素晴らしい日
世界で一番素晴らしい日はいつだろう。
仕事終わりの疲れた脳による多分明日か明後日には覚えていないようなくだらない思考。それでもその思考は止められないものである。
『世界で一番素晴らしい日』というからにはやはり世界中の人々が幸せだと感じる日でなければいけないだろう。そうなればやはり多くの人が楽しむことのできるクリスマスだろうか。いや、クリスマスを目の敵にする人たちもいる。
ならば著名人の誕生日か、それとも世界的なイベントが開催された日だろうか。やはりどれも納得できない。
もしや何もない日常が最も素晴らしいのではないか、物語や音楽でもなんでもない日常こそ最も幸せなのだと主張するものも多い。
「それはなしだろ」
明かりのない部屋でつぶやく。こういうのは結論を出す過程が楽しいのだ。そういった逃げはふさわしくない。
すでに今日やるべきことを終えて後は眠りにつくだけとなっている。しかし、この思考に決着をつけなければそのことが気になって眠りにつくことはできないだろう。
それからいくつかの考えを出してみたがあまり納得できるものではなかった。そろそろ結論を出さなければ明日の仕事に影響が出てしまう。
逆に徹底的に考えてやろう。そう考えて少し前に話題になったAIのサイトに「世界で一番素晴らしい日はいつ?」と聞いてみた。答えは「人によって異なる」。
聞いたことを後悔した。
「やっぱいつもの日常が一番素晴らしいってことになんのか」
そう結論付けて明日のために目を閉じる。
「いや、あるぞ。誰もが幸せに感じる日」
目を閉じた瞬間にこれだ!って答えが出ることたまにあるよね。
その日は誰もが自分のやりたいことを考え実行する日だ。人々の夢に満ちて人生でやってみたいことをやったり、世界一おいしい食べ物を食べたりする。そんな日が一日だけあった。
「明日世界が終わるなら何をする?」
定番の質問である。
それはだれもが自分の人生で幸せだと考えることを実行する日だ。多くの人間がネガティブなことは言わず前向きにやりたいことをやる。世界で一番素晴らしい日があるとするならばきっとこんな日のことを指すのだろう。
『世界が終わる前の日』自分でも納得のいく答えが出せた気がする。
これならば今日の睡眠は快適になるだろう。そう考えながら再び目をつむる。
思考はすでにまどろみに落ちていた。きっと何も起きることのないただの日常に向けて。
目標は続きを考えること。




