたのだから。

※鬼から付けられた傷だけは治癒力が落ちる



『薫…!?どうしてこんな…!』


薫「…う…ん…?…おまえ…何で…!?」



私は転びそうになりながら急いで薫の布団に走り寄った。それを包帯の隙間から見ていた薫は目を見開いて不安げに瞳を揺らしている。私は…薫をこんな目に遭わせたくなかったのに…。こんな目に遭わせたくなくて私はッ…!――布団の端を握り締め何も出来なかったことの悔しさで視界がぼやけてくる。…でも今は泣いてる場合じゃない。私は慌てて涙を腕で拭った。



『――薫、行くよ。答えは聞かない、けどッ!』


薫「は!?ちょ、何!?」



私は薫の腕を肩にかけて屋根から降りてきた紐の所まで連れていき紐を掴む。



『――ああは言ったけど…薫が今でも本心で此処に残りたいと言うのなら私は潔く諦めるわ。…だけどもし少しでも明るい未来を望んでいるのなら――…このまま一緒に逃げて。』


薫「……………。」


『――決めるのは薫、あなたよ。』



私はそう言って薫の前に紐を差し出した。薫は私をじっと見つめてから紐に視線を移す。…どちらを選んでも薫が幸せになるようにと私は祈りながら呼吸を整え、薫の答えを待つ。



薫「俺は――…。」


「おまえら何をしている!?」


薫「『!!!!!』」



異変に気付いた南雲家の鬼が部屋に入って来て、逃げようとしている私たちに怒声を浴びせた。



『薫、逃げてッ…!』



私は薫の前に立って逃げるのを促す。今の薫は戦えない。ならば私が時間を稼ぐしかないのだ。



薫「俺は――…。」


『いいから早く…!』


「貴様…ッ!」



ガキーンッ!



私は襲いかかってくる鬼にすかさず抜刀し応戦する。鬼と言えど敵はこの一人のみ。負けるわけにはいかない…!



薫「―――ッ!」


『え!?ちょ、薫!?』



すると今まで微動だにしなかった薫が突然部屋の中に戻り、隠し持っていたらしい刀を取り出して敵対していた鬼の後ろに立った。それを見た鬼はにやりとほくそ笑んでこちらを見遣る。…とても不快な顔だ。



『薫――…。』


「――どうやら薫様は貴様と行く気は無いようだぞ…?くくっ、諦めるんだっな…ッ!」



ドガッ…!ドッ…!



鬼は言葉尻に合わせて蹴りを入れてくる。それを腹部に思い切り受けてしまった私は壁に吹き飛ばされてしまった。



『くはっ…!』



痛みを堪えて顔を上げると鬼は笑いながらこちらに向かって来る。…正直、蹴られたお腹より薫に想いが届かなかったこと、助けられなかったことで痛む胸の方がよっぽど痛い。



「死ね…ッ!!」



ザシュ…ッ!



私は鬼が刀を振り上げた瞬間、ぐっと目を瞑ったが数秒待っても痛みを感じない。…不思議に思って目を開けると返り血を浴びた薫がそこに立っていた。…そう、斬られたのは私ではなく目の前に横たわる鬼だったのだ。



薫「――死ぬのはこいつじゃない。おまえの方だ。」


「かお…様…なん…。」



息絶えそうになりつつも鬼は薫に問い掛ける。それを見ながら薫は刀身に付着した血を一降りして落とし鞘に戻した。



薫「――俺は俺自身の意志でこいつについて行くと決めたんだ。」

『………………。』



薫はそう言って不敵な笑みを浮かべる。そして座り込んでいる私に向かって口を開いた。



薫「…ねぇ、いつまで呆けているつもり?俺を連れて逃げるんでしょ?」



「ほら。」と言って差し出される薫の手。――私は夢を見てるのだろうか…?そんな事を考えながら私は薫の手を取り、立ち上がる拍子にふと薫の刀が視界に入った。



『――もしかしてそれ“大通連(ダイツウレン)”?』


薫「…あぁ。というか、おまえ本当に何でも知ってるんだな。」



私の質問に苦笑いを浮かべて答える薫。…いくらこの世界を知っていても私だって万能じゃない。確信が持てないからこそ尋ねているのだけどな。



『――何でもじゃないよ。知ってることだけしか知らないもの。』


薫「…はいはい。」



バタバタバタッ!



私たちがそんな会話をしていると廊下から大人数の足音が聞こえてきた。




薫「――ちっ、もう来たのか。」


『薫、急いで…ッ!』



私は直ぐさま紐を掴み薫に手渡した。でも薫は口角を釣り上げて笑うだけ。



「――ッ!?貴様ら…ッ!」



そうこうしているうちに鬼たちが部屋にたどり着き、息絶えそうな仲間を見て怒りをあらわにした。


薫「口、閉じてろ。」


『…え?どういう…ちょぉぉお!?!?』



そう薫が言ったことが理解できなくて聞き返そうとした瞬間身体がふわりと浮いた。え、えぇ!?何これ何これ…!!



トサッ…!



薫「――こっちの方がっ、手っ取り早い…だろ?」


『!!!!』



薫はそう言いながら肩に担いでいた私を地面に降ろした。ほんの一瞬の出来事に私は言葉を失い呆然としてしまう。



薫「――あのさ、何かする度に一々呆けられると鬱陶しいんだけど。…ほら、行くよ。」


『あ…。そ、そうだよね。ごめん…!』



薫の一言で我に返った私は私の前を走る薫について行く。…当然の事だけど薫はいくら子供と言えどやはり純血の鬼で、しかも由緒正しき雪村の嫡子なんだと私はこの短い間で思い知らされていた。



ガシッ…!



「――動くな。」


『!?!?!?』


薫「!!!!!」



突然私は後ろからもの凄い力で引かれ次の瞬間には身体の自由を奪われてしまった。普通の人間とは思えない力だが鬼だと確信も持てない。…だけど私を捕まえてる奴とは別の見慣れた顔が視界の端に見え、鬼なのだと確信する。…見慣れた顔――南雲家当主、久晶だ。



久晶「――薫。賢いおまえがどうしてこんな愚かな事を?…それもこれも全部――この浅ましい人間がおまえを唆したのだろう?」


『ぐっ…!』



久晶は薫に話掛けながら私の髪を鷲掴みにして思い切り払いのける。どうにか隙をついて逃げ出そうと身体をよじるが鬼の力には太刀打ちする術がなかった。



薫「…そいつを離せ。俺は唆されてなんかいない。」


久晶「――唆されているとも。…現におまえの口の聞き方が変わってしまっているじゃないかッ…!」



ザシュ…!



