恋した相手は違う人
ソフィオーネとソレイユ王太子が二人きりで逢瀬を重ねる仲になるまで。
彼らが会うのはほとんどが王宮の庭園で、しかも彼女の妹のレジーネと彼の側近で友人でもあるフィーバーフューも共にお茶の席に座っていた。
「あっちの方に珍しい色の花が咲いたんだけど」
だから何だ。と、突っ込みをいれたい程、お子ちゃまな誘い文句に、特に彼の言葉を深読みしないソフィオーネはしっかりと釣られてくれたから、助かる。
読書が趣味だというのだから、王宮図書室にでも連れて行ってあげれば、一瞬で堕ちてくれると思うのに。という事を知っていながらアドバイスをしないのは、初恋の女の子相手に、いい歳してへっぽこっぷりを見せつけられているから。
「レジーネも一緒に行く?」
王太子はソフィオーネしか誘っていないのに、誘われた本人はその意図を汲み取れていなかったらしい。妹にまで声を掛けてあげるところを見ると、この姉は突然突拍子もない事を言い出す妹を嫌ってはいないらしい。
多分、色々振り回されたのだろうな、という事は想像に容易いのに、感謝こそすれ厭っていないとは、人間が出来ているのか、逆に至ってそれが普通と思っているのかもしれない。
なんて、フィーバーフューが王太子の初恋の君から意識を戻すと、予想通り落胆している表情を見せている友人の姿。
他人の心の中が読めてしまう様で楽しいが、それを揶揄ってはいけない。
「そろそろ新作のお菓子がまた運ばれてくるみたいですので、レジーネ様は私と一緒にいかがでしょう」
そう提案すると、隣からは明らかに歓喜の空気をバシバシと感じる。
フィーバーフューは漏れてしまいそうになる笑いを堪え、「とっとと行ってください」と視線で訴える。
それを受けたソレイユはいそいそと立ち上がり、ソフィオーネの前に立つと、王太子らしい表情を作りながら彼女が手を取ってくれるのを待つ。
「それでは少し席を外す」
すましているように見えて、明らかに浮き足立っているのが分かるのはフィーバーフューだけかもしれない。
「どうぞ。ごゆっくりぃ」
レジーネも嬉しそうに手をヒラヒラ振り、二人の恋路を応援しているようだ。
「ねぇ。ちょっと気になってたんだけれど」
「はい?」
フィーバーフューにとっては、ここからが本題。
時間の無駄だと思っているお茶会に毎度引っ張られてくるのも、早くあの二人がくっついてくれる様助け舟を出したのも、もう少し彼女の妹を観察していたかったからである。
「君はソレイユ王太子の事が好きなんじゃないの?」
「え?」
初めの頃は二人でいても口調を変えなかったフィーバーフューが、突然砕けた様子であり得ない事を口にしたのでレジーネはつい間抜けな声を返してしまった。
否。
確かにレジーネが好きなのはソレイユ王太子なのである。
だから、知らぬ間に没落していたリムタス家を再興させる為に、必死で頭をフル回転させた。
何故なら社交界に招待される家柄でないと、王太子には会えないから。
レジーネは自分が無茶苦茶な事を言っているのは理解していた。だが、祖父の人望のお陰で家柄を継続できていた土地が上手く回らなくなり、降爵されてしまっていたのなら話は別。
あった物なら再び頑張って取り戻せばいい。
自らを奮い立たせ、レジーネは動き始めた。
初めは「そんなことできないよ」「そんな面倒くさいことしたくない」と言っていた父親も、ソフィオーネが率先して妹の言う事をこなしていくと、次第に一緒に動いてくれる様になった。
家族で領地に移り住み、自らも農業に勤しみ人々との交流を深め、少しずつ着実に麦の収穫量を増やしていった。
その間、自然災害に見舞われたりもしたが、品種改良を加えた寒さに強い麦を育て始めていた頃だったので、周りの領地と比較すると被害は少なかった。
次第に「リムタス家の麦は天災に強い」といった少々大それた噂と共にその存在が広がり、その種が高値で売買される様になった。