「ぎゃあぁあ!!!」


「『!!!!!』」



久晶は気が触れたのか怒りに任せて仲間の鬼を切り捨てた。…とても正気の沙汰とは思えない。



久晶「――この人間を殺されたくないのならば大人しくするんだ。…捕まえろ。」


「「「…はっ!」」」



久晶の掛け声と共に控えていた鬼たちが薫の両腕を掴み自由を奪う。私を気にしてくれているのか薫は本気で逃げ出そうとはしない。いや、もしかすると久晶につけられた傷口が開いたのかも知れない。



『薫…ッ!』


薫「…くそっ!離せ…!」


久晶「――薫…?おまえは今までもこれからも“南雲薫”だよ。…それを解らせる為には――…やはりおまえの目の前でこの人間を殺すのが一番だろうな?はは!あははは…!」



そう言って久晶は焦点の定まらない目をこちらに向けて迫ってくる。完全に狂ってしまっている鬼というのはこんなにも哀れなものだったとは知らなかった。私は恐怖感よりもこの哀れな鬼が痛々しく思えて同情してしまう。



薫「やめろ!!!離せ!!」



ザン!ザシュ!



「「うぎゃぁあ!!」」



久晶の後ろで薫が鬼たちを斬り捨てこちらに走ってくるのがスローモーションのように見えた。



久晶「――私の可愛い薫に手を出したことを後悔しながら地獄をさ迷うがいい…!死ねぇえ!!」


薫「美月!!!」



ザシュ…!!



久晶「…がはっ…!?」


風間「――南雲家当主ごときが雪村の生き残りを我等の許可なく浚い、養子にしていた罪は重い。…が、それに関しては目を瞑ってやろう。」


『!?!?』



私は耳元で聞こえる聞き慣れた声に動揺が隠せない。…何故彼が此処に居るのか、何故彼が私を助けてくれるのか――…判らない事ばかりだ。



『ちー…さま…なの…?』


風間「…ふん。――だが長州の姫に手をかけるなどとなれば長年人間どもに返してきた借りが全て無駄になる。それだけは見過ごせんのでな。…天霧。」


天霧「――はっ。」


久晶「…うぐっ…!」



ちー様…もとい風間さんは刺したままだった刀を抜いたらしく久晶はその場に倒れ込んだ。そして天霧さんは私を掴んだまま動かない鬼から救い出してくれる。そして振り返ればその鬼は既に絶命していた。



天霧「――同胞が無礼な真似をして申し訳ありません。お怪我はありませんか?」


『………………。』



いくら敵とはいえ、私はこの短い間でいくつもの命が消えてしまった事を改めて実感し胸が苦しくなる。



天霧「????」


『…あ、大丈夫です。ありがとうございます。』



私がそう言って頭を下げると「お気になさらず。」と言ってくれる。…やはり天霧さんは紳士だ。



風間「――美月、と言ったな。貴様は未来が見えると聞いた。…間違いないか。」



いきなり風間さんから話を振られびくりと身体が揺れる。…何故そんなことを知っているのだろうか。鬼ネットワークおそるべし。



『…はい、間違いありません。』



今ここで隠す必要もないと思った私がそう肯定すると風間さんは満足そうに頷いた。…何故満足そうなのかよく判らないけれど。



風間「――ならば問う。このまま雪村の子が南雲家に残った場合、この家はどうなるのだ?」


『…え…?』



薫を虐げてきた南雲家当主たちは数年後薫に――…。とそこまで考えて私は風間さんが意図していることに気付いた。もしかしてそれを少し着色して話せということ…?私はちらりと薫を見遣ってから意を決して口を開いた。



『――南雲家は数年後、薫に――…滅ぼされます。』


久晶「!!!!!」


薫「……………。」



薫を南雲家から助ける事は薫に幸せなってもらいたいという思いが前提にある。――けれど結果的にそれはこの南雲家さえも守る事に繋がるのだ。



風間「――ほぉ?ならば大人しく雪村の子を諦めるのが賢い鬼というもの。先程は急所を外してやったが…これ以上醜態を晒すのならば今俺の手で殺してやっても構わないのだぞ?」



そう言って風間さんは抜刀した刃先を久晶の顔面すれすれの所で止めた。それを久晶は青ざめながら見つめている。…そして軽く一度目を瞑り、苦笑いを浮かべた。



久晶「――判りました。私の負けです。潔く諦めましょう。」


薫「!!!!!」


風間「…ふっ、賢い選択だ。」



風間さんは久晶の決断を満足そうに聞き入れ、刀を鞘に戻す。完全な敗北を受け入れた久晶は動ける鬼たちに指示を出し次々と屋敷に戻って行った。



薫「――父上…。」


久晶「…私はもうおまえの父上ではない。おまえは…風間様と同等の鬼、雪村薫なのだからな。…すまなかった…。」



そう言い残して背を向ける久晶の顔はとても“父親らしい”表情に思え、それを見た私は何とも言えない切なさで胸が痛んだ。



薫「―――ッ!!」



薫はそんな久晶の後ろ姿を見つめながら拳を握り締め、涙を流していた。


…それは久晶と過ごしてきたこの二年には嫌な思い出だけでなく、穏やかで幸せな日々もあったのだと想像するに難しくないものであった―――…。



****************************************


それから私は薫と共に宿に戻った。気にかけていた三人の元気そうな姿を見れて安心したのもつかの間、私の傷だらけの姿を見た護衛兵たちから大目玉を食らったのは言うまでもなく。



天霧「――まず美月様が無事に帰って来られたことを喜ぶべきなのではないのですか?」



という鶴の一声のお陰もあり、そして――…。



風間「…ふん。この俺がわざわざ助けてやったんだ。お礼の宴をするというなら付き合ってやらんでもないぞ。」



という俺様発言に乗せられた護衛兵たちは慌てて宴の準備をした結果――…今なぜか宴の真っ最中だったりする。


…まぁ、薫の歓迎会も兼ねているというからまだ良いにしても、宴と聞いてどこからともなく現れた匡くんには正直開いた口が塞がらなかった。…まるで新八さん達みたい。



《うっめぇ~!ほら、風間もどうせ旨い酒呑むなら楽しそうに呑めよ…!》


《…俺がどう呑もうと俺の勝手だ。》


《なんだよ。じゃ、天霧ぐらいは…っておまえが陽気になる方が正直不気味だわ。》


《――不知火、はしゃぎすぎ。》


《…気にする必要はありません。放っておけばいい。》


《――お~ま~え~ら~!》



『………ふふっ。』



四人の鬼のやり取りを見ていると懐かしい感覚になる。…そう、まるで新選組の皆と呑んだ時のようで――…。



『………………。』



カタ…ッ



ふと思い立った私は動かしていた箸を止めてそっと立ち上がり、隣の個室へ移動する。



シャラン…



…私の手には皆で撮ったプリクラのストラップ。携帯からぶら下がるそれだけを見れば此処が私の元居た世界なのではないかと錯覚してしまいそうになる。



チャララン~♪



思わず手にした携帯の電源を入れても左上のアイコンは【圏外】を表示したまま何も変わらない。…画面の中で幸せそうに笑う私は今の私とは全く違う大人で本当にこれが自分なのかと疑いたくなった。――確かにこうして形としては残っている。でも私の記憶に残る皆はまるで泡沫の夢だったのではないかと思ってしまう事さえあるのだ。


皆は今どうしてるんだろう…?私がこっちの世界に来て早数ヶ月。慎吾さんや吉野くん、准兄もいるから大丈夫…よね?過保護な皆の事だからきっと心配しているだろうな…。なんて苦笑しながら私は口を開いた。



『――今日、ね?やっと薫を救出できたんですよ?しかも何故かちー様や天霧さんが助けてくれたんです。…私驚いちゃいました。しかも何故か今は私の宿で宴が行われているんです。有り得ないですよね?…だからもし皆さんが此処に居たら絶対喧嘩になっちゃ――…。』



ポタッポタッ



そこまで口にすると後は言葉にならなかった。鮮明に見えていたはずの携帯画面が滲んで皆の顔がぼやけて見えなくなる。



『あれ…?はは、おかしいな…。今日はおめでたい日なのに…すごく嬉しいのに…。何で私泣いてるんだろう?…また皆さんに“泣き虫”って言われ――…。うぅっ…。』



…もう限界だった。

寂しくて苦しくて、二度と皆に会えないかも知れない恐怖。二度と自分の世界に戻れない恐怖をこの数ヶ月ひたすら我慢してきた。

【新選組を護る】それだけの為に、ただただ必死で。…だけど現実はとても厳しくて、日に日に募った皆への想いに胸が張り裂けそうだった。



『会いたいよ…。会いたいよぉ…。』



そう口にすれば余計に想いが溢れてしまうのに今の私はそれを止めることなど出来なかった。…私はこんなにも弱くて情けない。


それでも歩き始めたこの道を決して立ち止まったりなどしないと決めたから…。だから今だけは…弱音を吐くことをどうか許して下さい―――…。



「「「「………………。」」」」



****************************************




ピッ…



しばらく泣き続けた後、携帯の電源を切ってお守りであるこの携帯をぎゅっと握り締め涙を拭った。



『…大丈夫。私頑張るよ――…。』



そう呟いて目を瞑れば皆の笑顔が浮かぶ。それが思い出せる限り私は負けたりしない。


…私は確かにとても弱いけれど、その分とても強いのだ。だから…大丈夫。――絶対に大丈夫なのだ。



『よぉし、今日は呑むぞぉお!!!匡くん、日本酒!!!』



私はそう言ってマイペースに繰り広げられている隣の広間に戻り護衛兵たちが止める中、皆とお酒を呑み交わすために気合いを入れる。



不知火「な、なんだぁ!?美月、酒飲めるのか??」


『当たり前でしょ…!私26なんだから…ッ!』


薫「ぶはっ!!!」



私の実年齢を暴露すると真横で薫が口に含んでいた物を吹き出した。あれ…?そう言えばまだ言ってなかったっけ…?



薫「ちょ、美月が26!?何、もう酔ってるの?」


『失礼な…!まだ酔ってません~。』



そんなやり取りをしながら薫の飛ばした物が顔についても顔色ひとつ変えずに手拭きで拭う天霧さん。



風間「…こんななりで26だと?明らかに虚言ではないか。」


天霧「――ですがその年齢であれば千姫様に挨拶に行くなど数々の行動にも納得出来ます。」


『…でしょう?ふふっ。』



薫と風間さんが否定する中、天霧さんだけは納得し頷いていることに私は少し勝ち誇った気分になる。



不知火「――そういや美月、祝言挙げてるって言ってたもんなぁ~?」


風間・薫「「なっ!?祝言(だと)!?」」



今思い出したかのように匡くんがそう言うと風間さんと薫が素っ頓狂な声を出した。



『???うん、そうだよ。証拠もあるけど…見る?』


不知火「お~!何だ?見せてみろよ。」



にやにやしながらそう言ってくる匡くんに証拠の写真を見せるために手帳を開く。



『――ほらこれ。』


不知火「おお、どれどr……。」


天霧「…不知火、酒が零れています。」



私の写真を手に取った瞬間なぜか動きを止める匡くん。あぁ、お酒が勿体ない…!



不知火「…つかこれ別人、だろ…?まぁ確かに面影があるっちゃあるけどよ…。いや、でもさすがにこれは…。」


薫「――さっきから何一人でぶつぶつ言ってんの?いいから俺たちにも見せな――よ…!?」



薫が匡くんから写真を取り上げるとその両隣に座っている風間さんと天霧さんも写真を覗き込む。…え、何?そこは「そんなものには興味ない。」とかいつものちー様なら言うところですよね?私人間ですよ?女鬼じゃないんですよ??…わかってます、よね?



薫「――美月じゃ、ない…。」


風間「ほぉ…?中々見られるではないか。」


天霧「――なるほど。貴女の世界では祝言にこのような着物を着るのですね。」



薫失礼だから…!とか思うけどそこは大人の余裕で華麗にスルーしようと思う。風間さんは、言わずもがな。――そんな二人とは違い天霧さんがウェディングドレスに興味を持ってくれた事が嬉しくなる。



『そうですね。それはウェディングドレスといって元は西洋の祝言で着られていた着物なのですよ。私の世界ではこのドレスが一般的になっているので、これを着て祝言を挙げる人達が過半数を超えていると思います。…あ、ちなみに私は和装もしているんですよ?ふふっ。それも見ます?』


不知火・薫「「「……いい。」」」


『??…そう??』



なんでこの二人は少し機嫌悪くなってるの??悪酔いでもした??って薫は呑んでないか…。また手酌で呑みはじめる匡くんと箸を進める薫を不思議に思っていた。



天霧「――差し支えなければ拝見したいですね。」


風間「…どうしてもと言うなら見てやらんでもない。」


『ふふっ。…よろしければ是非。』



そう言って和装写真を二枚二人に渡す。和装は白無垢と色打掛けがあるんだよね。まぁ、美しい人を見慣れてるだろうから私なんてきっとみすぼらしく映るだろうけど。



天霧「これはこれは…美しい。」


『えへへ…。』


風間「――ほぉ、中々見れるな。…仕方ない。10年後おまえを俺の側室にしてやろう。人間という下等な分際で俺の側室になれることを光栄に思うが良い。」


『…は?』



天霧さんに褒められて喜んでいたのもつかの間、風間さんがおかしな事を言い始めるから私は凍りついてしまった。



風間「――さすがに人間を正室に迎える訳にはいかぬからな。それでも余りある程可愛がってやるから安心しろ。」



そう言ってほくそ笑む風間さん。…え?え??写真見たよね?隣の慎吾さん見えてないの?馬鹿なの?やっぱり馬鹿なの!?私は風間さんの言動に驚きすぎて目をぱちぱちしてしまう。



不知火「――風間、訳わかんねぇことぬかしてんじゃねぇぞ?」


薫「…飲み過ぎたんでしょ。」


風間「――ふっ。俺は本k「丁重にお断り致します。」…何?」



私がにっこり笑ってそう言うと風間さんは顔色と声色を変えてこちらを見た。それを見て私は姿勢を正し頭を下げる。



『…私は元の世界で夫がいる身。そしてこの世界でのちにあなた様方の敵になる新選組を生き長らえさせる為に行動しております。それ故、敵である貴方様に嫁ぐことなど出来ないのです。何より私はいつ消えてしまうか判らない曖昧な存在。そんな私などではなく貴方様に見合った方を娶る事が貴方様の、ひいては鬼の一族の繁栄に繋がります。どうかご理解頂けますよう。』


風間・天霧「「………………。」」



私がそう言うと部屋に静寂が訪れる。…が、すぐに「くくくっ。」と笑いを堪える声が聞こえた。…ん?