そういった追い風もタイミング良く吹き、納税出来る額も増えたリムタス家は元の爵位に戻る事ができた。
男爵から子爵へと戻り、一時は爵位を下げてしまった父親も元へは戻りたくない、と、領地の経営に集中する様になってくれた。
そうして毎日働き、気付けば社交界シーズンに突入していた。
レジーネが参加する社交界は王宮主催であり、彼女と同じく今年デビューする令嬢全てに招待状が送られ、彼女が覚えている限りではそこで王太子と出会い恋に落ちる。
筈だった。
彼女自身もそうなると思っていたから、知らない内に何故か男爵位まで落ちていた爵位を引き上げ、社交界デビューしたかった。
何故なら、レジーネが知っているレジーネの肩書きがそうだったから。
あまり社交界に参加したがらない姉を説き伏せ、会場に着いた時は、まるで夢を見ている様だった。
とても煌びやかで、賑やかで、自分は物語の主人公なのだとようやく実感する事ができた。
顔を泥で汚し、地味な色のドレスで領地を周り、家を盛り立てる為に働き続けていた時には、本当にお姫様になれるのか、と、心配だった。
だが、蓋を開ければどうだろう。
父親とファーストダンスを踊り、声を掛けられるままにリズムに身を委ねる。
仲良くなった令嬢たちとどの公子が格好いいだとか、女子たちが盛り上がる話題は久しぶりでとても楽しかった。
でも、私は王太子に見初められるのだ。と。
今まで誰とも浮いた話のなかった王太子が、ただ一人恋をする相手は私なのだ。と。
レジーネは笑顔の下で彼女たちの話を聞きながら、自分は貴女たちとは違う、と、優位に浸っていた。
「あ。私、お姉様にも声を掛けてきますわ」
姉のソフィオーネが一人で壁の花になっている姿が視界の隅に目に止まり、話から抜ける。
そろそろ対面できる筈。
踊って話して、こなさなければならないことは全てしたので、そろそろ出会える頃。
それには姉であるソフィオーネが絶対に必要なのだ。
というのも、実は幼い頃、二人は既に出会っていたらしい。
だから、王太子がソフィオーネの姿を見つけ「お久しぶりですね」と言葉を掛ける時に、偶然妹のレジーネが居合わせ目が合うとそこから二人の恋が始まる、という流れ。
私はレジーネだから、私もソレイユ王太子に一目惚れをするのだと。
そう思い込んでいた。
「お久しぶりですね」
ソレイユ王太子がソフィオーネに近付き声を掛けた。
レジーネはそれを逃すまい、と、姉の背後に早歩きで向かい、彼の視線が自分を見つけるポジションまで来て立ち止まる。
そうしてパッと視線を上げると、目の前に夢にまで見たソレイユ王太子の姿があった。
流石、王太子というだけあり、立ち振る舞いは凛としており、その力強いオーラは簡単に人を寄せ付けてくれない。
「……」
目下の者から声を掛けるのは不敬に当たる。
だから、レジーネは彼の視線が自分に向くのをひたすらに待った。
だが、おかしい。
いつまで経っても彼と目が合わないどころか、視界にさえ映っていないように感じる。
だというのに彼の頬は紅く染まり、その黒い瞳はただ一人を捉えている。
「お姉様……?」
レジーネは「信じられない」といった様子で呟く。
ソレイユ王太子が恋に落ちるのはレジーネの筈で。
レジーネが恋に落ちる相手もソレイユ王太子である。
「ど……。何処に行っていたんですか」
感動的な出会いになる筈だったのに。
ソレイユ王太子が熱を上げた視線で見つめていたのはソフィオーネだった。
だが、向けられている本人はレジーネが声を掛けてきたのを幸いとばかりに、彼に対して口早に妹のプレゼンをすると、そそくさと去って行ってしまった。
「……」
「レジーネ……嬢……だったね」
それは姉に向けた視線とはまるっきり異なる、作った笑顔。
対面した王太子とは思い描いていたロマンスが始まる気配は微塵もなく、むしろ気配を消して逃げる様に去ってしまった姉を追いかけてしまいたいと、目が言っている。
そんな彼の心情を知ってしまった今。
レジーネは何を話して彼との時間を過ごすのか。