風間「ふっ、ふははは!聞いたか天霧!」


天霧「――はい、確かに。」


『!?!?!?』



真剣に話したにも関わらず何故風間さんが笑い出したのか意味が判らない。さっきから風間さんは一体何がしたいの?



風間「おまえは馬鹿か?俺が本当に人間の小娘など嫁に迎えるわけがないであろう?」


『は?それはどういう…??』


天霧「――風間は本当に貴女が異世界の人間なのか、この紙(写真)に映る人物が貴女なのかを確認しただけにすぎません。…気分を害されたのであれば先に謝罪します。」



えっとそれは所謂、私は策に乗せられて風間さんの思惑通り――…



『まんまと騙されたと…?』


風間「――そういうことだ。くくっ。なかなか良い見世物だったぞ?」


『―――ッ。』



顔を引き攣らせる私を見ながら上機嫌の風間さん。はぁ…。何だか急に脱力感が…。心臓に悪いと言うか、無駄な体力を消耗してしまった。



『…それで私が異世界の人間なのも、26なのも納得して下さったんですよね?』


風間「――ふん。まぁな。」


薫「…納得した。」


『――なら良いです。ふふっ。まんまと騙されちゃいましたね?ふふっ。』



風間さんはともかく、薫に納得してくれたことに安心した私は笑いが込み上げてくる。…そもそも、ちゃんと考えればあれだけ千鶴に入れ込んでいる風間さんが私なんぞを側室に迎える訳ないのに。そう考えれば考える程自分の生真面目さに笑いが止まらなかった。


そして私の世界に興味を持ったらしい風間さんが尋ねてくる色んな質問に答えていれば徐々に夜も更けていき、気付けば護衛兵たちや匡くんが酔い潰れて寝てしまっていた。



『もう風邪ひきますよ…?』



私はそう言って一人一人に枕を使わせ掛布団をかけて回る。ふと視線を移すと知らぬ間にお酒を飲まされていた薫も今や船を漕いでいる状態。そんな薫が可愛らしくてくすりと笑いながら天霧さんと席を変わってもらい薫を膝枕する。手櫛で髪を梳かせばさらさらと黒髪が指をすり抜けていく。鬼と言えどまだ六つの子供。口調や考え方がしっかりしていようとも子供なのだ。…遅くなってしまったけれど助けられて本当に良かったと心から思う。



『…本当にお疲れ様…。』



そう言って頭を撫でれば薫は嬉しそうな表情浮かべて笑う。そんな薫につられて私も頬が緩んだ。



風間「――まるで母親だな。」


『…え?』



風間さんの言葉に顔を上げると、驚くほど穏やかな優しい表情を浮かべて薫と私を見ていた。



風間「――おまえは一見そいつと変わらぬ子供にしか見えない。…が暫くすると明らかにその外見に似つかわしくない行動、言動を取る。そしてその表情。愛しい我が子をあやす母親と同じ顔だ。」



そう言って嬉しそうに笑う風間さん。こんな柔らかい表情もするんだ、と新たな発見に笑みが零れる。



『…ありがとうございます。』



私の言葉に満足げに笑った風間さんは手元にあったお猪口を口に持っていく。…今更だけど風間さんて結構な酒豪よね。まさか新八さん達にも負けじと劣らない程お酒好きだったとは意外だったけれど。



風間「――これから…どうするつもりなのだ?」



何気に尋ねられた一言。けれど重い一言でもある。…何せ自分と同等の鬼の未来がかかっているのだから。



『…日が昇ったら此処を発ち、京へ向かいます。』


天霧「――千姫様の元へ…?」


『はい。薫は千姫様にお願いするつもりです。私は所詮人の子。人間の私と共に居るより千姫様の元で暮らした方が鬼として幸せになれると思うのです。』



そう言って私は薫の寝顔を見つめる。気持ち良さそうに寝息をたてる薫は一体どんな夢を見ているのだろうか。



風間「――確かに、な…。」



…しかも私はやるべき事が山積みだ。それに薫を巻き込む事など出来ない。私はただ薫に幸せになって欲しいだけなのだから――…。



『…もし風間さんと天霧さんがいらっしゃらなかったら薫を救い出せなかったと思います。本当に…ありがとうございました。』



私はそう言って頭を下げる。すると風間さんは「…礼には及ばん。」と言いながら席を立つ。



風間「――俺の事は“ちー様”で構わん。…そう呼んでいたのだろう?おまえの好きなように呼ぶがいい。…行くぞ、天霧。」



風間さんは鼻で笑いながらそう言って姿を消す。…もう会うことないかも知れないのに?と私は疑問に思いつつ、苦笑いしてしまう。それでも今は風間さんの気遣いを素直に感謝しようと思った。



天霧「――ではお元気で。」


『…天霧さんも。』



そう私が言えば少しだけ笑って天霧さんもいなくなる。そして私は消えた二人の姿を思い浮かべながら月明かりに照らされた夜の町をずっと見続けるのだった。


…願わくば次に会う時も敵同士にならないように、と祈りながら―――…。















片割れ


今はまだ何も言えないけれど


いつか必ず二人を引き合わせてみせるから―――…




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翌日、目を覚ますと既に匡くんは姿を消していた。それでも私は以前のような心配はしていない。また会えると何故か確信があったから…。だから私はただその日まで待てば良い。


それから薫に今後の予定を話して土佐を発った私達は、数日かけて再度千姫達の元へ急いだ。道中、薫はあまり口を聞かずに何かを考えているようで…。だけど私は敢えて聞くことはしなかった。



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===京都・角屋===



千姫「――まさか本当に連れて来るなんて…。」



千姫は開口一番にそう呟いた。私に許可を与えたものの、恐らく雪村の生き残りが存在している事も、此処へ連れて来る事も半信半疑だったに違いない。



千姫「…何にしても我が同胞を救い出して下さったことを心から感謝するわ。ありがとう、美月。」



そう言いながら千姫が私の手を握るものだからつい顔が緩んでしまう。



『あ、でも私だけの力ではないのですよ?』


菊月「??それは何者かが手助けをしてくれたと…?」


『――はい。風間千景様と天霧九寿様が助けて下さいました。』


千・菊「「!!!!!」」



私の言葉を聞いて顔色を変える二人。ちー様…もしかしてこの時既に嫌われていたの?うぅ…何か不敏だわ…。



千姫「な、何で風間千景が…ッ!?」


『えっと確か、【長州の姫に手をかけるなどとなれば長年人間どもに返してきた借りが全て無駄になる。それだけは見過ごせんのでな。】…そう言っていました。』


千姫「そうかも知れないけれど…。」



千姫はそう言い、難しい顔をする。そんな深く考える事はないと思うんだけど…。多分助けてくれたのはちー様の気まぐれみたいなものだろうし。



『確かに予想外…ではありましたが結果的に薫を助けられましたし、知り合いになれたのは個人的に喜ばしい事です。それに特に問題はないと思いますよ?』



私の言葉を聞いても腑に落ちない表情を浮かべる千姫。一体何が心配なのだろうか…?



千姫「――まぁ、風間千景の事はいいわ。それで貴女はこれからどうするの?」


『私は…これから江戸へ向かいます。』



私がそう言うと「…そう。」と千姫は小さく相槌をうった。



『…それでは私はこれで失礼致します。』



そう千姫に挨拶をしてから薫に向き直ると予想以上に寂しくなってしまう。




『薫…。』


薫「―――ッ!!」



私が呼び掛けるとそれまで下を向いていた薫がハッと顔を上げた。その顔はひどく歪んでいる。最初からこうなることは判っていたのに…これでお別れ、もう会うことはないんだと思うと正直…とても辛い。



『笑って…?』



そう言う私もちゃんと笑えて居ないかも知れないけど…。それでも精一杯の笑顔を作った。



『薫、元気でね?そしてどうか――…。』



“幸せになって”


…それが私の祈り。それが願いだから。



『それじゃあ』と三人に背を向け部屋の襖を開ける。悲しくて胸が痛むけれど、これが薫のため。薫が別れを惜しんでくれるだけでも幸せな事よ。…そう自分に言い聞かせた。



「待てよ…ッ!」


千姫「え、ちょっと薫くん…?」


スパン!



『…え?』



部屋から薫と千姫の声が聞こえたと思ったら閉めたばかりの襖が勢いよく開く。襖の引手近くに置いていた手は不安定な空で固まり、私自身はというと――…襖を開けた人物に驚いて動きを止めてしまった。



薫「――俺もついてく。」


『…はい?』


薫「だから、俺も一緒に行くって言ってるんだよ。」


『え!?なんで…!?』



しばし呆けていた私もやっと薫の言葉の意味を理解して、驚きの声を上げる。だってわざわざ困難な道を選ばなくても千姫の元にいれば平和な生活を送れるというのに。



薫「…今まで俺は周りに流されていたし、それに従っていた。だけどこれからは自分の道は自分で選ぶ。それだけだよ。」


『でも…。』


千・菊「「………………。」」



そう呟いて私は千姫たちを見遣ると二人は顔を見合わせている。本音を言えば、薫が私と共に行く道を選んでくれたことは嬉しい。だけどそれが薫にとって良い選択だとは思えなかった。



薫「美月は俺が一緒についていくのが嫌なの?」


『い、嫌じゃないわ…!…だけど私についてきたら大変な事が沢山あると思う。それに――…。』



私はそこまで口にするとこれ以上の事を話すべきか少し躊躇い、下唇を噛みながら視線を足元へ向けた。…少しだけ押し黙った後、私は意を決して顔を上げる。



『…それに私はいつ消えてしまうか自分でも判らない曖昧な存在なのよ…。』


薫「は!?」


菊月「!?!?」


千姫「…詳しい話を聞かせてくれるわね?」



目を見開く薫と菊月さん。一方、千姫だけは殆ど顔色を変えることなく冷静にそう言うのだった―――…。



再度部屋に戻った私は三人に今までの経緯を話した。もちろん、千鶴やちー様の話には一切触れずに…。



『…私がやっている事は禁忌かも知れません。それでもその禁忌を冒そうとしている私がこの世界に呼ばれたのは、未来を変えるためなのだと――そう思っています。…何よりこうして薫を救えましたしね。』




そう言って私は薫に笑みを向けると薫は少しだけ頬を染めて顔を背けた。そんな薫が可愛くて思わず笑ってしまう。



『けれど、私がこの世界に来た時は…何の前触れもなく突然この世界に飛ばされました。そして新選組の皆さんが私の世界に来た時も同じだったと聞いております。』


菊月「――ということは、また自分の世界に戻る時も突然やってくると…?」


『…その可能性が高いと思います。それ故、薫が一緒について来てくれてもどうなるか検討もつかないのです。』



“だから連れて行けないのだ”と私が遠回しに言っていることは三人とも理解しているはず。



薫「じゃあ、もし美月が突然一人で消えたら此処に戻って来れば良い。それなら問題ないでしょう?」


『え、でもそれはさすがに…。』


千姫「あら、私は構わないわよ?」


『えぇ…!?』



さらりとすごいことを言う薫に千姫も同調するから私は眉間に皺を寄せた。もしかして鬼の純血種って皆こうなの…?あ、でも千鶴だけは違うけど。違うと…信じよう、うん。



千姫「薫くんを縛るものは何もないわ。だから自由に生きればいいの。…けど、もし困った事があれば私達を頼ってね?――美月、もちろん貴女もよ。」


『…え?でも私は人間…。』



千姫の言葉に私は首を傾げる。何故私まで助けようとしてくれるのか理解が出来ない。…だって私はただの人間なのに。



千姫「貴女は薫くんを救い出してくれた功労者よ。…それに貴女は、貴女が思っている以上に貴重な存在なの。だから何かあったらいつでも連絡してね?」


『????わかりました…?』



何だかよく判らなくて腑に落ちないけど…。何にせよ、千姫が味方なのはとても力強い。だから千姫の好意は有り難く受け入れようと思う。



薫「――じゃあね。」


『あ、ちょ!薫…!?』



薫は千姫たちにそう告げると、私の手首を掴んで歩き出す。《まだ千姫たちにちゃんと挨拶してないのに…!》と私が慌てても気にする事なく歩みを進める。



『ま、また改めてご連絡しますから…!ありがとうございました…!』


千姫「ふふっ!二人とも元気でね…!」



薫に引きずられながらも千姫の言葉をどうにか拾えた私は二人に手を振った。またいつか会えますようにと祈りながら――…。

























【我が主、坂上田村麻呂の主君たる平城天皇の血を引く“証”を持つ者が現れし時、その者に尽力することを我が一族の盟約とする。】



千姫「まさかあの子が“証”の持ち主だなんて――…。」


菊月「姫様…良いのですか?」


千姫「…判らない…。私の立場としては…あまり賢い選択じゃないかも知れないわね。でも運の良いことに朝廷に彼女の存在は知られていないし、彼女のしようとしている事を止める権利はないわ。…ふふっ。これから忙しくなりそうね。お菊、助けてくれる?」