文字通り頭が真っ白になってしまい、王太子を引き止める術がなくなってしまった時。
「レジーネ様はまだお若いながらリムタス子爵家の復興に貢献なされたとか」
助け舟を出してくれたのは、耳障りの良い声。
ずっとソレイユ王太子の後ろで気配を消していた彼が己の存在を主張する。
「おうじさま……」
それは柔らかそうな絹糸の様な髪の毛に、碧色の瞳。
知らぬ内に言葉が漏れ出てしまった。
彼の方が王子ではないのか。
ソレイユの容姿は黒い瞳に清潔に刈られた黒い髪。
威厳ある次期国王には相応の外見であるが、女の子たちが幼い頃に対面し、憧れる王子像は、まさしく彼である。
「フィー様」
頭の中に彼の愛称が浮かぶ。
「……はい」
親しい人間しかそう呼ばない愛称を呼ばれた事に嫌悪した様子も見せず、一拍置いた後に「フィーバーフューと申します」と綺麗な挨拶をしてくれた。
彼は王太子の幼馴染であり友人でもあり、ライバルであり、よき相談相手でもある。
今まで何故彼の事が目に入らなかったのだろう。
彼は唯一王太子と肩を並べるどころか、それ以上の能力を持つ側近なのである。
だがそれを鼻にかける事も、寝首をかいてやろうとする素振りも見せず、ソレイユの側につき主人を支え続けている。
参謀の役割をする彼であれば、ある程度の事は思い通りに
なるだろうに、その力をソレイユの為だけに使うのは、二人の絆故に。
レジーネは彼のプロフィールを頭の中から引き出すも、その強烈な容姿に気を取られてしまい、集中できない。
見つめられ続けるのが恥ずかしくて、レジーネはフイッと視線を逸らしてしまう。
一体自分は何をもってソレイユ王太子に一目惚れすると宣言していたのか。
思い込んでいた自分が恥ずかしくて、今まで言ってきた事を取り消したい。
こんな。
目の前にそのままの王子様が現れたと言うのに。
お姉様に気持ちがありそうな王太子にアプローチをかけないといけないの?
碧色の吸い込まれそうな瞳に映り込む自分の姿を見ながら自問自答する。
レジーネは王太子の事を好きにならなきゃいけないのに。
心の中で自分に言い聞かせようとする度に、それを受け入れられず、違う人に惹きつけられてしまった自分を否定してしまいたくなる。
だってそうしないと、話が進まない。
自分の世界に入り込んでしまったレジーネの前からソレイユの姿は消え、代わりにただ静かに黙ってフィーバーフューが立っている。
ソレイユも黙ってその場を去るという無礼は勿論働かない。
ただ単に彼女の耳にその挨拶が届かなかっただけ。
「レジーネ様」
フィーバーフューはレジーネの目の前に手を差し出し、言葉を繋ぐ。
「次は私の得意な曲なのです。どうかこの私に貴女のひと時を頂けませんでしょうか」
ダンスを申し込まれたレジーネは、どう返事をしたらいいのか戸惑ってしまう。
ソレイユを好きにならないと話は進まないのに、彼を探さなくていいのか。
ただ感情の赴くままに行動してしまっていいものか分からないというのに、すらりと伸びた長い指に引き寄せられてしまう。
「次は俺の得意な曲だから、お前が失敗しても俺がフォローしてやるって言ってるんだよ」
「えっ?」
目の前の彼からは想像もつかない言葉遣いと、取った手を強引に引き寄せる力強さに、一瞬びっくりしてしまったもののそれに嫌悪感はなく、それが逆に自分が彼に惹かれ始めてしまっている事実を突き付けられる。
未来とは異なる展開になってしまう。
「ご……ごめんなさいっ」
レジーネは彼の包んでくれた温もりを押し退け、自分の知らない未来を過ごすことが怖くなり、その場から逃げ出してしまった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
前作『妹の話に〜』ではたくさんの評価ありがとうございます。
今作は、主人公を変えた前作のアンサー?ぽい話になる予定です。
長さも同じくらいになると思いますので、こちらも楽しんで頂けると嬉しいです。