菊月「もちろんですとも…!」



















分かれ道


どんな未来が待ち受けていようとも、

お前と離れたくないと…

心からそう思ったんだ――…。




****************************************

===飛騨国・大野郡===



京を発ち、約一週間。私達は現代でいう岐阜県大野郡まで来ていた。



『…それにしても暑い…。』



今は初夏。故に私の一番苦手な季節。空を見上げて太陽を睨みつけても当然何も変わらない。そんな現状に私は思わず脱力してしまう。…それでも自分の世界に比べたら大分涼しい気がした。



『ん~!日が沈む前に町に辿り着けなきゃ野宿よ?さぁ先を急ぎましょう!』


「あ、でも美月様。もう少し休まれても――…。」



重い腰を上げて背伸びをすると後ろから護衛兵の声がかかる。きっと心配してくれているのだろう。



『私は大丈夫ですよ?それに皆さんも早く国に帰りたいでしょう。ならばさっさと私達を江戸に送り届けるに限りますわ。』



私がそう笑いながら言うと皆は苦笑いを浮かべた。萩城を出発してもう二ヶ月以上経つ。その間、ずっと私に付き合ってくれている四人。私だって鬼じゃないから極力早く国に帰してあげたいと思っていた。



薫「…ねぇ、そろそろ(わらじ)替えた方が良いんじゃない?」


『ん…?』



そう薫に言われて足元を見ると、確かに緒が切れそうになっている。そっか、だから足に違和感あったんだと思い私は手持ちの荷物から替えの鞋を取り出し、しゃがみ込んだ。長距離を旅していると判るけど、2・3日に一度は鞋を交換しなくてはいけないのよね。



「美月様ッ…!!」



ドンッ…!



と、突然護衛兵の一人が悲鳴のように名を叫んで私を突き飛ばした。



「うぐっ…!!」


『!!!!!』


「「「美月様…!!」」」



私を突き飛ばした護衛兵は私に背を向けたまま、前のめり呻き声を上げ膝をつく。咄嗟にその護衛兵を支えて横たえると胸部に矢が刺さっていて着物はみるみるうちに血で染まる範囲が広がっている。…どうにか息はしているものの、意識ははっきりしない――…それは案にこの護衛兵がもう助からないということを示していた。


そして異変に気付いた他の護衛兵と薫は私を守るように立ち塞がる。一体何が起きてるの…!?混乱する私は傷付いた護衛兵を抱きしめることしか出来なかった。



「おぉ~!勇敢にも庇いやがったぜ?」


「…ちっ、外したか。」


「餓鬼のくせにいっちょ前に護衛兵なんぞ連れて良い身分だなぁ?」



その声に顔を上げると周りには大勢の男達。ざっと見た感じでも私達は二十人近い男達に囲まれているようだった。そしてその男達はケタケタと不快な笑い声を上げながらじりじりとこちらに近付いてくる。


山賊…?不逞浪士…?

どちらにしても私達の敵に違いない事は判った。



『私達に何のようです…!?』



私がそう大声で問うと男達は一瞬動きを止め、大笑いする。



「がはっははっ!この餓鬼、この期に及んでまだ状況を理解してないようだぜ!?」


「苦労もせずに生きてきた餓鬼にゃ理解出来ねぇんじゃねーか?」


「…それもそうだな!」



そう言って再度不快な笑い声を上げた。関係ない人を傷付けておきながら詫びることなく笑い飛ばすなんて…!



『あなた達の望みはなんです…?』



私は抱えていた護衛兵をゆっくり地面に下ろし、立ち上がった。男達は何も喋らず、ただニタニタと不快な笑みを浮かべるだけ。



『…もう一度聞きます。あなた達の望みは何ですか?』



男達の中でも一番屈強そうな男を見据えて、私はそう問う。すると男は笑みを消し、表情を変えた。



「俺達は金になりそうなもんを奪うだけだ。…だがお前を売れば更に良い金になりそうだなぁ?」



またしても男がいやらしい笑みを浮かべると周りの男達も笑い始める。



薫「…人間風情が舐めたことを…!」



薫が吐き出すようにそう言うと男達はさも嬉しそうに笑い出す。子供の戯れ言だと思っているのだ。



「――やれ。」


「「「「『!!!!!』」」」」



男の声を合図に男達は一斉にこちらへ駆け出した。それと同時に素早く薫も男達に斬りかかる。



『薫…ッ!』


「うぎゃあ!!」


「な、何なんだよ、こいつ!?」



自分の倍程に体格差があるにも関わらず男達を次々と斬り倒していく薫に男達は(おのの)いている。



「くそぉお!!」



ガキンッ!


…それでも。

あれだけの人数を薫ひとりでどうにか出来る訳もなく、三分の一くらいはこちらに襲いかかってきた。けれどさすがは護衛兵というべきか、先程のように不意打ちでなければ戦えるみたい。


斬り掛かってきた男達に応戦する三人の護衛兵。しかし圧倒的な人数差に攻撃を受け止めるだけで精一杯のようだった。


そんな中、男達の中心人物と思われる男が真っ直ぐ私に向かってくる。私はすかさず抜刀し、身構えた。



「――何だ、お前も戦えるのか。」


『私だって戦えます…!』


「「「美月様…!」」」



ガンッ!



私の言葉を聞いて嬉しそうな笑みを浮かべた男は片腕で刀を振り下ろし、私はそれを両腕で受け止める。そのあまりの重さに骨まで痺れて自然と顔が歪んだ。


そして片腕というところを見ても男がふざけているのは明白。…それでもその刀は私の両腕で耐え切れるギリギリの重さだった。



『くっ…!』



…身体が子供だからじゃない。

…実戦慣れしてないからじゃない。

“私が弱い”んだ――…。

それを改めて痛感し私は奥歯を噛み締める。男の攻撃を受け続けていた腕は徐々に悲鳴を上げ始め、私は顔を引き攣らせた。



「餓鬼にしちゃ中々…。――だが弱い。」



ガキンッ!



男は今までとは桁違いの重い一振りを繰り出し、私の刀は思い切り振り払われてしまう。自分の手から離れた刀は数メートル先へ吹き飛び地面に突き刺さる。


…そして次の瞬間――…男の刃先が私の喉元を捕らえていた。



「さぁ、どうする?」


『―――ッ!!』



男の言葉に私は目だけを動かして力の限り睨みつける。


…自分の不甲斐なさが悔しい。…自分の力を過信していた己の愚かさが憎らしい。そんな私が今出来る事はどうにかして皆を逃がすことだけ。



『…あなた方が必要なのは私だけのはず。あの者たちは関係ありません。』


「!?!?美月様何を…!!」


「ほぉ…?」



最初に私を庇い攻撃を受けた護衛兵を見遣ると――既に息絶えているようだった。…これ以上の被害は何があっても食い止めなければならない。



『私の事は好きにして構いません。…ですからあの者たちだけは解放して下さい。』


「「美月、様!?」」



私の言葉に男はにたりと笑みを浮かべ、すっと刀を鞘に戻す。…男達が何もせずに解放するなんて考えられないけど、まずは生き残る事が最優先だと思うから――…。



「――くくっ。賢い判断だ。…おい!この餓鬼を捕まえとけ。」


「「へい!わかりやした!」」


『……ッ…!』



男の言葉に手下の男が私の腕を思い切り掴む。まさか子供に大人が二人がかりで拘束するなど思いもしなかった。だからこそ私はその理不尽さに両脇の男達をキッと睨みつける。…だけどその男達は薄ら笑いを浮かべるだけだった。



薫「…くそッ!」



薫の声に視線を移すと薫も既に拘束されている。一人ならば自力で逃げられるだろうけれど…恐らく私や護衛兵たちの為に大人しくしてくれているのだ。


そして護衛兵たちもまた拘束されていた。武士でもない私達がこんな大人数に戦いを挑むこと自体が無茶だったのかも知れない。



「――それでお前は一体何者なんだ?」


『………………。』



そう問われて身分を明かしたとしても薫たちが助かる保証はない。しかも何と名乗るのが的確なのか私には判断出来なかった。



『では逆にどうしたら――…この者達を解放してくれますか?』


「――そう、だなぁ…。…俺達に一生不自由ない暮らしを与えてくれるってんなら考えてやっても良いぜ?」


《ぎゃははは…!》


「「「「『!!!!』」」」」



そんな男達の対応をみて、誰ひとり解放するつもりなどないのだと私は悟った。…ならば薫だけでも逃して助けを呼んでもらうしかない。


…そう思索していた時――



ザシュ…!



「ぐはぁ…!」


『!!!!!』


「薫様!美月様を連れてお逃げ下さい…!」



男達が見せた一瞬の隙をついて護衛兵たちが私と薫を拘束していた男達を斬り倒しにかかった。私はすかさず地面に刺さったままの自分の刀を手に取る。



「貴様ぁ!!逃がすか!!!」



ザシュ…!



「うぐぁっ…!!」


『!!!!!』


「いいから早く…!」



気配に気付き急いで振り返った瞬間、目の前で護衛兵が斬られてしまう。そしてそれと同時に私の身体は宙に浮いていた。



『か、薫!?何を…!?』


薫「……………。」



十数メートルもある高い木の枝に飛び乗れる飛躍力は一瞬のうちに私と護衛兵たちの距離を離す。



『薫、下ろして!!皆が…!!』


薫「判ってる!だけど今は…。」



私達を庇い今は手の届かない距離に居る護衛兵たち。彼らが次々と斬り倒されていく悪夢のような現実に手が激しく震えてくる。



【全く…。美月様、はしたないですよ?】


【ご自分の立場をもっと自覚してください…!】


【美月様が何を抱えておられるのか私どもには判りかねます。…ですが私たちはいつも貴女様の味方です。それをどうか忘れないで下さいね――…。】



ザシュ…!



「ぐぁぁ!」


『や、やめてぇええ!!!!!!』






































…ねぇ、どうして私に優しくしてくれる人達は死んでしまうの?






…ねぇ、どうしていつも私だけ助かってしまうの?









遠退いていく意識の中で、私はそんな事を考えていた――…。





薫side



隙を作ってくれた護衛兵の想いを汲み、俺はすぐに美月を担いであの場を離れた。



『薫、下ろして!!皆が…!!』


薫「――判ってる。だけど今は…。」



お前を行かせる訳にはいかないんだよ…。俺の為にも、美月を守る為にも、そして護衛兵達の為にも、ね…。


安全な場所まで来たのを確認し美月を下ろす。だけど、なおも奴らの場所へ戻ろうと暴れる美月を抱き留めながら俺は自然とあいつらの言葉を思い出していた。



【薫様も鬼なのですね!羨ましいです!】


【薫様。いくら鬼の貴方とて、好き嫌いは許しませんよ?】


【美月様に何かあった時、私どもの力では切り抜けられないやも知れません。もしそんな事に遭遇したら…薫様、貴方は一番に美月様とご自身の事だけを考えるのですよ?悔しいですが、美月様を守れるのは貴方だけなのだから――…。】



…馬鹿だと思った。…愚かだとも思った。だけど――人間でも鬼の俺を恐れずに接してくれる奴が美月以外にも居る事を知った。“おかしな人間”。そうは思っていても俺は不思議と嫌じゃなかったんだ――…。



ザシュ…!



「ぐぁぁ!」


薫「!!!!」


『や、やめてぇええ!!!!!!』



ガクン!



薫「美月…!?」



斬撃音と護衛兵の呻き声が聞こえた直後美月は叫び、それと同時に彼女の力は抜けて体重が俺の肩にのしかかった。呼び掛けても返事はない。


美月の身体を動かし様子を確認すると、どうやら気を失っているようだった。



薫「美月…。」



そっと身体を横たえて顔を見遣れば美月は死人のように真っ青な顔色をしている。



薫「くそ…!」



これじゃ、まるで二年前と同じじゃないか。人間どもの勝手な都合で俺達の住み処を滅ぼされたあの時と――…。…そして美月はあの時の俺と重なって見えた。



《餓鬼どもは何処に逃げた!?》


《まだ近くに居る筈だ!あいつらを捜せ!!》



薫「ッ…!」



護衛兵たちだけでは殺し足りないとでも言うのか。…これだから人間は愚かだというんだ。



『………ッ……。』



俺が意識を人間どもに向けていると美月が意識を取り戻し、ふらふらと立ち上がる。反射的に美月の手首を掴むとすごい腕力で振り払われてしまう。



『許さない…。』


薫「…え?」



ザッ…!



聴こえるギリギリの小声で呟いた次の瞬間、美月はものすごい速さで人間どもの方へ駆けていく。



薫「ちょ、美月!?」



人の子とは思えない速さで駆けていく美月の後を急いで追っても捕まえられない速さ。



《餓鬼だ!餓鬼が戻って来…ぎゃあぁぁあ!!!》


《ぐはぁ!!》


《なな、何なんだよこいつ!!》



あっという間に敵陣に戻った美月は別人のように人間どもを次々と斬り倒していく。敵の攻撃を避け、時には受け止めながらも相手の刀を弾き返して斬撃を繰り出す。舞を踊っているように無駄のない自然なその動きは華麗であり優雅だった。…そう、まるで阿修羅神のような――…。



《ひぃい!!ば、化け物…!》


《死にたくねぇ…!》


《俺達が悪かった!謝る!だから命だけは助…うぎゃぁああ!!》



まるでこの世の光景ではないような、そんな錯覚まで起き始める。本来であれば完全に我を失っている美月の暴走を止めなければならない。そう頭で理解していても身体は動かなかった。



「薫!!!」



ザンッ…!



『うぐっ…!』


薫「!!!!!」



…ほんの一瞬だった。俺の後ろに回っていた一人が俺に斬りかかっていたらしい。それに気付かなかった俺を、あろうことか美月が庇ったのだ。



ズッ…ドサッ!



「う、うわぁあ!!!」



俺に寄り掛かるように崩れ落ちる美月。そして美月を斬り捨てた男は刀を捨て叫び声を上げながら逃げていく。



パンパン!



「がはっ…!」



銃声を聞いて顔を上げると、近くの木に見覚えのある男鬼が怒ったような表情をして俺を見据えていた。



「ヘイ!お前何呆けてんだよ!?」


薫「――しら…ぬい…?」


不知火「……ッ……!」



不知火は木から飛び降りて美月を見遣ると顔を引き攣らせる。そしてゆっくり美月を抱き上げた。



不知火「…なぁ。お前は一体何の為に此処に居たんだ…?」


薫「―――ッ!!」



そう言うなり不知火は足早に駆け出す。俺はその背中を見つめながら言われた言葉を何度も反芻する。


“俺は一体何の為に…?”



薫「そんなの決まってる。俺は美月を――…。」



“どうしたいんだ…?”



薫「……ッ……。」




明確な答えが浮かばぬまま、俺はただ不知火の後を追うのだった―――…。



あれから俺達は近場の宿に部屋を取りすぐに医者を呼んだ。医者は美月の状態を見るなり絶句したものの、手早く治療を施してくれたのだけど――…。


【今夜が峠になると思います。…それと全身にある切り傷の殆どは消えると思いますが…背中の傷はとても深いので恐らく残ってしまうでしょう――…。】


その言葉に俺はきつく拳を握り締める。俺のせいで美月に一生消えない傷を負わせてしまった事が悔しくて――とても情けない。人間は俺とは違って脆い存在なのだと改めて痛感した。



『…う…ッ…!』


薫「―――ッ!」



美月が呻き声を上げる度に俺の肩はびくりと跳ね、罪悪感で胸が押し潰されそうになる。


…もっと強くなりたい。

美月を傷付けずに済むくらいの強さが欲しい。もっともっと…。



【薫が好きな“花冠”!はい、あげる…!】


【会いたいよ…。会いたいよぉ…。】



優しい美月。泣き虫な美月。…今、此処で終わってしまったらお前が泣く程恋い焦がれている奴らにもう二度と会えないんだぞ?お前がわざわざ異世界にまで来てしようとしていた事を成し遂げられないんだぞ?――そんなの絶対に駄目だ。


もうこの際、神様でも仏様でも何でも良い。誰でも良いから美月を助けてくれ…。そしてどうか美月がまた笑えますように…。俺は美月の手を握り締めながらそう祈ることしか出来なかった―――…。



****************************************


不知火side



不知火「お~!やっとだなぁ。」



美月達が山賊に襲われたあの事件から約三ヶ月――…。


美月は無事峠を越すことが出来た。しばらくは療養が必要だったんだが…。この時期の遺体は腐敗しやすい事、遺体を国まで持ち帰れない事もあり、美月たっての強い要望で四人とも火葬をする事になった。


一人ひとりに小綺麗な骨壷を用意し、美月自ら遺骨を壷に納めたり…。それが終われば長門国まで帰ると言い出した。俺も雪村の餓鬼も止めたが聞く耳持たず。仕方なく無理を押して長門国に帰る事にした。


俺達が着くと美月はすぐに一人ひとりの遺族に遺骨を手渡し、そして遺族が恐縮する程頭を下げ続ける美月を――俺は正直見てられなかった。だって美月のせいじゃねぇだろ?それにあいつらだって“護衛兵”で最初から死ぬ覚悟はしていた筈だ。しかも美月は敵を討っている。詫びる必要なんてねぇと思うんだがな…。


また事前に敬親に連絡を入れていた事もあり、それから数日後護衛兵たちの法要が手厚く執り行われた。


全てが終わり、傷が癒えるまでの療養中、美月は必要最低限以外は誰とも口を利こうとしなかったらしい。…いや、俺も何度か見舞いに行ったんだが、反応は同じだった。


…そして今。

俺は傷の癒えた美月と雪村の餓鬼を連れて江戸の江戸市谷甲良屋敷(※現在の東京都新宿区市谷)にある試衛館に着いたところで冒頭に戻る。


【二度と同じ目に遭わせない為にも匡、お前に美月様の護衛をして欲しい――…。】


それにこれは敬親直々の命でもあった。



不知火「お前が言ってたのはこの道場だろ?…にしてもボロい道場だなぁ…。」



目の前に建つ古臭くて歩けば床が軋みそうな道場を見て俺は自然とそう呟いていた。



『…そんなことない。素敵な道場よ。』


不知火「そうかぁ~?」


「君、喧嘩売ってるの?」


不知火「あぁ?」


「おい、宗次郎…!」



その声に反応して振り返れば小生意気そうに笑う餓鬼と、その餓鬼の言葉に顔を引き攣らせるやたら体格の良い男が立っていた。…まぁ天霧ほどじゃないが。



『総司…。近藤さん…。』


不知火・薫「「????」」



小さな声で名前を呼ぶ声に俺達は美月を見遣る。すると美月は嬉しそうに、そしてとても懐かしそうに二人を見ていた。



不知火・薫「「………………。」」



…何だ、これ?胃の辺りが気持ち悪ぃ…。ちらりと横を見れば雪村の餓鬼も同じなのか胃を押さえて顔を歪ませてる。…気分良くねぇな。



近藤「宗次郎、そうやって誰彼構わず喧嘩を売るような事を言うもんじゃないぞ。…申し訳ない。この子も悪気はないんだ。」


不知火「いや、俺は別に…。」



男が申し訳なさそうな表情をしている横で、餓鬼は相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。…面倒臭ぇ。



不知火「…目的地に連れて来れたし、俺もう行くわ。じゃあな。」



これ以上長居は無用と判断した俺は、そう言って美月の頭にぽんと手を乗せる。



『―――ッ!』



手の平の下で顔を強張らせ下唇を噛む美月。それを見た瞬間、すっと胃の辺りの気持ち悪さが治まる。…何だこれ。だが気分は良い。



不知火「また様子を見に来てやるから。精々頑張れよ。」


『うん…!』


不知火・薫「「!!!!」」



不覚にも久しぶりに見た美月の笑顔に一瞬言葉を失い、苦笑した。…何だ、ちゃんと笑えるんじゃねぇか。



不知火「美月をよろしくな。」


薫「…言われなくても。というか早く行きなよ。鬱陶しい。」


不知火「そーかい、そーかい。…じゃあな。」



雪村の餓鬼にゃ嫌われたもんだが、今の俺様は気分が良いから気にもならない。


そして俺は改めて踵を返して歩き出す。すると『ありがとう』と後ろから声をかけてくる美月に頬を緩ませながら、振り返らずにそのまま手だけを振るのだった―――…。


















誓い


俺は強くなってみせる


今度こそ美月を守るために――…












(…目的地?)

(も、もしかして君達は入門希望者か!?)

(はい。)

(でも近藤さん?この子女の子じゃないですか。)

(む…。確かに…。周助先生に相談せねばならないなぁ。)

((……………。))

(――ついて来て。案内してあげる。)

(は、はい…!)


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